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個人主義・自由主義・民主主義

 現代社会の思想の核は、個人主義である。しかし、その個人主義が思想として確立されていない。現代社会の不毛さの原因がそこにある。

 個人は、自己を客体化したものである。
 自己の客体化という意味以外に、個人は、一個の人間という意味、個としての人という意味もある。前者は、生物学的な意味をもち、後者は、社会における最小単位という意味をもつ。つまり、個人は、生物的、社会的属性を併せ持っているのである。

 個人主義思想の根源は、自己にある。個人主義が思想として確立できないのは、自己の定義が曖昧だからである。
 個人の定義をする為には、まず、自己の定義をした上で、それを再度個人の定義に変換するという二重の手続きが必要である。個人の定義が曖昧なのは、この手続きの複雑さにも一因がある。

 自己とは、何か。まず、自己とは、すべての存在の前提だと言うことである。自己は、唯一な存在、絶対な存在である。次に、自己は、存在それ自体である。そして、自己は、独立し完結した存在だと言う事。つまり、自己は、それ自体で存在している。また、自己は、自己の唯一の体現体だと言う事。つまり、自己を、体現できるのは、自己だけなのである。そして、自己は、主体であるという事。認識主体だと言う事。また、自己は、今しか存在しない。そして、自己は、霊的な存在である。最後に、自己は、間接的、認識対象だと言う事である。

 ここで定義された自己を客体化すると個人の定義になる。
 自己の定義を個人の定義に置き換えると、自己が、全ての存在の前提であるということは、個人も、全ての対象の前提となる。自己が、唯一な存在、絶対的な存在であるという事は、個人は、人的要素の最小単位である事を意味する。自己が存在それ自体と言う事は、個人も、存在以外の属性を持たない、素の存在物だという事である。また、自己が独立し完結した存在と言う事は、個人は、個人として他から独立した単体である。自己が、それ自体で存在すると言う事は、個人は、自立した存在だと言う事である。そして、自己が自己の唯一の体現体だという事は、個人意志や存在は、その個人しか外部に、表現できず、その権利も責任も、個人に帰属することを意味する。また、自己が主体的存在であるから、個人は、主体的な存在である。この様な自己が、今しか存在しないという事は、個人の立場や考え方、行動は、刻々変化していることを意味する。そして、自己が霊的な存在であるという事は、個人は、生き物であることである。最後に、自己が間接的認識対象であるという事は、個人は、外界との関わり合いによって自分を立場を理解し、位置づけることを意味する。故に、個人は、必然的に、社会的存在になるのである。
 また、自己は、間接的な認識対象であることによって、個人が社会に及ぼす働きは、内的な世界と外的な世界に同時に発生し、その関係は、作用反作用の関係になる。
 権利と義務、権限と責任は作用反作用の関係である。教育は、権利であると同時に義務であるというように、権利と義務は、作用反作用の関係にある。
 そして、権利と義務は、国民一般が一様にもつ力であり、権限と責任は、任意の個人がその立場に付随して持つ固有の力である。
 個人が一切の属性を持たない素の存在物であり、人的要素の最小単位だと言う事によって、個人の価値観のような属性は、全て相対的なものとなる。つまり、人間が判別した物は、全て相対的な物となる。何らかの価値基準が介在した物は、全て相対的なのであり、絶対的なのは、何の基準も存在していない素の対象、即ち、自己と神だけなのである。そして、自己が転化して個人を最小単位とすることによって、相対的な価値観から受ける社会の歪みを最小限に抑止しようというのが、民主主義の原理なのである。

個人は、主体的存在である。個人は、認識主体である。個人の幸せは、その人しかわからない。それが個人主義の前提である。そして、個人主義者にとって、結局、人生の目的は、自己の幸せを追求することだ。そこで問題なのは、幸せの中身である。そして、個人主義では、個人の幸せは、純粋に個人に帰属すると考える。だから、何を幸せとするかは、個人の自由である。ただ、個人主義社会では、他人の権利を侵さないかぎり、個人が自己の幸せを追求する事を妨げてはならない。それは、個人が個人の幸せを追求する事を個人主義者は、当然の権利と見なすからである。
 自分の見る世界しかわからない。他人の痛みは、基本的にはわからない。推測する以外にないのである。同様に、個人の幸せは、当人しかわからないという事が前提である。故に、個人主義社会では、自分が、どのような幸せを望んでいるかを申告することが前提である。なぜなら、それは、第三者が伺い知ることが、できないからである。個人主義国では、申告することによって権利が発生する。申告しなければ権利は無効となるのである 
 同時に、自分の事は、自分が責任を全て持たなければならない。個人の行為は、個人の責任に帰属するからである。また、個人の権利を成立させる根拠もそこにある。
 

個人主義

A 個人主義の根源