企業形態というのは、経済主体、経済単位の在り方を規定する経済体制の根幹に関わる重大な問題である。それなのに、企業形態に対する認識は軽視されてきた。
 自由主義といいながら、実際には、社会主義的経済体制を敷いている国もあれば、社会主義といいながら資本主義的な体制に移行しつつある国もある。現実には、資本主義的な要素と社会主義的な要素が混在しているのが一般的であり、純粋な資本主義、純粋な社会主義という体制は極めて希有である。そして、その実態を決定付ける要因が経済主体の在り方、即ち、企業形態である。
 企業形態の在り方とは、即ち、資本主義であれば、資本の在り方を規定する決定的な要因である。つまり、資本とは何かを意味する。
 我々は、帝国主義とか、資本主義と安易に使うが、帝国とか、資本の意味を明確に定義しているわけではない。資本という、資本主義の核心を為す部分の概念が明確でないが故に、資本主義の実体が曖昧なのである。
 また、社会主義も経済主体の在り方の違いによって現実には、経済単位、経済体制の構成が確定するのである。

 今日では、社会主義、資本主義というのは、政治体制の意味で主として使用されてきた。つまり、社会主義というのは、一党独裁体制的、中央集権的体制を意味し、資本主義とは、民主主義的体制を意味する場合が多い。実際には、民主主義体制においても社会主義的経済体制を敷くことも可能であるし、社会主義、共産主義国でも資本主義的経済体制を敷くことも可能である。また、それ以外の政治体制、例えば、イスラム教体制や独裁主義国において、社会主義的体制でも、資本主義的体制でもどちらでも敷くことが可能である。
 要は、経済主体の在り方の問題なのである。

 社会主義的政策というのは、経営主体の所有権、経営権の問題と所得の再分配の問題に大別できる。元来、社会主義体制か、資本主義体制かを分かつ基準の一つは、資本家を認めるか否かであるから、経営主体の所有権、経営権の問題こそ資本主義と社会主義とを分ける基準なのである。所得の再分配の問題は、基本的には、社会的格差の是正であり、社会的政策の一貫とみなすことができる。
 故に、経営主体の在り方が社会主義体制か、資本主義体制かを画定してきたといえるのである。

 株式会社の特徴は、出資者の有限責任にある。それまでは、出資者は。株式会社が成立する以前は、出資した事業に無限責任が課せられていた。

 資本の意味にとは、第一に、元手と言う意味。第二に、純資産。自己資本という意味。第三に、資本金という意味。第四に、株価時価総額。株主資本。第五に、総資産額から総負債額を引いた差額、即ち、純資産の部を指して言う場合がある。
 しかし、これは、会計学上の資本の意味であり、資本というのは、基本的に経営主体の所有権、経営権の総称を指している。つまり、株価というのは、企業の所有権、即ち、企業の価値の単位あたりの単価を指しているのである。
 つまり、資本主義においては、経営主体の所有権と経営権を分離し、その所有権を資本家が握る体制を言うのである。また故に、資本主義というのである。

 日本には、株式会社と言ってまったく違う形態の会社が二種類あるといって過言ではない。未上場、同族会社と上場会社である。同じ株式会社と言っても法制度や税制度、考え方も違うし、当然、目指すところも行動規範も違ってくる。しかし、世間一般では、外見だけ見たら株式会社であり、なかなか、見分けがつかない。また、株式会社といえども、欧米のおける株式会社と日本の株式会社では、生い立ちも違えば、地盤も違う。

 大体、日本では、株主総会と言っても、会議とは名ばかりで一種の通過儀礼的な集まり、だから、総会屋のような者が跋扈することになる。取締役会と言っても株式会社本来の意味での取締役会とは意味が違う。(「グローバルM&A戦争」小坂 恕著 ダイヤモンド社)

 企業には、公、即ち、パブリックと、私、即ち、プライベートの別がある。日本人は、企業というと、世界には、上場会社、株式会社しかないと思い込んでいる。そして、非上場会社は、前近代的な事業体であり、やがては淘汰される、又は、淘汰すべきものだと錯覚している。しかし、欧米においてもプライベートカンパニーは少なくない。(「日本の中小企業」鹿野嘉昭著 東洋経済新報社)

