あるドラマで、女房に逃げられた亭主が、おまえが居ないと駄目だ、何もできないと呟くシーンがあった。そのシーンを見て、日本人の夫婦の捉え方と欧米人の夫婦の捉え方の差のようなものを感じた。
 お互いを認めあい尊敬できる関係とは、どのような関係なのだろう。
 家庭での役割を分担して、それぞれの立場を尊重し合う、やり方もあれば、対等な立場で、共通の仕事を協同でやるやり方もある。
 つまり、家庭内を分業し、夫婦を一体的に捉え、家族を一単位と見なすのか。それとも、独立した一個の人間の集合体として見なし、夫婦各々は、対等な独立した個人とし、個人を一単位として見なすのかである。

 ただ、いずれにせよ、お互いが一つ屋根の下で生活する事の意味が喪失してしまえば、夫婦というものは成り立たないことだ。この点が見落とされている。それが、現代の家族を危機に陥らせている最大の原因である。
 離婚も増える。

 最近の離婚の原因を聞いてみると、主婦にも定年退職があるように思える。共同体の崩壊である。現代社会は、何もかもが機関化している。
 そこに生身の人間の関係、生活が感じられないのである。会社も生活費を稼ぐだけのための機関に成り下がってしまった。もっと言えば、生活費という言葉すら空疎であり、金を稼ぐだけの機関でしかないように思える。生活感が失せてしまったのである。
 現代社会から臭い、生活臭が失われつつあるようにすら感じる。

 共同体というとどんなことを思い浮かべるだろう。共同体というと、生活共同体、つまり、財産を共有して、生活を共にする集団。何か、得体の知れない秘密結社か新興宗教の教団のような集団をイメージする人が多いかも知れない。
 しかし、最も身近な共同体というと家族である。家族は、運命共同体と言うだけでなく、生活共同体でもある。言うなれば、共同体の原型みたいな集団である。
 また、会社も本来は、運命共同体である。国家も同じである。しかし、この共同体が機関化している。機関化するというのは、人間関係が失われて、ある特定の目的だけが機能している組織体である。会社で言えば、生活を稼ぐための組織、また、金儲けのためだけの組織・機構とでも言える。
 こうなると、そこで働く者には、仕事以外の関係が無意味化する。人間同士の共感や感情は、無意味どころか邪魔になる。一定の期間が過ぎたバラバラに離散する。

 近年、共同体が機関化する傾向を見せている。つまり、組織も集団も事故の特定の目的にだけ奉仕する機構に過ぎなくなりつつあるのである。株主資本主義や唯物主義的な傾向が、この風潮に拍車をかけている。

 その影響で、家族も共同体でなくなりつつある。家族から人間同士の繋がり、家族を繋ぎ止めている絆(きずな)や感情、即ち、愛情が失われつつある。結局、後に残るのは、同居人でしかない。こうなると、家族にも定年退職があるのである。

 近代社会では、定年退職を良い事のように思い込ませている。労働は、苦しみでしかなく、喜びではないように教え込む。子供の頃から勉強は、苦痛でしかないように仕向ける。その延長線上に仕事があるから、仕事が楽しいはずがない。同様に主婦業も呪われた仕事である。子育ては、苦痛でしかない。子供は、母親を縛る厄介者である。その様に社会が設計されている。その先兵がジェンダーである。彼女たちにとって女性という性は、呪われた性でしかない。できれば、否定したい性である。だから、女性の地位向上なんてあり得ない。これは、労働者は、奴隷に過ぎないと言う労働感からきている。
 しかし、労働は喜びである。だから、体年退職は、本来、自己否定なのである。できれば、生涯適度な仕事を持ち続けることが理想である。

 そうなると共同体は、永世な繋がりである。だから愛情が必要になる。近代社会の不幸は、共同体を否定したことである。

 夫婦は、共同体である。夫婦は、共に自立しながら、お互いの足らないところを補う関係である事が理想である。どちらが上で、どちらが下かなんて考えるだけで不幸になる。お互いがお互いを必要とし、お互いを尊敬しあえる関係、それが夫婦本来の在り方である。愛し合える関係、いたわり合える関係、だからこそ、利害を超えていつまでも共に暮らせるのである。
 

夫    婦

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