産業とは、自律した企業の集まり、集合体である。産業全体が企業の集合体であると同時に、産業の内部は、更に幾つかの企業群から構成される。一つの企業単体で成り立つ産業は、今日、極めて限定的な範囲内に稀にみられるだけである。その場合でも、当該企業単体で成立することは現実的に不可能である。いずれにしても、産業は、自律した企業、経営主体の集合体である。

 産業は単一の企業によって成立しているわけではない。複数の企業によって成立している。いわば、企業群である。そして、その企業群の構成、有り様によって産業の構造は違ってくる。
 中でも中小企業は、産業の礎石を構成する企業群である。

 日本の中小企業は、件数で日本の企業総数434万社の99.7%を占め、従業員数の7割に雇用の場を提供している。(「平成19年度版 中小企業の財務指標」中小企業庁 同友館)産業は、日本だけでも400万社を超える企業の集合である。
 日頃新聞を賑わす大企業は、産業の一角を占めているのに過ぎない。その大企業の陰に隠れている幾多の中小企業の働きを理解せずに産業を語ることはできない。

 平成18年分の法人数は、259万1,914社で、その259万1,914社から、連結子法人(5,546社)を除いた258万6,368社のうち171万9,021社が欠損法人である。欠損法人の割合は、前年より0.6ポイント減少したとはいえ、66.5%となっており、約3分の2の法人が欠損企業だと言える。(「標本調査結果」国税庁)

 SBAの調査によるとアメリカの中小企業総数は、2003年末現在、2370万社に及ぶ。(「日本の中小企業」鹿野嘉昭著 東洋経済新報社)

 この様に産業は、無数の企業によって成立しており、その内の99%は、日本、アメリカ、イギリスなどの先進主要国においては中小企業が占めている。(「日本の中小企業」鹿野嘉昭著 東洋経済新報社)

 多くの人は、産業というと、大企業のことを思い浮かべる。事実、新聞紙上にとの上げられるのも大企業の動向であり、成績である。産業の担い手は、中小企業だという点を見落としてはならない。これらの中小企業は、産業形体や国の政策に大きく左右される。そして、雇用という観点からも文化という観点からも国家の底辺部を支えている基盤構造である。華やかな大企業の陰に隠れたこれら中小企業の在り方が、国家経済の礎を決定付けていると言っても過言ではない。それ故に、企業形態や企業集団、群の有り様を解析し、在るべき姿を確立しておく必要があるのである。

 自律した企業の集合体とは、個々の企業が何等かの関係によって結びつけられ、関連付けられていることを意味する。
 この事は、産業が単なる集合体と言うだけでなく、構造体であるあることを意味する。つまり、第一に、一つの企業に支障や問題が生じた時、それが、関連した企業群に連鎖、伝播、波及する事を意味する。
 また、第二に、同業種の企業、企業群は、組織形態が類似すると言う事である。
 第三に、同業種の企業、企業群は、取引形態が類似する。
 第四に、産業は過程であり、同一の局面、位相、次元に属する企業は、環境、状況が相似すると言う事である。例えば、市場環境や景況というのは、同業種の同一次元(例えば、製造、販売等)では相似してくる。原油価格が上昇した時のガソリンスタンドの経営状況と言った局面とか、円が上昇した時の日本に拠点を置く自動車製造の経営局面は、相似してくる説いた具合である。
 第五に、同様に、同業種の企業、企業群の会計処理も類似してくる。これは、取引が類似していることから必然的に生じる。
 以上のことを鑑(かんが)みると産業は、同業種の同一局面では、一つの形態に収斂していこうとする傾向があり、これは、市場の独占に繋がる。また、商品、産業のコモディティ化にも結びついていく。

 なぜ、企業は、企業集団化するのかというと単一の組織では、組織を制御、統制するのに限界が生じるからである。又、組織効率も一定の規模を境にして低下する。つまり、組織構造には適当な規模があり、その規模を単位として組織は分裂するのである。

 組織の効率には、情報の伝達の範囲と速度、協業によって期待される成果、意思決定における階層の深さよって導き出される。

 企業は、個人事業から、単一の組織へ、幾つかの事業単位に分裂し、やがて、それらの企業単位が分離独立して企業集団を形成していく。また、分裂して企業集団を形成していく過程で吸収合併や買収などによって異質な企業を取り込みながら更に企業集団を拡大していく。
 企業を構成する要素には、機能、物理的要件・形態・空間、成果物・財、組織的要件、時間的・段階的要件がある。これらの要素が企業集団の基礎単位となる。この基礎単位は、個々の企業の生成発展過程や理念によって違ってきて、一定の決まった形があるわけではない。
 ただ、組織を構成する要素が元になっていることは確かである。例えば、、組織的な要件を土台にして形成されるのが集権的職能組織である。又、機能を元として形成される組織が機能別組織である。事業所、即ち、物理的要件・形態・空間を単位として成立するのが事業別組織である。例えば、工場と言った生産拠点毎に独立したり、製品別に独立したり、地域的に独立して企業集団を形成するのである。そして、これらの組織が発展し単位毎に分社する事によって企業集団は形成されるのである。

