経済の現状

日本経済の現状について

営業キャッシュフロー(経常的資金の流れ)




営業キャッシュフローとは何か


経済には、営業取引と財務、資本取引がある。経常取引と言うのは、売上や仕入れ、経費等経常的な取引を営業取引と言い。借入や借入の返済、設備投資等非経常的な取引を財務・資本取引と言う。
営業キャシュフローは、経常的な取引、営業取引による資金の流れをいい、借入や借入金の返済等、財務取引に係る資金の流れを財務キャッシュフロー、投資から生じる資金の流れを投資キャッシュフローとする。
つまり、営業キャッシュフローは、経常収支を言う。

営業キャシュフローを核として投資キャッシュフローも財務キャッシュフローも成り立っている。それが資本主義経済本来の姿である。経常的収益の中から借金と金利を返済し、投資に係る費用を捻出する。それが基本である。経常的収支が支出超過になれば、ストックが雪だるま式に肥大化していく。

日々の経済活動、日常生活は、経常的な資金の流れ(キャッシュフロー)を生じさせる。経常的な資金の流れは、利益、地代家賃、金利、借入金の返済、人件費(所得)、公的支出(税や社会保険料)に配分される。この中の利益、人件費、地代家賃が可処分所得を形成する。可処分所得と支出の均衡が景気の動向を決める。経済の不均衡は、これらの配分に現れる。
営業キャッシュフローは、この中で借入金の返済部分を除き、それに変わって減価償却部分を加え、更に、運転資本を加算したものを言う。

つまり、利益は、損益を基とし、金利と借入金の返済は、負債を基とし、人件費は、所得の本となる。更に、公的支出は、財政の本となる。
これらの均衡が景気の状況を形成している。

結局、経営の柱となる収入は、現金売上にある。現金売上とは、総売上から運転資本を除いた部分である。
総売上から運転資本を引いたものが配分の原資となる。
個々の商品の売り上げを集計した値が総売上であり、個々の商品の価格の平均が物価を形成する。

こうしてみると営業キャッシュフローは、景気の動向を色濃く反映していると同時に、景気の動向を左右してもいる。
現在の経済を動かしているのは、資金の流れである。
経済の源流は物流である。世界経済は、物流を基にして形成されてきたし、現在でもその本質に変わりはない。
物の流れがあって資金の流れは生じる。物流がなければ資金の流れは生じない。
しかし、その物流を促しているのが、資金の流れである。結果的に市場を動かしているのは、資金の流れである。
市場の表面に現れるのは、資金の流れである。ただ忘れてはならないのは、資金の流れの背後に物流がある事である。

今日の日本経済の問題は、物の流れと資金の流れが乖離している事である。
資金の流れ物の流れが乖離している事である。そして、実物市場に資金が流れなくなっている事なのである。

資金の流れには、生産と消費に基づいて物と「お金」を分配する流れと投資によって生産手段を形成する投資の流れと資金の過不足を調節する金融の流れがある。
その中でも、生産と消費にづいて物と「お金」を分配する流れは、直接景気に関わっている要となる流れであり、それが営業キャッシュフローである。

キャッシュフローは、資金の調達と運用からなる。そして、資金の調達は、収入に反映され、運用は支出として現れる。
お金の調達手段は、他人から借りるか、出資してもらうか、稼ぐこと以外にない。
市場経済における資金調達の基本は、「お金」を稼ぐことである。つまり、収益を上げる事にある。稼いだお金が不足した時それを補う手段として借金がある。また、「お金」を稼ぐための準備、生産手段に必要な「お金」は、基本的に出資してもらい、それでも足りなければ借金をするのである。
営業キャシュフローの基盤は、売上、即ち収益である。つまり、「お金」を稼ぐことである。ところがお金を稼ぐことを悪だとする考え方があり、それが経済を衰退させている。

資金調達の要は、売上収入にある事を忘れてはならない。
だから、営業キャッシュフローが重要となるのである。経営主体というのは、売上収入の中から人件費や、金利、利益、租税公課等と言った時間価値、付加価値を生み出し、分配を実現する。

営業キャッシュフローというのは、単位期間内において経常的な活動で決済された取引の残高であり、基本的に現金によって表示される。現金というのは、その時点において対象の貨幣価値を表す指標である。

経常的な活動における主たる現金収入は、営業収入、即ち、売上収入である。支出は、営業支出、費用に係る支出である。
単に、売上と言っても収入を伴わない売り上げがある。収入の伴わない売り上げは、売り先に対する貸付金となる。また、支出の伴わない費用や仕入れがある。支出の伴わない費用の中の減価償却費を除いた部分は、借入金と同じ扱いになる。
売上収入を明らかにするためには、売上から、売上債権を引く必要がある。また、実際の支出を知るためには、費用から減価償却費と仕入債務を引く必要がある。売上収入から実際の支出を引いたものがむき出しの資金の動きを表している。

それに対して投資キャッシュフローは、投資に係る現金収支を言い、財務キャッシュフローは、貸借取引、資本取引に係る現金収支を言う。
即ち、営業キャッシュフローは、短期的経済の実体を表している。故に、営業利益、あるいは、経常利益に相当する部分が営業キャッシュフローだと言える。営業利益を基礎とするか経常利益を基礎とするかは、何を分析しようとしいるのかの目的による。
営業キャッシュフローと言っても自然になる事ではなく。恣意的に計算する事であり、目的があった計算する、合目的的な行為である。
自分達がどのような目的で営業キャッシュフローを計算しようとしているのか、常に、それを明確にする必要がある。

景気の軌跡は、キャッシュフロー上に明確に現れる。
故に、現実に経済を動かしている資金の働きは、営業キャッシュフローを見ればある程度予測する事が出る。
営業キャッシュフローが景気に対してどの様な働きをしているかを明らかにする事は、経済対策を立てる上で必須の事である。資金の流れる方向と速度、量、対象によって景気がどのような影響を明らかにする事である。

資金移動は、増減として現れる科目がある事に気を付ける必要がある。例えば、売掛金や買入金、在庫、借入金、そして、投資の資金移動は増減によって測られる。増減によって測られる科目は、基本的に時間が関係している。例えば売掛金であるが、売掛金は、売上債権であり、前期の部分は、当期は、前期に計上された売掛金によって入金が済んでいるからである。当期の資金過不足は、増減額によって測られる必要がある。この様に現金収支と期間取引には時間的な差が生じるのである。



市場経済は、期間損益主義と現金主義が混在している。



自由主義経済は、期間損益主義と現金主義とが混在している。
この点をよく理解しておかないと現在生起している経済の現象を正しく認識する事は出来ない。

期間損益主義と現金主義、どちらが正しいか、間違っているかという単純な問題ではない。期間損益と現金収支は視点が違うのである。根拠となる取引そのものは一つである。
期間損益主義と現金主義とは相互に補完する関係にあってどちらも必要とされている。

現金主義と言うのは、現金収支を基礎として経済の動きを認識しようという考え方である。期間損益主義は、単位期間における「お金」の働きを資産、負債、資本、収益、費用の働きとして捉えそれによって経済の働きを捉えようていう考え方である。
期間損益をさらに詳しく見ると収益は、実現主義、費用は、発生主義、資産は、取得原価主義に基づき、在庫の評価は、任意に設定できる事になっている。

期間損益は、単位期間の資金の働きを資産、負債、資本、収益、費用に区分し、勘定として集計したものである。一般に損益計算書と貸借対照として計算書として表される。
資産、負債、資本、収益、費用を個々独立した働きとして考えている人がいるが、実際は、資産、負債、資本、収益、費用は、相互に影響を及ぼしながら全体の働を制御している。費用を削減すれば、収益や資産、負債、資本に影響を及ぼす。収益が下がれば、費用、資産、負債、資本に影響する。そして、その結果は、損益として表されるのである。費用や負債は、駄目で、資産や収益、費用はいいとは言えない。
資産、負債、資本は、ストックを表し、収益と費用は、フローを表している。

費用の働きの内容を精査してみないと営業キャッシュフロー、付加価値の働きが理解できない。費用を無原則に削減するとデフレーションになる。費用や借金、損失は、悪い事だと決めつけるのは短絡的である。
単に価格だけを問題にすれば、原価だけに集約されてしまい。付加価値は圧縮されてしまう。問題は、費用の付加価値に対する働きなのである。価格を低く抑える事だけが経済を活性化する事ではない。付加価値は、一国の経済や産業の縮図なのである。

また、会計が資金と働きと乖離する原因としては、非貨幣資産、費用性資産、未実現利益、繰延勘定、評価勘定等の働きがある。
また、貸借取引は、損益には計上されないため、貸借取引に依って生じる現金収支は、損益に影響しない。この点を十分に留意しないと経済の動きは理解できない。

貸借上にある資金や資産は、支払準備、又は、効用を準備していると仮定されている。しかし、資産や資金が効用を発揮するとは限らない。ただ、貸借上の科目は、支払いや効用を準備しているという事で、費用に反映される。
簿記上貸方は、資金の調達手段と調達額を表し、借方は、資金の支出と運用手段を表している。貸方を構成する科目は、簿価と時価は一致しているのに対し、借方は、簿価と時価とは一致していない。故に、貸方は名目的勘定であり、借方は、実質勘定となる。名目勘定である負債は、時価と簿価とは一致しているが、実質勘定である資産は、金融資産を除いて簿価に計上さた瞬間から相場によって乖離する。貸方の中で注意しなければならないのは、純資産、即ち、資本と利益であるが、資本と利益は差額勘定であり、資本や利益自体が、資産とか現金と言った物的、貨幣的実体を持っているわけではない。

問題は、税務会計であるが、現金主義と期間損益主義とが折衷的に結びつけられている。どっちもつかない形で企業、家計、海外部門に影響を及ぼしている。これらが構造的に家計、企業、財政、海外各部門の働きを左右している。

経済の仕組みは、資金の流れによって動かされている。資金の流れは資金の過不足によって形成される。資金の過不足は、ストックに、資金の流れはフローを構成する。

部門間における資金の過不足の歪は、ストックに蓄積される。ストックに蓄積された資金は、付加価値を通じてフローを制約する。




国民経済計算書

バブル期以前から資産価値を増大している。この点を理解しておかないと財政の先行きは見えてこない。

「お金」の働には、決済、貨幣価値の確定、価値の保存の三つの働きがあるとされる。
この三つの働きがあるからフローとストックは、関連付けられている。とくに、貨幣価値の画定、即ち、尺度としての「お金」の働きは、通貨の量と付加価値の働きを規制する働きがある。なぜならば、貨幣価値は、分配と言う機能の手段として働いており、分配の基本は、全体と部分の関係によって制約されるからである。
フローとストック、通貨の流量と物価とを切り離して考えられない理由がそこにある。フローとストックの均衡を保つように付加価値の成分を操作する事で経済の制御は可能となるのである。



国民経済計算書



期間損益に関しては、かつては、損益を重視すべきか貸借を重視すべきかで議論が戦わされたが今でも最終的な決着は見ていない。それは、損益と貸借が何を意味しているのかがいまだに判然していない事による。
こんにちは、更に、キャッシュフローや時価の考え方が期間損益の中に取り込まれている。
ただ、厳密な意味では、現金主義と期間損益主義は同一ではない。

現金収支はゼロ和なのに対して、期間損益は非ゼロ和である。
ゼロ和を基礎としている現金収支を非ゼロ和とする期間損益に変換する事で長期的資金の流れと短期的資金の流れの整合性を保っている。それを可能たらしめているのが複式簿記である。
現金主義では、全てを黒字にする事は出来ない。しかし、赤字な主体を放置することは許されない。非ゼロ和の期間損益に変換する事で、短期的な働きを現金収支とは別に損益として計測することが可能となる。それが先人達の知恵である。

ゼロ和という概念が、現代経済を考える上で重要な鍵を握っている。但し、ゼロ和と言っても何に対してゼロ和となるのかが解らないと、ゼロ和の働きを理解する事はできない。
キャッシュフローを考える上でもゼロ和は鍵を握っている。何と何がゼロ和となるか。そして、なぜゼロ和となるのか。ゼロ和の意味は何かを正しく認識する事が、健在の動きを読み解く際の鍵となる。
ゼロ和が鍵を握っているからと言って何でもかんでもゼロ和で解決しようとするのは危険であるし、無意味な事でもある。

市場を動かしているのは、資金の流れである。資金の流れは、現金収支として現れる。
しかし、現金収支は、貸借の部分、長期的資金の働きも含まれる。そうなると経常的資金の働きが曖昧になる。経常的資金の流れと長期的資金の流れを区分したのが損益である。
そして、経常的な働きと長期的な働きは、フローとストックを形成する。

故に、現金収支と期間損益の二つの働きを総合的に見ないと経済の実態は明らかにできない。

資金の流れは、部門間を循環し部門間に資金の過不足として蓄積される。
家計と財政、海外部門は、現金主義に基づき民間企業は期間損益に基づいていて会計的には不連続である。
つまり、国民経済には、期間損益と現金主義が混在しているのである。
この前提を見落とすと資金の流れを見失う。

その為に、国民経済計算書は、折衷的処理をしている。ただし、国民経済計算書は最終的には現金主義の立場をとっている。




GDPは、営業キャッシュフローである。


GDPは、フローによって構成されている。GDPは、経済全体の付加価値を構成するキャッシュフローを意味する。付加価値を表すキャッシュフローは、営業キャッシュフローであるから、ある意味でGDPは、経済全体の中の営業キャッシュフローと言える。

営業キャッシュフローが増えなければ付加価値も増えないのである。
GDPは、付加価値を表す。付加価値を拡大するのは、所得の上昇と市場の拡大である。
一般に誤解があるが、経済成長率が高いのは、拡大する市場と低賃金の国である。高賃金で、市場が成熟した国は、経済成長は停滞する。経済が成熟した国は、無理に経済成長を画策するのではなく。縮小均衡型経済体制へと転換すべきなのである。
成長期にある経済は、競争を促し、ひたすら利益を追求していれば物価の上昇によって経済の均衡は保たれる。経済が成熟した国は、競争を抑制すると同時に価格競争から価格以外の性能やデザイン、品質と言った価格以外のところで競争させるような仕組みに変えていく必要がある。

産出は、収益を意味する。中間消費は、原価を意味する。産出から中間消費を差し引いた残高項目が付加価値である。
固定資産減耗を含めたものが総付加価値、粗付加価値であり、総付加価値、粗付加価値がGDPである。それに対して固定資産減耗を含まない場合は、純付加価値、NDPと言う。
そして、固定資産減耗は、減価償却費に相当し、雇用者報酬は、人件費、所得に相当し、営業余剰・混合所得は、営業利益に相当する。生産・輸入品に課す税は、消費税や関税を指す。
これを見てもいわゆる財務諸表の付加価値、営業キャッシュフローとは別物である。
営業キャッシュフローは、人件費などが含まれていない。
ただ、GDPと営業キャッシュフロー、付加価値を対比してみると経済の構造が見えてくる事も確かである。

民間企業の営業キャッシュフローと人件費、付加価値の関係を見て見ると営業キャッシュフローと人件費の和が付加価値と一致するのがわかる。


法人企業統計


GDPは、産出から中間消費を指し引いたものであると同時に、雇用者報酬に営業余剰、混合所得、生産・輸入に課される税から補助金を差し引いたものという見方もでき。
また、最終消費支出と総資本形成に輸出を足したものから輸入を差し引いたものと言える。
これは、付加価値が三つの働きを持つ事を意味している。

経済量は、人口と一人当たりの消費量(単位消費量)と単価の積として求められる。経済の枠組みは、人と物によって作られているのである。そのような枠組みの上に自由主義経済は成り立っている。そして、自由主義経済は、市場経済、貨幣経済によって基礎が構成されている。故に、自由主義経済の経済的現象は、極めて貨幣的な現象と言える。

貨幣経済下では、経済の実体は、人と物の関係にある。名目は、「お金」によって作られる。経済の実体は、人と物にある。しかし、経済の仕組みを動かしているのは、「お金」である。
経済を動かしているのは、資金の流れ。資金の流れは、資金の過不足によって起こる。
資金は使え(支出)ば減り、働いて収入を得ればば増える。経済の仕組みを動かしているのは、入金と出金である。「お金」が無くなれば、即ち、残高がなくなれば経済行為は継続できない。これが市場経済の原則である。

第一に、総資産(Total assets)と総産出(Total output)の関係である。これは企業会計でいえば、総資産と総売上の関係にあたる。総産出と総資産の関係は、フローとストックの枠組みを構築する。


国民経済計算書

経済規模は、総資産と総産出が画定する。総産出は、単位販売量と単価と人口の積によって求められる。完全貨幣制度下では、全ての人に所得が行渡っていることが前提となる。

経済主体は、主体の働きによって部門に分類される。国民経済計算書では、部門は、家計、非金融法人企業、一般政府、対家計非営利団体、金融、海外主体の六つの部門に分類される。

総資産は、貸借によって形成される。貸借は、経済を構成する主体間の単位期間における資金の過不足が累積したものである。
経済主体間の貸借は均衡している。借入金は、それと同量の貸付金を全体として成り立っている。
故に、市場全体では貸借は均衡している。すなわちゼロ和である。市場全体の取引量の総和も均衡、即ち、ゼロ和である。また、単位期間内における所得と消費支出との差の総和と単位期間内の貸借の総和は、零和である。
貸借は、資産と負債に集約される。資産は、固定資産と金融資産があり、金融資産と負債とを形成する。市場全体の金融資産と負債とは均衡している。金融資産は、流動資産を形成する。
国民経済計算書における生産とは、新たに価値を付加する行為を言い生産量は、付加価値として計測される。

付加価値は、総資産と総産出の関係によって形成される。付加価値、即ち、総生産によって負債の限度は規定される。負債の限度によって固定資産の枠組みが作られる。同時に負債は金融資産と固定資産を生み出す。付加価値の中から固定資本は償却され、所得は生み出される。所得は、支出される事で総産出の源となる。ストックは総資産として蓄積され、フローは、付加価値として実現する。フローとストックは、何重にも結び付けられているのである。そして、資産、産出、生産を結び付けているのが「お金」の流れである。



日本銀行

資金のフローを見ていると2000年に資金の流れが大きく変化しているのがわかる。2000年に資金の過不足の主体が入れ替わるほどの市場構造の変化、あるいは、相転移が引き起こされている可能性がある。
問題は、そのような構造的変化、相転移が何によって引き起こされたかである。

2000年を境に非金融法人企業は、フロー上において資金余剰主体に転換している。家計の資金余剰幅が圧縮されている。
単年度の収支は、均衡している。しかし、部門間の資金の過不足は、ストックとして蓄積される。
蓄積されたストックは、付加価値に反映されてフローに影響を及ぼす。


日本銀行


リーマンショック時の一時を除いてストックは、継続的に拡大し続けている。

貸借は、支払準備を意味する。貸借の残高は、支払準備高を意味する。

総資産の総額は、投資の総額によって定まる。投資額は、借入金限度額によって上限を制約される。借入金限度額は、経常収入と付加価値によって決まる。国民経済計算書では、総産出と総生産、企業会計だと売上と売上総利益によって制約される。

資産には、時間や操業度によって効用、使用価値が減少する資産と基本的に使用価値自体は変化せず、価格は、市場の需給によって定まる物とがある。前者が償却資産であり、後者が非償却資産である。

貸借は基本的に移動である。付加価値には、影響は与えないが、回収できなければ資本を毀損する。

投資は、生産手段や消費手段に資金を投入し、それを、付加価値によって回収する行為である。
生産手段に対する投資は、付加価値を生みだす事を目的としている。

つまり、資産の効用が働く間に借入金の返済を終わらせる必要がある。借入金の限度は、単位期間内に返済しなければならない資金の総額、効用が発揮できる事が期待できる期間と付加価値を維持できる期間との関係によって規定される。
そして、一定期間、一定の所得、収入を得る事が前提となる。設備投資に対する借入金の限度は、設備の償却期間と返済可能期間、すなわち、付加価値を維持できる期間、あるいは、総収入、生涯所得を一般に限度する。この限度を超えると負債を抑制できなくなり、総産出や総生産の枠が維持できなくなる。また、投資した資金を回収する事が出来なくなる。
重要なのは、付加価値の範囲内で負債の返済は、行われるという点と、負債の元本そのものは、資金移動で会って付加価値を生み出さないという点である。貸借・資本取引は、損益に計上されない。
借入金が付加価値に反映するのは、金利の部分だけで、元本は、資金移動だという点を注意する必要がある。

投資に対する借入金限度は、投資総額、単位期間の支出、単位期間の収入、償却期間によって計算される。

投資の規模が経済の規模を規制する。投資は、将来の収入と資金調達力を担保している。そして、この将来の収入と資金調達力が経済規模を制約しているのである。





完全貨幣制度とは、全ての経済的価値は貨幣価値に還元される体制を言う。物々交換の様な貨幣に依らない取引が混在する場合は、完全貨幣主義とは言わない。
ただ、市場経済と貨幣制度とは一体ではない。現在の経済には、非市場取引が混在している。

市場は価格を確定する場である。市場経済では、価格、即ち、単価は、市場取引によって決まる。
価格は、人と物との関係、および、通貨の流量によって決まる。

経済の流れには、生産、加工、交換、移動、消費(消滅)がある。

国民経済計算書を企業会計に対比すると売上に相当するのが、産出であり、原価に相当するのが中間消費、売上総利益(粗利益)に相当するのが総生産(GDP)、営業利益が、営業余剰・混合所得、減価償却費が固定資産減耗、人件費(個人所得)が雇用者報酬、総資本が総資産、純資産(資本)が、正味資産である。

売上総利益である付加価値を基礎とするGDPは、純額主義である。
重要な点は、支払金利や地代家賃がGDPに含まれていない事である。地代家賃は、フローとしてではなく、資本移動としてみなされるからである。

経済成長とされるのは、基本的に付加価値である。付加価値を生み出すのは、所得である。資金の流れには、付加価値を生み出す所得と付加価値を生み出さない所得、移転があり。生産的な所得と移転を見極める事は何が経済を成長させているかを解明する為には、不可欠なのである。

フローにおいて移転とされるのは、四つある。第一に、財産所得である。非生産資産から生じる所得である。あれ程、バブルの時に資産価値が上昇したのに経済成長に影響がないとされたのは、財産所得が保利所得とされたからである。
第二に、契約に基づく転移で、契約はあっても反対給付が約束されていないもの。第三が、税などの一般政府との間の義務より生じる転移である。第四に、家計間の仕送りや贈与、営利団体の会費などである。

また、国民所得には、要素費用と市場価格によるものがある。要素費用とは、費用そのものをさし、営業余剰・混合所得と雇用者報酬を言う。即ち、費用は、営業利益と人件費に還元されるのである。


国民経済計算書 右 国内総産出/国内総生産

第二に、総産出、中間投入(Intermediate input)、総生産(GDP)の関係である。拡大均衡か縮小均衡かの方向は、総産出の規模、中間投入と総生産の割合によって定まる。
経済成長を促すためには、中間投入部分が50%を超える必要がある。

経済を構成する根源的要素は人、物、「お金」であり。産出は、人数(人口)と単位取引量(売買量、販売量)と単価の積として表される。人数と単位取引量は物理的量であり、有限である。取引量(販売量)は、需要と供給によって定まり、人口は、固定的量である。
人と物の量は、可算量であるのに対して、単価は市場取引によって決まる不確定な値である。故に、インフレーションやデフレーションと言った経済現象は、貨幣的現象だと言える。

貨幣は、分配の手段であるから、比率が重要になる。比率は、全体と部分によって決まる。故に、貨幣価値は、通貨の量量を分母として成り立っている。


国民経済計算書



国民経済計算書

産出は、支出によって金額が与えられる。支出は、収入に転じる。つまり、取引は、支出と収入、買手と売手からなる。産出が支出によつて金額が与える事が市場経済の始まりとなる。産出に金額がつけられることで、中間投入、総生産、所得、資産等に値決め、即ち、価格がつけられる。

市場取引は、産出から生まれる所得や生産財の使用に金額を与えることを意味する。
「お金」の流れは、決済と清算によって完結する。

生産財の価格は、量と単価の積である。価格が上昇しても、生産量、販売量、消費量、そして、人口が変化しなければ、経済の実体は変わらない。
経済の実体に関わりなく起こるインフレーションやデフレーションは、純粋に貨幣的現象と見なす事が出来る。
即ち、売上収入(生産)、個人所得(分配)、支出(消費と貯蓄)、物価、そして、資金の供給量の関係が要因となって起こる。


国民経済計算書

総生産は、企業会計でいえば売上総利益に相当する。売上に相当するのが、産出であり、原価の相当するのが中間投入、中間諸費だとすると、総生産は、売上である産出と原価である中間投入の関係によって制約される。更に、分配である所得と支出による制約も受ける。
また、ストックである総資産との比率によって規模を制約される。
この様な力関係の均衡によって経済の仕組みは保たれている。

第三に、総生産(生産)、総所得(分配)、総支出である。総生産、総所得、総支出は、同価でこれを三面は等価とされる。三面等価は、生産されたものは、全て分配され。分配されたもの総て支出されるという仮定の上に成り立っている。但し、分配には仮定の量が混ざっている。そして、仮定の量を実際の数値に置き換えるとよりこの関係は鮮明となる。仮定の数値とは、固定資産減耗であり、企業会計上は減価償却に相当する。実際は、長期負債の返済にあたり。過去の投資に対する回収を意味する。
気を付けなければならないのは、営業余剰・混合所得は、分配面のみ反映され、支出の局面には、反映されないという点である。

総生産から付加価値が生じる。付加価値は、所得に転じ、所得は、支出される事で、経済は、効用を発揮する。支出は、消費支出と固定資本形成、および貯蓄に還元される。

完全貨幣制度下では、全ての国民は、生きる為の活動に必要な最低限の財を購入できる所得を予め配布されておく必要がある。
生産と分配、消費の過程を完結させるためには、所得と支出の過程が確立されている必要がある。
所得は、報酬と移転がある。移転には、経常移転と資本移転がある。
報酬とは、労働や賃貸、生産手段の使用などに対する対価を意味する。

国民国家は、自力で生きていくのに最低必要とする資金を得られない者に対して何らかの保障する事が義務付けられている。なぜならば、完全貨幣制度では、全ての国民に予め生活していくうえで最低必要限度の資金が配布されている事が最低必要要件となるからであ。

経済空間には、財の空間と貨幣の空間があり、各々、物的場と貨幣的場を構成している。物的空間と貨幣的空間を結び付けているのが個人、即ち、人的主体である。一般に誤解があるが、分配は、人的主体を通して財と貨幣の二つの要因がある。つまり、生産財と所得である。予め、所得として満遍なく「お金」を分配しておき、「お金」を媒体として生産財を配分するのである。
つまり、生産するだけでは、財は分配できないのである。故に、「お金」の流れには、財を生産する流れと所得を分配する流れの二つがなければ成り立たない事を念頭に置いておく必要がある。
今日の経済は、生産ばかりに偏り、所得の分配が忘れられている。その為に、分配機能が正常に働かなくなってきているのである。

経済的効用の対価として所得が支払われ。それが経済的価値を生み出す。
「お金」が、市場に循環する事によって経済の仕組みは動いている。故に、一定量の「お金」が市場に絶えず流通させておく必要がある。
所得を市場に満遍なく浸透させておくために失業対策としての公共事業は有効である。しかし、一定量の「お金」が市場に循環したいる場合は、公共投資の効果は限定的となり、過剰な公共投資は、通貨の量をダブつかせる原因となる。

財を生産するだけでは駄目で、所得、即ち、「お金」をいかにして分配するかが、重要なのである。不景気の年に大規模な公共投資をするのは、仕事を作って所得の配分を促す事も事業目的の一つなのである。
ただ景気と言うのは、単純ではなく。複雑な様相を呈している。ただ公共投資をすればいいという訳にはいかない。景気の状態によって資金の供給の仕方によって景気に対して有効であるか否かが決まる。資金をどの局面で、どの様にして市場に供給するかが鍵を握っている。

分配は、生産と支出の中間に位置し、企業会計上は、損益の部分、費用と利益を意味する。
国民経済計算書では分配は、二段階で行われる。第一段階で付加価値が篩い分けられ、第二段階で可処分所得に仕分けされる。税は、段階ごとに課税対象が変わり、税の働きに違いが出る。

現在の税には、生産・輸入品に課せられる税と所得・富に課せられる税。所得。富みに課せられる税。資本に課せられる税の三種類がある。第一の生産・輸入品に課せられる税は、産出を課税対象とする、その為に、付加価値に影響し、第二の所得・富に課せられる税は、経常税とされ、所得や収益を課税対象とし、可処分所得に影響を及ぼす。第三には、相続税や贈与税がある。相続税や贈与税は、経常税とはみなされずに資本税として資産移転として考えられている。つまり、フローには、影響しないと考えられる。フローには関係しないがストックの構成には、重大な影響を与える。
移転は、フローには、影響しないとされるが、ストックの構成を変える。誰から、誰に、移転したかが重要なのである。それ次第では、部門間の貸借関係の構成が変わる。
ただ、実際は、税は、分配の手段である事に変わりはない。
所得・富に課せられる税は、垂直方向に働くのに対して生産・輸入品に課せられる税は、水平方向に働く。
生産・輸入品に課せられる税は、分配の局面で水平方向に働くとされる。所得税は、所得・富に働く税の典型で所得に対して垂直的に働く。消費税は、典型的な付加価値税で、分配過程において段階的に課せられている。故に、消費税は、付加価値の配分に決定的な作用を及ぼす。
所得税は、所得に対して直接的に働く。それに対して生産・輸入品に課せられる税は、市場の取引の状態、景気に対して作用する。所得税は、徴収手段から直接税とされ、生産・輸入品に課せられる税は、間接税とされる。


国民経済計算書

間接税が付加価値に占める比率は増税されても大きく変化していない。



国民経済計算書

財政政策は、税と投資と給付からなる。また、財政政策の働きは、歳入と歳出として現れる。
景気対策として財政政策にあまり依存すぎるのは、危険な事である。公共投資は、景気に対して劇的な効果を発揮する場合があるが、慢性的に用いると依存症や中毒症状などの弊害が現れ、財政のみならず経済の仕組み全体を破綻さてしまう危険性がある。また、所得の再分配は、行き過ぎる市場の効用をなくしてしまう。また、人口構成の変化等によって財政を長期にわたってい歪めてしまう危険性もある。公共事業も慢性化すると既得権益となり、特権階級を生み出す温床となる。
公共投資にせよ、所得の再分配にせよ市場の働きに関係のない事業である事を忘れてはならない。

年金や補助金等の給付より、公共投資の方が景気対策として有効なのは、年金や補助金が直接、支出の段階で投入されるのに対し、公共投資は、生産局面に投入されるために、生産、分配、支出と言う過程を経由する事である。ただ、問題は、生産局面に投入されるにしても市場性がない為に、経済的合理性を検証する手段がない事である。
通常、市場取引では、売り手と買い手が直接相対する事で、費用対効果が常に検証される。そして、それが価格に見合ったものであるかどうかが、都度、検証される。それが公共投資の場合、売り手と買い手と言う関係ではなく。予め定められた仕様で発注される事になり、品質の検証はされても経済的効果は、二の次になる。つまり、収益や利益と言う概念が通用しない。その為に、費用対効果と言った経済的合理性は存在しない事になる。
この様な場合、公共性という建前が障害となる。消費者と事業者が直接結びつくのではなく。税が介在する事で公共機関が介在する事になるからである。支出と効果が結びつかないために、所謂、お役所仕事になってしまう。つまり、対価(支出)と結果とが結びつかないのである。所得の配分には効果はあっても、付加価値の生産は期待できない。それは統制経済の弊害でもある。

社会保障などの所得の再分配は、生産、分配、支出の局面で、直接支出に投入されるために、生産と分配を経由しない。資金転移である。つまり、市場を経由していない。故に、総生産の増減、即ち、経済成長に寄与しない。
結局、所得の再配分は、家計、財政、民間企業の収入を平準化する事が目的をのみ目的としていると言える。所得の再配分は、財政の重要の働きの一つだが、所得の再配分の働きは、財政だけにあるのではなく、家計や民間企業にもある。むしろ、家計や企業に所得の再配分の一部を担わせることで市場に働きかける事も可能となる。その一端が公共投資による景気対策である。しかし、公共投資は、一時的な効果しか望めず、しかも、特定の分野にしか投入できない。
また、民間における資金の偏りを均す目的で税や財政を機能させるのは有効だが、行き過ぎると市場の分配機能を損なう危険性がある。家計、財政、企業に分配の何を担わせるかを明確にすることが肝要なのである。
補助金等の財政政策は、分配から直接、支出へと繋がっている。所得の転移である。その為に、経済成長を促したりはしない。
財政政策が効果を発揮するのは、不景気などによって市場の活力が低下した時や失業などによって購買力が低下した時である。

財政は、環境の変化を認識してから対策を立て政策を実行するまで最低で一年以上かかる。場合によっては、二年三年を要する事があり、即時性に欠ける。多くの場合、環境の変化と政策の実行と結果が不適合になる。かといって二年三年先の経済情勢を予測して経済政策をたてたくても経済変動は、激しく簡単に予測ができるものではない。また、正確に予測ができたとしても国民が理解を示すとは限らない。逆に、増税など国民に不人気な政策は、条件が整っていない限り、国民の信任を得る事は難しい。
結局、即時的な対応を財政政策に求めるのは難しい事になる。財政思想を変えない限り、財政によって景気対策をするのは非現実的である。

財政政策は、支出と効用が直接結びついているわけではなく。フィードバック機能が働かないのである。フィードバックが効いたとしても時間がかかる。速効性が期待できないのである。変動が激しい景気対策としては元々不向きである。
市場取引は、売り手と買い手双方の必要性によって成り立っている。しかし、公共事業には、売り手と買い手と言う関係が成り立たない。あるのは、予算と税の関係でしかない。
公共事業には、顧客と言う概念が欠落しているのである。だから、直接対価を支払っている相手、また、公共サービスを受ける対象との菅家が希薄になる。その結果、事業の本来の目的が見失われがちなのである。機能していない働きからは、効率性は生れない。なぜならば、効率性とは、働く者とその働きが向けられる対象との関係によって成り立っているからである。つまり、公共事業は、フィードバック効果が希薄なのである。

景気対策として財政政策を用いる際は、財政の役割や働きを正しく認識しておく必要がある。
財政は、社会資本を充実させ、資金の過不足を直接的な手段で補う事を目的としている。
生産の局面で資金の配分が滞っている場合、仕事を生み出す事で購買力を高める効果がある。
市場を経由せずに補助金などによって資金を配分する事は、所得の転移であって景気をよくしたり、物価を上昇させるなどの経済的効果は、望めない。
特に、所得の再配分は市場を経由しないで直接的に資金を移動させる。その為に、市場が生み出す付加価値を財政そのものは生み出さない。いくら社会保障をしても経済は成長しない。景気対策として福祉事業をしても経済成長には寄与しない。
仮に年金などによる経済的効果を望むのならば、年金などの事業は、民間企業を通じて行った方が、効果的だと考える。
民間事業を単に金儲けだと卑しめるのは、当を得ていない。年金事業は、保険や金融と共有の性格を持っている。
公共投資や公共事業は、非営利事業であるから営業余剰は生み出さないが雇用者報酬は増やす働きがある。
雇用者報酬は、付加価値を構成する要素の一つである。

付加価値が変化しなければ、営業余剰、雇用者報酬、生産と輸入品に課せられる税(消費税)、固定資本減耗の配分の問題に帰着する。
固定資本減耗は、過去の投資の効用を表している。つまり、公共投資は、雇用者報酬(失業対策)、過去の投資の働き、民間企業の利益と消費税の関係などに影響する。
付加価値が拡大しなければ、経済成長には結びつかない。分配の問題が焦点となるのである。
付加価値の増減に関係するのは、総資産、総産出、総生産、雇用者報酬、民間最終消費の関係である。そして、総所得と総支出の関係である。

「お金」は、受益者と事業者とを直接結びつけることで効果を発揮するのである。「お金」儲けというが、「お金」を直接やり取りするからこそ直接的な経済的効果が発揮されるのである。それが「お金」の力であり。正しく使われる限り「お金」の力は悪い事ではない。「お金」の力を悪い事に使う人間が悪いのであって、「お金」が悪いわけではない。人が悪いのである。
経済収支を基として資金の活用を考えた方が経済的と言える。税金で賄うと諸々の制約がかかり、事業が硬直的になる。年金事業の性格からしても単年度均衡主義や法定予算制度はなじまない。また、税金をつぎ込むことによって事業の目的や対象が曖昧になる恐れがある。

分配の効用を理解する為には、所得と支出のタイミングを知る必要がある。どの時点で所得を得て、どの時点で支出されるかは、経済の動向を知る上で決定的な要素となる。
雇用者報酬が分割して支給されるため、付加価値に計上された金額の大部分は、その年度に支出される。
付加価値に計上されている税は、次年度の支出の原資である。つまり、政府最終消費支出は、前年度の税が原資となる。資金が足りなければ借金をする事になる。






