国債が返せなくなったところから、実は、近代は始まったとも言える。君主が国民に借金をしたところから民主主義も資本主義も始まったと言う見方もできる。。

 つまり、現代経済というのは、虚数のみたいな負の部分を取り込むことによって成立したとも言える。

 公債を返せなくなった時、どうするのかというと、一つは、返さなくていいいものに置き換えるという手段をとると言うことです。第二に、貨幣価値を下げる。第三に、借金そのものの価値を下げるか、なくす。第四に、体制を根本から変えてしまう。
 第一の返さなくていい物に置き換えると言った場合、返さなくていい物とは何かだが、それは、第一は、紙幣である。第二は、資本である。つまり、株である。第三に、税である。第四に資産である。
 実は、この四つは、資本主義経済の黎明期に行われた事なのである。そして、バブル現象を引き起こしている。故に、これらの政策を実行する際には、充分に注意する必要がある。

 公債は、ただ返却すればいいと言うのではなく、返せなくなったらどうするのかと言うところから別の展開が始まる。公債の歴史は、公債が返せなくなったらどうするのかという点から始まっている。しかもそれが、議会を生み、戦争や革命を引き起こしている。

 つまり、公債というのは、返さなければならないと思い込んでいると行き詰まる。返せないならば、返せないことを前提として、手段を考えるしかないんです。
 ただ、返さなければいいと言っているのではない。返せないんだからと開き直るのではなくて、返せなくなった原因もしっかりと把握しておく必要がある。その上で、公債とは何かを考えることが解決に繋がるのである。

 借金を構成する要素は、第一に、元本。つまり、借金そのものの本体である。第二に、金利。これは、時間経過から生じる価値。第三に時間。第四に貸し手。第五に借り手。そして、第六に担保である。借金を解決する手段はこの五つの要素の中に隠されているのである。

 自由主義経済、資本主義経済の画期的なことは、貨幣価値に時間的価値を導入したことである。そして、貨幣価値、即ち、交換価値に時間価値を与えたのが金利である。そして、金利によって近代的金融制度は確立され、又、市場経済の基礎が形成されたのである。利息は、借金の在り方を明確にし、借金の技術の発展の糸口を作った。利息を取ることが公式に認められることによってはじめて金融制度は確立されたのである。しかし、なぜ、この様な時間的価値が近代以前に確立できなかったかと言えば、長いこと、金利を取ることは罪悪だと考えられてきたからである。

 地代、利息、配当は、不労所得の代表的なものであり、古来、悩ましい問題であった。多くの宗教は、金利を取ることを禁じ、高利貸しは、徴税人と並んで悪人の代表となってきた。
 しかし、金利は、即ち、借金の技術の発展が今日の経済の発展を導いた。借金こそ、資本主義経済の本質である。同時に、借金こそ、今日の代表的経済問題でもあるのである。

 金利は、現在の価値と将来の価値を交換することである。金利がなければ、貨幣価値に時間的な価値は附加されない。そうなると預金、貯金をする動機が生じない。

 金利とは、時間を買う事である。故に、金利は時間的価値を生み出し、誘導する。金利に対して否定的な見方がある。しかし、金利が確立されることによって貨幣価値に時間的な変化、価値が附加され、それが、資本主義経済、貨幣経済の基礎が固まったのである。

 金利には、第一に、単利、複利がある。第二に、長期、短期の別がある。又は、長期、中期、短期の別がある。第三に、固定金利と変動金利がある。第四に、貸出と借入、預金がある。第五に、自由金利と規制金利がある。又、第六に、実質金利、名目金利がある。

 基本的に金利は、元金、利率、期間、元利合計のよっで構成されている。それに返済方法が加わることによって金利は、一定の構造、方程式を形成する。つまり、元金、利率、返済期間、返済方法、元利合計の五つが金利の要素である。

 又、金利は、物価と為替市場、資本市場に影響を及ぼす。一般に、金利の上昇と物価の上昇、為替相場の下落は相関関係にあると見られている。逆に、金利の下降と物価の下落、為替相場の上昇も相関関係にあると考えられている。この考え方は、購買力平価という考え方に繋がる。(「金利計算のマニュアル」角川総一著 近代セールス社)

 実質金利は、インフレ率と名目金利の関数である。つまり、実質的な金利は、物価上昇率と合わせてみないとわからないのである。これは特に為替取引をする時に重要な要素である。名目的な金利だけを比較しただけでは、実質的な金利差は理解できない。これは、金利が時間的、空間的産物であることを意味する。それゆえに、いろいろな局面で格差が生じ、その格差を是正する形で、裁定取引が、金融市場においては成立する。

