産業は、企業の集合体である。産業を構成するのは、独立した経済主体である。資本主義経済下においては、この経済主体の中心は企業である。そして、資本主義体制においては、この企業の形態で最も多いのは、株式会社である。この事は、産業の性格にも重大な影響を及ぼしている。

 事業体は、継続を前提としている。しかし、継続を前提としていても継続するための要件を満たさなくなると事業体は、倒産をする。

 資本主義体制では、資本(新会社法では、純資産)の在り方が重要になってくる。つまり、資本は、事業体の合従連衡を決定付ける要素であり、生殺与奪を決する要素だからである。そして、資本の概念が発展する過程で資本主義経済は、確立されてきたのである。

 企業経営には、リスクが伴う。大体、経営は、リスクをとることによって成り立っている。そのリスクが利益や資本を必要とさせているのである。

 リスクの全てを捕捉することはできない。将来起こることの全てを予測するのは、不可能である。確実に利益が上げられるという保証はない。この世は不確実なのである。だからこそ利益や資本が必要なのである。

 純資産の問題を検討する場合、リスクの問題は避けて通れない。純資産を成立させている要素は、リスクそのものだからである。

 純資産率がある一定の数値を下回ると負債の返済が滞り、資金が廻らなくなる。最悪の場合、負債が雪だるま式にふくれあがり、返済不能に陥る。財政も同じである。

 利益率も同様である。ある一定の数値を下回ると、支払が滞り、資金が廻らなくなる。そして仕入れができなくなり、商売が成り立たなくなる。

 企業経営において、利益が安定しないのは、費用は、平均的だが、収益は流動的だからである。つまり、消費は固定的だが、所得は流動的だと言う事を意味するのである。(「経済指標はこう読む」永濱利廣著 平凡社新書)この様に、入りより出が確定的だというのは、恒常的なリスクを企業は抱えていることを意味する。必然的に企業は、利益を平準化し、内部に留保しようとする。それは、企業の目的の一つに継続があるからである。
 現代企業は、継続性を前提としている。かつてのような一航海を一つの事業とした時代は、一回限りの当座の事業でよかったが、現代企業は、継続することが大前提である。
 企業は、継続が不可能となれば、解散するか、清算するか、倒産するしかない。解散したり、生産、最悪倒産した場合、企業に関わっていた者、例えば、出資者や債権者、それから従業員、取引先、顧客に被害が及ぶことになる。だから、企業は継続を目的としなければならないのである。
 継続を前提とする限り、リスクは避けられない。つまり、予測不可能な事態や予期せぬ出来事は、不可避だからである。何よりも、出費は確定的で収益が流動的なのであるからである。

 企業は継続されているうちは、純資産の実際的価値は測れない。つまり、株主持ち分とか、純資産と言っても清算しない限り、実際的価値はないのである。つまり、未実現利益なのである。しかし、未実現利益であったとしてもそれに、配当や税金が課せられてしまう場合がある。これもリスクである。

 税も清算時点や財を売却した時点で実質的に清算される。ところが、税は、毎期清算しなければならない。これもリスクの一つである。会計処理を誤って過大な税を支払わなくなった場合、最悪資金繰りに窮して倒産してしまうことすらある。

 では、企業が継続する上で何が一番必要なのかというと資金である。故に、会計上の現実的、実際的な問題で鍵を握っているのは、資金である。それ故に、決算報告が必要とされるのである。つまり、決算報告の第一の相手、本来の相手は、資金の提供者である。アカウント、即ち、会計は、資金の提供者への説明、報告を目的にして成立したのである。そして、その過程で、負債の技術や償却の技術が確立された。つまり、資本が成立したのは、負債の技術と償却の技術が発達したからである。

 このリスクと利益に対する考え方の差が、民間企業と公共事業の違いでもある。資本主義経済の特徴は、このリスクにあるとも言える。リスクがあるから責任も生じるのである。官公庁や準公共事業なのでモラルハザードの問題が起こるのも、リスクが存在しないからである。民間企業の経営者は、会社を倒産させれば名実ともに責任をとらされる。それに対して、官公庁の責任者は、収賄の様な犯罪でも犯さない限り、責任を問われることはない。事業に失敗しても高額の退職金をもらい、天下り先を与えられるのが関の山である。むしろ、運が悪かったと同情されるくらいである。これでは、事業に対する責任なんて生じるはずもない。任期を何事もなく勤め終えることに汲々とするだけである。日和見主義、事なかれ主義に陥るのも無理ない。

 また、企業体を性格付ける要素に企業は、法人だと言う事がある。法人とは、法的に与えられた人格を有する組織体という意味である。資産を保有したり、売買すると言う事、即ち、所有権にかかわる諸権利は、本来人間にしか与えられていない。その人間にしか与えられていない権利の一部を法的によって認められた組織や団体を法人というのである。つまり、企業は、最初から法的な存在なのである。

 企業は法的な存在である以上、法的なリスクも避けられない。法的なリスクというのは、法による制約によってもたらされるリスクである。法を成立させている社会の変動によってもたらされるリスクである。

 産業の基礎単位は、事業体である。事業体も一種の共同体である。共同体としてのリスクもある。それは、共同体を維持・統制していく上でのリスクである。

 この様に、産業は、リスクを前提として成立している。この事が、産業の性格を如実に現している。


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産業とリスク