家族の構造を前提として、家族の構成を考えてみたい。家計の構成は、多様であるけれど、複雑ではない。経済活動の原型は、家計にある。

 現在の経済学に経済学に携わる人間以外が関心を持たないのは、経済学が俗ぽっくない、俗を嫌う、つまり、世間離れして、役に立たないからである。特に、家計の分野においては、それが顕著である。
 家庭の主婦にとって現代の経済学は、無縁である。経済学を学んだことで、家計のやりくりがうまくなったとか、老後の資金を捻出したという話は、とんと聞かない。
 なにも、家庭の主婦に限ったことではない。経営者でも、経済学を経営に生かしている人をあまり見受けられない。大体、経済予測は、当たらないのが通り相場になっている。経済学者は、自分の予測に責任を持たないでやっていける商売だと、皆、思い込んでいる。最近の天気予報官だって予報が当たらなければ食べていけない世の中だというのにである。
 しかし、本来の経済学は、世の中の役に立つものでなければならない。現在社会の混乱は、経済学が役に立たないことに起因していると言っても過言ではない。

 なぜ、経済学が、役に立たないのかというと、経済学者が、経済を経済という特殊な枠組みの中でしか捉えられないからである。経済は、元々人間学である。人間に対する洞察なく、経済的効用ばかりを問題にしていたら、経済の本質を理解することはできない。それこそ、木を見て森を見ないことになる。現代経済学の効用理論の限界がそこにある。
 例えば、大学への進学を効用論的に捉えたら、現実の進学の動きを理解することはできない。大学に進学する動機を知るには、効用論よりも心理学や哲学、人生観を調べた方がいい結果が得られることは明らかである。そこに効用論、現代経済学の限界がある。

 経済学は、人間学である。そして、家計は、人間の一生や生活を土台にしたものである。故に、その社会や時代の人生観、世界観、価値観に家計の構成は左右される。

 家計の構成比の変化は、家計にたいする思想的変化に影響される。例えば、資本主義体制が確立する以前は、質素、倹約、良い物を長く使う。場合によっては、何代にわたっても一つの物を大切に使っていく。お下がりやお古を使う(リサイクル)。勿体ないことはしない。物を粗末にしない。無駄使いをしない。食べ物を残さない。修理、修繕をして、安易に買い換えないと言った思想が中心であったが、それが、資本主義が浸透するにつれて、正反対の思想に変わってきた。
 例えば、使い捨てが当たり前になり、経済的であるとされるようになってきた。修理、修繕して使うよりも、新製品に買い換えた方が効率が良いという事になる。浪費は、美徳とされ、贅沢は、経済を活性化すると言って奨励されるようになってきた。大量生産、大量消費時代なのである。
 大量生産、大量消費時代以前は、経済的というのは、ある意味で、ケチの、不経済的というのは、ある意味で浪費の代名詞だった。それが今では、使い捨ての代名詞である。質素倹約は、資本主義体制では美徳ではないのである。物を大切にというのは、年寄りの戯言に過ぎないのである。勿体ないとか、食べ残したりすると神様の罰が当たるなんて言うのは、的はずれの迷信に過ぎないのである。そこから、飽食の時代が幕が開ける。そして、壮大な浪費が始まるのである。現代社会の病巣は、時代の価値観にあることに気がついていない。ライフスタイルを変えない限り、現代社会の問題は解決できない。
 この様なライフスタイルの変化は、必然的に家計の構成を変化させる。

 一見消費が誘導している経済に資本主義は見えるが、実際は、生産が消費を促している体制なのである。

 資本主義体制が成熟化する過程で、生産性や生産の効率性が尊ばれるようになってきた。資本主義以前は、効率化と言えば、消費の効率化を意味してきたが、資本主義体制下での効率化と言えば、生産の効率化をさすようになってきたのである。つまり、消費中心の価値観から生産中心の価値観へと変化してきたのである。

 この様な思想的変化は、物の効用を変えてきた。つまり、使い捨てや浪費に適合した商品だけが生き残ってきたのである。無駄遣いが奨励される時代、大量消費の時代の始まりである。この様な時代から見れば、前時代は、恐ろしく不経済、非効率な時代に見える。しかし、実際に前時代は、不経済で、非効率な社会だったと断定できるであろうか。後世、今の時代を振り返った時、人類の大切な財産を無駄に浪費した時代といわれはしないだろうか。

 家計の構成比率には、収入と支出の両面がある。さらに、自家消費用の生産物、それに対する労働分担の比率がある。一般に家計というと、支出的な側面ばかりが強調される。しかし、実際には、家計は、支出のみで成り立っているわけではなく。多の二つの側面も重要であることには変わりない。ただ、多の二つの側面に関しては、構造的要素が含まれるので、家計の構造で述べることにし、ここでは、支出面での構成を見てみたい。

 また、家計の基礎は、財産(耐久消費財を含む)であり、財産の構成比率も家計に重大な影響を及ぼす。家計として現れるのは、月々の収支であるが、その月々の収支の地盤・基盤は、財産である。財産の形成は、負債とのバランスの上に成り立っている。つまり、資産は、金融費用の源泉を形成する。その結果、月々の収支と資産、財産とのバランスが家計を形作っている。そして、月々に発生する費用の固定的部分を形成し、可処分所得を圧迫、制約する。表に現れる日常の収支は、氷山の一角に過ぎないのである。

 家計の核は、生計である。即ち、衣食住関連した出費であり、次に、生病老死に関連した出費である。そして、次に、社会に関連した出費、即ち、車両費を含む交通費や通信費、金融関連(保険料等を含む)、納税費そして、最後に自己実現に対する出費、教育費や娯楽費、自己啓発費が加えられて構成されている。

