栄枯盛衰は世の常である。経済は、政治地理学的な世界である。市場に働いているのは、自由競争の原理ではなく。適者生存、闘争の論理である。

 古来、万里の長城の例を見ても解るように大国が周辺国に進駐する動機は、国防上の動機による場合が多い。周辺を痩せた狼に、徘徊されるよりは、肥った豚にした方がいいという動機である。もし、痩せた狼がいれば先制攻撃をして飼い慣らそうとする。それに対し、小国が進駐する動機は、物資の不足である。特に、食糧の不足である。日本がかつて大陸に進出したのも、農村の疲弊と食糧不足がある。

 日本人は、島国根性だとよく言われる。島国という視点でしか、国際情勢が見れないと言う意味である。狭い島国と、アメリカや中国、ロシアの様な大国とは、考える基盤が違う。大国は、自国内に豊富な資源を擁している事が多い。つまり自前の資源を持っている。それに対し、小国は、資源に偏りがあるのが一般的なのである。そして、日本のような島国は、交易路を扼されればそれまでである。大国と事情が違うのである。この様な地理的な違いを忘れて産業を考えると思わぬ落とし穴にはまることがある。

 アメリカが、食料、エネルギー、情報を戦略物資としているのを考えると意味が深い。物資の不足は、生存に関わる問題である。金で解決がつく問題ではない。フィリピンが米不足に陥った。しかし、輸入元のベトナムも米が不足しているために、輸出規制をしている。小麦粉も、品不足でエジプトで暴動が起きる騒ぎあった。その原因は、オーストラリアの旱魃である。日本の食糧自給率は、カロリーベースで39%しかないのである。その点をよく日本人は自覚する必要がある。

 国防上にせよ、物資の不足にせよ、いずれにせよ、大軍を駐留させるためには、巨額の軍資金がいる。また、盟主たらんとすれば、更に、巨額の資金が必要となる。ソビエトの崩壊も周辺国を食べさせるために、自国民に我慢させることが限界に達したからである。日本のマスメディアは、アメリカの海外戦略の批判的である。しかも、当事者としての意識が欠けている。アメリカの海外戦略を批判するならば、日本は、日本独自の世界観を持ち。国際平和に貢献する必要があるのである。世界観も、国際間もなく他国の海外戦略を批判するのは、無責任の極みと言われても反論できない。

 日本は、アメリカが好き好んで海外に大軍を展開しているわけではないという事を理解すべきである。元々、アメリカ国内には、保護主義的な勢力がいることを見落としてはならない。アメリカ軍のプレゼンスがなくなっても交易路の安全が確保できるというのならば、話は別である。一方的にアメリカ軍の力を頼っておいて、アメリカを批判するのは、考え違いである。日本は、日本として、日本の国民を護るためには、いかにあるべきか。その視点を欠いては、経済も産業も成り立たない。

 大陸国家には、大陸国家の経済があり、半島国家には、半島国家の経済がある。島国には、島国の経済がある。自国が、どの様なところに位置し、地域、世界にどの様な働きをしているかを知る事は、産業を考えるにあたって欠くことのできない項目である。

 日本は、アメリカ、中国、ロシア三国の接点位置する。いわば要である。故に、軍事、政治、経済戦略上、歴史的に見ても重要な役割を果たしてきた。

 かつて、中曽根首相が不沈艦空母を口にして物議を醸しだしたが、しかし、実際的に中国やロシアにとっては、喉元に匕首を突きつけているようなところに、日本は、位置しているのである。必然的に、中国やロシアから警戒されている。逆に言えば、日本から見ると常に、アメリカ、ロシア、中国から圧迫され続けているのである。

 日本と朝鮮は、よく似た地理にある。しかし、日本と朝鮮の決定的な違いは、朝鮮が半島であるのに対して、日本が島国だと言う事である。それが如実に現れたのは、元寇の折りである。

 この様な地理的な条件が、その国の歴史、政治、経済に決定的な影響を与えている。外交戦略や政略を地理的条件に基づいて立案していこうという思想、学問が地政学である。地政学は、自国の歴史や、政治、経済が地理的な要件に影響を受けていることにたいし是とするか、非とするかの問題ではなく。自国の置かれている地理的条件を、どれくらいわきまえているかの問題である。つまり、自国の地理的条件が、自国の置かれている状況にどの様に作用するかである。

