産業革命は、エネルギー革命でもある。それまで薪炭といった有機物をエネルギーの原料としていたのが、石炭や石油と言った化石燃料に変化し、さらに、同じ化石燃料でも石炭から石油へと急速に変化してきたのである。

 では、エネルギーとは何か。エネルギーそのものを目に見ることはできない。エネルギーは、潜在的な力の量である。

 エネルギーとは、熱源や動力といったある系が外部に対して持っている潜在的な仕事量である。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 エネルギーは、力である。つまり、エネルギー産業とは、人力、火力、水力、電力、重力、磁力、原子力そして、それらの源になる石油やガス産業である。なかでも、最も原始的なエネルギーは、火力である。

 電気、ガス、石油と現代社会は高エネルギー消費社会である。今や、電気や石油がなければ、我々の生活は一日も成り立たないであろう。そして、その高エネルギー消費社会であることが、いろいろな障害を引き起こしているのである。

 エネルギーが環境に与える影響も大きい。エネルギーは環境だとも言える。エネルギー問題は環境問題だとも言える。
 エネルギーの環境問題には、エネルギーそのものが環境に直接与える影響、一次的影響と排気ガスによる温暖化現象のようなエネルギーを使用することによって発生する間接的、二次的問題とがある。つまり、開発、製造段階の問題と消費、使用段階での問題の二段階で問題が発生する。

 一次エネルギーと、二次エネルギーがある。一次エネルギーというのは、自然界に存在する状態のエネルギー源であり、二次エネルギーというのは、一次エネルギー源に何等かの加工を施して生まれたエネルギー源である。

 薪炭から、石炭へ。石炭から石油へとエネルギーは、変動してきた。その変動は、産業や経済の変動でもある。

 一次エネルギー源の形態には、固体(固形燃料)、液体(液体燃料)、気体(気体燃料)がある。そして、それぞれの形態によって、製品特性が違ってくる。また、運搬手段も変わってくる。

 二次エネルギーにも形態には特徴がある。特に電力は目に見える物質的実体を持っていない。その為に、情報同様何等かの回線を必要としている上、現在の技術では、貯蓄、蓄積ができない。

 今日の社会や国家が消費する量は、莫大なものである。その為に、一次エネルギー物資の輸送や運搬には、多大なコストと設備が必要なり、また、それに伴うリスクも増大する。エネルギー産業というのは、それ自体が巨大な装置みたいなものなのである。
 また、電力やガスパイプラインのように、道路や鉄道、水道同様、社会資本、社会基盤を形成する重要な要素の一つでもある。

 エネルギー産業は、典型的なコモディティ産業である。必需品でありながら、商品格差がなく。また、仕事そのものにも特殊な技術や資格を必要としていない。その為に、過当競争が起こりやすく。装置産業であるために、損益分岐点を超えると急速に収益が改善される特徴を持つ。その為に、シェアを求めて価格競争による乱売合戦に陥りやすい。反面において、危険物であり、環境に与える影響も大きい。市場の原理に無原則にまかせれば、淘汰されてしまい、寡占独占体制に陥るのは必然的帰結である。だからといって、不要な産業や企業は、市場で淘汰されると言い切れるであろうか。

 会計上に現れる実体は、必ずしも実物経済の実体を反映したものとは限らない。 

 最近、電力、ガス業界での競争が激しい。従来は、それぞれが一定の境界線を決めて、住み分けてきたが、規制緩和、自由化の流れを受けてお互いの境界線を超えて激しい鬩(せめ)ぎ合いをしている。電力業界は、究極的には、オール電化を前面に掲げることになる。オール電化と言うが、本来は、エネルギーミックスを計るべきなのである。つまり、安全性やエネルギー効率を考えて、もっとも、効率的で、適合的なエネルギーを選択できる環境にすることなのである。ところが、結局は、価格に全てを収斂させてしまっている。
 なにをもって適正な価格というのかの、見識、基準もないままに、不完全な市場にその判断を委ねているのである。そうなると、全ては、コスト削減に至る。また、当面の収益を度外視してでも、シェアの拡大にはしる。それは、イニシャルコストとランニングコストの関係から必然的な帰結なのである。つまり、初期投資が大きい場合は、設備の稼働率を高めざるを得なくなるのである。その為に、適正な利潤を確保することが困難になる。

 本来、話し合いによる解決を計るべきなのに、話し合いを頭から否定してしまっている。競争の原理に基づくべきか、裁定に依るのか、話し合いで決着をつけるのかは、状況に依るのである。それは、裁判の在り方を見れば解る。全てを試合で決めろと言うのは、古典的な決着方法であり、裁定や話し合いによる和議が平均的な決着方法なのである。

 エネルギーは、環境に影響を与えるだけでなく。有限な資源が、エネルギー源の主力を占めている。今日、再生可能エネルギーの開発が盛んではあるが、すくなくとも、枯渇性エネルギー、化石燃料は有限である。
 旧社会主義圏が自由経済、市場経済を導入すると爆発的にエネルギーの消費が増える公算が大きい。ゆえに、省エネルギーが、重要な課題である。
 エネルギーは、人類にとって不可欠な物資である。しかるに、有限な物資である。我々がエネルギーを有効に使うためには、省エネルギー社会を構築する必要がある。その為には、無原則な市場経済にエネルギー源を委ねるわけには行かないのである。
 その為には、大量生産、大量消費社会を脱し、社会全体を省エネルギーな仕組みに組み替える必要があるのである。それが構造経済である。

 エネルギーは、常に、政治と結び付けられて考えられている。もっと直接的に表現すれば、軍事的な問題でもある。軍は、常に、必要なエネルギーを確保しようとする。その中には、食料も含まれている。食料は、重要なエネルギー源の一つである。
 故に、エネルギー問題は、政略や戦略、軍略と直接的に結び付けられる。つまり、地政学と密接に関わり合っている。

 間違って欲しくないのは、私は、エネルギーを地政学的なものだと決め付けているのではない。エネルギー問題に政治が介在することの是非はともかくとして、エネルギーは、政治問題から逃れられないと言いたいのである。それが地政学的リスクである。
 地政学の是々非々を問う以前に、地政学的リスクがある。つまり、地政学が、正しいとか、間違っているとか言う以前に、地政学的な考え方をする権力者や国家がいることから派生するリスクである。実は、このリスクの方が地政学そのものより怖い。
 そこに展開されている理念よりもその理念を信じ、その理念に基づいて行動している権力機構があるという事が重要なのである。そして、それが国際政治力学の上にのっと手行動していると言う事である。つまり、地政学的リスクとは、自然現象と言うよりも人間の思惑や観念が引き起こしているリスクなのである。それをとやかく言ってもはじまらない。個々の国が持っている戦略や政略を理解して行動する以外に自国が生き残る術がないという事実の方が重要なのである。エネルギー問題は、現実の問題なのである。そして、国家、国民が生き残るためには、エネルギーを何等かの形で調達、確保しなければならない以上、国家は、全力でエネルギー問題を解決しなければならないという事なのである。

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