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Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano

 飲み屋ばかりでは、経済は成り立たない。生産がないからである。経済は、消費だけでは成り立たないのである。

 産業革命は、製造革命でもある。それは、技術革新であると伴に製造手段の革命、組織革命でもある。そして、技術革命や組織革命が会計制度に結びついたところに、産業革命、そして、産業革命の延長線上にある資本主義体制の基盤がある。
 分割がその鍵を握っている。分割の技術、細分化である。一つは、費用の分割である。二つ目は、分業の深化である。そして、それらは、製造工程、部品、会計制度、労働にまで及んでいる。
 そして、この様な細分化が、差別化、格差がとなり、成長、発展の活力となったのである。

 この様な産業革命の経緯から見ても解るように、狭義で言う産業というのは、製造業を指して言う場合すらある。つまり、製造の場は、産業を代表する場、中核となる場とも言える。

 産業革命以降、製造の場は、常に、拡大発展してきた。その為に、経済は、拡大発展することが当たり前であり、成長を前提とした体制、構造をとるようになってきた。

 製造の場は、外形的(上場・未上場、法や規制、市場規模、製造工程、会計制度、資本、組織等)、製造手段(装置、設備、流れ作業)、労働の質(労働者の教育、熟練度、作業の標準化)によって性格付けられる。
 故に、製造業の場を構成する企業は、外形的要素、製造手段、労働の質などを基礎にして分類される。

 ここでは、製造の場を構成する企業とは、日本産業分類のなかで、大分類のE、建設業、F、製造業に分類される企業である。
 建設業は、中分類3分類で、小分類が、20分類、細分類が49分類あり、製造業は、中分類が24分類、小分類が150、細分類が、563分類ある。
 うち建設業の中分類の内訳は、06、総合工事業 07、職別工事業(設備工事業を除く) 08、設備工事業の3分類である。
 製造業の内訳は、中分類で、09、食料品製造業 (数字は分類番号)10、飲料・たばこ・飼料製造業 11、繊維工業(衣服,その他の繊維製品を除く)12、衣服・その他の繊維製品製造業 13、木材・木製品製造業(家具を除く)14、家具・装備品製造業 15、パルプ・紙・紙加工品製造業 16、印刷・同関連業 17、化学工業 18、石油製品・石炭製品製造業19、プラスチック製品製造業(別掲を除く)20、ゴム製品製造業 21、なめし革・同製品・毛皮製造業 22、窯業・土石製品製造業 23、鉄鋼業 24、非鉄金属製造業 25、金属製品製造業 26、一般機械器具製造業 27、電気機械器具製造業 28、情報通信機械器具製造業 29、電子部品・デバイス製造業 30、輸送用機械器具製造業31、精密機械器具製造業 32、その他の製造業である。

 製造業の場を構成する産業の分類には、第一に、原材料による分類。第二に、製造手段、工程による分類。第三に、製品による分類。第四に、形態による分類などがある。
 原材料には、有機的な物と無機的な物がある。有機的な物は、調達の場の有機的な素材に結びつき、無機的な物は、鉱工業的な部分と連結する。

 また、形態による分類には、第一に、家内工業による製品。第二に、工場による工業製品。家、建物、建築物など建設製品などに分類される。

 生産方式、少品種大量生産か、多品種少量生産かによっても産業や企業の形態は変わってくる。
 また、個々の企業の財務状況による分類も重要である。銀行の与信基準、融資基準が好例であり、現実の政策や方針を決めるために重要な基準となる。
 規模や段階による分類も必要である。規模には、市場規模や企業規模などがあり、義母の大小は、また、市場の影響の及ぼす範囲は、産業を規制する上で重要な要素となる。また、製品や産業には、それぞれ固有のライフサイクルがあり、そのサイクルによって市場や産業の状態が変化する。経済政策や規制は、市場や産業の状況変化に応じてなされるものであるから、これらの情報や分類は、政策を策定する上で、決定的な要素となる。
 この様に、産業の分類は、目的や用途によって変えていく必要がある。

 製造業というのは、幾つかの市場と企業が複雑に組み合わさって一つの産業を構成している。そして、それぞれの部分、部品を構成する市場や企業は、独自の性格と構造を持っている。それは、市場や企業の活動範囲や損益構造などに影響されている。
 製造業の特徴は、製造業独自の会計制度、原価計算制度があることである。そして、この原価制度によって製造業は、独自の基準によって分類されている。

