利益も金も人間が生み出した物である。それを忘れてはならない。天然自然にある物ではない。利益や金の問題で苦しむのは、人間が自分で創り出した物に苦しめられているだけである。その時、なぜ、人間は、利益や金を生み出したのかを考えればいいのである。

 産業は、会計制度の上に成り立っている。確かに、複式簿記に従わなければならないという絶対的規範はない。しかし、基本的には、産業を支配する企業の絶対数が会計制度に何等かの形で従っている以上、会計的規範は、産業界を支配しているといって間違いないであろう。この様に、会計は、産業に対して絶対的な力を有しているというわりには、経済学では、会計の効能を無視しているか、軽視している。
 会計的な基盤が成立していなければ、現代の産業も資本主義的生産体系も生まれなかった。

 会計は、ルールである。会計が利益を生み出すと言っても過言ではない。故に、会計に倫理的基準を持ち込むのは、愚かである。会計制度の変更が、経済にどの様な効果、影響を与えるかで判断すべきなのである。

 赤字が悪いと言われるが、利益は、会計の考え方一つでいかようにも変わる。現金主義を採るべきなのか、発生主義、実現主義を採るべきか。取得原価主義でいくべきなのか、時価主義、時価以下主義を採るべきか。はたまた、確定決済主義に税制は基づくべきか。考え方一つで利益の有り様は、まったく違うものになる。考え方一つで変わる以上、会計は、思想である。
 利益は、会計制度に左右される。つまり、会計的処理の仕方、考え方に左右される。つまり、会計の考え方が社会や経済の有り様を左右するのである。ならば、会計は思想である。

 極端な話、会計制度を変えただけで景気は変動する。産業界において、利益は、会計的概念なのである。つまり、会計が利益を生み出したのである。しかも、経済を構成する三つの要素の一つは産業なのである。だとするならば、会計が理解できなければ、経済は理解できないはずである。ところが、経済学では、会計学的は軽視している。最悪、無視している。これでは、真っ当な経済学が形成されるはずがない。
 経済現象の背後には、会計制度がある。会計制度は、簿記と数学からなる。現代の大学の経済学ではこの二つとも軽視されている。簿記や数学よりも英語の方が重要なのである。これでは、経済の現場は理解できない。

 税務会計と商法会計の相違は、利益に対する考え方の相違である。利益に対する本質的な違い、つまり、目的の違いがありながら、それを確定決算主義に基づいてリンクさせようとするところに、問題がある。
 目的の違う制度を同じ仕組みで行うのは、便宜主義に過ぎず、目的を逸脱する危険性が高い。目的の違う事を同じに扱うのは間違いである。

 会計制度は、市場価格、物価に上昇圧力、下降圧力を生み出す。それが税制度に結びつくと強固な圧力となり、企業の経営判断に働きかけ、促す。
 一例を上げると、時価会計は、インフレ時には、インフレをデフレ期にはデフレを加速する働きがある。その為に、税制の変更が経済を歪なものにしてしまうこともある。税効果会計の導入に伴う混乱や、有税償却の解釈を巡って金融庁と銀行の見解が相違し、その為に、銀行経営がたちいかなくなったなどは好例である。その為に金融再編が加速したのであるから、会計制度と経済は別物だというのがいかに虚しい議論なのか歴然としている。

 会計には、ストックとフローがある。そのストック部分を形成するのは、資産と負債と資本である。負債というのは、有り体に言えば、借金の事である。

 現金主義とは、現物主義でもある。現金主義は、現物主義だと言うのは、現金主義も現物主義も、時間が陰に作用しているか、時間という座標軸を欠いている事を意味する。現金主義、現物主義は、即金主義、即物主義でもある。
 時間の概念を欠くとは、例えば、陳腐化とか、地価の上昇、物価の下落といった時間的変化を考慮しないという事である。しかし、商取引は、時間の変化によって成り立っている。好例が金利である。金利は、時間の係数である。大体、利益は、時間が陽に作用することによって成り立っている。時間を考えずにある一時点の状況を捉えるならば、現金主義による以外にない。その場合、現金で評価できない、流動性の低い資産は、価値がなくなってしまうか、考慮の外に出る。時間を陰にしか捉えきれないところに、現金主義の欠点がある。逆に、発生主義や現金主義、時価主義は、貨幣価値の時間的変化をいかに計測するかによってその正当性が問われるのである。
 この事からも解るように、時間の概念を利益計算に結びつけたところに会計制度は成立している。利益の概念自体が時間と会計から派生した概念なのである。利益の概念は、負債と償却の概念が結びつかなければ、成立しない。会計は、高度に時間的産物なのである。
 また、現金主義とは、現金とその反対側にある現物・財との一対一の関係によって成り立つ思想である。人、物、金という即物的な勘定を土台にして作られた考え方なのである。そう言う意味でも即物主義なのである。