 事業体は、人的要素と、物的要素、貨幣的要素の集まりである。何に重きを置くかによって人的企業、物的企業、貨幣的企業の違いが生じる。例えて言えば、人を中心とした経営主体は、一種の共同体であり、事業が成り立たなくなっても、組織を温存しようとする。大家族制度から発展した経営主体などが該当する。それに対し、物を中心とした経営主体は、中心となる物的資産が機能を失えば解散する。つまり、事業や仕事を中心に考える。資金を中心に考える経営主体は、会計的論理に基づいて資金的資本を増殖させることを目的とする傾向がある。
 資本にも、人的資本、物的資本、貨幣的資本がある。資本主義という場合の資本、貨幣的資本、即ち、資金を指して言う場合がある。そして、人的、物的、貨幣的な要素の何に中心を置くかによって経営主体の有り様も変わってくる。
 現在の資本主義は、資金的資本を中核とした思想だといえる。この様な経済体制では、貨幣経済が、経済だと思われている。しかし、経済の本質は、貨幣だけで成立しているわけではない。貨幣は、経済の本質、目的を実現するための道具に過ぎないのである。株式会社も経済の目的を実現するための仕組みの一つである。つまり、経済の目的は、労働と分配にある。日々の生活に必要な物資や用役、また、自己実現のために必要な物を必要に応じて分配し、日々の生活を成り立たせるのが経済の目的である。その為の手段、同義として貨幣があり、仕組みの一つが企業なのである。道具や仕組みは、最適性が問題なのであり、それ自体を目的化するのは本末の転倒である。

 資本主義と一口に言っても、実体は、幾つかの企業形態の複合的体制である。それに応じて資本の形態も一様ではない。
 少なくとも、公共事業と民間事業では、資本の形態が違う。公共事業も国営化、公共機関かによって資本の在り方や組織が違ってくる。
 また、同じ民間企業でも上場企業と非上場企業とでは資本の在り方が違ってくる。更に、民間企業は、その法的形式によっても違ってくる。この様に、企業形態は、一様ではない。しかも、それぞれがその背景としている思想が違うから難しい問題を孕(はら)んでいるのである。つまり、企業は、その形態の根底に、まったく異質な原理があり。企業は、その原理の上に構築されているのである。
 この様に経営主体の形態の中に資本の原理に相反する体制が、現実の経済体制の中に混入していることを鑑みると、資本主義といっても純粋の資本主義国は、極めて希有な存在だと言える。実際には、混合経済と言っていい。

 又、資本主義における、資本主義の基本的企業形態は、株式会社であるが、実際には、株式会社以外の企業形態が多くあり、また、同じ株式会社でも上場会社、非上場会社では、まったく違う発想の上に築かれているという事である。
 それは、民主主義国と独裁主義国、君主国程違うのである。

 特に、同族会社・非同族会社の問題、上場、非上場会社の問題は、資本主義そのものの根幹に関わる問題である。又、今日、経営主体の単位は、単一企業から複合企業群へと移行しつつある。それにともなって、複合企業群が、上場、非上場企業を組み合わせることによって成立するケースが増えてきている。この様な場合、資本関係が極めて煩雑、複雑になり、所謂(いわゆる)従前の株式会社の概念では捉えきれなくなってきている。また、議決権を持たない株や優先株のような株の在り方にもいろいろな形式のものが生まれてきた。
 資本主義体制と言っても民主主義を基本とし、世襲的階級制度を否定して成り立っている場合、同族的企業に対しては、否定的な制度、政策をとる。つまり、資本主義、自由主義といっても世襲制的階級制度を容認するか、否定するかによってもあるべき体制、制度、法体系が違ってくる。

 現代の資本主義の基本的な思想は、同族会社の否定にある。資本主義は、同族会社に否定的である。
 しかし、日本の企業の多くが同族会社である。そして、非上場同族会社の行動規範と上場非同族会社の行動規範とは、まったく異質である場合が多い。早い話、非上場同族企業は、資金の流失をきらい節税や内部留保を重視した政策をとりたがるが、上場非同族会社は、株主利益を重視し、配当政策を重点を置く政策をとりたがるのである。この場合、一方は、収益の圧縮を他方は、収益の最大値を基本とすることになる。この様に、同じ資本主義体制下でもまったく異質の行動規範に基づく経営主体が存在することになる。

 この様に、現代の経済体制は、国営・国有企業、公営企業、上場企業、非上場企業、個人事業、協同組合といった企業形態による混合経済体制だと言える。そして、これらの経営主体の在り方によって経済の情勢が決まるのである。

 異質な要素が混在しているから市場は、機能するのであって、同質な要素だけに占められ純化されると市場は偏ってしまう。定常的状態に陥り活動が停止する。
 金融危機に際して、銀行の実質国営化も検討された。また、大手民間企業への資本の注入や融資も行われたりしている。何れにしても、純粋の社会主義国も自由主義国も現在は希にしか存在していない。

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企業の形態(株式会社)