近代国家財政は、国民国家の成立によって確立された。国民国家が成立する以前は、国家財政も、国王の家政、官房に過ぎなかった。なぜならば、国家という概念そのものが確立されていなかったのである。また、民主主義と国家財政とは不可分な関係にある。特に議会の成立が国家財政、特に、予算の確立の前提となっている。また、近代貨幣制度も国民国家の成立と無関係ではない。それに、株式会社や会計制度も国民国家の成立と歩を合わせるようにして成長、発展してきた。つまり、近代経済の原点は、市民革命にあると言っていいのである。

 つまり、民主主義と経済の近代化は、偶然の一致ではないのである。お互いがお互いを補い合う形で、成立したのである。

 近代財政には、常に、負の部分が隠されている。その負の部分が経済を発展させ。今日の金融の仕組みを築き上げてきたと言える。
 軍資金としての国債が返せなくなったところから、実は、近代は始まったとも言える。君主が国民に借金をしたところから民主主義も資本主義も始まった。
 つまり、現代経済というのは、虚数のみたいな負の部分を取り込むことによって成立したとも言える。

 むろん、借金というものは、返済することを前提とする。しかし、返せなくなったらどうするか。民間の借金ならば返済できなくなったら、倒産である。しかし、国を潰すわけには行かない。
 公債を返せなくなった時、どうするのかというと、一つは、返さなくていいいものに置き換えるという手段をとると言うことです。第二に、貨幣価値を下げる。第三に、借金そのものの価値を下げるか、なくす。第四に、体制を根本から変えてしまう。
 第一の返さなくていい物に置き換えると言った場合、返さなくていい物とは何かだが、それは、第一は、紙幣である。第二は、資本である。つまり、株である。第三に、税である。第四に資産である。
 実は、この四つは、資本主義経済の黎明期に行われた事なのである。そして、バブル現象を引き起こしている。故に、これらの政策を実行する際には、充分に注意する必要がある。

 公債は、ただ返済すればいいと言うのではなく、返せなくなったらどうするのかと言うところから別の展開が始まる。公債の歴史は、公債が返せなくなったらどうするのかという点から始まっている。しかもそれが、議会を生み、戦争や革命を引き起こしている。

 つまり、公債というのは、返さなければならないと思い込んでいると行き詰まる。返せないならば、返せないことを前提として、手段を考えるしかないんです。
 ただ、返さなければいいと言っているのではない。返せないんだからと開き直るのではなくて、返せなくなった原因もしっかりと把握しておく必要がある。その上で、公債とは何かを考えることが解決に繋がるのである。

 借金を構成する要素は、第一に、元本。つまり、借金そのものの本体である。第二に、金利。これは、時間経過から生じる価値。第三に時間。第四に貸し手。第五に借り手。そして、第六に担保である。借金を解決する手段はこの五つの要素の中に隠されているのである。

 財政を考える場合は、貨幣の機能に注目すべきなのである。近代貨幣制度は、国民国家の成立と不可分な関係にある。また、国債とも密接な関係がある。その点を前提として国家財政は考えなければならない。

 家産国家と国民国家の財政は根本が違う。それは貨幣に対する概念が違うからである。家産国家における貨幣は、実物貨幣であり、国家が発行する貨幣であるのに対し、国民国家における貨幣は、国家が価値を保障するが、信用を想像するのは、金融機関である。国家の役割は、通貨の流通と管理である。この様な違いが財政赤字においても顕著である。家産国家の財政破綻は、支払手段の問題だが、国民国家の財政破綻は、通貨の管理の問題である。

 近代通貨制度は、中央銀行を中軸とした金融制度の確立と歩調を合わせて成立した。通貨の発行権と保障の分離が重要な要素である。通貨の発行権が独立することによって信用の創造と信認が分離したのである。これは、経済における国家の機能を規定し、財政の根本的構造を決定付けているのである。

 この事を前提としなければ、財政破綻の意味は正しく理解されない。つまり、財政破綻の何が悪くて、財政が破綻するとどの様な不都合が生じるかを明らかにしなければ、財政破綻の真の意味も解決策も見出されないのである。

 財政赤字が悪いのではなくて、財政の規律が失われるのが悪いのである。ただ、そうなると財政が硬直化すれば、既に、財政の規律は失われる。ならば、財政の規律を失わせるほどの赤字は悪いが、財政の赤字に囚われて財政の柔軟性を損なわせるのも悪い事なのである。それを判断する基準は、財政の機能である。

