産業は、構造である。構造とは、幾つかの部分からなる全体である。その幾つかの部分が産業を構成する要素である。
 そして幾つかの要素は、場を形成している。

 経済主体は、一つの単体だけで成り立っているのではない。他の単体と関連する事によって成り立っている。経済主体には、家計と企業と政府がある。これらの主体は、それぞれがお互いに密接に関わり合うことによって成立している。
 産業は、産業単体で成り立っているわけではない。企業は、企業単体で成り立っているわけではない。産業や企業を成り立たせている要素が隠されているのである。その要素を一つ一つ検証しないと経済の構造は明らかにならない。

 経済を直接構成する要素として経済主体がある。経済主体には、家計、企業、政府がある。原初的な共同体は、この三つの要素が未分化であり、三つの要素を一体的に保有している。

 経済主体は、本来、一人の人間が責任が負える範囲に設定すべきなのである。国家を一単位とするのは、いかにも無理がある。結局責任が負えなくなり、独裁的に陥りやすく。その弊害は、指導者の人格とは関わりなく現れてくる。なぜならば、規模的に統制できる規模を越えている、即ち、人間の能力を超えているからである。

 産業を支える社会的要因や基礎を構成する社会資本構造などのインフラストラクチャー要因を忘れてはならない。

 産業が成り立つ要素の一つが、生産と消費の分離である。そして、もう一つ要素は、分業である。

 社会的分業によって社会の基礎が形成されてきた。この分業のメカニズム、仕組み、機構が理解できないと産業の基礎的な原理は理解できない。

 分業とは、助け合いである。この助け合いと言う事が薄れてきている。つまり、分業本来の意義か薄れてきているのである。
 本来、仕事は、地域共同体、コミュニティーの必要性から生み出されてきた。それは、経済の原初的在り方を理解する上で重要なことなのである。つまり、経済には、内と外があり、その内側の機構を基本として発展してきた。この原理は今も変わらないのである。つまり、経済構造は、内部構造を基礎としているのである。内部の必要性から分業は確立し、発展してきた。その延長線上に国内や国際経済構造がある。基本的に内部における自給自足を原則としているのである。そして、足らない部分を補う事、補う必要性から交易は成り立っている。

 原始的社会においては、あくまでも自給自足が原則であった。そういった自給自足的な経済単位を幾つか束ねる形で政治的権力が形成されてきたと考えるられる。この場合、経済的範囲というのは、生産と消費が自給できる範囲と言う事であり、政治的範囲というのは、政治権力が及ぶ範囲と言う事になる。その意味で政治的単位の範囲と経済的単位の範囲は、必ずしも一致していなかった。また、政治的範囲も経済的範囲も物理的空間に結びついていたわけではない。我々は、政治的単位や経済的単位を国境で囲まれた物理的空間に特定する傾向があるが、実際は、人間関係を土台とした人的空間なのである。この点も、経済的要素を考える上で忘れてはならない。物理的空間に特定できるようになるのは、国家概念が確立され、国境が画定されて以後の話である。

 この段階では、生産と消費は未分化である。ただ、共同体内部での分業は始まっていたと思われる。分業において重要なのは、分業に基づく分配である。分業は、労働の質的、量的な変化をもたらす。一定の仕事が専業化しないと分業が成り立たないからである。先ず、はじめに現れるのは、性別分業である。これは、生殖と出産という、肉体的な差から生じる分業である。これは、労働と分配の関係を成立させる。つまり、経済の最も根本的な要素は、労働と分配である。
 共同体内部で行われていた分業に決定的な転機が訪れるのは、経済主体間で物々交換が行われるようになった時である。それが私的所有権の発生も意味する。この事からわかるのは、経済の本質は、生産と消費と交換にあることである。つまり、経済の基本的要素は、労働と分配、生産と消費、そして、交換であり、交換から派生した需要と供給である。

 分業によって経済活動は始まったと言っても良い。また、分業によって、取りまとめが必要となった。その分業の始まりは、性別分業である。つまり、性別分業こそ経済の始まりであり、家政こそ政治の始まりである。ただし、それが直ちに性差別に繋がったわけではない。性差別は、その様な分業関係の中の力関係によって決まったと考えるべきであり、性差別があるから、性別分業は悪いと決め付けるのは、短絡的である。

