人々は、一方で天才や英雄を待ち望んでいながら、もう一方で、他人の業績や才能に嫉妬する。厄介な存在である。

 特に、経済学では、個人の力を無視しがちであるが、現実の経済は、個人的な事業や個人的な発明、技量、経営力によって大きく左右されることがたびたびあったのである。この事実を直視し、その功績を適切に評価できなければ、経済の健全な発展は期待できない。
 個人事業や同族というだけで、何事も、頭から否定してばかりいたら、経済の実体を明らかにすることは不可能である。その是非はともかくも、先ずその事実を正確に把握する必要がある。その上で、功罪を明らかにし、対策を立てるのである。
 同様なことは、財閥、コンツェルンに対しても言える。確かに、財閥には、いろいろな問題点がある。しかし、そう言われても財閥は存在してきたし、今も存在するのである。その実体を直視しないで、ただ敵視してばかりしていても問題の解決にはならないのである。

 コンツェルンというのは、持株会社や親会社、金融資本を中核にして異業種によって形成された企業集団である。必ずしも市場独占を直接的な目的としていない。むしろ、事業の多角化を目指した結果、それが大規模化して形成された企業集団と見なす事ができる。
 コンツェルンというのは、戦前における三井、三菱、住友のような財閥を指して言う場合が多い。しかし、今日では、コンツェルン、即、財閥という図式は成り立たない。コンツェルンの中でも同族色が強いものを財閥というと言える。

 コンツェルンには、地方財閥と中央財閥がある。中央の政治権力と結びついたり、全国的な規模、あるいは国際的規模の財閥に対し、ある特定の地域や業種の範囲で形成される財閥を地方財閥という。地方財閥は、大地主や地方の特産物、また、交通手段を掌握することで形成された。地方財閥と言っても中央財閥に匹敵するほどの財力や政治力を持つものがあり、決して侮れない存在である。

 また、コンツェルンと言うには語弊があるかもしれないが、財力、政治力という点からすると宗教団体の存在も侮れない。つまり、経済的に影響力のある経済主体の集合体の働きを明らかにする必要があるのである。

 財閥で重要な要素は、持ち株会社と金融機関である。それ故に、財閥解体後、日本では長い間、持ち株会社は、財閥を復興させると、独禁法によって持ち株会社を設立することは、禁止されてきた。
 
 しかし、持ち株会社は、所有と経営の在り方を示唆した形態である。資本家の形成を促すものでもある。

 財閥の多くが同族会社である。つまり、財閥というのは、同族会社による市場の総合的支配という側面を持つ。財閥が嫌われる理由がこの二点、即ち、市場の総合的支配と同族会社だという点にある。

 コンツェルンが経済に果たしてきた影響は、大きく、その動向は、無視できるものではない。それが特定の一族に結びつくことで、陰謀説のようなものが必然的に生み出されてきた。また、財閥の方にも、責任がないわけではない。企業が財閥化する過程で、いろいろと政治に結びつき、賄賂や、贈収賄の原因となってきたからである。
 しかし、陰謀説のような特定の人間や、機関が世界を支配しようとするといった事は考えにくい。なぜならば、財閥の様な企業集団が、世界を支配したところで、何の利益もないからである。むしろ政治を利用して、利益を独占した方が得である。では、市場を独占することと、世界を支配することは同義かと言えば違う。市場は、あくまでも経済的空間にあるものであり、国家のような政治的空間にある者とは、一線を画しているからである。ただ、コンツェルンのような巨大な勢力が何等かの方向性を持った行動をとれば、世界経済に何等かの影響がでることは避けられない。それを無視して、ただ、閉ざされた空間の中で仮定的な要素を基にして経済を考えても真の解答を見出すことはできない。

 市場独占を直接的な目的としないコンツェルンが多いと言っても初期の段階では、核となる産業がある。石油のロックフェラー財閥が好例である。故に、市場独占を直接的には目的としないと言っても結果的には、市場独占を目指す傾向はある。それが、財閥間の構想として表面化し、歴史をも左右することが多々ある。ただ、それは、世界支配と言ったような最初から意図されたものではなく、必然的結果といえる性格のものである。