 人間は、第一に生物・動物だと言う事である。第二に、社会的存在だと言う事である。第三に自己実現を目的とする存在だと言う事である。
 これは、脳の構造にも関連がある。そして、家計もこの人間の在り方を反映して構成されている。
 第二と第三の要素は、人間的な機能である。しかし、家計の核となるのは、第一の生物としての存在である。先ず生きる為に必要な要素、即ち、衣食住が、家計の中核、土台を形成する。その上に、社会的な要素が骨格を作り、自己実現を支えているのである。
 環境の変化やライフスタイルの変化によって家計の構成は必然的に変化する。その場合、先ず、自己実現の為の支出比率が低下し、次に、社会的支出が低下し、最後に生きる為の支出が低下する。

 神経生理学者の時実利彦博士は、脳には「生きている」事に関係する部分と「生きていく」事に関係する部分があると主張したが、家計にも同様な構造が見られる。(「脳のしくみ」泰羅 雅登著 池田書店)むろん、脳科学で言う意味とは少し違うが、基本的には、先ず生きる為の支出が優先されるのである。

 産業革命の影に農業革命、エネルギー革命が隠されていることを忘れてはならない。食糧の増産やエネルギーの転化がなくして、今日の繁栄は築かれなかった。また、平和も維持できない。そして、食料の増産もエネルギー資源も限りあるものだと言う事を忘れては成らない。

 家計の構成を産業革命、農業革命、エネルギー革命は、著しく変化させた。それは、人々のライフスタイルの変化に関連している。

 家計構成の比率を変化させる要素は、生活環境の変化、家族構成の変化、雇用環境、ライフスタイル、その国の文化的要素(価値観や教育に対する熱意、学歴偏重、女性の社会進出)、地域的特性、その国の経済力、国家制度、産業構造といったものである。

 教育費にどれくらい投資するかは、その国の生活水準や国民の価値観、雇用基準などによって左右される。単純に、経済学的基準、特に、効用概念によって説明できるものではない。近代経済学、マルクス経済学は、学問として粗雑すぎる。そこには、人間性がない。人間の生き様がない。人間に対する洞察がない。その国の文化や歴史、産業の特性もない。

 家計を構成する基本的要素は、衣食住である。この基本的要素に、最近は、教育費(育児費用を含む)、医療費(健康管理費や介護費用を含む)、情報通信費、車両費、貯蓄(保険料等を含む)、納税費(社会保険料を含む)、その他雑費(遊興費等)が加わり、年々比重が増加している。生ている事に関わる支出から生きていく事に関わる支出へと家計は発展・拡大していくのである。

 衣食住の内、食と住は、自足できる。それに対し、衣服は、現代では、自足できないで、外部から、出来合の物を購入する場合が多い。それに伴ってその付加価値としてのファッション性が重視されるようになってきた。このことは、家計に占める衣装費のコスト、費用の比率を増大させる要因となっている。つまり、被服費は、必需品と言うだけでなく、嗜好品的要素が加味されるようになってきたのである。そして、その部分をどう捉えるかによって家計の構成が変わってくるのである。

住関連費用は、耐久消費財関連費用が多い。

 衣食住は、日常生活に関連した費用であり、生病老死は、人の一生に関連した費用である。生・病・老・死関連の費用は、冠婚葬祭の費用でもある。

 人生設計を豊かに送るために必要な資金として大きな資金は三つあると言われている。第一に住宅資金である。第二に、教育資金である。第三に老後資金である。その他には、結婚資金である。出産、育児の費用。そして、葬式の費用がある。これは、長期的に見て必要な費用である。

 個々の家計を経済的に捉えると言う事は、人生設計に他ならない。人生設計は、その国の制度やその時代の価値観、ライフスタイルの影響を受ける。そのライフスタイルは、産業構造、経済体制といった社会構造や年金制度、社会保険制度、金融制度と言った社会制度の影響を大きく受ける。

 短期的支出と長期的支出の関係が、可処分所得と固定的費用の比率を決める。そして、更に長期的費用が、金融的なものに還元されることによって外部経済と家計との関連づけがなされる。また、長期費用の一部は、企業や公共機関が負担している。その他に、納税という形で、一定額の支出を義務づけられている。

 戦争、恐慌、人口増加、食糧問題、貧困、伝染病、温暖化、環境問題、資源問題、自然災害、ゴミ問題、これらは、人類にとって深刻な問題に発展しつつある。しかも、解決の糸口すら見つかっていないのが実状である。

 資本主義体制でも共産主義体制でも解決することは不可能である。それは、資本主義にせよ、共産主義にせよ、体制の構造自体にこれらの問題を増長させる要素を含んでいるからである。
 構造経済というのは、経済を構造的に捉えることによって、これらの矛盾を構造的に解消しようと言う思想である。

 構造経済というのは、省エネ型経済でもある。
 本来経済は、消費主導型、家計主導型であるのが正常なのである。なぜならば、物を生産したから、それを消費するというのは、何が必要なのかという視点を欠いているからである。世の中に必要な物、必要なだけ生産し、必要なだけ消費する、それが構造経済の目指す方向である。あるから使うというのでは、生産も消費も抑制できない。そのような経済は、必ず暴走する。

 食糧問題、温暖化、環境問題、資源問題、ゴミ問題、貧困、自然災害、戦争、恐慌、人口増加、いずれをとっも家計に重大な影響を及ぼす。特に、食糧問題、温暖化、環境問題、資源問題、ゴミ問題は、家計の分野が果たす役割が大きく作用する。

 構造経済は、消費が生産を律する体制でなければならない。そして、その為には、家計が果たす役割は、無視できないどころか、重大なのである。


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家計の構成