 時間の概念によって負債の概念も償却の概念も確立された。その意味でも、負債の概念と、償却の概念は、表裏の関係にある。

 近代経済は、借金の技術が発達したことで成立したと言っても過言ではない。借金の技術は、今も、進化しつづけている。借金の技術が利益の概念を生み出し、債権者や投資家のための説明責任から会計制度が発達した。根本は、貸し借りなのである。また、借金は、通貨以外の貨幣価値を生み出しもしている。

 債権は、信用通貨を生み出す。銀行券が好例である。銀行券のはじまりは、金、金貨の預かり証である。つまり、負債、つまり、借用証書や資本、即ち、株券は、信用通貨を創出する。と言うよりも、信用通貨そのものと言っても過言ではない。われわれは、通貨を持って貨幣とするが、その通貨の信用の裏付けは、債権なのである。だからこそ、不良債権は、市場の信認を揺るがすのである。

 国債の問題点の一つは、通貨の創造にある。つまり、国債の発行によって通貨の供給量が増加するのである。

 負債によるレパレッジ効果が、乗数効果を生みだしている。レパレッジ効果とは、手持ち資金を見かけ上、何倍も増やし、それを運用することである。

 ところが、借金を罪悪視する傾向が、どの世界にも見られる。高利貸しと徴税人は、どの時代にも嫌われてきたのである。借金の技術を基礎として近代経済が成り立っている以上、借金や借金が生み出した利益の概念を罪悪視していたら経済の機構を健全に保つことはできない。借金をいかにするのか、つまり、金利の問題が経済の核心的な問題なのである。

 借金の技術とは、資金の問題である。つまり、資金繰りである。会計の目的は、基本的に資金調達にある。資金を調達するための説明責任が会計の本旨である。資金を調達するために利益計算があるとも言えるのである。始めに利益ありではなく、始めは現金なのである。そして、近代会計制度が確立されて、大規模な資金調達がはじめて可能となったのである。それが資本主義の原点でもある。また、会計の目的が資金調達であることからして、会計の本質が貨幣経済に根ざしていることが明らかである。また、会計がその損益計算という性格からして市場経済に依存していることも明らかである。つまり、会計は、貨幣経済と市場経済とを橋渡ししているのである。

 会計制度で忘れてはならいのは、英米法、即ち、コモン・ローとは、帰納法的な在り方であり、大陸法は、演繹法的在り方である。
 帰納法的な在り方は、前提条件と事実認識が重要となり、演繹法的在り方は、その根拠となり、定理、公理の正当性が問題となる。そして、その正当性は、手続に基づく。帰納法というのは、既成事実を積み重ねて創造していくものであるのに対し、演繹法というのは、一定の定理、公理から論理的に導き出すものである。帰納法は、議論を戦わせながら導き出すものであるのに対し、演繹法は、定理、公理を定めるまでは、議論をするが、法則が定立されてしまえば、基本的に議論の余地が少なくなる。ただ、論理的に検証することとなる。つまり、帰納法的捉え方と演繹的捉え方は、根本的な思想上の違いとなる。故に、国家理念はいずれに基づくかに依るのかを明らかにしなければならないのである。

 近年環境会計の確立が叫ばれている。我々は、会計本来の目的を見落としているのではないだろうか。会計は、収益計算の道具ではない。経済現象を測定するための仕組みである。利益は、その目安に過ぎない。我々は、必要とあれば、利益計算の中に、環境問題を取り込むことも可能なのである。その根本は、会計目的、会計目標を明らかにすることである。利益が目的なのではない。利益は、経済目的を達成した時の結果である。補助金や課徴金を加味しても利益計算は可能なのである。問題は、利益ありきではなく、その前に経済目的があるのである。経済性とは、その経済目的によって求められる指標なのである。

 公会計制度の確立の必要性は、会計制度そのものの目的の再確認と経済目的の統一にある。現在の財政も家計も時間の概念が組み込まれていない。その為に、即物的、現物的判断しか下せないのである。計算の基準が統一されていないために、体系的な形で、負債や償却の概念の整合性を採ることができない。会計制度は、家計や財政に取り込まれてはじめて本来の機能を発揮する。

 南海バブルと株式会社形成の関係や恐慌が会計制度に与えた影響、オイルショックやニクソンショックが国際経済や国際政治の力関係に及ぼした作用、太平洋戦争とケインズ政策の関係、温暖化現象と経済発展の相関関係など経済は、歴史的産物である。歴史性のない、経済などない。そして、その歴史性と近代経済とを結びつけている媒体こそ会計制度である。近代経済は、会計制度の確立と平行して始まったと言っても過言ではない。それなのに、近代経済学、会計制度をその基礎に取り込をとしていない。それでは、適切な経済政策を立てることはできない。

