バブルと平成不況


 経済は、自然現象とは違う。姿を変えた戦争である。その証拠に経済の背後には、人間の強い意思が働いている。
 市場には、競争の原理が働いているというのは、欺瞞である。市場に働いているのは、闘争の原理である。公正な競争など望みようがない。前提となる条件が違いすぎるからである。最初から圧倒的な差が市場には存在しているのである。その差は、大人と子供、プロとアマなどと言う生やさしい差ではない。自動車と赤ん坊が競争するほどの差である。戦車に素手で立ち向かわせるようなものである。それでも公正な競争を唱えるなる者がいるとしたら、それは、圧倒的強者の論理である。市場にあるのは、情け容赦のない生き残りのための戦略である。

 戦後、日本経済にはいくつかのエポックメーキングがあった。ニクソンショックやオイルショック、そして、円高不況など。そして、それらの事件が与えた影響が、下地になってバブルが起こり、平成不況が起きた。
 戦後に生起した事件は、公平、公正さによってもたらされたものではない。国力の差によってもたらされたものである。経済は、自然現象ではない。経済災害と自然災害とは違う。後者には、人為的力が働いているのである。自分達は、何から何を護らなければならないのか。それを見極めることこそ大切なのである。

 長い時代命脈を保ってきた老舗が次々と姿を消している。それは、決して偶然ではない。国際社会においては、彼等は生き残ることが許されなかったのである。

 1980年代後半から1990年初等にかけて起こった株や地価の異常な高騰、俗に、バブルも偶然、偶発的に起こった現象ではない。人為的な現象である。だからこそ、バブルの背景にどの様な思惑、政治的意図が働いたのかを解明する必要がある。そして、その思惑や政治的意図が経済現象にどの様に作用したかが、経済にどの様に対処するかの重大な鍵なのである。

 バブル発生の背景は何か。バブルを発生させ、それを崩壊させた背景、メカニズムはどうなっているのかを明らかにしたい。
 バブルの発生原因を考える時、財テクの隆盛とその原因を忘れるわけにはいかない。
 バブルを発生させた前提は、円高不況と企業の収益構造の変化が考えられる。円高によって本業の経営が不振となり、それを補うつもりで始めた財テクが、いつの間にか、本業を凌ぐ規模にまで拡大したと言う点である。そして、それが地価や株を高騰させ、総資産の増大させた。そして、それが負債によって資産価値を相殺しつつ、含み資産を増やす誘因となった。つまり、財テクが地価や株の高騰を招き、それが更に財テクを過熱させると言う具合にスパイラルにストックインフレを引き起こした。
 バブルの発生は、為替の動向に大きな影響を受けている。一つは、円高による企業収益の悪化である。二つ目は、円高による資産価値の肥大である。
 資産の肥大化が、都市部の相続税負担を増大させた。変額保険のような、相続税対策のための保険まで出された。

 バブルの正体は、ストック価値の異常な膨張である。そして、その後の不況は、ストックの急激な収縮によって引き起こされている。ストックのこの異常な動きによってストックとフローが乖離し、経済の波を攪乱しているのである。
 故に、ストックの異常な動きを止めない限り、経済はよくならない。
 我々は、フローの物価に目がいきがちだか、現実の経済現象は、水面に現れたフローの物価の変動だけではなく。水面下の変動も重要なのである。と言うよりも、水面に現れる現象の原因の多くは、水面下に隠されている。

 では一体どの様なメカニズム・構造がこの様なストックの異常な膨張を引き起こし、バブルを発生させたのであろうか。そして、ストックの異常な膨張は、どの様な現象を引き起こし、その結果どの様な事態を招いたのかを順を追って明らかにしたい。

 ストックの膨張を引き起こし、それを加速させる要因、ファクターを考えてみたい。それを考える上では、先ず前兆現象として異常な動きを示した要素はないかである。そして、その異常な要素が何に作用したかである。

 まず、バブル以前に異常な動きをしたのは、為替である。

 バブルの発生は、一般に1986年から1990年までとされている。その間に何が起こっていたかを検証したい。

 ここで注意して欲しいのは、バブル以後のデフレを多くの識者は、問題にするが、実際は、デフレは、バブルを挟んで二度あったという事である。そして、バブル以後のデフレが長く深刻であるが、バブル以前のデフレは、被害がさほどでもなかったので忘れ去られているという事である。しかし、実は、バブル以前のデフレは、その直後のバブルを引き起こし、結果的にバブル崩壊後のデフレの原因となっているという点で、より深刻な問題を孕(はら)んでいるのである。

