重要なのは、実質的な経済価値である。つまり、生活していく上で最低限必要とする物の価値である。この実質的経済価値を構成する費用がしめる割合が鍵を握っているのである。
 実質的な経済価値とは、必需的費用、予備的費用、余剰費用がある。
 例えば、衣食住といった第一に、生活必需品にかかる費用と生活の基盤に対する投資にかかる費用(教育費や地代、家賃、金利等)、第二に、予備的費用(預金や保険等)、第三に、生活を彩る余裕費用・余剰費用・贅沢費用の割合である。
 また、固定的な費用と変動的費用の割合。変動費も為替や景気に左右される費用とスポット的、一時的費用(病気や災害)とがある。
 実質的な価値の中で、為替の変動の影響を受けない部分と為替による変動要因、即ち、為替相場を変数としている部分の構成割合である。それは、輸入製品、輸入原材料であり、その対極の輸出製品と輸出原材料である。
 為替の影響を受ける部分が大きければ大きいほど景気は、為替の変動に敏感に反応することとなる。
 この指標として重要な役割を果たすのは所得であり、その裏側にある人件費である。この点に、労働分配率の重要性がある。

 労働分配率というのは、付加価値にしめる人件費の率を指して言う。付加価値というのは、経営主体自体が生みだした価値を言う。賃金、利子、地代、利潤の合計を純付加価値と言い。これに、減価償却費を加えたものを粗付加価値という。粗付加価値を国家単位で計測したものを国民総生産という。(マイペディア)

 経済の重要な機能の一つに、分配がある。ある意味で、分配こそ経済の本質だとも言える。企業所得の分配は、利潤と経費と人件費である。中でも、人件費は、三分の二以上を占める。その意味で、国民経済の中でも労働分配率は最重要な指標の一つである。

労働とは、経営主体から経営活動による成果の分け前を得る資格、権利を獲得するための義務である。同時に、経営主体は、経営活動に貢献する労働をした者に対して分け前を分配する義務が生じる。この様な労働によって生活の糧を得る以上、労働は、労働者にとっての権利なのである。

 個人所得は、家計に直結している。家計は、消費の原資であり、個人の消費構造を現す。
 問題は、所得単位と消費単位である。家計は、消費単位と所得単位からなる。家計単位と所得単位、消費単位は必ずしも一致していない。
 家計を成立させている取得は一つとは限らない。一つの核家族を単位とする場合でも所得が一つとは限らない。
 また、消費も一つとは限定できない。財布が一つだと決め付けることはできないのである。
 しかし、所得に課税するためには、先ず、家計単位を特定する必要がある。その為には、家計単位を定義する必要がある。この家計単位の定義は、法によって為される要件定義である。現在の家計は、婚姻関係と親子関係から成り立つ。婚姻関係は、法的関係を基礎としている。つまり、経済的に見た結婚というのは、法的関係といえる。

 労働分配率と言っても一概には規定できない。消費構造と所得構造を見なければ妥当性はわからない。なぜならば、所得は、消費によって規定されるからである。消費とは、生活状況、生活環境、生活水準、ライフスタイルによる。故に、根本は、消費を決めるのは、生活信条と社会体制である。故に、労働分配率は、生活信条や社会体制によって検証されなければならない。分配は思想である。所得や収入は労働の結果といえてもそれをどう分配するかは、思想に依るのである。そして、その中核となる部分に、社会思想がある。

 個人の経済的自由は、私的所有権によって保障されている。私的所有権の根源は、所得にある。故に、私的所有権の制限や規定は、国家体制の根本的問題である。又、分配は思想である。所有構造と消費構造の在り方は、思想的問題なのである。