 この様な企業群の成立は、多分に歴史的なものである。同時に必然的な要素も含まれている。

 企業間の結合には、第一に、チェーンストアや協同組合のような水平的な結合。第二に、仕入れ会社と商事・販売会社、計算センター、製造工場と言った機能的結合。第三に、元請け会社と下請け会社、元売り会社と代理店・特約店と言った垂直的結合。第四に、親会社、子会社と言った資本的結合がある。

 結合関係も、第一に、株式の持ち合いのような資本による結合。第二に、取引、契約に基づく結合。第三に、融資や資本以外の投資と言った資金的結合。第四に、人的結合などがある。

 また、何を中核にしてこの様な企業群が成立したのかによっても産業の性格は違ってくる。
 産業群の中核になるのは、第一に、所謂、持ち株会社と言った私的機関である。第二に、金融資本、特に銀行である。第三に、国家機関、ないし、公共機関である。

 企業群というのは、合目的的な集団である。故に、企業群が形成された目的から企業群を捉えるのも面白いと思う。また、企業群は、機能的集団でもある。機能面からも企業群は分類できる。

 個々の経営主体、企業は、経営の安定と収益の確保という目的から、市場を支配しようとする傾向がある。即ち、自律した企業は、独占を目指す傾向が必然的に生じる。

 また、自律的な企業群であるから、合併、分社、業務提携といった合従連衡を繰り返す。合従連衡には、配送の共有、共同開発と言った、部分的、一時的なものも含まれる。

 企業集団である産業の特徴は、一つの企業の動きが他の企業に連鎖、波及することである。特に、連鎖倒産の問題は深刻である。
 連鎖倒産でなくても中越沖地震において自動車部品の製造会社である「リケン」の操業停止が忽ち、自動車業界全体に深刻な影響を及ぼし、一部の自動車メーカーが操業停止に追い込まれている。この様に、産業は、個々の企業が深く結びつきあって成立している。

 この様な企業間の結びつきは、時として連鎖反応を引き起こす。その連鎖反応で最も気を付けなければならないのは、連鎖倒産である。倒産ほどではなくても負の連鎖である。

 経済の変動や連鎖で真っ先に影響を受けるのは、中小企業である。オイルショック、円高不況、バブル崩壊と日本経済は、幾たびも大きな経済の変動を経てきた。経済の大きな変動は、中小企業の犠牲によって克服してきたとも言える。

 市場の担い手は、中小企業だという点を見落としてはならない。

 雇用や経済の多様性、柔軟性という観点から見ると規模の経済を目的とするのを見直すべきなのである。大量生産型、大量消費型経済からの脱皮こそ急務である。
 中小企業こそ、市場経済、資本主義経済を支えている要素である事を忘れてはならない。

 一方で雇用がどれだけ生み出されているかを検討している最中、もう一方で、大幅な人員削減が検討されていたり、一方で、均等に仕事を割り振ることを計画しながら、一方で効率性を追求したりしている。そのことの矛盾に気がついていない。

 経済というのは、元々ローカルなものである。つまり、地域の実体的な経済を支えてきたのは、個々の地域に根ざしている地元の企業である。効率性だけでは、経済本来の目的は理解できない。

 地域コミニュティに果たしてきた地元商店街の機能を忘れてはならない。地元商店街は、顧客でもあるのである。この様な相互関係によって地域社会は形成・維持されてきたのである。そう言った経営主体が地元のコミュニティに果たしてきた機能が喪失されつつある。それが、地域社会の荒廃させる原因となっているのである。結局、職住分離が急速に進み、その地域に本拠地をおかない全国的企業、国際的企業が地元の企業を駆逐しつつあるのである。全国的企業、国際的企業は、地元に利益を還元しない。
 かつて北海道に進出した観光事業者は、地元に雇用さえ起こさなかった。結局、インフラストラクチャを利用されるだけで、地元には何の利益も落とさなかったのである。しかも、収益が上がらなくなれば、簡単に撤退してしまう。企業の利益が優先され、地元の利益は、常に後回しなのである。

 経済とは、何か。経済の目的とは何か。経済主体が果たすべき役割とは何か。その一番肝心なところが見落とされているのである。改めて、経済の限定を見直すべき必要がある。何が、その地域に必要なのかを・・・。そのうえで、地域経済の構想を築き上げる必要がある。まず、将来への設計である。
 経済というのは、元々ローカルなものなのである。地域に住む人々に役立つことが一番重要なのである。


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