国民経済統計

経済は、生産だけで成り立っているわけではなく。分配や支出もあって成り立つ事である。
生産、分配、支出の均衡がとれないと経済は、保てない。
生産者側の都合だけでなく、仕事の都合、即ち、分配側の都合や、消費者側の都合も考える必要がある。
怖いのは、不均衡である。
生産者は、仕事や消費の事も考慮して合理化を計らなければならない。

生産者の都合ばかり優勢したら費用の属人的性格は失われる。属人的性格とは、能力や年齢、扶養家族などである。



国民経済計算書

重要なのは、可処分所得が各部門に占める割合なのである。なぜならば、分配は、割合として表されるからである。


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第四に、個々の局面を構成する要素の配分の関係である。生産の局面では、中間投入と総生産。分配の局面では、利益、過去の投資に対する返済、利子、個人所得、地代家賃、税に分配される。支出の局面では、家計消費と公的消費、そして、貯蓄(投資)に分配される。一部税への還元が含まれる。そして、総生産、総所得、総支出の幅が枠組みとなって制約する。

国民所得は、市場価格を基としたものと要素費用を基にしたものがある。要素費用は、本源的費用と言える。要素費用、雇用者報酬と営業余剰からなる。この内、営業余剰は、中間消費とされる。故に、最終的には、雇用者報酬に還元される。

市場価格と費用の差は、利益を意味する。
市場経済は、あくまでも収益を柱にして費用対効果、利益によって成り立っている事を忘れてはならない。経済主体は、「お金」が回っているかぎり、維持する事は可能だが、収益以外の手段によって例えば、借金、贈与なのに頼っていたらいつかは、資金が回らなくなる。また、ただ資金が回るだけで、資金が循環する事で得られる効用が発揮されなくなる。「お金」が「お金」として機能しなくなるのである。


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負債の増加は、貯蓄や資産の増加を意味する。負債と言うのは、基本的に余剰資金である。負債と金融資産は、表裏の関係にある。

投資にかかった資金は、収益の中から返済するのが原則である。元本の返済も支出を伴うのであるから本来なら費用として計上されるべき事であるが、貸借は、資金移動に過ぎないという事から損益上には計上されない。しかし、借入金の返済は、定期的に一定額待ったなしに請求される。故に、費用は、投資を回収できる構造を持つ必要がある。費用は、長期的資金の働きと短期的資金の働きが組み合わさって構成されている事を忘れてはならない。



国民経済計算書



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支出の局面では、所得の構成と支出の構成の関係が部門間の過不足を現す。
生産局面では、非金融法人と一般政府、対家計非営利団体が産出に寄与するが、消費の主体には非金融法人は関わらない。逆に、家計は、産出には直接かかわらない。非金融法人と家計との接点は、分配にある。
所得は、基本的には、個人所得と個人消費に要約される。生産にせよ、消費にせよ、公的な性格を持つか、私的な性格を持つかによって家計と財政に区分されるが、現実には、所得と支出を実現している主体によって決まる。
皆のために使うか、自分のために使うのかの差に過ぎない。負担を財政が担うか家計が担うかは、政治的問題である。


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問題は、部門間に不均衡が生じる事である。
社会保障制度、年金の問題は、高齢者の世話を誰が担うかの問題であり、突き詰めれば、「お金」の問題なのか、人の問題なのかに行きつく。高齢者を制度や施設に委ねるのが妥当なのか。家族が世話をするのが本筋なのかが争点なのであり。根本的な価値観を抜きに話し合えることではない。
政府が負担すべきか、家計が負担すべきかいずれにしても応分の負担が求められるが線引きをどこでするのかが、難しいのである。難しいからこそきっちとした議論をして一定の基準を設定する必要がある。単純に社会保障制度の問題、財政の問題と片付ける事はできない。
それでありながら、現在、年金問題や育児の問題は、制度と設備の問題として短絡的に片付けようとしているように見える。短絡的に老後資金の問題と捉えていたら問題の本質は見えてこない。根本的な問題は、人としてどう向き合うかなのである。「お金」で済む問題ではなく。人の問題なのである。


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注目すべき点は、2009年のリーマンショックの次の年には、貯蓄がマイナスを記録している点である。

第五に、個々の要素を構成する分母と分子の関係である。

市場には、全体と部分とを均衡させようという力が働いている。この全体と部分を均衡させようとする働きによって市場は制御されている。
市場を均衡させようとする働きには、垂直方向に働く力と水平方向に働く力がある。垂直方向に働く力とは、総資産、総産出、中間投入等を言う。水平方向とは、生産、所得、支出の関係、更に、雇用者所得、営業余剰、生産・輸入品に課せられる税、固定資本減耗の関係、部門間の関係等を言う。
均衡させようとする働きは、配分に係る事になる。配分は比率であるから、何を分母とし、何を分子とするかが重要となる。何を分母とし、何を分子とするかは、どの様な目的で対象を捉えようとしているのかによる。

例えば、基本的に、金利の分母は、総負債、分子は、支払利息。利益の分母は、総産出と分子は、営業余剰。人件費の分母は、総所得、分子は、雇用者報酬、過去の投資に対する返済率の分母は、固定資産、分子は、返済額。税の分母は、公的総支出である。
この分母分子の関係は、そのままフローとストックの関係に反映する。
第六に、フローとストックの関係。分配の局面では、投資への回収、支出の局面では、投資への支出等がある。それは、総負債と総所得。支出と投資と貯蓄の関係を制約する。
現代経済の仕組みは、「お金」が循環する事で効用を発揮する構造になっている。「お金」が循環する事によって、「お金」の流れができる。 「お金」が流れる力によって動いている。「お金」の流れは、資金の過不足によって起こる。
「お金」の流れは、フローを作り、資金の過不足は、ストックを構成する。故に、フローとストックは、不離不可分の関係にある。
「お金」の流れは、経済主体に内向きの働きと外向きの働きを生み出す。この双方向の働きは、均衡している。即ち、同量でゼロ和の関係である。
内向きの力と外向きの力が均衡する事で、経済活動は、部分も全体もゼロ和になるように設定されている。これが複式簿記の基本的原則を形成する。
内向きの働きと外向きの働きが生じるのは、自己のの存在と認識の在り方、論理構造に依拠しいる。
実際的には経済主体は、「お金」の出入りによって動かされる。この「お金」の出入りによって「お金」の過不足が生じる。
「お金」の出入りは、経済主体に内部取引と外部取引を派生させる。つまり、取引相手に対する働きと経済主体内部の働きである。
経済主体の内と外との取引を外部取引とする。経済取引内の取引を内部取引とする。外部取引は、取引相手の働きと経済主体の働とは対称関係にある。
しかし、内部取引は、入金と出金の差から働きが非対称になる。それが期間損益を形成します。故に、利益の総和はゼロ和にはならない。それは、利益は差額勘定だからである。
経済主体間、部門間に生じた資金の過不足は、経済主体、部門の残高としてストックに蓄積される。蓄積されたストックは、位置エネルギーを形成し、フロー、即ち、運動エネルギーを制約する。ストックの働きは、貸借として表され、フローの働きは損益として表される。
フローとストックの関係が総資産、総産出の上限を制約する。なぜならば「お金」は、全ての経済主体を漏れなく循環するからである。
総産出はから中間消費(中間投入)の部分を除いた部分が総生産となる。総生産を構成する「お金」は、総所得、総支出に展開する。総生産から総所得、総支出と転回される過程で、家計、非金融法人企業、金融、一般政府、海外部門に分配される。そして、最終的に家計と一般政府、対家計非営利団体の最終消費支出と貯蓄、所得。富に課せられる経常税として支出される。貯蓄は、ストックに蓄積される。
問題は、分配であるが、固定資産減耗は、企業会計上は、減価償却費に対応するが、実際は、経常移転を表し、最終消費支出に影響を与えない。また、営業余剰は、中間消費を意味し、最終消費支出には影響しない。故に、最終消費支出に影響するのは、雇用者所得と混合所得の一部、そして、生産物、輸入に課せられる税である。

また、相続税や贈与税は、資本移転であるから付加価値を創造しないとみなされ、総生産には含まれていない。あれ程バブルと言われ地価や株価といった資産価値が上昇しても経済成長には何ら貢献していないのである。この点は釈然としないかもしれないが、この事は、経済の本質をよく表している。付加価値を生み出さない取引は、生産性がないという事である。(「GDP統計を知る。」中村洋一著 一般財団法人 日本統計協会)

この世の中の金持ちには二種類ある。一つは、資産家と高所得者である。資産家と高所得者は別物である。資産家と雖も高所得者とは限らないし、高所得者としても資産家とは限らない。ただ羽振りのいいのは、高所得者である。なぜならば、高所得者は付加価値を生み出すが、資産家は、付加価値を生まないからである。バブルの時代には、資産家の貧乏人を多く生み出した。一般に資産家と言うと羨ましがられるが、資産には維持費がかかるし、相続税などの税金も課せられる。要するに持っているだけでは、価値を生み出さないから流動性をもたらすように圧力がかかるのである。
基本的に保有利得、資本利得(キャピタルゲイン)は、資本移転である。

市場には、「お金」の働きを常に均衡させようとする働きがあり、この働きによって市場は機能している。
即ち、総資産、総産出、総生産の力関係は、部門間、フローとストック、分配の不均衡を均衡させようとする働きによって制御されている。

フローとストックとを切り離して考える事はできない。
貸借取引と損益取引を切り離して語るなんて意味がない。簿記の基本を理解していないだけである。

第七に、部門間の力関係である。資金の過不足は、個々の部門に蓄積される。経済空間には、個々の部門の資金の過不足を均衡させようという力が働いている。

国民経済計算書では、経済取引を行う主体を働きに応じて制度単位とする。制度単位には、非金融法人企業、、家計、金融、一般政府、対家計非営利団体、海外部門がある。
経済主体は、生産、分配、消費を担う主体である。

市場経済は、法人企業を生産主体とし、家計を消費主体としている。但し、混合所得の一部が家計に含まれるため、その部分は、生産主体に含まれる。ただ基本的な性格としては、企業は、生産主体で、家計は、消費主体だと考えていい。
一般政府は、生産主体と消費主体を兼ね備えて所得の再配分や公共投資によって資金の過不足を修正、是正する役割を担っている。金融部門は、資金を融通する事で資金を循環させる機能を果たしている。海外部門は、資源の過不足を調節している。
そして、分配の場が市場なのである。

市場経済では、市場は、付加価値を生み出す場とされ、市場を経由しない取引は、付加価値を生み出さないとされる。つまり、付加価値は市場取引によって生み出されるとされる。
市場生産者が産出する財貨・サービスは、市場取引が行われ市場価格によって評価される。市場取引から営業利益(営業余剰)が生じる。
生産と認められ、市場取引に依って値決め、「お金」との交換を通じて市場価格は確定する。市場価格は、基本的に合意価格とする。

生産主体には、市場生産者と非市場生産者があり。非市場生産者には、一般政府、対家計民間非営利団体がある。
非生産主体は、付加価値を生み出さないとされる。公共事業も基本的には、付加価値は生み出さないとされる。

国内で不足する資源は、海外から調達しなければならない。その為に必要な資金は、交易と貸借に頼る事になる。また、海外取引の決済のための支払準備金を一定額、国は用意、貯蓄しておく必要がある。

個々の主体は、その働き、役割によってによって非金融法人企業、家計、金融、一般政府、対家計非営利団体、海外部門の働きと位置づけがされる。

市場は、以上の七つの要因によって現在の経済の仕組みは機能している。そして、最終的に、所得、最終消費支出、固定資産形成、負債、貯蓄、物価へと収斂していくのである。



日本銀行

フローで見ると1999年に企業法人は、資金不足主体から資金余剰主体へと転化している。そして、同時期に金融も資金余剰主体に転換している。そして、資金不足、つまり、資金需要を国内では一般政府が一身に担い。それでも足りない需要を海外が埋めているという構図である。
もう一つ注意すべきなのは、プラザ後合意から二年後1987年から1991年にバブルが崩壊するまでの間、一般政府は、資金余剰主体だったという事実である。


日本銀行

部門間の偏りを調整する役割を金融機関は担ってきた。本来ならゼロ和にならなければ均衡は保てない。金融機関は、資金を融通して部門間の資金の過不足を調節する部門だからである。
異次元の金融緩和以来部門間の歪みが拡大している。


日本銀行

物価は、人口と消費量、生産量の関係によっても決まる。つまり、消費者物価は、人、物、金の関係で決まる。物価の根本は、人と物の関係であるが、価格は、「お金」の流量によって決まる。人と物は、有限であり。物価は、基本的に人と物の関係よって制約を受ける物だが、「お金」は、人と物の関係の外にある。故に、インフレーションもデフレーションも貨幣的現象と言える。

日本銀行は、異次元の金融緩和と称して大胆な金融緩和策を講じた。ハイパワードマネーは増加したが、銀行券は微増にとどまり、マネーサプライは、思ったほど伸びず、銀行券を基礎として見た場合、貨幣乗数は変化していない。つまり、効果が出ていないのである。


日本銀行

物価は、需要と供給、資金の流通量によって決まる。資金の流通量は、支払能力の制約を受ける。支払能力は、所得、所持金(貯金、支払準備金等)、借入能力(担保力等)による制約がある。需要は、消費として現れる。供給は、供給力と生産量として現れる。
通常の消費は、可処分所得の範囲内で行われる。
通常の物価は、生産量、支出量(投資と消費量)、所得の関係によって決まる。

物価、所得、消費、投資、金利、税は、関連している。即ち、物価は、付加価値の配分を核として、可処分取得と消費支出によって定まる。

即ち、物価の物的枠組みは、生産量と他国からの調達量、そして、人口と単位消費量の積によって構成される。
人的枠組みは、所得と支出の関係によって形成される。
「お金」の枠組みは、人的、物的枠組みの上に資金の供給量、貸借・資本取引の働きと売買取引の働きによって形成される。貸借・資取引によってストックは、構成され、売買取引に依ってフローは、形成される。フローとストックは、付加価値の関係によって結びつき、付加価値の配分によって経済は制御されている。

物的、人的枠組みの均衡が保てなくなるとストックを取り崩し、換金する事で不足分を補おうとする。その場合、支払準備金を使う切るまで資金の流通量は、市場に供給される。資金が市場に供給される。支払準備金は、供給されただけ増える。結果的に物価は、青天井に上昇する。物価を抑制する為には、市場に対する通貨の供給を止めるか、「お金」の働きを一時的に停止するしかない。

経済の仕組みが暴走するのは、相互牽制によって個々の局面を制約している枠組みが破綻する事で市場を制御できなくなる事による。
経済を構成する働きが均衡する処が着地点となると思われる。

着地点を見いだすためには、変化の速度(あるいは、力。強弱)、変化の幅、期間(時間)、位置(部門間の位置づけ、相対的水準の高低、為替の高低等)、方向(増減、上昇か下降か、拡大均衡か、縮小均衡か)、比率(金利、利益率、物価上昇率、所得の上昇率)等を基にして分析する必要がある。


国民経済計算書

総産出は、企業でいえば収益、売上に相当する。その収益の半分づつを中間投入と総生産で分け合っていると言える。
リーマンショックの際、総産出が大きく一段下げているのがわかる。



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また、相対的に中間投入が比率を下げている。リーマンショックの際に中間投入が圧縮されたのである。


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総資産、総産出、総生産の関係を見ると総産出に対する総資産の割合がバブルまで拡大している。総生産の割合も拡大している。問題は、拡大の速度であるが、総資産の拡大の速度が一番、バブル崩壊まで総資産の拡大より速く、バブル崩壊後は、一定の水準で収まっている。これから、フローとストックの関係が明らかになる。フローに対してストックが一段高い水準で均衡しているのである。その分、付加価値に圧力がかかっている。



国民経済計算書

国民経済計算書は、期間損益主義と現金主義の中間的なところに位置している。損益主義に則っているとは言うが、基本的には、現金主義に還元されている。なぜならば、国民経済計算書は資金の過不足を現すものでなければならないからである。

生産勘定によって表されたGDPは、所得の第一分配、第二分配、現物所得の再配分、所得の使用と言う段階ごとに部門間を流れる事によって生産財を配分していく。
GDPは、資金全体の流れ、現金収支を表すものであることは確かである。
そして、GDPを分析する事で、要素間の資金の流れ、部門間の資金の流れを明らかにする事が出来る。

GDPが表す資金の流れは、産出から中間消費、そして、最終消費と段階を追って部門間を流れる。それ故に、段階ごとに部門間の残高を見る事で資金の流れと働きを分析する事が出来る。


国民経済計算書


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雇用者報酬には、混合所得、即ち、個人事業者などの所得は、含まれていないが、それでも、高度成長期は、所得以上の支出がされていたことが読み取れる。


GDPは、付加価値を意味している。逆に考えると三面等価は、付加価値の多面性を表していると言える。
例えば、営業キャッシュフローの直接法と間接法の違いは、GDPの生産面と、所得(分配)を表していると言える。ただ、支出による側面がない。そこが企業分析において問題なのである。支出に係る部分は、投資キャッシュフローと財務キャッシュフローに係る部分なのである。つまり、支出に係るGDPは、投資キャッシュフローと財務キャッシュフローによって構成される。



バブル崩壊後は、付加価値の総枠は変わっていない。総枠が変わっていなければ、付加価値構成する要素全てが拡大する事はできない。限られたパイを取り合いになる。競争から闘争へ市場の性質は変わった。伸ばすところがあれば、減らすところが出る。全ての要素が拡大するわけにはいかない。この様な時に規制を緩和すれば、市場は、独占寡占に陥る。要するに競争ではなく生存闘争なのである。
1971年のニクソンショックまでは、所得と利益がほぼ同じくらいだったのが、ニクソンショック以降利益が圧縮され、その分、人件費が伸びたのがわかる。1977年以降、税と所得の占める比率は、一定している。利益が償却費に食われている構図が浮かびあがる。


国民経済計算書

ニクソンショックによって高度成長が終わり、第一次石油危機などを経て日本経済の構造、体質が変化した事を覗わせる。
高度成長時代には、利益、所得、その他(過去の投資の償却や税)との配分は、2対2対1に割合が一般的だと言われた。それが利益が圧迫され、利幅がとれなくなり更にバブル崩壊後は、過去の投資の償却に利益幅が圧迫されたとみられる。

総生産は、総産出と中間投入の関係によって制約される。総生産を伸ばすためには、総産出を増やすか、中間投入を減らすかしかない。

また、総生産は、総所得、総支出と一体である。

総生産を構成する要素は、ストックを分母としている。故に、総産出は、総資産の制約を受ける。総産出、総生産の総量は、変化していないのに、総資産は拡大し続けている。それは、部門間とストックとフローの歪みが拡大していることを意味する。市場は、歪みを均衡させる方向に力が働く。歪みが是正されなければ、市場の機構は、破壊され制御不能に陥る。


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付加価値は、市場の状況や環境、経済の発展段階などに応じてその働きや性質を変える。
高度成長期の市場は、市場の水平的広がりによって垂直的拡大が促されることによって調和が保たれてきた。しかし、市場が飽和状態になり水平的な広がりが期待できなくなると付加価値は、量的拡大から質的拡大へと変化し、密度の調和が求められるようになる。
市場が飽和状態に至ったら無理な量的拡大は、経済の仕組みそのものを毀損してしまう。日本の高度成長は、技術革新によって第二次産業に余剰人員を吸収する余地が生じる。その事で、第一次産業の余剰人員が第二次産業に吸収され第一次産業の生産効率も上昇する。それが第三次産業の発展を促すという好循環が生まれた。それが高度成長の原動力である。しかし、問題は、格差である。高度成長は、成長の度合いによって格差を生む。それは、階級的格差、地域的格差、国家的格差、産業的格差となる。この格差が、世界に修復困難な亀裂を生じさせるのである。
この格差が拡大し、清算するのが不可能な状態に陥ると市場は、暴力的な手段で解消しようとする。それが恐慌であり、ハイパーインフレーションであり、財政破綻であり、革命であり、戦争である。



国民経済計算書

総産出は、売上に相当し、総生産は、売上総利益に相当するとした場合、総生産/総産出は、産業構造によって違ってくる。
また、環境の変化によっても業種の対応には、違いが生じる。

全産業は、50%ぐらいに位置しているがね、業種別に見て見ると30%から90%の幅に分散している。両極に位置するのが不動産業と製造業である。政府サービス生産者、即ち、行政は、不動産業に近い。
また、卸小売りは、中間的なところに位置している。
製造業の粗利益率が低い事が窺える。

1980年は、イラン・イラク戦争があった年である。1981年の不動産業、行政、電気・ガス・水道などの粗利益率痕跡がみられるが製造業には、影響がみられない。反対にリーマンショックの際には、製造業と電気・ガス・水道業に影響がみられるが不動産や行政には影響がみられない。

次に実数を見てみる。



一般にリーマンショックを金融危機として捉えがちだが、実際は、製造業が受けた打撃が大きい。
卸売業は、産出が全体的に影響を受けている。



電力、ガス、水道業は、リーマンショックの際に大きく中間投入が増えている。電力、ガスといったエネルギー産業は、中間財である原材料の費用が、収益構造に決定的な働きをしているからである。



金融保険業は、リーマンショックの際、構成の変化と言うより、全体的に下げている。



不動産業の産出は、リーマンショックの影響をあまり受けていない。また、バブル崩壊も思ったほど影響を受けれていない。
不動産業がバブルで影響を受けたのは、産出ではなく。資産と負債、貸借上の事象である。
経済は、フローだけを見ていたら理解できない。今日、建築物の品質が問われるのは、経済が価格だけに傾斜した結果、質より量が重んじられたからである。この様な、経済の質は、量的変化だけでは解明できない。経済は価格だけが全てではない。その根本を忘れると経済の本質は見失われる。

経済価値は、質、量、密度が重要なのである。


国民経済計算書

財政による産出は、政府サービスとして現れる。
経済全体に与える財政の費用対効果が重要なのである。一般に、行政サービスは、公共的な事業であるから費用は関係ないといった考え方があるが、それは、とんでもない思い違いである。行政といえども市場経済を担う位置要素である事は間違いなく。市場経済の原則から外れたところで経済行為を行う事は許されない。営利事業ではないから費用対効果、収益性は度外視していいという訳にはいかない。目的もなく、経済行為をする事は許されないのである。
公共事業がもたらす社会的効用とそれに注ぎ込む費用との均衡がとれなくなれば、経済的整合性は失われてしまう。財政が破綻する事は、社会に与える影響は甚大なものになるのである。



行政サービスの産出は、全産業の産出の7%にも満たないのである。
ただ、リーマンショックの後、全体に占める割合が相対的に上昇している。




収益と費用の関係は、初期投資と負債・資本の関係に依存しているのであり、単純に、単位期間の収入と支出だけに注目すればいいという訳ではない。

いかに付加価値を維持するかの問題である。
表面的な利益のみを追えば、付加価値は失われていく。そして、最終的には追加コストだけが残る。価格は、追加コストまで圧縮される。
民間企業を構成する付加価値は、本来、利益(営業純益)金融費用、運転資本、再投資(償却費)、人件費、税からなる。付加価値を構成する要素が維持できなくなれば経営の継続はできない。

税も費用の一種と捉える事が出来る。

利益は、市場を基礎とし、収益を分母とした利益率が重要な指標となる。金利は、負債を分母とし、減価償却費は資産を分母として、所得は、粗利益を分母として労働分配率を表し、税は、課税所得を分母として税率として表現される。気を付けなければならないのは、減価償却の背後には、長期資金の働きがある点である。
そして、それぞれの要素働きの関係は付加価値に占める割合として表現される。
故に、分母となる物との関係と付加価値に占める割合によって経済の動きは見えてくる。

また、付加価値は、部門間の関係にも影響される。例えば、固定資産減耗は、企業に関わり、人件費は、家計と関わり、金利は、金融とかかわり、税は、財政と関わっている。

現在の日本経済の問題は、付加価値が伸びない事にある。その原因の一つは、付加価値の構造を正しく理解していないという事にある。
付加価値は、単に、金銭的な問題だと考えていると、付加価値の真の姿は見えてこない。付加価値の背後には、利益や収益、所得、投資、市場等の質的変化が隠されている。付加価値を生み出しているのは、人である。つまり、経済は、突き詰めると人の問題に行き着く。金銭的な背後にある人や物の変化、生活の変化などを読み取らないとなぜ、付加価値が増えないのかが理解できない。例えば人口である。

少子高齢化等が、付加価値の成長を抑制しているという見方もある。しかし、付加価値が拡大しない理由は、たんに人口減少に求めるだけでは説明がつかない部分がある。むしろ一人当たりの所得の伸びの鈍化に原因を求めるべきだという説もある。
現実に、総所得は、生産人口と一人当たり所得の積として求められるが、全ての要因をどちらか一方に押し付けるのは妥当ではない。また、市場が成熟している事で、市場が飽和状態に陥っているのも原因の一つだと考えられる。
ただ、高付加価値の産業を育てなければいけないのに、付加価値を削ぐような政策、過当競争を煽る政策をとるのは、愚策である。付加価値を伸ばそうとするのならば、高付加価値の産業を増やす事しかないからである。付加価値は、適正な価格によってのみ維持されるのである。適正な価格を維持する目的にそって競争の原理も働かせるべきなのである。

経済は市場から学ぶものである。



営業キャッシュフローとストック


「お金」は、市場、社会を純化する事で機能を発揮する。市場取引に依って生産、分配、消費と言う過程をへて生産財を国民に満遍なく行渡らすのが経済の仕組みである。そして、財と人とを関連付けるのが「お金」の流れなのである。
「お金」の流れは、資金の過不足によって起こされる。付加価値によって促される。付加価値があるから資金は流れる。付加価値は、時間的価値と空間的価値を生み出す。
生産、分配、消費と言う局面を経由し、余って資金が金融機関に蓄積され、それが貸借によって資金不足主体に還流される。この循環が財の流れを生み出すのである。「お金」が循環するのに対して財の流れは一方通行に流れる。
資金は、生産局面で、投資と費用へと仕分けられる。投資は、ストックを形成し、費用は、フローを形成する。費用は、裏返せば収益になる。
投資には、設備投資と在庫投資がある。費用は、所得に還元され、消費者に供給される。

付加価値は、経済成長の源である。ゆえに、今日の経済は、経済成長によって支えられ、適度の物価の上昇を前提として成り立っている。

「お金」は、市場を経由する事で、市場経済を促している。金融機関が預金を費用に使用しないのは、預金を直接、費用として使用すると市場に資金が循環しなくなるからである。
生産局面において資金の働きに応じてストックとフロー、即ち、貸借と損益が仕分けるのが会計制度であり、この会計の仕組みによって市場経済は動かされている。

ストックは、貸借によって形成され、フローは、売買によって形成される。単位期間における資金の過不足は、ストックに蓄積される。ストックとして蓄積された資金は、フローの過不足を調節する働きがある。
資金の供給は、貸借取引、資本取引、収益によって実現される。
資金は、生産局面で投資と費用によって市場に供給される。預金を取り崩して費用に充てると資金は、生産を経由しないで直接分配に充てられる事になる。生産は、価値を創造する場であるから、生産を経由しなければ、新たな価値、付加価値は増えない。所得の再配分だけでは、経済成長を計れないのは、所得の再配分は、資金移動に過ぎないからである。

財政を論じる時、国債の対極に資産があるのだから、相殺すれば負債はないと主張する者がいる。これは複式簿記や市場経済の仕組みを理解していないからである。

民間企業も複式簿記の原則で総資本と総資産は均衡している。総資本と総資産は、零和の関係にある。だからと言って負債がないと考える者はいない。、簿記の基本の問題、仕組みの問題であって現実に帳簿上相殺したからと言って借金の返済義務がなくなるわけではない。

複式簿記上、資本取引と損益取引は、厳しく分離されている。資本取引は、貸借取引も含まれる。資本取引と損益取引を区分するのは、フローとストックの働き、短期的資金と長期的資金の働きを明確に分離する為である。
金融機関にとって預金は借金、即ち、貸借取引であり、損益取引と明確に一線を引いておく必要がある。これは、財政も家計も同じである。金融機関が預金を経費に使ったらその瞬間に金融は破綻する。

資金の働きが発現するのはフロー、売買の局面であり、ストック、即ち、貸借は、資金の働きを実現する準備をするだけである。貸借と資産を相殺したら支払準備が解消されるだけである。それでは、資金は市場で働かなくなる。
彼等は、フローとストックの関係が見えていない。総資産と総資本は、総資産と総資本だけで成り立っいてるわけではなく。期間損益、即ち、フローとの関係の上に成り立っている。
名目勘定である負債は、負債が成立した時点、金額は確定して簿価に計上されるのに対して実質勘定である資産は、取引が確定しても価値は変動する。簿価で資産と負債は一致しているとしても額面通りに相殺する事はできないのである。
故に、フローとストックを均衡させるように常に目を光らせておく必要がある。

付加価値は、時間価値となってフローを形成する。同時に付加価値は、ストックを反映している。付加価値を構成する個々の要素は、何らかのストックに結び付いている。
そのストックとの結びつきが、先ず重要となる。それ故に、付加価値では、水平的比率と相関的比率の均衡が個々の要素の働きと性格をきめる。そして、付加価値の働きによって経済の仕組みは制御されているのである。

80年代を通じてフローに対するストックは拡大し続け、バブル崩壊後、緩やかではあるが継続的に拡大していることがわかる。


国民経済計算書 日本銀行

金利は、分母に負債総額、つまり、ストックである。フローに対するストックの拡大は、金利に対して圧縮圧力がかかる。
それは、付加価値を構成する利益や所得に対しても同様である。付加価値そのものに圧縮圧力がかかるのである。それが経済成長を抑制し、縮小均衡へと導く力になる。
総産出が拡大しなければ付加価値は、圧迫される。売上が伸びないのと同じある。要は、利益は、上げられても収入が増えない。減収増益状態になる。
減収増益は、付加価値で見れば、仕入原価が低下しない限り、支払利息や人件費などの経費が削減されたことを意味する。
費用は、収益を意味するから市場が縮小均衡に陥ていることを示している。

ストックとフローの関係は、総資本回転率にも現れる。
総資本回転率が一回を切ってくるという事は、ストックがフローを上回ることを意味する。そして、その傾向は、1964年の東京オリンピック前後から始まっているのが読み取れる。




全体の売り上げが伸びなければ、占有率(シェア)の奪い合いになる。全体の売り上げが伸びていれば、全ての企業が売り上げを伸ばす事が可能であるが、全体の売り上げが横ばいとなると、売上を伸ばすところがあれば、売上を減らすところが生じる。

総資本回転率は、産業構造も表している。
総資本回転率を見ると電機業は、不動産業に近い事がわかる。


法人企業統計

産業構造の変化は、フローの性格を変える。
高度成長時代は、何が必要なのかが目に見えていた。故に、作れば売れるという時代だった。
それが市場が飽和状態となり、同時並行的に情報化時代になると目に見える物から情報と言う目に見えないものに財が変質し、それと伴に情報ネットワークと言う媒体が市場を支配するようになる。
更に、キャッシュレス時代になると「お金」も目に見えない情報や電気信号となり。
経済の中心が生産から分配へ、さらに消費側へと比重を移していく事になる。


国民経済計算書

公共部門が産出に占める割合は、一割にも満たない。公共投資に依存しすぎるのは、財政を悪化させるだけで、思うような効果は上げられない。それでも一割を占める働きはある。公共部門の働きを効果的にするためには、公共部門の役割や位置づけを明確にし、目的を絞って投資する事が肝心である。景気をよくするという曖昧な目的で巨額の投資をしても財政を圧迫させるだけで効果は望めない。景気対策は、副次的、二次的な事である。
仮に公共投資の割合を高めるのならば公共部門の産出が占める割合も高める必要がある。


国民経済計算書

総生産は、総産出から中間投入を引く事で導き出される。生産、中間投入、総生産の過程でどのような動きが生じているかを見極める事が経済の実相を知る上で決定的な事になると思われる。それを明らかにするためには、産業関連表の解析が重要となる。



中間投入は、総産出から総生産に至る過程を表している。即ち、分配の局面を表しており、製造業の働きが圧倒的に大きい事がわかる。



国民経済計算書


民間企業は、生産拠点と言う働きだけでなく。分配の拠点でもある。
家計は、労働力と言う生産手段の源であり、分配の拠点でもあるが、それだけでなく消費の拠点でもある。
市場にとって、生産と所得、支出と消費は、車の両輪のような働きがある。生産だけでは、経済は成り立たない。
経済の働とは、必要な資源を調達・生産し、生産された財を分配し、生活の役に立てることである。必要な資源をいかに調達、あるいは、生産し、それを何によってどの様に分配するかがカギを握っている。

総資産、総所得、総支出が均衡するという三面等価は、経済の働きを象徴している。
結局、生産に偏っていた経済構造が、分配側、消費側へと比重を動かしかけている。
ただ、それに合わせて市場構造や産業構造を再構築しなければ、経済は、本来の働きが出来なくなるのである。
この様な変化は、主として市場や産業の働きな基づいた事であり、金利を上げ下げしたり、金融緩和と言った金融政策や公共投資や所得の再配分と言った財政政策だけでは解決できないのである。

これまでの経済は、生産者主体、生産者の都合が最優先された時代だった。しかし、情報化時代にあって情報化を推進してきたのは、流通、即ち、分配側の経済主体だった。そして、情報化の深化は、消費者主導の経済構造へと変化させつつある。
その象徴がインターネットであり、ビッグデータである。

情報化時代は、産業構造をも垂直的構造から水平的構造へと変えたと言われる。
ただここで間違ってはいけないのは、産業の本質的働きまでは変えていないという点である。産業は生産拠点であり、分配拠点だという点である。
生産主体は、労働の対価として所得を分配するという側面を持っている。分配と言う働き抜きに生産拠点は語れない。
つまり、生産拠点は、職場、即ち、仕事を作って所得を提供してきたのである。生産と所得は、市場の両輪でもある。そして、生産主体と家計とは、所得と支出によって関連付けられている。
支出には、長期的なものと短期的なものがあり、長期的な支出は、投資と預金を形成し、短期的支出は、消費を構成する。生産は、生産手段と生産物からなる。
つまり、支出は、短期的な資金の働きと長期的資金の働きを仕分けしている。

今日、ファブレス経営の様に自分では大規模な生産拠点を持たなかったり、外注を主として内製化しないといった経営手法が脚光を浴びている。しかし、日本の家電メーカーの衰退は、それだけではないように思える。
確かに、総合型、複合型、統合的な形態は、時代への適合、機動性と言った点で不利である。しかし、だからと言って急速に競争力を失った原因は、ただ、大きいからと言うだけではないはずである。しかも、同じ時期にほぼ全ての企業が苦境に陥ったのだから、何らかの構造的原因が働いていると考えられる。

これまでの経済政策は、生産者の都合を押し付けてきた。それが大量生産、大量消費である。市場が成熟する以前、高度成長時代では通用したかもしれないが、市場が成熟し、、消費者の嗜好が変われば通用しなくなるのは目に見えていた。
量産、量販による生産の効率ばかりを追求し、質的な要素を軽視してきた。それが情報化時代についていけなかった原因とも考えられる。ただ、規模の拡大を追い求め低価格化のみに活路を見出そうとすれば、新興国に対して勝ち目はない。
それなのに高度成長時代の成功に囚われ、新興国の力を侮った結果、時代や環境の変化に取り残されたのである。

家電と情報通信産業は一体だった。パソコン、半導体などは、シャープ、NEC、日立、東芝、ソニーなどのお家芸だった。それが悉く敗退してしまった。

また、情報化に伴う流通の変化も、見逃せない。例えば、量販の台頭や定価販売の禁止と言った流通部門の変化である。また。インターネット販売である。

情報化、インターネット時代の今日、財政政策や金融政策だけでは景気対策に対応しきれない。市場の流通機構や決済手段が変化してきているのである。この点を理解しないで闇雲に従前の公共投資を増やしても経済は活性化できない。
肝心なのは、産業政策であり、市場政策だからである。

経済の質的変化の背景には、市場の情報化とそれに伴う分配の手段や消費者の意識の変化がある。
分配の変化は、流通構造の変化にみられる。

インターネットなどの発展によって情報の非対称性が失われる。情報の非対称性が失われると価格が標準化され、また、適正な価格を維持できなくなる危険性がある。安ければいいという価値観は、市場経済を危うくされる。対面販売が成り立たなくなる危険性があるからである。情報技術の発展は、流通部門の性格を一変させてしまう。経済政策も根本から見直す必要がある。

市場が情報化されつつあるのに伴って固定資産も無形資産、特に、ソフトウェアの占める比率が大きくなってきている。







営業キャッシュフローから何がわかるのか。


営業キャッシュフローからわかる事は、日々の経済活動である。
生活にはリズムがある。生活のリズムは消費によって作られる。。
消費が経済活動に一定の周期をもたらすのである。

生活のリズムの周期の単位には、時間、一日、一週間、一か月、旬、半年、一年がある。これは、消費を基礎としている。
即ち、経済の基礎は消費である。なぜならば、消費は人が生きていくために必要な事だからである。