 産業は、多くの部分から成るが、よく観察すると多くの共通項、共通部分を共有している。そして、それらを体系付けたのが原価計算制度である。

 資本主義において時間軸と費用構造が重要な役割を担っている。それが、損益構造に結びつき、価格構造に現れている。

 経済は、循環運動である。故に、過程が重要なのである。中でも、製造の場は、産業を構成する部分各々が一定の工程を持っている場合が多く。その部分がそれぞれ経済や産業に働きかけ、また、複数の産業に横断的な存在する場合があるために、、製造の場の持つ波及効果は大きい。

 また、産業の成立要件には、市場の範囲と製造拠点の問題がある。産業を構成する市場と企業との関わりの中でもっとも採算性の高い地点に生産拠点を移す傾向がある。それを決定する要素は、為替と労働市場である。
 労働市場は、必ずしも合理的に決定されるものではなく。その国や経済圏の発展過程や歴史的背景、また、価値観(宗教や文化等による)や物価、民度などが複雑に絡み合って形成される。しかし、一旦、投資された資金は、容易に回収されることはないから、必然的にその国の経済を左右することになる。この事を計算に入れなければ経済学など無意味である。
 労働条件の格差は、他国の産業の空洞化や衰退を招くこともあるのである。

 先進国の繊維産業の盛衰の例が顕著であるが、技術革新が成熟し、市場が飽和状態に陥れば、最後には、人件費の問題に至る。飽和状態の市場を活性化するのは、服飾産業が好例であるが、ブランドのような、何等かの付加価値を加えることによって差別化する必要がある。つまり、飽和状態の市場を活性化するのは、格差なのである。

 大量生産、大量消費社会では、品質や性能は関係なくなる。商品格差や差別化を否定してしまえば、品質や性能は、価値がなくなるからである。
 消費には、限界がある。故に、需要にも限界がある。また、製品が平準化すると貨幣価値も平準化する。つまり、品質に格差がなければ、価格は、下方硬直的になる。必然的に費用も硬直的とならざるを得ない。その為に、価値の総量は、減少する。それが市場の収縮を引き起こす。

 個々の企業が平準化し、作業が標準化され、製品格差がなくなると、個々の製品の価値が一律になり、識別ができなくなる。それは個としての商品価値の喪失を意味する。個々の企業や製品が個としての機能が喪失すると、産業の場のエントロピーが増大して、場に働く作用が平衡状態に陥り、市場の活動は不活性化する。市場の活力を維持するためには、常に、必要程度の競争原理を働かせ、個としての活力を働かせる必要がある。しかし、だからといって無原則に格差を拡げる事は危険である。あくまでも、市場を活性化する範囲内でのことであり、無原則に格差を拡げると格差そのものが固定化し、かえって市場の活力を奪うことになる。

 バブル時代にグルメブームがあった。高級料理屋が大流行した。これなど好例である。料理というのは、個人の嗜好が強く作用する。好みにうるさい。しかし、食材を見分ける力は、プロの職人にしかない。この職人の腕や技術を否定し、機械的に食材を処理したら、高級割烹のような職業は成立しない。また、高級品は、市場から姿を消すであろう。こうなると市場は、ただの配給場所になってしまう。こうなると需要の幅が狭くなり、需給を調整する必然性がなくなり、供給側の利益のみが優先される。供給の都合、即ち、生産力の都合だけが優先するために、必然的にサービスもなくなる。これは、何も共産主義国だけでなく、独占的、統制的市場においては、必然的帰結である。

 また、市場が収縮すると格差が縮まり、市場は硬直化する。高級割烹のような商売が最初に打撃を受ける。また、景気が悪化し、買い控えが生じると耐久消費財や贅沢品に先ず影響が現れる。

 景気を活性化するのは適度な格差である。つまり、温度差のような格差が、市場に価値をもたらし、市場を活性化するのである。この様な格差を倫理観によって否定するのは無意味である。問題は、社会的格差が広がり、それが階級化されることによって社会が固定化されてしまうことなが問題なのである。

 資本主義の問題点でもある。また、近代的生産手段を突き詰めたところにある共産主義の問題点でもある。社会主義国では、差別や格差を悪だとして、差別や格差をなくしてしまう体制をとった。その結果、市場から活力が奪われ、経済は冷却したのである。

 円高不況やオイルショックが示すように、為替の変動やエネルギー価格の変動は、一国の経済に重大な影響を及ぼす。それは、企業のコスト構造を変動させることによって経済の分配構造が揺らぐからである。

 費用を形態別に分類すると、原材料費、労務費、経費の三つに分類される。この三つに分類される経費は、それぞれ特性があり、独自の動きを形成する。この三つの要素で重要な要素は、いずれも、時間が重要な機能を及ぼしているという事である。つまり、近代経済は、時間の経済とも言えるのである。