 その前に、財政が悪化した原因を明らかにする必要がある。財政が悪化する原因の一つに、財政当局が収支を度外視してきた事にある。政治が経済を一段低く見る傾向がある。典型は、軍事である。軍人の弊として、金銭の問題を疎んじる癖がある。しかし、クラウゼビッツの慧眼による様に、戦略は算術なのである。政治家や軍人が経済感覚を養うことが重要なのである。

 また、財政の問題は、国の借金、つまり、国債と不可分の関係にある。国債とは何か。その意味と役割を理解しないと、財政の健全化は計れない。

 資金の調達力は、軍事にも影響を与え、勝敗の帰趨を左右したこともある。そして、資金の調達手段の決定的な要素の一つが国債だったのである。

 国債の歴史は、議会の誕生とともに始まったと言われる。(「国債の歴史」富田俊基著 東洋経済新報社)それは、議会によって保障されることによって国債の地位が固まったからである。
 国民国家が成立する以前は、君主国、経済的観点からすると家産国家であった。家産国家とは、何か。家産国家とは、君主を中心とした階級制度を基盤とした国家である。国家財政と言っても君主の私的な会計にすぎない。
 国債も、家産国家では、国王の借金である。王家の私的な借金であるために、たびたび、条件の変更や繰延、踏み倒しなどが恣意的に行われた。
 国王は、資金が必要になると王領地や徴税権を売却したり、担保にして借金をした。しかし、国王は、その借金を税にすり替えたり、また、王の交替時に引き継がないで借金を反故したりした。その点、国民国家は、議会によって国債を特定の税目による収入によって担保した。また、議会によ予算統制によって国債の信用度は増した。この事が、国債の歴史は、議会によって始まったと言わしめるのである。(「国債の歴史」富田俊基著 東洋経済新報社)

 国債は、その成立当初から税を担保してきたのである。日本人は、税を担保するというのがあまりピンとこないが、徴税権は、担保価値を認められていたのである。

 国債の信用度は、戦争の勝敗の趨勢まで左右したのである。その好例は、ナポレオン戦争であり、ナポレオンは、軍事的な勝利を収めても、経済的な勝利は得られなかったのである。(「国債の歴史」富田俊基著 東洋経済新報社)

 国債の中央銀行引き受けの問題も財政の規律の問題である。財政の規律の問題は、財政の機能、働きに依拠した問題である。つまり、財政の機能、働きを明らかにし、何等かの基準を設定することが重要なのである。

 医療というのは、平常な行為ではない。薬というのは、食料とは違う。多くが有害、ないし、毒なのである。薬には、副作用が付き物であることを念頭に置く必要がある。それを承知して用いれば薬は絶大な効果を発揮するものなのであり、普段日常に摂取している食料と同じ感覚で用いることがおかしいのである。使い方を誤れば薬は毒になる。だからといって薬害を怖れ、投薬治療を禁じてしまったら、治るものも治らなくなる。手術は、身体にメスを入れるのであるから、もっと非日常的行為である。劇薬を用いたり、中毒性のある鎮痛剤のようなものを用いる時は、良くその働きと副作用を確認して使用しなければならない。成長段階にある子供と、成熟期にある大人、衰退期にある老人とではで、投与する薬も種類も変える必要がある。むろん、普段日常摂取する食料も充分に計算し、食生活を管理することが健康維持には欠かせない。

 財政も同様である。馬鹿の一つ覚えに、何でもかんでも、同じ薬や治療法を繰り返すのでは病気は良くならない。発熱のように同じ症状でもまったく違った治療を施す必要がある場合もある。先ずその原因をいろいろな検査をして確かめてから施す必要があるのである。投与するにしても、量や時間を厳しく管理しなければ、効果を発揮するどころか、有害ですらある。劇薬を用いる時は、尚更である。指針もなく、慢性化し、あげくに中毒や依存症にしてしまったら、それは、それを施したものの責任である。
 国債や公共投資は、使い方次第で、毒にも、薬にもなるのである。