 地理的な要件が明暗を分けるのは、世の常なのである。

 この様な地政学的な捉え方には、批判もある。つまり、地理的要件は、政治にも、経済にも決定的な影響を及ぼさないと言う考え方である。また、影響があるにしても地政学的に政治や経済を捉えるのは危険だとする考えである。この考え方にも一理ある。確かに、政治的、又は、軍事的思惑や枠組みが先行するとそれに囚われて現実を正しく認識することができなくなる。しかし、それでも、地理的な要件を抜きに政治や経済を論じる方がより危険だという事を認識すべきである。

 地政学は、地政学の妥当性以前に、地政学的に行動する為政者や権力者がいる事が重要なのである。地政学的行動をする為政者や権力者がいるかぎり、地政学的作用が働いていて地政学的リスクが発生するのである。つまり、地政学的に行動する政治家や権力者がいる限り無視できない概念なのである。

 現実にロシアは、ウクライナなどの周辺諸国に対し、天然ガスの供給を武器にして、その支配権を強めようとしている。それが現実の政治であり、経済である。経済を政治に利用しようと言うのは、何も、今に始まったわけではないし、また、古典的手法というわけではない。その好例が、第四次中東戦争を期に起こったオイルショックであり、また、イラク戦争前の経済制裁である。

 地政学的なリスクは、経済に与える影響も非常に大きい。為替や資本市場の昨今の動向を見ても、地政学的、仮想的なリスクが資本市場に重大な影響を与え、それが実物市場を振り回す様なことが現実に起きている。現にあるリスクではなく、想定、想像上のリスクであったとしてもそれが投機家や投資家に少なからぬ影響を与える限り効力があると見なさなければならない。
 また、資源や食料が現実に枯渇したわけではないが、供給不足が現実化した場合、地政学的な要素が一気に浮上するのは、必定である。特に石油は、深刻で、石油の不足が現実のものとなった場合、国民の生活そのものが根底から覆る危険性もある。近代文明は、石油の上に成り立っている事実を見逃してはならない。

 2005年8月と9月に「カトリーナ」と「リタ」と言う二つの超大型ハリケーンがアメリカ南部に上陸した。カトリーナは、ルイジアナ州、「リタ」は、テキサス州とルイジアナ州に上陸した。この二つの超大型台風が上陸した地点は、石油の精製所が密集している地域で超大型台風の影響で精製所の多くが休止し、全米の石油の精製能力の三割が失われる結果となった。(「オイル・ジレンマ」山下真一著 日本経済新聞出版社)
 なぜ、この様な台風の通り道となる地域に石油精製施設が集中したかというと、この地域は、全米の原油の約三割を生産するという生産地であり、生産地と精製地という利便性や経営効率による。
 この様に産業は地理的な要件によって経営を左右される。特に、石油は、産油国が限定的な地域に集中しているため、たびたび、政治的に利用されたり、事故や災害によって重大な影響を経済に与え続けてきたのである。

 スイスは、アルプスの山々に囲まれた要害の地の利によって守られてきた。日本は、四方を海に囲まれていたから、他国の侵略にも難攻不落の要塞とすることができた。現のあれだけの大軍を退けられたのも島国だからこそである。しかし、自国を守ってくれる海や山は、逆に、経済や産業にマイナスの効果を及ぼすことも多い。言うなれば、不便だからこそ攻めにくいのである。

 その点、半島国家である朝鮮は、日中戦争、朝鮮戦争と強国間で戦いが起こるたびに戦場と化し、その狭間にあって戦禍に喘(あえ)いできたのである。
 我が国は、四方を海に囲まれているのに、半島国家である朝鮮は、中国やロシアと一衣帯水の関係にあるのである。

 同様なことは、北欧諸国にも言える。かつて、フィンランド現象といわれ、ソビエトの周辺国の経済は、ソビエトの影響下に置かれたのである。

 地理的な条件とは、その国の住む国民には、どうしようもない前提条件である。しかし、どうしようもない条件だからと言って看過するわけにもいかない。故に、自国の地理的な条件に精通し、その自国の地理的な条件を生かして産業を興し、政治や経済を運営していかなければならないのである。