 大体、中世、家政は男の仕事だった。子供の教育も長い事、男が担ってきたのである。家事、家政を軽視、ひどい場合、蔑視するようになったのは、産業革命以後、社会分業が深化してからである。男女差別は、それ以前にもあった。しかし、男女を差別する要因は、性別分業と言うよりももっと野蛮な理由である。つまり、暴力的問題である。この様な暴力的差別は、何も男女差別に限ったことではない。人種差別も野蛮で暴力的なものである。家事労働に対する差別は、社会的分業が貨幣経済と結びつき、所得を貨幣によってなされるようになった事に起因している。即ち、分配の権利を貨幣価値に換算し全ての財を貨幣によって市場から調達するようになった事によって所得労働が絶対的な権力を家庭内で握ったことによる結果である。

 家事労働ほど知的で技術を要する労働はない。もし全ての家事労働を外注しようとなったら、かなり高価なわりに変わり映えのしない、味気ないものになるだろう。料理一つとってもお袋の味に代表されるよう、プロ以上の腕を要求されながら、尚かつ、毎日献立を変えなければならない。料理一つとってもこれほどの知識と技術を要求される。家事労働は、炊事洗濯、掃除というように、料理は、ほんの一部に過ぎない。出産育児、年寄りの世話まで一切合切が家事労働とされる。更に、家計のやり繰りが加わる。これだけ家事は、他面多岐にわたる。そのわりに、縁の下の力持ちで、なかなか表に現れない。それは、家事労働が一つは、社会性が乏しいという点ともう一点、貨幣価値に換算されないと言う点にある。その為に、家事労働は不当に低い地位が与えられている。

 複数の共同体が、結合する過程で、共同体単位での分業が始まると同時に共同体間に従属関係が生じる。つまり、階級が生じる。そして、それが政治機構を生み出す。この様な段階に入ってくると政治と経済が分離し、支配機構が確立される。そして、それが生産と消費を分離させる。この支配機構が、生産と消費を分離すると同時に、物流機構の形成を促すのである。この物流機構が経済機構の母胎となる。ここでも基幹となるのは分業である。

 社会的分業が深化すると、共産主義的生産方式は通用しなくなる。なぜならば、分業は、個体差を前提として成り立っており、個体差を評価を認めない限り、分業が成立しなくなるからである。個体差を容認しても共同体が成立するのは、個体差を許容できる範囲内である。社会的分業の深化は、その許容範囲を大幅に越えてしまうのである。仮に、共産主義的生産方式を採用しようとした場合、村落共同体の範囲に限定し、それを一単位とすべきである。その場合でも、社会的分業を前提とした場合、共同体間の個体差は、前提とせざるを得ない。なぜならば、共同体を成立させる前提、即ち、地理的条件、自然環境の条件、歴史的、文化的条件に差が生じるからである。何よりも、価値観の差が決定的な条件となるからである。

 経済の基本は物流である。生産は拠点と消費拠点が分離することによって物流の必要性が高まる。それ故に、道路の整備が重大な国家の責務となる。物流機構が経済の基幹であることから、交易路が経済発展の担い手となる。そこに、交通経済がある。つまり、交通路は、経済の基本的要素の一つである。

 今日、日本経済のネック、障害の一つに交通経済の貧困がある。つまり、交通にかかるコストの増大が、経済の発展の阻害要因となっている。一例を挙げると東京湾アクアラインや本州四国連絡橋の通行料が高価すぎることである。その為に、通行量が伸びず償却も進まない上、地域経済にも悪影響が出ていることである。経済は合目的的なものであり、経済的効果と経済的費用を勘案して計画されるべきものである。経済的効果の中には、首都圏の地価や、また、地域経済に及ぼす経済的効果も含まれるのである。料金を半分にしても一日の交通量が三倍になれば、十分目的は達成されるのである。また、首都圏の交通渋滞の緩和に繋がれば、その経済効果も大きいのである。交通経済に対する認識の低さが、経済政策を貧困にしているのである。