 産業の場を構成するのは、人的な場、物的な場、貨幣的な場である。人的な場は、国家的な場、宗教的・文化的・社会的な場、労働市場、経済圏を指して言う。物的な場というのは、現場、規格の作る場等である。貨幣的な場は、通貨的場、会計的場である。これらの場は、それぞれ独自の圏を構成している。これらの圏は、必ずしも国境線と一致しているわけではない。
 現在市場は、国家的枠組みを超え、地球的規模で拡大している。環境問題も一国で解決することが困難である。その為に、現代の水争いが起きつつある。また、多国籍業は、国家間の物価水準、為替変動、税制の違いを逆手にとって利潤を上げようとしている。
 その為に、一国の経済を国境に区切られた場の中だけで整合性が保たれることが困難になってきた。それ故に、EUのように国境を横断的に結んだ経済圏を構成して産業の整合性を保とうとする動きも顕著になってきたのである。
 
 製造には、加工、組み立て、化学反応などがある。それに応じて、機械、設備、装置が必要となる。即ち、近代的工事用生産には、基本的に、工場、装置、設備、機械を利用するために、設備投資を前提とし、何等かの資本を必要としている。また、高額な設備投資は、同時に減価償却制度の確立に寄与してもいるのである。原価制度の確立は、多額の資金を必要とする産業の成立を可能とした。そして、その為に、製造業の発達が資本主義の発達を促したのである。
 一次加工、二次加工によって産業の形態も違ってくる。

 製造業は、工程さえ明らかならば、標準化がしやすい。作業が標準化されれば、分業化し、組織するのも容易である。つまり、作業を部品化して流れ作業を行えばいいのである。この様な作業の組織化、合理化は、産業革命の特徴でもある。そして、作業が部品化されることによって計測することが可能になったことは、原価計算制度を確立するための重大な契機となったのである。
 翻って言えば、産業や企業を分類する上で、原価計算上の分類は、有効である。

 売上にしろ、仕入れにせよ、合計値を決める要素は、単価、掛ける数量である。単価とは何か。単価とは、一単位製品に含まれる費用と利益を合計したものである。つまり、一単位製品あたりにおける価値の分配である。そして、価格単価の中には、固定費と変動費による原価構造が組み込まれている。
 単価に占める固定費の比率は、業界や企業形態によって違う。更に、装置産業のように初期投資が大きい産業は、固定費が単価に占める比率が、稼働率によって違ってくる。また、変動費の中に占める原材料費や仕入れコストは、外部環境(為替変動、戦争、災害、天候、作柄、原油価格等)の影響に曝されている。
 固定費を固定する費用で重要な科目は、労務費と減価償却である。この労務費と減価償却費の在り方によって期間損益は、大きく違ってくる。
 この様に、収益構造は、産業によって違う。また、それ故に、産業や市場に対する規制も一律にはできないのである。
 減価償却制度は、大量生産、大量販売、翻って言えば、大量消費を促す。それは、文化や価値観にまで多大な影響を与えた。節約や倹約、もったいないと言った発想は、この様な経済体制下では、悪徳となるのである。つまり、使い捨てこそ美徳なのである。
 また、減価償却制度の導入により、それまでの家内生産的な生産手段は、一部を除いて衰退してしまった。それに伴って、職人も成立しなくなってしまった。機械化と組織化、マニュアル化、標準化こそが製造業の姿なのである。そこには、終始一貫した生産という物は失われてしまった。そこに疎外の問題がある。
 歴史的に言えば、家内工業から工場生産へと移行してきたのである。しかし、減価償却制度がなければ、期間損益は成り立たなかったのであり、近代工業は成立する余地はなかった。これは、時間軸と費用とが連動した結果なのである。近代産業を考える上で、この時価と費用の関数は無視しえない要素である。

 近代産業は、スケールメリットを追い求めてきた。しかし、スケールメリットは絶対ではない。仕組みや組織は、巨大になればそれに比例して管理的負荷が増大する。共産主義国家が破綻したのも計画経済や統制経済にかかる管理的負荷によるところが大きい。産業は、適切な単位で分割されている方が効率が高い。その意味で、多国籍業の組織の肥大化は、危険な水準にまで至っていると思われる。

