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 経済は、絶対的空間に浮かぶ、有限な島みたいなものであり、相対的なものである。経済が相対的だという事は、経済の規模(スケール)を確定する為には、何等かの基準が必要となる。第一に、経済を計測することが可能かと言う事になる。何処まで捕捉することができるかが、問題となります。

 ここで重要なのは、経済は、現実であり、実体的なものだと言うことである。そして、一定の物理的空間の中で成立しているという事である。もし、実体的生活において必要とする物資が不足した場合は、それを外部から調達してこなければならないのである。いくら金があっても自分が現に生活している空間内にその財が存在しなければ、それを贖う事は不可能なのである。今日、その空間範囲の単位は、国家である。それ故に、物理的空間における経済単位は、国家である。
 金が全てではなく。財が全てなのである。我々は、経済的価値や規模、趨勢を貨幣によって表現する。その為に、貨幣が全てであるように錯覚しがちであるが、実際には現物が全てなのであり、その経済的価値を貨幣が表象しているだけであり、貨幣価値には何ら実体がないのである。極端な話、貨幣価値は、紙幣をすればいくらでも創出することはできるのであり、要は、貨幣の信認の問題なのである。それに対して、食料のような現物財は、不足すれば、直ちに生活に反映され、人々は困窮する。つまり、貨幣は、現物材を反映した物にすぎないのであり、現実の経済においては、現物、実物の動きが重要なのである。現物、実物の動きを計測するために貨幣が存在するのである。また、貨幣は、経済を活性化するための触媒のような存在であり、それ自体重要ではあるが、経済そのものの実体ではない。いわば、温度計のアルコールみたいなものである。
 現実は、食糧が不足すれば、国民は飢えるのである。だからこそ、交易の確保が至上命題となるのである。それが経済である。

 貨幣は、交換価値を計数で表した表象に過ぎない。つまり、交換価値を量的に表した物である。市場価値は、交換価値だけでは成り立たない。市場価値で重要なのは、密度である。密度で表すためには、質を表す基準が必要である。その基準は、財そのものにある。つまり、使用価値であり、希少価値である。市場価値は、貨幣と財の関数として成り立っている。

 貨幣は、数値として交換価値を量的に表象したものである。物差しに実体がないように、貨幣の基準には、実体はない。実体は、財にある。財の価値とは、使用価値であり、希少価値であり、価値観であり、倫理観であり、嗜好である。
 銀座の土地は、希少な土地だからなの、それとも、高い土地なのかどちらなのかは、個人の価値観に依るのである。相対的なものである。ゴッホやゴーギャンの絵は、想像を絶するような高額で取り引きされているが、画家が存命中は誰も見向きもしなかったのである。今や絵画は、その美術的価値を離れて投機の対象となり、真の愛好家の手の届かない物になってしまった。それは、本当の価値を市場が評価していると言えるのであろうか。
 市場価値を絶対視することの危うさがそこに潜んでいる。

 近代は、借金によって発展した。つまり、借金の技術が、市場価値に時間軸を加えたのである。それによって価値が立体的な体系に変化した。価値に時間という座標軸が加わったことによって近代企業経営の礎が固まったのである。この点を忘れては、産業構造は理解できない。
 

経済における産業の位置付け