 財閥で有名なのは、ロスチャイルド家、ロックフェラー家である。また、世界には、ターター財閥、クルップ、モルガン財閥、クーン=ローブ財閥と多種多様な財閥がある。日本では、三井、三菱、住友をはじめ、幾つかの財閥の興亡があった。戦後、財閥解体があり、事実上同族による支配はなくなったが、その後、金融機関を中核として旧財閥系企業は、再結集して今日に至っている。
 また、最近では、ビルゲイツのような情報産業といった新興勢力から新たな財閥が生まれてきた。

 コンツェルンは、強烈な個性や独創性を持った個人、所謂、立志伝中の人物のリーダーシップによっるところが大きい。この事も所謂(いわゆる)経済学は、不得手としている分野である。つまり、特定の個人という特殊な問題を経済という空間で敷延化、一般化することができないからである。科学を目指す以上、一般化は、避けて通れない。個人の問題は、その重大な障害となる。故に、財閥は、経済学にとって厄介な存在なのである。

 事業の成否というのは、創業者の個性や性格に依るところが大きい。企業名もトヨタ、本田、松下、スズキ、ヤマハ、イスズ、デュポン、ダンヒル、フォードと個人名をかしたものが多くある。見たとおりにこの傾向は、けっして日本特有のものではなく。世界中にある。日本の識者は、財閥を日本の後進性のように言うが、その根拠は稀薄である。
 つまり、財閥というのは、極めて人間くさい企業集団である。第一に、創業者の個性がひかる。次ぎに、同族色が強い。そして、政治色が強い。基本的に世襲であるという点である。つまり、かつては、属人的企業集団であった。また、日本的と言うよりも前近代的な企業集団だと見られているからである。つまり、封建的で古いタイプの企業集団である。

 世襲を基本とするという事は、コンツェルンの所有する資産や経営権は、私的所有物と見なされるという事である。それが、国民国家という、公を前提とした体制と矛盾しているというように見なされる。それ故に、公を土台とした国家体制では、異端的存在として考えられるという事である。

 しかし、財閥というのは、必ずしも過去の遺物ではなく、現在でも生成発展している。また、途上的社会、前近代的社会にのみ存在するのではなく。むしろ、先進国の中に多く見られる企業形態である。また、ITなどの先端技術産業でこそ新たな財閥の勃興が見られる。欧米では今日でも、俗に言う、オーナー企業、同族企業の方を信認する傾向がある。つまり、個人や一族の信用力の方が高い事業もあるのである。(「世界財閥マップ」久保巌著 平凡社新書)

 俗にメジャーと呼ばれる企業集団がいくつかある。有名なのは、石油業界の国際メジャーである。また、穀物メジャーも有名である。
 その他に、コンツェルンの中に含めるのは、異論があるにしても監査法人もメジャーと呼ばれている。以前は、ビックエイトと言われ、八つの監査法人をメジャーと言っていたが、合従連衡を繰り返し、ビックフォーと言われるところまで集約されてきた。基本的にパートナーシップをとり、一種のプロフェショナル集団である。
 監査法人は、別にしても俗にメジャーと呼ばれる企業集団の多くは、コンツェルン、あるいは、財閥が母体となっている。

 国家の言論を司るメディアにも多くのコンツェルンがある。メディアとは、新聞、出版社、テレビ、映画などを指す。有名なところでは、マードック、ブルームバーグ、ベルルスコーニ、ピューリッツァー、ディズニーやワーナー・ブラザースなどがある。

 コンツェルンは、石油や食料、希少金属、ダイヤや金と言った国家戦略に結びついた戦略物資に関わる場合が多くある。戦略物資は、利権に結びつきやすいからである。それ故に、国家戦略と財閥は、深層部分で結びついている。ある意味で政治権力の別働隊的な動きもする。それが、国家の成長や建設に結びつけばいいが、多くの場合、国家権力を腐敗堕落させたり、私的な理由に行使されたりする。それが問題なのである。良薬は口に苦しであるが、富には、甘美な毒がある。それは、やはり、指導者の節操、倫理に頼るしか、防ぎようがない。故に、国民国家は、情報を開示させ、制度として規制するのである。個人の力量は大いに評価するが、同時に、不正に対しては断固とした処置をするのである。規律が大切なのである。

