世界的には、人口爆発、人口を抑制しなければならないと言いながら、我が国では、少子高齢化が問題となっている。なぜ、両極端の問題が噴出しているのであろうか。
 人口爆発も問題であるが、少子化も問題なのである。人口問題は、深刻な問題なのである。

 人口は、国力の差にも現れる。
 人口は、集積度の問題であり、密度の問題であり、分布の問題であり、比率の問題であり、構成の問題であり、民度の問題でもある。人口は、労働市場の根源なのである。

 密度には、質(年齢、能力、経験、知識、技術)と量があり。能力には、基礎手は能力、特殊、専門的能力の別がある。分布とは、地理的、空間的な事である。
 人口問題では比率も重要である。年齢比率や、産業の人口比率といった比率は、その社会の根本的構成、構造を表す。また、その比率の背後に隠された社会の問題点が、見え隠れすることもある。そして、比率は構成の問題にも繋がる。人口構成は、社会の基盤であり、将来を占(うらな)う大事な資料でもある。
 戦後、日本では、第一次産業から第二次産業、第三次産業へと人口の構成比の比重が移動してきた。この移動は、社会変動の結果なのか、原因なのか。そのいずれでもあるのだろう。どちらにしても、人口の構成比率の変化は、社会のみならず、経済の構造に重大な変化を呼び起こす。また、人口構成の変化がなければ、社会変革は成り立たない。
 また、社会、国家に対する意識の度合いによっても人口の力は違ってくる。少数精鋭主義か、人海戦術かと言ったことに象徴される。

 また、人口の問題は、資源の問題であり、食糧の問題であり、貧困の問題であり、環境問題であり、教育問題であり、人種問題であり、民族問題であり、宗教の問題であり、人道の問題であり、体制の問題でもある。

 人口の問題は、消費の問題でもある。
 高度工業社会、資本主義社会は、大量生産・大量消費社会である。この様な大量生産、大量消費社会では、人口が、集中、密集している方が、経済的効率が良い。さらに、交通機関の発達は、人口の集中を可能とした。それが、空間的な分業、例えば、住宅地や商店街、工業地帯という地域的分業を生み出したのである。そして、それは、所得の格差によって高級住宅街や貧民街と言った階級的住み分け現象も生みだした。

 いずれにしても、それは、人口の集積度、密度の問題である。
 だから、工業化社会や資本主義社会での人口問題の主要な部分は、都市化の問題であり、一極集中の問題である。
 確かに、都市や、一極集中は、経済的効率が高いかもしれない。しかし、同時に多くの事柄を犠牲にしている。例えは、環境問題であり、過疎化問題であり、公害問題、交通問題であり、教育問題であり、貧困問題であり、医療、衛生問題であり、土地、住宅問題であり、地域間格差の問題であり、国防問題、治安問題であり、防災問題であり、資源問題、コミュニティの問題である。そのほとんどが人々の暮らし、生活に密着し、生き方の問題にも繋がっている。
 これらの問題は、人間らしい生活とか、生きる目的と言った文化的問題なのである。
 一方において、住宅難がありながら、他方に、過疎化の問題がある。荒廃し、荒れるにまかせている土地があれば、天井知らずに高騰をする土地がある。この様なアンバランス、偏りを一極集中は生み出すのである。これは分布の問題でもある。

 国土を有効に活用しようと思えば、均衡のとれた発達を促す必要がある。東京に全ての機能が集中することは、国防的に見ても、防災的に見ても、また、環境上からも弊害が大きすぎる。

 人口問題は、移民、難民問題の基底を為す。移民を受け容れるべきかどうか。また、日本は、これまで政治亡命しか認めてこなかったが、世界に紛争が拡大した今日、難民問題は、人道上からも避けて通れない。しかし、移民、難民は、国内の労働者や従来の住民の既得権を侵すことにもなりかねない。また、国内の労働者と競合することによって労働条件の悪化を促すことにもなる。
 
 人口の減少は、深刻な労働力不足をもたらし海外からの労働力の受け容れをせざるをえなくなる可能性をも含んでいる。欧米各国では、移民問題は、深刻な社会対立を引き起こしている。それが民族主義や国家主義、全体主義の台頭を促してもいる。
 海外から労働者を受け容れた場合、労働条件の格差の是正が将来の問題となる。また、新たな差別問題をも引き起こしかねない。
 自分達が必要としている時は、歓迎していながら、逆に必要としなくなったら邪魔物扱いしたのでは、後々の紛争の火種となる。海外からの労働者を受け容れる場合は、国内法も含め、それなりの準備と覚悟が必要なのである。

 先ず根本的な問題は、必要な労働力は、自分達で確保することである。肉体的にきつい仕事や汚れ仕事、危険な仕事だからと言って海外からの労働力を頼れば、それ自体が差別を生み出す素となるのである。

 付加価値の高い労働や、管理的な仕事、事務的な仕事を単純な仕事、肉体労働よりも高く評価する風潮があるが、それは偏見である。人間には、向き、不向きがある。また、労働には貴賤はない。あるのは、必要性の問題と、有用性の問題である。社会にとって必要な仕事は、価値のある仕事なのである。残されたのは、労働市場の需要と供給の問題である。一見華やかな仕事だとしても需要がなければ待遇は改善されない。要は、その仕事を国民が必要としているか否かの問題であり、それは労働市場の問題なのである。

 海外から、労働力を導入する際は、国内の労働市場の状況をよく見極める必要があるのである。

 人口の問題とは、人間の問題である。マンパワーの問題である。それは、国民一人一人の人生観、哲学に根ざしている。人材の問題であり、生き様の問題である。だからこそ、国家構想や人間に対する深い洞察が必要とされるのである。



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