我々は、税を考える時、はじめに、税金ありきという考えに捕らわれていやしないだろうか。それも納税ありきという考え方に・・・。だから、税のことを問題にする時、専ら納税の問題になる。そして、納税者の問題となる。しかし、税の問題には、納税だけではなく、徴税の問題がある。また、徴税者と納税者が存在する事を忘れてはならない。そして、本来、税の目的は、徴税者側にあるのである。
 財政学の発端は、宮廷官房学と言う君主の私的な動機にある。それが税の性格を決定付けている。日本人の多くが、税は、御上が必要な時に必要なだけ徴収するという意識がどこかに働いているのは、家産国家的な発想の名残である。つまり、国家が私的機関だという意識である。国民国家における税というのは、国民のために使われるものである事を前提としている。国民国家において、税が適正な機能を果たす為には、国民の意識を変える必要があるのである。

 多くの革命が税の問題をキッカケにして起こっている。アメリカと独立戦争がその典型である。英米法がコモン・ロー、つまり、民間にその主体をおいているのは、国家権力の横暴から、国民の権利を守らんが為にである。

 少なくとも、徴税者は、納税者に徴税の目的、使途、結果を報告する義務がある。その上で、納税者の納得と合意を採る必要があるのである。もし仮に、民間企業が、客の合意もないままに、商品を押し付け、それで代金を徴収しようとしたら、犯罪が成立するであろう。納税者の合意と納得もないままに、税を徴収する行為は、犯罪行為に等しいのである。ただ、納税者全員の合意を採ることは、事実上不可能であり、また、可能だとしても費用がかかりすぎる。即ち、現実的でない。だから、代理人を選挙で選んで、その代理人に通して合意を形成するのである。それが国民国家の鉄則である。
 税の本質は、徴税者の徴税目的にある。それを誤魔化している限り、税制の本質は理解できない。

 日本は、明治維新によって成立した政府にとって一番必要な経費は、軍事費だった。それが徴税の目的となったのである。そして、それは明治政府の宿命となり、結局軍の暴走となって敗戦を迎えるのである。

 何のために税は必要なのか。つまり、税の目的、必要性は何か。それを明らかにしないままに、税制度だけが一人歩きしている。徴税がキッカケで革命が起こりながら、結局、新政府の都合で徴税が繰り返される。問題はそこにあるのである。税とは、本来、合目的的な制度なのである。つまり、何に使われるかによって税制度は設計されるべきものなのである。税制度ありきではなく、国家理念ありきでなければならない。何に使うのかを明らかにせず、先に税を徴収しておいてそれから使い道を考えるのでは、最初から無駄使いを抑制することはできない。使い道を明らかにしないから、使い方がわからない。その上、抑制することもしない。使い切ることが義務なのだというわけの解らない原則を作り出す。必要のない物に税金を使い事は犯罪である。仮、税金が余ったら返金するか、非常の際に備えて貯金するのが筋であり、道理である。先ず誰が、何のために、徴税をするのかを明らかにする必要があるのである。

 今日の税制は、申告納税を基本としている。それは、税の根本精神を現していると同時に、徴税主体と納税主体が一体であることを意味している。これは義務と権利が不可分の関係にあることを意味する。義務のあるところ権利があり、権利があるところ義務が生じる。そして、それは国家主権と個人の主権の反映の結果である。国家の主権の方向性と個人の主権の方向性が作用反作用の関係にあることを意味している。義務教育は、国民の義務であると同時に国民の権利を構成する。また、国家の権利であると同時に、国家の責務である。国民の義務であると同時に国家の権利である。国家の責務であると同時に国民の権利である。この相互関係の上に義務教育は成り立っており、この関係を具現化したのが国民国家の教育制度である。

