日本の経済に、多大な影響を与えたのは、銀行の自己資本率である。バブル全盛時代、日本の銀行は、手持ちの有価証券や不動産の豊富な含み資産によって海外での活発な投資を行っても自己資本率の維持ができた。しかし、バブル崩壊後、日本の銀行は、逆に含み損によって国際的業務に支障をきたすことになる。そのことが国内の銀行活動に跳ね返り、貸し渋りや融資の回収という行為に走らせ、結果、不良債権を増大させ、景気の足を引っ張ることとなる。

 この銀行の自己資本比率規制は、BIS規制、即ち、BIS国際決済銀行によって定められた規制である。BIS規制が、日本の景気に直接的、間接的にどの様な影響を与えてたかはわかっていない。ただ、何等かの影響を与えたことは事実である。

 では、銀行の自己資本率に対する規制とは、どの様なものなのか。どの様な機関が、どの様な目的、どの様な力、どの様な権利を持って規制しているのであろうか。

 国際決済銀行は、元々は、ドイツの第一次世界大戦後の賠償金支払問題を解決するために1930年5月にスイスのバーゼルで営業を開始した。(「国際金融史」上川孝夫・矢後和彦編 有斐閣)

 国際決済銀行は、中央銀行の中の中央銀行のような役割をしている。しかし、世界銀行のように国際連合の下部組織ではなく、独立した機関である。

 国際決済銀行は、最初から明確なる構想や意志によって作られたわけではない。むしろ、その附帯的な機能が発展し、主要的な機能に転化することによって成立したと考えるのが妥当である。

 それは、共産主義国で、書記長が絶大な権力を形成したのと類似している。書記という、事務的、実務的権能を掌握することで、実質的な権力を形成した。この様に、何等かの附帯的機能が、核となって中心的役割を発揮することは往々にしてある。

 日本は、実務的、実体的な基準を甘く見すぎている。今回の問題は、BIS規制に問題があるというよりも、日本の国際金融システム、国際決済実務に疎かったことが主因なのである。BIS規制がもつ実質的な働きを見抜けなかった政策当局の責任が大きいのであって、BIS規制そのものをとやかく言うのは、筋違いであり、自己資本の中に含み益を加算すれば必然的に含み損が派生した時に首を絞めることは、予測がついたのである。
 日本人は、国際機関の持つ役割、機能を理解していない。理解していないところで、国際連合を重視すると発言したり、常任理事国入りを画策しても無意味である。国際連合の理事は、成り上がり者の名誉職ではない。それだけの役職に就けば、それなりの責任と信念が要求される。例え、アメリカやロシア、中国のような大国に対しても独自の立場で発言することが要求されるのである。

 また、経済に重要な影響を与える機関としては、国際会計基準審議会(IASB)がある。現在、主要国の会計基準を統一しようと言う動きがあり、その中核となって働いているのが国際会計基準審査会である。国際会計基準(International Accounting Standards, IAS)は、IASBの前身である国際会計基準委員会(IASC)によって設定された会計基準である。会計基準は、いわば、会計の法のようなものである。会計基準は、実質的に市場の経済活動を規制する。故に、その効力には絶大なものがある。その会計基準は、これまで世界的に統一された基準がなく。各国が独自の会計基準を用いてきた。
 特に、日本は、アメリカや国際会計基準から相違が大きい特殊な会計基準に則っているとされ、欧州連合(EU)の証券規制委員会(CESR)からEU市場に上場する日本企業に対し、2007年から追加的な決算情報の開示を義務付けるよう求められた。
 会計制度は、英米、即ち、コモン・ロー、判例法に則る国と大陸法、制定法に則る国とでは、根本的な思想に違いがある。その違いは、税制や商法などの基礎にの違いにもつながる。また、会計基準の主体を国に置くか、民間に置くかの制度上の違いにも成る。故に、それらを乗り越えて一致を見るのは、極めて困難である。しかも、日本は、制度的な拘束が強い。しかし、だからといって日本の孤立主義は、鎖国に近い状態を作り出してしまう。世界で孤立したら、自給率の低い島国の日本は、一日たりとも生存できないのである。日本は、自国の権益を守る意味でも、積極的に国際会計制度の確立に尽力すべきなのである。

 また、世界経済を考えるに当たって世界貿易機関のWTOの存在を無視することはできない。
 貿易摩擦が起こるたびにWTOの名前が人々の口に上る。WTOは、自由貿易の砦である。アンチダンピング訴訟が当事者国間で飛び交う。しかし、結局、最終的決着は、当事者国間の協議に委ねられる。いわば、WTOは、和解を仲介している機関に過ぎない。問題は、WTOの勧告を当事者国がどう受け止めるかの問題である。