 日本は、ある意味で地理的条件に恵まれていなかったから侵略を免れてきたとも言える。ファーイースト、極東と言えば聞こえが良いが、言い換えれば、東の地の果てという意味である。それが日本である。日本が植民地化されずにいたのは、日本が僻遠の地にあったからである。
 日本が俄然注目されはじめたのは、皮肉なことに、日本が西の果てになったことによる。つまり、アメリカが、太平洋に達し、ハワイを呑み込み。その勢いで、「マニフェスト・ディスティニー(明白なる運命)」と西進したことによる。つまり、西部開拓時代の幕開けが、西の果てである日本を捉え。そして、その先にある中国とロシアとの境界線上に日本を位置させたのである。
 その結果南進するロシアと西進するアメリカ、そして東進してきたヨーロッパがこの極東の地でぶつかり合うことになったのである。その要に位置していた日本と朝鮮は、強引に鎖国を解かれ、国際紛争のただ中に放り出されたのである。

 最初は捕鯨の基地として、次に、中国侵出の足がかりとして、また、南進するロシアの防波堤として日本は利用され。後には、日本は、積極的に自国の戦略として欧米の戦略を取り込んでいった。その結果が、第二次世界大戦での大敗北である。そして、日中、日朝国民に深い傷跡を残すことになる。

 日本は、島国、即ち、海洋国である。また、資源に乏しく、基本的に、原材料を輸入し、加工をして輸出をする。また、ライフラインとされる衣食住、エネルギーに関連した物資は、自給自足するだけの自給率がない。

 先ず、自国の地理的な条件を吟味するためには、地理的要件には、何があるのかを明確にしておく必要がある。
 第一に、物理的空間の地理的要件である。第二に、政治的・軍事的空間の地理的位置付けである。第三に、経済的空間における地理的要件である。第四に、文化的空間における地理的要件である。第五に、歴史的空間における要件である。

 これを日本に当て嵌めてみると第一の地理的要件というのは、日本は、ヨーロッパから見ると極東に位置すると言う事である。また、中国から見ても、即ち、ユーラシア大陸の東端に位置する。逆に、北米から見ると西端に位置する。ロシアから見ると南の出口に位置し、不凍港を持つ。
 以上が意味するのは、アメリカ、中国、ロシアのと言う三大国の力が交わる地点、交叉する地点、交錯する地点に位置するという事である。
 また、日本は、島国であり、資源に乏しく、自給率が低いという事である。この事は、基本的に海外交流によってしか、自国の需要を賄(まかな)えないことを意味する。つまり、海外交通路の確保が日本の生命線を握っていることであり、譲れない一線であることを意味する。

 政治的には、非武装中立を国是としている。しかし、実際には、米軍の庇護下にあり、代わりに米軍に基地を提供し、進駐を許している。また、米軍のプレゼンスは、周辺国、特に、中国とロシアに重大な脅威を与えている。
 米軍にとって日本は、極東における最大の軍事拠点であると同時に、アジアから中東に掛けての中継基地、後方支援基地でもある。また、朝鮮半島における前進基地であるとともに、後方支援基地でもある。つまり、アジアに打ち込んだ楔(くさび)である。

 経済的には、資源が乏しく、原材料を輸入し、加工し、輸出して外貨を獲得することによって成り立っている。
 エネルギー、食糧の自給率は、先進国の中でも際立って低い。その為に、エネルギーも食料も海外に依存している。石油は、特に中東産油国に依存している。食料は、アメリカに依存している。
 東京への一極集中が進み。人口や産業の偏りがある。その為に、農村の疲弊が見られる。その為に、食糧の自給率が下がっている。
 第一次産業から第二次産業への人口の大規模な移動が第二次大戦後に起こり、現在は、第三次産業への移動が見られる。
 第二次世界大戦後、戦後の復興を経て高度成長を実現し、アジアにおける最大の経済力を持つようになった。
 プラザ合意の後、円高の昂進によって産業の空洞化が見られた。その後バブルの発生と崩壊によって産業構造が劇的に変化している。
 少子高齢化が進んでいて、海外から労働力を導入することが検討されている。

 文化的には、仏教国であるが、儒教文化圏に属している。また、独自の宗教である神道を有している。民族的には、モンゴロイドで、日本語圏に属している。
 稲作文明圏に属し、海産物をよく食べる。ただし、戦後急速に洋食化が進んでいる。

 歴史的には、最古の皇室を持つ。千五百年程度の歴史を持つ。百年ほど前までは鎖国をしていた。明治維新によって開国をし、急速に勢力を拡大した結果、第二次世界大戦を引き起こし、敗戦した。戦後は、高度成長を続け、経済大国の地位を確立する。

