国家機能の中で、弱者の庇護や救済は、重要な要素である。そして、それを実現する手段が財政であり、中でも所得の再分配は重要な機能の一つである。
 所得の再分配は、国家理念に最も関わる要素である。再分配の在り方、再分配の仕方は、国家制度に直接的な影響を与える。

 国民国家にとって所得の再分配というのは、とても悩ましい問題である。国家理念が国家思想がえげつないまでに露呈してしまう。国家が国民の事をどう思っているのか。幸せとは何か。富とは、貧困とは何か。誰を、社会的な弱者というのか。その線引きをしなければならないからである。

 制度的定義というのは、要件定義であり、概念的定義ではない。つまり、再分配を制度化するためには、社会的弱者とは何か。また、格差をどう是正するのか。貧困とは何かといった事を制度的に定義する必要があるのであり。その定義は、言葉による概念的な定義でなく、要件的に為されなければならないと言うことである。

 社会的弱者の救済は、どのように為されるべきか。社会的弱者とは誰をさして言うのか。人間らしく生きるために必要最低限の水準、ナショナル・ミニマムとは、どれくらいを指して言うのか。個人の生き方に対し、どれくらい責任を負うべきなのか。働かないと言うのは、誰の責任なのか。働かないのか。働けないのか。働けないとしたら、それは、誰の責任なのか。生きる権利とは何か。餓死や行き倒れをなくすのは、誰の責任なのか。生活保護とは何か。それらを金銭的に換算し、具体的に法で定めなければならない。国家理念の実体が生々しく露骨に現さなければならない。きれい事が通じない、国家の本音や限界が見えてしまう部分なのである。それだけに、国民的な合意が最も必要な部分でもある。

 電車で、席を譲ったら、年寄り扱いをするなと、怒られたというのに象徴される。年寄りというのをどこで、線引きをするのか、その上で、席を譲るべきか、否か。席を譲る事を強要すべきか、否か。実に、悩ましい問題である。それを国家レベルで考えなければならない。考えるだけでなく、結論をきっちと出して、実行していかなければならない。それが、所得の再分配の問題をより複雑にしているのである。しかも、所得の再分配は、平等の概念の抵触している。だからなおさら難しい。

 平等と同等とは違う。神は、人間を同等には造られていない。これは、真実だ。しかし、人は、存在において平等である。つまり、神の前において平等である。

 全てを同等にしようと言うのは、最初から無理がある。人間は、属性に違いがあるのである。属性に差がある以上、全てを同等にすると言うのは、無理なのである。かえってそれは、平等に反する。だいたい、人間は、存在する土地、環境そのものから違いが生じる。寒冷地に住む者と温暖に所に住む者とでは、自ずと生活に差がでる。問題は、その違いをどう受け止め、どう社会の仕組みの中に還元するかである。それが、所得の再分配なのである。

 同等でないものを同等に扱う事は、差別である。子供を大人と同じ扱うのは、差別である。年寄りを若者と同じように扱えば、差がつくのは当たり前である。プロとアマチュアを同じ土俵で戦わせれば、結果は明らかである。男と女が違うのは当たり前である。問題は、その差をどう扱うかである。差別は、事実にあるのではなく、意識にあるのである。

 個人差は、自明な事である。だから、どのような制度も個人差、個体差を大前提に考えるべき事なのである。そのような、個人差、個体差そのものを差別だというなら、神様に文句を言うしかない。

 人間の意識は、相対的なものである。自分の存在意義を見いだすためには、自己を社会の中に位置づける必要がある。それは、自己の働きを他者と関連づける事に、他ならない。位置づける為は、自己と他者との差が基本になる。その場合、どの属性に基づいて差を付けられるかが、重要なのであり、最初から同等にしてしまうと自分の存在意義そのものを見失ってしまう。それは、自己の否定である。自己の否定は、個性、人間性の否定でもある。故に、社会的な評価に差が生じるのは、必然的な結果なのである。問題は、その評価の根拠と幅である。
 所得の格差の幅が、一定の限界を超すと、富の一方的蓄積、累積をを引き起こし、富の偏在をもたらす。

 富の過度な偏在は、階級や身分を派生させる。所得の格差は、ある一定の度を超すと一方向の富の蓄積を促す。富が富を生み出すという現象である。これは、血行不良のようなもので、通貨の巡りを悪くする。
 通貨の巡りが悪くなると、経済は停滞し、社会不安増大する。社会正義か行われなくなるのである。

 所得の格差が拡大すると低所得者層の購買力が失われ、それだけ市場が縮小する上、生産物が、社会の隅々まで行き渡らなくなり、末端の低所得者層は、社会的に壊死してしまう。この様な層は、社会不安を醸成し、反社会、反体制の温床となる。

 土地問題は、好例である。
 貨幣単位は、経済的価値の総量に比例して決まる変動的基準である。
 活用できる土地の総量と市場に出回る土地の量、そして、買い手の購買力によって市場価値は決まる。買い手の購買力が低下すれば、土地がいくら市場に供給されても、取引は成立しない。そのために、市場の収縮が始まる。土地の開発は行われなくなり、活用できる土地は減少する。そして、開発事業は衰退する。
 これが、製造物であれば、生産量は減少し、産業は衰退する。

 再配分は、地域的な問題と所得の問題の二つの問題点がある。前者は、主として政策によって後者は、税制度によって再分配は、実現される。しかし、本来は、徴収の仕組みと支出の仕組みは、連動し、一体であるべきだ。それが、会計の原則であり、民主主義の基本である。即ち、現場、当事者に最も近いところで意志決定が為されるべきだからである。そうしないとフィードバックも制御の作用も働くなくなるからである。故に、本来なら、地域的な問題も所得の問題も政策と制度が一体になって解決すべき問題なのである。

 所得の再配分は、税制度と経済政策によって行われる。税制度は、制度を通じて間接的に、経済政策は、直接的な手段をもって行われる。
 経済システムの信任と取り分、配分の問題である。個々の経済主体から見ると税として徴収されたように見えるが、所得を本来、総生産の一部と見ると所得の配分問題になる。そして、総所得のうちどれくらいを、個人に還元するかによって、税制の在り方が、問われるのである。
 企業に関して言えば、利益への配分がなくなれば、事業に取り組む動機がなくなる。かといって利益を全て企業に還元してしまうと、企業の社会的責任が失われる。同時に、再分配機能が働かなくなり、とみに一方的蓄積が始まる。問題は、意欲と富の偏在との均衡の上に考えられるべきものなのである。そして、この様な均衡は、国家理念に基づいて経済政策と税制度の在り方を、構造的に考えなければ解決できない。
 つまり、所得の再配分こそ、構造的な問題なのである。


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