 戦略物資に限らず公共事業と結びついた財閥もある。不動産や建設と言った大規模な事業、中でも巨額の投資を必要とする、公共事業を土台として形成される財閥も多々ある。特に、軍産複合体のように、軍と結びついて形成される財閥もある。
 戦前、戦闘機の政策によって成立した中島飛行機製作所や三菱重工、また、ロッキード社などが典型である。
 必然的に政治権力と結びつこうとする傾向が財閥にはある。むろん、一定の距離を政治権力との間に置こうとする傾向を持つ財閥もあるが、一般的に政治権力と財閥とは、癒着しやすい。
 また、政商のように政治権力そのものを背景として成長する財閥もある。ロスチャイルド家は、宮中の御用をすることで基礎を固めたと言われている。石油産油国の王家一族のように政治権力そのものが財閥化する場合もある。

 この様に、コンツェルンは、メディア、情報産業先端技術、戦略物資、公共事業など国家の中枢部分に多く形成されている。つまり、過去の遺物どころか、国家戦略や政治、経済を左右する中枢を担っているのである。
 そして、経済や政治に深く関わり、時には、国家の命運を握るほど巨大になったり、国政を腐敗させる元凶になったり、政治を思うように操るほど横暴になることすらある。また、多国籍化するにつれて、国益をないがしろにし、特定の勢力や血族の利益を優先する場合もある。しかし、それは国家のみならず財閥にとっても利益にはならない。
 それが財閥に対する批判にも繋がる。しかし、財閥が国家経済に果たしてきた役割は、客観的に評価し、その弊害のみを取り除くべきである。

 世の中の進歩や発展は、ある種の天才や英雄、と言ったカリスマ的指導者に追うところが大きい。一概に個人の能力や個性を否定し、人間一律に見ようとすれば、この様な個人の才能を押し潰しかねない。かといって、極端な格差が広がれば、国民の一体感が失われ、国家の基盤をすら危うくする。国民国家としての一体感、公平感を維持し、一方においてアメリカンドリームのように、個人の夢によって社会を称揚する事によって資本主義は、成立している。個人の夢と社会的公平の均衡をいかにとるかが、資本主義経済の最大の課題なのである。

 一般に、近代の資本主義体制では、同族会社が悪者扱いされる傾向がある。その証拠に、同族会社には、法的にいろいろな規制がかけられている。また、税制も、同族会社は不利になるようにできている。それは、資本主義というのが、資本市場を根底としているという考え方が基本にあるからである。資本市場というのは、公開企業を前提としているからである。しかし、同族会社というのは、ある意味で私的所有権の結果として成立したのである。つまり、所有権の根幹にある問題なのである。故に、単純に割り切ることができない問題でもある。単純に同族だから悪いと言うのではなく。その規模である。コンツェルンというと、一つの産業や国家経済、国際情勢を左右しかねないほど巨大な規模だと言う事である。

 特定の一族が、市場を支配すると、自分達の家族、親族という私的集団のために、公共の資産を私物化する危険性が生じる。それ故に、財閥は危険視されるのである。また、自分達の利益を守るために、国際秩序を乱しているのではと言う疑念も持たれた。それが事実であるか否かは別にしても、市場の規律、信認にとって重大な脅威となることは、事実である。

 同族というのは、不思議なもので、理念や理想、社是、精神と言った内面性よりも血筋や家名といった外形的なものを重んじる傾向がある。

 血族というのは、元々、閉鎖的で、排他的な集団である。何しろ、自分達と血が繋がっていない人間を認めないようとしないのであるから。閉鎖的で排他的な集団は、必然的に自己完結的な集団になりやすい。この様な集団が、統一的で、整合的で、合目的的、組織的行動をとるとは思えない。

 陰謀というのは、統一的、整合的、合目的的、組織的要件を満たして成立する。その意味で、この様な集団が外に向かって陰謀を仕掛けるというのは、考えにくい。陰謀を仕掛けられるのは、やはり、何等かの仕組みを持った組織や機関である。

 ただ、財閥が、自己保全や勢力を拡大するために、何等かの一致した行動をとることは否めない。それを陰謀と言えば陰謀として考えられないわけではない。しかし、それは、組織というものは、何等かの人間の意図によって動かされていることを意味するのであり、同時に、一人の人間の意図が全てを支配できるほど、世界は単純ではないという事も忘れてはならない。問題なのは、国際情勢を左右するほどの企業集団が存在するという事実である。そして、その企業集団の意図や動向に対し経済学が無関心だという事である。