 忠臣蔵ですら背後には、赤穂塩の製法を巡っての暗躍があったとさえ言われる。経済や自国の産業を保護し守るのは、当然である。当然と言うより国の責務である。それが国益なのである。
 我々は、戦後、国益のために戦うことを悪であるかのごとく教えられてきた。普遍主義者や世界主義者は、それこそ、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して自国の安全と生存を委ねろと言っている。それは、思想や哲学、つまり、観念として言う分ならば、許されても、現実に自分達の親子兄弟、家族を守らなければならないと決意している者にとっては許されない欺瞞である。
 我が子に、裸で、オオカミやライオンのいる野を歩めと言うようなものである。その一方で、自由競争を説く。それは矛盾である。一方において暴力を否定しながら、一方において争いを奨励するようにものである。

 合従連衡は、世の常である。昨日の味方は、今日の敵になるかもしれないのである。敵の敵は、味方という論理も成り立つ。それが国際社会の非情さである。
 経済的に、政治的にどの勢力、国と手を組むのか。それを過てば、国民は、塗炭の苦しみを味わう事になる。その為に、国の内外で熾烈な争いが日夜繰り広げられているのである。その現実や事実を見ないで、お題目のように、ただ理想論を繰り返すのは、結局、一方の勢力に国を売り渡すようなものである。敵になるにしろ、見方にするにしろ、国家の威信を懸けて決断すべき事である。国際社会は仲良しクラブのようにはいかないのである。
 戦前にあっては、日本は、枢軸国に組みし、結局、連合国側に敗れ去った。そして、その連合国がそのまま、国連の前進になり、日本は、長い間、敵国条項に苦しめられたのである。
 戦後は、東西冷戦の中で西側陣営に属し、高度成長を実現した。これらは、自然現象ではなく。歴史的事実であり、国家の意志なのである。東西冷戦が終焉したと言われる今日、世界は、新たな覇権を求めて、争乱の場になりつつある。なかなか、ワン・ワールドとはいきそうにないのである。よしんば、ワン・ワールドとなったとしてもそれは、世界権力が確立されたことを意味し、日本の位置付けは更に難しいものとなる。日本は、東西冷戦の狭間にあってアメリカの核の傘、庇護の下に平和を享受し、高度成長を実現することができたのである。それは偶然の賜物ではなく。日本人が自らの意志で選んだ道なのである。
 それも、日本の置かれた位置によるところが大きい。

 戦後、経済地理学、又は、地政学的の威力をまざまざ見せつけられたのが、オイルショックである。日本人は、石油の輸入が途絶すると聞いただけで震えがあり、パニックに陥って買いだめに走り、また、省エネに努めた。OPEC(オペック)は、経済と地理、政治と地理の関係の重要性を日本人に痛感させた。

 石油を巡って、日本は、常に窮地に立たされてきた。古くは、ABCD包囲陣による経済制裁、アメリカの在米日本資産の凍結、対日石油輸出の全面禁止という経済制裁が効いて太平洋戦争に突入した。そして国土を焦土と化して敗戦を迎えたのである。

 石油は、その交易路も重要である。日本にとってシーレーンは、確かに、生命線なのである。しかし、そのシーレーンを守る力は日本にはない。少なくとも交易路の安全確保は、日本一国ではできない。どうしても日本は、他国と手を結ばなければならないのである。それが日本の地理的前提条件、所与の前提条件、宿命なのである。

 歴史に、もしは、ないと言うが。もし、中東に石油の油田がなかったならば。日本が産油国だったら。世界の歴史は変わったであろう。持てる国と、持たざる国の興亡は、世のならいである。

 海洋国家である日本にとって220海里問題は、深刻な影を落としている。竹島の領有権問題、北方領土の問題は、その対応を一歩間違えは、戦争の火種となる。しかも、短期間で片づく問題ではない。今日、海底資源が注目されている。中でも海底油田は、各国がその権利を主張して武力闘争にまで発展し、死者まで出しているのである。
 海上に突き出た少しばかりの岩の領有権を巡って熾烈な争いをしている。それを馬鹿げていると言えばそれまでである。問題は、それを国家間で解決する手段を持たないことなのである。最後は力関係でしかない。だから、戦争の背後には、経済問題が隠されているというのである。

 今、自由貿易協定(じゆうぼうえききょうてい、Free Trade Agreement/FTA)が注目されている。自由貿易協定とは、物品の関税、その他の制限的な通商規則、サービス貿易等の障壁など、通商上の障壁を取り除いた自由貿易地域の結成を目的とした、2国間以上の国際協定である。

