日本の公共事業の道路に対する配分は、2004年度でシェアが29.5%、投資額で10兆5900億円にものぼっている。(「道路の経済学」松下文洋著 講談社現代新書)一方において、財政危機が叫ばれ、いつ、破綻してもおかしくないと言う状況が続いている。問題なのは、これらの投資は、一体、誰のためになされているのかである。つまり、誰の、何のための道路かが問題なのである。

 交通ネットワークは、国家経済の大動脈である。それは、国家経済の成否を決する大事である。それを司(つかさど)る者が、利権をあさり、私腹を肥やしていることが大問題なのである。

 大事なことは、交通機関は、人や物の流れを変えてしまうという事である。人や物の流れが変わることによって周辺の産業構造や生態系と言った自然環境、地価と言った経済状況、生活環境をも変えてしまうという事である。幹線道路ができたために、商圏が分断されたり、また、衰退した商店街などいくらでもあるのである。道路一本、橋一本、トンネル一つで、逆に、大きく産業が発展し、生活が楽になることもある。地域によっては、道路や橋、トンネルは死活問題なのである。
 また、堤防や堤、防波堤は、防災上欠く事のできない建造物でもある。
 その様な道路の建設が一部の政治家や業者の利権のために、無定見に建設することがいかに危険であり、見方を変えれば、犯罪的行為だとすら言えるのである。

 日本の高速道路は、通行料が高い。それがどれだけ経済の足を引っ張っているか計り知れない。交通網が、経済の大動脈であればあるほど、そこにかかる費用的負担は、経済に過重な負担を課すことになる。負担が大きく成りすぎれば、動脈硬化を起こしかねないのである。目に見えない税金であり、また、道路公団が破綻すれば、結局、国民の税金によって贖わなければならなくなる。それは、国家、国民に対する犯罪である。日本と言う国家は、土建屋や、官僚を肥らす為に存在するわけではない。
 日本以外の国では、高速道路は、無料だというのが原則なのに、なぜ、日本では、高速道路は有料で、かつ、高価なのか。そこに問題がある。また、交通網は、国家経済、産業のグランドデザイン、国家構想、国家戦略に根ざすものである。それだけに、国家とは何か。それが問われていることを忘れてはならない。

 今、日本は、海外旅行ブームである。ゴールデンウィークにも成れば、何十万という人達が海外国内を移動する。さながら、民族の大移動である。また、日本では、居ながらにして、世界の珍味が味わえる。それもこれも、交通機関が飛躍的に発展したと伴に、国家間の交流が自由となってきたからである。

 近代の交通路の変革は、大航海時代に始まる。それ以前にも、全ての道は、ローマに通じるという格言が示すように、道路網の整備は、国家の命運を握るほどの大事であった。この様な交通網の整備が主として軍事目的で行われたのは、人間の文明を考える時、留意すべき事である。

 海賊や山賊の横行は交通の発達の阻害要因、リスクであった。一時期は、海賊や山賊は、正規の事業として捉えられていた時代すらあったのである。国家が成立するためには、国際分業、国際交易が不可欠な今日、交通路の安全の確保は、国防上不可欠な要件ともなっている。

 交通の発展は、交易を活発にした。中でも、大航海時代の出現によって海外貿易、自由貿易が発達した。
 道路、運河、鉄道と言った交通投資が大規模事業、大規模投資の皓歯である。この大規模投資、大規模事業が会計技術を進展させ、今日に市場経済、自由経済、資本主義の社会的基盤、インフラストラクチャーを準備したのである。

 産業革命は、交通革命でもある。交通革命には、第一に、交通路の改革、整備がある。第二、交通手段、交通機関、交通技術の変革がある。

 交通機関は、物流の大動脈である。情報や通信、金融と言った技術が発達してとしても最後は物流に頼らざるを得ない。その物流の鍵を握っているのが、交通ネットワークである。

 交通機関の発達による影響と効果が重要である。

 交通手段を決定する要因は、距離と時間、速度、量、コストの関数である。交通経済は、この関数に基づく。この事は、交通ネットワーク、交通経済の要点は、安全かつ確実(正確)に、早く、そして、大量、安価に物を運ぶ事にあることを意味する。
 そして、これらの要因を決定する要素は、手続や商慣習、言語の違いのような抵抗、関税や輸出規制のような障害、リスクをどう計算するかにある。

 近くて遠いという事はよく言われる。交通機関が発達した今日、物理的距離だけでなく、時間距離、手続的距離も勘案しなければならない。国境に近い地方は、隣国の方が、国内の遠隔地より近い場合がある。しかし、例えば、韓国と北朝鮮のように地理的に近くても政治的に遠い国もある。また、関税や入国審査によって遠い国もある。戦争や体制の違いによって目の前にある、手の届く所へすら自由に行けないことすらある。いずれにしても、物理的な距離だけでは、経済的な距離は、測れない。