 1980年代初めのアメリカでは、インフレーションの抑制を目的にした厳しい金融引締めが行われていた。金利は2桁に達し、世界中の資金がアメリカへ集中した。結果、ドル相場は高めに推移することになり、輸出減少と輸入拡大をもたらした。高金利による民間投資抑制と重なり需給バランスが改善、インフレからの脱出に成功した。結果的に、莫大な貿易赤字が計上されることとなった。
 その後、インフレ沈静化に伴い、金融緩和が進行。景気回復で貿易赤字増大に拍車がかかった。金利低下により貿易赤字の国アメリカのドルへの魅力が薄れるに伴い、ドル相場は次第に不安定化した。1970年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進国により協調的ドル安の実施を図るため、このプラザ合意が成された。(ウィキペディア百科事典)

 この様な背景に基づいて1985年9月22日にアメリカのニューヨークのプラザホテルで先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議において参加国が為替へ協調介入をする事に合意したのである。併せて、日本は、円高を誘導するために、低金利政策をとることにした。

 プラザ合意によって異常な円高が起こり、ストックの急激な膨張の引き金を引いたのである。

 円高は、ストックに対しては、インフレ圧力として、フローに対しては、デフレ圧力として作用する。逆に、円安は、ストックに対しては、デフレ圧力が、フローに対しては、インフレ圧力がかかる。そして、ストックには、梃子(てこ)の原理が働く。

 円高が、どの様な影響を経済の個々の要素に与えたであろうか。まず最初に影響を受けたのは、貿易関連の企業である。円高不況という言葉が示すように、当初、円高によって輸入関連企業を中心として不況が来ると深刻に懸念された。しかし、それは、経済の一局面を見ているに過ぎない。輸入と輸出は、天秤の両端にあるようなものである。円高によって輸出業者が圧迫を受ければ、輸入業者は、好転する。為替が安定するにつれてコスト構造に吸収されて本来は、均衡するはずのものある。ただ、均衡に至までの間に時間的なズレが生じ、その為に生じる負担を吸収しきれるか否かの問題である。

 為替の変動は、フローとストックの非対称性を引き起こす。つまり、為替の変動に正の動きをする財と負の動きをする財と影響を受けない財とが混在するからである。そして、ストックの部分の多くは、国内的には、影響を受けないで、国外に対しては、正の動きをする。つまり、円高は、国内の財の価値を高め、国外の財の価値を低める。

 為替の変動に影響を受けないコストは、人件費、地代、家賃、金利、償却費である。なぜならば、これらは、為替に対し絶対額で動くからである。それに対し、輸入する資源、原材料や製品は、為替の変動方向に負の動きをし、輸出する資源、原材料、製品は、正の動きをする。

 更に、コストダウンには、タイムラグがあり、円高の影響によって特をする者と損をする者が極端に現れた。

 ここで問題なのは、プラザ合意によって引き起こされた変動が、急激、かつ、大幅だったという事である。必ずしも、変化が緩やかで長期間に起これば経済に与える影響は少ないとは言えない。ただ、急激に、かつ、大幅に起こる変動は、周辺に与える影響も大きい。また、事後の変化も見逃せない。単純に為替の問題と限定的に捉えられないのである。その意味で、プラザ合意後の変動が緩やかに現れたのならば、経済や産業にさほどのダメージを与えなっかったと考えられる。しかし、1986年代に現れた変動は、急速かつ、強引、ドラスチックに行われたという点である。この事が、産業間の明暗を分けたのである。しかし、その後の大きな揺り戻しや変動、振動によって日本全体の産業構造が大きく傷ついたという事である。

 多くの人は、円高によって不況が訪れたと解説するが実際はどうであろうか。日本経済は、円高になる以前から、飽和状態に近づきつつあった。ないし、過飽和な状態になっていたのではないか。日本経済は、成熟期を迎えていた。それ故に、企業業績は、本業を中心に悪化していた。本業の収益力が低下していた。その為に、多角化による本業以外への本格的進出を測っていた。そこへ円高不況がやってきた。せっぱ詰まった企業は、本業や円高で悪化した収益力を財テクで補おうとした。つまり、企業努力だけでは、収益の回復力がなくなり、勢いストック部分から資金を調達しようとした。それが不動産や株への過剰投資を引き起こしたのである。

