財政の機能は、経済構造全体に位置づけてはじめて解る。心臓だけ見ていては、心臓の働きが解らないのと同じである。また、心臓の疾患だけを治療しても健康に戻るとは限らないように全体に与える影響を考えないと財政の問題を解決することはできない。 

 景気を刺激する目的だけで公共投資をすべきではない。確かに、公共投資によって景気を拡大したり、経済成長を促し、景気を浮揚する効果を期待する事はできる。しかし、公共投資をすれば、景気が良くなると言う考えは間違いである。公共投資によって景気が良くなるのは、あくまでも、条件次第である。
 景気を刺激する目的だけで、無原則、無目的に公共投資を繰り返すのは、弊害ばかりを増やすだけである。無意味な公共投資である。
 たとえば、幹線道路を整備すれば、交通の発展によって周辺地域の経済を活性化することはできる。しかし、幹線道路がある程度整っている状況下で、闇雲に道路網を拡充しても環境破壊を招くだけである。この様に、草創期や成長期には公共投資は、効果的であるが、成熟期や衰退期においては、効果が期待できない場合が多い。
 公共投資は、効果と目的を持って為されないと、国土の荒廃を招くだけである。基本的に公共投資は、大規模な工事を伴うものである。故に、その結果引き起こされる環境破壊や資源の浪費も巨大なものになる。景気が悪いからと言って安易に発動されるものであってはならない。

 公共事業は、民間企業がやるには、投資額が巨額である上に償却が時間がかかる上、独占的であったり、地域的であったり、特殊な産業である場合が多い。そのために、公共事業は、密室化しやすいのである。

 公共投資は、麻薬のような効果がある。公共投資が大規模であればあるほどそこから生まれる利権も大きくなる。しかも、事業に関わる組織も大規模なものになる。故に、一度、公共投資に依存するとその機構組織を維持するために、更に大規模な公共投資を必要とするようになる。こうなると、公共投資を行うこと自体が目的と化し、その本来の目的が失われてしまう。しかも、その公共投資によって引き起こされる影響とは、公共事業体も官僚機構も直接的には、無縁だとすれば、公共投資を行う本来の意味が喪失してしまう。そうなると官僚機構と、その周辺の事業体を維持する目的だけ財政が、浪費される結果を招く。それは、経済を疲弊するだけで、景気を刺激するという目的からも逸脱してしまう。こうなると、利権によって国家の利益を貪るために国家財政が使われることになる。ここには、一切の正義はない。手段が目的と化した典型である。

 国家の都合を国民や他国に押し付けるような開発はすべきではない。国家財政に余力があるからといって、無闇に開発をするのは、愚かである。もし、余力があるというならば、近隣諸国の経済成長の一助に役立てた方がどれほどいいか。それも、自国の都合によってではなく。相手国の要望に基づいてなければならない。近隣諸国の経済発展は、必ず自国の利益に結びつく。それを考えれば無理に予算を使うことはないのである。

 財政の働きには、核、つまり、種になるもの。カンフル剤的なもの。呼び水的なもの。
布石にするものがある。また、経済成長のための起爆剤になる公共投資も状況により、必要である。意図せずに、国家との連携、強力なしに経済成長はあり得ない。だからこそ、経済政策は、重要なのである。だかららこそ、国家経済をどのような構造にするのか、その理念に基づく必要があるのである。重工業主体の国にするのか、観光立国するのか、農業を主体とするのか、それによって国造り、即ち、財政は、変わってくる。
 公共投資の正否は、当該公共投資が拡大再生産をもたらすものであるか、否かにかかっている。同じ経済政策でも、経済環境によってプラスにもマイナスにも作用する。電気通信網は、家電産業や通信事業を育成するであろう。交通網は、交通機関の発達を促す。しかし、それも、市場が過剰であったり、飽和状態であるならば別である。
 それに、経済成長は、公害や貧富の格差のような弊害も同時に発生させる。先ず、経済成長を国民が必要としているかどうか、その経済成長によって引き起こさせる弊害を充分配慮しておかなければならない。一度失われた環境は取り戻せないのである。故に、根本は、国家理念である。国家理念を明らかにした上で、しかも、効果があるか、否かは、公共投資を行うタイミング、その時の経済構造、状況に依るのである。
 つまり、財政政策は、国家理念を前提とし、実体経済、実物経済を反映したものでなければならない。

 公共投資に依存しても産業が成立する為には、、継続的に拡大再生産を続ける必要がある。その上で、公共投資を行った以後のことも考え、再投資が周期的に為される必要がある。また、その再投資の周期はどれくらいかを見極めておく必要がある。
 もし、公共投資に恒久的に依存できないとしたら、公共投資を行うにあたって編成された組織を工事が終了後、どう処理するのかをも、事前に、考慮しておく必要があるからである。後始末を考えないで事業をすれば、禍根を残すことになる。後先を事前に考えておかなければ、大規模事業は、成功しない。