 消費に限界がある上、費用は、科目毎に独自の動きをする。それが企業や経済の不安定材料なのである。つまり、売上高には、一定の限界があるのに、コストは乱高下する。しかも時間差が生じる。例えばエネルギーコストは、原油価格や為替の変動の影響を受けるであろうし、国内で調達できるような農産物は、相場や天候の影響を受けるという具合にである。
 消費に限界があるというのは、需要に限界があることを意味する。つまり、市場の規模は有限であり、一定ではないという事である。また、常に拡大し続けているわけではない。ところが費用は、一定ではなく、科目によっては、オイルショックの時のように著しく高騰する物もある。しかも、費用の動きは、一律には捉えきれない複雑な動きをする。こうなると、利益を平準化することは困難である。それ故に、企業は、自己資本率を高め、景気の変動に備えようとする。この様な状況にありながら、国家や株主は、利益を悪だと見なし、内部留保を取り崩そうとする。これでは企業経営は安定せず。企業経営に依拠している市場経済も安定しない。産業保護を悪だと見なすのは、所謂(いわゆる)、賤商主義の現れ、清貧主義の現れである。

 市場の規模は、実物経済が決める。実物経済は、商品が市場に過剰に出回れば、過飽和状態になる。
 衣食住と言った必需品産業は、伝統的産業が多く。技術革新の余地も小さい。俗に言う、コモディティ産業であり、収益率も低い。しかし、多くが消耗品であり、一定の収益は見込める。また、不況には強い。これらの産業は、景気の下支えはしても、景気を引っ張っているわけではない。景気を上昇するのは、主として工業産業や新規産業であるが、利益率が高い反面、リスクも大きい。工業産業や新規産業は、設備投資の費用や研究開発費が大きいからである。

 エネルギー革命や情報革命のような新産業の拡大が経済を牽引してきた。しかし、この様な新市場が今後も常時、発生して来るという保証はどこにもない。

 かつては、会計制度や法、技術は、親子三代変わらなかった。だから、職人が成立したのである。今は、一年もたたない内に変わってしまう。激しい変動である。我々は、この激しい変動を常態として認識している。しかし、本当にこの変化は、常態なのであろうか。過渡的な状態であって、歴史的に見ると、変化のない状態の方が長かったのである。

 この様に、変化や変動は少ないが、景気の下支えをし、また、必需品産業とハイリスクハイリターンの産業とを一律の政策で規制するのは危険なことである。
 市場原理主義者は、市場の調整能力を無条件に信奉するきらいがあるが、実際は、技術革新も少なく、飽和的な市場で細々と事業をしている産業にこそ経済上で重要な機能を果たしている産業が隠されているのである。変動が激しく、急速に発展拡大している産業に経済が依存している限り、景気の安定は望めないのである。
 コモディティ産業こそ競争の原理を有効たらしめるために規制が必要なのである。

 資本市場は、実体的な裏付けがないために、投機的な動きを増長させる。通貨の流量を増幅する。そして、その投機的な部分が企業や産業の虚の部分を膨らませている。この部分は、資金調達を補完するという意味ではプラスの作用を及ぼすが、時として、度愚姉の価値観を形成して、実物経済を振り回す。即ち、流動性を過剰にしたり、貨幣価値を混乱させたりするのである。また、企業価値を必要以上に高めたり、落としたりして、企業経営に重大な悪影響を与えたりする。重要なのは、資本市場の規律である。

 調達された資金は、支出されることによって実体経済の運動の活力となる。つまり、地用達した資金によって機材や装置が購入され市場が形成される。市場が形成されることで産業が成立し、発展する。
 しかし、陰の部分である貨幣価値が投機の対象となり、それによって無駄な出費が嵩めば企業活動支障が生じる。つまり、非生産的な資金が必要となるのである。

 不動産や有価証券のような物件は、長期にわたって資金が寝る上に、負債がある場合が多い。その為に、一度価格の大幅な下落が始まると塩漬けにして値上がりを待つ傾向がある。その為に、市場に出回る物件が少なくなる。金余りでも、市況の下落を見越して買い手がつかず、さらに、市場に出回る物件がなくなるという現象が起こる。
 特に、バブル時のように投機的な動きによって高騰した土地は、実需を市場から閉め出してしまう。その為に下落が始まると実需による買いが入る価格まで下落してしまう。
 この様な市場の収縮は連鎖的に起こる。不動産市場や株価の下落による市場の収縮は、高級品、贅沢品に波及し、耐久消費財に連鎖する。この様にして失われた市場は、回復が難しい。なぜならば、実体的裏付けがないところで起こった現象だからである。
 また、不動産や有価証券は、資金調達の裏付けをしているために、資金の調達に支障をきたす。市場の縮小から来る売上の減少と担保価値や株価の下落による資金繰りの悪化という両面から設備投資が圧迫される。その為に、資金需要が悪くなり、金融機関の経営を圧迫する。それが、最悪の場合、金融市場の破綻を招くのである。

