独占と競争は、二律背反的なものとして捉えがちだが、競争を重視した独占もあり得るし、現にあるのである。それが、プロスポーツの世界である。中でも、アメリカンフットボールが典型である。
 アメリカンフットボールの話はさておき、なぜ、独占と競争は、相反するのか、また、競争を原理とする市場経済において独占は悪いのかを明らかにしておく必要がある。

 競争と独占は相反する働きと言うより、相互に補完する働きだと言うべきなのである。問題は、どこで一致し、どこで競うべきなのかである。全てを独占するとか、全てを競争させると考えるから問題の本質が見えなくなるのである。

 競争と言っても価格の競争だけを指すわけではない。性能やデザイン、品質、書物で言えば内容、料理で言えば味や早さと言った色々な要素が絡まり合って競うことになる。むろん、最後は値段だが、値段だけで競うことになると、他の要素が無視され、商品は標準化、平準化、統一化されてしまう。それでは競争の実が上がらなくなり、結局は独占と同じ状態になる。大切なのは、競争にどんな働きを求めるかである。ただ独占は、悪い事であり、競争は善だと捉えるのは、稚拙すぎる発想である。

 なぜ、独占状態が悪いというのかは、有り体に言えば、競争の原理が働くなるからである。競争の原理が働くなると、価格の基準が絶対的な基準に置き換わり、価格が硬直化すると、同時に、市場の価格調整機能が働かなくなるからである。市場の価格調整機能がなくなると言うことは、価格の支配力を一方の当事者が完全に掌握し、分配の均衡が失われ、富の一方的な偏向が生じるからである。これは、分配機構の崩壊を意味する。
 元々、市場は、需要と供給を調整し、財の分配を計るところである。その需給の調整や財の分配が機能しなくなるという事は、市場経済そのものの意義が失われることになる。それ故に、市場は独占を嫌うのである。

 企業は、独占を目指す。故に、放置すれば市場は独占的状況に陥る。独占状態を防ぐためには、市場を規制しなければならない。俗に、市場原理主義者は、競争原理を遵奉し、規制を緩和すべきだと働きかけるが、市場の機能は、規制によって維持されているのであり、市場原理、競争原理を正常に発揮させようと考えるのならば、規制を撤廃するというのは、逆効果である。問題は、規制の在り方であり、規制そのものにあるわけではない。規制の在り方によっては、競争に順に作用したり、逆に作用したりする。しかし、規制が順に作用するか、逆に作用するかは、市場の状況に左右される相対的なものであり、絶対的なものではない。

 スポーツは、制約、制限の上に成り立っている。制約、制限、即ち、ルールがなければ、ただの喧嘩である。市場も同じである。自由放任に委せてしまえば、市場の規律は失われてしまう。また、必然的に寡占独占状態に向かうのである。規制を緩和した結果、石油業界も金融業界も寡占独占状態に陥った。それは規制を緩和した必然的帰結である。この様な、寡占、独占状態は、いろいろな業界で起こりがちである。特に、新興、成長期を過ぎ成熟期、衰退期に入ってきた産業において顕著になるであろう。

 統制経済や計画経済は、国家独占主義の現れである。統制経済や計画経済は、双方向の流れを作り出すことができずに、一方通行的な経済になってしまった。本来情報は循環することによって機能する。フィードバック機能があってはじめて情報は、働くのである。情報がフィードバックされなくなれば、制御不能な状態に陥る。フィードバック機能が失われた結果に、消費者のニーズ、必要性、欲求を吸収、調整できず、経済の自律性を損なう結果を招いた。つまり、生産と消費の関係を分断してしまったのである。それは、労働と成果との関係、即ち、分配との関係も切断してしまった。その為に、機構としての自律機能、制御機能が失われたのである。

 同様の欠陥を独占市場は持つ。つまり、統制経済も計画経済もその支配者は違うだけで、その仕組みや体制は同じなのである。

 ただ独占市場でも極めて高い競争原理の力が働いている産業がある。それが、プロスポーツ産業である。プロスポーツの世界は、競技を主体とした産業である。必然的に最も競争の原理が働いている産業である。反面、最も、共通のルールを強いられるために、最も統制的な産業でもある。作業の平準化、標準化が最も進んだ産業でもある。

 プロスポーツの世界というのは、極めて特殊な世界である。それを前提としなければならない。ただそれだけに、逆に、市場形態の一つの類型を示すことができる。丁度、自然科学、特に、物理学の実験の様にである。一定の条件の下に特定の仮説、定理を実証的に取り上げることが可能なのである。

 プロスポーツ市場は、規制が厳しく、極めて制約的な市場である。しかし、反面において、高い効率を維持している。

 まず、リーグのように、市場を特定する必要がある。そして、リーグは一市場を独占している。多くの場合、リーグは階層構造を持つ。ルールが、予め所定の手続によって決められていて、明確である。審判制度が確立されている。上部組織とマネージメント組織が確定されている。そして、それぞれの機関が有効に機能している。一つのリーグのチーム数は決められており、厳重に管理されている。一つのリーグの中では、複数のチーム、即ち、一チームでは、リーグは成立しない。リーグに所属する全てのチームの条件が均一である。チームのメンバーの位置付け、役割が予め決められている。