 そして、なんだかんだ言っても、私的企業とって、コンツェルン化は、一つの目標であるといってもおかしくないのである。つまり、私的企業が発展した結果がコンツェルンだと言ってもおかしくない。企業が拡大、成長する過程で機能的に分化し、総合化した結果が、コンツェルンなのである。その為に、多くのコンツェルンは、特定の分野にのみ特化しているのではなく。多種多様な分野を統合的に支配している場合が多い。むろん、基本となる産業を特定しているものも多い。しかし、コンツェルンの多くは何等かの形で多岐にわたっている場合が多いのである。多岐にわたる事でリスクを分散しているのである。つまり、企業集団を維持するためには、多様性を選択したのである。コンツェルンというのは、企業集団の究極的な形である。

 コンツェルンは、コミュニティ、共同体、ネットワーク、シンジケートと言った要素を併せ持っている場合が多い。市場独占よりも、自己完結的な経済システムを目指していると言っても良い。つまり、総合性の方が重要な要素とも言える。この様な財閥コンツェルンの集まりに、華僑や印僑、ユダヤ財閥とよばれる集団がある。こんな所からも陰謀説が発生するのであろう。

 財閥の力の源泉の一つに、人脈や情報網と言ったネットワークがある。このネットワークは、地縁、血縁、業縁に依る。印僑、華僑というように人種や民族、また、宗教の持つネットワークを背景にして形成されるコンツェルン、又は、財閥の集合体もある。このネットワークが爆発的な力を発揮することもある。よく引き合いに出されるのが、ロスチャイルド家のネットワークであり、ナポレオン戦争の時の逸話である。いずれにしても張り巡られされた血族の情報網やコミュニティが財閥を支えている。

 コンツェルンで問題となるのは、単に市場を独占すると言うよりも、同族による世襲的な支配であり、それが、政治的、又、経済的な支配階級を形成することである。
 この様な支配階級は、富の偏在を固定化し、社会的格差を恒久化するとみなされている。それ故に、差別主義の温床とされる。この点が民主主義を標榜する国家にとっては重要な問題となるのである。それ故に、コンツェルンに対する規制は、多分に思想的な側面を持つ。つまり、国家理念に基づくものなのである。

 資本主義社会においても、社会主義者によっても、財閥は、新興の支配階級を生み出す温床と見られたのである。特にトラストは、横断的に市場を独占支配するために最も危険な存在として目の仇にされた。

 又、コンツェルンは、資本的な支配を核としている場合が多く。それ故に、資本家階級の形成を促すと見られているのである。
 又、財閥は、政治権力と結びつきやすいと考えられ、政治権力をも間接的に支配できるとみなされている。

 この様な財閥がはびこると実質的に政治経済を支配することが可能となる。しかも、間接的な支配が可能となる。これは、直接的な政治権力よりも始末が悪いとみなされ、他国からも脅威と認識される。

 日本では、中国大陸の侵略を陰から操り、太平洋戦争の間接的な原因を作ったとし、又、戦前の軍閥を経済的に支援したとして戦後財閥は解体された。又、占領政策の一貫として持ち株会社は、長い間、設立することが禁止されていた。

 しかし、財閥は、日本にのみ存在するものではない。アジア各国に存在し、又、ロシアや中国と言った旧社会主義国においても急速に形成されつつある。
 米国のロックフェラー、モルガン財閥、中国の四大家族、インドのターター財閥は有名である。
 中国の四大家族の宋家族の三姉妹の長女の宋靄齢は孔祥熙に、次女の宋慶齢は孫文に、三女の宋美齢は蒋介石に嫁いだ。蒋介石・宋子文・孫文・孔祥熙は互いに義理の兄弟の関係にあることになる。

 今後は、赤い国の貴族と言われたノーメンクラツーラを背景としたロシア財閥に代表される旧共産圏の財閥の動向も見逃せない。

 我々は、財閥という企業集団が現に存在し、国際経済に重大な影響を及ぼしているという事を見逃してはならない。
 そして、経済を考える上では、それらの財閥の動向や考え方が経済に与える影響を充分に考慮する必要があるのである。



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