 財政が赤字になるには、それなりの原因がある。財政赤字は、結果である。財政赤字の原因を明らかにしない限り、財政の健全化は計れない。では、財政が赤字になる原因は何かである。
 第一に、経済の規模・スケールと歳入、歳出(国家事業)の不均衡が上げられる。分不相応な生活をすれば、家計が破綻するのは、当然の結果である。
 税収、即ち、歳入の分母は、経済の規模である。この経済の規模と、税収が均衡しなければ、必然的に赤字が発生する。そして、経済の規模は、通貨の量と公共投資の影響を受ける。ただ、節約すれば、財政は均衡するというわけではない。歳入と歳出、そして経済規模をいかに均衡させるかが、重要なのである。
 第二に、費用の下方硬直性である。この下方硬直性の原因は、歳出の基準が絶対的基準に依っているという事である。公務員の仕事や所得は、基本的に景気に左右されない。歳入が減ったから、公務員の給料が下げられた、人員の削減が行われたという話は、余程のことがないかぎり聞かない。いよいよ、財政が立ちいかないとなった時、はじめて、公務員の処遇が問題となる。だから、不景気になると公務員のなり手が増える。また、公務員の給料は、放置すると民間企業の社員の給料を上回ってしまう。しかも、官公労は、強い。隠れ手当のようなものまである。退職金も青天井で支給される。これでは、経費は、下方硬直となるのは当然である。
 第三に、組織の自律性の喪失である。これは、官僚機構の自己増殖に対する抑止力の欠如を意味する。組織、官僚機構というのは、放置すれば、自己増殖を始める。管理というのは、組織の保全のために必要とされるものである。管理のための具体的作業を定型化したものが事務である。その為に、組織が拡大するのに比例して事務の量は、増大する。つまり、管理が管理を呼び、事務が事務を生み出す結果を招くのである。結果、官僚機構は、無限に増殖する。これを抑制するためには、実体的な相対的基準が必要となる。それが、収益であり、会計である。ところが、官僚機構には、相対的基準が存在しない。つまり、比較すべき対象がないのである。収益を計り基準が存在しないのだから、赤字を抑制しようがない。手段がないのである。
 官僚機構は、自己増殖を抑止する仕組み、機構、メカニズムがないのである。管理が肥大すれば、フィードバック機構が効かなくなり、必然的に組織の自律性は弱まり、最後には、喪失する。そして、財政の赤字を抑止しようがなく、財政の健全を維持しようがないのである。
 第四に、国際収支の不均衡である。国際収支は、為替相場の影響下にある。為替の変動は、国家経済に重大な影響を与える。また、内外の価格差や金利差は、国内物価に重大な影響を与え、政策の独立性や自律性を絶えず脅かせている。また、国際によって、財政を海外の資金に依存している場合は、尚更である。資金収支の動向は、財政にも直接、間接的な影響を与えている。
 第五に、国家事業の量と質の問題である。
 不況対策としての公共投資は、量的側面だけが重視され、質的な側面が軽視されている。しかし、経済的な効果を問題とするならば、量より質が重要である。ケインズ的に金を埋めるような政策をとる事、それは、究極的には、株式相場の格言に戦争は買いとあるように、戦争が有効な手段となる。しかし、現実の国際社会の中では、戦争に巻き込まれなかった国が、経済的に繁栄しているのである。つまりは、戦争に巻き込まれないで、戦争で儲けている国が繁栄しているのである。
 これは、象徴的なことである。つまり、国家に対する明確な構想、ビジョンを持ち、それに基づいて長期的な観点で国家を建設した国が最終的には、繁栄するのである。目先の利益をおって強引なこと、早い話、戦争を繰り返す国は疲弊するのである。
 公共事業には、麻薬的な作用がある。公共事業に依存した業種の社会的機能が社会の仕組み、また、経済機構に組み込まれてしまうと、公共事業が減らされると社会の機構や経済が麻痺してしまう。それを避けるために、ますます、公共事業に依存しなければならない国家体質が出来上がる。この様な、公共事業は、公共事業に依存した、つまり、自律できない業種のために存在する為、公共事業のための公共事業となり、公共事業本来の目的が失われてしまう。つまり、本来、国家、社会のためにあるべき公共事業が、国家、社会の利益を吸い取り、自然環境や社会環境を悪化させる原因となる。しかも、財政赤字の根本的原因となる。その典型が軍事費である。本来、国防のための費用が、国家の安全を脅かすものに変質してしまうのである。
 この様な公共投資、公共事業は、国家、社会にとって癌細胞のようなものである。
 第六に、単年度均衡予算主義である。財政というのは、単年度で均衡するものではない。経済は生き物である。絶対的な基準によって動いているものではなく、相対的な尺度で変動しているのである。それを単年度で必ず均衡しなければならない。予算は、使い切らなければならないという考えに取り付かれてしまえば、一時的に残高があったとしても、収支が足らなくなったら是正することが難しい。
 単年度均衡主義者は、経営というものをどこか馬鹿にしているのである。つまり、利益を上げると言うのは、経営上何等かの過失があったと見なしているのである。つまり、正しい経営というのは、常に、過不足のないことだと思い込んでいるのである。だから、利益を上げたり、内部留保を溜めることは、単年度均衡主義にとっては罪悪なのである。公営企業の多くが、このドグマに陥っている。その結果が、公営企業の破綻なのである。ならば民営化すればいいのか。それは誤魔化しに過ぎない。民営企業にできることが、なぜ、公営企業ではできないのか。それを明らかにしないで、民営化したところでうまくいくはずがない。予算を必ず単年度で均衡しなければならない。それは、最も危険な思想の一つである。なぜならば、公共事業、社会資本は、単年度で達成できるものではないからである。国家百年の計というように、長い蓄積の上に社会資本は形成されるものなのである。つまり、財政は、長中期的に均衡する。その為に、財政の規律を保つのは、国家ビジョンでなければならないのである。
 第七に、金融政策と金利の動向の影響を受ける。
 財政赤字もインフレもデフレも貨幣的問題であり、実物的問題ではない。
 貨幣とは、市場で貨幣に表示された額と同量の財と交換する権利を表象した物、又は、情報である。重要なのは、貨幣は、権利を表記した物、ないし、情報だと言う事である。

