日本は、戦後、数々の貿易摩擦に遭遇した。貿易摩擦というのは、国家が存亡を賭けた戦いなのである。

 戦後、日米は、同盟国として、また、自由主義国として、概(おおむ)ね有効、良好な関係を維持してきた。しかし、経済面から見ると日米関係は、貿易摩擦の歴史だったと言っても過言ではない。

 1970年には、日米繊維交渉が始まり、1972年には、日米繊維協定が調印された。同年、第二次鉄鋼輸出自主規制実施。1978年には、牛肉、オレンジ交渉決着。1981年対米自動車自主輸出規制実施。1986年、GATT・ウルグアイラウンド開始。同年、半導体協定締結。1987年、対米工作機械自主輸出規制実施。アメリカが、半導体協定に違反したとしてスーパー301条を日本に対し発令し、スーパーコンピューターに100パーセント報復関税を課す。1988年、牛肉、オレンジ交渉最終決着。1989年、日米構造会議開始と日米間で貿易摩擦がなかった年はないのではと思われるほど毎年のように緊迫した協議が続けられた。

 1982年には、日立の人間が手錠で繋がれているショッキングな写真が新聞紙上に踊った。IBM産業スパイ事件である。まるで日本とアメリカは戦争状態に入ったのではと錯覚させるような状態だった。

 アメリカは、自由主義の国であり、自由貿易のメッカであるように思われている。しかし、アメリカは、自国の産業の保護には、人一倍積極的である。
 貿易摩擦というのは、自国の産業を守ろうとして相手国の製品の輸入に何等かの歯止めをしようとして起こるのである。産業を興亡は、一国の死活問題である。それを忘れた議論は空論に過ぎない。

 貿易や交易の考え方には、保護主義と自由貿易主義がある。
 現在は、保護主義というのは、市場規制同様、絶対的に悪くて自由貿易こそ正義だという認識に支配されている。しかし、一昔前は、保護主義は、当たり前なことであり、時代によっては、自由貿易主義は売国的行為だとみなされていた時代もある。
 その極端な例が鎖国である。鎖国にも、政治的な意味での鎖国と、経済的な意味での鎖国がある。しかし、いずれにしても日本は、鎖国していたのである。その鎖国の夢を破ったのは、アメリカであり、アメリカのその主たる動機は、経済的な理由である。
 政治的動機の背後には、必ず、経済的動機が隠されている。人間は、大義、正義を振りかざすが、大義、正義のためだけに命や家族を掛けたりはしない。むしろ、命や家族を守るために、大義、正義を掲げて戦うのである。つまり、生命、財産のために戦っても大義、正義のためだけには戦いはしないのである。金持ち喧嘩せずという格言がある。つまり、満ち足りている物は、自分の権益が侵されない限り、戦ったりはしない。飢えかつ渇くから、人は生きる為に家族のために戦うのである。戦争の陰には、必ずと言っていいほど経済的自由が隠されており、それこそが戦争の真の原因である場合が多い。戦争を防ぎたいのならば、先ず経済的理由を捜すべきなのである。

 貿易摩擦も戦いの一種である。だから、それが高じれば戦争に発展する。だから、厄介なのである。戦いに観念的な理由などない。ただ仕事が奪われ、生活ができなくなるから戦争になるのである。故に貿易摩擦を甘く見てはならない。貿易摩擦は、経済的問題だが、経済的に片づかないからこそ起こるのである。

 日本は、自由貿易を守らなければならない。それは、日本が、資源に乏しく、自給率が異常に低いからである。日本は、交易ができなくなれば、飢えかつ衰亡する。それが日本のおかれた地政学的位置なのである。これは、自由貿易の是非を論じる以前の大前提なのである。自由貿易でなくなれば、日本は滅亡する。これは、理屈以前の大前提なのである。
 それに対して、アメリカは違う。これも大前提である。アメリカも自由貿易が保障されなくなれば困る。しかし、滅亡はしない。なぜならば、アメリカは、自給自足できる国だからである。しかし、現在の生活状態を維持するためには、自由貿易が保障されなければ困る。だから、自由貿易主義堅持しているのである。しかし、絶対的に自由貿易でなければならないのか。そうではない。だから、時代によって、また、製品によって極端な保護主義を講じることもある。日米間の間にある貿易摩擦には、この様な両国の立場の差がハッキリと反映されている。この点を理解しないと日米間の貿易摩擦の本質は見えてこない。

 貿易摩擦と言っても結局は、国力の差がものを言うのである。強国は、この事を殊更に言ったりはしない。弱国は、この事を改めて認めたりはしない。しかし、現実は、力によって決まる。
 経済に国際正義など通用はしないのである。あるのは国益である。国益を実現する場が国際社会なのである。そして、その国益に直結しているのが、経済である。
 国際正義を口にするなら、国力を付けてからである。力のない国がいくら自国の都合を主張しても、強国に蹂躙されるだけである。

 この事を見誤れば、国を危うくする。かつてのカルタゴのように、滅亡の危機に立たされるのである。

 国際分業も平和に話し合いで行われるわけではない。結局、国家間の力関係で決まってしまう。その国の主要産業というのは、その国にとって侵すべからざる宝でもある。容易く譲れるものではない。それが、過去の貿易問題の根底にある。日米繊維問題や自動車問題、スパーコンピューター問題などか如実に物語っている。

 自由貿易主義というのは、一つの理想である。しかし、現実に言われる自由貿易というのは、各国の思惑の上に成り立っている。常に両刃の剣なのである。アメリカは、自由主義を信奉している国だと言っても現実には、保護主義的な政策をとっているし、現にスーパー301条のような法もあるのである。

 日本も戦後しばらくは、保護主義的な政策を採り続けた。もっとも、終戦直後は、とても海外にうってでるなどと言うことが」、できるゆとりも余力もなかったと言うのが、ほんとのところである。

 しかし、今日の日本は、自由貿易を前提としなければ、国内需要を賄(まかな)いきれない。日本は、海外との交易がなければ、一日とも国家を維持していくことができないのである。一番の好例がエネルギーである。
 エネルギーの自給率は、20%(IEA)しかないのである。しかし、現代野の日本人は、電気も、ガスも、自動車もなければ一日たりと国を維持する事ができないのである。

 日本の食料自給率はカロリーベースで2005年現在40%(農林水産省)しかないのである。

 この様な日本の実情を鑑みると日本は、自由主義貿易を維持するしかなく。国是なのである。

参照
 スーパー301条とは、アメリカ合衆国の「包括通商・競争力強化法」(1988年施行)の対外制裁に関する条項の一つ。通商法301条(貿易相手国の不公正な取引上慣行に対して当該国と協議する事を義務づけ、問題が解決しない場合の制裁について定めた条項)強化版である。
 不公正な貿易慣行や輸入障壁がある、もしくはあると疑われる国を特定して「優先交渉国」として、USTR(アメリカ通商代表部)に交渉させ、その改善を要求し、3年以内に改善されない場合は報復として、関税引き上げを実施するという条項で、非常に強い力を持った条項である。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


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