人は、生きていくためには、いろいろな資源を消費しなければならない。消費は根源的必要性から生じたのである。消費する為に、必要な資源を生産する。それが経済の始まりである。生産があって消費があるわけではない。生きるためには消費しなければならないから生産をするのである。

食べていかなければならないから狩猟をしたり、農耕をするのである。狩猟をするために生きているわけではない。
まず、消費の在り方を確立する事が重要なのである。
消費は、経済であるとともに文化でもある。
消費には、一定の形があり、その形が経済の枠組みを構築する。

消費があって生産が生じる。現代経済はこの流れが逆転している。生産があって消費があるような錯覚がある。その為に、消費経済が確立されていない。消費は始まりでもあり、終点でもある。その過程に生産がある。消費を前提として生産があり、分配が成り立つ。そして、分配の手段が収入と支出である。消費という前提が、崩れれば、生産も分配も成り立たなくなる。

消費が生活のリズムを作る。
生活のリズムに沿って支出が生じる。支出の資金源は、収入と蓄え、借金によって賄われる。それが経済の基本である
生活のリズムの基礎は衣食住である。

日々の経済の営みから生じた資金の流れを表しているのが営業キャッシュフローである。

民間企業の営業キャッシュフローから何がわかるのか。日々の営みで生じる資金の過不足とその過不足に対する対策である。
問題となるのは、日々の営みに必要な資金の不足であり、その資金不足になる原因である。
その為には、営業キャッシュフローを構成する要素である。営業キャッシュフローは、日々の営みから生じる資金不足、過去の投資から生じる支出、負債や資本から生じる支出、そして、公的費用(有態にいえば税金等)から構成する。
そして、これらの要素は、各々元とする物を別としている。
それらの働きと関係を理解すれば経済を制御する事が可能となる。
日々の営みから生じる資金の過不足は運転資本によって制御される。運転資本から不足した場合は、短期借入金から調達する。
過去の投資から生じる支出は、償却費と長期負債によって対処する事を基本とする。

企業が日々の営業で資金不足になる原因は、第一に、売上収入の不足である。第二に、原材料や原油価格の高騰など経常支出の高騰である。第三に、市場の拡大や経済主体の成長に資金繰りが追い付かない事である。第四に、仕入支出と売上収入との時間差から生じる。第五に季節変動による。第六に、突発的な自己や災害による一時的支出である。

商業でいえば、商品を仕入れ、それを販売し、決済をするまで一定の時間がかかる。また、製造業では、原材料を仕入れ、それを加工して製品を製造し、それを販売して、代金を回収するまでには、相当の時間がかかる。さらに、開発、設計、生産設備の整えるまでの時間を加味すると結構な時間がかかる。この間収入がないのだから必然的に資金不足が生じる。基本的に経済活動は、収入に対して支出が先行するものなのである。収入に対して先行する支出が投資を形成する。

仕入から製造、在庫、販売、代金の回収という過程によって運転資本は、形成される。先ずどの時点で売り上げや費用を認識するかが問題となる。この認識の差が利益を左右するのである。だから、利益だけ見ていたら資金の真の流れや働きを知ることはできない。

仕入債務、在庫資産、売上債権は、経済の状態をよく表している。在庫は特に経済指標としてよく活用されている。

営業キャッシュフローからわかるのは、景気を動かしている仕組みである。経済の仕組みの個々の動きが営業キャッシュフローを解析するとわかるのである。

営業キャッシュフローと人件費、付加価値、粗利益に関係を見ると産業構造の差が明らかになる。
先ず第一に言えるのは、粗利益と付加価値の関係である。
全産業と総合的に見ると付加価値は、粗利益を下回っている。そして、営業キャッシュフローと人件費の和が付加価値とほぼ一致しているのが読み取れる。

しかし、個々の産業を見ると違って見える。まず第一に、電気業、および電気機械器具製造業は、粗利益を付加価値が上回っている。それに対して卸売りと不動産業は、全産業と同じ動きを見せている。



製造業は、全業種や卸・小売業が粗利益より付加価値が下回っているのに対して、2000年までは、逆に、粗利益を付加価値が上回っていた。それが2000年以降、製造業も粗利益を付加価値が下回るようになった。これは、製造業の体質が変わったことを意味する。



卸売りや小売りは、大幅に粗利益が付加価値を上回っている。これは労働集約型産業であることを意味している。







付加価値額は、営業純益(営業利益-支払利息)に人件費(役員給与、役員賞与、従業員給与、従業員賞与、福利厚生)、支払利息、動産不動産賃貸料、租税公課を足した値。営業キャッシュフローは、税引き前利益に減価償却費、仕入債権(買掛金、支払手形)、引当金を足した値から売上債務(売掛金、受取手形、割引手形残高)と在庫を引いた値である。

人件費と営業キャッシュフローの比率は、全産業では圧倒的に人件費が営業キャッシュフローを上回っている。これは、卸も、電気機械器具製造業も同様であるが、不動産業は、営業キャッシュフローと人件費の比率は2000年頃までほぼ同じであったのがリーマン色前後から急速に営業キャッシュフローの比率が圧縮されている。また、電気業は、圧倒的に営業キャッシュフローの方が人件費を上回っている。

これは、過去の設備投資に影響が大きい。
設備投資の動向は、減価償却費に現れる。設備投資は、産業の発展と伴に変質する。この設備投資の変化を理解しないと経済は理解できない。

経済が工業化する初期の段階では、比較的設備投資に資金負担が少ない産業、軽工業と、巨額な資金を必要とする国家的事業の二つの流れによって近代国家、産業の礎が形成される。その際、軍事の影響は大きい。民間では、家内工業から町工場に発展し、設備投資も増大する。成長期には、企業の発展も段階的に進展していく。
費用は規模の拡大に伴って逓減していく為、スケールメリットが求められていく。市場の拡大期は、個々の企業は、競争に基づき、相乗的に発展していくため、競争の原理が働いている。
市場が飽和状態になり、市場の拡大に限界に達すると競争からシェアの奪い合い生存闘争へと変質していく。


全業種 固定負債残高


民間企業は、2000年から2003年にかけて100兆円銀行からの長期借入金を減らしている。言い換えると返済したのである。問題は、この「お金」をどこから、どの様にして捻出したかなのである。100兆円を減らすというのは、最盛期が三百兆円だから最盛期の三分の二まで減らしことになる。それだけの原資を失ったのだから、民間企業が立ち直れないでいる理由がなんとなくわかる。要するに資金源を失った事が原因なのである。これは現在でも尾を引いている。なぜならば長期借入金は、50兆円程度しか回復していないのである。




全産業の負債残高を集計してみると正規分布しているかのように見える。これは、バブル形成からバブル崩壊に至る過程で失った部分にも相当する。




バブル形成時には、税引き前利益が増加しているが支払利息も増えている。そして、支払利息が増加した分、長期借入金も上昇したのである。それがバブル崩壊後、2000年にかけては支払利息が減少しているがまだまだ緩やかだったのが、2000年を境に急速に支払利息が減少している。1999年にゼロ金利政策を導入したのに対応しているように見える。ただ、逆に税引き前利息は大きく増えている。



法人企業統計




個々の産業においていかに減価償却の働きに違いがあるかが読み取れる。







電気機械器具製造業は、2001年に大きく税引き前利益を減らしている。そして、与受信の関係が逆転している。そして、2004年には、大きく減価償却費を減らしている。これは、2004年大幅に設備を減らしたことを意味している。また、2008年のリーマンショック時においては、売上債権も仕入債務も大幅に増やしている。資金が回っていないのが見て取れる。







電機機械器具製造業の与信・受信の動きは、ほぼ全業種と同じ動きをしている。問題は、その幅である。
物価が上昇する局面では、与信幅が拡大する傾向が見える。これは、資金繰りを考える上で重要な要件になる。



電気業、即ち、電力業界の営業キャッシュフローには、東日本大震災の影響がくっきりと出ている。
電力業界では、他の産業に比べて租税公課や引当金の比重が高い事が読み取れる。その反面、運転資本が相対的にかからない。




卸売業は、粗利益と付加価値との差、幅が丁度小売りと製造業の中間に位置しているとみられる。



卸売業は、プラザ合意後順調に伸ばしてきた長期借入金がバブルが弾けた1991年に上昇が止まっている。問題は、その落差である。

下記のグラフは、卸売りの長期借入金の資金需給と減価償却費を重ね合わせたものである。

法人業統計


電気機械器具製造業は、2000年を境に急速に業績を悪化させているのがわかる。




下記のグラフは、電気機械器具製造業の長期借入金の資金需給と減価償却費を重ね合わせたものである。


バブル期とリーマンショック時に長期借入金を積み増ししているのが読み取れる。



問題は、2000年から2002年にかけて電気機械器具業界に何があったかである。
それは、構造的な問題なのか、長期的な傾向なのかそこが鍵なのである。



内外価格差を問題にする人がいるが、価格は、単純に高低を比較すればいいという訳ではない。価格を構成する要素や構造は、それぞれの国の事情によって違う。それを海外より高いから低くすればいいとか、低いから引き上げる必要があるとすると限りなく利益が薄くなる。なぜならば、収益も利益も格差から生じるからである。
一般に格差と言うと単純に悪い事のようにとらえがちだが、経済を実質的に動かしているのは、格差であり、格差がなくなれば必然的に利益も失われる。格差が問題になるのは、格差が大きかったり、固定的になると物量が阻害され、あるいは、社会が分断されて貧富が固定されたり、階級が生じる事にある。つまり、格差の拡大や固定化が問題なのである。社会、経済には、常に、格差を解消しようとする力が働いている。その働きが経済を動かす原動力なのである。つまり、経済的エントロピーは増大する傾向にある。
リーマンショック以後電気機器の輸出入差額は急速に圧縮されている。
野口悠紀雄は、電気機器の輸出額は、90年代を通じて停滞しているのに対して輸入は継続的に増えており、その差は、長期的に見て5兆円規模となり、貿易黒字の減少分に相当するとしている。(「世界経済入門」野口悠紀雄著 講談社現代新書)


財務省貿易統計

電機機械器具製造業にとって2000年が一つの分岐点である事は間違いない。
2000年には、ITバブルが崩壊している。
為替は、プラザ合意以後円高傾向が続いている。


財務省

同じ電気に係る産業でも電気機械器具製造と電気業(電力)とでは、人件費と営業キャッシュフローの関係に違いがある。
電気業、即ち、電力を考える時、エネルギー政策は、国家戦略に直結している事を忘れてはならない。
基本的に経済政策は、国家戦略に源がある。敗戦国である日本は、国家戦略そのものを否定的に考えるようにされているが、日本以外の国は、経済政策を国家戦力の一環としてとらえるのが常道だという事を忘れてはならない。


法人企業統計

長期借入金と減価償却費を見ると、いかに、東日本大資産差異の影響が大きかったかが今更ながら読み取れる。
電力業界が見た目上、大幅に営業キャッシュフローをあげているのは、電力業界が長期にわたって設備を償却する必要があるからである。
減価償却費が占める割合の大きい産業は価格が維持できなくなると安売り合戦に陥る危険性がある。減価償却費を操作すれば見た表面的には利益を上げる事が出来るからである。しかし、一定の収益が確保できなくなると設備の保守や再投資が出来なくなり、産業が荒廃する。エネルギーや食糧は、国家の生存に直結している。ライフラインを構成する産業である事を忘れてはならない。
このような産業は、規制によって価格が維持できるようにする必要がある。規制ができない場合は、地域独占もやむおえない。だからこそ、公営企業とする場合が多いのである。問題は、電力のような産業を国家戦略上、どう位置づけるかの問題である。
無原則に規制を緩和すると価格が維持できなくなり、設備更新や、保守などが満足にできなくなる。

国家の独立と主権の維持を考えずに産業政策や経済政策は立てられない。この点を敗戦国である日本人は忘れている。

下記のグラフは、電気業の長期借入金の資金需給と減価償却費を重ね合わせたものである。



電力業界は、2011年東日本大震災の際、大きく長期借入金を増やしている。
電気業で特徴的なのは、電気業が長期借入金を増加させたのは、第一次石油危機をきっかけにしており、プラザ合意による円高によって小康状態に落ち着いた点である。



長期借入金が増えた分、基礎となる財務構造が大きく歪む事となる。
いかに、収益を確保しつつ長期的に収益を維持するかが電機業界の今後の課題である。
収益を維持すべき時に自由化される。この影響が、長期資金にどの様な影響を及ぼすかを見極める必要がある。



今日、総合家電、電力、石油、金融などの産業が、無原則な競争を強いられている。明確な構想もないままに、競争を万能視する事は、国家を破滅へと導いてしまう。
肝心なのは、競争ではなくて、基幹となる産業をいかに発展、育成させるかにある。

不動産業界は、東日本大震災の影響がはっきりと出ている。また、バブル期とか、東日本大震災といった大きな変動がある時、人件費や営業キャシュフローと粗利益、付加価値が大きく乖離する傾向がある。



更に、減価償却費と長期借入金の増減を比較してみるとバブル形成から崩壊までの構図が見えてくる。


下記のグラフは、不動産業の長期借入金の資金需給と減価償却費を重ね合わせたものである。


資金需給と残高の変化は、7年から8年の時間差がある。



1997年から2000年までの不動産業界の長期借入金の動きは、明らかに異常である。
1997年と言うのは、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券、第二地銀の徳陽シティ銀行と立て続けに破綻しており、一時は、金融危機が叫ばれた。
この年に消費税も3%から5%へと引き上げられた。

1997年の二年前の1996年には、1680億円を住専処理として一般会計から支出した。
翌年の1998年には、日本長期信用銀行、日本債権信用銀行が経営破綻し、一時国有化される。

また、所謂、日本版金融ビックバンと言われる大規模な金融制度改革が1996年から2000年にかけて行われた。

この様な経緯の中で不良債権処理が急ピッチで進んだ年である。
重要なのは、バブルが弾けた直後に異常値が出たわけではない。バブル崩壊後、じわじわとエネルギーが蓄積していったことが推測される。

長期借入金の増減と合わせてみるとバブル期に蓄積された長期資金の歪みが7から8年の時間を経て放出された考えられる。

不動産業界の営業キャッシュフローには、バブルの影響が色濃く出ている。
バブル最盛時から崩壊過程でいかに多くの支払い利息が発生していたかがわかる。
不動産業界は、水面下での動きが激しい。



不動産業は、市場の状況に対して産業全体が揺れ動いて見える。
他の産業に比べて棚卸資産の動きが際立っている。



不動産業は、バブル形成時に支払金利の支払いが増加し、その後在庫が増加している。バブル形成時は、在庫を減らしている。そして、支払利息の減少に伴って税引き前利益を上昇している。

市場が成熟してくると企業規模は、必ずしも、企業利益に貢献するとは限らなくなる。なぜならば、市場が飽和状態になって収益
が頭打ちになっても固定的費用は増大する傾向があるからである。特に、人件費は下方硬直的な性格を持つ。
更に、技術革新は、研究開発費を上昇させる反面、商品の陳腐を速める。即ち、財のライフサイクルを短くするのである。

固定費の中で最も比重が大きいのは、人件費である。人件費は、分配の要と言う性格も併せ持っている。
人件費は、労働の対価、即ち、費用と言う側面だけでなく、労働に対する評価、報酬と言う側面、所得、即ち、生活費と言う側面も持っている。
人件費を単に費用と言う側面だけに注目していたら人件費の持つ属人的性格は、削除されていく。属人的性格とは、年齢、性別、能力、家族構成、能力、経験、技能といった事である。つまり、人件費は、平準化されていくのである。
同じ条件で産業が発展している時代は、人件費も吸収できるが、新興企業の台頭や海外からの攻勢など、条件が違う経済主体が市場に参入してくると費用は、最低水準に向かって収斂していく。この事は、消費の低迷を招く原因となる。

経済の成長は、必然的に生活水準の上昇を伴う。生活水準の向上は、継続的な支出、裏返せば、所得の拡大を前提としている。

逆に、生活水準の向上は、一定の生活費を維持しなければ持続できない。
我々は、今の生活水準でしか理解できない。いくら戦後の焼け跡生活を聞かされても、戦後育ちの人には、実感がわかない。今の生活を敷衍化するしかないのである。だから、簡単に生活水準を下げる事はできない。

経済が停滞している時にストックが上昇すると格差が拡大する。部門間の歪みがフローとストックの関係を歪めるからである。この様な格差は、階級を準備する。

属人的な部分が削り取られると時間が給与の基準になる。この様な所得の変化は、必然的に、ライフスタイルの変化となって消費や支出構造を変えていく。そして、巡り巡って産業構造を変化させる。人件費の在り方は、費用と言うよりも生活費の原資となって生活に密着しているのである。この点を忘れると経済政策を間違える事になる。

少子化の原因の一つが晩婚化、未婚化があるが、結婚したり、子供作らない原因の一つが結婚や出産による経済的メリットが喪失したことがある。かつて、女性が働く場所がなかった為に、結婚しないと生活できなかった。現在は、何も結婚しなくても経済的には困らないし、男は男で、一人で世帯を維持するのが難しくなってきた。そうなると、結婚しなければならない経済的根拠はないのである。さらに核家族化がすすんだ今日、高齢者の生活にも異変がある。つまり、大家族制度では高齢者の世話は基本的に家族が見てきた。特に、主婦の役割だった。
この様なライフスタイルが変化してきているのに、社会環境が追い付いていっていない。それが少子化という結果を招いているのである。

この様に費用の上昇を考慮に入れながら継続的に投資をしていかないと市場の拡大は見込めない。
投資は、一定期間安定した収益を前提としている。つまり、投資は、一定の売り上げが一定期間継続する事を見込めなければ、成り立たないのである。
故に、長期的資金の働きと短期的資金の働きの整合性をどの様にとっていくかが鍵となる。

一方で巨額の投資をしなければ勝ち残れないというのに、市場の不確定要素、リスクは増大する。成熟期の経済は、この点を十分に留意しなければならないのである。

どの様に長期資金の働きを費用の中に組み込むかが鍵となる。単純に単年度だけを問題としていると投資のような長期資金の働きを見落としてしまう。
不動産業も長期借入金が増加すると営業キャッシュフローが減少する傾向がある。それが、付加価値に対して営業キャッシュフローを押し下げている。


営業キャッシュフローの基礎



営業キャッシュフローを構成するのは、利益、減価償却費、運転資本、金利、税である。
また、国民経済計算で減価償却に相当するのは、固定資産減耗である。
キャッシュフローの基盤は付加価値にある。経常的収支を制御しているのは、利益、運転資金、経費、金融費用、税、償却費である。これらを照合すると経済の実体的動きが明らかになってくる。

営業キャッシュフローの基礎は、売上収入と費用支出であろう。そして核となるのは運転資本の動きである。
運転資本は、外部環境の影響を最も受ける部分である。

運転資本は、経常的取引から生じる金融機関以外からの貸借である。運転資本で生じる資金不足は、短期借入金によって補填されることが原則とされる。
広義の運転資本は、流動資産と流動負債との差額を言う。これは、流動比率に対応している。
狭義の運転資本は、売上債権と買入債務、そして、在庫から構成される。売上債権や買入債務、在庫が派生する原因は、それぞれ固有のものだが、最終的には倉庫背に影響を及ぼし関連付けられる。
運転資本は、経常的活動を制御する行為であるから、その時点その時点における経済主体の外的環境、内的環境を反映している。故に、運転資本の動向を分析する事で、外的、内的環境の変化を探る事が出来る。
運転債務は、産業毎の性格を色濃く反映している。全産業を一律の指標によって判断する事は難しい。しかし、全産業の運転資本の動向は、個々の産業を一律に測る指針にはならないが、その時点その時点の一国の経済や産業の傾向を判断する上で重要な指針である。
鍵を握るのは、売上債権、買入債務、在庫が何によって影響を受けて変化するかである。それを明らかにすると経常的取引に変化を与える市場の仕組みが明らかになる。ひいては、経済を制御する手段を知る事にもなる。

売上の増減は何の影響を最も受けているのか。価格要因なのか数量要因なのか。費用の変動は何に影響を受けているのか。価格要因なのか、数量要因なのか。売上や費用のどの部分が内生変数でもどの部分が外生変数化が鍵を握る。
ニクソンショックやプラザ合意の際は、円高が日本経済を直撃した。つまり、為替要因が費用に働いたのである。石油危機の時は、石油の高騰が費用を押し上げたのである。バブルの時は、資産価値の乱高下とその後のバブル崩壊を導いた。異次元の金融緩和は、株価を押し上げ、円安に為替を誘導したが、物価の2%上昇は達成できなかった。
大体、日本の高度成長を支えたのは、市場の持続的拡大である。

そして、このような動きは、売上債権、仕入債務、在庫に微妙に働いている。そして、その影響が運転資金を動かし原動力となっている。

市場の拡大、物価、為替、原油価格、金利、地価、株価、所得これらの変数が景気を動かしているのである。ただその時々に主役が変わっている。
その時代時代をリードしている要因を掴むことが景気の変化を読み解くことにつながる。

一般に人々は、衝撃的な事には注意を払うが水面下で働いている大きな力や動きには鈍感である。目に見えないところで蠢く資金の流れにこそ時代を動かす潜在的力が秘められているのである。


経済の基本は、収益にある。ただ、収益を改善する為に、財政を活用するのは、財政負担を増すだけで終わる事がある。
民間企業の収益を改善するのは、民間企業の内的要因や市場の構造的問題にメスを入れる必要がある。そして、それに呼応する形で、他の部門、財政部門や家計、海外部門を活用すべきなのである。
公共投資や減税だけで景気を制御しようとしても自ずと限界がある。基本的に間接的な手段なのである。

家計を例にしてみると営業キャッシュフローの基礎が見えてくる。
生計の基本は、所得とそれまでの蓄え、そして、借金である。支出は、消費、借金の返済、そして、蓄えである。
これが家計の現金収支の基本形である。そして、収益から支出を控除した残高は、正の値でなければならない。不足すれば経済的に破綻する。
収入で主となる部分は、所得である。企業でいえば収益である。所得は、基準として支出が所得を上回ると蓄えを取り崩すか借金をする事になる

取得と経常支出の関係が営業キャッシュフローに相当する。収入は、所得を要にして蓄えと借金がある。支出は、消費を要にして借金の返済と蓄えがある。経営主体が実質的に破綻状態陥ったとみなされるのは、所得による収入を借金の返済が上回る状態である。この様な状態になると所得によって借金の返済ができなくなるからである。むろん、その前に固定的消費支出と借金の返済を足した値が所得を上回ると実質的に破産状態に陥る。

なぜ、家計の金融資産は、累増していくのか。それは、基本的に消費支出を所得の範囲内へと収めようという動機が働くからである。
そこが本来民間企業と違っていた。ところがキャッシュフロー経営が流布するようになり、フリーキャッシュフローの範囲内に投資を留めようという動機が働き始めてから、民間企業の金融しさの残高も余るようになってきた。

この様に家計にも財政にも営業キャッシュフローに相当する部分はある。そして、家計、企業、財政、海外部門の営業キャッシュフローは影響を及ぼし合っている。

財政の資金不足を解消する手段でも民間企業の収益をよくする事で間接的に税収を上げる手段と直接的に増税するという手段とでは、前者は減税、後者は増税と真反対の施策になる。よくよく市場や企業の経営実態を見極めないと逆効果になり、財政の資金不足を昂進してしまう。その為にも財政における営業キャッシュフロー、運転資本は何かを明らかにする必要がある。

営業キャッシュフローの基礎は、売上収入である。
市場経済を動かしているのは、資金の流れである。そして、資金の流れの本流は、売上収入によって作られる。

売上と売上収入は、同じではない。収入のない売上もあれば、売上に計上されない収入もある。同じように、支出のない費用もあれば、費用に計上されない支出もある。しかし、経済を形作っているのは、売上収入と費用支出である。

営業キャッシュフローの基礎は、営業収入と費用支出である。故に、営業キャッシュフローの変化は、資金の流れの本流の変化を表していると言える。
売上は、売上収入と売上債権からなる。売上債権は、売上に準じて派生する。売上は、数量と価格の積である。故に、売上に影響を与える要因には、数量要因と売上要因がある。

営業キャッシュフローは、短期資金の過不足を表している。短期資金の過不足は、長期的な資金な働きに反映する。
短期的資金の過不足の原因には、経常的な現金収支に基づくものと長期的資金から派生するもの、そして、公的部門に対する分配がある。
そして、これらの働きが付加価値を構成している。

経済の仕組みを動かしているのは、資金の流れである。経済の仕組みを動かしている資金の流れをキャッシュフローという。
キャッシュフローが引き起こす資金の働きには、短期的働きと、長期的働きがあり、短期的働きは、フローを形成し、長期的働きはストックを形成する。

資金の流れ、即ち、資金移動は、資金の過不足を生み出す。資金の過不足は、新たな資金移動を引き起こす。この資金の働きの連鎖による働きで市場経済は動いている。
短期的働きは、単位期間内における資金の過不足によって成立する。

市場における資金の働きは、売買取引と貸借取引、資本取引によって成り立っている。
短期的資金の働きは、売買取引によって形成される。

売買取引によって形成されるのが、営業キャッシュフローである。
営業キャッシュフローの計算方法には、直接法と間接法がある。これは、営業キャッシュフローの性格をよく表している。
直接法は、通常の営業活動、即ち経常的経済活動による、現金収支を表している。
間接法は、利益から非資金損益項目と投資活動、および、財務活動における損益項目を加減算する事によって求められる。
直接法と間接法の結果は、一致している。この事は、資金の働きの表裏を表している。
また、短期的資金の働きと長期的資金の働きの関係を示している。

また、期間損益と現金主義との違いも暗示している。
この点は注意しなければならない。
また、キャッシュフロー計算書は、期間損益による結果に基づいて作成されるものであり、純粋の現金主義とは違う。この点は注意しなければならない。ただ、直接法と間接法の違いは、期間損益と現金主義の基本的な性格の違いは、理解できる。

営業キャッシュフローの基礎は売上収入と費用支出である。期間損益でいえば収益と費用である。つまり、収益と費用の在り方、関係が経済の基幹なのである。利益は、売上と費用の働きを表す指標である。しかし、最終利益では、日々の働きを推し量ることはできない。

経済の根本は生きるための活動である。生きるために必要な資源を調達し、それを必要なだけ必要な人に配分するのが経済の仕組み本来の目的である。生産の爲や金儲けのために経済の仕組みはあるわけではない。それを前提として考えた時、所得の源となる仕事こそ経済の仕組みの要になるべきなのである。それを忘れて生産効率や無人化を推し進めたら、経済の活力失われてしまう。

その意味では、営業キャッシュフローの働きを正しく知る事が肝心なのである。なぜならば、営業キャッシュフローは、日々の営みを表しているからである。

安売りを行政も政治家も学者もジャーナリストも是とし、盛んに奨励する。低価格を実現するのは、企業努力であり、低価格を実現する事が競争力の源泉だとするからである。しかし、彼等は何か勘違いをしている。彼らの多くは、市場経済が競争だけで成り立っているかのごとく錯覚している。

安売りができるのには、安売りができる理由がある。たとえば、人件費が低い国で生産した商品を不当に安く仕入れているとか、特定の商品を利益を度外視して安くしているとか、会計を操作する事で安くしているとか、必要以上に生産をして原価を下げているとか、大量販売をする事で一つ当たりの減価を下げているとか、損益分岐点を悪用していると言った場合である。これらの理由のいくつかは、違法とは言わないが不当な行為であり、経済や市場を歪めかねない行為である。

大切な事は、適正な収益、適正な費用に基づく、適正な利益である。要するに均衡なのである。

競争は、均衡を保つために有効な手段ではあるが、過度の競争はかえって全体の均衡を壊してしまう。
なぜ、競争するのかというと価格は、相対的な事だからである。価格は絶対額ではなく、複数の経営主体が提示する価格を比較対照する事で適正な費用対効果を測るための手段である。価格や売り上げは目的ではない。手段である。むしろ目的化すべきなのは費用である。なぜならば、費用は、財の分配を促す働きがあるからである。いずれにしても競争を原理のように扱い、低価格がすべてに優先するかのような思想は危険である。価格は一指標に過ぎないのである。低価格を実現する為に市場や会計の原則を歪めるのは、本末転倒である。

人件費が相対的に低いというのは、低賃金か、劣悪な労働条件かによるものである。低価格を求めて人件費の低い地域に生産拠点を移しても長い目で見れば人件費の高騰を招くか貧困を輸出する様な事につながる。ただ安ければいいというのは、経済原則を無視している。


直接法と間接法


営業キャッシュフローの計算方法には、二つの方法がある。二つの方法とは、直接法と間接法である。そして、二つの方法は、営業キャッシュフローの性格を表している。

営業キャッシュフローは、損益に係る要因と営業活動に係る債権、債務から派生する要因、投資活動および財務活動以外の取引から生じる取引保険金の収入損害賠償金の支払いなどから生じる要因の三つの部分から成る。直接法と間接法の違いは、損益に係る部分と営業活動に係る債権債務から派生する要因によって構成される。

一つの計算方法は、直接法である。直接法は、実際の現金の収支を集計したものである。それに対して、間接法は、実際に入金のない収益を引き、支出のない費用を足す事で導き出す。間接法は、付加価値をも意味している。また、間接法と直接法の違いは、小計より上の部分を指している。
つまり、経常収支と付加価値は、表裏をなしていることを意味する。
この点は、国民経済計算書を見る上でも重要となる。

間接法は、非資金損益項目、営業活動と無関係な損益項目、営業活動に係る資産負債項目の調整からなる。
非資金損益とは、減価償却費や引当金を指し、営業活動と無関係な損益項目とは、主として営業外損益、即ち、経常的な金融費用を指し、営業活動に係る資産負債項目と言うのは、運転資本を言う。
これは、裏返してみれば付加価値の働きを意味している。

国民経済計算では、GDPは、付加価値を意味する。つまり、GDPは、資金の増減と表裏をなしている事を示唆している。また、経常収支がGDPを担っている事でもある。

付加価値の構成と経常収支の増減を見ないと国民経済の実態は明らかにできない。

GDPでは、総生産が直接法を、総所得が間接法を表しているともいえる。支出面が企業のキャッシュフローに現れないのは、企業の利益である営業余剰は、中間消費にあたるからである。ただ、経済は、総生産、総所得、総支出の三つの側面を持っていることは事実である。

国民経済統計では、生産側から見て、全産業の産出額から全産業の中間投入額を差し引いた値を集計したものを指し、分配面から見ると雇用者報酬、営業余剰・混合所得、固定資産減耗、生産・輸入品に課せられる税から補助金を控除した値、統計上の不突合、支出面からみると民間最終消費支出、政府最終消費支出、総固定資産形成、在庫品増減、財貨・サービスの経常収支を言う。これは、付加価値の三つの働きを表していると言える。
この内、間接法は、分配面を指し、直接法は、生産面を指している。

雇用者報酬は家計に還元され、営業余剰・混合所得は、民間(家計と企業。事業利益を意味する)を基礎とし、生産・輸入品に課せられた税は、一般政府を基礎としている。
雇用者報酬は、家計最終消費支出に結び付き、生産・輸入品に課せられた税は、財政と海外部門に係る。但し、営業余剰・混合所得は、中間消費として最終消費支出には結びつかない。

また、GDPの所得から消費を引いた残りを貯蓄するという過程に生産面、分配面、支出面を重ね合わせると付加価値の働きもわかる。

直接法と言うのは、実際の経常的収入と経常的支出を集計したものである。それに対して、間接法は、実際の現金収支を伴わない勘定を加減したものである。
これは、国民経済計算書にも実際の現金の動きを伴わない勘定があることを示唆している。


営業キャッシュフロー(間接法)の骨格


営業キャッシュフローは、第一に、損益に係る部分。第二に、運転資本に係る部分。第三に、投資活動や財務活動から派生する部分。第四に、税、および公共支出に係る部分、第五に、その他の臨時的な損益勘定部分(保険金収入、損害賠償金の支払い、為替差損益等)から成る。

間接法に依る営業キャッシュフローを構成する要素は、税引き前利益、運転資本、減価償却費、支払利息、租税公課等である。
これらの項目を見てわかるように、営業キャッシュフローが表しているのは、付加価値である。つまり、間接法に依る営業キャッシュフローが表しているのは、付加価値である。

また、別の視点から見ると第一に、非資金損益項目、営業活動に関与しない損益項目、第三に、営業活動に係る資産負債項目からなる。

間接法は、利益に基づいて計算される。基となる利益を何にするかで若干営業キャッシュフローに対する考え方に差が生じる。つまり、何を基の利益と考えるかは、何を基準の利益とするかを意味するからである。それは何を付加価値と考えるかをも意味する。


法人企業統計

キャッシュフローを見る時、残高か増減かが重要な意味を持つ。資金需給と言った場合は、基本的に増減を指す。純粋の資金移動は、増減として現れるからである。
売上債権は、売上が計上されていても実際に入金されていないので、マイナス要因であり、在庫も同様である。それに対して買入債務、仕入債務は、物を仕入ているのに、実際の支出はされていないために、資金的に見るとプラス要因であり、借入をしているのと同じ効果になる。
運転資本は、景気を先取りするような動きをするのが特徴である。

仕入債務は、売上債務と在庫双方に影響されている。その時々で売上に比重がかかっているか、仕入に比重がかかっているかによるのである。
それは市場の環境を反映している。
また、売上債権は、売上に誘導され、仕入債務は、原材料価格に影響されている。原材料の上昇によって運転資本が影響を受けているのか、景気の好転によって運転資本が影響を受けているのかを見極める必要がある。
その為には、売上債権、仕入債務、在庫の動向を関連付けて注視する必要がある。



法人企業統計

運転資本で重要なのは、増減だけでなく、運転資本を構成する要素が作り出す幅である。
ニクソンショックの際は、この幅が極端に小さくなりその後、逆転して大きくなっている。
1985年プラザ合意後、バブル形成時は、売上債権と在庫の急速に拡大しそれに合わせて仕入債務も拡大しているが、それがバブル崩壊後は、反転し急速の収縮している。90年代は、売上債権、仕入債務ともに減少しているのがわかる。
バブル崩壊時、在庫も急速に減らしてはいるが、それ以上に急速に収縮しているのが信用取引である。
リーマンショックの時は、在庫の動きはあまりないのに売上債権は、仕入債務ともに大きく減少し振れ幅も大きくなっている。在庫、遅れて翌期に伸ばしている。この点は、ニクソンショックやバブル崩壊と好対照をなしている。
これは、信用取引の拡大と流動性の低下を意味していると思われる。

注意しなければならないのは、運転資本が資金不足から資金余剰になっいる点である。60年代は資金余剰だった運転資本が60年代後半から資金不足に陥り、バブルの時は、大幅な資金不足に陥ったのがバブル崩壊後は、急速に資金余剰になった。その内訳は、仕入債務が資金不足となり、売上債権が資金余剰になった点である。

運転資本には、明らかに波がある事がわかる。運転資金が収縮したのは、ニクソンショック時、第一次、第二次石油危機の前年、リーマンショックの前年である。また、プラザ合意時にも収縮していてその後バブルで資金不足が大きく拡大している。リーマンショック後は小刻みに収縮と拡大を繰りの返している。

運転資本の上で特異な位置や役割をしているのが在庫である。在庫は何か。在庫をどの様にとらえるかは、経済間動向を予測する上で、重要な意味を持つ。また、在庫の評価方法には、いくつかの考え方や計算方法があり、それは、直接、利益に影響を及ぼす。在庫の捉え方は、在庫とする商品によっても変わってくる。それらを考え併せて在庫の働きは見る必要がある。

在庫に対する考え方には、第一に、原価という考え方がある。第二に、売上のための準備という考え方である。第三に、余剰生産物という考えである。第四に、単に、残高、売れ残りという考えである。第五に、備蓄品という考え方である。第六に、原材料、仕掛品という意味もある。
原価というとらえ方の場合、生産物、製品とのかかわりが重要となる。生産物、製品とのかかわりが重視されるのは、原材料、仕掛品にも言える。売上準備や余剰品というのは、収益に直接かかわるし、売れ残りや備蓄というのは、利益に関係してくる。そして、これらの関係は、経済の動向に微妙に影響してくる。
在庫量の変動は、景気の先行指標としても使えるのである。

減価償却費は、過去の投資を反映している。
減価償却費は、過去の投資を反映している。ただ、現金収支とは、連動していないために、現金収支と利益との乖離を生む最大の原因である。
では、減価償却費ではなく、借入金の返済を基にすべきだと考えるかもしれないが、借入金の返済額は、返済計画や借入金の約定、増資などの関係よって大きく違ってくる上に固定資産設備との関係が掴みにくい。それ故に、設備と減価を直接結びつけて計算するのが減価償却費である。


法人企業統計

支払金利は、借入金を反映する。借入金は、過去の投資によるものと営業における一時的な資金不足からなる。
過去の投資の部分は、減価償却費と比較してみる必要がある。
また、短期借入金は、運転資本との関係が重要となる。

