情報ネットワークの進歩はめざましい。

 我々は、事業を行う時の要素は、人、物、金の三つの要素だと教えられていた。それがいつの頃からか、人、物、金、情報の四つの要素に変わってしまっていた。その間、情報産業、情報技術は、あれよあれよと言う様にして、急激に変化してしまった。

 いかに現代社会において情報が重要なのかである。ちょっとした個人情報を利用しただけで、その人の人生を滅茶苦茶にすることもできるのである。また、イラク戦争の発端が情報の開示にあったことを見ても解るように、国家機密が、国の存亡を決める事にも成る。今。主要国が、万金をはたいても得たいのは、テロリストの動向、情報である。また、上手くすれば簡単な情報を活用するだけで、莫大な富を築くこともできる。

 近代以前の情報伝達は、狼煙、飛脚、伝令といった人力に頼ったもの、せいぜい言って馬や鳩程度のものであった。

 それが近代にはいると電信、電話、無線と飛躍的に進歩し、情報通信網は、生活に欠くべからざるものにまで生活のあらゆる局面に浸透してしまった。

 産業革命以後、歴史的な変革を促しているのが情報革命だと言われている。それほど、情報技術は、驚異的な進化をしている。

 情報においては、機密性が重要である。個人情報保護法が成立した経緯を見ても解るように、情報の漏洩は、重大な犯罪に繋がることがある。また、権力や何等かの組織が国民や構成員を支配するための道具としても強力な威力を発揮する。また、謀略や陰謀の要でもある。
 日本は、太平洋戦争で、暗号戦において先ず敗れたとさえ言われている。スパイの活躍がよく報じられるが、戦略、兵法においても情報も、もっとも重要な要素の一つである。
 孫子にも、「爵禄百金を愛(お)しみて、敵の情を知らざるは、不仁の至りなり。(収入やわずかな金を出し惜しみして敵情(敵の情報)を知ろうとしないのは、民への思いやりのないことだ)」(「孫子の読み方」山本七平著 日経ビジネス人文庫)とある。

 情報は、認識の手段である。故に、情報は、文字による情報、映像による情報、音声による情報、触覚による情報、味覚による情報、嗅覚による情報など、五感に訴えるものであるである。。

 情報には、記録、保存、蓄積ができる情報とできない情報がある。また、情報には鮮度が重要である。
 情報は、記録、保存、蓄積される事によって活用の範囲が広がる。また、情報の伝達方法、手段、対象によって、情報の質が変わってくる。

 情報の伝達の手段には、有線と無線がある。情報の伝達の対象は、テレビや放送局、新聞、雑誌のように一定の範囲内における不特定多数を対象にする場合と電話、郵便、小包の様に特定の相手同士の間に限定されるものとがある。有線は、何等かの回線を通して情報が伝達される為に、相手を特定することが容易い。無線の場合、携帯電話の例のように相手を特定することは可能であるが、機密性に関しては、有線に劣る。

 情報ネットワークで重要なのは、情報の伝達速度、情報量、情報の質である。つまり、情報ネットワークで問われるのは、情報の密度と速度である。情報は、むろん量も大切であるが、速度と質が命である。速度を決定する要因にも伝達速度と処理速度がある。
 
 情報は、一旦、記号や信号に置き換えられる。情報の本体は、文字も含め何等かの記号であり、信号である。

 記号、信号である情報は、何等かの、約束事によって運用されている。約束事とは、ある種の言語体系、規範、、約定、規格、基準を指して言う。それがプロトコルである。
 情報、通信ネットワークが、国境を越え、多国籍なもの、地球規模の体系となると、必然的に、統一された国際規格に要約されることが望ましくなる。つまり、世界共通、共有のプロトコルが必要となる。この様な、プロトコルは、デファクト(de facto)スタンダード、即ち、「事実上の」標準である場合が多い。