 貨幣の時間的価値を考える場合、気を付けなければならないのは、基本的に貨幣の時間的価値は、複利であると言う点である。実際の社会は、複利的世界である。単利の世界以上に、金利の時間的な変化が増幅される社会である。jまた、直線的世界ではなく、乗数的、あるいは対数的世界であることを意味している。
 単利的世界は、足し算の世界と言っていい。それに対して、複利的世界は、かけ算の世界である。つまり、現実の世界、経済は、かけ算的な世界なのである。(日経新聞 2007年12月11日付)

 金利はいかに決まるか。我が国では、従前は、公定歩合が金利を誘導していた。つまり、規制金利であったが、1980年以降、金利の自由化が促進された。現在では、金利は、金融市場や債券市場で、市場の原理で決まる。自由金利である。その結果、公定歩合の決定力は薄れた。決定力が薄れたとはいえ、公定歩合は、指標金利であることには変わりない。

 金利は金融機関によって生み出される。金融機関は、融資という機能と為替という機能がある。そのいずれもが金利に関係している。ある意味で、金利が確立されることによって金融機関は成立したとも言える。
 金融機関というのは、黒字主体と赤字主体を仲介し、融資を通じて黒字主体から赤字主体へ投資を促す機関である。

 金利の決定要因としては、国債、公定歩合、インターバンクなどが重要な要素である。金利においては短期金利が、一つの指標となる。短期金利を決定するのは、インターバンクとオープン市場である。特に、インターバンクが重要である。金利が自由化された現在は、国債の金利が、短期金利に決定的な影響力を持っている。

 短期金利と長期金利とは、基本的に長期金利の方が高い。金利は期間が長くなればなるほど高くなる傾向がある。それが「イールドカーブ」である。(「お金は銀行に預けるな」勝間和代著 光文社新書)ただし、短期金利と長期金利の関係は、確定的な関係ではなく。急激な金融引き締め期には、短期金利と長期金利が逆転することが例外的にある。(「金利計算マニュアル」角川総一著 近代セールス社)

 貨幣経済が確立される以前は、経済単位は、必ずしも、貨幣単位に統一されていたわけではない。実物的単位の方がむしろ一般的だったと考えるべきである。例えば、江戸時代までの日本では、大名の領地は、禄高で計算されていたし、家臣達への報酬も石高で現されていた。また、納税も米や産物による物納であり、単位も実物的単位であった。貨幣で支給される報酬もあったにはあったが、それは、一部に過ぎない。総体としては、貨幣単位ではなく、実物的単位だった。
 実物的単位だと時間的変化は意味を持たない。と言うよりも換算できない。つまり、米と言う現物で支給されても米の持つ実物的価値しかないからである。米の価値は、値上がりしたり、値下がりすることはあっても、米の持つ価値しかない。また、多少保存できるとしても実物的価値は、時間と伴に陳腐化、即ち、減価してしまう。
 貨幣も当初は、金、銀、銅と言った貨幣の素材となる物の実物的な価値しか持たなかった。しかし、貨幣は、実物的な価値以外に象徴的な価値を附加されるようになる。そして、その付加価値に時間的な価値が加わることによって今日的な貨幣価値が確立されるのである。貨幣とは、市場で貨幣に表示された額と同量の財と交換する権利を表象した物、又は、情報である。重要なのは、貨幣は、権利を表記した物、ないし、情報だと言う事である。

 経済が実物的単位に依存していた時代は、土地も活用しなければ、価値がなかった。しかし、貨幣価値が実物的単位に貨幣価値が取って代わると土地は、時間的価値が附加され、時間と伴に経済的価値が上昇する。キャピタルゲインは、資産の時間的価値の変化によってもたらされる。このような資産としての貨幣価値が成立することによって担保としての資産価値が生じた。担保としての価値を土地が持つことで、乗数効果が派生する。

 利息を取ることは悪徳行為だという先入観が、しかも、これが宗教的ドグマになったことが、金融制度の発展を阻害し、遅らせた。しかし、利息の本質は、時間価値なのである。保存と交換、象徴という貨幣の特性に依拠する。

 経済を決定付ける要素は第一に、収益と費用の関係である。第二に、資産、負債、資本である。第三に、金利と資金との関係である。そして、これらの要素が可処分所得にどの様に影響するかが、経済を考える上で重要となるのである。
 資本主義体制というのは、決定付けるこれらの要素を成立させ、かつ、結びつけているのは、経済的な意味での時間の概念、時間軸である。経済的な意味での時間の概念は、金利や償却という形で表される。

 利息と償却が収益と費用を時間の関数として結びつけた。それによって資本主義体制が確立されたのである。
 この様に、時間的な変化が経済体制に組み込まれることによって資本主義経済は成り立っている。同時に、時間的変化が経済体制に組み込まれることによって経済成長とインフレーションが結果的に経済の基本的性格として組み込まれたのである。つまり、資本主義体制は、成長経済なのである。