 家計実体の整合性は、消費構造と所得構造から成り立っている。消費構造と所得構造は必ずしも連動していない。家計は、消費構造と所得構造が釣り合っている時は、問題がない。しかし、消費構造と所得構造の釣り合いが崩れると家計は均衡を失い最悪の場合破綻する。消費構造と所得構造の歪みは、経済の実相や景気に現れる。消費構造や所得構造の歪みの原因は、家計単位だけにあるのではなく。経営主体単位、行政単位、国家単位、地域単位にもある。勤めている会社の経営が破綻しても、地域経済が破綻しても、国家経済が破綻しても、家計の所得構造と消費構造の間に歪みが生じる。故に、消費と所得は、それぞれの局面において均衡を保つように、個々の当事者によって経済運営はされなければならない。
 消費構造と所得構造とを仲介しているのが賃金・給与構造である。そして、賃金・給与構造を裏付けているのが、人事評価制度である。要は何を評価するのかで、そこに、労働観や生活観、世界観、社会観が実体的に反映される。年功序列的な人事評価が、一般的なのか。また、同一労働同一賃金的な人事評価を基礎とするのか。成果主義的、人事考課によるのか。又、職能資格制度的な基準に基づくのかによってその社会の実体的思想が形成される。

 また、家計単位で見ると、複数の所得単位が存在し、その複数の所得単位毎に定収入なのか、臨時収入なのかの性格分けをする場合もある。故に、単一の所得・給与体系では、一概に判断できないが、しかし、給与所得者が大勢を占める社会においては、給与所得構造が社会の実相を反映していると考えても良い。

 給与構造は、第一に、生活費。第二に、社会への還元(税等)。第三に、過去の清算(負債)。第四に、未来への投資。第五に、いざという時に対する蓄え。第六に、娯楽、遊興費などからなる。
 そして、給与所得には、第一に、固定的な経費か、流動的な経費かの流動性の問題。第二に、家計単位で共有すべき経費か、個別の経費かの問題。第三に、公的な費用なのか、私的な費用なのか、即ち、公私の問題がある。第四に、絶対額問題なのか、比率が問題なのかがある。第五に可処分所得か、非可処分所得かである。第六に、自由を重んじるか、平等を重んじるかの問題がある。

 所得を考える上で重要な要素は、収入の多寡よりも、収入が長期的に安定しているか否かである。一時的な多額の収入があっいたとしてもそれが継続した収入でなければ、でなければ、生活を安定させるための生活設計が立てられない。俗に言うあぶく銭になる。また、将来の収入を担保して、借金をすることができない。借金ができないという事は、実質的な安定的な定収入がある者に対して、定収が望めない者は、運用資金が少ないという事を意味する。これが、給与所得者や定職を持つ者と自営業や定職を持たない者との決定的な差となる。また、給与所得者の拡大の主因でもある。逆に、給与所得者は、所得の追跡が容易であるとも言えるのである。それが税制上の不公平も生み出している。この給与所得者の増大は、ローンや割賦販売と言った繰延会計をふくらまし、潜在的経済規模の拡大に寄与した。この事によって経済規模は飛躍的に拡大したのである。

