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 戦争、恐慌、人口増加、食糧問題、貧困、温暖化、環境問題、資源問題、自然災害、ゴミ問題、これらは、人類にとって深刻な問題に発展しつつある。しかも、解決の糸口すら見つかっていないのが実状である。

 資本主義体制でも共産主義体制でも解決することは不可能である。それは、資本主義にせよ、共産主義にせよ、体制の構造自体にこれらの問題を増長させる要素を含んでいるからである。

 これらの問題を解決するためには、経済を構造化するしかない。

 現在の経済学に経済学に携わる人間以外が関心を持たないのは、経済学が俗ぽっくない、俗を嫌う、つまり、世間離れして、役に立たないからである。
 家庭の主婦にとって現代の経済学は、無縁である。経済学を学んだことで、家計のやりくりがうまくなったとか、老後の資金を捻出したという話は、とんと聞かない。
 なにも、家庭の主婦に限ったことではない。経営者でも、経済学を経営に生かしている人をあまり見受けられない。大体、経済予測は、当たらないのが通り相場になっている。経済学者は、自分の予測に責任を持たないでやっていける商売だと、皆、思い込んでいる。最近の天気予報官だって予報が当たらなければ食べていけない世の中だというのにである。
 しかし、本来の経済学は、世の中の役に立つものでなければならない。現在社会の混乱は、経済学が役に立たないことに起因していると言っても過言ではない。

 なぜ、経済学が、役に立たないのかというと、経済学者が、経済を経済という特殊な枠組みの中でしか捉えられないからである。経済は、元々人間学である。人間に対する洞察なく、経済的効用ばかりを問題にしていたら、経済の本質を理解することはできない。それこそ、木を見て森を見ないことになる。現代経済学の効用理論の限界がそこにある。
 例えば、大学への進学を効用論的に捉えたら、現実の進学の動きを理解することはできない。大学に進学する動機を知るには、効用論よりも心理学や哲学、人生観を調べた方がいい結果が得られることは明らかである。そこに効用論、現代経済学の限界がある。

 経済学は、人間学である。そして、家計は、人間の一生や生活を土台にしたものである。故に、その社会や時代の人生観、世界観、価値観に家計の構成は左右される。

 家計の構成比の変化は、家計にたいする思想的変化に影響される。例えば、資本主義体制が確立する以前は、質素、倹約、良い物を長く使う。場合によっては、何代にわたっても一つの物を大切に使っていく。お下がりやお古を使う(リサイクル)。勿体ないことはしない。物を粗末にしない。無駄使いをしない。食べ物を残さない。修理、修繕をして、安易に買い換えないと言った思想が中心であったが、それが、資本主義が浸透するにつれて、正反対の思想に変わってきた。
 例えば、使い捨てが当たり前になり、経済的であるとされるようになってきた。修理、修繕して使うよりも、新製品に買い換えた方が効率が良いという事になる。浪費は、美徳とされ、贅沢は、経済を活性化すると言って奨励されるようになってきた。大量生産、大量消費時代なのである。
 大量生産、大量消費時代以前は、経済的というのは、ある意味で、ケチの、不経済的というのは、ある意味で浪費の代名詞だった。それが今では、使い捨ての代名詞である。質素倹約は、資本主義体制では美徳ではないのである。物を大切にというのは、年寄りの戯言に過ぎないのである。勿体ないとか、食べ残したりすると神様の罰が当たるなんて言うのは、的はずれの迷信に過ぎないのである。そこから、飽食の時代が幕が開ける。そして、壮大な浪費が始まるのである。現代社会の病巣は、時代の価値観にあることに気がついていない。ライフスタイルを変えない限り、現代社会の問題は解決できない。

 一見消費が誘導している経済に資本主義は見えるが、実際は、生産が消費を促している体制なのである。

 資本主義体制が成熟化する過程で、生産性や生産の効率性が尊ばれるようになってきた。資本主義以前は、効率化と言えば、消費の効率化を意味してきたが、資本主義体制下での効率化と言えば、生産の効率化をさすようになってきたのである。つまり、消費中心の価値観から生産中心の価値観へと変化してきたのである。

 この様な思想的変化は、物の効用を変えてきた。つまり、使い捨てや浪費に適合した商品だけが生き残ってきたのである。無駄遣いが奨励される時代、大量消費の時代の始まりである。この様な時代から見れば、前時代は、恐ろしく不経済、非効率な時代に見える。

 構造経済というのは、省エネ型経済でもある。つまり、本来の経済構造は、消費が生産を律する体制でなければならないのである。そして、そのような社会構造、経済構造を計画的に構築していこうというのが、構造経済学である。

 

経済は、本来、俗ぽいものである。