 そのほかに、国際金融機関には、世界銀行(せかいぎんこう、WB;World Bank)がある。世界銀行の前身は、国際復興開発銀行(the International Bank for Reconstruction and Development; IBRD) である。暗黙の了解として、国際通貨基金(IMF)の専務理事(managing director)は欧州出身者が選出され、また世界銀行歴代総裁(president)はすべて米国出身者である。副総裁には日本人も選ばれたことがある。

 世界銀行の沿革は、1944年7月、ブレトン・ウッズ会議において国際通貨基金とともに国際復興開発銀行の設立が決定され、国際復興開発銀行は1946年6月から業務を開始した。設立当初、国際通貨基金は国際収支の危機に際しての短期資金供給、世界銀行は第二次世界大戦後の先進国の復興と発展途上国の開発を目的として、主に社会インフラ建設など開発プロジェクトごとに長期資金の供給を行う機関とされ、両者は相互に補完しあうよう設立された。
 やがて、第二次世界大戦後の先進国復興が完了し復興資金需要がなくなるのに伴い、世界銀行は開発資金援助に特化した。また、国際通貨基金も1970年代以降為替変動相場制を採用する国が増加したのに伴い加盟国の国際収支から国内金融秩序安定へその監視助言業務の比重を次第に移した。1980年代以降、開発途上国で債務問題がしばしば発生し、また旧社会主義諸国が次々と市場経済制度に移行するに至り、開発途上国の金融制度に関する分野ではその業務に一部重複も見られるようになった。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 アジア通貨危機において世界銀行の採った施策が強引すぎる、内政干渉だという批判もあった。それほど強力な力を世界銀行は有しているのである。

 国際機関で最大の機関は、いわずとしれた国際連合である。
 国際連合は、国際連盟の反省をふまえて第二次世界大戦時の戦勝国である連合国(United Nations)が中心となる。1945年10月24日に、アメリカ合衆国のカリフォルニア州サンフランシスコで発足した。最初の加盟国は51ヶ国であった。2006年6月末現在、国際連合の加盟国数は192ヶ国。最近の加盟国は、モンテネグロ(2006年6月28日加盟)である。国際連合の本部は、アメリカ合衆国のニューヨーク州ニューヨーク市にある。現在の国際連合事務総長は2007年1月より大韓民国出身の潘基文が務めている。
 国際連合は、6つの主要機関と主要機関の内部組織である補助機関から成る。また、国際連合と連携関係を持ち、独立した専門機関もある。専門機関は、政府間の協定によって設けられる各種の機関であって主要機関とは非従属の関係にある。国際連合の主要機関とは、国際連合の中心をなす国際連合総会。国際連合安全保障理事会、国際連合経済社会理事会、国際連合事務局、国際連合信託統治理事会、国際司法裁判所の6つの機関である。
 国際連合の総会の評決には、重要問題については3分の2、一般問題については過半数で決する多数決制を取り入れた。ただし、総会の決議は、加盟国または安全保障理事会に対する勧告までの効力を有するのみで、強制力・拘束力をもたない。これは、全会一致制で半ば機能不全に陥っていた国際連盟の反省を踏まえつつ、国際連合からの過度の干渉を嫌う各国の思惑にも配慮した結果である。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
 世界銀行は、この国際連合の専門機関の一つである。

 国際連合は、今や、国連軍も保有し、世界政府の一歩手前まで来ている。しかし、国際連合が力をつければつけるほど、大国の思惑とのズレや溝が顕著となってきたのである。国際連盟が、枢軸国の野望の前に無力であったように、国際連合も世界情勢の中で揺れ動いている。国際連合がその本来の機能を発揮するためには、国際社会に対し明確なビジョン、構想を持った国が、弱小国の意見を代表しつつ大国間の調整役を果たすことが必要とされるのである。それは、国際貿易と平和によって今日の繁栄を支えられている日本が果たさなければならない責務である。

 北朝鮮が、国際社会の反対を押し切った形で、核兵器の開発を強行した。それを受けて、北朝鮮、日本、アメリカ、韓国、中国、ロシアの六カ国が集まって、核兵器の開発の禁止を話し合った。その結果、経済制裁を解除することを条件にして国際原子力機関(IAEA)の査察を北朝鮮は、受け容れることとした。この様な原子力に絡んだ揉め事があると前面に出てくるのが国際原子力機関である。