故に、支払利息も何を基として計算された値なのかによって違いが出る。


法人企業統計

法人税は、所得・富に課せられる税の一種だとみなされる。ただ、所得税と決定的に違うのは、所得税が雇用者報酬を課税対象としているのに対して、法人税は、営業余剰を課税対象としている。雇用者報酬は家計を経由して最終消費に反映されるのに対して、営業余剰は、中間消費と見なされ、最終消費に反映されないという点である。この点が微妙に分配と資金の循環に影響を及ぼしている。故に、法人税の意義や働きが常に問題とされるのである。

資金の働きを見る場合、生産、分配、支出のどの局面から資金が調達され、あるいは投入されているかが重要なのである。

法人税は課税所得を反映している。
課税所得は、いわゆる、現金収残高でも、利益でもない、ただ、決算書基礎として算出しているというだけである。場合によっては、企業業績とは直接結びついていないと言える。
税金を支払うために新たな資金を調達しなければならないという事態も起こる。反対に潤沢なキャッシュを持っていても税金を支払わなくてもいいという事もある。
税金対策によって企業業績が歪められることもある。また、税務会計上と企業会計上の矛盾が企業の決算を歪めている場合もある。この様な歪を見出して是正するのもキャッシュフローの役割の一つである。

法人税は、景気の変動を色濃く反映する。その為に、景気の動向を財政に取り込んでしまい、財政を不安定にする原因ともなる。


法人企業統計

一目瞭然、見ればわかるように、利益と法人税とは連続していない。法人税と利益との整合性をどう保つかが、これからの課題と言える。
その為には、法人税とは何か、法人税はどのような働きをしているのか、法人税が企業や経済に与える影響は何に対してどの様に働くのかなどを明らかにする必要がある。その上で国は、法人税を介して企業に何を期待するのか、それを為政者は、明確に示す必要がある。

バブル期には、企業だけてなく、金融機関も行政も儲けていたのである。つまり、分配の問題である。なぜ、あれほど目くじらを立ててバブルを崩壊させる必要があったのか。バブル現象にはどのような弊害があったのかを冷静かつ客観的に分析できるようにならないとバブル崩壊からもまた、新たなバブルからも逃れられないのである。

所得税の累進課税には、ビルト・イン・スタビライザー即ち、自動経済安定化機構が組み込まれているとされる。好景気には、税収が増える事で景気を抑制し、不況になると減税効果があるていう事である。しかし、同時にこれは財政の不安定材料になる事も忘れてはならない。
確かに、バブル期には税収が増え、バブルが崩壊すると税収が減っている。その為に、バブル期においては、財政が一時黒字化する。しかし、2004年から2007年にかけて納税額は、バブル期と同程度まで回復しているのに、財政赤字は解消されなかった。これは、それだ歳出も増加した事を意味している。


企業法人統計

バブル崩壊後全ての産業で支払金利が低下しているのが読み取れる。

1999年、ゼロ金利政策が採用されたが、その後、民間企業は、金利が上げられないわけではない。金利が上げられない理由は、別のところにある。それは、国債金利の問題である。

営業キャッシュフローを構成する要素は、基本的には、利益、運転資本、租税公課が表すのが営業に係る部分であり、減価償却費は、投資に係る部分、そして、支払利息は、財務に係る部分であると同時に営業利益を基とした場合は、利益に含まれている。それ故に、営業利益から一旦支払利息を除いて営業純益を算出する。営業利益から支払利息を引く事で金融に係る支出を除いて純粋に営業に係る収支を明らかにするのである。

つまり、営業キャッシュフローを分析する事で、損益に係る部分(利益)と営業に係る部分(運転資本)、投資(減価償却費)、財務活動(利息、配当等)に係る部分、公的な支出に係る部分(租税公課など)の働きが明らかになる。

また、減価償却費、有価証券評価損といった非資金損益は、期間損益と現金収支との基本的な違いを表している。そして、この部分は、資金の過不足の実態と損益上に現れる部分との乖離を意味している。この乖離が拡大すると名目的な変動と実質的変動との整合性が失われてしまう。


営業キャッシュフローは経常的資金の流れ(フロー)を形成する。



収益や所得もないのに、経営や生活が成り立つのはおかしい。収益や所得でなければ、何から収入を得るのか、自給自足の時代ではないのですから、借金をするか、貯蓄を取り崩すしかない。いずれもストックで生計をたてている事になる。ストックは、あくまでも残高である。
借金をしたり、蓄積を取り崩しても何も生産しない。生産性がないのである。だから、社会の効用は増えない。社会の効用どころか、借金が増え、蓄えは減っていくのである。そんなことが続くわけがない。要するに「お金」を遣り繰りしているだけに過ぎないのである。
大体、残高と言うのは、位置のエネルギー、蓄えられたエネルギーである。残高の厚みによってフローの勢いや力、速度が定まるのである。

経常的経済活動を成り立たせているのは、フローである。経営や生計の経常的経済活動を成り立たせているのは、所得や収益である。この点を忘れるとストックとフローの関係がおかしくなる。

経常的な経済活動を支えているのが営業キャッシュフローである。これは、国家レベルでも変わらない。国の経常的活動を支えているのは、国家的付加価値、即ち、GDPである。

貨幣制度とは、通貨の流れによって財の生産や交換を促し分配を実現する仕組みである。
売買によって生じる収入と支出による現金収支を基礎とする。その不足分を負債によって補っている。
会計は、残高主義である。残高主義とは何か、残高が負の値をとるという事はないということを意味する。

キャッシュフローを見る時、残高か増減かが重要な意味を持つ。資金需給と言った場合は、基本的に増減を指す。純粋の資金移動は、増減として現れるからである。
これは、総額か、純額かにも通じる。

営業キャッシュフローは、日常の現金収支、すなわち、短期的「お金」の働きを表し、売買取引を基本としている。
投資キャッシュフローは、生産手段に対する現金収支を表し、長期的「お金」の働きを示し、基本的には貸し借りに基づいている。
財務キャッシュフローは、お金の過不足を調節する働きを示し、投資キャッシュフローと同様、貸し借りに基づいている。
経済全体から見て営業キャッシュフローそのものは、「お金」の供給量を増やしたり、減らしたりはしない。なぜならば、営業キャッシュフローは、売買取引を基礎としているからである。
「お金」の流通量は、「お金」の供給量と回転数の積である。つまり、「お金」の流通量を増やすためには、供給量を増やすか、回転数を増やすかしかない。供給量を増やす取引が貸し借りであり、回転数を増やす取引が売り買いである。そして、営業キャシュフロート、投資キャッシュフローを結びつけているのが財務キャッシュフローである。

お金の動きのどの部分に生産や物量の働きを促す作用があるのか。それが経済活動を分析する鍵である。
例えば、売上にしめる現金の量は、費用に占める現金の量はどれくらいなのか。
又、負債はどれくらいでどの様な性格をしているのかという点である。

粗利益から販売費、及び、一般管理を引いた値が営業利益である。営業利益を売上で割った比率が営業利益率である。
ここまでが営業活動に関わる損益である。
そして、営業損益に関わるキャッシュフローが営業キャッシュフロー、すなわち、営業的現金収支である。
営業キャッシュフローは、営業活動による正味の現金収支残高である。つまり、経済主体の経済活動の実態を表していると言っていい。営業収支の過不足を補うのが運転資金である。
つまり、営業キャッシュフローと運転資金を分析するとその経営主体の実体がわかる。





営業キャッシュフローは、期間損益からすると営業利益、経常利益に相当する部分を指している。直接法は、決算仕訳をする以前で運転資本を除いた、表している。ある意味で剥き出しの経営状態である。その意味では、営業キャッシュフローは、経営のコアとなる部分である。

ただ、営業キャッシュフローを一つの全体として見ていると営業キャッシュフローの働きは見えてこない。営業キャッシュフローが財務キャッシュフローや投資キャッシュフローのどの部分と関係があって、どの様な働きをしているかを見ていく必要がある。

市場は、資金が循環する事で機能する。経済の仕組みは、「お金」を循環させることで成り立っている。「お金」が流れなくなれば、回らなくなれば市場は機能しなくなる。

「お金」の循環は、水の循環によく似ている。
雨が大地に振って川となり流れ、やがて大海へと流れ込む。大海に流れ込んだ水は、また、雲となって湧きあがり、大地に雨を降らす。この循環が大地を潤し、多くの植物を育む。
ただ、大地は一様ではない。砂漠もあれば密林もある。氷の大地もある。それは、雨が降る量も時期も一様ではないからである。
資金の循環も同様に一様ではない。一様でないから雨の降らない不毛の大地もあれば、水資源に恵まれた豊かな大地もある。
水は時には、洪水や津波となって何もかも押し流していく。
水利は人類長年の知恵の結晶である。「お金」の流れも水の流れのように制御する事が難しい。
「お金」は、放置すれば均等一様に循環する物ではない。

世界の環境が一律一様でないように、世界の市場も一律一様ではない。密林のような市場もあれば、砂漠のような市場もある。それぞれの環境に適した対策を立てないと資金は、循環しなくなるのである。


営業キャッシュフローの構成


営業キャッシュフローとは何か。営業キャッシュフローの働きや役割は、営業キャッシュフローの構成を見ると解る。

営業キャッシュフローは、損益に係る部分、運転資本に係る部分、投資活動や財務活動から派生する部分、税、および公共支出に係る部分、その他の臨時的な損益勘定部分(税、保険金収入、損害賠償金の支払い、為替差損益等)の五つの部分から成る。
営業キャッシュフローの計算方法には直接法と間接法がある。

営業キャッシュフローは、直接法にも間接法も一般に小計によって区切られている。そして、小計以下の科目は、直接法も間接法も共通している。営業キャッシュフローにおいて小計から上の部分が核となる部分と見なしていい。小計以下は、付随的な部分である。付随的な部分ではあるが、重要な意味が隠されている。

営業キャッシュフローの小計の上の部分、即ち、核心となる部分は、直接法は、営業収入から原材料や商品の購入にかかった支出と経常的支出(人件費支出、営業支出、事務費など)を差し引いた値である。
それに対して間接法では、利益項目、減価償却費などの非資金損益項目、営業活動に付帯的に派生する資産、負債項目を足した値である。
間接法と直接法を構成する項目の主たる違いは、この小計から上、核心部分にある。それは、期間損益とキャッシュフローの違いを意味している。まず第一に、利益と営業収入は違うという事である。仕入と原材料や商品を購入する為にかかった支出とは違うという事である。故に、利益と営業収入から購買にかかった支出の差額とは一致しないという事である。
どの部分が一致しないかというと売上と営業収入の違いは、売上の中に売上債権が含まれている事である。売上債権とは、売掛金や受取手形を足したもので、売上として計上されてはいるが収入がない部分である。これは資産と見なされる。仕入れと原材料や商品を購入した時の支出との違いは、買入債務と在庫にかかる支出が仕入れに含まれている事である。買入債務とは、買掛金と支払手形からなる部分で、債務としてみなされている部分である。また、在庫は、仕入に対する支出はされているが、まだ売上がされていない部分である。

この部分は短期的な資金の過不足を意味している。故に、短期的資金によって補填する事が原則である。

営業キャッシュフローを構成するのは、利益と減価償却費と運転資金の増減と金利である。

フローは、付加価値を形成し、ストックは、付加価値の基礎を形成する。
利益と金利は、投資対効果を表し、減価償却費は、設備投資を元として計算され、運転資金は、資金繰りを反映している。
即ち、利益は、収益と費用の関係から導かれ、支払利息は、長期借入金、債務の働きを反映し、減価償却費は、投資、即ち、債権を反映し、運転資本は、売上と仕入れの関係を反映している。仕入と在庫は、原価に反映される。

営業キャッシュフローのコアとなるのは、経常的、日常的な活動、営業活動の中での資金の過不足を意味し、小計以下の部分は、債務と債権から生じる資金の過不足と公的部門に対する分配を意味している。

利息は、債務を基数として計算される。減価償却費は、資産を基数として計算される。納税額は、利益を基数として計算される。売上債権は、収益を基数とし、買入債務は、仕入原価を基数としている。そして、利益は、収益を基数としている。これは、それぞれの働きと関係がフローに与える影響を意味している。

分析における営業キャッシュフローの計算方法は、間接法に基づき法人企業統計の基礎とし、営業キャッシュフロー=税引前当期純利益(当期末)+減価償却費計-法人税、住民税及び事業税-{受取手形(当期末)-受取手形(前期末)}-{売掛金(当期末)-売掛金(前期末)}-{棚卸資産(当期末)-棚卸資産(前期末)}+{支払手形(当期末)-支払手形(前期末)}+{買掛金(当期末)-買掛金(前期末)}-配当金-支払利息等
=税引き前純利益+減価償却償却費計-法人税、住民税及び事業税-受取手形資金需給-売掛金資金需給-在庫資金需給+支払手形資金需給+買掛金資金需給-配当金-支払利息等としている。

営業キャッシュフローの働きで注目すべき点は運転資金である。

運転資金には、正味運転資金と運転資金がある。
正味運転資金とは、流動資産から流動負債を引いたものであり、運転資金は、売上債権に棚卸資産を足してそれから仕入れ債務を引いた値である。

資金の使途には、運転資金、設備投資資金がある。

運転資金には、長期資金と短期資金があり、長期資金には、経常的運転資金と増加運転資金に分類がある。長期資金には、経常的資金と増加運転資金があり、短期資金には、臨時資金とつなぎ資金がある。

運転資金が増加する原因は、単純ではない。運転資本の増加は、市場環境や産業の発展段階、また個々の経営主体の内部事情など複数の要素が絡み合って起きる。運転資本の増加にはいろいろな形がある。
運転資金の増加する形には、売掛金や買掛金のサイトの差などから生じる経常的な運転資金の増加、事業や市場の拡大に伴う増加運転資金、逆に事業や市場の縮小に伴って一時的に増加する減産運転資金、季節変動による季節運転資金、決算賞与資金から生じる決算賞与資金、設備購入の未払いから派生する運転資金、また、赤字によって生じる運転資金の増加、財務構成を是正などから生じる長期運転資金などがある。

運転資金は何によって影響を受けるのか。まず正味運転資金を見てみよう。
正味運転資本は、流動資産と流動負債の差を意味する。
流動資産は、売上に連動し、流動負債は、原価、仕入れに連動している。
売上は、市場の状況に依存し、市場の状況を作るのは、需給であり、購買力であり、人口である。また、原価を構成するのは、人件費であり、減価償却費、原材料費、エネルギー価格等である。
運転資金は、借入金、特に、短期借入金に影響を及ぼす。
借入金は、資金の調達力、即ち、担保力が問題となる。

運転資金を構成する要素は、売上債権と購買債務、そして、在庫である。この三つは、相互に牽制しながら、一つの関係を形作っている。売上債権と購買債務、売上債権と在庫、購買債務と在庫、各々は、各々に働きかけながら、売上、仕入、借入金に影響を及ぼしている。
また、各々を構成する要素は、数量的要素と価格的要素からなっている。そして、それぞれが外的環境の影響を受け内部を環境を制御しているのである。

営業利益と営業キャッシュフローの関係



営業利益と営業キャッシュフローは違う。

それは、売上、即ち、収益と収入の違い、費用と支出との違いが根底にある。
売上となぜ、収入は違うのか。費用と支出のどこが違うのか。それは、市場経済の本質にかかわる問題である。

利益は、収益から費用を引いた差額である。営業キャッシュフローは、営業収入から営業支出を引いた残高である。
利益と営業キャッシュフローの違いは、まず差額と残高の違いと言っていい。つまり、名目と実質の違いと言っていい。

下記のグラフは、全業種の支払利息を控除する前の営業キャッシュフローと営業利益とを重ね合わせたグラフである。

全業種

法人企業統計

特徴的なのは、バブル崩壊後、大きく営業利益が営業キャッシュフローを下回っている事である。

営業キャッシュフローは、第一次石油危機の時、営業利益を下回ったが以後、基本的には、営業利益を上回っている。とくに、バブル期には大きく営業利益を上回っている。これは利益の質がいい事を意味している。

バブル形成期は、売上債権が仕入債務を上回る傾向があり、バブル崩壊後は、売上債権より仕入債務の上昇が大きかった事がわかる。バブル崩壊後は、債務の負担が大きくなっている事が窺える。



電気機械器具製造業は、2000年が分岐点である事は営業利益、営業キャッシュフローからもわかる。
電気業は、東日本大震災が大きく影響をしている。ただ、それ以前に、二度の石油危機やプラザ合意の影響も見逃せない。問題は。バブル崩壊時、営業キャッシュフローと営業利益が正反対の方向に動いた事である。

2000年に何があったのか。2000年にあったのは、ITバブルの崩壊である。




次に、支払利息を差し引いた営業キャッシュフローに支払利息を重ねてみる。


法人企業統計

金利がいかに大きく経済や経営に影響しているかがわかる。また、バブル崩壊後利幅が狭くなり、特に、2000年を境に急速に圧縮されているのがわかる。

次に、運転資本と与信・受信の関係を見て見る。当然ながら運転資本と与受信は、対称的な動きをしている。ただバブル形成時における運転資本の動きに注目する必要がある。そして、バブル崩壊時の急激な逆転である。経営や経済にとって重要なのは変動幅である。単純に位置だけを見ていたら経済や経営に対する影響力を読み取ることはできない。特に、与信、受信、運転資本は、資金繰りに深く関わっているために、経済主体の屋台骨を揺るがしかねない大事である。


法人企業統計

収入のない売上とは何か。売上ではない収入とは何か。支出のない費用とは何か。費用でない支出は何か。
それを明らかにする事である。
収入のない売上には、掛け売りがある。売上でない収入には、借入金や資本がある。支出のない費用には、減価償却費がある。また、費用でない支出には、借りしれ金の元本の返済がある。

営業キャッシュフローは、この収益と収入、費用と支出の差を埋める形で表現されている。

営業キャッシュフローを構成するのは、間接法に依れば税引き前当期純利益に損益計算上の非キャッシュ項目、運転資本と受取利息、支払利息や受取配当金、支払配当金などを加えたものである。
非キャッシュ項目とは、減価償却費、無形固定資産等売却費、貸倒引当金などの引当金等を言う。
運転資本は、売上債権と仕入れ債務の差額と在庫の増減から構成される。

注意しなければならないのは、営業キャッシュフローは、総額ではなく、純額だという点である。
営業キャッシュフローというのは、日々の本業の活動の正味の現金収支の残額だという点である。

営業損益と営業キャッシュフローのどの点に差異があるのか。そして、どうして差異が生じるのかを解明する事は、お金の働きを理解する上で重要な鍵となる。

肝心なのは、現金売上と現金支出が利益に与える影響である。この点を明らかにする事で現金の働きと利益との関係を知る事ができる。

利益は、直接支出に結び付いているわけではない。なぜならば、収益にも、費用にも現金収支を直接反映した数値だとは限らないからである。
現金主義が現金の授受を前提としているのに対して期間損益は、基本的に発生主義であり、実現主義である。

現金売上が売上全体のどの部分に働いているのか、現金支出が費用のどの部分に働いているのかをまず解明しておく必要がある。

売上から受取手形、売掛金、すなわち、売上債権を差し引いた部分が売上による現金収入であり、それ以外の部分、すなわち、売上債権は、貸付金であり、資産として貸借対照表の総資産の部に計上される。
その対極として、仕入から支払手形、買掛金、すなわち、仕入債務を引いた部分が仕入債務となり、負債に計上される。

原価は、仕入から売上債権から仕入債務と当期仕入れ高、製造原価から在庫残高を差し引いた部分によって構成される。

粗利益は、売上から原価を引いた値を言う。粗利益を売上で割った値が粗利益率である。
粗収支残高は、売上から仕入れを単純に差し引いた値であり、
計算式は、売上-売上原価-売上債権-在庫+仕入れ債務である。

まず粗利益を構成する部分におけるキャッシュフローと損益の違いは、原価に対する認識の差である。
支出のうち何をどの程度、製造原価に転化するかによって損益と収支に差が生じる。費用対効果の問題である。
現金支出上では、原価は、その期に仕入れた財で支払いが済んだ部分をさして言います。故に、現金収支上で粗利益に相当する部分は、現金収入から現金仕入を引いた値である。
問題なのは、粗利益というのは、製造原価を売上から差し引く事で導き出される。製造原価とは、売り上げられた財にかかった費用を言う。しかし、売上は、必ずしも現金収入というわけではない。原価も必ずしも、現金支出とは限らない。過不足は、貸し借りによって補われる。
粗利益をなぜ算出する必要があるのか、それは粗利益は分配の為の基礎となるからである。



出発点となる利益をどこにとるかによって営業キャッシュフローに対する認識は微妙に変わる。税引き前利益にするか、営業利益にするか、営業純益とするか。



金利と利益



資本主義経済は、基本的に収益や所得を柱とした経済の仕組みである。

フローの目安が利益であり、ストックの目安が金利である。
金利をゼロにしているのに、一向に企業の投資意欲が出ない。
それは、金利と利益との関係を見ないで、金利を操作すれば、あるいは、通貨の流通量を増やせば、景気は、制御できると思い込んでいるからである。
投資は、金利だけで左右されるものではない。むしろ、何に投資するか、そして、投資した事業によって適性の収益があげられるかが重要なのである。
巨額の投資には、投資資金を回収する為に、時間がかかる。長期にわたって一定の収益を上げ続ける事が投資を判断する為、絶対的条件となる。投資は、事業計画に基づいて実行されるものである。事業計画も絵に描いた餅では、破綻するのは目に見えている。
事業は賭けではない。いくら、金利がゼロだからと言って事業家は、借金をしたりはしない。この当たり前な事を為政者は理解していない。だから、資金を意味もなく市場に供給し、それが深刻な事態を引き起こしている。

一定期間、一定の収益が見込めなければ投資はできない。現在民間企業が投資を渋るのは、一定期間にわたって適正な収益が維持できないような市場の仕組みにされてしまったからである。過当競争、価格競争、情報の開示は行き過ぎれば、産業の命脈を断ってしまう。

家計や民間企業に借入限度があるように、政府にも借入限度はある。
一般政府には、紙幣の発行券があるから借入の限度はないと考えるのは、危険な思想である。紙幣の発行券があるからこそ、借入金限度は、厳重に管理される必要がある。
なぜならは、紙幣の発行機関の借入金限度は、ストックとフローの関係に制約されているからである。
財政は、資金収支の通貨の供給によって枠組みを作っている。財政におけるストックとフローの均衡が保てなくなると通貨の流量を制御できなくなる。それは、物価の暴走を招く恐れがある。

一般に借入金限度は、可処分所得と経常的支出、借入金の総額、返済期限、金利、返済計画、償却期間との関係によって決まる。投資した資金を回収するのに、一体どのくらいの期間がかかるか、それが借入金の限度を定める。
民間企業では、簡易な計算方法として長期借入金を減価償却費と税引き前利益との和で割った値が、一定の範囲内に収まるかどうかを基準とするものがある。どの程度の範囲かは、産業や投資案件によって差がある。

政府も利益を上げる事を考えない限り、財政は好転しない。
単年度均衡主義、現金主義、予算主義に囚われている限り、財政の機動的な活用どころか財政の健全化も心許ない。
収益や利益を上げる事を悪だとしている限り、財政の均衡は保てなくなる。

要するに、収益で設備投資に対する借入金をどの程度の期間返済する事が基準なのである。経常的収入によって借入金が返済できなくなると負債の膨張を止める事が出来なくなり、金利によって付加価値が圧迫されるからである。


企業法人統計

電気業の利子率は、比較的緩やかに変化している。




一般に金利以下の利益しか稼げなければ、リスクを冒してまで投資をしたりはしない。当たり前に、投資は、減退する。ここでいうリスクとは、不確実性である。
なぜ、投資がされないのか、簡単である。投資に見合う収益が見込めないからである。経営者は、金利を幾ら低くしても儲かる事業がなければ投資はしない。投資家も見通しのない事業には投資はしないし、金融機関は、事業計画が明確でない事業に融資はしない。

自ずと金融政策や財政政策には限界がある。

営業純益は、営業利益から支払利息を引いた値である。



バブル崩壊直後に電気機械器具製造業は、営業純益を大きく毀損していることがわかる。もう一つは、2000年前後に産業構造を変えてしまう様な出来事があった事を暗示させている。



電気業は、第一次石油危機、第二次石油危機、リーマンショック時に営業純益は一時的に赤字になった。それが東日本大震災の時は、大きく赤字となっている。




卸売業界は、プラザ合意以前に営業純益が赤字になっていることがわかる。それに対して不動産業界は、バブルの影響が色濃く出ている。



不動産業界は、プラザ合意後1990年にかけて急速に支払利息が増加している。
支払利息がバブル崩壊後大きく減少し、そして、営業純益もマイナスしているのがわかる。されに反比例するように営業純益が上昇している。

支払利息と営業純益の関係を見ると民間企業に支払利息を払う余力があることがわかる。支払利息が減少しているのは、ゼロ金利政策の影響が大きく。金利が上がらない原因は、単に、資金需要がないというだけでなく別にある事が窺える。
それは、部門間の歪に大きく関わっている。金利が上昇しない裏には、財政収支の問題が隠されている。

金融機関の現状は、現在の経済状況を象徴している。経済の歪みが金融機関に過重の負荷をかけている。放置すれば金融機関が機能不全に陥る可能性がある。
金融機関を圧迫しているのは、低金利に依る事だけではない。無論低金利は、金融機関の経営を圧迫する原因の一つではあるが、それ以上に金融機関を圧迫しているのは、利鞘が確保されていない事である。
利鞘が確保できない理由は、第一に、過当競争による貸出金利の低下である。第二に、有望な貸出先がないという事である。第三に、金融緩和によって資金過剰に供給されているという点である。第四に、多額の国債によるクラウディングアウトの状態だという点である。第五に低金利、ゼロ金利がある。
金融機関にとって支払金利は、預金量と預金金利の積である。そして、受取金利は、貸出量と貸出金利の積である。つまり、利鞘は、金利差だけでなく、分母となる預金と貸出金の差によっても生じる。
預貸率とは、貸出金総額を総額で割った率である。その預貸率が、2019年現在、中小金融機関では50%をきるところもある状態である。預金金利は、ゼロ金利によってこれ以上下げられない状態でありながら貸出金に対する資金需要がないために金利競争が激しくなり貸出金利の低下が止まらない。しかも金融緩和によって過剰に資金が供給されている。
商品が売れ残っているというのに、大量の生産を続けているために、在庫が積み上がっている状態である。
これでは金融機関の経営が成り立たなくなるのは時間の問題である。「お金」は、商品格差がない。一度、過当競争になったら歯止めが効かなくなる。規制を緩和すれば価格競争に陥るのは、必然的結果なのである。

少なくともある程度の利幅が維持できれば金融機関の経営は安定する。しかし、利幅が確保できなければ金融機関の経営は成り立たなくなる。その為には、規制や業務指導、業務提携が必要となる。これは市場の秩序を取り戻す事であり、競争を否定する事ではない。

減価償却の意味


営業キャッシュフローの中で減価償却費が占める役割は大きい。
営業キャッシュフローが付加価値を表しているとしたら、減価償却費は、付加価値に対して重要な役割を果たしている事になる。
減価償却率は、過去の投資を分母として成り立っている。つまり、減価償却費は、過去の投資した資産の内、費用に転化した部分を言う。
ただ、何らかの物理的根拠に基づいた勘定ではなく。合理的な基準に基づいて算出された数値である。要するに仮想的な数値であり、何らかの「お金」の遣り取りがあるわけではない。故に、支出のない費用と誤解する者もいる。しかし、支出のない費用などありえない。減価償却の裏には、損益に計上されない出金がある。それが長期負債の返済額である。

故に、減価償却費と長期資金の動きは、裏腹の関係にある。

投資には、公共投資、設備投資、在庫投資、住宅投資がある。設備投資は、生産の局面において、公共投資と在庫投資は、分配の局面において住宅投資は、消費の局面において働く。




不動産業や電気業は、投資の性格で長期間で投資資金を償却する事が可能なのである。
逆にいうと長期にわたって一定の収入が見込めなくなると経営が成り立たなくなる。その為に、どうしても政治的な産業になりがちである。




減価償却費は、国民経済計算で固定費減耗に相当するが、固定費減耗は、実勢価格、時価を基にしているのに対して、減価償却費は、取得原価を元として理念的効用を基としているため、固定資産減耗と減価償却費を一緒にとらえる事はできない。

ただ設備投資によって形成された固定資産が時間と伴に減価していくという思想は共通している。これは時間価値の働きを意味している。





減価償却費は、任意の方程式によって導き出されるものであり、実際の資金の動きとは乖離している場合が多いが、固定し減耗の実際は、経常移転である事が窺われる。経常移転は、付加価値上には意味がないとされるが、実際には、長期資金の流れを形成し、企業、産業、時には一国の資金の過不足に重大な影響を与えている。

現代の経済の最大の問題点は、経常移転、資本移転における経済効果が測定できていない事である。その事が、バブルに翻弄されている人々の釈然としない思いを拭いされない要因なのである。

設備投資の動向を見ると、設備投資は、1987年から急速に立ち上がりバブル時に頂点を迎え、以後急激に冷え込んだのが読み取れる。



製造業と全産業の動きは、ほぼ一致している。製造業が全産業の投資の動向を引っ張っている様に見える。



バブル崩壊後、小売り業界では何度か持ち直そうとした気配があるが、その都度、長続きせずに落ち込んでいる。

電機機械器具業界の変動よりも電気業、電力業界の方が変化が穏やか緩やかであるように見える。
電機機械業界は、何度か持ち直したが、2000年に大きく下落し、持ち直すことなく以後段階的に低下し続けている。








気を付けなければならないのは、減価償却費も固定資産減耗も仮想の費用だという点である。資金的な裏付けはない。ただ、資金の増減は、別途発生している。しかし、それは貸借取引だから損益上に表れない。だから、減価償却費や固定資産減耗を想定しなければならないのであり、単純に、キャッシュフローと言ったらこの仮想の費用を含まない。だから、足し戻しをする必要がある。言い換えると固定資産減耗を含まない数値は、経常的なキャッシュの流れすなわち、営業キャッシュフローに相当すると考えていい。

現代経済で扱われている数値は、加工されたものと未加工、即ち、加工されていない数値が混ざり合っている。
利益や減価償却費は、単位期間内の「お金」の働きを測るために加工された値である。利益が意見と言われる由縁は加工された数値だからである。加工するという事は、加工する者の意志が入る。
故に、加工された量と未加工の量とを見極め、加工された量は、加工される以前の状態に戻してみないと実体は理解できない。
減価償却費も固定資産減耗も人為的に加工されたもの、仮定の科目である。

なぜ、減価償却費のような仮想の科目が生じたかと言うと会計そのものの役割がそもそも単位期間内の「お金」の働きを計測する事が目的だったからである。長期資金の働きを単位期間に配分したり、還元しようとした結果、仮定の科目を想定せざるを得なくなったのである。む

そういう意味では、会計では時間価値が重要となる。ただ気を付けなければならないのは、経済的効用の実体は、人と物にあって「お金」は、あくまでも貨幣価値を測る手段に過ぎないという点である。その為に、時間による変化を「お金」は、直接的に受ける。「お金」の変化ばかりに気をとられると経済の実相が見えなくなる。
50年前の1オンスの金と今の1オンスの金の経済的効用は変わらない。ただ、価格が違うのである。経済的効用を表す絶対的基準、尺度はない。経済的効用を表す基準は、相対的なのである。





減価償却費は、基本的に有形固定資産を基礎として派生している。




減価償却費は、基本的に有形固定資産を基礎として派生している。
ただ製造業は、常に、借入金を上回る有形固定資産、即ち、設備残高がある。
これは、産業の特性を表している。




製造業では、第一次石油危機が設備投資の分岐点であることが読み取れる。また、バブル崩壊後は、長期借入金が限りなく土地の簿価に近づいているのが窺える。



長期借入金は、バブル崩壊後、土地の簿価に収斂している。担保主義の傾向がよく出ている。




小売業は、2002年を境に長期借入金と地価が重なり合うようになる。これを見ると金融機関が担保主義にとらわれ、資金繰りが厳しい状況であることがわかる。この傾向は、不動産業でも顕著にみられる。




1997年は、三洋証券の破綻、山一證券の自主廃業、北海道拓殖銀行の破綻と金融危機の様相を呈した年である。その金融危機を背景にして不動産業の長期借入金は乱高下している。





減価償却費と支払利息は、バブルが崩壊するまでは、強い相関関係がみられたのが、バブル崩壊すると大きく乖離しているのがわかる。
減価償却費と支払利息が表しているのは、分母と比率である。減価償却費の根底にあるのは、設備、有形固定資産であり、支払利息の根本は、負債である。
その点を前提とすると減価償却費と支払利息の変化の意味するところが見えてくる。
バブル崩壊後、減価償却費は横ばいとなり、支払利息は、急速に減少している。減価償却費が横ばいなのは、投資が抑制されていることを意味し、支払利息が減少するのは、負債が減少しているか金利が下がっている。




全業種は、バブル崩壊が分岐点となっているが、個々の産業を見ると必ずしもバブル崩壊が分岐点だとは限らない。












減価償却は、設備投資との関係が強い。設備投資の背景には、産業構造がある。設備投資は、産業の枠組みを形成するからである。
設備投資効率から電気業と電気機械器具製造業を見ると電気業は、不動産に近く、電気機械器具産業は、卸売り業に近い事がわかる。そして、全産業は、中間的、平均的な動きになっている。
電気業と不動産業は、どちらも設備投資効率、減価償却率が低い事がわかる。


法人企業統計


同じ、電気に関する産業でありながら、設備投資効率と言う面から見ると電気機械器具製造業と電気業は対称的な動きをしている。
それは初期投資の差から生じる。


電気業と電気機械器具製造業界の設備投資効率

法人企業統計


電気業は、巨額の初期投資を必要としている。電機業界は、巨額な初期投資をしても長期間にわたって一定の消費量が見込めるから減価償却費を低くしても成り立つのである。
それに対して電気機械器具産業は、一個一個の製品を積み上げる事で売り上げを確保している。しかも、製品には、流行り廃りがあるために、なるべく短期間で設備を償却しなければならない。その為に、全産業と比較しても償却率は高くしなければ成り立たないのである。

しかし、電気業も安定的な収益が望めなくなれば、投資した資金を長期間にわたって回収する事が難しくなる。電気業界の様なインフラストラクチャーに係る産業は、安易に過当競争、価格競争を誘ってはいけないのである。

よく競争の原理が働かない事が悪いというが、なぜ、競争の原理が働かなくてはならないのか明確にしているわけではない。
競争の原理を働かさせる動機として、低価格や技術革新を上げるが、その手の主張をする者の多くは、低価格の弊害について問題にすることが少ない。
確かに、不必要な規制によって競争を抑制する事よって弊害が生じる事はある。しかし、だからと言って何でもかんでも競争をせさせろ規制が悪いと決めつけるのは、短絡的である。
規制されるという事は、規制されなければならない理由かある。その理由を検証する事なく無原則に規制をなくせば本来規制しなければならなかったことまで解禁される事になる。
規制緩和は、この点をよくよく考慮したうえでなされるべきなのである。無論、既得権益となっていたり、格差を増長するような規制は外すべきである。







設備投資効率は、付加価値を有形固定資産(土地を除く)で割った値であり、減価償却率は、減価償却費を固定資産と減価償却費の和で割った値である。
言い換えると設備投資効率は、付加価値と固定資産の関係を意味し、減価償却率は、付加価値を構成する減価償却の働きを意味している。

付加価値には、人件費が含まれているために、人件費と減価償却費の割合の変化が設備投資効率と減価償却費を比べてみると明らかになるのである。
つまり、人件費比率の多い設備投資効率と減価償却費に特化した減価償却率の電気機械器具業と卸売りとの違いは、資本集約型か労働集約型かによるのである。


法人企業統計


減価償却率は、高度成長期に電気機械器具製造業が上昇しているのに対して全産業、電気業、卸売業、不動産業は横ばいである。それだけ、電気機械器具製造の設備投資が旺盛だった事が窺える。

減価償却費は、一般に支出のない費用という認識がある。しかし、この考えは片手落ちである。支出のない費用には、費用でない支出を参照する必要がある。
費用でない支出に、借入金の返済がある事を忘れてはならない。大体、支出のない費用はないのである。ただ、支出と費用が直接的に結びついていないだけである。
減価償却は、直接的な資金の裏付けがない。減価償却の問題は、この点にある。減価償却は、実は、間接的に長期借入金の返済に結び付いている。しかし、表面的には、減価償却費と長期借入金の返済は、無関係に見えるし、現実に、会計処理上は、関連付けられていない。また、減価償却費が長期借入金の返済を網羅しているわけではない。