 資本主義体制下では、往々にして、バブルという現象が起こり、そのバブル現象が、財政破綻の遠因になる。そして、財政破綻の解消として戦争が引き起こされることにもなる。バブルと、それが引き起こす、急激な経済の収縮と不況、それらが、戦争の要因となるのである。また、バブルを引き起こす要因の一つが資本市場である。その資本市場を司るのが会計制度である。会計制度は、全ての経済取引を貨幣価値に換算する機構である。つまり、バブルの背景にあるのは、貨幣の働きである。

 過剰流動性が高まった時、つまり、金余り現象が高じた上、資金の行き場所がなくなるとバブルが引き起こされる確率が高くなる。むろん、金余り現象だけでバブルが引き起こされるわけではない。バブルは、他の要因が複雑に絡み合って引き起こされる現象である。ただ、余剰資金が市場に出回らないかぎり、バブルは起こりようがないのだから、過剰流動性は、一つの要因であることは確かである。

 株式会社制度、資本主義的機関が成立し、会計制度が発展する契機は、運河や鉄道という、巨額の資金を必要とする事業が勃興した時である。市場に巨額の資金がプール、流通し、蓄えられ、また、溜められる事によって巨額の資金のストックとフローが生じる。その均衡が崩れたとき、過剰流動性が起こる。市場経済や貨幣経済が急速に拡大する時、バブルは発生しやすい環境が整うのである。バブルや恐慌を発生させるのは、経済の歪みであり、それは、実物経済ではなく、貨幣の作用に依るのである。むろん、それ以前に、需給の不均衡が前提となるが、貨幣は、それを増幅する作用があるのである。このバブルや恐慌による、景気の変動は、財政に悪影響を与える。それは、財政が基本的に国家経済に依存しているからである。

 財政赤字の要因を一つ一つあげたが、実際の財政赤字は、これらの要素が複合的に、また、構造的に影響して引き起こされる。
 経済は、一定ではない。ある周期で収縮と拡大を繰り返している。経済が、収縮期には入っているのに、単年度予算主義をとり、尚かつ、費用が下方硬直的であるとしたら、財政が赤字になるのは必然的なことである。

 所得とは、財の分配を受け取る権利なのである。財の総量は決まっているのである。所得というのは、限られたパイの配分の問題である。

 財政問題もこの分配の問題から考えられるべき問題である。つまり、財政は、公正な分配を促すための再分配の手段の一つである。だからこそ、財政部門と非財政部門との経済的連続性が重視されるのである。その為には、財政規模は、絶対額ではなく、相対的な基準に基づかなければ確定しない。故に、水準と比率が重要な鍵を握ってくるのである。公務員給与の額は、それ単独で確定するのではなく、民間企業の給与水準との整合性がなければ確定できないのである。さもなければ、公正な分配という経済目的を逸脱してしまう。しかし、だからと言って無原則に民間企業の賃金ベースを参考にするわけにはいかない。故に、民間と同じルール即ち会計原則に則る必要があるのである。