 リスクには、第一に、海賊や山賊、盗難、毀損、火災と言った人為的リスク、第二に、国家体制の変化や通貨の変動、戦争といった経由国のカントリーリスク、国家的リスク、また第三には、地震や台風と言った災害と言った自然環境によるリスクがある。
 交通ネットワークにおいては、リスクは付き物である。その為に、保険は欠かせない物になっている。

 交通手段の発達は、交通経済に決定的な役割を果たしてきた。交通手段の発達は、交通の経路にも劇的な変化をもたらした。

 産業革命以前は、人力や馬、牛が交通の手段の中心であった。その時代には、水運がもっとも安全かつ、確実、大量に物資を運搬できた。その為に、海路や水路の開発が、即、経済や国運に結びついたのである。中国への交通路の開拓が、大航海時代の幕を開け。ひいては、アメリカ大陸とヨーロッパとを結びつけ、アジアへの海路を拓いた。近年最大の運河は、スエズ運河とパナマ運河の建設である。この例から見ても解るように、産業革命も運河の開拓と切っても切れない関係にある。現代でも海運は、物流において、重要な役割を果たしているのである。
 手段の発達の中で、鉄道、自動車、飛行機の発達は、交通手段を劇的に変化させた。故に、産業革命は、交通革命であり、交通革命は、産業革命だとも言えるのである。鉄道の発達は、それまでの街道中心の物流を鉄道中心の物流に変化させ。更に、自動車の発達が、自動車道路中心の物流へと短期間に変化させた。その経路から外れた地域を経済の発展から取り残していったのである。
 つまり、交通路の設計は、経済体制の設計に基礎となるものなのである。

 ネットワークを構成するのは、基本的に点と線である。点を頂点、線を枝とする。そう考えると交通経済を構成する重要な要素は、経路、基地の問題である。そして、ネットワークを構成する点と線は、情報や物の伝達、運搬の経路を表してあり、必然的に、運搬や伝達の手段が問題となる。故に、ネットワークの問題は、経路と基地と手段の問題に要約される。ここで言う、運搬の経路とは、運搬の道筋、距離の問題である。基地とは、第一に、荷物の中継基地、集配所。第二には、視点、終点、結合点、即ち、インターネットで言うサーバー、また、物流で言う港湾、空港、駅、金融ネットワークで言う、銀行や証券取引所のような物を指す。そして、第三に、集積所、倉庫、タンクを指して言う。
 手段の問題とは、鉄道、船、飛行機、パイプラインと言った問題である。

 交通ネットワークの発達は、道路の整備と伴に進展してきた。
 交通路は、地理的要件に制約されている。目的地や出発点が、内陸部にあるか沿海部にあるかによって交通路は変わってくる。交通路を決定するためには、地形や地質、また、市街地に近いか遠いか、平野にあるか、山間部か、半島か、島か、交叉点か、通過点か、近くに何等かの資源があるか、水利はどうかといった地理的な要件が重要な鍵を握っている。
 交通ネットワークでは、交通手段の物理的特性に支配される。即ち、船舶を手段とすれば、経路は海路となり、基地は、港湾となる。つまり、海路が線、枝であり、港湾が点、頂点となる。尚、基本的に陸上は、経路に含めなくなり、運べる量は、船舶の大きさに制約される。鉄道ならば、経路は陸上に限定され、基地は、駅に限定される。運べる量と速度は、貨車の容量と性能に制約される。自動車は、最終目的地まで物資を運ぶことが可能である。しかし、速度や運ぶ量に制限がある。また、燃料費の影響も受けやすい。飛行機は、空港のある場所ならば、場所を選ばない。ただし、費用や一度に運べる量に制限がある。パイプラインは、一度に大量の物資を運べる反面、液体か気体に限られ、環境への影響も大きい。
 また、交通手段、運搬手段は、運ぶ物の形状、形態、性格、価値によって変わってくる。
 運搬手段は、運搬する物に依る。生鮮物は、保存、貯蔵設備の有無に制約される。かさばる物を運ぶ場合は、運搬手段を制約する。宝石やICのように高価であっても嵩張(かさば)らない物は、空輸しても、運送代金は、問題とならない。この様に商品は、運搬手段を選ぶのである。

 交通ネットワークを構築する上で、経路と基地、手段の問題が鍵を握っている。また、国家デザインや国家戦略を考える上でも基礎となる。そして、それが産業のインフラストラクチャーを形成する上で決定的な役割を演じるのである。

