社会主義運動に関して現代日本人には、誤解がある。社会主義運動のみならず、自由主義運動、民主化運動、民権運動に対しても誤解がある。その為に、健全な政治運動、経済運動が育成できないでいる。誤解の最大の問題は、政治運動や経済運動が、あたかも、欧米にしか存在しなかったかの認識である。この様な政治・経済運動の源流は、日本にも古来からある。古来から運動が、政治や経済運動が欧米にしか存在しないと言う錯覚によって断絶してしまったことである。もう一度、政治や経済運動に対して見直す必要がある。

 社会主義運動というとマルキシズムを思い浮かべる人が多くいる。しかし、社会主義運動と共産主義運動は、同一のものではない。更に言うと、共産主義運動とマルキシズムともイコールではなく、マルキシズムの中でも純粋のマルキシズムとマルクス・レーニン主義、スターリン主義、トロツキズム、毛沢東主義はそれぞれ別の思想である。

 共産主義は、マルクスレーニンの専売特許でもなければ、マルクスやエンゲルスが考案したものでもない。原始共産主義という言葉が示すように、太古からある現実の体制である。また、宗教上の組織は、基本的に共産主義的傾向を持つ。なぜならは、宗教の多くは、私的所有を否定し、平等主義、禁欲主義をその教義に内包しているからである。仏教にせよ、キリスト教にせよ、イスラム教にせよ、出家集団は、必然的に共産主義的、共同体主義的な組織体制を敷くことになる。だから、共産主義というのは、目新しい体制ではない。ただ、ロシア革命以降、唯物論的共産主義国という現実の前に、過去からの系譜が失われてしまったのである。

 まず、社会主義や共産主義は、政治運動と言うよりも経済運動だと言える。社会主義は、第一に私的所有権の否定である。そして、共産主義は、私的所有権の否定に、生産手段の共有化を加える。共産主義というのは、共同体運動の発展したものとも言える。つまり、私的所有権を否定し、生産手段を共有化、公有化した機関を国家にまで拡大した考え方ともいえる。

 アナアキズム、無政府主義というのは、あらゆる公権力、権威を否定した思想である。私的所有権の是非は、むしろ二義的な問題である。それに対し、社会主義や共産主義は、私的所有権の否定が大前提となる。ここが決定的な差になる。

 私的所有権の否定の思想は古くからある。君主制や貴族制、封建制度や独裁制、共和制といった政治体制下においてもいろいろな組み合わせ、考え方で社会主義思想は現れてくる。

 日本では、大宝律令に見られる斑田収受法や均田法なども社会主義思想の現れである。また、スパルタは、共産主義的体制と言ってもおかしくない。つまり、社会主義思想を民主主義と結びつけて考えるようになったのは、近代以降である。また、共産主義は、宗教的な体制として古くからある。現代でもキリスト教をはじめ多くの宗派が急進左翼的な運動を展開している。元々、宗教団体は、平等思想が強く、私的所有・私有財産に対して否定的であり、生産手段の共有化を最終目標にしているところもある。その為には、出家集団は、必然的に共同体化する傾向がある。
 企業もその在り方によっては、共同体化、社会主義化することが可能なのである。

 ちなみに、多くの教祖は、アナアキーな傾向を持つ。
 仏教は、ある意味で無神論である。

 原始社会は、私的所有もなく、私有財産もなく、生産手段も共有化していた。そう言う状況、体制を原始共産主義体制という。つまり、共産主義というのは、人類の歴史の中では常態だったのである。それが、社会が発展するのつれ、階級や私的所有が派生し、貧富の差が生じた。共産主義は、マルクスが、はじめて、発案したわけではないのである。むしろ、共産主義がマルキシズムに集約されたことにより、共産主義本来の姿、また、従前から存在した共産主義体制が打ち消されてしまった。

 また、コミュニズム(共産主義)が、一党独裁に偏向するのは、レーニン以降であり、それ以前には、一党独裁や労働者独裁という思想は、主流ではない。

 社会主義運動は、決して非現実の体制ではない。現実には、多くの資本主義国が社会主義的政策や制度を一部導入している。また、国有企業や公有企業、又は、第三セクターが混在していることも往々にある。また、宗教団体においては、修道院や修道会の形で長い歴史を持つ機関も沢山ある。
 二十世紀後半多くの共産主義国が破綻した。しかし、それは、社会主義や共産主義そのものの破綻を意味しているわけではない。

 私的所有や私有財産の限界もある。社会主義といっても一概に私的所有や私有財産を全面的に否定しているわけではない。これから、新しい体制を考える時、オール・オア・ナッシングではなく、構造的に何が適性かを考えていく必要がある。

 私的所有権は、家庭生活の内部にも入り込んできている。これは、共同体としての家族の土台を切り崩すものである。私的所有権を無制限に拡大するのも考え物である。

 現代の社会主義運動は、あまりに観念的すぎる。社会主義は、現実である。生々しい人間の世界における現実的出来事なのである。
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