 世界標準、世界統一規格というと英語による支配が典型である。この場合、重要なのは、英語の言語的な特性ではなく。英語の背景となる国、アメリカ、イギリスの政治力の問題だという点である。英語が世界規格というのは、何も、言語上だけに限っているのではない。もっと重要なのは、英語を下敷きにして、コンピューターの言語が作られているという事実である。これは、言語の世界標準が、英語以外の言語に移ったとしてもコンピューターの言語は、英語を下敷きにしているという事から移行できないという事である。それは、言語的な標準が英語から、容易に切り離すことができないという事を意味している。
 もし、「世界がもし100人の村だったら」(池田香代子 再話、C.ダグラス・ラミス対訳 マガジンハウス)という本がある。この本は、最初は、インターネットに流れたチェーンメールが素材だそうである。その中で、英語を話す人間は、世界の人口を100人としたら9人しかいないと言うことになる。たった9人しかいない英語が、世界規格となっているのである。この様に、言語を土台にされて作られる思想は、言葉の意味だけを、また、論理的な意味によってのみ捉えられるほど単純ではない。言葉の意味よりも、言語体系や、言葉の様式、形式から浸透する思想もあるのである。

 この様に、世界の標準、規格を制することは、次世代の経済や産業、技術の基盤を支配することなのである。だからこそ、各国は、世界標準、国際統一規格を自国の支配下に置くために、鎬(しのぎ)を削っているのである。ところが現行の経済学では、この点には、まったく触れていない。
 いずれにしても共通した基盤の規格を統一することが、重要な鍵を握っている。かつて、ビデオの規格で、VHS、ベータ戦争というのがあった。結果的には、デファクトスタンダードを制したVHS陣営がベータ陣営を駆逐してしまったのである。その基盤の一つがプロトコルである。

 インターネットの例が顕著であるが、通信ネットワークのプロトコルには、階層がある。第一が物理層、第二層が、データリンク層、第三層が、ネットワーク層、第四層が、トランスポート層、第五層が、セッション層、第六層が、プレゼンテーション層、第七層が、アプリケーション層である。更に、第一層、第二層をネットワークインターフェイス層、第三層をインターネット層、第四層をトランスポート層、第五層、第六層、第七層をアプリケーション層に分類できる。
 また、情報そのものにも、階層がある。第一層が、データ、事実、資料、与件。第二層が、情報、即ち、インフォメーション。第三層が、知識、即ち、インテリジェンスである。
 範囲(ドメイン)にも階層がある。ドメインの階層とは、例えば、所在地、組織種別、組織別と言ったように対象の範囲が絞り込まれていく。この様な階層には、階層としての機能がある。
 インターネットの拠点となるコンピューターの言語にも階層がある。第一の階層が機械語(アセンブラ)、第二層が、OS、オペレーション言語、第三が、アプリケーション言語である。更に、その根底に流れているのが二進法的思考回路である。

 従来は、アナログ情報が主であったが、電気、通信技術が発展するのに伴って情報のデジタル化が進展している。そして、通信ネットワークのほとんどがデジタル化されようとしている。
 デジタルの特徴は、数学的、数量的、かつ、二進法的世界である。そのことの自覚が重要である。数学や数字や、二進法がこの世の全てではないことを自覚し、数学や数字、二進法によって表せない現実(特に、アナログ的世界)をいかに補っていくかが、これからのネットワーク社会において重大な課題なのである。これは、通信ネットワークだけでなく、本質的にデジタル的世界である金融ネットワーク、貨幣経済においても同様である。

 記号、信号に変換する事によって情報化された対象をデータとして蓄積した集合をデータベースという。この様に情報は、記号化、信号化することによって蓄積し、分類することが可能となるのである。更に一定の法則によって配列、配置、図形化して、体系化、論理化、概念化することも可能である。

 情報は、認識の手段である。認識は、観念を生み出す。観念は、意識内の世界である。故に、情報ネットワークは、そのネットワーク内部に独自の世界を築き上げる事ができる。インターネットの発達は、仮想現実を生み出すまでになっている。この様にして形成されたネットワーク内の世界は、観念、意識においては現実の世界と同値関係にある。それが、現実と仮想現実の転倒を時として引き起こす。つまり、現実の世界にあり得ない物でも仮想現実の中に存在する物は、それを現実として受け容れてしまうのである。宇宙旅行やロボットは、今の世界では、まだ、非現実的な存在だが、一部の人間は、それを現実としてしまっている。それが、話の世界で留まれば他愛のないことであるが、仮に、現実の世界に置き換わりはじめると重大な社会問題を引き起こす。インターネット内で、知り合った者同士が結婚したり。また、インターネットが詐欺やペテンの舞台となったり。インターネットから入手した情報が悪用されたり。また、故意に流された中傷や誹謗といった情報によって傷つけられたり、場合によっては、社会的に抹殺され、最悪自殺に追い込まれたりもする事件も現実に起きている。実際に、インターネット内で派生した貨幣が、現実に流通するようにすらなりつつある。そして、それが、闇世界の住人のマネーロンダリングに利用されると深刻な社会問題に発展しているのである。

