豊かさは、消費の在り方でもある。現代経済学は、生産や効率ばかりを重視するが、幸せを測る基準は、消費の側にある。
 産業に衣食住業界の比率や持ち家の広さなんかは、客観的な基準となる。さらにいえば、物価水準や為替の変動が重大な影響を与えている。また、経済の分配を考えると水準、分布、範囲、幅が重要なのである。
 ただ、なにが幸せなのかは、個人の嗜好の問題である。価値観や人生観の問題でもある。いずれにしても、主観的の領域に入る問題である。だとしたら、どの様な生活が幸せなのかを客観的尺度で測ること自体が不条理なのかも知れない。この点をよくわきまえていないと大きな間違いを犯すことになる。

 経済分析や経営分析を聞いて釈然としない部分が残ることがある。それは、経済分析や経営分析が、なぜ、何の目的で分析をするのかが、明確でないからである。だから、どうした。ならばどうしたらいいのと言う事の解答になっていない場合が多い。つまり、一番肝心なところがぼやけているのである。

 企業の分類は、目的をもってすべきなのである。
 例えば、固定資産が大きい産業とか、付加価値が高い産業、石油製品が費用に占める割合が高い産業、売上総利益率が高い産業と言ったように、目的を持って範囲を特定する必要がある。
 そして、それは、固定資産が大きい産業には、どの様な企業があり、どの様な経緯で、成立し、そして、どの様な長所欠点があるかを明らかにした上で、固定資産が大きい産業には、どの様な政策で望めばいいかを明らかにすると言った目的や、原油価格の上昇がどの程度の範囲に、どの様な企業に影響が及ぶのかを明らかにするといった根本的な目的を前提とするのである。
 それによって、企業集団の全体像の範囲を特定すると同時、その全体を構成する個々の企業の経済に与える作用を明らかにするのである。
 産業分類も目的に応じた分類をすべきなのである。そして、その分類に基づいて産業の構造を明らかにし、産業の形成と、産業政策を決めるべきなのである。それが構造経済である。

 中でも、赤字であるか否かは、産業を分類する上で重要な要素である。赤字が、業界全体の問題か、該当企業固有の問題なのかを見極める意味においてでもある。
 企業は、継続を一つの目的とする。企業が継続できなくなる原因が何なのか。それを明らかにすることは、企業分析、企業分類では重要な要件の一つである。
 企業が存続できなくなる原因は、一つではない。企業経営は、経営環境に左右される。経営環境には、内部要因と外部要因がある。内部要因は、企業内部で制御できる変数、要因である。それに対して、外部要因とは、不可抗力な変数、要因である。何が、内部要因で、何が外部要因かを見極めることは、産業政策や経営方針を決めていく上で決定的な要因である。
 企業が存続できなくなる理由として、一つは、経営上の齟齬による場合である。第二に、その事業が妥当性がないという事である。第三に、外部要因によるものである。
 第一の経営上の齟齬というのは、経営の失敗である。中でも、私的理由による失敗は許されない。これは事業を清算されても仕方がない。ただ、経営者個人の資質、過ちだとしても、必ずしも、従業員の責任ではない場合がある。この場合は、再起できる機会を与えるのが至当である。第二の、事業としての可能性、収益性が見込めない場合は、清算する以外にない。第三番目の外部要因による場合は、その事業を国や社会がどう評価するかに関わる。
 日本人は、事業経営の失敗を犯罪のように扱うが、それでは、産業に対して前向きな姿勢が期待できなくなる。事業の成功・不成功は、果敢に新規事業に挑戦した結果である。それ自体を犯罪と言うには、酷(むご)すぎる。犯罪が成立するのは、はじめから成功のも可能性がない事業を金を集める目的だけで興した場合である。これは明らかに詐欺である。この様な場合に限り、犯罪は成立する。問題は、その成否を問うことであるが、その為には、産業を目的に応じて分類しておく必要がある。
 また、市場市場主義者の中には、市場を野放しの状態におけばいいとする者もいるが、野放しにすれば、淘汰され寡占独占状態になることは明らかである。つまり、企業の目的である継続性に反することになる。なぜ、継続が困難なのかを明らかにし、必要ならば、必要な処置を講ずるのが国の役目なのである。