 金利は、費用である。金利は、時間的費用の一種である。時間的費用が組み込まれることによって経済現象が時間の関数となる。そして、この時間的費用が物価を押し上げるのである。故に、インフレーションと金利は、相関関係にある。

 金利は、一律によって決められるわけではなく。債権のリスクによって格差が生じる。つまり、金利はリスクの関数でもある。実際の金利は、第一にリスク(信用度)、第二に担保力、第三に、期間、第四に国内の経済環境、景気動向、金融政策、第五に、為替相場などが影響する。

 物価が金利を決めるのではなく。金利が物価に影響を与えるのである。金利は、時間的費用の一種である。コストプッシュインフレという言葉が示すように、費用に物価は押し上げられると考える方が当を得ているのである。物価と金利の関係は、卵が先か鶏が先かの議論に似ている。いずれにしても、金利と物価とは、何等かの相関関係がある。

 この事を裏返せば、異常な低金利は、状況によっては、経済成長を疎外する要因になる場合がある。景気が悪化した時、金利を下げて、物価を下げようとするが、場合によるとこの政策は、逆効果になる。景気が過熱したときに金利を上げるのも同様である。むろん、状況や前提条件によっても違ってくるが、一概に、景気が悪化したら金利を下げればいいと言うわけにはいかない。問題は、金利が物価にどの様な影響を与えるのかの仕組みを明らかにすることである。

 金利は、物価の動きに連動しているのであって金利の操作だけで、景気を操作しようとしても自ずと限界があるのである。

 金利には、固定金利と変動金利がある。物価の動きに影響を受けるのは、変動金利である。固定金利は、物価の上昇時には、有利に働き、下落時には、不利に働く。いずれにしても、景気の良し、悪しだけで金利政策を決められないのである。

 金利によって経済成長が経済の仕組みの中に織り込まれている。地代、収益、配当も同様な機能を持っている。つまり、金利、、地代、収益、配当はによって経済成長は、資本主義体制の中に組み込まれた。故に、、インフレーションは、利息によって経済成長の前提とされるのである。

 乗数効果を引き出すのは、負債と負債から派生する利息であって公共投資ではない。戦争は、大量消費によって大量生産を引き出し、設備をフル稼働しているに過ぎない。
 公共事業が乗数効果を引き起こしているように見えるのは、公共事業が、設備投資を刺激し、民間の負債や公債を増大させるからである。民間にせよ、公共にせよ、負債には、レパレッジ効果が働く。それによって、貨幣の量が増幅されるのである。

 借金の性格には、費用の延べ払いという性格がある。ローンや分割払い、手形や小切手、売掛金、買掛金などが好例である。費用の延べ払いによって価値が増幅される。つまり、借金によってより多くの資産の所有権を獲得できるのである。これがレパレッジ効果をおこす要因の一つである。つまり、負債は、資産価値をフローとストックに分割するのである。また、資産の時間的価値を担保にして、資金を調達することができる。それは、所有権を移転せずに、資産を資金化することを可能とし、それがレパレッジ効果を引き起こす。そして、レパレッジ効果を引き起こす要因が金利の作用である。金利があるからレパレッジ効果が可能となるのである。

 資本にもこのレパレッジ効果があり、公共投資は、この資本市場にも影響を及ぼす。株の急速、急激な下落は、逆レパレッジ効果が働き、資産価値を急速に圧縮してしまう。

 俗に言う箪笥預金は、金利がない時代に有効である。しかし、金利があって貨幣価値が下落する時代には、損である。つまり、実物的価値に価値の基準を置いている場合は、金利を計算する必要はないが、金利が社会全体に普及している場合は、現在価値を計算できないと時間と伴に損をすることになるからである。
 金利があることによって銀行は、金を預かっているだけで資産も負債も増大するのである。この現象は、地代、地価にも言える現象であり、金利の作用が働くことで、資産にも時間の作用が働くのである。

 近代経済では、時間の概念が重要な要素である。乗数効果とか、レパレッジ効果というのは、この時間軸が重要な役割を果たしているのである。そして、時間軸というのは、負債にもっとも顕著に現れる。金利というのは、時間的な価値である。減価償却も同様の思想である。つまり、価値の将来価値と現在価値の問題である。そして、金利の基礎となり負債が、近代経済の基礎となっている。この点を見落とすと経済の実体を理解することはできない。そもそも負債とは何かと言う事である。

 負債とは何か。負債は、貨幣量で表現される。つまり、負債は、純粋に貨幣的現象だと言う事である。負債は、貨幣がなければ成り立たない。即ち、貨幣経済の産物なのである。故に、負債は、貨幣の持つ特性に依拠している。負債は、貨幣から派生した負荷価値だともいえる。