 アメリカのプロスポーツほど規制の厳しい市場は存在しないであろう。独占的体制の中で、プロスポーツ業界は、激しく競争し、発展してきたのである。この様なことを可能ならしめたのは、プロスポーツ業界の構造である。

 アメリカのプロスポーツリーグは、現在、四大メジャーの時代と言われている。一つは、野球のMLB、二つ目は、プロフットボールのNFL、三つ目がバスケットボールのNBA、四つ目の、プロアイスホッケーリーグのNHLである。その他に、プロテニスやプロゴルフもある。しかし、構造的と言う意味では、四大メジャーが好例である。

 四大メジャーは、リーグを維持するために数々の施策を実施している。ドラフト制度、ウェバー制度、トレード制度、フリーエージェント制度、サラリーキャップ制度などである。中でも、現在注目されているのが、サラリーキャップ制度である。
 四大メジャー中、ほぼ全ての球団が黒字なのは、NFLである。これに対し、MLBは、2006年現在、30チーム中黒字なのは、5球団に過ぎない。
 その差は、NFLの市場規制が厳しいからだと言われている。NFLは、チーム間の力の均衡を計るために、トレード制度においては、最も厳しいウェーバー制度を採用している。ウェバー制度とは、前年度最下位のチームから獲得選手の指名ができるという制度である。更に、年俸の上限を制限するサラリーキャップ制度を採用している。この様にして、戦力の均衡を維持しながら、一方において収益力を確保している。

 プロスポーツというのは、あくまでも特殊な市場であり、短絡的に他の産業に当て嵌めることはできない。
 しかし、日本では、この様な構造主義的な状況が、戦後から高度成長にかけての一時期、形成された事がある。そして、それが日本の戦後の復興を促したのである。
 日本の多くの産業は、閉ざされた市場の中で戦後しばらく管理された競争をしてきた。自動車業界や電機業界、銀行業界が典型である。特に、金融業界の護送船団方式は有名である。
 自動車産業にせよ、電機産業にせよ、限られた市場の中に多くのメーカーがひしめき合っている。国際市場の中でも希有な市場である。アメリカのような広大な市場がある国でも基本的に自動車会社は、ビックスリー、即ち、フォード,GM、クライスラーに代表される。それに対し、日本は、自動車メーカーが、2006年現時点でも11社ものメーカーが犇(ひし)めいている。また、コンピュター業界もIBMに世界が席巻されたと言われた時代でも、日立、東芝、富士通、NECが日本の国内には存在した。総合家電も然り、松下、東芝、三菱、富士通、シャープ、三洋電機が競合してきたのである。つまり、日本では、国際市場より先に、先ず、国内市場があり、その中で激しい競争によって鍛えられてから国際市場へと進出したという経緯がある。それは、戦後、日本が閉鎖された市場の中で、結果的に管理された競争をしてきたことに起因する。
 日本は、太平洋戦争の敗戦により、焦土と化し、物理的にも、制度的にも白紙の状態に戻された。そして、財閥解体、農地改革といった変革によって旧体制が一掃さた。為替制度や金融制度、関税制度などによる障壁によって保護、管理された市場が形成され、その中で、国家再生、復活、復興という共通の目的にむけて国民の合意が成立し、解体された財閥に変わって金融を中心とした強固な連係を持つ産業構造が形成されたのである。
 それは、一見して複数の企業が乱立しているように見えるが実際は、多くの企業が複雑に結びあった一つの全体を有しており、それが柔軟に状況に適合してきたのである。
 しかし、市場が開放され、成熟してくると、高度成長を基盤とした、また、重厚長大型専業構造では、ほころびが生じてきた。そこで、軽薄短小型産業構造へと構造的変革がおこなわれているのである。
 しかし、現在の考え方の欠点は、相変わらず、紋切り型、ステレオタイプの発想から抜けきれず。二者択一、単一思考的な次元から抜けきれないところにある。
 例えば、重厚長大から軽薄短小へと言う二者択一的発想である。重厚長大というのは、重、厚、長、大と言う四つの要素から成り立っている。つまり、重は、軽に対応し、厚は薄に対応し、長は短、大は小に対応している。つまり、組み合わせは、二つではないのである。一体どの組み合わせが良いのか、それは、それぞれの産業や地域の置かれている状況、条件によって変わってくる。だからこそ、構造的に捉える必要があるのである。

 戦後の高度成長期のような構造的な体制が今後採れるかというと疑問である。しかし、戦後の高度成長時代には、一つのモデルが隠されていることは確かである。

 独占的市場を短絡的に是とするのではない。しかし、短絡的に非とするのも間違いである。市場の状況は、その時代その時代、その国その国の要望や目的によって選択すべき事であり、市場を自然の産物のように野放図にすれば自然に調和するというのは楽天的すぎる発想である。


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