しかし、実際的には、減価償却費と長期資金の流れそして、利益との関係を正しく認識していないと、経済や経営の実態を正しく理解する事はできない。

減価償却費を付加価値に含めるべきかどうかは、いろいろと異論がある。
償却とは、過去の生産手段に対する清算を意味するが、現金支出は伴っていない。
実際の現金支出は、借入金の本金の返済を意味する。しかし、借入金の本金の返済は、会計上どこにも計上されていない。借入金の元金は、差額勘定として長期借入金の増減という形で負債の部に間接的に表現されているだけである。借入金の元本の返済が会計上、どこにも計上されないために、減価償却費は支出を伴わない費用だと錯覚されている。それが重大な錯誤を引き起こす原因なのである。減価償却に相当する支出がされていないわけではない。ただ、長期借入金の返済額と減価償却費が関連付けられていないが故の誤解なのである。
この様な減価償却費は、経済に対してどのような働きをしているのかは検討されなければならない。
減価償却費は、国民経済計算書では、固定資産減耗として表現される。

減価償却費は償却期間が重要になる。投資資金を回収するためには、償却期間が終わるまで一定の収益を計上し続ける必要がある。
物価が上昇し、投資資金真負担が軽減されているうちはいいが、デフレーション状態に陥り、投資資金の負担が過重になると減価償却費は経営にとって重い負担となる。

経済体制や政治体制の違いは、体制や仕組みの違いとして現れる。残念ながらそれが思想や哲学を歪める原因となっている。経済体制や政治体制の背後にある思想や哲学が体制や仕組みの違位置して捉えられてしまうからである。
例えば、社会主義と言えば、全体主義的、独裁主義的体制を思い浮かべるが社会主義自体が全体主義、独裁主義と一体だという訳ではない。むしろ、無政府主義的な思想を持つ社会主義や共産主義もある。逆に資本主義の中にも独裁的な体制を容認する例もある。

組織や体制と言うのは、絶対的な事ではなく。相対的な事である。

何が最適な仕組みであり、組織であるかの問題であって思想上の問題は、又別の次元の問題である。
ただ、個人主義や民主主義は、政治的には、組織や手続きによって具現化するという性格を持っているために、政治的には、組織や手続きが重要な意味を持つ。それに対して社会主義や共産主義、資本主義は、経済に思想の基盤がある事から体制や仕組みに対して柔軟である。
政治体制とは、政治的な指導者をどの様な仕組みや手続きによって選ぶかが鍵になっている。また、財をどの様な仕組みで分配するかによる。しかし、それは、社会が成立する過程で生じる事であり。社会主義体制を一概に独裁主義や全体主義と結びつけるのは、間違いである。

長期資金の働きは、損益上に計上されない。価値が操業度に比例して減少していく資産の経済的働きを計測する事が出来ない。それを補うために考案されたのが減価償却費である。その為に、減価償却費には資金的裏付け、支出がない費用だと間違った認識、教え方をしている者が多くいる。
償却費の重要性は、投資との関係である。投資のために調達した資金は、一律ではない。各社それぞれの事情がある。しかし、損益上では、極力、同じ条件になるようにしたい。それが減価償却費と言う形で表れるのである。
また、減価償却費をどう見るのかによって固定資産の働にも差が出る。この様な差がどう利益に反映されるか。
それは、産業政策の根幹にかかわる問題なのである。
そういった経済の仕組みを理解せずに規制を緩和したり、規制を強化し、あるいは、過当競争を強いれば、産業の基盤が破壊されてしまう。経済は、仕組みによって動いているのである。
経済を動かしている仕組みを理解しないと設備更新や新規事業、技術革新などが阻害される危険性がある。

単純に価格だけを比較しても、費用の働きを理解する事はできない。もともと、市場経済で重要な働きをしているのは、費用なのである。その証拠に収益と利益は、売上総利益、営業利益、経常利益、税引き前利益、純利益ぐらいしか項目がないのに、費用には、細かい項目が多くある。利益は、差額勘定なのである。
費用はいらない事ではなく、むしろ、要なのである。適正な費用が維持できなくなれば、企業も産業も成り立たなくなる。

自由貿易を維持する為には、関税による障壁ではなく。共通のルールを確立する事である。スポーツから国境をなくしたのは、ルールなのである。関税による障壁を設けても一時的な効果しか上げられない。共通のルールによって守らなければならないのは、費用である。

費用は、産業構造の縮図である。この点を理解しておかないと費用の働きは理解できない。

経済の効用は、収益と費用、収益と負債、収益と資産、資産と負債、資産と費用、フローとストック、所得と支出の不均衡の問題であって単に利益の多寡が問題なのではない。利益や純資産は指標である。経済の問題は相対的な事であり、何と対比するのかが重要なのである。
そして、現金収支と重ね合わせてみると経済の本質が見えてくる。
収益と費用、収益と負債、収益と資産、資産と負債、資産と費用、フローとストック、所得と支出の関係は、付加価値として現れ、そして、これらの関係を水面下で結びつけているのが、減価償却費である。

経済の仕組みの目的は何かというと生産、分配、消費の均衡を保つ事である。根本に人々の生きる為の活動を維持する事にある。この点を正しく理解しないと経済の効用を測る事はできない。
無論、人々が生きていくために必要な資源を調達、生産する事は不可欠である。しかし、無意味に必要以上の財を生産する事は、無駄である。ただ生産すればいいという訳ではない。浪費や無駄は、乱開発や資源の枯渇させる恐れもあり、ゴミや廃棄物による環境破壊も引き起こす。温暖化現象など好例である。
また、資源の争奪や経済の覇権争いは、戦争や内乱の種にもなる。

増税、ゼロ金利、金融緩和も、デフレーションも結果であって原因ではない。裏返しいていえばハイパーインフレーション、バブルも、不況も、財政破綻も結果であって原因ではない。原因は、前提条件や経済の仕組み、構造にある。収益と費用、収益と負債、所得と支出、生産と消費、フローとストックの関係による。
対処療法的な施策では、経済の問題を抜本的に解決する事はできない。

経済や政治の問題は、経済や政治の仕組み、構造に求められる。
民主主義と言うのは、民主主義と言う仕組みである。民主主義と言う思想は、食見や構造によって表現された思想なのである。この点は、資本主義も同様で、資本主義という仕組みが重要なのである。
この点を理解せずに言葉で民主主義や自由主義、資本主義を理解しようとしても無駄な事なのである。


粗利益の基盤は付加価値である。



分配の為の原資は、付加価値に求められる。
付加価値は販売費、及び一般管理費を構成する。
販売費、及び一般管理は、費用の基幹部分をとなる。

付加価値を構成するのは、利益、減価償却費、地代家賃、支払金利、配当、人件費である。
利益と配当、金利、地代家賃は、時間価値を構成する。時間価値を構成する要素には、他に、物価の上昇率、人件費の上昇率などがある。
減価償却費は設備に対する投資からくるものであり、人件費は人に対する投資、金利は「お金」に対する投資に対応している。

費用から減価償却費、繰り延べ勘定や引き当て金を引く事で、費用で実際に現金が支出された部分を明らかにする事ができる。
減価償却費や、繰り延べ勘定、引当金の原資は負債に求められる。
減価償却費や繰り延べ勘定、引当金、払込資本、税引き後利益は内部資金を形成する。
長期借入金の返済原資は、内部資金の余剰部分が当てられる。内部資金が不足してくると外部資金、すなわち、負債や資本に対する依存度が増加する。利益の確保、蓄積する目的は、この内部資金を蓄える事である。

経済的価値は、付加価値にある。経済成長を支えるのは付加価値である。
付加価値とは時間価値である。

付加価値とは、経済活動によって生み出された経済的価値である。

付加価値は、国内総生産を形成する。
需要となるのは、付加価値を構成する要素の割合である。なぜならば付加価値は、分配の基礎となるからである。

GDPでは、付加価値、産出から中間投入を引いた値である。これは、社会全体の粗利益を表している。
ただ、GDPだけに注目しても全体は見えてこない。
GDPの働きを理解する為には、産出額に対する割合、それも金額と数量、それも全体と一人当たりの違いや時系列的変化、中間投入と中間投入の構造的な変化、つまり、中間投入を構成する産業の垂直的、水平的変化を時系列的に追う必要がある。
垂直的変化と言うのは、産業別の構成比の変化、水平的変化とは、産業の構造、製造、流通といって変化の構成の変化を追う事である。

これは、同時に分配や消費の変化を明らかにする事である。
現在の経済の問題点の一つは、付加価値ばかりに特化し、産出や中間投入を軽視する事である。
付加価値は、ストックの大きさに比例して伸縮しようという働きがあり、フローの大きさに制約を受ける性格がある。
ストックとの関係で付加価値の規模が定まり、フローの働きによって構成比率が左右される。
付加価値の働きを明らかにするためには、付加価値を生み出している元であるストックとフローの関係を明らかにする必要がある。

フローにしろ、ストックにせよ、それを生み出し活用しているのは、人である。故に、総人口と人口構成が決定的な働きをしている。この点を理解しておかないとGDPの働きを正しく理解する事はできない。

増収増益、増収減益、減収増益、減収減益、これらの構成によって粗利益、即ち、付加価値の在り様や働きは違ってくるのである。

利益を考える場合、粗利益を基礎として考えているわけではない。収益と利益とを引き比べる事で経営状態を監視しているのである。
同じ事は、一国の経済でもいえる。

付加価値は、損益でいえば、粗利益に相当すると考えてもいい。粗利益の根底にあるのは、売上であり、GDPを付加価値だとすれば、国民経済計算書でいえば産出である。
付加価値の働きを知るためには、根底にある産出との関係を明らかにしておく必要がある。なぜならば、産出は、付加価値の規模と働きを制約しているからである。
現在の経済の問題点の一つは、付加価値ばかりに注目して付加価値の基礎をなす全体、即ち、産出との関係を無視している事である。

経営状態を収益と利益との関係から測るように、本来なら、産出と所得、営業余剰、付加価値の関係からも検討すべきなのである。



全産業の中で製造業が占める割合は大きく80年代前半は、約50%をしめていた。その製造業の出入りが一番大きく全産業の変化を主導している。



金融業界は、リーマンショックが起こる1年前に産出が減少している。


国民経済計算書

行政の生み出す産出は、不動産業と同程度である。


国民経済計算書


付加価値とは


経済を制御する為には、付加価値の規模と動きと構成を調節する必要がある。
付加価値は、付加価値の規模、動き(拡大すているか、現状維持か、縮小しているか)、配分によって働きは定まる。
経済の基盤は、財や人の量に基づく。「お金」は、財と人を関係づける手段である。
一般に「お金」の動きに目を獲られがちだが、経済の基本は、財と人との関係にある。
即ち、人が生きていく上にどれくらいの財が必要かが経済の基盤となるのである。「お金」は、財と人とを関係づける為の手段に過ぎない。
市場における「お金」の効用は、生産の促進、物流と分配の手段にある。「お金」の価値は、働きによって決まるのであり、財と人との関係が基本になければならない。財と人との関係から離れたところで「お金」の量の増減があると経済は制御する事が難しくなる。故に、市場に流通する「お金」の量をいかに制御するかが、経済を制御する為には、不可欠なのである。
「お金」の効用は、「お金」が社会全体を循環する事によって発揮される。翻っていえば、「お金」が循環しなくなれば「お金」の効用は発揮できなくなる。「お金」の量を調整しつついかに「お金」を循環させるかが経済政策の鍵となるのである。
そして、それは付加価値を制御することを意味する。

付加価値を制御する仕組みは、規制によって作られる。

金持ちというが金持ちの概念には、二つある。一つは、資産家、物持ちという考え方である。収入が多い人という意味である。もう一つは、実入りが多い、稼ぎが多いという意味での金持ちである。
よく長者番付というがこの場合の金持ちというのは後者を指して言う。

つまり、豊かさを測る尺度は、所得と資産の二つにあるという事である。所得は、フローを意味し、資産はストックを意味する。
豊かさを測る時、この点が不明瞭である場合が多い。

国民経済計算書でいう付加価値というのは、基本的に所得を指して言う。つまり、付加価値というのは、生産活動によって新たに生み出された価値を言う。
ただ、付加価値の働きは、ストックとフローとを結びつけることにある。
付加価値は、フローとして働くが、付加価値の基盤は、ストックにあるからである。

土地や株といった有形固定資産や金融資産の値上がり益は、基本的に所得には含まれない。
バブルという現象によっていくら地価が値上がりしてもそれは経済成長には、関わらないという事になる。
この点をよくよく理解しないと国民経済計算における付加価値や経済成長の意味は理解できない。

国民総生産というのは、付加価値を言う。国民経済計算書でいう付加価値は、企業会計上でいう付加価値という概念と若干違う。
国民経済計算書では、一定期間の間に、生産活動によって生み出された価値を言う。
それに対して、企業会計上は、付加された価値という事である。営業活動によって付加された価値である。
どこが違うのかというと、企業会計上では、付加価値は、地代・家賃、金利、人件費、利益、減価償却費を言うのに対して、国民経済計算書においては、金利を含まない。
また、土地の売買益を企業会計上は、営業利益に含まれるが、国民会計計算書においては、含まれない。

これは、何をもって経済的価値とするのかに対する一つの思想である。
国民経済計算書では、金融資産や土地などの生産物でない資産(有形非生産資産)は、何ら付加価値を生み出さないと考えられている。利子は、金融資産を借り入れる事によって享受できる何らか便益の対価ではない。
つまり、利息や土地の売買益(キャピタルゲイン)は経済的な価値をもたらさないと考えられているのである。
ただ、この点は、一般の人達にとって違和感を覚えるかもしれない。
要するに、所得というのは、新たに生み出された価値なのである。資産というのは、基本的には消費を目的とした売買ではなくて移転なのである。

付加価値の構成する要素は、分母となる基数を持っている。金利は負債であり、配当は、利益である。減価償却費は固定資産であり、利益は、売上と費用である。税の基数は財政である。これらの構成要素の相互作用によって経済は動いている。

指標は、分母と分子の関係を表している。営業キャッシュフローは、フローを表しているが、そのフローの根底には、ストックがある。

付加価値を分析する場合、絶対数の変化、構成比率の変化。基数との関係が重要な鍵を握る。
例えば、人件費なら人件費総額の変化、人件費率の変化、基数である人口との関係等である。

付加価値のそのものの基数は、売上高である。国民経済統計を下地とするならば、経済全体の売上は、総生産から割り出す。


経済成長は付加価値の拡大を意味している。


国民経済計算書では、付加価値は、雇用者報酬、固定資産減耗、生産・輸入品に課せられる税(控除)補助金、営業余剰・混合所得の四つの要素から構成される。
雇用者報酬は、営業キャッシュフローでは、人件費、即ち、所得に対応し、固定資産減耗は、減価償却費、生産・輸入品に課せられる税(控除)補助金は、税に、営業余剰・混合所得は利益に各々対応している。民間企業の営業キャシュフローはこれらに金利が加味されていてる。

分配局面では、雇用者報酬がほぼ50%を占めている。営業余剰と固定資産減耗が20%、そして、生産・輸入品に課せられる税が10%とを占めている。税は分配されるのは、これだけなく支出の局面でもある。それを考えると雇用者報酬、営業余剰、固定費減耗(投資)、税に2対1対1対1に配分されていると考えていい。




国民経済計算書は付加価値を基礎にして計算される。国民経済計算書でいう、経済成長は、付加価値の増加を指して言う。付加価値を基礎と経済成長を計られる。
故に、国民経済計算書では市場の上面に現れる経済成長をとらえる事はできる。
しかし、市場の表面に現れてこない経済の働きは、表面に現れた経済現象から推測する以外にない。
経済を実際に動かしているのは、資金の動きである。資金を動かしているのは資産と所得の関係であり、また、資金の過不足を調整しているのは、金融である。資金の動き、資産と所得の関係、金融の働きを明らかにしないと経済を操作する事はできない。国民経済計算書の経済指標は、それを前提とした経済指標なのである。
付加価値だけを追っても資産(ストック)の働きは、見えてこない。
肝心な付加価値を生み出している水面下の資金の動き、そして、付加価値を生み出している仕組みが見えないからである。

企業会計において付加価値を構成しているのは、金利、人件費、減価償却費、利益、地代・家賃である。
それに対して国民経済計算書における付加価値は、雇用者報酬、固定資産減耗、経常収支、間接税である。
企業会計上においても国民経済計算書上においても資産の値上がり損益は計算されていないし、国民経済計算書では金利も計算されていない。もう一つ重要なのは、資金の借り入れ貸し出しのような動きも表示されていない。
付加価値は、資金の流れを表していないし、付加価値だけでは資金の流れを直接的に把握する事はできない。

問題なのは、資産の値上げ、値下げ効果が利益や経済にどのような影響を与えているか。長期借入金の返済額と残高の変化が資金の流れにどのように影響をしているのか。金利の経済にどのような働きをしているかを明らかにする必要がある。そのためには、付加価値分析だけでなく、より広範囲の構造分析が必要とされるのである。

経済成長の性格を分析する為には、経済成長を構成する、即ち、付加価値を構成するどの要素がどの様な状態であるかを明らかにする必要がある。
どの様な状態というのは、実数の増減、付加価値に占める要素の比率の変化等を言う。
例えば、利益の実数が上昇しているのか、また、利益が付加価値に占める割合に変化があるかなどである。
付加価値を構成する要素には、利益、所得、減価償却(固定資産減耗)、地代家賃、金利、税などがある。
また、運転資本の動向にも注意を払う必要がある。
これらの要素の実際の伸び、そして、成長構成する要素の強弱が測られる。

経済成長と言っても一律一様ではない。金利、所得、利益、減価償却、地代・家賃、税のどの部分、どの要素が成長を引っ張っているのか。また、一見、拡大しているように見える局面でも、実際は、縮小している場合もある。
その点を見誤らないようにしないと経済施策で決定的な間違いを犯す。
何が、経済成長を引っ張っているかによって採るべき施策は変わってくるからである。

経済を制御する鍵は付加価値をどうするかにある。
付加価値は、付加価値の規模、動き(拡大しているか、現状維持か、縮小しているか)、配分によって働きは定まる。
経済の基盤は、財や人の量に基づく。「お金」は、財と人を関係づける手段である。




成長には限界がある。


経済量は、人口と一人当たりの消費量(単位消費量)と単価の積として求められる。経済の枠組みは、人と物によって作られているのである。そのような枠組みの上に自由主義経済は成り立っている。そして、自由主義経済は、市場経済、貨幣経済によって基礎が構成されている。故に、自由主義経済の経済的現象は、極めて貨幣的な現象と言える。
実質的な経済成長は、人的、物的な制約のもとに成り立っている。それ故に、実質的制約から離れたら経済成長は、名目的な働きによる。

実質的な経済成長には、限界がある。人口や生産量、消費量がある一定の水準に達したら、成長は止まる。人的、物的成長は、止まると割り切れれば方策の立てようもある。しかし、いつまでも自分たちの限界を認めず成長や競争力のみを求めていたら破綻するのは目に見えている。
成長の限界を認めるのは、諦める事を意味するのではない。

経済成長が経済を動かす原動力とするのは、名目的な意味においてである。
経済の実体は、人と物であるから、人も物も有限な存在である限り、人的、物的な意味での経済は、自ずから限界がある。そして、その限界があるから経済は、制御されるのである。
その点、「お金」には限界がない。だからこそ厄介なのである。

経済が限界に達し、人的、物的に制約を受ける様になったら量的成長から質的成長に切り替える事によって成長は持続する事が出来る。経済成長を経済を動かす原動力とするのならば量的成長下に質的成長に転換する事を考えなければならない。

成長を基礎とした経済体制は、満ち足りる事は、悪であり、人々が常に飢え渇く事を追求する。その為には、市場は、修羅場と化すのである。強欲や使い捨てが美徳となり、質素節約は悪徳となる。無秩序に支配され、礼節は失われる。
生活を豊かにするのが目的だったはずなのに、いつの間にか「お金」儲けが目的化している。

付加価値は、ストックの大きさに比例して伸縮しようという働きがあり、フローの大きさに制約を受ける性格がある。ストックの無拡大に比例して不価格は拡大しようとする圧力がかかる。市場規模によってフローには、一定の規模を保とうとする力が働く。この二つの相反する働きによって経済は、均衡を保っている。この均衡が破れると市場は破綻する。

経済成長を促すのは、国内市場が拡大している事と相対的に低賃金である。相対的と言うのは、他国と比べてと言う意味であり。低賃金は相対的な競争力を高めているという点と所得が向上する余地があるという事である。市場の拡大は、人口がふかくかかわっている。
市場が拡大している時は、負債や過去の損失は、成長によって先送りする事が出来るが、市場が縮小している時は、清算を迫られる。
市場経済や貨幣制度は、財の分配を効率化する過程で成立した機構、仕組みである。
分配の仕組みは、生産、分配、消費の一連の過程の中で効用を発揮する。

故に、成長は、発展途上の国にこそ興る。成熟し、市場が飽和している国は、経済成長が停滞する。
経済が成熟した国は、国内の市場の在り方を縮小均衡型の経済構造に切り替える必要がある。つまり、量から質への転換である。

また、経済成長を促すのは、国民の生活水準の向上と市場の拡大に伴う、収益、所得の上昇である。言い換えれば一定の生活水準が実現し、市場の拡大が止まれば経済成長は停滞する。
故に、経済成長が停滞し始めたら、市場の在り方を調節し、量から質へと転換するすべきなのである。つまり、廉価、低級品から高価、高級品への転換である。

世界市場は、均衡を求めるから先進国の所得や物価、収益に対して下方圧力、即ち、付加価値に対する圧縮圧力がかかり。それに対して新興国、途上国には、所得、物価、収益に対して上昇圧力、付加価値に対する拡大圧力がかかる。
生活水準や所得、労働条件、格差などが平準化される事で公平な競争は、実現する。それは、近代スポーツが証明している事である。

先進国は、自分たちが常に優位に立てると思い込んでいる。
先進国が新興国や途上国より競争力を付けようと思うのなら、新興国並みに所得や生活水準を下げるしかない。しかし、それは総所得を下げる事である。

新興国、発展途上国だから経済は成長し、先進国だから停滞する。多くの人がこの点に関して錯覚がある。先進国だから常に経済的に優位にあるわけでも、勝者になれるわけでもない。
仮に成長だけを経済の目標とする国があれば、その国にとって成熟する事は間違いだという事になる。しかし、経済が成熟するという事は、一定の生活水準に達し生活が豊かになったことを意味するのであるから、悪い事であるはずがない。
それを悪いとするのは、豊かさの真の意味を理解していないのである。
要するに満ち足りているから、働く意欲が低下しているのである。経済を成長させるのは、生活水準を高めたいという欲求である。満ち足りれば生活水準を今以上に高めたいという意欲が失われるのは当然の帰結である。
何でもかんでも競わせればいいというのではない。
生活水準を達成する事は、経済を停滞させるから悪いと言うのか。

逆に聞きたい。なぜ安定を求めてはいけないのか。
競争に敗者がいるとしたら、なぜ、全ての人が勝者でなければいけないのか。勝負、競争だけが人生ではない。
今の世の中は、敗者に冷たすぎる。平等とは何か。それは生きる事に平等なのである。一人ひとりの人がその人らしい生き方が出る。それこそが平等なのである。
平等と同等とは違う。

先進国は、豊かさを実現すると貧しさを求める事になる。そして、向上心は貪欲へと変質したのである。

足らざるは貧なり。

苦節は共にできても栄辱は共にできず。

足るを知れば、争う事より、分かち合う事を覚えるべきなのである。それこそが恩恵である。
満ち足りた時こそ礼節を思い出さなければならない。
克己復礼。
満ち足りた時こそ協調と連携、思いやりが大切なのである。争う事、競争だけが全てではない。成長だけが全てではない。
成長に基礎をおき続ける限り、人は貪欲にならざるを得ない。
技術者は、金の爲なら仲間も国も平然と売る。「お金」儲けの爲なら親は、子を捨て。子は親を捨てる。

先進国は、途上国や新興国にも貧しさや貪欲を求める。しかし、イスラム教国は、信仰に従って生きようとする。中東の紛争の原因がそこにある。

先進国は、自分たちの価値観を新興国や途上国に押し付けようとするが、それは先進国のエゴである。

古来、創業の時と守成の時は見極めていた。現代人はその見極めもできないのに、歴史を侮る。恥を忘れたのである。

人は神の力を得たと思いあがっている。よしんば神の力を得たとしても神のこころを得なければ、自分が手にした力によって身を亡ぼす事になる。怖れを知らぬ者は、愚かである。

成長は、経済の一局面に過ぎない。飛行機、一定の高度に達すれば平行飛行に移る。いつまでも上昇し続けるなんてできない。一定の高度で飛行する距離の方が長いのである。そして、目的地が近づけば高度を下げて一旦着陸する。目的地もわからずに飛行するなど狂気の沙汰である。


費用には費用の働きがある


費用や負債、損失は悪で、資産や資本、収益、利益は善であるという思い込みがある。しかし、費用、負債、損失、資産、資本、収益、利益は是非善悪を表しているわけではなく、働きである。この点を正しく認識しておかないと重大な過ちを犯す。

費用は突き詰めると人件費に要約される。人件費は、費用、労働の対価と言う働き以外に所得、生活費、評価・報酬、支出の原資という性格も持つ。故に、属人的働きがある事を考慮に入れる必要がある。

費用は、付加価値の元である。費用を否定したら付加価値は、限りなく圧縮され、最期には消滅してしまう。
単純に人件費を費用を一律ににとらえ、均一なものとして規定したら、人件費の持つ属人的性格は、失われる。属人的性格と言うのは、その人その人固有の年齢、能力、経験、技能、資格、家族、意欲、障害、欠点と言った事柄である。これらの属人的要素を削ぎ落としたら時間しか残らなくなる。

また、生産効率ばかりを求めたら、分配や消費、支出と言う経済が出現する部分が失われてしまう事になる。それは、経済の仕組みで最も重要な部分が欠落することを意味する。
経済は、生産だけが目的ではない。経済は、生産と分配、消費の均衡を保つ事が一番の目的なのである。

経済の仕組みの役割は、分配にあるという点を忘れてはならない。費用と収益、所得と支出、負債と資産の均衡によって経済は成り立っているのである。費用や支出、負債を削減し、圧縮すれば、対極にある収益や所得、資産も縮小していくのである。
そして、分配の要は費用である事を忘れてはならない。費用を悪者扱いしていたら確実に分配は機能しなくなっていくのである。
経済の目的は、低価格を実現する事にあるわけではない。

ただ生産性や生産効率ばかりを追求すると分配や消費が疎かになる。

日本経済が陥った罠がそこにある。総合電機産業がたどった軌跡は、日本経済の現状を象徴している。
成長こそ豊かさだと錯覚したのである。それは満ち足りる事を悪だとするような事である。常に、自分達を飢餓状態に置き、只管に成長を求める。それは餓鬼道である。
総合電機業界は、市場が成熟し、過飽和状態に陥った時、低賃金の新興国から競争を仕掛けられ、新興国の市場で敗退していった。その後、総合電機業界が陥ったのは餓鬼道である。新しい市場を求めて利権を貪り食らう。
その間に、情報通信に技術革新が置きり、インターネットとと言う新たな市場が広がったのである。
成長市場を見誤ったのである。同時に電力の自由化、通信の自由化によって電力業界、通信業界の投資が大幅に減少し、その為に、確実な投資先、資金源を失った。それが総合電機業界の収益力を確実に奪っていたのである。

また、総合電機業界が苦境に陥ったのは、成長戦略が大成功した事に起因すると吉本佳生は指摘している。つまり、成長が急であり、かつ、徹底していた。その反動によって薄型テレビの勝ち組のシャープ、パナソニック、東芝が苦境に陥り、シャープは、台湾の企業に譲渡され、東芝は白物家電を中国の企業に経営を譲渡せざるを得なくなったのである。規模の経済が裏目に出た例としている。成長や規模の拡大が常にいい結果を招くわけではない。
また、吉本佳生は、技術革新がデフレーションの原因でもあると指摘している。(「これから誰に売れば儲かるのか」吉本佳生著 幻冬舎)

易には、不易、変易、簡易の三義がある。変わる処と変わらない処、その根底にある原理は簡易である。
経済は、変化する処と不変な処があり、その関係は、単純である。変化する処は、フローとして現れ、変化しないところはストックとして現れる。その関係は比率である。

今の経済学は、部分を切り取って普遍化する傾向がある。需給を問題とする時は、消耗品のみを前提とし、市場の状況は、常に成長段階を基準としている。しかし、市場は、消耗品のみで成り立っているわけではないし、成長段階ばかりではない。
市場は、一つではなく、一律一様でもない。個々の市場は繋がっており、所得や価格を平準化しようという力が働いている。
成熟した市場もあれば成長発展段階の市場もある。それも、単に、商品によって違うだけでなく。国によって部門によっても違ってくる。

成長を基盤とした産業は、景気の変動が原動力となる。景気の変動は、常に、均衡へと収束していく。成長のみを経済の原動力としていたら、市場の活力は失われていく。成長が止まっても競争をする事はできる。縮小均衡の市場では、ルールに則った競争こそが市場の活力になるのである。

経済でも経営でも一番肝心なところは外生変数なのである。内部に力、自分たちの力では変えられない要因なのである。だからこそ、金融や行政の経済政策が求められ。市場構造を変革する必要があるのである。


市場とは。市場の働き



四つの事が近代を象徴している。第一に科学。第二に、民主主義。第三に、近代会計制度。即ち、複式簿記。第四に近代スポーツである。

この四つの事に共通しているのは、第一に空間を設定している事。空間は、範囲が制限され、場が設定されている。第二に、数値主義。第三に、法治主義。第四に、時間に制約されている事。第五に、制度や仕組みと言った機構を持つ事。第六に、合理主義。基本に論理手続き、アルゴリズムが定められている。第七に、相対主義。第八に前提主義である。前提主義は、前提条件によって結果が制約を受ける。第九に、契約主義である。契約とは合意に基づく。つまり、了解可能性の上に成り立っている。第十に、仮定主義である。近代的論理は、仮定の上に成り立ており。それ故に、絶対的ではない。それが相対主義の根拠である。形而上的事柄は、ひとまず棚の上におい信用を土台として成り立つ。それが契約主義であり、仮定主義である。

この四つの事の延長線上に近代経済も成り立っている。近代経済は、市場経済と貨幣経済を基礎としている。

市場は人為的空間である。この点だけは忘れてはならない。物理的空間の様に所与の空間ではない。故に、市場において絶対的存在はなく。また、必要としていない。

市場にあるのは、絶対者ではなく。法であり、空間であり、機構であり、論理である。その前提が合意である。それが構造である。
一チームでは試合はできない。二チームでは、リーグが組めない。百チームでは多すぎる。
市場は、市場を成り立たせている仕組みがある。

市場は、絶対的な意思の上に成り立っているわけではない。
唯一絶対な存在は、神と自己だけである。自己は内的主体、神は、外的実在であり外的空間である。独占とは、神への挑戦、冒涜である。

自由主義経済は、市場経済だと当たり前のように考えられ、何かというと市場、市場といい。競争が市場の原理だと決めつけている。そして、規制が諸悪の根源だとして規制を目の仇にしている。
しかし、市場は、人為的な場であり、自然に出来上がる場、成る場ではない。
故に、市場の原理と言っても人間の決めた取り決めであり、自然法則と同列に扱えるものではない。
取り決めとは、合意に基づく事であり、決め事、掟、規則、法や制度などを言う。つまり、規制である。故に頭から規制を否定したら市場は成り立たなくなる。
また、競争は、競争であり、闘争ではない。何らかのルールに基づいて成り立っている。そのルールも規制である。良い規制、悪い規制の別はあっても規制そのものを悪だとされたら競争そのものが成り立たなくなる。

市場経済もこの八つの原則によって成り立っている。

自由主義経済は、市場を根底として成り立っている。市場を前提として我々の経済は成り立っているとしながら、市場とは何かを正しく認識しているかと言うと漠然と取引の場とか、所謂、魚市場などを思い浮かべる程度で、市場の役割を明確に認識している人は少ない。

市場は、分配の手段である。分配の手段には、市場以外に組織がある。そして、組織的分配を基礎とした体制が統制経済であり、市場による分配を基礎とした体制を市場経済である。ただ、全く組織だけで分配をする体制もまた、市場だけで分配をする体制もない。一般に組織的分配と市場的分配は、混在している。
それは、組織的分配にも、市場的分配にも各々限界や制約があり、それによって働きの性格にも差が生じるからである。

また、市場経済と計画経済を背反的なもののようにとらえている人がいるがこれは間違いである。市場経済と計画経済は、対立した概念ではなく、補完的な概念である。計画とは、計画であって予定でしかなく。計画的に市場を操作するのも計画経済の一種である。ただし、計画を直接的に統制の手段として用いると市場の機能を阻害する事で市場経済と背反的な関係になる場合がある。

組織は、道徳的な空間を構成し、市場は、非道徳な空間を構成する。
組織は、共同体を構成し、市場は共同体の外を形成する。
組織は、経済主体の基礎となる。

決定的なのは、組織的分配は、「お金」を循環させない点である。故に、組織だけでは貨幣経済を部分的にしか機能しない。「お金」を循環させるためには、市場が必要なのである。

市場による分配は、需給に基づく。それに対して組織的分配は、評価に基づく。

市場経済が成り立つ要因の一つに組織の限界、特に規模の限界がある。組織は、第一に、自己増殖する傾向がある。自己増殖する過程で不必要な仕事も増加する。つまり、無理、無駄、むらが生じる。第二に、組織は、組織を維持する為に必要な仕事(管理)がある。第三に、組織は情報系であり、組織の規模の拡大に伴って組織の伝達距離が拡大する。意思決定の速度が落ちる。第四に、規模が拡大すると起動力が低下する。第五に、内部処理に追われて、外部の環境や状況の変化に鈍感になる。これらの要因が複合的に重なると組織が一定の規模を超えると著しく効率が低下する。

故に、複数の経済主体に競わせることで相互牽制を働かせ、組織に自律性をもたせた方が経済効率がいい。それが市場を必要とする要因の一つである。
独占的、独裁的になると相互牽制が効かなくなり、自浄作用も働かなくなる。
独裁的権力は腐敗する。

所得の分配は、組織的分配の方が効率がいい。なぜならば、組織的分配は、恣意的なものだからである。

今日、規制緩和が叫ばれている。規制緩和をすれば万事うまくいく。規制緩和は、万能薬であるように喧伝している。
確かに、時代や環境に適合しなくなった規制は、経済の仕組みにとって不要な負荷をかけ、障害となる。だからといって何が何でも規制を緩和しろと言うのは乱暴である。それに、規制緩和・規制緩和と言いながら、自分たちの都合が悪いところには、しっかりと規制をかけている。
規制と言うのは、複合的、構造的なものであり、部分を変更しても全体に影響を及ぼす。だからこそ規制はどのような目的で、どの様な効果を狙って、何を規制したかが重要なのである。規制は合目的的な事である。
だから、何が何でも規制しろと言うのも問題である。つまり、規制の在り様そのものが市場の働きとなるのである。

規制緩和にも功罪がある。規制緩和の功の方は、第一に、競争を促進する。第二に、仕事を効率的にする。第三に、価格を低下させる。第四に、技術革新を促す。第五に、相互牽制を促す。第六に、現状を変革し、再構築する等である。
それに対して、罪の方は、第一に、安定を乱す。第二に、仕事を減らす。第三に、収益を悪化させる。第四に、既存の技術の継承が難しくなる。第五に連携、協調が失われる。第六に、現状維持が難しくなり、確実性が失われる。長期的展望が立てにくくなる。
規制緩和にも功罪があり、市場の状況や前提に合わせて、規制の何をどの様に変更するかが、鍵となるのである。

無原則に規制を緩和すれば経済は、万事行くという訳でもなく。また、不景気なのは、規制があるからだとするのも短絡的である。
規制を緩和するにせよ、強化するにせよ、産業や市場の構造、置かれている状態や発展段階等を鑑み、其々の産業や市場の状況に適したものにするように計るべきなのである。
市場が荒廃し、規律が失われている時に闇雲に規制を緩和し、競争を促すのは、瀕死の病人に全力疾走を科すような事になりかねない。逆に規制によっがんじが攻めになっている市場は、規制を緩和して競争や技術革新を促すべきなのである。
ただその場合も何を競わせるべきかを明らかにしておく必要がある。

エネルギー、通信、交通等、社会資本を形成するインフラストラクチャー関連産業の様に、巨額な初期投資を必要とする産業は安易に規制を緩和すると償却費が大きい分、乱売合戦に陥り易く、投資資金を回収する事が困難になり、構造不況業種に堕する危険性が高い。一度構造不況業種に堕すると再建するのが困難になり、あるいは時間がかかる。
ライフラインを担うインフラストラクチャー産業は、国策によって保護すべき対象である。

特に、バブル崩壊以後、景気がよくならないのは、収益の低下があるからである。収益の低下の主たる原因は、過当競争による価格の低下である。過当競争を引き起こさないために、規制はある。その規制をなくせば自ずと過当競争になる。規制がなくなれば、着地点が見いだせなくなり、泥沼化する。競争から生存闘争に変質し、市場は、修羅場、戦場となる。取引の基準が道徳や倫理ではなく価格に取って代わられる。

先ず収益力を回復し、収益から投資資金を返済できるようにする事が大切なのである。

規制を緩和して投資資金の出口を閉めておいて金利をゼロにし、金融緩和で資金をジャブジャブに供給している。それが、現在の市場の状態なのである。いつ破裂してもおかしくない。