 借りるという行為そのものは、貨幣的行為のみに限定されているわけではない。しかし、金融制度で言う負債、借金というのは、貨幣的行為である。そして、この貨幣的行為である負債が重要なのである。故に、ここでは、負債は、貨幣的行為と限定し定義する。土地を借りるという行為も貨幣的価値に置き換えてなされるものとする。貨幣的価値に置き換えることによって負債の価値を特定しうるのである。

 貨幣とは、市場で貨幣に表示された額と同量の財と交換する権利を表象した物、又は、情報である。重要なのは、貨幣は、権利を表記した物、ないし、情報だと言う事である。その権利は、行使される以前の物であり、情報だという事である。つまり、貨幣は、潜在的価値を必然的、結果的にもたらすという事である。この潜在的な価値には、蓄積性があり。この蓄積性が、負債を構成する基礎な要素となる。この貨幣の蓄積性が時間的価値の根源になるのである。

 交換価値に純化、特化しうる上に、減価しない財と言う事が、貨幣の素材として要求された。同時に、この特性が貨幣の特性でもある。つまり、貨幣とは、使用価値がなく交換価値のみに価値がある財である。この特性を満たすために、金や銀が選ばれ、本位制度がとられたが、金や銀に使用価値がまったくないわけではなく。金、銀には、希少価値もある。金、銀、銅、各々には、各々の相場がある。その為に、金や銀、銅と言った現物的価値を持つ物に貨幣価値の基準を置くと貨幣価値が不安定になる。

 そして、時間的に減価しないと言う貨幣の特性が、逆に、貨幣価値の保存と価値の時間的増殖の源となる金利を生み出し、皮肉なことに、現代価値の減価という現象を生み出したのである。つまり、貨幣価値が減価しないと言う特性と交換価値を表象する権利という特性から借金、負債という思想が発生した。負債、即ち、借金は、元本、期間、利息の三つの要素からなる。この三つ要素が成立した瞬間、貨幣価値に時間的要素が、附加されたのである。

 負債を構成する要素は、貨幣価値の転移と返済、そして金利からなる。そして、価値が転移された瞬間から時間の関数となる。それが負債の性格である。これは、元本、期間(借入期間、返済期間)、利息を意味する。

 権利の転移と保存がなければ借金は成り立たない。当然、金利も派生しないのである。

 もともと、貨幣は、交換価値に時間の概念を持ち込んだ物である。負債も当然にこの性格を持っている。即ち、負債は、交換価値の時間的関数である。
 そして、貨幣は、所有権の移転によって交換価値の転移が可能だという事である。株のような有価証券が売買が可能なことによって市場価値を持つことと原理的に同じである。この権利の移転は、借金の基本的性格でもある。借金は、売買することが可能なのであ離、即ち、市場価値を持っているのである。

 金利には、貸出金利と預かり金利とがある。貸出と預金は、表裏の関係にある。これは、今日、貸借対照表の貸出、借入という表現、用語にも象徴的に残っている。
 この事からわかるように、貯金というのは、一種の預金者から金融機関への貸付であり、預金者から金融機関の借入でもあり、いずれにせよ、負債の概念が形成されることによって成立する。借入と貸付は表裏の関係にある。
 つまり、負債は、貸し手と借り手の双方が存在して成り立つ。これがレパレッジ効果を成立させる一つの要素である。

 貨幣を得るのは、何かを買いたいからである。しかし、貨幣を貯めることを目的としてしまうことがある。それは、貨幣価値に時間的価値があるからである。貨幣の元本としての価値は損なわれない上に、貨幣を預けることによって貨幣そのものが価値を生むようになる。また、貨幣を借りることによって、手持ちの資金以上の価値を生み出すことができる。ローンや借金が好例である。ローンや借金は、費用の延べ払いをいみする。ただし、時間的な価値を持つためには金利がなければならない。金利がなければ、誰も好きこのんで金など貸してくれないからである。

 生活ができなくなるような出費というのは、固定的な出費で、特に返済に関する出費である。生活費と言っても衣食は切りつめることが可能であるが、返済は待ったなしである。ゆえに、貧困だから生活が破綻するのではなく。負債が大きいから破綻するのである。この負債額は、デフレーションになると家計に重くのしかかる。

 借入金には、短期借入と長期借入の別があり、金利も短期と長期では金利の及ぼす作用の性格が違ってくる。また、固定金利と変動金利があり、固定金利と変動金利でも作用の性格は違ってくる。これは、短期と長期、固定と変動では時間的作用の性質が違うからである。

 損益の均衡を目標としているのは、公共機関だけで、経済の時間的変化を計算に入れていない事による。しかし、それでは、財政破綻する。それは、財政だけが時間的価値を持たず、時間が止まった状態に陥るからである。時間の作用が陰に作用するからである。

参考文献
「金融入門」日本経済新聞社編 日経文庫
「金融の基本教科書」杉山敏啓著 JMAM(日本能率協会マネジメントセンター)


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