 情報ネットワークの進展は、それまで独立して存在していた他のネットワークとの融合を促している。つまり、情報ネットワークが、核となってエネルギーネットワーク、金融ネットワーク、交通ネットワークが一体化しつつあるのである。

 現代は、まさに、情報化社会である。情報を制する者が最終的な勝利を手に入れることが可能なのである。近年、テロや独裁体制国で政変があるたびに囁(ささや)かれるのは、衛星放送やインターネットで流れる情報である。国家は、国境を越えて流れるこれらの情報に神経をとがらせている。各国間の制度の違いを利用した国際犯罪の取り締まりも困難な課題であり、国際犯罪の舞台が、インターネットを利用して行われている。また、コンピューターウィルスのようなインターネットを狙った国際犯罪も横行している。しかも、ローカル(一地方、一国家)の問題がたちまち世界的な問題へと簡単に発展してしまう。
 ペンタゴンのシステムがハッカーに侵入され、それが世界戦争の引き金を引きかねない事態も現実に起きているのである。情報ネットワークの発達は、多くの可能性を孕む反面に、多くのリスクをも孕んでいるのである。そして、この問題は、世界を一つの標準、規格へと向かわせる結果を招いている。つまり、一国家の問題が一国家内部だけで処理しきれない事態を招いているのである。その結果、会計制度の問題が顕著な例であるが、国内法と国際法との整合性が俎上に上がり、時には、内政干渉と見られても仕方ないほどの強権によって世界が一つの規格、標準に統一されつつあるのである。その典型が、パソコンのOS(ウィンドウズの問題)である。
 情報は、メディアの問題でもある。ケネディが、アメリカ大統領に当選したのもメディアを上手に活用したことと言われている。このメディアが問題なのである。世の中は、メディア独裁主義とすら言われ、メディアに支配されているが、そのメディアを誰が支配しているのかが明らかにならない。メディアが世論をミスリードして重大な外交問題を引き起こしたとしても当のメディアの人間に自覚がない。
 テレビやテレビゲームが子供の教育や価値観に重大な影響を与えていても規制のしようがない。規制をしようとすれば、メディアは、言論の自由を楯に取るであろう。

 情報とは、言論である。言論とは、思想である。哲学である。宗教である。政治である。即ち、情報は、思想である。そして、情報とは、文化である。
 また、情報とは環境である。情報は、認識の手段であるから、直接、五感に働きかける。必ずしも言語だけによって伝達されるものではない。恐怖感は、音や臭い感触からも強烈に伝えられ、植え付けられる。
 我々は、思想というと、文字によって表された物だと錯覚している。しかし、今日の思想は、文字だけに依っているわけではない。記号や、映像、音声、嗅覚、感触にも依っている。そして、これらの思想は、直接、五感に働きかける。つまり、情報とは環境、世界なのである。そして、それらが知らず知らずのうちに子供達を感化し、洗脳している。今の教育機関で最大、かつ、もっとも影響力があるのは、メディアである。学校ではない。
 コマーシャルや広告、宣伝が企業の盛衰を左右する。一つの広告によって潰れかけた企業が息を吹き返す事もある。ナチスはその情宣活動の巧みさによって政権を執り独裁体制を敷いた。新興宗教で、時々問題化されるが、記号化され、信号化された情報は、人間の内面の世界にまで侵入し、道徳観、倫理観まで支配してしまう。恐ろしいことだ。まさに、情報は世界を制するのである。

 世界が一つの規格の統一される中、そのネットワークを通じて流される情報によって、人々の思想は、一つの標準に統合されようとしている。問題なのは、それが何等かの明確な意志に基づいているのではなく。無秩序で、無政府主義的、無法な思想によって支配され、なされようとしていることである。つまり、根本的な合意、モラルが欠如しているのである。


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