 交通機関の発達を考える上において交通機関の発達による影響と効果が重要な鍵を握る。交通機関は、周辺部、特に、不動産の価値に重大な影響を及ぼす。また、地域の経済の発展、衰退を左右する。道路一本、橋一本、トンネル一本によって地域の利便性は格段に違う。逆に環境にも、生態系を変えるほどの重大な影響を持つ。故に、交通路の建設は、経済的意図を持って行われる必要がある。

 財政難の折から新幹線や高速道路の建設に歯止めがかかっている。現在の交通網の建設は、主として公共投資の観点からのみ考察される傾向があるが、交通ネットワークに対する投資は、交通路が開拓される事による費用対効果の問題であるはずである。更に、環境問題でもある。公共事業による景気調整は、副次的な産物なのである。主は、道路が造られることによってその地域社会にどの様な経済的効果、環境的効果をもたらすかであるはずである。

 瀬戸大橋、高速道路や高速鉄道の経済性は、財政が厳しい折、その費用対効果は、厳格に算定されなければならない。交通機関は、公共投資であるだけでなく社会資本としての性格を併せ持っている事を忘れてはならない。公共投資は、失業対策や景気対策だけが本義ではないのである。
 瀬戸大橋や高速道路、高速鉄道の経済性の問題は、基本的に、料金の設定と通行量の問題である。それに、投下資金の回収問題や地域経済に対する波及効果も考え判断しなければならない。東京湾アクアラインや瀬戸大橋の料金は、通行量と通行料金のかけ算によって出される。料金が高ければ、通行量は減り、料金が安ければ通行量は増える。償却と通行料収入の最適な解を求める必要がある。同時に、通行量が増えることによって周辺に及ぼす波及的効果、即ち、地価の高騰や下落のような効果を併せて考える必要がある。東京アクアラインの通行量が増えれば、木更津近郊が住宅街になる上に、産業の誘致も可能となる。そのことによって東京近郊の地価も沈静化する。反対に木更津の地価が高騰し、木更津近郊の資産価値が上昇する事が考えられる。

 交通網の発達は、職住を分離し、職住の分離が分業を促し、それが大規模な工場生産を発展させ、その結果とし、都市化を生み出したのである。

 近郊都市を通勤可能圏内に取り込むことによって住宅街、繁華街、商店街、オフィス街と都市そのものが機能的に専門化、構造化されてきたのである。つまり、都市そのものが何等かの専門的な機能を担うようになってきた。更に、情報ネットワークの社会への浸透は、その範囲を飛躍的に拡大しつつある。

 交通機関の発達は、人口の流動化を促している。それまで限られて世界でしか生きられなかった人々が、簡単に世界を旅し、見聞を広めることが可能となった。それは、国内問題を国内だけで処理することが難しくなってきたことを意味する。そこに、国際化、グローバル化の意義が隠されている。世界は、一つの標準に向かいつつあるのであり、一国の都合だけで物事の処理ができなくなってきたことを意味するのである。閉鎖的な世界から解放された世界へと向かわざるをえないのである。それと伴に国際分業が現実のものとなり、国家間の利害が深刻な問題になるのである。それは、温暖化現象や大気汚染、河川の汚染、海洋資源問題、貿易摩擦と言う現象として現実のものとなってきた。
 国際規格、国際法が国内法に優先するようになってきているのである。それが湾岸戦争やイラク問題の底辺にある。つまり、経済的問題が常に、戦争や環境問題の基本的な部分で絡んでいるのである。

 さらに、交通ネットワークの発達に情報ネットワークの発達が、輪をかけてきている。交通ネットワークと情報ネットワークが一体と成りつつあるのである。

 交通ネットワークは、物量のネットワークであるから、必然的に市場のネットワークに重なる。市場のネットワークと言っても金融市場のネットワークだけは、必ずしも物流を伴わない。情報のやりとりだけで成り立っている。つまり、貨幣市場、貨幣経済は、情報ネットワークの進展に伴いデジタル化、情報化しているのである。インターネット、情報ネットワークが発達した今日、市場のネットワークを介して交通ネットワークと情報ネットワーク、金融ネットワークが一体と成りつつある。この市場を介したネットワークは、国境の壁を越えて地球規模で一体化しつつある。それによって地峡規模で市場の一体化が推し進められているのである。
 この様な情勢下において規格をおさえた者が市場のルールを支配できる事になる。とくに、ディファクトスタンダードは、取引実績、シェアによって決まる。それ故に、多国籍業が生き残りをかけて戦いを繰り広げているのである。
 また、経済の文法となる会計基準を抑えることは、経済の在り方を規制することになるため、国際会計基準を巡って国際間で熾烈な戦いが続いているのである。

