古来、国家は、必要悪のようなものだとする思想が各国にある。無政府主義の源流でもある。国家は、できればない方がいいと言う思想である。その延長線上で財政を捉えると酷税の問題となる。つまり、御上に税を強奪されているという発想である。

 国家財政と言えば、ただ、年貢を納めて、その代わり、外的の侵入や悪党から自分と自分の家族を守るためある。まあ、やくざのミカジメ料みたいなもの、国家なんて、やくざやギャングのなれの果てのようなもの。だから、権力は悪であり、それに楯を突く任侠映画やギャング映画の主人公がヒーローになる。だから、公共の正義、国家の存在意義が問われるのである。国民を守れなければ、国家の存在意義はない。
 権力は、武力そのものであり、だから、権力者は、かつて刀狩りを行ったのである。
 しかし、この考えは、近代以前の考えである。近代に入り、国家は、国民国家へと変貌した。故に、財政の考え方も変わらなければならない。

 国民国家において、財政で重要なのは、働きである。故に、納税は義務である。義務であるという事は、権利でもある。ただ御上の言うなりに税を納めればいいと言うのではない。つまり、税が、そして、その先にある財政がどの様な働きを国家、社会にしているかを正しく認識することが重要となるのである。

 財政学は、まだ官房学の流れ、延長線上にある。官房学というのは、国王、君主の家計が土台にある。国家という機構を維持、発展するための手段として財政はある。宮中の生活費と軍事費が主たる要件となる。つまり、権力を維持するために、財政は使われる。

 国家の機構が巨大となり、官僚制度が確立されてくると、官房学において重要なのは、官僚制度の維持になるである。税金は、巨大な官僚制度の維持と官僚制度が生み出した副産物、巨大な建造物や仕組みを維持するために消費される。軍も、巨大になると官僚主義的になる。組織は、巨大化し、官僚主義が蔓延するようになると官僚機構という組織を維持すること自体が目的化する。民主義体制でもこの官僚制度は、機能している。そして、財政の陰には、この中央集権的な官僚制度が潜んでいるのである。官僚機関というのは、巨大な組織・機構である。故に、統制的働きが強くなければ維持することができない。官僚機構は、権力機関として合目的的な機構であり、一体的、統一的志向を持たざるをえない。結果的に、中央集権的になるのである。

 近年、国民国家になると、主権は、国民に移る。故に、財政の目的も本来は、国民の福利厚生にあるべくなのである。しかし、国民国家と言えども権力の中枢は、官僚機構である。故に、官僚機構の本質は、そのまま受け継がれている。と言うよりも、権力が、国民という形で分散された分、より官僚機構としての性格が強くなる。

 木を見て森を見ていない。一見、個々の目的は、意義があるように見えても、全体を見て、調和していなければ、それは、間違っている。財政は、国家理念に基づかなければならない。つまり、どういう国を作るのか、国造りの思想に基づいて、財政は、考えらるべきものであり、国家権力や体制を維持する目的で考えられているかぎり、官房学の域を出ない。財政は、国家理念と国民の利益から導き出されるものである。
 だから、従来の財政学では、財政の目的は、第一に、所得の再配分。第二に、コスト(公共サービスにかかる費用)第三に、景気対策である。しかし、この発想は、根本に国家理念が欠けている。

 財政の本来の働きは、第一に、国家理念と国民利益の追求。第二に、国家理念に基づく各種の保障。第三に、国家システムの維持と補修。第四に、経済システムの維持、保障。第五に、雇用の創出。即ち、失業対策。第六に、所得の再分配。第七に、拡大再生産の促進。第八に、人材の育成、教育。第九に、外的や災害からの国家防衛。治安維持。第十に、社会インフレの構築。第十一に、貨幣価値の保証。第十二に、税制による経済のモニタリングと規制や経済政策による経済へのフィードバック。第十三に、貨幣の循環と貨幣の流量の調整。第十四に、景気対策による景気調整。第十五に、国民の権利と自由の実現。第十六に、非市場型産業への資金の供給と経営である。

 財政は、国家理念と国民の利益に基づく。誰も、守ろうとしない国は、守るに値しない。何から何を守るべきなのか。そこに、国家理念がある。国民は、何を理想とし、国民の利益は何か、それを見失った時、財政は、既に、破綻している。

 豪奢な役所を作るのは、国民の利益に基づいているのか、首長や官僚の権力意識が作らせているのではないのか。それを恥だと感じるような首長や役人が生まれる素地を作る為にも、財政の目的をハッキリとさせる必要がある。財政は、首長の名誉や権力、官僚機構維持する事を目的としているのではない。

 日本の戦前は、軍国主義である。だから、軍事費が突出した。それは、国家理念なのである。財政の問題ではない。しかし、結局、軍事費の負担が財政を圧迫し続けた。そして、最後は、戦争を引き起こし自滅していったのである。

 財政は、最も国家の共同体的側面、国家思想や国家理念を現すものである。いずれの働きも国家目的、国家理念の基づいていなければならない。つまり、財政の目的は、第一に国家建設である。そして、それを、踏まえた上での、完全雇用と物価の安定である。

 国家理念に基づく各種の保障の根本は、生命、財産の保障である。では、生命財産の保障とは何を指すのか。そして、国民とは、誰を指すのか。そこに憲法がある。憲法は、財政の礎である。

これは、なぜ、税金を納めるのかと言う問題に類似したところがある。原理的にも収入と支出と言う事で裏表の関係にある。税金に頼らずに国家は、通貨を発行することが可能である。しかし、それは、経済の規律を失わせる。同様に、福祉だからと言って際限なく、通貨を供給することは、経済の規律を失わせる。

 国民の安全と健康の保障は、国家理念に基づかなければならない。働かざる者、食うべからず。闇雲に保障をすればいいというのではない。国民の生命財産の保障は、国家理念なのであり、天然自然ある法則、又は、当然の権利ではない。国民の意志である。人権とは、国民の意志に基づいた概念である。
 社会保障制度、福祉国家は、国家理念である。国家理念は、国民の意志である。他国と比較して、真似をして決めることではない。下世話な話、誰が誰の世話、面倒を見るのか
と言う問題であり、国民的合意に基づく問題である。医療保険も、年金もそれを国民が欲しているかどうか、それを明確に意思表示をしているか、いないかの問題である。

 税制は、産業構造や国家理念に基づいて設計されるべきもので、絶対的なものではない。

 なぜ、税金なのか。税制度の働きを知る必要がある。第一に、資金の循環。第二に、所得の再分配。第三に、経済のモニタリングと財政規模の確定。第四に、財政の実物経済的裏付け。第五に、通貨的保障である。
 財政の働きの中で資金の流通に関する働きは、第一に資金の供給。第二に、資金の循環である。これは、人間の肉体における循環機能と同様の働きであり、この循環を円滑にするためには、税制が重要な働きをしている。
 中央銀行は、通貨を供給する側から通貨を保障するのに対し、行政・財政は、通貨を回収する側から租税を担保とする事によって保障している。その上で、非市場型産業へ、通貨を供給することによって通貨を、経済全体に、循環させているのである。

 また、税制度は、市場型産業と非市場型産業を結合するために、不可欠な機構である。

 この様に、税制度が、象徴しているように、財政を考える上で大切なのは、何をするかではなく、どのような働きを持たせるか、又は、期待しているかである。

 財政の働きを市場経済の内部に取り込んでいく必要がある。財政を経済の外部に位置づける事は、心臓を体の外に置くようなものだ。それは、財政を最初から度外視していることになる。財政の働きが経済構造に組み込まれた時、財政は、正常に機能するのである。
 

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