レアメタル(希少金属)が注目されている。注目されているだけでなく、アメリカやスイスなどでは、第二次世界大戦前から国家備蓄がされてきた。

 レアメタルというのは、非鉄金属の中で、天然埋蔵量が少ないか、それ自体を単体として取り出すのが技術的に困難であったり、精錬するコストがかかる金属を指して言う。
 なぜ、このレアメタルが近年注目を浴び、また、国家備蓄までされるようになったのかは、レアメタルが、先端技術、特に、その先端技術を活用した兵器にとって必要不可欠な物質だからである。

 レアメタルに限らず、産業に必要な原材料は、先端技術が発達するたびに増えていく。しかも、其のレアメタルは、希少であるが故に、価値が高い。しかも、その産地が中国や南アフリカと特定の国に偏って存在している。その国の正常が必ずしも安定していない上に、我が国との関係が良好であるとは言い切れない。(「ダイヤモンド 2007.9.7号」 株式会社ダイヤモンド社)

 レアメタルの問題は、経済上の問題点と言うだけでなく、政治的問題でもあるのである。

 多くの経済学者は、市場の働きについて錯覚している。だから、市場の原理は、競争であり、競争の原理がさえ働いていれば市場は有効に機能していないなどという事を言い出すのである。そう言う人間に限って市場市場主義を装うっていながら、市場のことを何も知らないのである。

 市場というのは、競争だけに要約されるような単機能な仕組みではない。市場の機能は多彩であり、一口に市場と言ってもいろいろな仕組みや形態がある。

 市場を成立させる要素は、一つは、必要性である。必要性は、需要を形成する。必要度が高ければ高いほど、需要度は増す。即ち、需要度というのは、必要度の支配下にある。そして、必要性に応じて、供給が決まる。供給は費用に転化される。ここでも、必要性というのが費用を決める。その物質が必要だとなればどれだけでも費用をつぎ込む。ここで重要なのは、費用は、貨幣的量だという事である。費用に実質的な費やされる実体とは、消費ないし転移される量を貨幣的に換算された財だと言える。しかし、費用という場合は、財そのものを指すのではなく、換算された貨幣で表示された量である。

 レアメタルは、該当する希少金属を利用する、必要とする技術が開発される以前は、無価値であった。つまり、費用的な価値は生まれなかった。この点が需要なのである。必要とされることによって価値が生じても、その必要性が、広い範囲で認識、認知されなければ、それだけのコストをかけてまで開発、生産しようとする動機が派生しないのである。ところが、生産財が広い範囲で活用されなければ、それだけの需要は形成されない。つまり、レアメタルは典型であるが、需要を喪失しなければ供給は生まれないのである。しかし、その需要は、供給が前提となる。つまり、その財が供給それていなければ、需要は起こらないのである。
 レアメタルを使った商品がなければ、レアメタルに対する需要は起こらない。しかし、需要がなければ、レアメタルは開発されない。なぜ、レアメタルが開発されたのか、そこに先端兵器が存在することを見逃してはならない。公共事業がこの様な産業のリード役となるのである。

 もう一つ言えることは、その必要性が広く認知されれば、どれだけ費用がかかっても市場に供給され続けると言う事である。よく石油開発で問題になるのは、石油の価格が高騰するとそれまで費用がかかりすぎるとして見送られていた油田が採算にのるの様になり開発されたという事である。これも産業を成り立たせる重要な要素である。

 しかも、それが必要ならば、その費用は、物価の中で吸収されてしまうという事である。つまり、市場価格を形成するのは、その財の必要性、費用、そして、需要と供給、物価である。
 需要が価格を作っているのである。

 レアメタルは、いろいろな要素が絡み合って価格を形成する。その為に、個々の要素を絶対額として積み上げる硬直的、それも下方硬直的なものとなる。それ故に、需要と供給、為替変動と言った変動的基準を組み合わせることによって個々の要素の変動を抑制している。それが、戦前の大恐慌のような経済現象を抑止していると考えられる。つまり、経済的価値は相対的な基準だという事である。為替の変動によって貨幣価値が引き起こす物価の不適正な動きを牽制しているのである。

 それまでなくてもよかった物、必要とされなかった産業でも、一度、それが開発され、市場が確立されるとなくてはならない物、必要不可欠な産業になることがあると言う事である。その好例は、電力産業である。
 鉄工業にせよ、石油産業にせよ、現代ほど大規模な産業はなかったのである。鉄工業と言ってもせいぜい鍛冶屋程度の産業しかなかった。それが、現在では、巨大な産業に発展している。かつての家屋も木と土で建てた物にすぎない。今日のように鉄やコンクリートをふんだんに使った物ではない。
 現代社会は、物が溢れている。現代人は、それを当然のことのように享受している。しかし、一昔前まで、夢のような話だったのである。自分の子供の頃は、舗装されていない道路も結構あった。それなのに現代は、津々浦々、舗装されていない道路を捜すことが難しいぐらいである。それでも尚、道路を建設している。まるで道路を造る事自体が目的化されてしまったようである。
 大量消費が産業を作り、その産業が経済を拡大してきた。それが資本主義の姿である。

 ただ、レアメタル、それは希少資源だと言う事を忘れてはならない。単純に消費をするだけで、貴重な資源を使い尽くしてしまえば、いつか、資源は枯渇するのである。これまでは、効率的というと、生産に対して言われてきた。しかし、これからは、消費に対して効率的でなければならない。希少資源というからは、今までと違った意味での効率的な社会が求められているのである。


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