 では、円高が来て、すぐに、家計も企業も行き詰まったかと言えば、そうではなかった。企業には、含み資産があった上に、その含み益が増大・増幅しはじめたのである。故に、ここの企業は、潤沢な資金を蓄えていたのである。資金さえ続けば、企業経営は破綻しない。また、家計は、失業さえしなければ、行き詰まることはなかった上、基本的にデフレ可処分所得にゆとりがでた。だから、円高不況は、考えられたほど深刻にはならなかった。現実には、日本経済は、輸出が主だという錯覚もあった。実際は、内需に依存した部分もかなりあったのである。内需に依存していた産業は、円高は、換えって好機だった。しかし、得したところは沈黙する。損したところだけが騒ぐ。結果、必要以上に円高不況が喧伝されたのである。

 それに、デフレと不景気は、同じものではない。デフレにも良い面は沢山ある。ただ、デフレを否定的にとらえていては、デフレの利点を生かすことはできない。

 企業業績を見る場合、フローだけを見ても意味はない。企業は、資金によって回っている。資金が続く限り、企業は存続するのである。逆に言えば、いくら業績がよくても資金が続かなくなれば、企業は存続できない。つまり、企業の行動を考える上でのキーワードは、キャッシュである。
 この資金を生み出す源は、フロー部分では、収益であり、ストック部分では、資産である。特に、日本では、円高により、ストック部分の国内外での相対価値が急速に上昇したのである。
 円高、円安というのは、結果に過ぎない。円が上昇局面にあるか下降局面にあるかである。円が上昇局面にあれば、輸出関連企業は、圧迫を受け。円が下降局面ならば、輸入関連企業が圧迫を受ける。
 円高によって企業のコスト構造が急速に変化する中で、輸出関連企業は、急速に収益が圧迫された。しかし、反面においてストックが上昇局面に入ったので、資金的には、潤沢となった企業が多いのである。故に、資金を豊富に手にした企業は、それをストックに投資する行動をとった。
 また、景気は、輸入関連企業を中心にして拡大した。これがフローデフレのストックインフレを引き起こし、結果的に物価の動きを相殺した。

 円高と言っても円高の影響を受ける産業と影響を受けない、ないし、受け手もそれほど大きな影響でない産業とがある。また、円高の影響を受けるにしてもマイナスの影響だけとは限らない。プラスの影響を受ける産業もある。ただ、大騒ぎをするのは、マイナスの影響を受けた産業だけである。

 円高デフレは、果たして起こったのか。起こったとしても巷間言われるほど深刻なものだったのか。確かに、円高は、企業業績に悪影響を及ぼした産業はあった。しかし、全ての産業が、悪影響を受けたわけではない。しかも、悪影響を受けてもコストが下がってくれば、若干のタイムラグは生じても、自ずと解消されたはずである。
 円高によって引き起こされるデフレで問題になるのは、デフレ下でも影響を受けず、下方硬直的なコストである。その代表的なのが人件費、地代・家賃、金利・負債、償却費である。故に、サービス業や不動産業、金融は、円高が直接的に悪影響を及ぼさなかった。反面、余剰となった資金を内部に取り込んで自己増殖、含み経営を始めたのである。この様な産業を梃子にしてバブルは派生した。
 また、財政は、行政サービス面においては、さしたる影響を受けなかった。デフレの影響が出るのは、税制である。しかし、これは、税制の在り方の問題であってデフレに有利に働くか、不利に働くかは、構造的問題である。
 人件費、地代家賃、金融は、それぞれバブルの時代に、特異な働きをする。人件費は、海外移転によって産業の空洞化を招き。地代家賃は、バブルの引き金を引き、後に主役となる。また、金融は、投資先を物色して過剰投資を引き起こす。

 円高の進行は、必然的に貨幣の国内外の相対的価値を高めた。その結果、ストックに関連した産業、金融、不動産、ゼネコンのストック価値を急速に膨張させた。このストックの膨張は、事業継承、相続問題に深刻な問題を生みだし、負債による資産価値の相殺を目論ませた。これらの事が更にストックを膨張させるというスパイラル現象を引き起こした。