 教育の義務は、教えられる側の問題ではなく。教える側の問題なのである。これは、納税の義務も同様である。治める側の問題というよりも治められる側の問題なのである。

 納税は、国民の三大義務の一つとされている。つまり、近代国家の礎(いしずえ)である。なぜ、納税は義務なのか。それは、近代国家は、税収によって成り立っているからである。しかし、これは、絶対的なものではない。国家も民間企業のように利益で成り立つことも理論的にはあり得るのである。また、それこそ、必要な貨幣を創造することも国家は可能である。なぜ、近代国家は、納税を基礎とするのか。それは、税の使い道や目的によるのである。即ち、近代国家が税収によって成り立っているのは、国家財政の目的が公共性にあるからである。私的利益に基づくわけに行かないのである。しかし、無税国家というのは、充分に考えられることを忘れてはならない。無税国家という概念は、かつて、松下幸之助が提唱したこともある。松下幸之助の場合、実務的裏付けがあっていっている。学問的でないと言って侮るべき思想ではない。

 国民の三大義務は、納税の目的に直結している。即ち、納税の核心となる義務は、教育と国防である。

 課税の目的は、第一に、公共費用の負担である。第二に、再分配である。そして、第三に、景気対策である。第四に、保護関税である。
 故に、基本的には、国家は、税収に基盤を置くべきである。それは、税が単純に公共費用の負担にあるわけではなく。所得の再分配、経済対策にもあるからである。更に公共費用の性格にも国家財政の基本を税収におくべき理由がある。

 公共費用の核心は、第一に社会資本の整備と維持である。第二に、公共財の管理である。第三に、治安の維持。第四に、教育。第五に、国防である。国防と言っても軍事だけでなく、防災や海上保安も含まれる。

 公共財は、用役・サービスと社会資本からなる。公共サービスの根幹は、戸籍である。戸籍は、出生届、婚姻届、死亡届の三つの要素を基本として作成される。これは、公共サービスの本質を現している。

 社会資本と公共財は違う、概念であるが、重なる部分を含んでいる。社会資本というのは、社会を成り立たせている基礎的資本、即ち、道路や港湾、上下水道といったインフラストラクチャーを指して言う。それに対し、公共財というのは、警察や軍隊、消防、公園、戸籍の管理と言った私的な目的にそぐわないサービス・財を指して言う。

 また、税金は、国家の主権と独立を守るために使われるべきものである。国家の主権と独立は、国家の存立基盤である。特に、国民国家においては、存在意義でもある。国家の主権と独立なくして国民の生命と財産は守られないからである。また、国家の主権と独立なくして、国民の権利と義務も必然的に護れない。いくら外見を民主主義的に整えても国家の主権が国民の手になければ、国家の主権も独立もないに等しいのである。

 社会資本の整備や維持にしろ、公共財にしろ、主権や独立の護持にしろ、便益を特定の個人に限定することが困難である。この様に効用の対象を特定できないが故に、国家は、税収に依るのである。

 また、税の機能の一つに、再分配機能がある。つまり、一旦税を徴収し、それを再配分する過程で、財や富の不均衡、偏向を防ぎ、是正する。その目的を果たすためには、国家は、税制度に支えられている方が妥当だと考えられるのである。
 景気の安定を構造的に国家制度に組み込んだのが税制度である。この様な、景気の調整機能を国家制度に持たせる意味でも、国家財政は税収に基づく方が都合が良いのである。

 ただ、間違えてはいけない。国家財政は、何が何でも税収に依存しなければならないという事ではないのである。税以外にでもいくらでも収入の途は考えられる。例えば借金である。国債は、国の借金である。現在の国家収入は、厳密にいえば、この税収と、国の借金、その他に、地代家賃や配当、金利、雑収入などが含まれるているのである。国家が儲けてはいけないという決まりはないのである。

 税の分類尺度には、第一に、徴税者による分類。第二に、納税主体によるもの。第三に、納税対象によるもの。第四に、税の目的や機能による分類。第五に、納税手段・徴税手段によるものがある。

 第一の、徴税者というのは、基本的には、国家とそれ以外の公共団体、典型は地方公共団体である。近代国家においては、私的団体が徴税者になる事は、稀であるが、封建主義体制や社会の混乱期には、往々にして見られる。封建領主や陰の政府のような徴税者となるのが典型である。また、徴税権を担保とした場合や、また、徴税権が他国や国外の何等かの機関や勢力に奪われた場合、実質的な徴税者は国家ではなくなる事もある。徴税主体を何処におくかは、建国理念、建国思想、国家主権、国家の独立に関わる問題である。