 企業集団も、ただ単なる結びつきだけで捉えるのではなく、共通する基盤や要素によって分析する必要がある。

 産業分類は、本来、合目的的であるべきである。つまり、どの様な目的によって産業を分類するかが、重要なのである。その分類の目的が不明瞭なのが、現代の産業分類の弱点なのである。

 分類とは、原始データ(情報)を目的に応じて、幾つかのグループ、集まりに、仕分ける、あるいは、振り分けることである。分類の目的は、基本的には分析にある。しかし、分析には、分析の目的がある。分析という行為そのものが目的となることはない。故に、何等かの対象を分類しようとする場合、なぜ、あるいは、どの様な目的で対象を分析するかを明らかにする必要がある。
 分析の目的に、第一に、対象を正しく認識する。現状を正確に把握するということが上げられる。次に、対象の将来の姿を予測すると言う事がある。第三番目には、もし、問題点があるとしたら、それを明らかにするという点がある。更に、四番目に、問題点が明らかになった場合、その原因を突き止めると言う事がある。最後、第五に、原因が明らかになったら、その対策を立てて実行すると言う事がある。

 従来の産業分類には、この視点が欠けている。故に、産業分類が、分析することのみを目的とする傾向があるのである。

 標準日本産業分類には、分類の目的として「産業分類は,統計調査の対象における産業の範囲の確定及び統計調査の結果を産業別に表章するために用いられるものである。この分類は,事業所において行われる経済活動すなわち産業を,主として次のような諸点に着目して区分し,それを体系的に配列したものである。」としてある。そして、分類の基準として、次の三点が上げられている。

 1,生産される財貨又は提供されるサービスの種類(用途,機能など)。 2,財貨生産又はサービス提供の方法(設備,技術など)。 3,原材料の種類及び性質,サービスの対象及び取り扱われるもの(商品など)の種類、これらの三点を上げた上で捕捉として、「なお,分類項目の設定に当たっては,事業所の数,従業者の数,生産額又は販売額等も考慮した。」と説明されている。

 この点から、標準日本産業分類は、統計調査の結果を産業別に分類することを目的としていることがわかる。そして、その分類の基準としては、生産物、財を元にして分類しているという点。次に、生産物や財を生産する手段や方法。第三に、生産物、財の原料の種類と性質としている点である。
 これでは、何を最終的に目的として分類の基準としているのかが判然としない。結局、分析のための分析に過ぎない。
 むしろ、先に挙げた、三つの目的、及び、補足的目的毎に分類をした方がかえってわかりやすい。なぜならば、上げられた基準の目的それぞれが分類のための基準を持つからである。

 産業を分析するためには、必ず、何等かの目的がある。それも、基本的には、実利的目的である。なぜならば、産業や企業分析、財務分析、経営分析は、実利的、実務的要請に基づくものだからである。実利的目的とはどの様な目的が考えられるのか。産業分析は、本来的に合目的的な行為なのである。
 まず、個々の産業や企業の実態を知る、正しく把握するという目的が考えられる。次に、現在の状況を前提として個々の産業や企業の将来を予測することである。第三に、その場合、何等かの問題点や齟齬が生じるか、それを解明することである。その上で、その問題点の原因を探求することである。そして、より良い方向に向ける方策、対策を講じることである。

 目的別に分類する分類には、第一に、機能的分類。第二に、構造的分類。第三に、外形的分類。第四に、商品特性による分類がある。
 機能的分類には、第一に機能的分類。第二に、階層的分類がある。
 機能的分類というのは、金融機能とか、エネルギー供給機能とか、一定の機能に特化して分類する仕方である。この場合重複する企業も現れてくる。また、階層というのは、社会や経済構造を階層的に分類するやり方で、インフラストラクチャーとか、製造、流通と言った次元で分類する方法である。
 構造的分類には、第一に、会計的分類。第二に、組織的分類などがある。会計構造とは、貸借構造、損益構造、資本構造、収支構造、資金構造などを指して言う。また、組織構造とは、事業部制組織や、カンバニー制、コングロマリット(複合企業)、コンツェルン、財閥、多国籍業といった組織の形態である。
 外形的分類には、第一に、法的分類(上場、非常上場。個人事業。株式会社、合資会社、合名会社、合同会社等)がある。第二に、規模(資本金、事業所の数、社員数、売上高、利益等)による分類である。