 円高政策と併せてとられた低金利政策は、円高不況への懸念からもとられた。低金利政策は、1986年末から1987年2月までに公定歩合は、5度にわたって引き下げられ、5%から2.5%になった。
 金利は、資産から派生する。ストックの膨張局面では、金利がたとえ高くてもそれ以上の勢いでストック膨張を続ければ、資金の調達に支障はきたさない。ストック価値と金利とは、相関関係にある。ストックが急速に膨張している時に、低金利政策をとれば、火に油を注ぐ結果を招くのは、明らかである。かくて、バブル景気は、燃えさかることになる。
 その上に、内需拡大策に基づいて6兆円の公共投資が行われ、金余り現象に拍車をかけた。また、円高低金利政策は、日米の貿易不均衡是正を目的としてとられた政策であるために、余剰資金の投資先として、主として内需関連投資に向けられた。その為に、資金が国内に滞留する結果を招き、それがストックへの投資に向けられる結果を招いた。
 さらに、1987年10月にニューヨークの株価が市場最大の下げを記録する「ブラック・マンデー」が起きた。この事が、公定歩合を据え置く原因となった。

 これらの事によって金余り現象が起こり、余剰となった資金が土地や株と言ったストック部分に吹き溜まるようになった。それが、ストックの異常な膨張の要因である。

 家計的な面で見ると、ストックの膨張は、持てる者と持たざる者との間に深刻な溝を作り出した。ストックの膨張は、資産を持っている者には、有利に作用し、資産をこれから持とうとする者には、不利に作用した。そして、資産を既に所有する者は、ストックに、資産を持たざる者は、フローへと所得の使い道を二分化させた。その結果、ライフスタイルは、いずれも華美となり、享楽的、刹那的な行動に走らせることになった。贅沢を美徳と考える風潮を生み出した。それが円高によるデフレの作用を弱め、景気の拡大を促した。しかし、この行動・ライフスタイルは、国民の生活や文化、意識、モラルに深刻な後遺症を残すことになる。

 企業業績は、一時的に影響を受けるが、資金が潤沢となったことで、小康状態を迎える。また、人件費は、下方硬直的であるために、家計の所得には、深刻な影響を与えなかった。この事は、フロー経済に深刻なダメージを与えなかったことを意味する。多くの国民が、円高による不況を肌で感じることはなかった。あるとしたら、持つ者と持たざる者との間の不平等間、格差である。それは、ストックの収縮期に持てる者に対する共感や道場を呼ばなかった原因となる。つまり、ストックの収縮に対する対策の必要性を訴える世論や国民的合意を形成する事を阻害したのである。
 反面において、ストックの膨張がもたらした影響は、深刻で、多くの都市部の住人に相続税をはじめとする資産対策をとらせることになる。売れない土地の資産価値が上がるために、資産価値を低める対策を立てざるを得なくなったのである。所得は、少ないが資産は、莫大だという人間を増やした。つまり、資産家の貧乏人を急速に増やしたのである。しかも彼等の資産を狙って暴力的な勢力が暗躍した。そして、ストックの収縮期に最大の被害を被ったのは、彼等なのである。

 相続対策は、ストックの上昇局面では、ストック膨張を加速し、ストックの下降局面では、ストックの収縮を促進する。

 この様なバブルを集束させるためには、ストックをデフレにフローをインフレに調整する必要があった。しかも、為替が引き起こした現象であるから、為替の動きに会わせながら段階的に、構造的に、複合的に行う必要があった。ところがとられた策は、金利を中心にして乱暴で、単純だった。それが、その後の混乱を引き起こすのである。

 バブル発生とその後の景気後退は、どの様な経過を辿ったのか。なにがバブルとその後の長い不況を招いたのか。それは、経済の水面かで何が起こったか、どの様な構造変化が起こったかを解明しないと明らかにならない。
 バブル期とその後の不況期には、いろんな意味での断層がある。つまり、ステージ、場に働く力の構造が変質しているのである。
 バブルの経過を辿る前に、バブルとは何かを明らかにする必要がある。

 バブル退治に何がされたかである。一つは、総量規制や地価税によって不動産融資への資金の流れを封じ込められたことである。第二に、高金利政策による金融引き締め策である。そして、これらの政策は、執拗に繰り返され、継続された。

