政治と経済は、切っても切れない関係にある。しかし、改まって政治と経済、更に言えば、政治が経済に対してどの様な影響を与えるのか。どの様に関わっていくいるのかを聞かれた時、こたえられる人間がどれ程いるのだろうか。政治と経済というのは、密接な関係があると言われながら、実際には、その関係は、なかなか見えてこない。それ故に、経済政策というのは、難しいのである。

 日本は、自民党による長期独裁政権である。それ故に、自民党の政策や思想が日本の経済政策の根本になっている。自民党という政党の性格は、第一には、自由民主党という名が示すよう、自由主義である。第二は、当然、民主主義である。第三に、保守党である。
 この三つの性格は、日本の戦後の経済に色濃く影響を及ぼしている。自由主義というのは、政治的に自由主義という意味だけでなく、自由経済、自由貿易、資本主義経済を経済の根本としているという事である。また、民主主義というのは、議会制民主主義を意味し、議会中心主義を意味している。保守党というのは、地域の所謂(いわゆる)既存勢力、旧体制を基盤としている。特に、農村部に基盤を置いていることを意味する。
 この性格上、既得権益の擁護や既成権力の維持が政党の目的となる。しかし、自由主義というのは、本来は、社会主義や平等主義に対置される思想であり、小さな政府を志向するのが、世界的な傾向であるが、自民党の場合、その基盤としているのが、既成勢力、既得権益、旧体制であるために、いきおい大きい政府という、社会主義的また、福祉国家的性格を併せ持つようになる。それが日本の財政を歪んだものにしてしまっている。

 経済的に見ると一党独裁体制と言うより、政権が安定しているというのは、政策の一貫性が保たれるという長所がある反面、権力の腐敗を招きやすいと言う短所を持つ。現に、一党独裁体制によって高度成長が維持されたという事は言えるが、同時に、ロッキード事件、リクルート事件と政治利権に絡んだ犯罪は、絶えたことがない。

 収賄や贈与と言った大多数の、政治的不正や犯罪は、経済的理由から原因である。経済は、政治的腐敗を最も嫌う。なぜならば、利権が絡めば、公正な経済政策が損なわれ、結局、特定の人間の権益に偏った経済政策がとられがちだからである。
 反面、機械的な政策も経済から本来の目的を失わせてしまう。

 政治は、経済に目的を与えるものである。
 政治も経済も恣意的なものであり、主観的なものである。何よりも為政者の意志や理念、理想がものをいう世界である。経済に魂を吹き込むのは、政治的理念、政治家の理想である。国家構想である。
 かつて日本は、分不相応の軍事力を持ち、その軍事力故に、国を滅ぼした。しかも、その軍事には、常に、利権が絡んでいたのである。現在でもアメリカでは、産軍複合体の問題が燻(くすぶ)っている。戦争や軍隊は、産業にとって金のなる樹なのである。また、いろいろな技術革新も軍事、戦争が引き起こしているのも紛れもない事実である。
 しかし、軍事が経済に影響を与えるのは一時的なものであり、再投資も限られた範囲でしかも絶対的基準で行われるために、経済に与える影響は限定的なものに限られる。
 政治が経済に与える決定的なものは、やはり、社会資本に与える投資効果である。

 一時規制緩和が大流行した。何でもかんでも規制を緩和し、市場競争に委ねれば何でもうまくいくと、闇雲に規制を撤廃しようとした。今日、その弊害が明らかになり、さすがに無原則に規制を緩和しろと言う意見は聞かれなくなった。このような市場原理主義にかぎらず、経済政策の為政者達の多くは、何等かの政策を一律に施行しようとする傾向がある。しかし、経済は、生き物であり、全ての場や産業が一律に一定しているわけではない。絶え間なく変化しているのである。

 イギリスでは、1986年の金融ビックバン「証券市場の大改革」が有名だが、同じ年に「金融サービス法」「社会保障法」「ビルディングソサエティ法」の三つの金融関連法案の制定、改正があり、その結果、銀行の寡占化が進んだ。1990年に210行あった銀行が2005年には、78行まで減った。(「金融ビジネス論」富樫直紀著 日本評論社)

 また、アメリカでも1994年の州際業務規制の撤廃によって大手銀行の合併、買収による再編成が進んだ。(「金融ビジネス論」富樫直紀著 日本評論社)

 この様に法令の変更は、産業や経済の根幹、構造を変化するほどの変動を引きおこすことがある。

 重要な産業の基盤や基礎構造の変動を引き起こす可能性がある法令の変更は、用心深くしなければならない。新会社法のように、法令が変更されることでどの様な変化が起こるかをあらかじめ予測しておく必要がある。

 また、産業政策を考える時、産業や国家のもつ状況、発展段階を無視することはできない。
 国内における産業の発展段階は、一律ではない。また、個々の企業に独自の発展段階がある。国家にも発展段階がある。
 この様な発展段階に応じた政策が必要なのであり、一律に、経済政策、産業政策を規制することはできない。

 今日、これらの問題に、環境や資源問題が加わってきた。環境問題や資源問題は、経済的合理性だけでは、判断がつかない問題である。このように、経済的合理性だけでは片づかない問題に関して一定の結論を出すのが、政治の役割である。

 時と場合によっては、不況カルテルのような政策をとる選択肢を妨げてはいけないのである。政策は、その政策をとる目的と前提、状況認識、環境が重要なのであり、普遍的、絶対的政策というのはないのである。

 資本主義を成り立たせているのは、収益と資本である。この収益や資本に与える政策は、経済に直接的に影響を与える。そして、この収益や資本に重大な影響を与えるのが、社会資本であり、また、金融市場、資本市場である。
 経済政策は、この社会資本や金融市場、資本市場に対して行われる。社会資本に対しては、公共投資を通じて、金融市場に対しては、金利によって、資本市場に対しては、国債や財政投融資によって為される。

 これらの経済政策で一番重要なのはタイミングと内容である。公共投資も直接消費されてしまうと乗数効果は現れない。公共投資は、直接と消費されずに再投資に廻されると乗数効果を現す。一時、公共投資をすれば、それが直ちに乗数効果に現れるという思い込みがあったが、必ずしも、乗数効果として現れるわけではない。公共投資で重要なのは、質と量、双方である。公共投資は、百年の計をもって為されるべき性格のものである。どんな国を造るのか、それが重要なのである。乗数効果や景気対策は二義的、副次的効果であり、それを一義として捉えるべきではない。

 金利は、貨幣価値に時間的な価値を与える。故に、金利政策というのは、貨幣価値の時間的価値の調整を意味する。

 産業に与える影響として忘れてならないのは、教育や技術革新である。
 電子計算機の発達は、弾道計算に端を発し、戦闘機や爆撃の開発が好機の技術に多大な寄与をし、宇宙開発にミサイル技術が基礎を構築した例を見ても解るように、軍事は、産業に多大な影響を与えた。
 なぜ、軍事によって多くの技術が開発されたのか、それは、国防に関する予算は比較的国民の承認をとりやすかったからである。これまで、多くの国民は、夢のような話に税金を使うことは許さなかった反面、国防に対する費用は、際限がなかったからである。しかし、これからは、戦争の技術を離れたところで、技術革新をおこす必要がある。その為に要求されるのが国家構想なのである。


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