 財政赤字は、なぜ問題なのか。それは、財政が機能不全に陥るからである。
 財政の機能、働きとは何か。その前、財政は、国家の機能に依存していることを前提ととしている事を確認する必要がある。つまり、財政の働きを知るためには、国家の働きを明らかにする必要がある。
 国家の働きとは、一つは、公共サービスである。第二に、社会資本の整備と、保全である。第三に、富の再分配であり、第四に、景気の安定である。国家の目的は、国民の生命と財産を守る事と、国民の福利を実現する事である。
 公共サービスとは、何か。それは、第一に、教育である。第二に、治安維持である。第三に、国防である。第四に、防災である。第五に、環境の保全と衛生管理である。第六に、戸籍と登記の管理である。
 この様な国家の働きを制御しているのが、国家の機構であり、国民国家の機構の骨格は、司法、立法、行政である。
 また、国家の機構を統一統制しているのは、力、即ち権力であり、権力の本質は、武力、暴力である。その武力が外部に向けられたのが、軍事力であり、内部に向けられたのが警察力である。
 財政が破綻するとこれらの機能が不全となる。これらの機能が、不全となると、国家機構を維持することが困難になり、外敵や内敵から、国家、国民を護ることができなくなる。その為に、外部勢力による侵略や治安の維持ができなくなるのである。その結果、国家の独立と統一統制が保てなくなる。そして、主権が侵され、内部は分裂する。

 なぜ、税金が必要なのかを考えてみると、第一に、貨幣を流通させるという事。第二に、貨幣を循環させるという事。第三の、貨幣の流量を制御すると言う事。第四に、所得の再分配をするという事である。つまり、財政は、この税の目的から考察することができる。
貨幣の発行権を握っている国家は、必要な量だけの貨幣を発行するば良いのである。何も税金を徴収する必要はない。なぜ、それなのに、税金を徴収するのか、それは、ただ通貨を供給するだけで、何等かの形で回収しなければ、通貨は、一方的に市場に蓄積されるだけになるからである。必然的に通貨の信認は失われ、貨幣の価値は、低下する。最悪、失われてしまう。それ故に、税という形で通貨を回収し、市場の流通する通貨の量を調整する必要がある。
 しかも、通貨を発行し、流通する機関と回収する機関が同一だと通貨の量が制御できなくなる。それ故に、中央銀行が必要になるのである。

 財政赤字を問題とする時、財政の均衡が言われる。しかし、均衡という点からすると財政は、既に破綻していると言える。中央銀行の国債の引き受けを許せば、収支の帳尻を合わせることはできる。しかし、収支の均衡は損なわれる。なぜ、収支が重要なのかと言えば、収支の均衡が失われれば、財政の規律が失われるからである。規律が失われることで何が悪いかと言えば、モラルハザードが生じることである。その好例が年金であり、サブプライム問題である。
 地方自治体の組合幹部が、公益事業は赤字でもかまわないと発言したが、既に、モラルの崩壊が見られる。それは、財政の破綻を前提としているからである。しかも、自分達の役割や責任についての自覚が最初からないことを意味する。公益事業を民営化すべきだという発想も、そこから生じるのであろうが、それでは、国家や公共機関の否定に繋がりかねない。重要なのは、財政の働きを見極め、それに見合った体制を敷くことなのである。

 国家の働きを支えているのが財政である。財政の中で固定的な費用は、公共サービス、行政サービスである。公共投資や公共事業は、本来、変動費であるべきなのである。その変動費であるべき、公共投資や公共事業が利権化することによって財政は硬直化するのである。

 政治とは、ある意味で消費である。財政は、使うこと、消費することで成立している。政治都市というのは、消費地であり、消費地である故に成り立っている。それが、証拠である。
 増やすことよりも削減することの方が難しい。だからこそ、指標が必要なのである。その指標こそが収益である。
 財政再建と地域コミュニティーの再構築は不可分の関係にある。公共サービスは基本的に地域コミニティが担うべきものであり、単純に、税収だけに頼るべきではない。公共機関が公共サービスを財政難から担えなくなったのならば、それに代わってボランティアの活用も考えるべきなのである。

 結局、財政赤字は、政治家、官僚、公共事業に携わる人間、もっと有り体に言えば、政治家を選ぶ選挙民、即ち、国民のモラルの問題に行き着くのであろう。先ず何にしても、我々がどの様な国を望み、理想とし、どの様な国家を建設しようとしているのかの構想がなければ、財政赤字の是非を論じてもしようがないのである。

 財政赤字と言うけれど、根本は、国民の安全と福利にあることを忘れてはならない。赤字が悪いという以前に、財政本来の機能は何かを明らかにし、その上で、その機能を有効に発揮する体制を築き上げることが肝心なのである。

 

財政の働き

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