 これらの政策がとられた結果、1990年にバブルははじけ、ストックの膨張から反転して急速な収縮へと向かう。そして2005年末現在でもその収縮は続いている。

 バブル景気が華やかな頃、バブルがはじけた後、ブラックホールのようにストックの収縮が価値を底なしに景気を吸い込んでいくことを警告した。ストックがフロー、実需、実体経済から乖離し、膨張し続けると、反転してストックの収縮が始まった時、ブラックホールと化すことがある。

 ストックには、ストックの市場価値の動きに対し正の働きをする資産と負の働きをする負債とがある。負債は、資産価値を拡大する機能を持つ。この資産と負債の働きは、梃子の働きをしてストックを増幅する。

 ストックの市場価値が拡大する時は、負債は、資産に対し、正の働きをし、ストックが収縮する時、負債は、資産に対し負の働きをする。

 ストックが拡大する時、資産が梃子の働きをして、相対的に負債は縮小し、逆にストックが収縮する時、負債は梃子の働きをして資産が縮小する。

 ストックの収縮期の高金利は、ストックデフレを加速する。

 フローとストックの乖離は、フローとストックの価値の非対称性を引き起こす。それは、ストックの評価に相対的な評価と絶対的な評価が混在していることに原因がある。そして、それが梃子の働きをしてストックの価値を増幅させる。

 含み損益(未実現損益)は、取得原価主義の下では表面に現れない。しかし、時価主義にすると架空損益によって現実の収益を計ることになる。

 不良債権は、ストック部分から派生する。フローの動きとストックの動きが乖離している場合は、それだけで不良債権は、発生する。故に、ストックが収縮している期間は不良債権は、派生し続ける。ストックが収縮している場合は、不良債権は、増加し続けるのである。

 バブル期を境にして、一大規制緩和ブームが起こった。

 規制緩和と言うが、規制緩和によって本当に経済は良くなったのか。それは、制度改革が、プラスに作用したか。マイナスに作用したかによって判断されるべきものである。そして、プラス、マイナスどちらにも作用したのであろう。つまり、改革すべき事と改革すべきでなかった事があったのである。
 金融制度、証券制度、為替制度、会計制度、規制とそれに伴う法制度、省庁の統廃合とそれに伴う行政制度、税制とこれだけの制度改革が同時に、一遍になされている。そして、民営化問題が後に残されていた。これは、ある種の革命に相当する改革である。しかし、革命というのならば、革命に伴う国家構想、どの様な社会を作ろうとしているのかの青写真、設計図が必要である。それによって経過や効果を測られるのである。

 背景構造を知るためには、円高による不況とそれによる産業構造、企業損益(収益)、貸借の構造的変化。その後の企業の行動規範の変化がどの様な物だったかを知る必要がある。そして、その結果としてどの様な現象が起こったのか。

 国民の意識・ライフスタイル・価値観にどの様な変化が現れたのか。それが家計にどの様な変化をもたらしたか。家計、所得構造・消費構造の変化。特に可処分所得の推移を調べてみる必要がある。
 地価の動向や株価、金利にどの様な影響を及ぼしたか。更に、それが相続や事業継承にどの様な影響を及ぼしたのか。
 それらが一定の方向を指し示している。その結果が、平成不況である。

 また、政策面においては、バブル期にどのような政策が採用され、それがいつ発効したのか。その効果は、いつどの様な形で現れたのか。バブル対策としてどの様な政策がとられ、それがいつ発効したのか。その効果は、いつどの様な形で現れたのか。更に、バブルがはじけた後、どの様な政策がとられ、それがいつ発効し、その効果がどの様に顕現したのかを検証する必要がある。

 財政構造の変化も調べる必要がある。消費税の果たした影響も解明する必要がある。

 景気回復と言うが、何をもって景気が回復したというのか。それによって国民生活や国家の在り方が、自分達の望むようなものとなったかによって判断されるべきものであり、統計数字によって判断されるべきものではない。そもそも、自分達が目指したところは何処なのか。景気は回復したが、国民生活は、悪くなり、治安は乱れ、犯罪は増え、その上、国家の独立は失われ、経済は他国に支配されて、結局、政治、経済の植民地化が進んだのでは、何のための景気回復だか解らない。

 一時的に景気の回復はある。また、一時的に景気の悪化もある。経済現象は、一つの局面をもって判断すべき事ではないし、為政者の自画自賛によって政策を評価すべきものでもない。

 バブルの背後で為替はどの様な動きをしたか。為替の動向がバブルやデフレにどの様に影響したのかを検証する必要がある。






                    


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