 第二の納税主体には、直接的なものと間接的なものがある。つまり、納税者が直接的に納税する場合と何等かの媒体を介して納税する場合の違いである。納税義務者と担税者が直接税は、一致していて、間接税は分離しているとも言える。
 更に、納税主体は、納税単位が問題となる。納税単位とは、納税対象、納税ベースにも関わる問題である。

 第三に、納税対象の問題である。納税対象には、ストックとフローの別がある。ストックというのは、現物である。現金主義とは、現物主義でもある。フローというのは、取引の過程や商品や貨幣の流通過程に対して課せられる税である。

 課税ベースには、先ずストックとフローがある。ストックとは、存在物に対して課税される税であり、フローとは、運動に対して課税される税である。ストックというのは、所有権や存在に関わる権利をペースとしてにかける税である。そして、ストックとは、人、物、金を対象とする。所有権や存在に関わるという事は、資産、財産を対象とする税である。所有権というのは、資産財産に直接かけるのではなく。相続税のように、資産財産を所有する人、また、これから所有使用する人を介してかける税で、いわばもストックの間接税である。この様な税は、課税ベースは、人である。また、人頭税や固定資産税のように、存在そのものにかける税と外形標準課税の様に、存在の在り方、外形、形式にかける税とがある。これは、ストックにおける直接税である。また、金にかかる税というのは、貨幣、及び貨幣に準ずる預金や株券、有価証券に対してかかる税で、その場合、貨幣や貨幣に準ずる物を所有することに直接課せられる税と、金利、配当のような物に課せられる税とがある。

 第四に、税の目的や機能に関わる分類方法である。税の目的という観点からすると、税制度の基本、基準の問題になる。つまり、税を絶対額とするのか、税率とするのか、税率とした場合、何を基数とするのか、計算基準、税率をどうするかが問題となる。

 税の目的には、先に上げた四つがある。すなわち、第一に、公共費用の負担である。第二に、再分配である。そして、第三に、景気対策である。第四に、国家間の経済事情や税制の違いからくる弊害の除去である。

 現在、税の分類は、その取引過程の局面、即ち、収得税、消費税、流通税、財産税に分類し、更に、収得税を収益税と所得税に分類する。この中で財産税とは、ストックに対する税である。先の三つは、総所得、総支出、総生産に対応すると考えられる。また、内外格差の是正に対する税が関税である。流通税というのは、取引に関して課税される税である。現実には、取引上派生する手続に課税する印紙税、不動産取引税が考えられる。
 これら三つの局面の何処にどの様な機構を制度として組み込むかが税制問題である。それは、徴税目的と徴税費用を土台としてその効果と働きによって設計されるべきものである。
 ならば、本来、所得、消費、生産の局面を捉えて、その目的と費用、効果を分析した上で、徴税制度を構築すべきなのである。そうなると、所得税、消費税、付加価値(生産)税となる。

 公共費用の負担の問題は、突き詰めると受益者負担の問題に発展する。つまり、公共費用の定義の問題である。公共費用は、基本的に要件定義である。つまり、観念的言葉による定義ではなく、事実関係による実体的定義でなければならない。そこで問題となるのは、誰が受益者となるのかである。
 受益者を広義に捉えると、既得権益者、公共事業による受益者も含まれる。

 財や富の再分配という考え方にたつと、単純にストックに課税すればいいと言うわけにいかなくなる。つまり、財の分配に関わる局面においていかに課税するかの問題となる。となると分配や取引の過程が重要となる。
 生産と消費、所得どの局面において税を課すべきなのか。また、その他の局面として、フローとストックがある。いずれにしてもどの局面において税を課すべきかによって経済構造は、重大な影響を受ける。