現在日本経済の低迷は、市場の変化に産業が追い付けない、あるいは、産業構造が適応していない事に起因している。
市場は、有限な空間である。経済成長が一定の水準に達すると市場は飽和状態になる。一旦、臨界点を超え飽和状態に至ると市場の性格は変わる。市場が固定的になったり、流動的になったり相転移するのである。
また、成長には、段階がある。創生段階、成長段階、成熟段階、衰退段階と段階があり、段階によって市場の構造も変化する。例えば、乱立、過当競争から、寡占、独占といった様に段階に応じて市場の様相も変化する。
また、投資、償却、再投資と言うように投資にも周期がある。
また、消費者の必要性、嗜好、欲求も変化していく。生活水準や家庭の事情なども変質する。

万物流転する。物事は絶えず変化し続けている。何事も諸行無常である。
変易、不易、易簡である。変化は世の常である。変化は、運動を生む。変化で重要な要素は、位置と運動と関係である。
経済的運動は時間の経過とともに、経済的対象が経済的空間的の位置を移動、変える事である。

市場の変化には、組織が深く関わっている。組織の変質は、産業構造を根本から変革してしまう。

現在、キャッシュレス化が進み、貨幣は、増々物から情報へと様相を転化しつつある。ものから情報化するという事は、「お金」の本質が働きに純化されていくことを意味する。つまり、情報化時代がますます先鋭化し、情報によって市場どころか、生活全般が支配されつつある。これは、インターネットワークによってより現実的な変化として顕在化している。
この様な情報化がもたらす決定的な変化の一つが、垂直的な体制から水平的な体制への変革である。
これは、組織の持つ特性をも変化させつつある。従来の組織が、権力を頂点としたヒエラルキー構造だったのが、階層を持たない水平的ネットワーク構造にとって代わられつつあることである。そして、この変化は、従来の組織の持つ限界を超えようとしている。
反面、ネットワークは、独自の規律を持ち中央制御が働きにくくなるという性格がある。ただ、市場とネットワークの親和性は高いと考えられる。

この様な変化は、それまで生産を主軸としていた経済構造が、分配や消費へと主軸が移りつつあることを示している。それは、大量生産型経済、一律化から多品種少量型、多様化へと質的な変化を促している。
日本の経済は、このような流れに対して逆行している。それが経済の停滞を招いているのである。

市場が成熟して来たら、速くて安いではなく。時間がかかって高くても個人個人の要求を満たすものに変化すべきなのである。

市場は場である。市場には、所得や物価を均衡させようという力が働いている。それが成熟した経済の市場と新興市場との間に緊張関係を生む。日本やアメリカの様に一人当たりの総所得が高い国は、所得や物価にたいして下降圧力を受け、中国のように成長過程にあって一人当たりの総所得が相対的に低い国は、一定の水準に達するまで上昇圧力を受ける。

市場にはいろいろな力が働いている。その力がどの産業、或いはどの部分にどの様に働いているかを見極める事である。
個々の産業、個々の企業は、何に影響を受けるのか。為替の変動に敏感に反応する産業もあれば、直接、影響を受けない産業もある。原油価格の高騰の影響を受ける産業や企業もあればほとんど影響を受けない産業や企業もある。公共投資、財政の影響、天候、流行、景気の影響を受ける産業や企業もある。
又、周期性の変動の影響を受ける産業もあれば、一年通じて一定の成績を上げる企業もある。周期にも季節変動、財のライフサイクル等一律ではない
経済政策は、金融政策や財政政策に偏らず。産業の性格や構造に応じ、市場環境の変化や前提の偏向に合わせてきめ細かく実施する必要がある。

プロスポーツの仕組みは、一つの方向性を示していると思う。プロスポーツにも、いろいろある。ゴルフ、テニス、サッカー、野球、アメリカンフットボール等。私は、アメリカンフットボールの方向こそ未来の経済の仕組みを示しているように思える。

経済には仕組みがある。



かつて日本経済の花形だった総合電機業界の惨状は、目を覆うばかりである。一企業だけが業績が悪いのではなく。業界全体の業績が悪化しているのは、業過内部では改善できない外生的要因が働いている証拠である。

総合電機業界や通信業界、電力業界は、巨額な設備投資を恒常的に必要とされる。
電力業界や通信業界からの投資によって総合電機業界は、安定的な収益を確保していた。それが電力、通信の自由化によって失われたのである。
要は、自由化によって得られるメリット・デメリットと自由化をしない事によるメリット・デメリットをきちんと検証しているかの問題である。

電気料金、電話料金が割高なのは、隠れた税だとする意見もある。しかし、電気料金や電話料金が下がってもその分税金が上がり、しかも、財政を悪化させ、総合電機業界を衰退させたら意味がない。要は、民間企業が負担しなければ政府が負担する事になるからである。その結果、財政は限りなく赤字になる。
今の日本のマスコミや評論家、知識人は、どこがどうして悪いのかを明らかにしないで、悪いと決めつける傾向がある。それは、自分が悪いと言ってるから悪いとしているようなものである。
電力業界、通信業界の設備投資が総合電機業界に安定した資金を供給している事のどこが悪いのか。
電力業界や通信業界がグループ企業に対して安定的な資金を設備投資によって供給し、それによって家電業界で革新的な技術を開発する。同時に雇用の安定をはかり。また、労働条件を向上させる。
その為に、電話料金や通信料金が他国より割高になったとして、そのどこが悪いのか。何がいけないのか、その理由を説明する必要がある。
忘れてはならないのは、個々の単価の問題ではなく、資金の配分の問題であり、費用の適正さの問題である。
費用の本質は、人件費であり、人件費は、所得であり、生活費であり、労働の対価、報酬であり、評価であり、支出の原資である事を忘れてはならない。そして、支出は、収益の源泉でもあり、支出と収益が結びついた時、資金は循環する。この事を理解しないで費用を削減したら分配と言う機能が働かなくなるのである。それは、経済が破綻する事を意味する。
多くの経営者や評論家は、頭から費用は無駄であり、悪い事、だから費用は削減しなければならないとまた決めつけている。
費用は何が何でも削減しなければならないというのではなく、資金の配分の妥当性、整合性の問題である。
自由化の目的は何か。技術革新を促す事なのか、産業の効率を上げる為なのか、競争力を作る事なのか、費用の削減、価格を下げる事なのか。自由化の利点、欠点をより明確にする必要がある。また、結果に対する検証もしなければならない。
自由化を促進するなら自由化の功罪を明らかにする必要がある。
電力業界や通信業界の投資に甘えて総合電機業界が技術革新を怠ったというが、それでも、総合電機業界が成り立たなくなる事よりはましである。それに、なにも自由化しなくても技術革新を促すような施策はとれたはずである。
経済が成熟した時に、無原則な規制緩和をする事は、瀕死な重病人に全力疾走をさせるような事である。先ず体力を取り戻す事、体力を付けさせる事を優先すべきなのである。

金融政策、財政政策だけで景気が制御できると考えるのは、浅はかである。一番肝心な市場が無策に放置されているからである。金融政策、財政政策にだけ頼るから金融と財政と市場の不均衡は拡大するのである。

経済の目的は、低価で大量に生産する事にあるわけではなく。必要な量を生産あるいは、調達してそれを必要とする者に必要なだけ分配する事にある。その手段が「お金」であるから、予め、「お金」を配分しておく必要がある。経済の問題は、いかに、「お金」を公平に分配するかにある。「お金」を分配する過程で併せて必要な資源を生産、あるいは調達するのである。故に、取引は、反対給付を前提として双方向の働でなければならないのである。
そして、結果として経済の働きは、「お金」の流れを生む事になり、「お金」の流れを制御する事によって経済の動きを調節するのが貨幣経済なのである。そして、経常的な資金の流れが、付加価値を形成し、所謂、営業キャッシュフローと見なされる部分を構成するのである。
問題は、費用の働きである。費用をなくせというのは、費用の働きを無視した暴論である。
費用には、費用の働きがあり、負債には、負債の働きがあるのである。

電気料金や、電信料金は、単純に他国と比較しても仕方がない。その国において電力業界や通信業界がどのような働きをしているかを見極める必要がある。電気料金や電話料金は、単に価格と言うだけでなく、所得であり、投資の反映であり、税の資金源でもある。費用は悪だから削れという論理は余りに短絡的であり、教条主義的である。

再投資のための費用や研究・開発のための費用を料金の中に含めていいか悪いかは、その国の国策の問題であり、経済に対する考え方の問題である。
市場は、人為的に作られた空間であり、仕組みである。そこで働く法則は、人為的に取り決められた規則であって自然空間のような所与の法則ではない。任意な事である。
国家が市場に介入するのは、必然的な事であって悪い事ではない。むしろ、国家の介入を否定するのは、何らかの悪意が働いていると思われても仕方がない。
市場を動かしているのは、神ではなく、人である。市場が正常に機能しなくなるのは、神が悪いからではなく、人に原因があるのである。
そして、市場は価格だけが全てではない。経済は仕組みによって動いている。表面に現れている価格は、結果である。価格を構成する仕組みにこそ働きがある。価格だけを見たら働きを理解する事はできない。分配の働きは費用にある。費用の働きを明らかにせずに費用を削減すれば適正な分配は失われる。費用は、原材料だけを意味するのではない。むしろ費用の中で決定的な働きをしているのは付加価値である。

電気料金、電話料金が下がっても、その為に、所得や収益が減少し、投資が削減され、総合電機産業が立ち行かなくなるのは、角を矯めて牛を殺す様な事である。
経済と言うの仕組みであって仕組みの中でどのような働きをしているかによって価格は、決まってくる。
仕組みが根本から違う国と価格だけを比較しても意味がない。それに他国との価格差は、為替の変動を加味しなければ評価する事が出来ない。

何のための自由化、何のための規制緩和か、ただ、電力業界、通信業界、総合電機業界にもうけさせるのは面白くないというだけの理由ならば、自由化や規制緩和は、かえって弊害が多い。
総合電機業界が電力や通信事業から安定した財源を確保できていてそれが、家電や情報機器の開発や研究のための財源となっていて何が悪いのか。それは、その国の国家戦略に求めるべき事である。

通信は、次世代を担う中核的産業である。2019年2月16日付の日経新聞で日本の高速固定通信の速度が2017年の7位から18年は23位と急速に転落していることが明らかになったと報じられている。

電力業界、通信業界、総合電機産業、更にエネルギー業界をどの様にしたいのか。これらの産業をどの様に位置づけるのか、国家構想があってはじめて語れる。電力、通信、総合電機会社、エネルギー業界の盛衰は国家の存亡にもかかわる問題である。価格、視点を変えれば費用にも、所得にもなるのである。単に安ければいいというのは、価格の働きの一面しかとらえていない。

反体制主義者は何かというと大企業優先と言うが、大企業を優先する事のどこが悪いかを明らかにしない。弱者切り捨ては感情論に過ぎない。中核となる企業があって中小企業も成り立つのであり、状況によっては、大企業を優先すべき時もある。無論、逆に中小企業を優先すべき時もある。ケース・バイ・ケースである。

確かに、個々個別の理由や原因がある事はあるが、総合電機業界全体が行き詰まった原因は、個別の問題としてだけとらえるには、余りにも影響が深刻で大きすぎる。国家の存亡にすらかかわる問題だからである。
もっと言えば世界経済の潜在的リスクにもなりうる。

何のために、自由化をし、規制を緩和するのか。大企業に利益をもたらす事は悪いと決めつけのなら、それは、思想の問題であって経済の効用とは別の問題である。特定の勢力による富の独占や格差が生じるとしたらそれは報酬の問題である。それもまた思想の問題である。所得の再配分によって是正する事もできる。
根本の国家理念こそ問題とすべきなのである。


法人企業統計

経済は、仕組みによって動いている。経済の仕組みは、自然に成ったものではなく。人為的に作られた事である。
経済の仕組みは、思想によって生み出される。経済の仕組みを構成するのは、法と制度と規制である。
現在の資本主義や科学は絶対神を欧米人によって作り出された。一神教徒でない日本人は、市場を支配する原理は、人知を超えた絶対的な存在である神に依っるとするのが英米の基本的考え方である。故に、コモンローを原則とする。それに対して、ヨーロッパは、神の定めた摂理に基づくとする。故に、シヴィル・ローを原則とする。現代社会を支配する原理を無為自然だとしている。これも思想である。欧米人は、基本的に無神論ではない。しかし、日本人は、近代社会は、無神論だと決めつけ、無為自然を暗黙的原理としている。
科学や経済の仕組みは、人為的な事ではなく。天然自然なものであり、作為を排除すれば理想的な状態に均衡するというのは、日本人固有の考え方だという事を日本人は自覚すべきである。
私は、市場の仕組みは人為的な構造物であり、無作為に成立したものでは似ないと考える。
市場は、人工的な仕組み、構造物である。
集権主義的な仕組みにするのか、分権主義的な仕組みにするのか、それこそ、無政府主義的な仕組みをとるのか、これらは思想に基づく。民主主義的な手続きにするのか、独裁的な手続きにするのか、組織に基づく分配をするのか、市場に基づく分配を核とするのか、婚姻制度をどうするのか、家督を誰に譲るか、権威を重んじるか、権力に重きを置くか、法治主義か人治主義か、これらも思想に基づくのである。
故に、思想、哲学とは生々しい現実に根ざしていなければ意味がない。

現実の思想や哲学は、仕組みや制度として現れる。国や企業は、根本に思想がなければ統制できない。だからこそ政治が機能するのである。日本人は、妙な思想がある。思想と言うより日本人以外から見ると信仰のようなものである。それは、根本的に無為自然である。これは、農耕民族である日本人は、自然の成り行きに任せる以外に解決策が見いだせないという前提があるからである。日本以外では、逆に作為がなければ統制がとれなくなる。作為とは、人の意志である。

何の規制もしなければ、価格は、仕入原価や追加費用に限りなく近づく。価格が、仕入原価や追加費用に収斂する事は、付加価値が圧縮されることを意味し、再投資費用や開発費用が失われていく事になる。それでなくとも先進国は、新興国や途上国から下方圧力を受けている。

市場政策は、何を競わせるかによって決まる。単純に価格に収斂させてしまえば、付加価値は、圧縮され、分配が機能しなくなる。品質を競わせるのか、デザイン、性能を競わせるか。これから、温暖化や高齢化、資源問題が喫緊の課題となる事が明らかならば、温暖化や高齢化、省エネルギーに適した市場構造にする必要がある。規制が悪いのではない。規制の対象が問題なのである。本来規制は合目的的な事であるからである。目的が不明確だったり、目的を達成したり、目的が環境に不適合だったり、環境や前提条件の変化によって目的の意味がなくなったりした場合、規制がかえって市場の障害になる場合が多い。その場合は、目的を見直して規制を改定すべきなのである。

何が悪いのか、どこが悪いのかを明らかにしないで悪いから悪いとするのは、単なる感情論である。競争は手段であって原理ではない。目的や前提条件によって競争の働きも違ってくる。何がどう悪いのか、改めるべきなのかを明確にする事が先決なのである。何事にも長所欠点はある。
単純に規制は悪いと規制そのものを否定するのは、無為自然と言う思想に基づく。何もしなければ、万事よくいくとするのは楽天的すぎる。

収益は価値の創造、費用は分配、資産は資金を担保する。負債と資本は、資金の調達と言う働きが各々ある。

費用の役割は分配である。その費用の役割を無視して、費用は無駄だと決めつけるのはどうかしている。
どこがどうして悪いのか、はっきりさせないで悪いから悪いと決めつけるのは、独善的である。

費用は、所得や投資に配分される。費用には、短期的働き
問題は、費用構造であり、費用構造の中にいかにその国の産業構造を組み込むかにある。費用は、仕入原価だけでできているわけではなく。売上から仕入原価を引いた値、即ち、売上総利益は、付加価値の基礎となる値であって、付加価値そのものではない。
儲け、即ち、利益は指標であって目的ではない。

資金をどの様に配分する仕組みにするかは、国家理念であり、国策によって決まる。自然に成る事ではなく。成り行きに任せたら、国家の目的は、実現できない。どの部門がどのような役割を担うのか。個々の部門が何に対して消費し、あるいは投資するのか。それは、国家理念に基づく事である。そして、それは費用構造によって作られるのである。

また、費用の本質は人件費である。人件費は、所得や支出でもある。つまり、費用が産業と家計の外枠を決めるのである。所得の配分が財の配分を決めるのである。

日本経済が陥った罠は、高度成長を実現した事に起因するのかもしれない。経済が成熟し、生活水準が向上した事で新興国からの追い上げにあい、更に自らの驕りによって、新興国に学ぼうとしなかった。要するに甘く見たのである。自業自得と言われても仕方がない。

現在進行している情報通信革命は、その背後に各国の国家戦略、国策が見え隠れする。それが当然な事だと受け止めなければ、経済の実相など見えてこない。
米中関係も理解できない。経済戦略など立てようがない。

経済は「お金」儲けが目的ではない。また、生産にのみ特化しているわけではない。経済は生活に必要な資源を調達、あるいは、生産し、それを分配する事が目的なのである。
分配の手段として「お金」があり。「お金」をいかに効率よく分配するかが重要なのである。
そして、「お金」の分配は、経済的効果を伴う必要がある。だからこそ、何らかの経済的の効用に対する対価として「お金」は配られるのである。経済的効果を上げるためには、対象は生産手段である必要がある。生産手段として最も一般的なのは、労働と設備である。
つまり、雇用を創出するかも経済の仕組みには求められるのである。
この点を忘れて生産効率ばかり追求すると経済の仕組みは機能しなくなる。

経済効率は、生産効率だけではなく、分配効率や消費効率もあり、生産効率と同じくらい重要なのである。環境問題や温暖化対策、資源、エネルギー問題などを考える場合、分配効率や消費効率の重要性がますます重要となる。そして、生産効率と分配効率、消費効率の均衡をいかにとるかが最終的課題である。
経済は、「お金」によって動かされている。だからと言って「お金」儲けという利己的動機だけで経済は成り立っているわけではない。経済は、やはり、人や世の中の為に役に立ってこそ意義がある。現代人は、「お金」に動かされているかにこそ「お金」本来の効用を見失い。「お金」の大切さも理解していないのである。

経済は、人を生かす事が目的なのである。経済は、生きる為の活動であり、生きるためには、自分が生かされている事を自覚し、人を生かす事を考えないと生きられなくなるのである。その原点を忘れると「お金」本来の働きを理解する事はできない。
「お金」は、分配のための道具、手段なのである。



経済破綻の意味するのは


倒産件数は、第一次石油危機を契機に上昇し段二次石油危機以後横ばいした後、プラザ合意後バブル崩壊まで減少している。
そして、バブル崩壊後また上昇している。
問題は、バブル崩壊後の負債額である。桁違いに上昇し、特に、2000年に大きく頂点を迎え、以後減少へと向かっている。


東京医商工リサーチ

バブル崩壊後急速に負債額が上昇したのは、一件当たりの負債額が上昇、大型倒産が増えった結果である。一件当たりの負債額増えたのは、多くの金融機関が含まれているからである。
1997年北海道拓殖銀行、山一証券、三洋証券、日産生命、1998年日本長期信用銀行、日本債権銀行、1998年東邦生命、2000年、千代田生命、第百生命、共栄生命、大正生命、2001年東京生命、2008年大和生命など金融機関の大型倒産が続いた。これらは、バブルの生産と言う形で金融機関に皺寄せが来たと言える。

1980年から1990年までに倒産した上場会社は、14件だったのに対し、1991年はバブル崩壊後、失われた空白の十年間に倒産した上場会社は、64件。リーマンショックを破綻だ2001年から2010年に倒産した上場会社は、148件と激増した。(「AI技術による倒産予知モデル×企業格付け」白田桂子著 税務経理協会)

不良債権処理は一段落ついたと言われているが、忘れてはならないのは、わが国最大の不良債権は国債だという事である。

バブル崩壊後、市場や産業構造が大きく変質したのである。この点をよく理解しておかないと10年、20年、30年の空白の意味が理解できない。

インターネットの発達は、市場構造、産業構造を劇的に変質させた。経済の軸足が生産部門から、流通、分配、そして、消費サイドに移ってきたのである。それは、市場が情報化される過程で経済の仕組みがそれまでのピラミッド型の組織から、水平的なネットワークを基盤とした仕組みへと変革されてきたのである。

それは、独立した主体によって形成されてきた市場が、ネットワークによって作られた全体を構成する部分へと企業を変質させた。それは、統制的で閉ざされた組織から、機能化され解放された組織へと否応なく変革しなければ生存する事さえ許されなくなりつつある。

そして、それは、生産主体の産業構造が情報主体の産業構造へと転換させ。生産から分配、消費へと主軸を移しつつある。今日はその過程にある。
現在の経済変動は、生産部門によるのではなく、分配部門、物流による変化が生産部門の構造や性格を変革しているというところに特徴がある。

現在進行してい変革は、経済を構成する部門の働にも影響及ぼし、市場全体に歪みを生み出しているのである。
この部門間の歪は、市場全体の構造にまで影響を与え、最悪の場合は、市場そのものまで破壊しかねない状態に至っている。
そのストレス、負荷が一番かかっているのが金融機関である。その結果、バブル崩壊後、金融業界は、再編成を余儀なくされかつての都市銀行は、4つのメガバンクグループに集約された。

バブル崩壊後の産業、市場構造の変化を見ると現在の経済の仕組みの地殻変動が透けて見える。
第一に、石油を核としたエネルギー産業の自由化に基づく再編と集約化である。次に、エネルギー業界と密接に関連して電力、通信の自由化、総合家電業界の集約である。国鉄解体による交通業界の民営化と再編。そして、金融業界の自由化と再編。これらは、国家のインフラストラクチャーを構成する産業である。これらの動きの裏で自動車業界の再編、バブル崩壊後の建設業界の再編も動き出している。
また、インターネットは、決済の仕組みをも変革しようとしている。インタネット決済やキャッシュレス化は、金融の在り方そのものまで変質させかねない。
つまり、日本経済の骨格が変革されようとしている。それが明確な戦略や展望があって為されているのならば、先の見通しが立つが、目先の経済状態に振り回されているのが現状であり。後々深刻な問題を引き起こしかねない事が憂慮される。
問題は、経済の質的変化が雇用や仕事の性格、在り方まで変貌させてきている事である。
それまで、生産部門が担ってきた雇用形態が産業構造の質的変化に伴って変貌している事である。生産の効率化は、省人化、人員削減につながり、反面で、情報産業が雇用を創出するのに限界があるという事である。元々、情報産業は産業の効率化を背景にして成長してきたと言える。特殊能力や知的能力が優れている者と特技を持たない平凡な者との格差が拡大したら経済は、成り立たなくなる。雇用は現実なのである。

肝心なのは、いかにして雇用、即ち、社会に有用な仕事を生み出すかである。求められている仕事は、効率化から離れた高品質な仕事、人間的な仕事である事は間違いない。それも経験によって技能が向上する仕事である。
仕事の本質は自己実現にある。

金融部門と財政部門とは表裏の関係にあり、財政の歪は、金融の歪に波及している。
経済の大きなうねりは、市場や産業の構造の劇的な変化に基づくものであってそれを財政政策や金融政策だけで解決しようというのは土台無理なのである。それは、経済構造に致命的な損傷を与える事になる。

経済は、家計から派生した余剰資金を金融機関に貯蓄して、それを民間企業に投資し、投資から生まれた収益から所得と税を抜き出し家計に配分するという循環によって成り立っている。この循環が投資から収益が生み出しにくくなったことで破綻したのである。そして、不足している収益の分を金融や財政から捻出しているために、財政と金融に余計な負荷がかかっているのである。
先ず市場から経済主体が適正な収益があげられるようにする事が肝心なのである。いくら、公共投資をしても市場が資金を必要としない限り、公共投資によって供給された資金は、市場に吸収されない。付加価値を生み出さないのである。金融政策や財政政策には限界がある事を認識すべきである。


資金の働きは連鎖する。


市場は、取引の連鎖反応によって動いている。個々の取引が泡のように独立しているわけではない。取引は、連鎖的に結ばれている。
取引が連鎖しているという事は、必然的に資金の動きも連鎖している。売りは買いを呼び、買いは、売りを呼ぶ。
所得は、他方から見ると支出である。支出は、見方を変えると所得である。収入と支出は、一体である。同様に貸し借りも一体である。借り手からすれば借金であり、貸してからすれば貸付金である。しかし、市場全体から見ると「お金」の移動でしかなく、双方の取引を合算するとプラス・マイナス、ゼロである。

貨幣経済下では資金の連鎖が経済現象を引き起こす。特に、付加価値を構成する成分である金利、所得、税、償却費、利益などが連鎖反応を起こして物価や地価を押し上げあるいは、押し下げる事によってインフレーションやデフレーションは、起こる。
この様な連鎖反応は、原子炉によく似ている。金利、所得、税、償却費、利益などを操作して市場を制御しないと市場は暴走して手に負えなくなる。

「お金」の流れが連鎖的に取引を成立させていく。故に、「お金」の流れた軌跡を追えば経済現象は解明できる。これが追跡可能性である。

経済の仕組みを動かす力は、経済主体に対する「お金」の出入りだという事に留意しておく必要がある。そして、「お金」の流れる方向の反対方向に財は流れるのである。
「お金」は、使われる事で効力を発揮する。「お金」は、使われなければ価値を発揮できない。「お金」で大切なのは、流動性で流動性が失われれば、「お金」によって動く仕組みは働かなくなる。だから、市場では、「お金」の連鎖反応が続くように仕組む必要がある。
つまり、「お金」の本質は、働きであって、物ではない。だから、「お金」の価値は無限に発散する危険性がある。それがハイパーインフレーションである。

「お金」の流れる力、連鎖反応を引き出すのは、付加価値であり、時間価値である。付加価値や時間価値を構成する要素は、金利である。そこにゼロ金利やマイナス金利の持つ危険性が潜んでいる。ゼロ金利やマイナス金利は、付加価値や時間価値を生まないのである。付加価値や時間価値が失われれば、資金の流れは止まる。

一つの取引は、次の取引の引き金を引く。この連鎖が経済を動かす原動力である。連鎖反応がなくなれば経済は、沈滞する。

経済は、過程である。財貨・サービスの生産、生産による所得の発生、所得の分配再分配、所得の消費と貯蓄と取引には、一定の仕事の流れがあり、その都度、資金移動が連鎖的に発生する。その連鎖運動が資金の流れを造り出すのである。
「お金」は、人の手から人の手へと連鎖的にわたる事で効用を発揮する。「お金」が流れなくなったら、忽ち、経済は破綻するのである。

資金は、連鎖的取引によって市場に流通する。
ある主体の収入は、相手となる主体の支出であり、逆も又成り立つ。同様に、買いは売り、売りは買い。貸しは借り、貸しは借りと言う関係もある。
更に、支出は収入を基となる。収入は支出の原資となると言う関係もある。
一つに取引が他の取引を誘発する事によって取引の連鎖が生じる。一つの取引、例えば、売りは買いと裏腹にある。売り買いは一対で成り立つ取引である。つまり、取引の連鎖は、二重の働きによって引き起こされるのである。

貸し借りは、支払い準備を意味する。支払とは決済を意味する。
「お金」は、財の対価として支払われて、即ち、売買取引によって効用を発揮する。貸借取引の段階では、「お金」の効用は未発なのである。
負債が支払い準備ならば、貯蓄も支払い準備である。負債や貯蓄は、ストックであり、「お金」としての効用は発揮されていない。
「お金」は市場に流れる事で効用を発揮するのである。

「お金」は使えばなくなるのにである。故に、絶えず補給し続けなければならない。支出は、所得のための活動を引き起こす。だからこそ継続的な仕事がないと生活は持続できなくなるのである。
「お金」を使ったら、その分どこかで儲けてこなければ生活は成り立たなくなる。しかし、だからと言ってやみくもに「お金」を供給すればいいという訳ではない。それは、個人、家計だけでなく、全ての経済主体に共通している。
安定した定職がなければ、その日暮らしになり、蓄えがなくなったら生きていくのも難しくなる。
問題は、どの時点で、どの様な手段によって「お金」を補給するかなのである。つまり、安定して収入を何によってどの様に得るかである。
「お金」は、所得から支出、支出から所得。生産から消費、消費から生産の回転によって成り立っている。卵が先か、鶏が先かの問題はあるが、いずれにしても回転を前提としている事は確かである。
重要なのは、供給量が少ないのか。回転数が悪いのかを見極める必要がある。

「お金」は、投資に始まり、投資された生産手段に原材料を加えて財を生産、販売し、消費する。また、投資された資金は、収益となり、その収益から原材料や労働力を購入する事で資金は配分される。この様に、資金は、流れる方向に従って経済的な連鎖反応を触発する。
この資金の連鎖反応が市場を動かしているのである。

更に、「お金」の動きは、物や人の動きと連鎖している。この様に市場の活動は、連鎖的に引き起こされている。連鎖的な流れが経済の方向性を形作っているのである。

借金は近代経済の原動力である。



近代は、借金の技術進歩によって形成されたとも言える。借金は、経済を成長させる原動力でもあり、経済を破綻させる時限爆弾にもなる。

借入金の中で営業キャッシュフローに対応するのは、営業キャッシュフローが経常的資金の過不足の上に成り立っているのであるから短期借入金である。つまり、営業キャッシュフローの背後、裏で働いているのは、短期借入金である。
なぜ、短期借入金を必要としているのか、短期借入金は何に働いているかが、営業キャシュフローの働きを解く鍵を握っている。

一般に借金と言うと負の印象があり、実際に借金を負債と言う。負の印象と言うのは、借金に返済義務があり、返済は、約定に従って待ったなしに行われるからである。
資金、現実の市場は、借金を基礎として成り立っている。
大体において紙幣は、借金を担保として成り立っていて、借用書が変形したものなのである。

近代の貨幣制度は、金融制度を土台にして成り立ちっている。金融制度の根幹業務は、金貸しであり、「お金」を貸し借りによって融通する事である。また、中央銀行の設立の要因の一つが国債である。
つまり、近代の貨幣制度は、借金によって成り立っていると言っていい。

また、資本主義経済を制御する事は、借金を制御することを意味している。借金が制御できなくなると資金を制御できなくなるからである。

借金は、元本と金利部分から成る。元本と金利、それぞれの部分が固有の働きをして短期資金、長期資金の働きを発揮させている。
ただ、一般に金利は、費用として計上されるが、元本の返済は、差額勘定としてしか表現されずに、補足するのが難しい。それがストックとフローの関係を曖昧にしている。

「資産」は、資金の運用状況、即ち、どの様に資金が運用されているかを示し、「負債」は、資金がどの様な手段で調達されたかを表している。(「金融経済」吉野直行・山上秀文著 慶應義塾大学出版会)

収益も収入も一定ではない。基本的に不確かな事であり、変動リスクが存在する。収益や収入は変動するのである。
それに対して、費用や支出は一定であり確かである。この収益と費用の性格が、経済を動かし原動力になり、また、負荷にもなる。

拡大局面では粗利幅が粗利率と伴に上昇するが下降局面では粗利率が一定でも粗利幅を維持する事ができなくなる。
変動費は売り上げに比例して変動するが固定費は、売り上げに連動して変化しているわけではない。
市場が縮小局面では、粗利益幅が圧縮される為、固定費の部分が回収できなくなる。
固定費の部分が回収できなければ、企業業績は赤字となる。


収益と費用の源には現金収支がある。


収益とは、売上である。売上とは働きを表した量である。収益や売上と言う実態があるわけではない。故に、売上は、名目勘定なのである。

「お金」は、基本的に働きを表している。売上も利益も「お金」の働きを表した量である。
自然科学で扱われる距離や重量の様な何らかの実体に基づく固定的、確定的な量ではない。
対象の経済的働きを測る事を目的とした相対的な量である。経済の働きは、前提条件や環境によって変わる量である。

そして、収益と費用の根底には、現金収支がある。「お金」の働きによって収益や費用は、発現する。収益や費用は、経済主体に対する「お金」の出入りによる働きである。
収入と支出、収益と費用の関係が自由主義経済を形成していく。
収益と費用の関係からお金の働きを測定しようとするのが費用対効果であり、その指標が利益である。

収益は、経常的収入を裏付けにし、費用は、経常的支出を裏付けにして営業キャッシュフローを実質的に構成している。

収益と費用は、単位期間内の資金の働きである。
収益と収入、支出と費用とは必ずしも一致しているわけではない。
借入金のように収益に計上されない収入もある。
売り上げ債権のように、収入の裏付けがない収益もある。
借入金のが本の返済のように、費用に計上されない支出もある。
減価償却費のように支出を伴わない費用もある。

利益は、収益と費用の関係から計算される。故に、利益は、必ずしも収入と支出とは結びついていない。
つまり、利益は資金的な裏付けがない。故に、利益が上がっても破産する場合が生じるのである。
なぜ利益なのか。それは、利益は、収益と費用の関係によって資金の働きを表しているからである。
現金収支は、「お金」の出入りは表せても「お金」の働きを表す事ができないからである。



製造業の売上は、全業種とほぼ同じ動きをしている。



粗利益を見て見るとリーマンショックの影響は製造業が全業種や小売業と比べて大きかったのがわかる。




粗利益率は、ニクソンショック以前に小売りと製造業では逆転している。








電機機械器具製造の売上がいかに急激に落ち込んだかがわかる。かつての花形産業であった総合家電業界に何が起こったのかを検証する必要がある。






電機機械器具製造と電気業の粗利益が急速に縮んだのがわかる。粗利益率を比べてみると第二次石油危機を除いて常に、電機機械菊製造を上回っていた電気業が、東日本大震災を契機に著しく悪化しているのがわかる。
この様な状態を踏まえてエネルギー政策は、長期的展望に立って構想する必要がある。






収益と費用は、単位期間内の資金の働きを基礎としている。しかし、実際に経済主体を動かしているのは、現金収支である。
損益上赤字になってもそれだけで企業が破産するわけではない。企業が破産するのは、資金繰りがつかなくなった時である。
この点が一般にはなかなか理解できない。赤字なのに倒産しない会社もあれば黒字倒産してしまう会社もある。
赤字になっただけでは企業は倒産しないが、極端な話、一円でも決済できなくなったら企業行き詰まるのである。
それ故に、キャッシュフローが重視されるのである。

「お金」が回っているうちは、経済は破綻しないのである。
収益と費用、費用対効果の背景には、経常的現金収支がある。

経済主体の核は、収益にある。この点が昨今は、忘れられている。本業で儲からない会社が財テク、投機や金融で利益を上げようとしている。これは、邪道である。収益の投機や金融は、生産性がないからである。
一過性の利益、目先の利益を追っていたら、本業、即ち、本来生産性のある事業が成り立たなくなる。円高によって急速に本業の利益が圧迫された日本企業が陥ったのが本業以外の財テク、投機に嵌った事である。その結果、バブルが発生し、バブルが崩壊した後、立ち直れないほどの状態に落ち込ませてしまったのである。

日本の景気の停滞は、売上の性格の変化がある。売上の性格の変化というのは、何によって収益を上げるかの根本が変化してきたという事である。この様な変化を促しているのは、消費の質的変化である。日本は、生産局面ばかりを見ているから経済全体の変化が見えないのである。そして、いつまでも大量生産型の産業に固執している。
経済が成熟してくると消費者の要求も多様化してくる。多様化する事で市場は柔軟になる。ところが、日本は、生産の効率ばかりを追い求めているから、経済が


期間損益と現金収支はどこが対応しているのか



利益という指標によって経営状態を制御しようとするならば、損益に対して現金収支のどの部分がどの様に作用しているかを知る必要がある。

投資キャッシュフローと財務キャッシュフローは、主として貸借対照表に振り分けられる。
投資キャッシュフローと財務キャッシュフローとは表裏の関係にある。
投資キャッシュフローが運用先を指し示すのならば、財務キャッシュフローは資金の調達手段を表している。
そして、投資キャッシュフローと財務キャッシュフローは、長期的資金の働きを表す。投資キャッシュフローは、減価償却費の根拠となり、財務キャッシュフローは、長期資金の出納、資金計画の基盤となる。




期間損益に対応しているのは、基本的には、営業キャッシュフローである。
では、期間損益と営業キャッシュフローは、どの部分がどの様に対応しているかを見ていきたい。

営業的現金収支で決定的な働きをするのは売上である。
現金収支で売上に対応しているのは、経常的収入である。
市場経済で一番の働きをしているのは売上である事は間違いない。
売上は、期間損益では収益を指し、現金収支では、収入の本となる概念である。

売上と経常的収入とは同じではない。売上が上がっても現金収入があるとは限らないからである。
一番の好例は、売上債権である。売上債権は掛け売りや手形売りによって生じる。
売上債権には、売掛金と受取手形がある。売掛金や受取手形は、入金のない売上であり、基本的の性格は貸付金である。
逆に、買掛金や支払手形は、支出のない仕入であり、基本的な性格は、借入金である。