 これまでも原子力が絡んだ国際紛争が起こるたびに、国際原子力機関は、活躍してきた。しかし、イラク戦争の際にも国際原子力機関の働きが戦争の抑止として働いたかと言えば、必ずしも、そうだとは言い切れない。むしろ、大国の思惑を代弁したに過ぎないと思われても仕方がないような行動も見られたのである。国際原子力機関が国際原子力機関として本来の機能を発揮するためには、明確な理念の下、独立された地位を保障される必要があるのである。

 国際機関や協定には、必ずしも拘束力はない。あるのは、国際信義という暗黙の規範に過ぎない。それも、何等かの報復処置や制裁を加盟国が自主的にするというぐらいの拘束力しかない。いわば紳士協定である。

 近年、国際機関の影響力は、非常に高まっている。国際決済銀行が決めた自己資本比率を遵守するために、経済政策も影響を受けた。
 しかし、忘れとはならないのは、国際機関というのは、基本的に調停機関だと言う事である。世界権力や世界政府のような存在がない以上、違反した国に強権を発動することはできない。
 所詮は、当事国間の力関係で決まる。そして、根本は、各国の国益、権益が優先されるのである。大義、正義は、その為の道具に過ぎない。しかし、自由貿易を信奉せざる日本は、それでは立ち行かなくなる。

 京都議定書をアメリカは批准していない。COの最大の排出国であるアメリカが、議定書を批准しなければ、京都議定書は有名無実である。温暖化の問題の目処も立たない。議長国である日本の力量も問われているのである。しかし、アメリカが京都議定書を批准しなかったからと言ってアメリカに強権を発することはできない。
 また、第二次世界大戦前、国際連盟を大統領が提唱しながら、アメリカは、議会の反対にあって国際連盟に加盟しなかったのである。それは、第二次世界大戦の遠因になったとも言われている。結局、世界が、戦争の際にたたされた時、国際連盟は無力だったのである。
 この様に多くの国際機関は、ひ弱な花にたとえられる。脆弱な基盤しか持たない。また、大国の思惑や争いに翻弄されてきた。しかし、だからといって国際機関は無力だとは言い切れない。また、無力にしてはならない。国際機関が無力だとしたら、それは国際機関を無力たらしめている国々の問題である。国際機関が真に、人類世界のためにその効力発揮し得たらその時、人類は、新たな時代へと突入するのである。

 大国の横暴に抗してこそ日本の立つ瀬がある。ただ、大国に逆らえていっているのではない。日本は、日本として自らの依って立つ場を自覚すべきなのである。日本は、多くの弱小国に支えられているのである。大国の思惑に振り回されていたら、自国の独立を保つこともおぼつかない。結局大国の言いなりになるか、属国となるしかない。歴史は、その様に大国の言いなりになり、属国となった国々の末路を如実に語っている。

 日本は、国際社会の中で孤立してはやっていけないのである。日本の経済力が国際社会の中で無視し得ないほどの力をつけた以上、その力相応の役割を果たすことが要求されている。確かに、国際機関は、調停機関に過ぎない。拘束力や強権の発動にも限界がある。だとしても、また、だからこそ、当事者国の見識や力が問われるのである。自国の利害、権益のみ成らず、高所、大局に立って利害の調整を測ることが、引いては日本の国益になるのである。

参照
 世界貿易機関(せかいぼうえききかん、World Trade Organization、略称WTO)は、自由貿易促進を主たる目的として作られた国際機関。GATT(ガット)ウルグアイ・ラウンドにおける合意に基づき、マラケシュ宣言により1995年1月1日にGATTを発展解消させて成立した。
 WTOはGATTを継承したものであるが、GATTが協定(Agreement)に留まったのに対し、WTOは機関(Organization)であるのが根本的な違いである。
 (1) 自由(関税の低減、数量制限の原則禁止)、(2)無差別(最恵国待遇、内国民待遇)、(3) 多角的通商体制、を基本原則としている。物品貿易だけでなく金融、情報通信、知的財産権やサービス貿易も含めた包括的な国際通商ルールを協議する場となっている。現在行われている新多角的貿易交渉(新ラウンド)は、2001年11月にカタールのドーハで行われた第4回WTO閣僚会議で開始を決定し、ドーハ・ラウンドと呼ばれている。2002年2月1日の貿易交渉委員会で新ラウンドがスタートした。
 対抗処置の発動では、紛争処理機関(パネル)の提訴に対し全加盟国が反対しなければ採択されるという逆コンセンサス方式を採用した強力な紛争処理能力を持つ。これは国際組織としては稀な例であり、コンセンサス方式を採っていたGATTとの大きな違いで、WTOの特徴の一つといえる。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


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