 市場の規模は、市場に流通する財の量で決まるのであり、通貨の量で決まるわけではない。経済とは、本質的に配分の問題なのである。しかし、市場規模は、貨幣価値に換算されて表示される。つまり、市場の規模を決するのは、貨幣量ではなく、物量である。

 問題なのは、公共事業が利権と化していることなのである。首都高速中央環状線は、1キロあたり、1000億円だと試算されている。これは、イギリスのM25環状高速道路の実に119倍だと言われている。(「道路の経済学」松下文洋著 講談社現代新書)財政破綻が叫ばれている今、なぜこれだけの費用をかけてこの様な道路を建設しなければならないのか。その国民的な合意が得られているのかが、問題なのである。しかも、温暖化問題を含め、環境問題がこれほど懸念されている時に、どの様な見識、定見をもって道路を建設しようとしているのか。仮に、それが一部の人間の私腹を肥やすことが目的だとしたら、それは、許すことのできない背信である。

 巨額の道路の建設については、必ずと言っていいほど、談合疑惑がついて廻る。談合の是非は別にしても、不透明な取引や不正は、許されざる事である。談合が悪いと言うよりも、公共投資を利権としている事、その為に無駄な道路が建設されることが問題なのである。無駄な道路は、国費の無駄遣いに止まらず、、環境や周辺地域の経済に甚大な被害を及ぼす。それが、利権を得るためになされたとしたら救いがない。

 御上意識がそうさせているのである。そして、その御上意識が、民主的な制度を拒んでいるのである。民主主義国、国民国家の中枢が、権力主義的で反民主主義的なのである。これでは、民主主義といっても絵に描いた餅に過ぎない。

 交通機関の多くは、社会資本である。故に、公共投資、公共事業が担うべき分野なのである。しかし、それは、官僚や一部業者の特権、利権を与えることではない。むしろ、公共であり、社会資本であるからこそ厳しく倫理観が問われるべきなのである。
 交通機関の経済的影響には、二種類ある。第一は、投資による効果である。第二に、その社会資本そのものの効用である。主となるのは、本来、二番目の社会資本そのものの効用であるべきなのである。不必要な公共投資、弊害のみが残る。その結果、財政を破綻させてしまったら、身も蓋もない。
 交通機関の効用を考える時、大切なのは、費用対効果、即ち、収益性の問題である。その収益性や貨幣を蔑視する御上意識こそが最大の障害なのである。公共事業だから、収益を度外視する。ところが、収益を度外視するという事が、不経済に繋がっているところに、問題なのである。一定の制約や制限があるから規律は保たれているのである。金の問題ではないからこそ、投資効果と、その後の資金繰りを明確にすべきなのである。
 なぜ、何のために、誰のために道路を造るのか。また、公共投資をするのか。公共投資にのみその効果を求めるのは、景気を浮揚させる為に、投資のために投資、官僚や一部業者のための投資をする事を意味する。そこには、肝心の国民が不在なのである。
 確かに、かつては、東京オリンピックの為の投資や東名高速、新幹線に対する投資が高度成長を誘導し、かつ支えてきた。また、結果的に収益性も確保された。しかし、今日、同じようにうまくいくとは限らない。前提条件が違うのである。成功事例こそ畏れるべきなのである。さもないと、成功が失敗の原因となる。反対に失敗は成功の母とも言うのである。

 交通ネットワークを構築するために、交通経済学は、重要な基礎学問、要素である。交通経済は、経済の基礎をなす分野の一つである。同時に国政に直接影響を与えるべき学問の一つでもある。

 モータリゼーションの発展と伴に、交通機関も発展してきた。しかし、自動車に過度に依存した交通体系は、石油危機以来曲がり角にきた。市場にただ委ねれば、経済は、安定する、均衡するという時代は、過ぎ去った。ヨーロッパでは、自動車に依存しない交通体系の構築に実験的とは言え取り組みはじめている。経済、特に、交通経済は、国家経済の基盤であると同時に、枠組みである。経済は、あるべき構造を定めて、計画的に構築されるべきであり、それが真の計画経済なのである。

 日本人は、道という言葉を重んじてきた。武道、華道、茶道、それは、修業、修道に結びつく言葉だからである。道とは、つまり、生きる道である。人生を貫く一本の筋である。同じように、現実の道は、社会を経済を国家を貫いている。社会や経済、国家の盛衰を定める一本の筋なのである。それを疎かにしては、国は成り立たない。

参考文献
「道路の経済学」松下文洋著 講談社現代新書


 Since 2001.1.6
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano

交通ネットワーク