売上債権と仕入債務は、在庫と運転資金を構成する。そして、売上債権と在庫にはリスクがある。リスクとは不確実な要素である。

売上がなぜ、市場経済において決定的な働きをしているかというと売上は、所得の源だからである。
貨幣経済では、経済主体における「お金」の出入りが経済活動の根幹をなしているからである。
そして、所得は、経済主体における貸し借りを除いた収入を意味しているからである。




製造業の産出を占める割合の変化は、産業構造の変化を象徴している。







営業キャッシュフローは決算書上では損益計算書に対応している。


営業キャッシュフローは、経常収支、経常的現金収支である。
経常的現金収支と言うのは、日常的経済活動によって生じる現金収支を言う。
つまり、単位期間内に発生する経常的現金収支を集計したのが営業キャッシュフローである。

複式簿記上の貸方は、資金の調達、即ち、入力を意味し、貸方は、出力を意味する。経済主体は、貨幣経済下では、入出金によって動かされている。
そして、資金の調達側、即ち、入力によって確定し名目的価値を形成するのに対して、出力は運用を意味しその対象によって価値を変動させる。

期間損益は、単位期間内における費用対効果、収益対費用を予め定められた規則に従って集計した結果である。
故に、期間損益に営業キャッシュフローは対応している。

経常的現金収支というのは、期間損益上の損益の部分に相当する。
つまり、収益と費用の関係の本となっている。
収益と費用の本は、収入と支出である。
貸し借りではない。

貸し借りは資産価値に影響を与えても物価には直接的な影響を与えない。物価に直接的な影響を与えるのは、売り買いである。
物価を形成するのは、価格であり、価格の集合である売上である。

現金収入が増えないと総所得は増えない。貸し借りでは所得は増えないのである。

経常的キャッシュフロー、即ち、営業キャッシュフローは、基本的に資金供給を伴うような長期的貸し借りを前提としていない。
ただ、経常的な活動の中で生じる短期的な貸し借りは含まれる。それに相当するのが、運転資本である。
故に、運転資本は、短期借入金と対応している。短期的貸し借りは、単位期間内で決済をする事が前提となる。

期間損益は、単位期間の経済の働きを表している。営業キャッシュフローは、単位期間の資金の動きを表している。
故に、単位期間の経常的な経済主体の働きは、期間損益と営業キャッシュフローを比較する事によって測る事が出来る。

期間損益と営業キャッシュフローの決定的な違いは、減価償却費にある。


売り買いは損益取引を貸し借りは貸借取引を構成する。



市場取引の基本は、売り買いと貸し借りの二つしかない。
自由主義経済の取引は、後は、徴税と納税しかない。贈与も売り買い貸し借りのいずれかに分類される。
つまり、現金の動きは、売買、貸借と税で決まる。
税は所得再配分を目的とした強制的手段である。

売り買いは、損益取引を構成し、貸し借りは貸借取引を構成する。

お金の動きのどの部分に生産や物量の働きを促す作用があるのか。それが経済活動を分析する鍵である。
例えば、売上にしめる現金の量は、費用に占める現金の量はどれくらいなのか。又、負債はどれくらいでどの様な性格をしているのかという点である。
現金収入のどの部分に働いているのか、現金支出のどの部分に働いているのかをまず解明しておく必要がある。

売上から受取手形、売掛金、すなわち、売上債権を差し引いた部分が売上による現金収入であり、それ以外の部分、すなわち、売上債権は、貸付金であり、資産として貸借対照表の総資産の部に計上される。
その対極として、仕入から支払手形、買掛金、すなわち、仕入債務を引いた部分が仕入債務となり、負債に計上される。

原価は、仕入から売上債権から仕入債務と当期仕入れ高、製造原価から在庫残高を差し引いた部分によって構成される。

更に費用から減価償却費、繰り延べ勘定や引き当て金を引く事で、費用で実際に現金が支出された部分を明らかにする事ができる。
減価償却費や、繰り延べ勘定、引当金の原資は負債に求められる。

利益という指標によって経営状態を制御しようとするならば、損益に対して現金収支のどの部分がどの様に作用しているかを知る必要がある。

経済の仕組みを動かしているのは、資金の過不足と流れである。資金の過不足を補うのが貸し借りであり、資金の流れを作るのが売り買いである。
そして、貸し借りは、ストックを形成し、売り買いは、フローを作る。
ストックの結果が貸借に集計され、フローの結果が、損益に集計される。
ストックは、付加価値を生み出す源となり、付加価値は、フローとして現れる。


営業キャッシュフローは単位期間の現金の出入りを言う



営業キャッシュフロー、即ち、経常的現金収支というのは、一会計期間内における現金の出入りを言う。
経常的現金収支は、期間損益上のフローの基本となる部分である。
即ち、貸借ではなく損益に係わる部分である。
一定期間、営業によって稼ぎだした現金による収入、或いは支出を言う。

だからこそ、この経常的キャシュフローを導く計算には二種類生じるのである。
一つは、実際の現金の出入りに基づく直接法である。
もう一つは、現金収支を伴わない損益勘定を修正する方法であり、これを間接法という。
間接法は、経常キャッシュフローの性格をよく表している。

即ち、間接法は、運転資本の部分と減価償却の部分からなる。
運転資本は、経常的な経営活動によって生じる資金の過不足を表し、減価償却費は費用を一定期間に按分した値を言う。
そして、経常的キャッシュフローは期間利益の根拠となる。

短期的資金の動きには一定の性格がある。
減価償却費は、過去の投資に基づいて一定の計算式によって導き出される値であり、費用としては、固定費という性格を持つがキャッシュフローとしては、可算要因だと言う点である。この様な性格から減価償却費は内部調達の資金源という性格を持っている。借入金の返済額の原資でもある。

それに対して利益は、収益と費用の関係から導き出される差額勘定であり、一定していない。利益は、収益と費用の状態を表す指標である。

短期的な資金不足を補っているのが、短期借入金と運転資金である。運転資金は黒字倒産の原因にもなる。
つまり、運転資金の動向は、信用取引の幅を表している。信用取引の幅が極端に狭くなると多くの企業がたついかなくなる。
また、運転資本の形は、産業毎に異なり、個々の産業の性格に大きく影響してきた。製造業は、恒常的に運転資本は資金不足であるのに対して、逆にスーパー等のあまり在庫を持たない販売店は、恒常的に資金余剰の状態にある。
運転資本は、売上債権、仕入債務と在庫の組み合わせである。故に、売上条件、仕入れ条件、在庫の評価や状態に影響される。

  
法人企業統計

バブル崩壊後製造業も小売業も売上債権と仕入債務が入れ替わっているのがわかる。また石油危機後には、手形の比率が上昇している。リーマンショック時の異常さも目に付く。特に、製造業においてリーマンショックの影響がいかに大きかったかがわかる。

運転資金の状態を見る時、単に差額と過不足を見るだけでなく、振れ幅も重要になる。差額が小さくても、振れ幅が大きいとそれだけ経済活動が活発であることがわかる。


法人企業統計


また、製造業は、基本的に与信超過であるのに対して小売業は、受信超過であることがわかる。

与信率でみると更にはっきりとする。
与信率の計算式は、(受取手形+売掛金+受取手形割残高)÷(支払手形+買掛金)×100である。




90年代の製造業と小売業の四半期の動きを見ると小売業は、明らかに仕入債務が売上債権と在庫を上回り、特に年末に集中している事がわかる。91年にバブルが崩壊すると売上債権の在庫が上昇し、仕入債務が減少しているのがわかる。それだけ資金繰りが逼迫していたことがわかる。

  
法人企業統計

また、小売業は、季節変動が大きく、季節毎に与信・受信が入れ替わっている。それに対して製造業は、バブル崩壊を前後して与信と受信が入れ替わっている。
これらの動きは、産業の特質を表している。

同時に、経済の変動時にどの様な影響が出るかを示唆している。つまり、産業毎の流動性、資金繰りの状態を暗示しているのである。

運転資本は、超短期の貸借関係を表している。

運転資本の働きと景気への影響


運転資本と言うのは、短期の資金の過不足によって生じる。取引上で生じる短期の資金不足を業者間で遣り繰りする過程で派生する勘定である。

運転資本の元は、売上、仕入、在庫であり、それぞれ景気の影響を最も受けやすい要素である。
売上、在庫は、市場の拡大期、好景気な時は、仕入上回る勢いで上昇し、逆に、市場の縮小期や景気後退期は、仕入を下回りがちである。
売上が伸びている時は、当然、売上債権も在庫も増加する。在庫は景気の先行指標でもある。
問題は、運転資本と景気、そして、資金繰りとの関係、因果関係を明らかにする事である。単純に在庫が上昇しているから景気が後退していると決めつけるのは問題である。
在庫を見る場合は、生産との時差の変化も計算に入れる必要がある。

もう一つ見落としてはならないのは、短期借入金の働きである。運転資本の対極で働いているのが短期借入金だからである。

景気の動向に合わせて在庫が伸縮するのは、市場の規模には、限界がある事を示している。人や物は有限なのである。人や物に限りがある事を忘れて生産をすれば市場は遠からず飽和状態に陥る。それに対して「お金」の価値は、無限であり、上に開いている。この事を忘れれば市場の暴走を防げないが、それは、人災、人が招いた災害である。

気を付けなければならないのは、成長期の市場と成熟期、縮小期の市場とでは、売上債権、仕入債務、在庫の在り様も変化するという事である。前提条件を確認せずに、一意的に売上債権や仕入れ債務、在庫を経済指標として用いるのは危険である。

運転資本を構成するのは、売上債権と仕入債務、在庫である。各々の働きの基礎となる部分とや働きは、別々にある。
売上債権の元は、売上であり、市場の影響を強く受ける。売上債権は資産である。それに対して仕入債務の元は、費用であり、原価の動向に左右される。仕入債務は負債、借入金である。在庫の元は、生産量にあり、需給に左右される。また、在庫の評価の仕方によって価値が変わる。在庫は資産である。

売上債権、仕入債務、在庫を結び付け短期資金の働きを制御しているのが運転資本である。運転資本は、日常的な活動によって生じる資金の過不足を制御している。運転資本が不足すると営業を続ける事が出来なくなり、最悪の場合、倒産する。黒字倒産を引き起こす一番の原因は、運転資本の不足である。

人間にの体に例えると心臓部の働きのようなもので一時的な機能停止でも経営主体の生命にかかわる部分である。

売上は、市場の状態に影響される。
仕入は、原価の変動や仕入価格の動向に影響される。仕入価格に影響を与えるのは、為替の変動や原油価格の変動などである。
在庫は、数量の増減と在庫価格の評価の仕方に影響される。製造設備の状況にも左右される。
市場や為替、原油価格などの原材料の動向は、経済に直接的な影響を与える。

市場の変化を読み取るためには、何が市場をリードしているのかを見極める必要がある。市場の変化を誘発する要因には、市場の拡大、為替の変動、原油価格等の原材料の変化等がある。市場の変化は、一律ではなく、複数の要素が複雑に絡み合って発揮される。

その時々で経済を誘導してきた要素は違っている。
市場の拡大や為替の変動や原油価格の変化等市場を変動させる働きは、時に相乗効果を表したり、効果を相殺したりする。




運転資本と営業キャッシュフローとの相関関係



相関関係というのは、要素間が共通の何らかの働きによって相互に影響を受ける関係を言う。何が何に対してどのような影響を与えているのか。それが相関関係を知るうえで鍵となる。

変化の傾向は変化の方向と幅と期間としてあらわれる。そして、最大値と最小値が幅と期間の範囲を特定する。
変化の傾向を見極めるためには、変化の形をよく観察する必要がある。変化は同じ方向を向いているか、変化の形、曲線を描いているか、直線的か、山は幾つか。山は高いか、谷は深いか、浅いか。短期間に急に生じたのか、長期間にわたって緩やかに変化したのか。同じ直線状を前後しているのかといった事からその背後にある変化の基盤を見出すのである。

価格は需給だけで決まるわけではない。高いか安いかといった表面に現れた価格だけを見ても価格を動かしている仕組みは見えてこない。価格の動きの背景を知る必要がある。

相関関係を分析手段には、回帰分析、重回帰分析、主成分分析、因子分析、判別分析、クラスター分析等がある。
中でも回帰分析は有効な手段である。
回帰分析に表される傾斜角度は、要素間の速度の違いを表し、相関係数は、分布の度合いを意味し、切片は、変化の起点と歪を表している。相関係数の正負は変化の方向を示している。特に、相関係数は、相関の度合いを測る基準とされる。

営業キャッシュフローを構成する要素間にどの様な力が働いているのか。それを検証する必要がある。

先ず、営業キャッシュフローは構成する要素には何があるのかを明らかにしたい。
営業キャッシュフローの計算式は、営業純益+減価償却費+運転資金+支払利息である。
営業純益=営業利益-支払利息である。

運転資金と営業キャッシュフローの相関関係を見てみる事にする。

全業種全規模において営業キャッシュフローを目的変数として減価償却費、運転資金、支払金利との相関関係を1975年~1989年、1990年~1999年、2000年~2013年に区分し、重回帰分析を試みてみた。

1975~1989
概要

回帰統計
重相関 R 0.97
重決定 R2 0.94
補正 R2 0.92
標準誤差 2.02
観測数 15.00

分散分析表
自由度 変動 分散 観測された分散比 有意 F
回帰 3.00 699.31 233.10 57.27 0.00
残差 11.00 44.77 4.07
合計 14.00 744.08

係数 標準誤差 t P-値 下限 95% 上限 95% 下限 95.0% 上限 95.0%
切片 8.76 4.17 2.10 0.06 -0.41 17.93 -0.41 17.93
減価償却費計 1.76 0.42 4.17 0.00 0.83 2.68 0.83 2.68
運転資金 -0.17 0.10 -1.73 0.11 -0.40 0.05 -0.40 0.05
支払利息等 0.07 0.38 0.19 0.86 -0.78 0.92 -0.78 0.92

80年代から90年代にかけては、強い相関関係が保たれていたのがわかる。
その相関関係を保っていた要因は何か。そして、なぜ、その要因が働かなくなったのか、それを明らかにしない限り経済の動きを予測することはできない。

1990~1999
概要

回帰統計
重相関 R 0.96
重決定 R2 0.92
補正 R2 0.88
標準誤差 2.67
観測数 10.00

分散分析表

自由度 変動 分散 観測された分散比 有意 F
回帰 3.00 483.85 161.28 22.58 0.00
残差 6.00 42.86 7.14
合計 9.00 526.70

係数 標準誤差 t P-値 下限 95% 上限 95% 下限 95.0% 上限 95.0%
切片 -27.79 24.60 -1.13 0.30 -87.98 32.40 -87.98 32.40
減価償却費計 2.35 0.59 4.00 0.01 0.91 3.78 0.91 3.78
運転資金 -0.06 0.07 -0.78 0.46 -0.23 0.12 -0.23 0.12
支払利息等 -0.24 0.20 -1.18 0.28 -0.74 0.26 -0.74 0.26

80年代から90年代にかけて強い相関関係があった指標が21世紀にはいると急速に相関関係を失っているのが見て取れる。
また、t値から見て貢献度は、減価償却費が80年~90年代にかけて一番あったのが21世紀になると貢献度がほとんどなくなる。減価償却費に代わって貢献度は、支払利息が強くなる。ただ、重相関の値が、0.96から0.57に低下しており、支払利息そのものが大きく減少している事から単純に支払利息の貢献度が高まったとは言えない。支払利息と運転資金の変動は、神経質な動きを見せている。

2000~2013
概要
回帰統計
重相関 R 0.57
重決定 R2 0.33
補正 R2 0.12
標準誤差 4.95
観測数 14.00

分散分析表
自由度 変動 分散 観測された分散比 有意 F
回帰 3.00 118.03 39.34 1.61 0.25
残差 10.00 244.97 24.50
合計 13.00 362.99

係数 標準誤差 t P-値 下限 95% 上限 95% 下限 95.0% 上限 95.0%
切片 47.23 26.25 1.80 0.10 -11.26 105.71 -11.26 105.71
減価償却費計 0.30 0.49 0.62 0.55 -0.78 1.39 -0.78 1.39
運転資金 0.13 0.14 0.93 0.37 -0.18 0.43 -0.18 0.43
支払利息等 -2.16 1.06 -2.03 0.07 -4.53 0.21 -4.53 0.21


一般に運転資金の不足は短期資金で補てんする



運転資本は、短期的な資金の過不足を遣り繰りする過程で生じる業者間の貸し借りである。
短期的な資金の過不足が生じる原因は、第一に、売上による入金と仕入れに対する支払との間に時間差が生じる場合。第二に、売上金額と支配雷金額に大きな乖離が生じた場合。第三に、季節変動の様に売上に季節変動がある場合、第四に、事故や災害等突発的な、一時的な支出が生じた場合、第五に、取引先の倒産や取引内容が大きく変動した場合、第六に、為替の変動や原油価格の高騰などによって売値や仕入れ値が大きく変動した場合などがある。
特に、第一や第二の原因は、市場の拡大や事業の急成長などが含まれるから十分な注意が必要である。

運転資本は、企業だけでなく、家計や財政にも生じる。バブル時に問題となったのは、所謂消費者金融による高利貸しである。
経済の基本は、経常的収益の範囲内で式の遣り繰りをする事である。

運転資本は、単位期間内の資金の過不足を調節する働きがある。
日本は、信用取引を基本にして生産、分配間に生じる時間的負荷を和らげようとする商慣習がある。信用取引には賛否があるが、信用取引が経済変動の緩衝材の役割を果たしてきたことは否定できない。

信用取引は、経常取引において短期的な貸し借りを基本としている。故に、信用取引によって生じる資金不足は、短期負債で補填するのが原則である。

信用取引は、事業や市場の拡大期に増加し、縮小期には減少するという性格がある。
事業が軌道に乗り、成長期に資金不足を起こして倒産する例は、資金繰りに失敗した場合が多い。黒字倒産である。

それでも信用取引がなくならないのは、経営者の資金収支を平準化しなるべく、商売上のリスク、不確実性を和らげようとする心理、思惑が生じるからである。

一般的には、運転資金は、短期借入金で対応している。
バブルが形成されている時代は、運転資金を短期資金だけでは対応しきれなかったことがわかる。
逆に第二次石油ショックからプラザ合意までの間は、運転資金を上回る短期借入がされていたことがわかる。かなり、資金が忙しかったことが推測される。



営業純益と短期借入金(資金需給)、運転資本との相関関係を見てみるとバブル形成期は、運転資本は、営業純益の範囲内で賄われているのに対して、バブル崩壊後は、短期借入金によって賄われている。基本的にバブル崩壊後は、運転資本じたい減少気味である。

下のグラフでは、資金需給で不足した部分は、資金需要と見なし、プラスに変換している。


法人企業統計  単位一兆円

我が国の商慣習では、一定の額の信用取引が常時存在する。その為に、実質的な運転資本の働き、残高を見るよりも資金需給、つまり、資金の増減を見た方がわかりやすい。

信用取引は、経営を不安定にする要素があるからなるべく圧縮しようとする風潮が近年高まっている。しかし、信用取引は、急激な景気の変動などに際して緩衝材の役割を果たしてきた事も忘れてはならない。
今日の様に、市場環境が劇的に変化している時は、信用取引も一定の役割を果たしている。

売掛債権・買入債務


売掛債権や買入債務は、経常的取引において発生するのが通例である。売掛債権や仕入債務は、信用を基礎として成り立つ。信用とは、一定の取引実績を基にして築かれる。つまり、ある程度定型的で見通しが立つからこそ成り立っていてる。そういう取引は、経常的取引でないと成り立たない。一時的で突発的な取引では成立しない。つまり、固定客であり、取引実績のある相手との間においてなりっているのである。

売掛債権や買入債務は、与信・受信を構成する。
与信、受信は、企業間金融として捉えられる。

売上債権と買入債務は、信用を基礎として成り立っている。売上債権と買入債務は、売り手と買い手の力関係や取引の性格によって違ってくる。そして、それは、流動資産、流動負債の関係を左右し、経営の安定性に影響する。売上債権にせよ、買入債務にせよ、長期化すると資金を固定化し流動性を悪くするからである。
つまり、経常的取引の状態を反映していると考えられ。売上債権や買入債務の変化は、何らかの取引条件や環境の変化があった事を覗わせる。

重要な点は、1985年のプラザ合意の際、与信から受信へと比重が移った事である。売上債権の回転期間が仕入債務の回転期間と逆転した事である。
これは、市場の方向が変化したことを意味する。



法人企業統計


運転資本は、資金の流れる方向を暗示している。売上債権の期間が長くなり、仕入債務の期間が短くなる事は、それだけ資金繰りが窮屈になる。拡大均衡から縮小均衡へと資金の流れが変化したことを意味する。

注目すべきなのは、不動産業では、バブル崩壊時、そして、金融危機の時に買入債務が異常に跳ね上がっている点である。売上債権には、それほど大きな動きは見られない。これは一時的に支払いが滞ったことを意味している。それを誰が負担したかが問題なのである。



製造業は、第一次石油危機、第二次石油危機の過程で与信、受信が逆転し、爾後、売上債権が仕入債務を大幅に上回る状態が続いている。これは、資金繰りを圧迫する要因になっていると考えられる。
1971年のニクソンショック以降、与信が横ばいであるのに対して、受信は減少傾向にある。これは、投資に対する抑止として働いている可能性がある。



不動産業界は、売上債権回転期間は、その時代その時代の背景を反映して激しく動いているのがわかる。



注目すべきなのは、不動産業界の売上債権の回転率が、0.5ヵ月を切ってきている事である。それだけ資金の遣り繰りが忙しきなっているのである。



1999年の不動産業界の買入債務は、異常である。それがバブル崩壊から10年近くたってから起きたという点は注目に値する。



現代は、長い間積み重ねてきた取引実績と言うのが成り立たなくなっている。それに代わって情報が重要な役割を占めるようになってきた。
かつては、信用こそ財産だと言われた時代もある。地道に取引を積み重ねる事で信用を勝ち取ってきた。そうやって積み上げてきた信用も一瞬の不行跡によって失ってしまう。市場は信用制度の上に成り立っていたのである。
市場は、長い時間をかけて築かれてきた。しかし、インターネットや情報技術の発展は、市場の本質を根底から覆そうとしている。



在庫



在庫は、在庫投資と言うように、投資の一種とみなされる場合がある。実際、実物投資と言うと設備投資と在庫投資の和を指している。
しかし、キャッシュフローでは、営業キャッシュフローを構成する要素の一つとしてみなしている。
それは、負債と言っても借入金とは違い、実体的な資産の裏付けがある。反面、在庫は、評価の仕方によって額面金額が大きく変動する、名目勘定と言うより、実質勘定であり、評価勘定として計上されるからである。

ただ在庫は、利益操作に使われることがあり。経済全般の動きを予測する為には、不可欠な要素の一つでもある。

在庫は、経済の仕組みを和らげる緩衝材の働きがある。
ある意味で物的金融のような働きである。物の過不足を調節する機能である。

在庫の果たす役割と言うのは、元来は、平準化である。
市場には、不確実性が伴う。その不確実性を補い時間的な過不足を調節する働きをするのが在庫である。
かつて、収穫物や獲物は、常に、確保されていたわけではない。しかし、人は、定期的に食べなければ生きていけない。
つまり、消費は、一定確実なのに対して収獲や獲物は、不安定で不確実なのである。
これは経済の基本である。つまり、収入、収益は不確実で支出、消費は確定的。収入、収益の計画は、期待であるが支出や消費の計画は現実である。だから、必要量は、収入や収益から求められるのではなく。支出や消費から求められる。

飢饉や緊急時に備えて資源を貯蔵するという働きもある。石油業界に課せられた備蓄もその一環である。

ここに在庫の意味と働きがある。在庫は、多すぎても少なすぎても困る。また、在庫は、需給を反映している。
景気のバロメーターでもある。




国民経済計算書

仕掛品が減り、流通在庫の比率が上がっている。


国民経済計算書



在庫は、財の質によって違う。また、貯蔵手段にも差が出る。
在庫は、鮮度、容量、重量、形、危険性などによって扱い方も異なり、保存手段にも差が出る。

在庫の評価も評価基準や評価手段によって違いが生じる。この点をよく鑑みながら在庫の動向を見れば経済の状態をある程度予測する事が可能となる。
故に、在庫は、経済を分析する為の有力な指標の一つである。



小売り業界は、バブル崩壊後も一定水準の在庫を維持し続けていた。
一般に在庫は、「お金」だとされ、在庫が膨れ上がる事は、それだけ無駄に「お金」が寝かされていると考えられる。
在庫が増えれば、それだけ経済が停滞していることを意味し、在庫が極端に少なくなれば景気が過熱しているとみられる。
在庫の調整の可否が経済の動向を定めると言っても過言ではない。
それ故に、在庫は、経済の先行指標とみられるのである。



電機機械器具製造業界は、2000年を境に急速に在庫を減らしている。
問題は、在庫を減らしている原因である。減らした後も在庫水準は戻っていないから一過性という訳ではなさそうである。



電機業界は、第一次、第二次石油危機の際石油の価格の影響を色濃く受けていたのがわかる。



バブル崩壊後も不動産業界は、1997年まである程度の在庫を抱えていたのがわかる。それが1997年以降急速に在庫を減らしている。






不動産業界の在庫は、財の性格上多額となる。



不動産業の棚卸は、バブル崩壊時、1998年の仕入債務の急激な変動を引き起こした要因の一つと考えられる。
1996年には、住宅金融専門会社に6850憶円の公的資金が投入され。
1997年には、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券が経営破綻をした。1998年には、金融再生法、金融早期健全化法が成立し、日本長期信用銀行、日本債権銀行が相次いで公的管理、国有化された。

利益は、内部留保を形成する



期間利益は、内部調達資金、即ち、内部留保の基となる。
内部留保のフロー部分は、利益剰余金を形成する。

内部留保と言うと企業がどこかにお金を貯め込んでいる。隠し資金のごとく考えている人がいる。しかし、それはとんだ誤解である。内部留保と言うのは、単なる差額勘定に過ぎない。何らかの資金的裏付けがあるわけではない。ただ、資産と負債との均衡が問題なのである。負債に見合う資産があるか、また、過去にどれくらいの利益を上げたかその履歴が内部留保にはある。何が重要なのかと言うとそれが資金調達のための根拠となるからである。内部留保が少ないと資金調達力がそれだけ弱くなる。

内部留保は、資金の調達源と一般にみられる。ただ、だからと言って現金の裏付けがあるわけではない。過去の利益を累積した額と払込資本を合算したものだからである。
よく内部留保に課税をするとか、内部留保を取り崩して株主や取引先、従業員に還元しろというものがいるが、内部留保は、資金の調達源を表し、一種の最後の切り札のようなものである事を忘れてはならない。これは財政でも同じである。
キャッシュフローの最終的残高は、現金及び現金に準じる物の合計残高だが、現金があるからと言って経営が安定しているとは限らない。



法人企業統計


法人企業統計

経常的(営業)キャッシュフローを見ると経営主体本来の活動によって生み出される資金の流れを見る事ができる。
故に、営業キャシュフローとも言う。

経常的な損益は利益として計上され、利益の中から配当や税を除いた部分が内部留保として蓄積される。

内部留保は、法人企業統計では、以下の式で表される。
[平成18年度調査以前]
   =当期純利益-(中間配当金+配当金+役員賞与)
[平成19年度調査以降]
   =当期純利益-(中間配当金+配当金)
  (注)役員賞与は、平成18年度以前では利益処分項目として調査を行っていたが、平成19年度調査以降は費用項目として調査を行っている。

また、留保利益=純資産の部-(資本金+資本剰余金+新株予約権+少数株主持分)と言うとらえ方もある。(「AI技術による倒産予知モデル×企業格付け」白田桂子著 税務経理協会)

経常的な現金収入は収益の根拠となり。現金支出は費用の根拠となる。
そして、現金収支は利益の根拠となる。

経常的現金収支とは、短期的な資金の流れによる現金収支である。
短期的資金の流れとは、経常的な取引が創り出す資金の働きを意味する。
経常的現金収支の流れは、会計上のキャシュフローでは、営業キャッシュフローに分類される。
即ち、経常的、日常的な資金の流れによる働きを言う。短期の資金の流れである。

経常的なキャッシュフローは、日常的市場取引によって形成される資金の流れをいう。
根本的には売買取引から派生する。ただ、売買取引の過程で派生する貸借取引も含まれる。ただ、この場合でも短期的で簡易な貸借取引である事が前提となる。

基本的に現金の働きは、現金の出入り、即ち、出納によって効力を発揮する。
経常現金収支は、一会計年度内における現金の出入りを言い。投資現金収支は生産手段における一会計期間を超える現金の出入りを言う。そして、財務、即ち、資金繰りは、現金の過不足を補う資金の出入りを言う。
故に、経常現金収支は、流動資産を基礎とした現金の出入り、投資現金収支は、固定資産に対する現金の出入り、財務現金収支は、金融資産を基礎とした現金の出入りとして現れる。
経常現金収支は、一会計年度を基本とするが若干の例外も認められている。一般に、営業活動が一回転する期間を基本としている。




リーマンショック時に製造業が内部留保を大きく毀損させたのが読み取れる。




電機機械器具製造業に、2000年に何があったのか。2000年で目ぼしい動きと言うのは、ITバブルが崩壊した事ぐらいである。統計上の問題があるのかもしれないが、どの指標も2000年が分岐点だったことを示している。





経常的な資金の流れが物価を構成する。



経済では、資金の流れが重要となる。
企業では、収益と資金の流れは直接的に結びついているわけではない。期間損益を計算する過程で損益と現金収支の間に時間差が生じるのである。
その為に、現金収支と期間利益との間に整合性がとれなくなる場合がある。
特に注意しなければならないのは、借入金の返済が損益上何処にも現れてこない事である。

営業収入は、収益、即ち、売上を改善する必要がある。売上は、数量と単価と回転数によって決まる。生産量というのは、拡大している市場以外では、一定している。生産量が一定している生産物の多くは、必需品である。市場が飽和状態で生産物が一定していて商品は一般化する。一般化すると差別化が難しくなる。この様に差別化が難しい生産物をコモディティという。
成熟した市場では、多くの商品がコモディティ化する。コモディティ商品は、数量が不足すると価格が上昇するし、又、過剰になると価格が下落する。コモディティ化した商品は価格が不安定となる。その為に、収益の確保が難しくなるのである。コモディティ化した商品の収益維持は制度的に為されなければ物価は安定しない。

経常的なキャッシュフロー、主として営業キャッシュフローは物価を形成する。

物価は、日常的に継続される取引の中で決まっていく。

経常的な資金移動が収益や所得を形成する。費用や日常的な支出は、基本的に収益や所得の範囲内で行われる。
この前提が崩れると正常な資金の流れを保てなくなる。

住宅のローンは、可処分所得の範囲内で返済されるべきものである。借金の返済が可処分所得を越えてしまったら、借金は累積する。いくら家に価値があると言っても失業してローンが支払えなくなれば、お終いである。可処分所得で返せる以上の金を高利で借りるからサラ金地獄に陥るのである。
反対に、バブルの頃は、収入もないのに、金持ちになれる者が多くいた。それがバブルが崩壊したら反動で多くの不良債権を生んだのである。
それでも、借金ができるのは、経済の実態が金ではなくて人と物にあるからである。高利貸は、貸した金が返せなくなれば、身ぐるみ杯で、更に働かせて借金を取り立てればいい。それは、資産や労働力が生産手段だからである。つまりは、金を生み出すのである。

物価を形成するのは、日常的な売買取引である。日常的な売買取引が成り立つような社会の仕組みを保つ事が大切なのである。
日常的な売買取引以上に貸借取引が盛んになると資金は回らなくなる。貸借取引は、あくまでも資金の過不足を補うための取引なのである。経済実体は、「お金」ではなく。人と物が作り出すの生活にあるのである。


総所得は、人口と平均所得の積である。



又、総所得は、生産年齢人口と平均所得の積として表す事ができる。
総生産は、生産量と価格の積として現される。
総生産と総所得は等しい。

鍵を握るのは、人口の分散と所得の平均。生産量と価格の推移、つまり、物価である。

総消費は、消費者、即ち、消費人口と単位消費量の積となる。
ここで注意しなければならないのは、生産年齢人口と消費人口(総人口)は、同じではないという事である。

現在の人口問題は、少子高齢化問題で、少子化と高齢化の二つの問題が合わさっているという点である。
少子化は、人口減少を意味し、高齢化は、生産年齢人口の総人口に対する比率の低下を意味する。

人口の減少問題を考えると単純に人口が減少している事が経済を衰退させていると考えるのは、短絡的である。
人口が減少しても一人当たりの所得、生産性が上がっている場合は、問題ない。ただでさえ、人口は多いのである。
かつては、人口爆発が懸念され、それ故に、中国では一人っ子政策が採られた。その過去の経緯を忘れて今度は、経済成長の鈍化は、人口減少だと騒ぐ。

重要なのは、経済規模とそれに見合った人口、そして、人口構成、一人当たりの所得、並びに生産性である。多いか少ないかは、全体となる条件によって違ってくるのであり、一概に決めつける事はできない。
ただ、現在、日本は、少子高齢化に向かっている。この現実を受け止めてどの様な国にするのかの構想をもって長期的政策を立てるべきなのである。

その際、鍵となるのが海外と日本との関係である。国際分業が進み一国では経済が成り立たない事を前提とするのならば、真の豊かさを定義してその定義に合致した国づくりをすべきなのである。我が国を国際社会にどう位置づけるか国家戦略が問われるのである。

経済の本来の役割は、人口に対して必要な生産量を維持することである。その為に、偏りのない所得の配分を実現する事なのである。
経済学者の多くはこの目的を忘れている。

人口が増えている局面と人口が減っている局面では、経済の根本が変わってくる。
単純に人口が増加している局面では、経済が成長し、人口が減っている局面では、経済は停滞すると決めつけるのは間違いである。問題は、どの様な施策をとるかである。
量と質両面から市場をとらえる必要がある。市場は、成長だけに支えられているわけではない。

所得の水準と消費の質、生産の量、それらの均衡をいかにとるかが、重要なのである。

所得は、生産と支出とを仲介している



経済の根本は、所得と生産と支出を均衡させることである。今日の市場経済は、経常的な現金収支が要なのである。故に、適正な現金収支が維持できるような市場構造を形成する事が重要となる。
貸借は、あくまでも補完的な働きである。ただ、貸借で重要なのは、長期的な資金の働きで、長期的な資金の働きによって資金の流通量が定まるという点を忘れてはならない。

物の消費で重要なのは、質であり、支出で重要なのは量である。ここに量と質との転換がある。この転換が適正になされないと、生産に投入された労力と労力の対価としての所得との関係が不均衡になる。
消費と支出との関係は、消費の質と支出の量の問題でもある。生産と所得、消費と支出、在庫と貯蓄この関係が市場の根底にはある。

「お金」は、消費されない物である。「お金」は、「お金」以外に使い道のないものだという事である。
基本的に物の経済は、生産と消費と在庫と言う関係で成り立っている。それに対して、「お金」の経済は、所得と支出と貯蓄で成り立っている。
どこが違うかと言うと第一に、在庫と貯蓄である。在庫には物理的性格があり、時間とともに劣化するという点である。
生鮮食品は、腐敗するし、流行りのある服は、陳腐化して価値が劣化する。それに対して、「お金」の名目的価値は劣化しない。時間の変化に対しては、時間価値として金利を生み出す。だから、貯蓄は、資本となりうるのである。
また、「お金」は、「お金」以外に使い道がないという事である。「お金」として使われた後、余った「お金」は、「お金」として累積される。それが借金、負債の原資になる。つまり、余った部分が負債と資本を形成するのである。
最後に、「お金」は、一方的に流れのでは効用を発揮しない。「お金」は、循環する事で効用を発揮する。物は、消費される事で使い尽くされる。それに対して「お金」は、支出される事で消滅する事なく、価値をそのまま保持して他の経済主体に流れていく。つまり、「お金」は、「お金」として使われるだけで、消費されない。「お金」の価値は失われないのである。だから、消費ではなく支出である

劣化しないのは、「お金」だけではない。石油だって土地だって劣化しない。「お金」は、劣化しないだけでなく、「お金」以外に使い道がないのだ。金本位時代は別である。金には、「お金」以外の使い道があった。つまり、「お金」に物としての使い道があったのである。いまは、「お金」は、「お金」、物としての属性をかなぐり捨てた。物としての属性をかなぐり捨てる事で「お金」の本質が顕になった。「お金」には、「お金」としての使い道しかないのである。「お金」は物ではないのである。

経常的現金収支は、日常的な活動を支える資金である。景気が悪化すると一番最初に直撃する部分でもある。また、石油価格の高騰、為替の変動などにも影響を受けやすい部分である。
経常資金を長期的資金から流用したりすると資金繰りが苦しくなる。建設国債で賄うべきところを赤字国債で賄うようになるような事である。