 ストックも、ストックのどの様な局面において、課税するかが重要になる。特に、相続税のように、資産を受け渡しする局面、が重要となる。ストック、即、資産に対する課税は、未実現利益、潜在的価値の表面化を意味する。その場合、利益が実現した段階で課税すべきなのか。利益が確定していない段階で課税すべきかが問題となる。
 ストックは、資金の源泉、資金調達のための原資、担保である。ストックは、地代家賃、金利、配当を生み出す一方、キャピタルゲインを伴う。そのいずれに課税するのかが問題なのである。ストックの貨幣的価値は、不変的な物でなく、かなり流動的である。一定しない資産の価値を何処で捉えるかによって課税の正当性が問われる。また、資産には、有形と無形があり、資産の定義によって課税対象が変わる。
 バブル経済が弾けた後、相続税をどの時点で確定し、どの様な手段で支払うかによって大きく明暗を分け、極端な場合、税が相続資産を大幅に上回ってしまい自殺者や破産者がでたような例すらある。これでは、税の目的を大きく逸脱していると言われても仕方がない。

 フローは、循環と交換である。そして、その運動が配分に結びつく。循環と交換を繰り返しながら付加価値を生み出していく。

 また、財の再分配という事からすると、何に(誰に)対し、どの様な局面において、どの様な基準に基づいて、どの様な税率の制度を導入するかが重要になる。特に、税の累進制が問題になる。整合性もないままに税を課せば、市場の均衡を損ない、経済そのものをおかしくしてしまう。

 国際課税制度は、国家間の経済制度の違いからくる障害から国内の経済を護る役目がある。企業活動が国境を越え、多国間にわたるとそれに伴い国家間の制度上の違いや実情の違いによっていろいろな障害が発生してくる。時には、それが景気の変動や経済制度、経済活動、産業に甚大な被害、打撃を与えることがある。この様な被害や打撃を未然に防ぐのが国際課税制度の役割である。

 国際課税制度の目的とは、第一に内外価格差の調整。第二に、租税回避行動の抑止。第三に、二重課税の防止。第四に、多国籍業の内部取引に対する利益操作の防止。第五に、資本取引による利益の転移の防止である。

 第一に関税であるが、関税は、内外価格差を是正し、国内の産業を保護する役目がある。関税は、自由貿易の障壁となるために、度々やり玉に挙がってきた。しかし、為替の変動や国家間の物価水準、物価構造、また、税制や経済制度は一様ではなく。何らかの規制をしなければ、国家間の整合性が保てなくなる。また、国内の産業経済も不安定なものにならざるを得ない。そして、これらの政策や制度の変更は、国家の主権に関わる問題である。それ故に、関税制度は、単純に保護主義か自由主義かでは割り切れない問題である。更に、国家の主権、独立に関わる国内の問題であると同時に高度に国際的問題でもあるのである。

 関税は、内外格差を是正する事を本来の旨(むね)とする。ただ、国外の経済変動、高波から国内の産業を防御するという目的もある。つまり、防波堤の役割も果たさなければならない。しかし、制度である以上、タイムラグが派生することを前提として考えなければならない。その場合、機動的な対応できるような制度が要求される。関税は、その性格上、保護主義的な傾向を持つが、それ以上に、為替の変動や価格の変動を敏感に関知し、対応できるものでなければならない。産業を保護するというよりも、国外からの津波のような経済変動から防護するという機能の方がより要求される。その意味では、関税は、単独ではなく。為替制度と連動することが求められる。

 第二に、租税回避行動を抑止するために、タックスヘブン税制がある。たっくすヘブン税制とは、無税国、低税率国、国外所得軽課税国、租税特典国を利用した租税回避行為の抑止に目的がある。

 第三の、二重課税を防止する税制度とは、外国税額控除制度は、源泉地国課税と居住地国課税が二重課税にならないよう調整するための税制である。これは、ある意味で税金の取り合いの問題である。

 第四の、過小資本税制は、親会社と現地子会社間での貸借、資本取引において負債率を意図的に操作することで、利益を転移することを防止するための制度である。

 第五の内部取引による利益操作の防止とは、例えば、移転価格税制である。移転価格税制は、内部取引によって利益操作が行われないようにする制度である。税制の違う国家間において、企業集団の内部取引を操作することで、利益を移転し、租税を回避することができる。このような不当な租税回避行為を抑止する制度である。

 問題となるのは、源泉地国課税主義と居住国地価税主義である。この問題は、経済活動によって受けた利益は、どこに帰属するかの問題である。戦争がある度に、石油のような国際的な市場で活動する企業の愛国心が問われたが、企業の多国籍化は、ごく限られた企業の問題であった国家の利害と企業の利益との整合性の問題をますます深刻なものにする結果を招いた。

