反日と言う事。アジアで、周期的に反日の嵐が吹きまくる。時には、それは感情的にまでなる。
 なぜ日本人は嫌われるのか。

 日本人が嫌われる理由は沢山ある。
 ただ、それは歴史認識の違いや靖国問題に収斂されるようなものではない。歴史認識や靖国問題は、いわば象徴的な問題である。それよりも日本人の在り方そのものに問題が隠されているように思える。
 大体、成金が横柄な態度をとれば嫌われるものだ。それでなくとも、戦争で反感を持っている者は大勢いる。そんな国に、経済的に豊になったからといって、傍若無人な行動をとれば嫌われるのは当然である。相手国の実情、感情をわきまえずに自分の都合をそれも信念もなく押し付ければ、反発は避けようもない。相手国の宗教や文化を無視して、神聖視している物や大切な物を踏みにじれば、反発どころの騒ぎではなくなる。また、虎の威を借りた狐のような態度も嫌われる。問題が起きたら、金で解決しようと言う態度も許せないだろう。なによりも嫌われるのは、自分の考えがハッキリせずに、コウモリのように強い者に媚びることだ。プライドのない者は嫌われる。
 しかし、反日運動の根っ子にあるのは、そう言った上っ面の問題だろうか。

 確かに、日本人は、嫌われても仕方がない部分がある。しかし、それだけが原因で、根深い反日運動が火を噴くとは思えない。だいたい、反感を買っているのは日本だけではない。欧米各国も反感を買うケースは多くある。

 反日の背景には、政治的な要素、経済的な要素、軍事地政学的要素、歴史的、文化的な要素といろいろな要素が複雑に絡み合っている。
 歴史認識云々というような単純な話ではない。その点をよく理解しておかないと反日の真の原因を知る事はできない。

 反日の本質というのは、上っ面の現象ばかり追いかけても掴(つか)めない。根本的な原因を知る必要がある。

 ただ、言えることは、反日というのは、日本人に原因があるという事だ。と言うより、日本人が反日的なのである。日本人の中にある反日的要素が反映されて対象国が反日的になっているとも言える。
 おかしな話だが、日本人の中に日本を根本から否定している者がいる。確かに、自国を批判したり、時の政府に批判的という者は、何処の国にもいる。しかし、自国を根底から否定してしまう国民、マスコミは、他国には、少ない。自国の政府や政策を批判するのは、本来の動機は、国を愛する故でなければ意味がない。国を良くしたいという動機が自国の政府に対する批判となるのである。
 しかし、国を愛する事を否定してしまえば、自国の政策の否定は、ただの否定に過ぎない。何も生み出すものがない。国を愛するが故に、自分の身の危険を顧みずに時の体制を否定するほどの信念が生まれるのである。愛国心がなければ、それはただの破壊に過ぎない。そこが、今のマスコミのおかしなところである。反体制派こそ、愛国心を強く持つ者なのである。でなければ、国を捨てるべきである。

 自分の国を愛せない者が他国を愛する事ができるはずがない。日本人の反日家の中に、日本をやたらに卑下する者がいる。そんなに日本を卑下するくらいならば、日本人であることをやめればいいではないかと言うくらい。日本を足蹴にする。
 これは、一種の自虐である。いくら自分の国を悪し様に言ったところで、国がよくなるわけではない。かえって悪くなるだけである。

 戦後の日本人は、自分がない。欧米列強、特に、アメリカに追従しているとしか見えない。日本が嫌われる理由の一つは、その主体性のなさである。

 戦後我が国は、一貫して反戦的立場をとり続けた。しかし、それは、独自の理念を貫いて世界平和に貢献してきた事を意味するのではない。ただ、武装放棄したからである。結局、アメリカの軍事力を笠に着て、アメリカが押し付けた非武装によって平和を維持してきたに過ぎない。それでは、アメリカの意向に反した行動がとれるはずがない。そうなると、意志薄弱な金持ちのどら息子が強い者の陰に隠れて好き放題しているように思われても仕方がない。それでは嫌われるのが当たり前である。

 嫌われたっていいではないか。他国の目を気にしておどおどすることはないと言う者もいるかもしれない。
 江戸時代のように、鎖国して国家が成り立つのならば、世界の中で孤立してもいい。 他国がどう思いとそんなこと気にする必要はない。しかし、現代社会は、一国が世界の中で孤立して存在することを許さない。
 しかも日本は、食料の自給率が40%しかない。エネルギーに至っては、ほとんどが輸入に頼っている。我が国の生産力だけでは、全ての国民の生活を賄(まかな)うことはできないのである。
 そのうえ、国際社会は、食うか食われるかの世界である。一度、弱味を見せれば、完膚無きまで打ちのめし、相手を支配するか滅亡させるまで痛めつける。それが常である。この歴史的事実を忘れてはならない。

 本当に我が国が国際社会の中で孤立したくないのなら、まず、自分の国を改めるべきである。ただ、それは、相手国に迎合することではない。相手国に迎合したところで、相手国に何らかの意図があったら、反日的な活動は止むどころか、かえって、煽られる。
 自分が何者かを明確に自覚する必要がある。その上で自分が依って立つもの、思想を明らかにすることである。それが、自国の名誉と独立を守るために不可欠なことなのである。

 Since 2001.1.6
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano

反日の背景にあるのは