 なぜ、産業を分類する必要があるのか。それは、産業や個々の企業を分析すると同時に、適切な政策を採用ためである。
 では、何の目的で、個々の産業や企業を分析する必要があるのかである。

 このプロセスは、医療に通じる。つまり、診断を下し、治療をすることなのである。その根本的目的は、病気を癒すことである。最近、予防医学が盛んである。つまり、病気になる前に、その原因の芽を摘んでしまおうという事である。この事は、産業分類にも通じる。産業や企業が傾く前に、その対策を講じることなのである。

 この分野でもっとも進んでいるのが、経営分析である。経営分析の目的や手法は、分析をする当事者の視点、立場によって違ってくる。故に、誰が、何の目的で分析するかが、重要な要素となる。即ち、経営分析をするのが、投資家なのか。株主なのか、取引業者なのか、債権者なのか、経営者なのか、従業員なのかによって違ってくる。しかし、その元となる原始データ、情報は同じものでなければならない。これは大原則である。
 これは、産業を分析する際も同じである。ただ、当事者が産業分析に置いては不明確なだけなのである。

 経営分析では、結果を読めるかよりも方程式を読めるかが鍵を握っている。それは、原始データは、共通の情報、同一の情報に基づくという前提があるからである。もし仮に、基礎となるデータ、情報に偽りや隠し事があった場合、結果そのものの信憑性は失われてしまう。また、結果として現れた数字は、結果を表しているのであり、その結果を導いた原因を意味するわけではない。しかし、対策や方策を立てるために重要なのは、結果ではなく、原因である。例えば、同じ赤字であっても、設備投資に失敗したことが原因なのか、それとも人件費が課題だったのかは、結果からは分からない。結果から分かるのは、赤字だという事実だけである。また、人件費が多いのは、個々人の給与が高すぎるのか、それとも人員が多すぎるのかは、人件費だけからは判断できない。故に、結果よりも、その結果を導いた方程式が重要となるのである。
 また、データは、分類に基づいて整理される。故に、分類のための基準、尺度、条件が重要となるのである。

 分類をする場合、その分類するための基本的考え方が重要となる。例えば、幾つかの階層に分けて分類するのか。重複や例外があっていいのか。内包的な分類とするのか、外延的な基準でするのかと言ったことである。階層的な分類をする場合、それだけで、多次元的な分析とならざるをえない。それ故に、どの様な基準で分類するのかが、その後の分析の成否を握っているのである。

 収支、収益が悪い企業をどうすべきかであり、収益や収支が悪い企業は全て淘汰してしまえと言うのは、乱暴な話である。
 赤字になるには、赤字になる原因がある。その原因をただ経営者の手腕のみに帰すのは、あまりに安易、短絡的な発想である。その原因となるものが、一過性、一時的なものなのか、成長の過程で起こったものなのかを正しく見極める必要がある。

 個人事業者や中小小売業者は淘汰されてきた。競争が激化すれば、淘汰が進み、必然的に競争は、沈静化する。つまり、規制を闇雲に緩和することは、場合によると市場経済に反することなのである。
 この様に安易に原因を特定し、対策を講じることは、本来の目的に反する結果を招くことになりかねない。重要なのは過程である。製造の過程、成長の過程である。過程で利益が生まれ、費用が生じる。だから、こそ適用する方程式やその根底となる分類が重要となるのである。 
 この様な視点に立てば、大分類の考え方には、素材・原材料、加工、流通、インフラストラクチャーといった、市場の過程、プロセスを重視した分類法もある。