 景気刺激策は、効果が一過性な上、繰り返すと公共事業に対する依存性が強くなると同時に、倫理観が薄れる傾向がある。つまり、ある種の中毒症状をおこす、麻薬性がある。

 経済政策は、いわば、医療のようなものである。経済と言うよりも、国家体制という肉体にとってどのような処方や予防が必要化によって選択されるべき問題である。つまり、経済構造である、市場の構造や状況、環境、同様に、産業の構造や状況、環境、その上に社会構造や状況、環境、政治構造や状況、環境を加味した上で、自然環境を充分に考慮して為されるべきものである。病根を切除するだけではなく、患者の体力、精神状態、その上、副作用を考えて施療されるべきであり、病気を治して、患者を殺しては意味がないのである。

 防災は、経済的な問題だけでなく、社会的、政治的問題でもある。立派な校舎を造っただけで、立派な教育ができるとは限らない。かえって粗末な校舎の方が血の通った教育ができたりする。経済政策に必要なのは、目的と効果である。故に、目的や効果(むろん経済的効果も含む)を明らかにしないで、経済的理由だけで財政を発動すれば、公正禍根を残すだけでなく、構造的な財政赤字を生み出す原因となる。

 逆に、大規模な、公共投資は、経済成長の起爆剤にもなる。財政の在り方次第で国家の命運は、決まると言っても過言ではない。公共投資は、目的と効果を明らかにし、限定的に行われるべきである。そして、その目的と効果を最初から国民に明らかにし、その効果が得られないと解った場合は、速やかに撤退し、また、解散できるように予め用意しておかなければならない。

 財政の働きに何を期待するかによって財政規模は、変化する。それによって税制度と予算、経済政策が変わる。

 相対的価値観は、比である。財政は、貨幣価値に基づく。貨幣価値は、相対的・変動的基準である。財政の規模は、経済の規模と比率、そして、景気対策によって決められる。景気対策は、効果と目的から割り出される。残されているのは、経済的規模との相対的関係である。

 もし、経済規模に比して財政の規模が適正と判断されながら、財政の収支のバランスが悪いとしたら、それは、財政制度の構造的欠陥によるものである。構造的欠陥を是正するためには、制度的に再構築しなければならない。

 経済価値は、相対的なものである。財政規模が適正であるか、ないかは、その国の経済な占める財政の割合から導き出されなければならない。また、財政の規模が適正か否かは、財政の働きから判断されなければならない。

 市場経済に与える財政の機能は、第一に通貨の流量の調節である。第二に価値の創出である。第三に所得の分配。第四に、所得の再分配。第五に、富の転移である。
 経済政策には、第一に、直接的な投資。第二に、制度的な政策。第三に、規制的な政策。第四に、指導的な施策。第五に、金融政策のような間接的政策がある。
 制度的な政策は、主に税制度と市場のセーフティネットである。セーフティネットとは、補助金や信用保証や保険などである。
 規制的な政策には、許認可、資格、届け出、登録、その他の法的規制など、市場構造や産業構造への直接的な介入が考えられる。
 制度的、規制的、金融的政策は、ビルト・イン・スタビライザー、構造的に市場に組み込まれ経済を自動調整する働きがある。ただし、この様な構造的働きは、経済環境や状況によって順に作用したり、逆に作用したりする。それを見極めて、構造を変換していく必要がある。構造の変換も即時的、限定的変換から、段階的変換、抜本的変更と言った具合に状況に応じた選択肢がもてるように設計しなければならない。

 労働市場に例をとってみると失業保険制度は、セーフティネットの働きをすると同時に景気の変動を抑制する働きがある。また、各種の補助金は、政策の促進する働きがある。また、財政とは直接関わりがないように見える組合活動も、労働市場に牽制的な働きをすると同時に所得の下支えをする。この様な組合活動を、法によって保護する事によって財政活動に影響を与える。所得税は、所得の再分配の働きをする。社会保険制度は、税制を補完する働きをする。この様に、市場に働く財政の働きは、単純ではなく、構造的なものである。狭義の意味の財政という形で限定的に捉えていては、財政の働きを総合的に捉えることはできない。

 また、労働市場や金融市場は、財政と連動しながら、市場に組み込まれた機能を補助する働きがある。

 不況カルテル、談合、規制を一概に否定すべきではない。それらは、市場や産業の状況や構造、環境、段階によって判断されるべきものであり、倫理的価値判断で為されるべきではない。要は、該当する市場や産業を保護したり、再建する事が、国家国民にとって必要か、否かである。その上で、責任を明らかにし、取るべき施策を執行することである。それが政である。



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