 自由貿易協定のはしりは、EUに見られるが、EUは、更にそれを発展拡大させ、政治的にも経済的にも一体となった異性の構築を目指している。

 規模としては、EUを凌ぐ規模を実現したいるのが北米自由貿易協定NAFTAである。北米自由貿易協定は、メキシコ、アメリカ、カナダ三国で結ばれた自由貿易協定である。

 ASEANにおいても、ASEAN自由貿易地域(AFTA)を進めている。ASEAN域内での関税や非関税障壁 (NTB)の引き下げを行い、貿易の自由化、それに伴う経済の活性化、発展を目的とするものである。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 日本は、現在、北米自由貿易協定には参加していない。それは、日本は、その地理的な要件から東アジアに軸足をおいた方がいいという政策的判断からである。この様な政策的判断の基礎になければならないのが経済地理学的戦略、構想である。果たして日本は、それが確立されているのか。また、どこまで、承認されているのか。それが問題なのである。

 自由貿易協定は、一種の関税協定の性格も持ち合わせている。その為に、経済のブロック化が懸念される。いずれにしても、各国は、自国が位置する域内における経済的特権、利益をいかに確保するかに汲々としている。

 我々は、自らが依って立つ位置を正しく認識し、そして、自分が生存する道を探らなければならないのである。
 今日の日本は、鎖国してはやっていけないのである。日本は、世界の中で自らの役割を確立しない限り、孤立していく。日本の今日の繁栄は、多分に、僥倖(ぎょうこう)に恵まれたことがある。運が良かったのである。運も実力の内とはいえ、奢(おご)れる者久しからずとも言うのである。日本が戦後の経済の停滞を脱する契機となったのが、朝鮮特需であったことを忘れてはならない。周辺諸国の平和と成長があってこそ日本の繁栄と安全は守られるのである。交易が途絶えれば、日本は生きていけないのである。

 戦争の背後には、経済的危機が隠されている。なぜならば、経済とは、生きる為の活動だからである。しかし、人は、経済のために戦うとは言わない。それは、あまりに利己的だからである。戦いは、大義、正義の下に始められる。最後には、ただ、勝者の論理だけが残る。敗者に正義は与えられない。敗者に残されるのは、勝者の憐憫にすがることだけである。
 戦争の本質は経済である。戦争が終結した時、それはあからさまになる。勝利者達は、敗者の権益を分配し、その分け前を、戦利品を求めるのである。だからこそ、経済的な危機がなくならない限り、戦争はなくならない。肥った豚は、痩せたオオカミたちに屠(ほふ)られ、喰らい尽くされるのである。国際社会の本質は、弱肉強食なのである。

参考

【シンガポール=藤本欣也】現代の米騒動 料理がすべて「半ライス」 米不足のフィリピン
 東南アジアでコメの高騰を背景に買いだめが広がり、一部でコメ不足が深刻化している。コメの輸入国フィリピンでは4月に入り、レストランのライスをすべて「半ライス」にする店も現れた。価格上昇は続くとみられており、“米騒動”を懸念する声も出ている。
 「ライスではなく、プライス(価格)を半分にしてくれ」。東南アジアでコメの価格が年初来30〜40%上昇する中、マニラ首都圏の商店前ではプラカードをもった住民らが抗議活動を行った。フィリピン政府は社会の不満の高まりを前に、ベトナムからのコメ輸入を確保する一方、コメをため込む悪徳業者を最高刑・終身刑の厳罰に処す方針を示すなど対策に躍起となっている。シンガポールでも消費者の買いだめで店頭のコメが不足している。
 昨年後半から始まったコメの価格高騰の背景には、(1)天災による不作(2)国内向けの供給を優先したベトナム、インドなどコメ産出国の輸出規制−などがある。
 域内では燃料、小麦価格も高騰しており、インフレ対策に頭を悩ますインドネシアのユドヨノ大統領は国連に善処を求めた。 (産経新聞 2008年4月5日)

【モスクワ杉尾直哉】ロシア政府系天然ガス独占企業ガスプロムは2月29日、「ウクライナが昨年のガス代金6億ドル(約620億円)を支払っていない」として3日午前10時に同国向けのロシア産天然ガスの供給量を25%削減すると警告した。
 ウクライナのガス代金未払いを巡っては、ロシアが2月12日にもガス供給停止を宣言。その時はウクライナ側が早期支払いを確約し、危機はいったん回避されたが、ガスプロムによると、その後も07年分の代金が支払われていないという。(毎日新聞 2008年3月1日 東京夕刊)

「オイル・ジレンマ」山下真一著 日本経済新聞社


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地政学的問題