我々が抱く商売というイメージは、この分配の場で培われる。つまり、商売の本道がこの場なのである。産業という言葉から製造の場が連想されるようにである。本来は、産業というのは、商売も製造も含んだものである。しかし、ある意味でこの商売、販売と言われる場と製造と言われる場は区分されている場合が多い。
 士農工商が良い例である。そして、商は、一番下に格付けされているのです。つまり、差別されてきたのである。それは、販売や将棋洋という仕事の実体がつかみきれなかった事に一因があるように思われる。商売というのは、何か得体の知れない事をして、口先八丁、でまかせを言って人を誑(たぶら)かす、騙(だま)しているのではないか。

 商売や販売という仕事は、何も目に見えるものを生み出していない。それなのに、いつの間にか、財をなしている。その思い、認識が背景としあるように思われる。目に見えるものや製品を生み出さない。作り出さない。つまり、非生産的な仕事だと商業は見なされていたのである。
 目に見えない何者かの力、それが、商売の謎を解き明かす鍵である。目に見えない力とは、差が生み出している。

 商業とは何か。商業というのは、時間的、空間的な距離によって生じる価格差を利用して利益を上げる行為である。地域間の間にある距離や時間の経過によって生じる交換価値の差から利益を得るのである。交換価値は、貨幣価値に換算される事によってより明確になる。ここで重要なのは、時間的、空間的な距離と価格、即ち、貨幣価値、そして、差である。時間的、空間的に距離とは市場を意味する。価格とは、貨幣を意味する。商業の前提は、市場経済と貨幣経済である。重要なことは、市場、あるいは、貨幣のいずれかが存在しないと商業は成り立たないのである。また、交換価値は、時間的、空間的距離によって価値に差が生じると言う事である。

 商売は、市場や貨幣と深い関わりがあり、その関係が、商業が成り立つ鍵を握っているのである。

 自らが何も生み出したり、作ったりしないのにどういうわけか金を儲けているというのが、古来、商売人に対する見方なのである。その最たる者が、金貸し、高利貸しである。
 では、何が商売に利をもたらしているのか。それは、空間的、時間的さである。では、何が、交換価値の差を生み出すのか。その秘密は、分配である。つまり、分配の過程で、財の分配に空間的、時間的な歪みや偏りが生じるのである。その歪みや偏りを是正するのが市場の機能である。

 つまり、商業の場は、分配の場なのである。

 商業の発達は、その前提として市場の拡大がある。

 分配の舞台は、市場、及び、組織体制である。
 組織体制というのは、評価賃金体系である。つまり、何等かの組織に属して賃金を受け取るか、市場で取引をして対価を受け取るかである。
 それに対し、市場の分配は、需要と供給によって調整されるのである。つまり、市場か、組織化の違いは、需給の問題か評価の問題かの違いである。
 市場が拡大するまでは、組織が分配を担っていた。つまり、分配は、共同体内部の問題だったのである。
 組織的分配において分配の対極にあるのは、労働である。分配は所得や収入として表すこともできる。それは、直接的な形での分配である。また、生産の現場では、この直接的な分配方式、組織的分配がされる。
 この組織的分配に、時間的、空間的限界が生じた処に市場が成立する。この市場の発達が商業を生み出し、育むのである。

 分配の対極に労働があるという事は、もっとも、分配を司る市場は、労働市場である。しかし、この労働市場は、全ての産業に共通してある市場で、産業として確立しているわけではない。もっとも、人材派遣業として最近では、サービス産業の一角を占めるようになりつつある。しかし、一般的には、労働市場というのは、労働力を必要とする全産業に共通してある市場である。
 ここでは、分配の場を構成する産業とは、労働市場以外の市場において分配を司る産業を指して言うこととする。

 標準日本産業分類の中では、J卸売り、小売業。L不動産業の一部に分類される産業である。
 この分野に属す、事業者は中小零細業者が多い。設備投資らしい設備投資を必要としないことも一因である。電話一本あれば今日からでも開業できる。そう言った業種が多く存在する。

 また、地場産業として昔から土地ら密着した商売をしてきた老舗も多く存在する。

 商業の中心は、小売卸売業である。卸、小売という構造は、流通の過程で生じる。
 時間差や空間的距離を利用して利益を上げると言う事から、情報がものをいう。その為に、最近では、インターネットによる市場の拡大が続いている。
 かつては、物量や倉庫も兼ねていた。つまり、物流センターとしての機能を果たしてきた。特に、卸売りの存在意義、メリットは、大量仕入れ、小口販売にあった。この物流、大量仕入れ機能が製造業直販、直送体制によって薄れてきている。その為に、中間業者の存在意義がなくなりつつある。その為に、多くの卸売業者は、情報センター、配送センターとしての機能を加味することで生き残りをかけている。

 流通産業は、最も一般で言う市場らしい場である。つまり、競争の原理が働いている市場といえる。最近は、大型店の進出によって商店がかなりダーメジをおっている。商店街もかなり寂れてきた。とはいっても、まだまだ、小売業は健在である。新たな装いをして再生してきている。

 市場の効率化ばかりを狙って、市場の持つ分配機能を打ち壊すのは、角を撓めて牛を殺すの類である。市場の本来の役割は、ただ単に低価格を実現する事ではない。財の分配にある。財の適正な分配を維持することが、肝心なである。その為には、市場の構造こそが重要なのである。生産性や効率性、収益性と言った基準だけでは、市場本来の機能を測ることはできない。収益力の向上は、企業の生産性を高めるかもしれないが、経済全体の効率を悪化させることにもなりかねない。所謂(いわゆる)合成の誤謬である。企業の倒産や合理化が引き起こす、失業や景気の悪化の方が深刻な弊害を引き起こす場合もあるのである。その点を忘れてはならない。

 製造とは、生産である。それに対し、商業というのは、交易である。この生産と交易の違いが工業と商業を区分している。製造業は、目に見えるものを生産する。それに対して、交易は、物を動かすことが主である。物を動かすだけで利益を上げる。それが交易である。
 この製造と交易は、会計の仕組みも違う。それは、製造と交易の根本的な考え方の差から生じるのである。

 大航海時代やルネッサンスは、産業革命の前史でもある。大航海時代によってなしとげられた海路の開拓は、交易の在り方を根本的に変えた。この交易を通じて、また、力づくで征服した南米の金や銀によって、欧米の市場経済、貨幣経済が整備されたのである。そして、市場経済や貨幣経済が発達するのに伴って会計制度が確立し、やがて、株式会社の基礎となる資本市場が成立したのである。
 この様に、産業革命に先だって商業革命があったのである。そして、商業革命によって力をつけた経済的に自立した市民階級、すなわち、ブルジョワジー、小市民が市民革命を準備するのである。

 商業というのは、資本主義、市民革命を育んだ揺りかごである。その影響は、ただ単に経済的な意義だけにとどまらない。市民の経済的な自立の裏付けとなったのである。それは、自営業者の政治的意義である。今その自営業者の自立が問われている。
 市場が大企業によって支配された時、市民的な自由は維持することができるであろうか。自由は、経済的裏付けがあってこそ力を持つのである。


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