 業界別分類と言っても素材・原材料、製造、販売と言った調達から消費にいたら過程で産業の業態、構造が変化する産業、業界がある。例えば、石油産業を例にとると、原油の採掘、油田の開発は、メジャーと呼ばれる、開発会社が担い。その原油を精製、元売り会社が石油製品に精製する。元売り会社で精製された石油は、複数の販売ルートを通じて、サービスステーションに供給される。最終的にガソリンを消費者に給油するのは、零細石油スタンドが大多数である。
 この様に、石油は、大規模な多国籍企業から小規模な零細業者まで、幅広い業種、業態を網羅した産業である。故に、個々の企業を一律に、また、一括りして分類してしまったら、その活用の幅は限られてしまう。むしろ、使い道がないと言ってもいい。
 プロセスや過程を重視するというのは、その過程に固有、独自の特性があると判断するからである。この様にどの様な分類をすべきかは、目的に応じて変化しべきなのである。

 同じ石油業界だからと言って、エッソやシェルのような多国籍業と、街のスタンドとを同じ土俵で分析する馬鹿はいない。ところが、同じ石油業界、エネルギー業界に分類されてしまったら、それを選り分けないかぎり、一緒くたに分析されてしまう。

 既存の産業分類に従って産業を分析するにしても、まず、主要な指標の平均値を調べ、次ぎにバラツキを分析し、更に、産業を構成する要素を明らかにする必要がある。同じスーパー業でもフランチャイズ方式と直営方式では違う。粗利益率など比較しようがないほど違ってくるのである。
 その場合、母集団を何にするかの問題である。また、事業を個々の単位、ビジネスユニットに細分化する必要もある。

 スーパー、コンビニ、個人商店では、同じ小売業でも、業態が違う。それは前提とかなる経営の基盤、考え方が違うからである。資本の在り方も、固定資産も、在庫もまったく違う。それを流通業や小売業で一括りしたら、正確な経営分析など出来やしない。それで、融資や投資を決められたら中小企業など堪ったものではない。

 産業の分類の根本は、資産、負債、資本、そして、収益と費用による。
 損益構造、貸借構造、収支構造(キャッシュフロー)には、類型がある。また、成長段階や環境の変化に応じて損益構造、貸借構造、収支構造も変化する。それに応じた分類が必要なのである。また、該当する企業や産業の周縁部にある産業の損益構造や貸借構造、収支構造にも影響を受ける。
 つまり、固定資産と流動資産の比率や自己資本率、損益分岐点と言った、相対的な会計構造から対象を分類することも有効なのである。ここで言う比率とは、時系列や同業者間、勘定科目間、それも、粗利率のような損益内部、自己資本率のような貸借内部、総資産利益率のような損益と貸借をクロスした比率を指す。この様な、比率によって分類することによって産業や企業の特性を解析するのである。

 製造業には、原価計算による部類方法がある。原価計算では、先ず、第一に、製造業か、非製造業であるかに分類される。更に、製造業は、個別原価計算が適用される受注生産経営と総合原価計算が適用される市場生産経営に分類される。更に、市場生産経営は、組別生産産業、等級別生産産業、連産品産業に分類される。
 この様な分類は、産業の構造を解析する上で重要な示唆を含んでいる。また、実務的な面からも有用である。

 産業のインフラストラクチャーがライフラインならば、経済のインフラストラクチャーは、衣食住であり、資本主義経済のインフラストラクチャーは、金融制度、資本市場、商法、証券取締法、会計制度である。機能的分類の仕方には、この様なインフラストラクチャーから見た分類方法もある。

 金融機関は、正常先、要注意先、破綻懸念先、実質破綻先、破綻先の分類と言う基準で融資先を分類している。これも産業分類の基準なのである。
 また、資本金の大きさ、取引高、従業員数という基準で分類する事も可能なのである。

 資本の在り方は、産業の根幹的思想を現している。故に、資本の在り方による分類も重要な分類である。一つは、資本主義体制による資本である。これは、株主資本主義か、金融資本主義、国家資本主義などがある。構造主義的な考え方には、この様な資本主義的な在り方だけでなく。資本を何等かの社会機関が支配する社会主義的構造主義や共同体が支配する共同体的構造主義も考え得る。いずれにしても、誰が、企業という経済主体を支配するか、所有するかの問題である。

 この様な分類分析によって、産業や企業の特性、状態、問題点を明らかにした上で、対策としての政策を立案すべきなのである。それが構造経済である。



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