 江戸時代には、経済拠点と政治拠点の分離が見られる。それによって、生産拠点と商業拠点(市場)、消費拠点が分離した。商業拠点というのは、市場である。市場というのは、物資の集積と交換、物流の拠点である。この三つの要素が市場経済の基本的要素となる。即ち、消費と生産が需要と供給を支配するのである。その根本は、必要性である。どの様な必要性によって需要と供給は喚起するのか。そして、必要性から目的が導き出されるのである。経済の特質は、本来、合目的的なところにある。合目的的であるべき経済の目的意識が見失われたことから、経済の諸問題は生じている。
 好例がエネルギー、資源問題であり、環境問題、人口問題である。逆に言えば、エネルギー問題や環境問題、資源問題、人口問題こそが、経済の問題だといえるのである。この観点から経済の要素を見ていくと経済の本来の在り方が見えてくる。

 経済の目的は、財の分配と資源の配分にある。いずれにしても、経済というのは、分配機構の問題が、本質的問題であることを忘れてはならない。経済を景気や物価の問題に特定してしまうのは、皮相な捉え方である。極端な話、景気が悪くても分配が円滑であれば、それは、それで経済的目的は、ある程度、達成されているのである。

 生産拠点と消費拠点が分離し、社会的な分業が進化するとその隙間、接合点に市場が生じる。市場は、共同体間の狭間に成立した物流の交錯点である。そして、市場経済はやがて貨幣経済を生み出す。ただ、市場経済、イコール、貨幣経済ではない。市場が貨幣を生み出し、貨幣が市場を発展させるという相互作用はあるが、市場経済と貨幣経済は同一なものではない。貨幣がなくても市場経済は存在しうるのである。市場の本質は交換であって、交換の媒介物として貨幣が働いているのである。ただ、いずれにしても貨幣経済の発展が、近代産業に不可欠な要素であることは間違いない。

 貨幣経済は、金融制度、会計制度の二つの制度を生み出した。この二つの制度が、近代産業の礎石である。金融と会計は、産業を考察する上で不可欠な要素である。しかも、この二つは、密接な関係を持って発展してきた。そして、金融制度と会計制度が、資本市場と近代税制度を構築していくのである。
 そして、貨幣経済が、市場経済の枠組みを拡げ今日の資本主義体制が確立される。それは、自由主義体制による私的所有権の保証によって裏付けられている。

 近代科学に裏付けられた産業革命は、エネルギー革命を触発した。石油化学の発達は、石油文明とまで言われ、現代社会の光と陰のどちらをも作り出した。光は、今日の繁栄であり、陰の部分は、温暖化、環境破壊、人口爆発と言った問題である。そのいずれもが石油エネルギーに依っている。

 そして、更に、今、通信、情報革命が進行中である。今日、電子技術の進歩による通信網、情報網の確立が、通信、情報革命をもたらしている。その延長線上に、バイオ、遺伝子工学が控えている。

 近代産業の特徴は、資本集約的であることにある。資本主義体制が整うに従って多額の資金を調達することが可能となった。それによって大規模の設備投資が可能となったのである。この事によって多額の設備投資を前提とした産業の成立基盤が整った。大量生産時代の幕開けである。生産性の向上は、就労構造を変化させた。農村部の余剰人員を工業が吸収し、それによって経済成長を促進してきた。 

 労働集約的か、資本集約的であるかが、産業の在り方を決定付ける要因である。労働集約型産業は、産業革命以前の産業によく見られる特徴である。産業革命以後、資本集約型産業は優位に推移してきた。しかし、資本集約型産業は、常に、経済目的に合致しているとは限らない。資本集約的産業は、即物的産業であるのに対し労働集約的産業は、属人的産業である。確かに労働集約的産業は、労働強化によって生産性を向上せざるを得ない傾向があるが、基本的に、人的労働を重視した産業なのである。それに対し、即物的産業は、物質主義的な傾向を有し、人間を一つの部品と見なし、作業の標準化、平準化を促す傾向がある。その結果、疎外感が生じるのである。

 我々は、今、経済の有り様という根本的問題に突き当たっている。その解決の仕方次第によっては、より深刻な事態を引き起こす。経済構造をどの様に変革し、どの様な構造を構築していくのか。それは、先ず、我々がどの様な世界を望んでいるのかを明らかにしなければ解明し得ないのである。その為には、経済構造の変革のメカニズム、仕組み、要素を知る必要があるのである。



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