 第五の納税手段とは、納税者から見た手段と、徴税者から見た納税手段とがある。納税者から見た納税手段とは、今日では、物納というのは、相続の場合に一部認められている場合があるが、基本的に行われなくなった。しかし、貨幣経済が浸透する以前は、物納の方が一般的だったのである。賦役、用役、労役と言う形で、無形な労働力、サービスで支払場合も存在する。徴兵制度に明ける軍役義務は、税の一種だと見なすことができる。事実、過去においては、納税義務と同等に考えられていた。

 また、申告納税か賦課課税かの分類があり、これは、税に対する根本的な思想に関わる問題である。税の性格や目的に応じて選択される。故に、申告納税か、賦課課税かは、該当税の正当性に関わる問題である。

 徴税者側見た納税手段というのは、言い換えれば、徴税手段であり、徴税者の側の徴税コストと徴税目的、徴税効果による。つまり、コストパフォーマンス、即ち、費用対効果の問題である。それに伴う納税基準、納税制度が鍵を握る。

 税と経済を結びつけた議論というのは、ないわけではないが、粗雑なものが多い。税と経済とは、切手も切り離せないものだけに、よりきめ細やかな議論がされるべきである。いずれにしても、税は、国民の生活から切り離して考えられないものである。徴税者が、徴税目的を明らかにできないままに税を当然な事としている限り、真の国民国家は成立し得ないことを肝に銘じるべきである。

 産業に関わる税というと一般に法人税を思い浮かべがちであるが、実際には、全ての税が何等かの形で関わっている。産業、経済、市場に税は多大な影響及ぼしている。税制の変更が、経済上のいろいろな問題を引き起こしているとも言える。バブルとその後の経済の停滞に、相続税や地価税が深く関わっている事は、明白である。また、税効果に関わる税法改正も重要な要素である。それ以前に確定決算主義の問題がある。この様に、税制は、産業の命運、存亡をも決しかねない大事である。目的から、機能は導き出される。その意味で、徴税目的の解らない税ほど厄介なものはない。税が産業に与える影響を明らかにする意味でも、徴税目的を明らかにする必要があるのである。

 産業に関わる税というのは、基本的に生産に関わる税なのである。つまり、生産のためのインフラストラクチャーの整備と管理や景気対策の目的に主として向けられるべき性格の税なのである。
 産業のインフラストラクチャーとは、水利、交通、通信、エネルギーと言った生産に直接、間接に成り立たせる土台である。
 また、産業廃棄物の処理や公害防止、環境の保全と言った産業の周縁部。労働条件や労働環境の改善や整備、例えば、福利厚生、環境衛生、失業対策と言ったもの含まれる。また、金融関係、これは税だけでなく、再分配という形で補助金やその財源、また、保険やセーフティネットの整備などをいう。
 産業のインフラストラクチャーに関わることで、公共財や社会資本は、生産に関わる者、即ち、産業が主体的に関わる必要がある。そうしなければ、企業は社会的責任を果たせなくなる。公害のような環境問題の責任の多くは企業が担うべきものである。しかし、単一の企業では、自ずと限界がある。また、競争を旨とする市場原則に従っていたら、公共の利益が犠牲にされることも多々ある。この様な企業単位では取り組めない、又は、限界を補填するのが、国家や公的機関の役割である。そこに、徴税目的がある。この様な徴税目的からこそ税制は考えられるべきなのである。

 今後環境の変化などに伴って環境税などの目的税の導入が予測される。また、懲罰的、罰金的な性格を持つ税、つまり、何等かの抑止効果を期待して税の検討も必要となるであろう。これらの税は、徴税目的が比較的明らかな税である。

 税の本質は、納税目的というより、徴税目的にあると言っていいだろう。
 なぜ、税を徴収しなければならないのか。そして、なぜ、税金でなければならないのか。それが徴税の目的と意義であり、それを裏返したところに、納税目的が隠されているのである。ところが、世の中は、納税ばかりを問題としている。税制のおいて肝心な責任は、納税者ではなく、徴税者の側にあるのである。



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