 経済がデフレーション状況に陥ると、消費が減退しても、費用、特に、固定費は、簡単には、削減できない。その為に、収益が構造的に悪化する。デフレーションは、ストックとフローでは、若干事情が違う。
 不動産や有価証券には、含み損があるという状況では、不動産や有価証券を売れば、損が確定してしまう。損を表に出したくなければ、塩漬け状態にして、値が戻るのを待つことになる。バブル崩壊時のように、不動産市場や資本市場が全面的に値崩れをおこした場合、含み損を抱えた物件は、不良債権として滞留し、市場に出回らなくなる。その為に、金は余っても物不足という現象が起こる。いわば貧血状態である。
 この様にして起こるストックデフレーションは、需給の問題ではない。需給という捉え方では、説明が付かない。それ故に、総需要を増やそうと市場環境や生産性を高めようと解決はつかない。これは、需給の問題である以前に、資金、即ち、貨幣的現象なのである。即ち、貨幣経済と実物経済の乖離が原因の根っ子にある。それは、ストックとフローのバランスの問題なのである。

 ライブドア事件で問題になったのは、結局、企業が、企業活動や企業自体とかけ離れたところで、売買されようとしたことである。その為に、粉飾のようなことまでされて不当に株価が操作された。それによって、資本市場や金融市場が混乱したことである。資本市場や金融市場の信用に関わる問題だけに重大なのである。故に、この様な、投機的に資本を弄(もてあそ)ぶような動きは、抑制する必要がある。

 一つの産業を構成する要素には、多くの部品産業もある。一つの産業を成立するためには、部品の種類だけサブ産業、補助産業が必要だと言っても過言ではない。この様に産業には、多面性があり、自動車という産業一つ見ても、単純に自動車会社だけを問題にすればいいと言うわけにはいかないのである。多くの産業や企業が合従連衡しながら、また、集合離散しながら、経済活動をしている。それを可能なら占めているのは、資本である。

 産業の形態は、基本的には、川上から川下に向かって拡大する傾向がある。また、企業の規模は小さくなり、それに比例して数は増加する傾向がある。しかし、自動車や電気製品のような組み立て工業は、規模の小さな部品工場から最終製品工場へと収束する構造の産業もある。
 日本の得意分野とされる産業の多くが、系列と呼ばれる下請け工場を抱え、市場や経済の状況に応じて下請けの再編や競合によって価格を制御してきた。つまり、柔構造によって支えられてきたのである。この様に、産業の形態は、競争力を決定付けるための重要な要素である。

 市場原理に委ねれば、自然発生的に産業は興り、成立するというのは、馬鹿げた幻想にすぎない。それは既に、市場や産業が成立した国に当てはまることに過ぎない。
 日本も、開国以来、先人達が殖産興業に勤めたからこそ今日がある。何の国家ビジョンもなく産業を築き上げたわけではない。確かに、多くの幸運や僥倖に恵まれたことも事実である。しかし、何の考えもなしに野放図に市場に委せたから今日の産業が築けたというのは、言い過ぎである。それは、無政府主義者の言う事である。時の政府の政策があり、起業家がいて、投資家がいた。それぞれがそれぞれの思惑、考えで行動した結果である。確かにも全ての政策がうまくいったとは言えない。しかし、だから、全ての政策は間違いだったというのもおかしい事である。

 日本が幕末から、否、それ以前、上杉鷹山、二宮金次郎、調所広郷、島津斉昭といった藩政改革にみられる政策は、産業の育成、再編、統合といった産業構造の変革である。日本が高度成長の波に乗り、今日の経済的発展を遂げることができたのは、どの様な産業を築き上げるかの構想があったからである。
 欧米人から見て、それは、資本主義、市民革命からは異質のものであり、その為に批判も受けた。しかし、根本は、産業構造なのである。中でも、製造業である。
 確かに、戦前は、軍事産業に傾斜し、その結果、財政を破綻させ、戦争に突入していった。つまり、経済がうまくいった場合も、立ち行かなくなった場合も、構造的政策の結果なのである。それを理解せずに、ただ、市場の原理を振り回すのは愚かである。
 戦後の日本も、公共事業に依存しすぎる構造的な欠陥を持っている。また、財政的な欠陥という構造的な問題もある。根本は、構造である。構造を正さない限り、抜本的な解決はつかない。
 重要なことは、どの様な産業を築くかを明らかにし、それに基づいた政策をとることなのである。経済政策の成否は、国家構想によるのである。
 

製造の場