現行の経済学は、現象面ばかりを問題とするが、表に現れてくる現象は、結果に過ぎないのである。その結果である現象の背後に隠されている法則、特に、構造的な面に原因や要因が重要なのである。

 表に現れてくる現象の背後に、又は、基礎にある構造の中でも産業を考える上で重要なのは、ネットワークである。

 現代社会は、生活の隅々にまで何等かのネットワークが張り巡らされている。身近でよく聞くネットワークには、テレビ、ラジオという放送ネットワークである。電信電話のネットワークも現代生活には、不可欠である。また、インターネットなどの情報ネットワークである。

 通常、情報というと、本や雑誌、新聞といった文字情報を思い浮かべるが、ネットワークを通じて流される情報は、文字情報とは限らない。文字の他に、映像、音声、記号、信号、臭い、感触なども送られる。文字よりも映像の方が大量の情報を伝達することが可能である。

 ネットワークというと、情報ネットワークが有名であるが、情報ネットワークだけでなく、世の中には多くのネットワークが存在する。情報ネットワークも通信と結びつけられて情報通信ネットワークと言われたりもする。

 情報ネットワーク以外にも、ライフラインと言われる生活基盤を形成する要素の多くは、ネットワーク構造を基盤としている。典型的なのが、ガス、水道、電気である。
 この様に、ネットワークと言われる物は、ライフラインや情報通信と言った生活に欠く事のできない要素の基礎、基盤をなしている。今日の社会の中においては、ネットワークの果たす役割は、大きく。我々の生活に欠くことのできない存在になりつつある。

 また、ネットワークというのは、社会の枠組み、フレームワークに限らず、仕事の枠組みや組織のような部分にも見られる。

 パート(PART)図などもネットワーク図の一種である。パートというのは、作業をネットワーク化したものであるが、それが意味するのは、仕事もネットワーク化することが可能だと言う事である。同様なことは、組織、人間関係にも言える。つまり、仕事や組織を一つの情報系という視点で捉えることも可能なのである。

 パート図などは、単純に、時間だけでなく、作業、人、コストなど複数の情報をネットワーク化することが可能なことを示唆している。つまり、ネットワークでは、非線形的関係が成立するのであり、ネットワークが階層構造を持つ証でもある。

 非常時の連絡網、緊急連絡網などもネットワークの一つである。我々は、組織を考える時、ツリー構造の組織図などを思い浮かべるが、現在、我々の使用している組織図は、階層的なのものであり、回路構造ではない。実際の組織は、情報系だと思ってかまわない。いずれにしても、実際の組織は、何等かのネットワークである。

 また、民俗学のような分野に置いてもネットワーク的な解釈の仕方も重要だと考えられる。感染症の経路や疫学的な研究にもネットワークは重要な働きをすると思われる。

 この様に、今日、ネットワークというのは、いろんな局面で聞かれるようになった。そして、現代社会には、不可欠な要素となっている。今日の社会基盤、即ち、インフラストラクチャーの多くは、ネットワーク構造を持っている。

 ネットワーク構造というのは、拠点と拠点とを線で結ぶことによって構築される構造である。また、ネットワークは、自律的な全体と自律的な部分からなる。言い換えると、ネットワークは、全体としても自律的であり、部分としてみても自律的なのである。
 ネットワークというと人脈のようなものを指して言う場合もある。その場合は、人と人との繋がりを言う。人と人とが繋がりや関係を持つことによって生じる空間がネットワークである。

 この様に、点と線とを繋いで形成されたものが、一つの構造や体系となってネットワークは構築される。ここで重要な点は、ネットワーク全体を成立させている個々の部分、要素は、自律的な物である点である。線は、電話回線のように目に見える線と人間関係のような目に見えない線とがある。いずれにしても複数の要素が何等かの関係によって直接的に結びつけられた体系がネットワークである。

 人と人とを結びつけた体系というと組織が思い浮かぶ。組織は、ネットワークの一種である。しかし、ネットワークと組織とは違う。組織化されていない人的ネットワークも存在する。ネットワークとは、何等かの法則や前提条件によって関係付けられた集合体を指して言うのである。

 ネットワークは、人工的なものとは限らない。自然界にもいろいろなネットワークが隠されている。蟻や蜂の世界は、一種のネットワークだと言ってもいい。
 自然界に存在するネットワークで著名なのは、脳のニューロンが形成するネットワークである。一つ一つのニューロンは、自律的な動きをする。この自律的な動きがあってはじめて脳のネットワークは形成される。

