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 国際法は、法と言っても、我々が一般通念で考えている法とは、異質である。なにが異質かというと、一般通念上、考えられる法は、何等かの強制力を持っている。しかし、国際法は、強制権を持ちようにも強制力を発動できる実体がない。法と言っても強制権を持たず、それに服するか否かは、個々の主体の自発性に委ねるしかないのである。

 ただ、それでも、かなりの拘束力を持つものがある。それは、実務的な裏付けを持つ基準や規格の様なものである。中でも、会計基準は、商取引の文法にも匹敵する基準であるから、かなりの実効力を持つことになる。現在は、会計基準は、ローカルルールに従っているが、国際基準に統合しようと言う動きが活発化している。

 国際法には、成文化された条約と不文律とがある。条約は、二国間、又は、当事者国間で直接的に結ばれる条約と複数の国によって結ばれる条約とがある。いずれも批准されないと効力を発揮しない。

 条約は、主権国家の主体的意志によって定まる。つまり、条約を批准した国の規律が保たれる時にのみ有効である。違反してもそれを取り締まることの国際機関は、存在しない。現在世界で最も強力で大きな国際機関は、国際連合である。この国際連合ですら、加盟国に強権を発動できる力はない。加盟国の中の強国の力を借りるしかないのである。そうなると、結局、大国の思惑に振り回されることになる。

 国際法を遵守させられるような世界権力は、いまだに、存在しない。

 国際法には、強制力はない。しかし、国際的に同じ様な働きをする規範に、基準や規格、スポーツのルールがある。しかも、基準や規格には、実効力がある。それ故に、基準や規格は、無視しえない力を秘めている。

 基準や規格は、スポーツのルールと同様な働きがある。スポーツのルールには、国際規格がある。

 国際規格は、民間の非営利団体である国際標準化機構(International Organization for Standardization、ISO )が、スイスのジュネーブにあり、電気分野を除く工業の国際規格の標準化を促進している。電気分野の国際規格は、国際電気標準会議 (IEC)によって推進されている。
 国際標準化機構によって認定された国際規格は、ISOと呼ばれる。また、ISO以外に、一般仕様書(PAS)、技術仕様書(TS)、技術報告書(TR)、などがある。

 国際規格は、規格を支配することによってその後の産業全体の在り方や市場を左右することが可能となる。事実上の独占状態を作り出すことも可能である。現に、マイクロソフトは、パーソナルコンピューターのOS(オペレーション システム)を支配することでパーソナルコンピューター分野で圧倒的な地位を確立した。この様な、国際規格を巡っては、IT分野、情報通信分野で、熾烈な戦いが日夜繰り広げられている。特に、携帯電話市場においては、GSMがデファクトスタンダードとなりつつあり、これに乗り遅れた日本が窮地に置かれている。携帯の国際規格は、国際電話の世界標準となり、世界のネットワークにアクセスすることが可能となるため、単に、携帯電話の問題だけに限定できない重大な規格である。対応を誤ると日本は、世界の情報産業から取り残されてしまう危険性もある。

 また、特許や意匠登録、著作権と言った知的財産の取り扱いもこれから重大な課題となる。特許や意匠登録、著作権というのも一種の国際規格である。しかし、知的財産に対する認識には温度差がある。中国や東南アジアの国の中には、甘く考えている国も見受けられる。しかし、この問題は、国際社会における試金石でもある。長い目で見た時、知的財産の保護を軽々しく扱っていると必ずしっぺ返しを受けることになる。

 規格にも、公認された規格と慣習的に定まった規格とがある。慣習的に決まる規格というのは、市場が選択した規格である。
 国際規格では、市場が決めたデファクトスタンダードと何等かの機関が認定するデジューレスタンダードがある。デファクトスタンダードは、市場が直接選択したスタンダードであるため、実効力が強い。その為に、各企業、産業は、デファクトスタンダードをリードすることを目的として開発競争をしているのである。

 デファクトスタンダード (de facto standard) は、「事実上の標準」を指す用語である。de factoはラテン語で「作られたるが故の」を意味する。ディファクトスタンダードと表記することもある。
 ISOやJISなどの標準化機関等が定めた規格ではなく、市場における競争の結果として標準化した基準を指す。デファクトスタンダードに対して、国際標準化機関等により定められた標準をデジューレスタンダード、デジュールスタンダード、デジュアスタンダード (de jure standard) と呼ぶ。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 基準や規格が効力を発揮するのは、経済的分野においてである。しかも、規格は、即物的な効力を持つ。それだけに圧倒的な力を発揮するのである。つまり、国際市場を実質的に支配することも可能なのである。

 兵器のシステムの規格は、特に、重要である。兵器の規格を支配されれば、兵器の供給、補給、メンテナンスも支配される。それは、供給国の兵器システムに組み込まれることを意味する。それは事実上の軍事同盟にもなる。

 制度は、一種のタガである。確かに、強権的な拘束力はないかもしれないが、全体に一つの基準や規格によってタガや枠を填めることで、経済を間接的に統制する事は、可能なのである。その典型が国際会計基準であり、国際規格である。

 ルールを変えればスポーツが変わってしまう。審判や選手に直接圧力を加えるのは、あからさまだが、ルールを変えられてもなかなか気がつかない。しかし、自国の選手に有利なルールに変えたとしても勝負は勝負である。観客は、結果にしか目を向けない傾向がある。ルールの変更は、圧倒的な影響力を与えるが、表立たないが故に、公正を旨とするスポーツ界では、ルールの変更は、有効な手段である。国際試合において結局、自国の選手に有利なルールを作るのは、究極的な戦略となる。その為には、上部組織を支配するに限る。この事は、国際法や国際規格、国際基準にも当て嵌まることである。

 かつて、アメリカは、国際会計基準に対して消極的であった。現在は、国際会計基準に対し、指導的役割を果たそうとしている。それは、国際会計基準の持つ重要性が十分認識されたからである。片や、日本はどうかといえば、自国の会計基準に固執して国際的に孤立化しようとしている。日本は、ルールの重要性を甘く見ている。ルールを変えられてもそれに適合すればいいと考えている節がある。
 しかし、実際には、ルールが変わる事は、まったく別の次元、別の世界へ移行することを意味することすらあるのである。
 国際会計基準にしても判例法を旨とする国と、成文法を旨とする国では根本思想が違うのである。
 しかも日本は、確定決算主義という極めて硬直的、制度的な仕組みの上に、会計制度と税制度の整合性をとろうとしている。これは極めて特異なケースだと言う事を忘れてはならない。この様な特異な制度は、国際標準に適合させようとした時、重大な障害を生み出すことになりかねないことを大いに自覚しておく必要がある。

 それは、銀行の自己資本比率規制・BIS規制において日本が国際業務に支障をきたしかねないところまで追いやられたことで立証済みなのである。
 他人の言うなりになって窮地に立たされるくらいならば、自らの意志で、また、自らの信念に基づいて世界をリードすべきなのである。

 日本は、自国の利益だけでなく、より高所・大局に立って国際法や国際規格、国際基準の確立に尽力すべきなのである。
 

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