 会計というインフラストラクチャーの果たす機能を明らかにし、その土台の上に経済体制を構築する必要があるのである。

 複式簿記は、資本主義体制を準備し、資本主義体制は、会計制度を洗練し発展させた。このように、近代会計制度は、資本主義経済と相互に影響を与えながら、成立してきたのである。資本主義と近代会計制度は不即不離な関係であり、会計上の問題は、即、資本主義上の問題だと言っても過言ではない。突き詰めてみると、会計上の価値は、資本主義的価値の根源である。
 この様な資本主義と会計制度の依存関係は、決して偶然的になされたのではなく、双方の発展を歴史的に補完してきたことに起因する。
 例えば、インフレや恐慌は、会計制度の発展を促し、会計制度は、インフレや恐慌を終息させることを期待された。このことによってたしかに、市場経済は、合理化され、会計制度は洗練された。問題なのは、果たして本当に会計制度は当初の期待通りの役割を果たしえたかという点である。
 会計制度は、資本主義を制度的に下支えしていながら、資本主義体制に対し従属的に補完してきた点は否めない。
 資本主義にたいして会計制度が従属的であるが故に、会計制度は、資本主義に対し自立的な地位を築けず、会計学も経済学に対して従属的な地位しか与えられてこなかった。また、会計制度は、経済や経営の道具として、また、時には政治の駆け引きの道具として都合良く利用されてきたきらいがある。
 資本主義経済にとって会計制度は、市場経済のインフラストラクチャー、基盤でありながら、これまで、経済学や経済政策に対し、直接的、能動的に関わることは、きわめて稀であった。
 ところが今日、会計制度に対する期待、時には過度の期待が、急速に顕著になり、バブル崩壊後の経済の切り札のようにすら言われてきている。銀行の自己資本比率の問題や時価会計制度、税効果会計、連結決算の問題がここにきてにわかに注目を浴びているのがその証である。これほどあからさまに経済問題に会計制度が結びつけられた時代はかつてないであろう。銀行の不良債権処理における原価主義の是非に対する論争に見られるように会計基準自体が政治問題化するという前代未聞の事態まで引き起こしている。

 貨幣制度が有効に機能するためには、複式簿記を基礎にした近代的会計制度は不可欠である。そして、会計制度は貨幣経済がなければ発展しない。いずれにせよ、資本主義体制が確立するのは、貨幣経済が浸透してからであり、会計制度は、資本主義体制の発展とともに浸透していくのである。
 そして、資本主義を成立させた重大な要因のもう一つが、ゴーイング・コンサーンを目的とした企業主体の成立である。もともと、当座企業から発達した企業体も、やがて、当座的な性格から継続した企業体へと変貌し、それが一方において、資本主義を構成する株式会社へと、また、他方において期間損益をベースとした近代会計を成立させていくのである。このような継続を目的とした企業が期間損益を生み出し、発生主義という会計制度の基盤的な理念を形成させるのである。
 会計制度は、市場経済に決定的な役割を果たしている。市場経済は、資本主義経済の根幹にあり、経済の実相を支配している。故に、会計制度は、経済の実相において支配的、決定的な機能を果たしているのである。
 この様に資本主義経済で決定的な役割を果たしているのに、これまで、会計制度が、政治や経済の重要な局面において有効に働くことができなかったのは、会計が法曹界のような自立な地位を与えられず、従属的な地位に甘んじてきたからである。

 繰延勘定、繰越勘定、また、非貨幣性費用(減価償却費、引当金勘定)、即ち、決算調整勘定にこそ会計制度の秘密は隠されている。更にいえば非貨幣性資産が、利益を調整するのである。そして、未実現利益である。

 会計制度は、通貨によって動いている仕組みである。資金は、会計制度の動力、エネルギーだといえる。エネルギーは力であって無形な働きである。
 通貨の力、即ち、資金力は、電力と言うよりも水力に似ている。水力発電機は、水の流れによって水力が生じ、発生した水力によって発電機を動かす機械である。
 水力によって動く機械や仕組みは、水の流れによる力によって動くのである。仕組みや機械の中に水がなかったり、水が静止している時は、水力は生じない。
 財務情報を視る時に注意しなければならないのは、財務諸表に表示されている数値は、実在する通貨の量を表してた数値ではないと言う点である。財務諸表に表示されている数値は、通貨が流れた痕跡に過ぎない。表示された数値だけの現金が用意されているわけではない。数値が指し示した対象の貨幣価値の水準を示した値に過ぎないのである。

 会計上の利益を、公式に基づいて数学的に導かれるものだと言う錯覚がある。しかし、利益は、厳格なものではなく。融通無碍な概念である。しかも、利益は、一つではなく。合法的に、複数の利益が導き出せるのである。公式においても日本の会計基準に従って出した場合黒字だった決算が、アメリカの会計基準では赤字だったという事は、頻繁に起こりうるのである。

 現在の会計制度の単位は国家である。つまり、国家毎に会計基準が違う。その為に、先のような国家毎に決算内容が違うという事態が起こる。今日、この弊害をなくすために、国際会計基準の制定が急がれている。
 しかし、問題はそれ以前に、会計と経済との相互関係を明らかにすることである。
 
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