 ネットワークの浸透は、個人主義、自由主義の発達が促した。ネットワークというのは、多分に自由主義的、個人主義的要素が必要である。なぜならば、ネットワークを構成する部分、要素は、それ自体が主体的な存在でなければならないからである。そして、その個人主義の前提となるのが、法治主義である。社会を構成するためには、共通の規範が必要である。市場を成立させているのは、取引に対する公然、暗黙の了解、約束事、そして、公式の法である。何も前提とせずに個人の力だけで市場は成り立っているわけではない。ネットワークは神の見えざる手によって作られるのではなく、人間の了解、暗黙に関わらず公然とした意志である。無法状態で、個人の勝手な行動に社会や市場を委ねれば、結局最後にものをいうのは暴力である。ネットワークが前提とする法を失えば、部分、要素の自律性は失われ、全体が硬直化し、秩序は崩壊する。
 個人主義の前提は、法治主義である。法があるから、個人の行動は、社会的に調和する。法がなければ、秩序は保てないのである。個人主義社会を構築するのは、個人の主体的な意志である。しかし、それを放置すれば、全体の秩序、調和が失われる。だから、全体を維持するためには、個々の個人の動きを統制する法が必要となるのである。
 同様に、ネットワークを構築するのは、ネットワークを構成している部分、要素の自律的な働きである。
 これは、ネットワークを考える上で重要なことである。即ち、ネットワークを成立させるためには、何等かの法や約束事が前提とされることを意味している。そして、それをインターネットに例を取るとプロトコルの存在となる。インターネットが成立するためには、プロトコルの存在が前提となる。

 ネットワークを成立させている基盤や場には、階層がある。インターネットのプロトコルに例を取ると第一層が物理層、第二層が、データリンク層、第三層が、ネットワーク層、第四層が、トランスポート層、第五層が、セッション層、第六層が、プレゼンテーション層、第七層が、アプリケーション層である。これを石油ネットワークに置き換えてみるとプロトコルは、会計制度である。そして、第一層が物理層、第二層が生産層、第三層が輸送層、第四層が、取引・契約層、第五層が、通貨層、第六層が、精製層、第七層が、販売層、第八層が消費者層である。

 インターネットには、ネットワークには、スター型、バス型、リンク型、ツリー型、メッシュ型などの形がある。この様にネットワークには、何等かの形がある。そして、この形がネットワークにおいては、特定の意味を持つことがある。つまり、全体の結びつき方や関係の仕方そのものが意味を持つのである。この様に、ネットワークにおいては、全体の形が重要な意味を持つことがある。

 また、ネットワークには、解放されたネットワークと閉鎖されたネットワークがある。解放されたネットワークであるか、否かは、自己完結的であるか否かの問題である。即ち、閉鎖的なネットワークは、自己完結的なネットワークであり、解放されたネットワークは、自己完結的でないネットワークである。
 ただし、開放的か、閉鎖的であるかは、絶対的ではなく、条件や状況に応じて変化する。また、ネットワークにおいては、範囲、及び、境界線が重要な意味を持つ。また、ネットワークを構成する個々の部分、要素には、それぞれ独自の働き、役割があり、それが重要となる。

 即ち、ネットワークには、それを成立させるための前提条件、法則がある。その前提条件や法則によってネットワークは性格付けられる。また、ネットワークには、全体と部分がある。全体には、範囲と境界線が確定されている。個々の部分、要素は、相互に、一定の関係によって結びつけられている。故に、全体には、一定の形があり、必然的に構造が形成される。そして、この様にして形成された全体によって個々の部分、構成要素には、自律的な働きと役割が与えられる。つまり、全体は、部分から成り、部分は全体に依存している。これがネットワークの特性である。

 いずれにしても、現代社会は、何等かのネットワークを基礎として成り立っている。つまり、社会や経済の土台を考える時、ネットワークは、避けて通れない課題なのである。

 今日、産業は、金融、通信、交通、エネルギーと言ったネットワークの上に立脚している。そして、産業を構成している個々の企業は、ネットワークを構成している要素、部分だと言ってもおかしくない。そうなると、企業は、一種のネットワークの一部であり、産業もネットワークそのものだと言えないこともないのである。だからこそ、産業を成り立たせている基盤を考える時、ネットワークは欠かすことのできない決定的な要素なのである。

 仕事量の削減は、必ずしも、経済の目的と合致しているわけではない。仕事量を削減すれば、必然的に失業率は高まるのである。故に、経済効果を考えれば、むしろ、仕事を増やすべきなのである。