 第一の生活費とは、主として衣食住に関わるものである。それに、今日では、交通、通信費を加えたものと言っていいだろう。これらは固定的経費である。ただ、固定的な費用と言っても生活水準や考え方によって相違がでる。個人のライフスタイルや思想が反映される部分である。その為に、固定的費用と言ってもある程度は、流動性が確保できる部分である。絶対額か重要となる部分である。
 第二、社会への還元部分というのは、主として税金や社会保険費を指す。つまり、国家や地方自治体の思想が基礎となる部分である。この部分の負担が大きくなるという事は、それだけ公的費用の割合が増大することを意味する。つまり比率が重要な意味を持つ部分であり、非可処分所得となる部分である。更に、固定的費用である。しかも外因的な費用である。
 第三の過去の清算というのは、家のローンのような借金の返済の部分を指して言う。この部分は固定的な費用であり、可処分所得に決定的な影響を与える。近年、ローンのような借金の技術の進化により、累積的な債務が膨れあがっている。その為に、可処分所得が圧迫され、個人倒産の増加の要因となっている。家計を考える上では、絶対額も比率も重大な意味を持っている。また、資産部分を形成する原資であるため、所得水準、資産水準が反映される部分でもあり、社会的格差の元となる部分でもある。
 第四の未来への投資は、教育的費用である。戦後の日本においては、この教育的費用の伸びが顕著であり、馬鹿にならない出費となっている。しかもこの部分は、本来は流動的費用であるのに、固定的な性格が強くなってきている。
 第五のいざという時の為の蓄えは、基本的に預貯金を指す。預貯金は、個人にとっては、蓄えであるが、経済的に見ると間接的投資である。故に、金融資産の原資となる部分であり、社会的には、一定の確保が要求される。基本的には、流動的費用である。
 第六に、娯楽、遊興費である。純粋に流動的費用といえる。しかし、教育的な要素も多分に含み、必ずしも、刹那的な浪費としてでなく、未来への投資とも言えないこともない。また、経済的には、景気を支える要素もあり、ただ単なる無駄遣いとも言えない。むしろ、今日では積極的な要素を見出す傾向が高い。又、自己実現の費用とも言える。ただ、格差が現れる部分でもある。

 この賃金構造は、所得構造と消費構造に反映される。
 所得構造は、定収入と臨時収入がある。又、収支には、現金収入と借入金がある。現金収入にも、所得と借金がある。
 消費構造には、可処分所得と非可処分所得がある。また、消費は、貯蓄と経費からなる。経費には、固定的費用と流動的費用がある。固定的費用は、地代、家賃、支払利息などがある。又、必要不可欠な費用とゆとりのある費用がある。支払利息のような固定的費用によって可処分所得が圧迫され、必要不可欠な経費が支払えなくなると蓄えがなくなった時点で家計は、破綻する。
 故に、定収入と固定的費用、非可処分所得との結びつき、比率が家計を見る上で重要な要素である。更に、給与所得では、支出の項目になる公的な費用が、所得全体で見れば、給付金や補助金という形で収入となる部分もある。この様な公的な収支をどう捕捉するのかも重要な要素である。

 この様な所得の構造は、生活水準や社会思想に影響するし、又、される。長幼の序のような基準が有効に機能している社会においては、年功的賃金体系も有効であり、また、成長経済下では、多少の人件費の格差や上昇は、経済成長によって調整、吸収できる。しかし、低成長時代になると賃金水準は、格差として固定的になる。又、年功的賃金では、競争力を維持できなくなり、実力主義型賃金に移行する。この様に経済の実相は、社会思想をも変化させ、個人の価値観をも支配する実力を持つ。

 消費構造と所得構造をそれを仲介する給与構造は、自由と平等の問題を実体的に現している。極端な話、好きな物を好きなだけ食べることが善いとするのが、自由思想であれば、同じ物を同じだけ食べるのが善いというのが平等主義である。
 この事は、公を重視するか、私を重視するかの問題であり、公を重視すれば社会主義的になり、私を重視すれば自由主義的になる。好きな物を好きなだけ食べろと言っても食べられる物には限りがあるし、無駄も多くなる。逆に、食べたい的に食べたい物が食べられないのも辛い。公のみを重視すれば全体主義的となり、私のみを重んじれば無政府主義的になる。この様にしてみると、自由と平等は、どちらが正しいと言うよりも均衡の問題である。

 我々は、社会体制や、経済体制を考える時、この消費構造と所得構造の均衡をどう考えるかが鍵となる。又、どの部分を共有し、又、公的な資金でまかない、どの部分を私的な資金で負担するのかの線引きが国民国家における国家思想となるのである。故に、国民国家においては、議会において予算や制度を議論することが、その国の国家理念、国家思想を議論する事と同義になるのである。

 労働分配率の推移は、ただ、単純に経済的な意味だけでなく。社会的風潮、価値観の変化、生活水準の変動、ライフスタイルの変化、民度の推移などいろんな要素を含んでいるのである。


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労働分配と推移