 経済問題を要約すれば、生産と分配の問題に行き着く。その生産と分配を決定付けるのは、一人、一人の働きである。需要と供給は重要ではあるが、基本的に、生産と分配を決めるための手がかりに過ぎない。最終的に経済を決めるのは、生産と分配である。そして、その生産と分配を司るのが社会のネットワークであり、貨幣経済も、市場経済もその仕組みの一部に過ぎない。決して全てではないのである。

 基本的に生産と分配は、共同体、コミュニティのネットワークを介して行われる。つまり、コミュニティは、一つのネットワークの単位である。このコミュニティのネットワークが社会を構成する。
 ある意味で、経済は、生産と分配の問題といえる。生産と分配の単位は、コミュニティだと言える。コミュニティには内と外がある。
 分配は、コミュニティ内部では、働きに応じて決定される。実際の分配は、コミュニティ内部のネットワークを通じてなされる。

 コミュニティというのは、ネットワーク理論では、頂点と頂点を結ぶ枝だが密な集団と定義する。つまり、人と人の結びつき、人間関係が濃厚な集団である。
 
 一つの共同体、コミュニティが成立してその共同体、コミュニティが生産した物があるとする。その生産物の所有権は、その共同体に帰属する。また、その生産物の分配の権利もその共同体に帰属する。つまり、その生産物の分配を受ける権利は、その共同体の構成員に帰属するのである。

 コミュニティの外部に位置する者は、コミュニティの生産物の分配を受ける権利はない。該当の共同体に帰属していない者は、その分配に預かられるかどうかは、その共同体の主権者の任意に委ねられる。共同体に所属しない者は、共同体内部では、生産手段すら与えられず、生産物の分配を受ける権利も与えられない。
 そこで、コミュニティの外部の者は、労働を供与するか、何等かの交換財を代償にして分配を受ける権利を得るしかないのである。余剰生産物があったとしても、それだけでは、分配を受ける権利は派生しないのである。

 いずれにしても、生産物の分配を受ける権利は、働き、即ち、労働に基づいている。働かざる者、喰うべからずである。故に、コミュニティは、仕事を創造していかなければならないのである。それが、労働の連鎖、即ち、労働のネットワークである。この労働のネットワークは、制約がなければ際限なく増殖していく。官僚機構が好例である。この労働のネットワークを制約するのが、財の総量、特に、生産財の総量である。

 現代人は、仕事をすることの意味というのを否定的にとらえる傾向が強い。労働というのは、あたかも奴隷のすることのようである。しかし、仕事というのは、自己実現の手段である。それ故に、働くことの権利を最初から制限されている人達は、特に、女性は、働くことが権利だと主張する。そこに、進歩的と言われる知識人のジレンマがある。一方で働くことを否定しながら、一方で、働くことを称賛せざるを得ない。どちらにしても、自分勝手すぎる。

 経済が有効に機能するためには、社会的ネットワークが重要な鍵を握っている。その根本は、生産と分配であり、人間関係である。そして、その関係の要が働き、即ち、仕事なのである。仕事を軽視し、蔑視する社会は必ず衰退する。労働は、悪だとばかり、休日を増やすのは、貴族主義の現れである。それを労働運動の担い手である人々が行うのは、自殺行為だと言わざるを得ない。それでは、労働運動は衰退するであろう。なぜならば、労働者にとって存在意義は、労働にあるからである。労働運動の本質は、健全な労働を維持することである。過酷な労働は、苦役であるが、やりがいのある仕事は、生き甲斐、即ち、自己実現、自由への道なのである。悲しむべきは、労働を蔑視する風潮が蔓延していることである。それは、蟻とキリギリスの例えで言えば、人々を、冬を目前にしてキリギリスにしてしまうことなのである。結局、社会を支えているのは、労働のネットワークなのである。

 ネットワークは、最終的に社会張り巡らされた、人間の結びつき、、俗に言う柵(しがらみ)に行き着くと思う。その柵(しがらみ)は、分配のネットワークであり、また、互助のネットワークでもある。つまりは、義理と人情のネットワークである。
 効率化を目的とし、仕事量を削減する事は、必ずしも、経済の目的と合致しているとは限らない。なぜならば、この人間同士のネットワークの根本は、人に役割、仕事を与えることだからである。つまり、経済の目的は、効率化にあるのではなく。人と人の結びつきによって生活を成り立たせることにあるからである。その経済を支えているのが、人間のネットワーク、つまり、義理と人情のネットワークなのである。

参考文献
(「図解 ネットワークのしくみ」)増田若菜著 株式会社ディー・アート
(「複雑ネットワーク」とは何か)増田直紀、今野紀雄著 ブルーバックス 講談社


 Since 2001.1.6
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano

ネットワーク構造