又、日常的な活動の為の基礎的資金であるから高い流動性が求められる。故に、流動資産を基本とした資金でなければならない。

経常的な資金の流れは、石油価格の高騰、物価の変動、為替の変動と言った市場の動向の影響を受けやすい。
日用品の変化は、所得と支出との関係を狂わせるからである。企業でいえば、費用対効果が根本から覆されてしまう事がある。
ある意味で生計は、石油価格の高騰、物価の変動、為替の変動といった経済の状況変化を映す鏡である。
同時に、何がどの様、何処に作用しているかも明らかにしている。

何らかの要因によって引き起こされた変化がどこに現れるかが問題なのである。石油価格の高騰や為替の変動が何処に影響を表すかを検証する事が重要なのである。闇雲に原因を断定し、最初に結果ありきの姿勢をとる事は重大な判断ミスを犯す原因となる。

歴史的に見て戦後の日本経済に重大な影響を与えたのは、石油価格の高騰と為替の急激な変動である。
石油価格の高騰と価格の急激な変動が資金の動きにどの様な変化をもたらしたのかを明らかにしないと現実に生起した現象の真の原因を明らかにする事は不可能である。



お金を回すことが肝心。



企業は、「お金」が回っていれば持続する事が出来る。言い換えると企業経営は、「お金」が回らなくなったら成り立たなくなる。
「お金」の効用は、働きにあり、働きは、循環によって発揮される。「お金」は、循環しなくなったら価値を失うのである。

第一に忘れてはならないのは、貨幣経済の仕組みは、「お金」を回すことにあるという点である。
「お金」を回すことを前提として「お金」の働きを如何に測定するかという過程で、利益という概念が確立された。
金儲けを主としているわけではない。金儲けばかりを追求したら、「お金」は回らなくなってしまうのである。

放っておけば「お金」は、回るというものではない。「お金」は、循環させる仕組みがなければ回らなくなる。貨幣の仕組みは、自然になったものではなく、人工的に作られた仕組みである。この点を忘れてはならない。市場は、人が作った仕組みであり、人が責任を持つものであって神に責任を押し付けられることではない。

「お金」は、市場取引によって流れる。市場に「お金」を流しているのは、売買取引である。「お金」は、流れれば過不足が生じる。余剰資金があるところから「お金」を預かって資金が不足する処に「お金」を貸して資金過不足融通するのが金融の役割である。ただ、一方的に「お金」が流れれば、社会の債務は過剰になる。そこで所得の再配分をして資金の過不足を是正するのが財政の働きである。しかし、「お金」の流れは、常に、偏りやすい。

個別の経済主体にしてみれば利益を上げる事が目的のように見えるかもしれないが、全体から見たら、利益を上げれば良いと言う事にはならない。この観点から離れたら期間損益の役割は見失われてしまう。ただ儲ければいい、損を出したら駄目だというのは短絡的なのである。その主体が置かれている状況や位置によって利益や損失の意味が変わってくるからである。
財政の慢性的な赤字、構造的な赤字は、経済の体制を歪めてしまう。しかし、これは構造的な問題なのである。構造を本来の目的によって根本的に変えないかぎり解決すめ事は出来ない。小手先の施策では、抜本的な解決には結びつかないのである。
本質は、資金の移転なのである。如何に、働きに応じて資金を移転するか、その仕組みにある。
個々の局面を見ると売上を上げ極限まで費用を削減して儲ければ良い事になる。しかし、全体から見るとある主体の売上は、他の主体の費用なのである。この関係を前提として成り立っているのが資本主義経済の本質である。この点を錯覚すると限りなく利益を上げる事は、全体の所得の喪失に結びついていくのである。

一つの主体が全てを独占することは神が許さない。だから、現金収支は、ゼロ和なのである。

資金は、循環しなければならない。
最終的に資金を循環させているのは人である。なぜなら、人は、生産者と消費者を兼ねているからである。つまり、人は、生産と言う入り口と消費と言う出口を担っているからである。そして、労働と言う生産手段を所得に変換し、消費に支出を変換する事で資金の循環を担っている。また、人は、売り手でもあり、買手でもある。人は、労働力や所有物を売って生産財を買う。つまり、売り手でもあり、買手でもある。この関係が「お金」を循環させる。
生産は、労働力と資本を投入する事で成立する。人は、労働力と言う生産手段を提供する事で所得をえる。所得によって手に入れた「お金」を支出する事で財を消費する。生産と消費を人と言う同一主体が担う事で、「お金」は、循環する。「お金」が効率よく循環する為には、生産と所得、所得と支出が均衡しているかどうかにかかっている。
ただ、問題なのは、生産者と消費者は同一ではなく、所得と支出も同一ではないという点である。
生産年齢人口と消費者、即ち、全人口は一致していない。つまり、限られた人口に所得を分配し、全人口の支出に応えるという図式になるのである。生産年齢人口が偏っている分、所得にも偏りが生じる。それが支出や消費の変更や格差の原因となる。
また、生産された物がすべて消費されるわけではなく、所得の全てが支出されるわけではない。生産されたもので消費されなかったものは、余りとなる。所得の中で支出されなかった部分は、貯金となる。
また、物を消費した後の余りとお金を支出した後の残高とは、同じ性格のものではないという事である。物を消費した後の余りは、一般に不要なものであるが、お金を使った後の残金は、有用な物である。これが重要なのである。
物は、生産から消費へと直線的に流れるのに対して、「お金」は、所得と支出によって循環している。
つまり、物の流れは直線運動であるのに対して、「お金」の流れは回転運動である。
物の流れと「お金」の流れの違いによって市場の仕組みに一定の負荷がかかる事になる。
貯蓄された資金は、投資され資本や負債となってストックを形成する。

物は、使い道がなかったり、残ればゴミである。「お金」は、残れば宝になる。この違いが資本主義や貨幣経済の根本にある。残った「お金」が、資本や、資産、負債に転じるからである。残ったお金も劣化させればいいという思想がある。しかし、それでは、「お金」は、市場を循環しなくなる。「お金」は、資金の過不足を補うように市場を駆け巡るからである。貸し借りが成立しないと資金を市場に循環させる事が出来なくなる。


期間損益は利益によって成立した。



期間損益主義は利益という概念、指標が確立されることによって成立した。利益という言葉は、今日、日常的に使われるようになった。我々極当たり前のように利益という言葉を口にする。しかし、利益という概念は、比較的新しい概念であり、我が国に導入されたのは、明治維新後である。
そして、利益という概念の土台となっているのが収益である。収益は、売上とほぼ同じ意味で使われている。つまり、利益の根底には、売上がある。売上とは、売るという取引を前提としている。つまり、何かを売る事で利益は、計上されるのである。
利益という概念が確立される以前は、現金出納が経済行為の根本概念を形成していた。
現金出納の基礎は今日で言う単式簿記、言い換えると大福帳である。自分達の子供の頃には、八百屋とか、魚屋に篭が吊られていてそこに売上金を入れ、時々、親父が吊られた篭から売上金の一部をくすねていたものである。
現金出納というのは、その日の売上から仕入れの代金と生活費を引いた残金を儲けとしていた。少し高度になるとそれに掛け売りが加わるのである。この様な経済の仕組みでは、手持ちの現金残高の範囲内の事業しか出来ない。故に、この時代の資本とは、手持ちの現金を指していた。そして、現金主義を基本とした時代で、お金が貯まると倉を作ってお金をそこに仕舞い込んでいたのである。時代劇に現れる盗賊は、その金を狙って商家に押し入ったのである。
利益は、費用対効果を測定する指標である。つまり、利益は、収益構造とその核となる費用との関係によって成り立っている。費用は、所得や支出を確定する為の指標である。つまり、収益を構成する為に不可欠な要件を定義するのが費用である。費用として認められた事が支出として認められる。費用として認められない事は会計上、計上する事が赦されないのである。その為の指針が期間利益である。故に、費用は、価格の基となる。
注意しなければならないのは、費用は、所得や支出の根源となる概念だと言う事である。

利益には、資金的裏付けがあるとは限らない。借金の返済が終わらないのに、償却が終われば利益は上がる。利益が上がれば税金がかかるのである。利益と借金、費用との関係を正しく知らないと利益が上がっているのに、負債が増えていると言った事態にもなるのである。

期間利益は、単位期間に費用を配分する事によって成り立っている。その為に、減価償却という概念が導入されたのである。この事によって長期的資金の働きと短期的資金の働きの整合性がとる事が可能となり、巨額な資金を必要とする大事業を実現する事が可能となったのである。それが資本であり、負債の概念の基礎となっている。

即ち、資本は、利益の概念に結びつく事によって成立した。





利益率は、営業利益も、経常利益も第一次石油危機をキッカケに大きく下げている。その後、回復はしているが、石油危機以前の状態には至っていない。
もう一つ重要な変化は、2000年代前半を通じて営業利益率と経常利益率が逆転している点である。















電力会社にとっていかに石油危機と東日本大震災の影響が大きかったかがわかる。








長期的資金の流れは損益上表に現れない。



長期負債は表に現れない資金の流れである。長期負債の働きは表に現れない。借入金を返済しても費用に計上されるわけではないし、又、返済された側も収益や利益が上がるわけではない。
しかし、長期資金の占める割合か高くなると潜在的な負荷があがる。その為に、資金の流れが悪くなるのである。
長期借入金の多寡は、金利負担の多寡になる。
長期負債は、位置エネルギーの問題なのである。長期負債は、フローには直接表れないが、金利や資金の返済という形で、場合によっては、経済主体の存続を及ぼすほどの水面下で大きな働きをしている。長期借入金は、経済主体の生命線を握っているとすら言える。資金が枯渇したら、経済主体は存続する事が出来ないのである。だから黒字倒産のようなことが起こる。

なぜ、長期資金がフローに関わらないのかというと、長期資金は、金利の部分を除くと付加価値に影響を及ぼさないからである。
損益は、付加価値の創造にある。逆に言うと付加価値が創造できなくなった時、貨幣経済、市場経済は破綻するのである。
しかし、この様な長期資金と短期資金の働きは、現金の流れだけでは掌握できない。だから期間損益が必要とされたのである。

期間損益が確立された事で短期的資金の働きと長期的資金の働きの整合性がとる事が可能となったのである。
長期的資金と短期的資金の働きの整合性がとられるようになって、ダムとか、鉄道と言った多額の資金を必要とする大事業の実現が可能となったのである。それは、期間損益によって長期的な資金計画が立てられるようになったからである。つまり、期間損益が確立された事によって現金の活用の幅が広がったのである。

ただ、期間損益主義の働きや意義、現金主義の働きや意義が正しく理解されておらず。また、位置づけらもされていない為に、期間損益主義と現金主義との整合性がとられていないのが実情である。

その為に、市場経済は、会計的視点によって現在の経済を歪められている。
会計は、経済の働きを知る上では欠かすことの出来ない処方であるが、それが経済の実体を表していると考えると大きな間違いを犯す。会計的手段によって把握できるのは、経済の一側面である。経済の全てを網羅しているわけではない。
期間損益上の弱点を補う為に、今日、現金主義が見直されている。
資金の流れを見ると経済の実体が違う視点から明らかになってくる。
無論、現金収支だけでは、資金の働きの全貌を理解することは出来ない。

長期的な資金の流れは、生産手段に対する投資と資本に関係づけられた。それが資産と負債、資本を構成するのである。資産は、生産手段の実体として位置づけられ、資本と負債は、資金源として位置づけられる。資本と負債は、外部資本との貸借関係によって成り立っている。

この様に資金の働きを短期的な部分と長期的な部分に区分する事で費用対効果を計る事が可能となった。しかし、その事によって実際の資金の流れと働きが見えなくなった。それを補う目的、近年、キャッシュフローの概念が確立されたのである。

全産業 運転資本(運転資金)の増減と短期借入金の増減

法人企業統計


運転資金は、プラザ合意後バブル崩壊まで与信超の状態であり。それが、バブル崩壊直前の90年から急速に萎んで97年以降は、受信超が派生している。2000年には、一旦均衡状態になるが、2005年まで、受信超な状態が続くいて、それが2005年以降再び与信超な状態になったがリーマンショック時には、大きく受信超状態になる。この様に見ると運転資金は、市場の状態を反映していることがわかる。

与信超な状態というのは、資金重要が旺盛な状態、即ち、資金が不足している状態で、受信超とは資金の余剰がある場合をいう。



受信超=企業間信用差額(与信超)=(受取手形の増減額+売掛金の増減額+受取手形割引残高の増減額)-(支払手形の増減額+買掛金の増減額)の値が負の場合。


財政と家計は現金主義、企業会計は損益主義




注意しなければならないのは、財政と会計は基本的に現金主義に則り、民間企業は期間損益を基としているという違いである。
国民経済計算書は、期間損益主義を下地にしている。

企業会計では、第一に、営業に関わる収入、および支出の収支。第二に、営業に関わる部分から生じる債権および債務。第三に、投資や財務活動以外の取引に関わる現金収支、例えば、不渡り等からなる。

営業キャッシュフローを経済全体に置き換えると所得と支出を意味する。つまり、生活に必要な経常収支を構成しているのが営業キャッシュフローである。その不足を蓄えから補える内は、経済は破綻しないが、借金で賄うようになると生活が成り立たなくなる事になる。

一国の経済も然りで、営業キャシュフローが不足し出すと投資に回す資金が回らなくなり、また、資本を食いつぶしていく事になる。

経常収支の計算方法には、直接的な計算方法と間接的な計算方法がある。直接的な計算方法は、支出を積み上げ、収入から差し引く事で計算する。間接的計算方法は、期間損益と現金収支との違いを調節する事によって補正計算する。間接的な手法は、利益と現金収支との関係を表している。

直接的な経常的現金収支を構成する要素は、営業収入から原材料の支出、人件費、その他支出を差し引いた値である。つまり、付加価値を意味する。

間接的な経常的現金収支を構成するのは、第一に利益である。第二に、償却費である。第三に、運転資本である。第四に、負の要素として納税額である。第五に、金利収支。第六に、繰り延べ勘定である。
利益は、税引き前利益を原則としている。ただ、特別損益の中に固定資産の売買損益が入り、固定資産の売買には、投資キャッシュフローに属する者が含まれるため、経常利益を使う場合がある。

経常的現金収支は、運転資本の部分と償却の部分からなる。
運転資本というのは短期の資金の過不足の調節項目である。償却の部分は、費用を平準化する為の按分を言う。

設備投資に相当する部分が建設国債ならば、運転資本に相当する部分が特例国債である。

運転資本を損益に振り戻すと営業活動による現金収支が割り出される。
運転資本を構成するのは、売上債権と仕入れ債務の差、そして、棚卸資産の増減である。運転資本は基本的短期借入金によってい対応されている。
運転資本を損益に加える事は、収益を収入に、仕入れを仕入れ支出に還元することになる。売上を営業収入に仕入れを仕入れ支出に戻す操作である。

運転資本を理解する為には、経常的現金収支とは何かを明らかにする必要がある。
現金収支は、営業収入から仕入れ支出を差し引く事で求められる。まず営業収入を計算する為には、売上の中から現金収入の裏付けのない部分を差し引く必要がある。つまり売上があるのに、現金を受け取っていない部分である。それは売上債権の部分である。在庫は、仕入れた商品の中で売上が立っていない部分である。故に、売上原価から差し引く。次に、現金支出のない仕入れ支出であるが、それは買入債務の部分である。さらに、支出のない費用が減価償却費である。

運転資本の増減が意味するのは、第一に、経済状態である。第二に、在庫の状態である。
経済の伸び、或いは収縮によって資金需要に差が生じる。その差が原因で運転資本の増減が生じるのである。
つまり、運転資本の状態を見ると市場の状況が予測できるのである。

経常的収支の根本は、運転資本である。
運転資本の質は、健全な売買取引と生産によって裏付けられているからである。
適正な在庫と健全な取引関係が運転資本の質を保証している。
運転資本の質が劣化すれば、途端に資金繰りが難しくなり、債務体質が悪化するからである。

例えば、総合原価方式では、在庫量を調節する事で合法的に利益を操作することが可能である。
それが又大量生産を促し、過当競争を誘うのである。総合原価方式が悪いというのではない。総合原価方式の本質をよく理解した上で適正な運用をすべきなのである。










運転資金は、運転資金の増減をみた時にも明らかになったが、改めて残高の推移をみると85年~90年にかけて急速に増加し、それが、90年に株価が、91年に地価が天井に着いてそれから94年にかけて少し揉みあってから2004年にかけて減少し、2004年に底をつくと2006年にかけて上昇しそしてリーマンショックを挟んだ2006年から2009年にかけて下落した後反騰している。







家計の営業キャッシュフロー



経済の最小単位の比重が家族から個人に移転しつつある。その結果として、家族の働き、例えば、家事、介護、育児、子供の躾・教育、娯楽等が外注化されている。家族から個人への移転は、それは、独身化や家庭の崩壊の一因となっている。
家計の主たる単位は、大家族、核家族、個人主体の構造へと変化している。
少子化最大の原因は、経済の最小化が家族から個人への移行にある。
高齢化対策も少子化対策も制度や設備と言った外的要件に偏っているのがその証左である。
一番の問題点は、経済の最小単位が家族から個人へと転移する過程で価値観、行動規範、風俗習慣、文化が変質していく事である。価値観の変質は、市場、特に、労働市場や消費構造を決定的に変える。消費構造こそ生産構造、つまり、産業構造を決定的に変えてしまうのである。つまり、これからは消費が産業を主導していく時代である。

家計も他の経済主体同様、収入、支出、資産、負債からなる。資産には、物的資産と金融資産がある。
貸借は、常に、資産と負債両面から見なければならない。
つまり、住宅の価値は、住宅そのものの資産としての価値と住宅ローンなどの借金の両面から見ないと評価できない。五億円の住宅を持っていても六億円の借金があれば、相殺されたうえに一億円の借金が残る。つまり、住宅の価値は、資産と借金とその住宅の使用価値の三点からなる。

家計の柱は、収入、即ち、所得である。
収入と支出は、経済の両輪である。そして、それは生産と消費、需要と供給の根底を成している。また、人、物、「お金」を結び付ける要でもある。
いずれにしても経済の柱は、フローである経常的収入と経常的支出、生産と消費、需要と供給にある。そして、それを補う形で貸借取引、そして、投資がある。
生産ばかりを見ていたら、経済の実体は見えてこない。消費の要である家計が経済をけん引している事を忘れてはならない。
そして、消費こそ、経済を制約しているのである。大量に生産してそれを消化できる消費がなければ無駄になるだけであり、経済成長を制約しているのは消費なのである。生産量を市場が消化できなくなると市場は飽和状態に陥る。




人件費の推移は、産業によって大きく違う。下記のグラフは、電気機械器具製造業を全業種に重ね合わせたものであるが、2000年を境に大きく減少しているのがわかる。



家計の営業キャッシュフローは、可処分所得の範囲内に収められるのを原則としている。所得が安定している事を前提として成り立つ。所得が不安定だと、営業キャッシュフローの性格が変わる。
先ず、借金が出来なくなる。なぜならば、借金は、将来の所得を担保しているからである。

資産家が、資産を担保して借金をしても所得が不安定で、返せるあてがなければ、負債は、膨張する。
借金は、経常収入から返済するのが原則だからである。
実際バブルは、資産価値の膨張が所得を上回る速度で拡大し、それが相続税を上昇させたことが一因で加速された。
ストックとフローとは密接に結びついている事を忘れてはならない。
一転してバブル崩壊後は、資産の裏付けのない借金が山積みされたのである。

家計の営業キャッシュフローは、経常的収支、つまりは、生活費である。日常的な生活にかかる費用とその為の原資である所得が家計の営業キャッシュフローである。つまり、生活の基礎的収支である。
この範囲を超えて支出をすると生活は、破綻する。そういう、現金の流れが家計の営業収支である。

故に、家計の営業キャッシュフローは、基本的に衣食住を核としている。生きていく上に最低必要な資源の調達が核なのである。生きていくうえで最低必要な支出の上に、生活費は形成されていく。
近年、この最低必要な支出の性格や構成が変化してきた。

家計だけでなく、民間企業にも財政にも、固定費と変動費がある。生活に必要不可欠な支出、費用は、固定費である。故に、衣食住の内十に関連した費用は基本的に固定費としての性格を持っている。食は、生活の変化と伴に変動するから変動費としての性格がある。

それに対して意図的に決定できる費用である教育費や遊興費、衣服などは管理可能な費用としての性格がある。

経済成長を牽引する要素の一つが消費である。消費の構造や質が経済や産業の構造を決める。
ライフスタイルの変化や生活水準の変化は、自ずと経済構造を変化させるのである。

例えば住に係る費用、即ち、家賃は、持ち家か、賃貸かによって性格が変わる。それは、資金の流れを固定的にするか流動的にするかを左右している。住宅投資は、長期的に資金を固定化する傾向がある。

経済の状態は、家計、民間企業、財政、金融、海外部門の不均衡によって生じる。

部門間の資金の過不足が資金を循環させる。問題は、部門間の資金過不足が固定的になる事なのである。
今現在、家計は、資金余剰部門として他の部門の資金不足を引き受けてきた。
2000年を境に民間企業は、フローでは、資金余剰主体となり、累積している負債を減少させている。国内の経済主体では財政だけが資金不足主体となり、一方的に負債を累積している。その為に部門間の格差が拡大しているのである。
バブルの崩壊時、一般政府の資金を減らさずに民間企業の負債を減らしたのである。

経済成長は、生産の増加、消費の拡大、所得の上昇、収益の増加、負債・資産の拡大、人口の増加などによって引き起こされる。経済成長を貨幣的な現象だととらえていると経済の実体は理解できない。確かに、表面的には貨幣的現象だが、実体は、生産量や消費量、人口などが裏付けしている。増税などの効果を測る時この点を見逃してはならない。
そして、経済成長を牽引しているのは、収益と所得である。収益を維持する為には、価格を維持する事が不可欠な要素である。つまり、適正な価格が維持されていれば費用の減少は、利益の拡大につながるからである。しかし、費用に合わせて収益が縮小すれば、経済規模は、全体的に収縮する。経済の実質的な成長を実現する為には、価格の維持が必要なのである。規制緩和は、値崩れの原因である。価格が下がれば、市場は縮小する事になる。
この様な点から、経済を決定づけているのは、可処分所得、収益、物価、経常的支出である。

かつては、老後資金は、貯金として家計が負担してきた。それを年金として一般政府に貯蓄しているのが今の形である。


財政の営業キャッシュフローはプライマリーバランス


財政上の営業キャッシュフローは、歳入歳出決算収支、基礎的財政収支(プライマリーバランス)である。
基礎的財政収支は、バブル期を除いてずっと赤字であることがわかる。特に、1997年の金融危機の際に一段と赤字が低下した。
基礎的財政収支が赤字であることが財政の赤字を深刻化しているのである。

経済主体は、基本的に経常的収支を柱にして成り立っている事を忘れてはならない。経常的な収支と言うのは、必ずしも財政赤字を言うのではない。総額としての財政収支は、貸借、即ち、長期的資金の働き、ストックの働きも含まれる。
経常的な収支と言うのは、あくまでも単位期間内における収支、即ち、フローを基礎として収支を言う。

借金の返済を経常収支の範囲内で賄えないからと言って借金によって返済をしていたら、経常的収支の均衡が保てなくなる。
その意味で財政における基礎的財政収支、プライマリーバランスは重要となるのである。

現在、懸念されている財政破綻は、物価が上昇してきた時、それに合わせて長期金利や当座預金の付利の上昇する事が予測される。そうなると国債の価格が下落し、札割れする危険性が出てくる。財政がデフォルトするか、ハイパーインフレーションになる危険性が高まる。そうなった場合、基礎的財政収支が均衡していれば、糊口を凌ぐ事が出来る。しかし、基礎的財政収支の均衡が保たれない場合は、スパイラルに資金の供給がされ、ハイパーインフレーションを防ぐ手段を失ってしまう。
どちらにしてもプライマリーバランスがとれるようにしないと財政は均衡を失ってしまう。


GFS(政府財政統計マニュアル)に基づいたデータ

財政の働きは、建国の理念の実現、即ち、所得の再配分と景気対策、行政費用を賄う事、国防や治安、防災、教育と言った国家の基礎的機能を実現する事、社会資本の充実、社会保障などである。財政が破綻するとこれらの機能が制約され、場合によって国家の独立や主権が失われる事になる。国家の主権独立が保てなければ、国民の基本的人権、権利と義務、国民の生命財産も守る事が出来なくなる。

国家の主権や独立を守るためには、財政の健全は必須の要件である。
財政を健全化する為には、基礎的財政収支を黒字化する事である。なぜならば、基礎的財政収支が赤字であるために、国の借金である国債残高が膨れ上がっているからである。
フローとストックは、無関係ではない。フローの資金不足は、ストックに累積をし付加価値、即ち、フローを圧迫するからである。
借金によって借金を返す事は、ストックの拡大に歯止めがかからなくなる事になる。ストックの拡大は、フローを圧迫する。

問題は、歳出の性格である。単年度主義である財政は、投資による支出も当年度に計上するのが基本である。故に、政策的に圧縮する事が可能である。

財政の健全性を保つ為には、まず、基礎的財政収支を均衡させる事が重要なのである。この点を念頭に置いておく必要がある。
増税か緊縮財政かといった手段に目を奪われがちだか、根本は、国家の役割をどう考えるかなのである。国家とは何か。主権者とは誰か。誰のために、何をしなければならないのかその点を見失うと政策の本質がおかしくなる。
財政をよくするための財政政策、景気をよくする事ばかり考えて肝心の国民を置き去りにした景気対策、お金を儲ける事が企業の役割ではない。企業は、社会に有用な財を生産し、労働の対価として所得を分配し、国家、国民の役に立つために、利益を上げるのである。利益を上げる事を最終目的としたら自己目的化して存在意義を失う。
財政をよくするために、戦争をしたり、ハイパーインフレーションを引き起こしたらそれは本末転倒である。

国民国家は、国民の福利厚生のために存在しているのであり、だから、国民は義務に服しているのである。

よく景気の悪化と増税を結び付け増税は、絶対すべきではないと主張する者がいる。しかし、景気の根本は、経済の基盤である構造や状況であり、単純に増税をしたから景気が悪くなると決めつけるのは、短絡的である。むしろ、税制を変更する事が市場や経済の仕組みにどの様な変化をもたらすかの方が重要であり、民衆は、自分に必要な物は調達せざるを得ないのである。経済は、日常な行為が核であり、基幹で成り立っているのである。
むしろ財政政策や金融政策だけで、経済を制御しようとする事が間違いなのである。挙句に無原則に規制を緩和したら、何が原因で景気が後退し、また、デフレーションを引き起こしているかの検証ができなくなる。
いずれにしても基礎的財務収支を無視したら財政は、健全にならない。

財政赤字の根本原因は、部門間の歪み、国家間の歪み、フローとストックの歪であり、これはわが国だけでなく、あらゆる国にある歪みだからです。この歪を解消する手段は、暴力的な手段にならざるを得ない。

現在、最大の資金余剰主体は、家計であり、最大の資金不足主体は、一般政府である。本来、家計に蓄積された資金を市場を経由して財政に還元すべきなのである。しかし、現在、資金余剰部門である家計に資金不足部門である財政から資金を供給している。
その為に、部門間格差を拡大を止めようがない。

社会保障費で問題なのは、社会保障費は固定費だという事です。政策的に容易に減らす事が出来ずに、恒久的に支出が継続するという性格がある点です。

社会保障制度の問題の背景には、家族制度、所得の働きの変質がある。高齢者の面倒は、本来家計が負担してきた。社会保障制度の本質は、家計の負担を一般政府に移転されることにある。
それが、家計が資金余剰主体であり続けている要因の一つである。つまり、所得の働きが限りなく個人の生活に制約されるようになってきた事が一般政府の負担を大きくしている。要するに、所得は、ゆとりがあるようで、高齢者の世話をするゆとりがない。
これは企業も同じであり、一見「お金」が溜まっているようにみえるが再投資をするゆとりがない。それが問題の本質なのである。所得の中から借金を返済すべきなのであって借金をして借金の返済をする様になったらお終いなのである。際限がない。底なし沼である。
先ず経常的な収支を合わせるべきなのであるが、事ここに至ってはそのゆとりも暇も持てない。だからこそある程度最悪事態を想定し、それを切り抜ける事に精力を注ぐべきである。

近年、高齢者に対する犯罪が増えているのは、悪党は、「お金」の匂いに敏感で、がどこにあるかを嗅ぎつけている。
つまり、高齢者に資金が溜まっているのである。高齢者層に退蔵されている資金をいかに効率よく活用するかが、高齢化社会で一番の課題である。

社会保障制度を議論する際、どうしても的外れになるのは、争点がずれやすいからである。社会保障の本質は、人と物の関係でも、人と「お金」の関係でもなく人と人との関係にあるのである。人と人との関係抜きに社会保障制度の問題について議論しても肝心な部分が抜けてしまう。一番核となるのは、人間性の問題である。制度や設備の問題ではない。この点を見誤ると社会保障制度の改革は最初から無意味な事になってしまう。

社会保障費で問題なのは、社会保障費は固定費だという事である。制度として一度支出が確定した場合、政策的に容易に減らす事が出来ずに、恒久的に支出が継続するという性格がある。

幼児保育の補助金を増やしたとしても、経済的効果は、期待できない。補助金は、所得の転移であり、付加価値を増やさないからである。しかも、幼児教育を無償化と言っても幼児教育は義務教育ではなく。また、全ての該当者が幼児教育を受けているわけではなく。待機児童問題が片付いているわけではない。その為に、受益者に不公平が生じる。

社会保障を景気対策に活用する事はできない。社会保障と言うのは、所得の転移であり、再配分に過ぎない。付加価値を増やす事にはならないのである。財政をよくするために増税してもそれを無原則に社会保障費に転用したら、かえって弊害になる。なぜならば、社会保障に対する支出は制度的支出だから、恒久的にならざるを得ない。一度支出したら、その支出を抑制する事は難しくなるのである。

何でもかんでも行政が負担すればいいという事ではない。
社会保障や福祉と言うのは、基本的に人と人との問題であって、人と物、人と「お金」の問題ではない。高齢者や失業に対してどう人と人が向き合っていくかの問題である。高齢者を設備に収容しもあるいは、年金制度によって「お金」で解決しようと考えること自体、最初から破綻しているのである。たんに財政が負担するだけでなく、企業法人も家計も分担して負うべき事なのである。
高齢者問題や少子化問題が設備や制度といった物や「お金」の問題にすり替わった瞬間、高齢者や少子化の問題は、道徳とか規範と言った視点が失われてしまうのである。
高齢者も、少子化も本来家族の問題なのである。

財政をよくするためには、景気を良くして税収を上げてからだと主張する人がいる。しかし、これはおかしな事である。
景気をよくするというのは、市場や産業の状態をよくする事である。
個々の部門が経済収支を調節して、フローとストックの均衡をよくする事である。
ストックは、時間的均衡の上に成り立ち、フローは、空間的均衡の上に成り立っている。そして、フローによって生み出された小駅の中からストックの返済を進めるべきであり、フローとストックどちらも単独で成り立っているわけではない。
部門間の均衡も同じであり、財政は、財政だけで成り立っているわけではない。個々の部門が単位期間の資金の働きを均衡させながら資金の過不足を調整していくべき事なのである。
現在は、財政が借金をしながら資金を一方的に供給し続けている。これでは部門間の歪も長期短期の歪も改善しようがない。特に、問題なのは、資金余剰主体である家計に、資金不足部門である一般政府から資金を供給している事である。
大体、財政が単年度均衡主義をとっている限り、ストックとフローの均衡を計る事は不可能である。

市場の過当競争を促し企業が適正な収益を望めない状態にしておいて景気回復をしようなどと言うのは虫が良すぎる。まず、無原則な価格競争を抑制する手立てを講じる事である。


市場では、政府が決定的な働きをしている


市場において行政の働きは、決定的な影響を及ぼしている。
戦後の日本では、政府や権力に対して否定的であるように仕向けられてきた。
反体制、反権力、反権威を気取れば一応知識人として認められてきた。
自分たちが体制側、権力者、権威者になっても反体制、反権力、反権威を貫こうとしている。それが日本人同胞を苦しめるとしてもである。
彼等にとって反体制、反権力、反権威は、正義なのである。
しかし、体制側の人間、権力者、権威が反体制、反権力では、迷惑をするのは、国民である。その為に肝心な事が解決できなくなっている。例えば国防問題である。

経済でいえば、政府が経済を制御したりしようとする一斉に反対してくる。市場の出来事を自然現象と同じ次元で捉えようとしている。
これでは、いつまでたっても市場は、放置されたままになる。
そこに、市場原理主義者、市場競争を絶対視し、規制緩和と言う無政府主義を押し通されたら市場の秩序は壊滅してしまう。
規制がない市場はない。市場は、元々人工的な仕組みなのである。
自動車は、畑で成る物でもなく、海で釣ってくる物でもない。野生に生息する馬のような動物でもない。
人間の集団が自分たちの意志によって作り出した事である。

市場から人為的働きを排除しようとするのは、危険な思想である。

同様に、金融政策や財政政策だけで市場を制御しようとするのも無謀な試みである。

市場原理主義者は、競争、競争と何でもかんでも競争をさせれば良くなると思い込み、規制を目の仇にして何でもかんでも規制を緩和すれば万事うまくいくと主張する。

しかし、エネルギー資源の多くを海外に依存している我が国では、エネルギー政策は国家戦略に基づかなければ成り立たなくなる。また、技術革新が目覚ましい総合家電業界は、多くの研究費や開発費を必要としている。
ただ規制を緩和し競争を煽れば、構造不況業界になり、産業が成り立たなくなるどころか国家の存立すら危うくする。
総合家電業界の惨状は、政策の稚拙さにも起因している。
まず日本の産業をどの様にしたいのか、それこそが根本なのである。
高度成長期には、生産に偏り、バブル崩壊後は、消費に偏る事で経済が歪になってしまっている。それこそが日本経済を停滞させている最大の要因である。

経済政策や産業政策が国家戦略の延長線上にあるのは、当然であり、必然でもある。国家そのものの存在を否定する反体制主義者、無政府主義者や革命家ならいざ知らず一般国民まで欺くような事をすべきではない。
官僚や実業家を目の仇にするのは、国家を転覆する事を画策しているのと変わらない。前向きで建設的な考え方をすべきなのである。

2019年3月現在、最悪の事態を考えそれに備えておくべき段階に入ったと思われる。
財政の持続可能性を考えた時、持続を可能とする根拠が思い浮かばない。
先ず今の様にストックとフローが不均衡な状態でストックが拡大し続ける事が維持できるという根拠がない。第一に、ストックとフローの不均衡が維持できるとは思わない。
フローとストックは不可分な関係で結びついている。
例えば、バブル期に地価は、年収の4倍から5倍程度に収めるべきかが議論された。それは、実需との関係である。
また、企業の簡易的な与信の基準として長期負債を減価償却費と税引き前利益で割った値が十倍を超えない(これは借入金の目安として)としないといった事が用いられている例を見てもストックとフローとの間に密接な関係がある事は明らかである。
つまり、国債の膨張には限界があるという事である。故に、どこかの時点で国債の発行を際限なく拡大する事には限界がある。
ところが、国債の発行を抑制する為には、プライマリーバランスが均衡させる必要がある。
プライマリーバランスを均衡させる手段は、歳入を増やすか歳出を減らすしかない。歳入増やす手段としては、経済成長を促して税収を増加させるか、増税するか、税以外の収入を増やす。歳出の削減は、予算を削減する以外にない。
危険なのは、経済成長に対する誤った認識である。経済成長は、貨幣的現象ではない。経済成長を構成する要素は、生産の増加、消費の拡大、所得の上昇、人口の増加、収益の増加である。これらの要素が均衡しないと安定的な経済成長は望めないのである。
問題は、景気を拡大して税収を増やそうという発想が目先の利益を追う事で景気が上昇すると考えている事である。実質的な経済成長には、限界がある。その限界を前提として経済成長を促すべきなである。実質的な経済成長の核となるのは、収益と所得である。規制緩和は、収益を抑制してデフレーションの原因となる。典型的デフレ政策である。規制緩和と言うデフレ政策によってインフレーションを起こそうとしている事である。
経済の効率化、経費削減は、費用、支出の削減を意味し、これもデフレーション政策である。故に、これらの政策によって税収を測ろうとするのは矛盾している。
故に、ストックとフローの均衡を拡大する事はあっても縮小する事は期待できない。
また、労働時間の短縮や休日の増加は、生産性の低下を招き、景気を冷やす。
補助金や増税と言う手段は、市場を介さないために、市場の活性化には直接つながらない。
また、日銀が金融政策に対して柔軟な対応する為に、現在所有する国債を減らす必要があるが、減らすどころか現在以上の買い入れを抑制しただけでも長期金利の上昇を招く危険性がある。つまり、日銀が所有する国債を減らす事も、増やす事も、何もしない事も何をしても弊害が生じるという事である。

当座預金が崩され貸付に向かった時、歯止めがなくなれば、過剰に資金が市場に供給され、物価を押し上げる事になる。かと言って当座預金を塩漬けにするにしても限界がある。国債が急激に下落した場合、国債を大量に保有する金融機関は大量の不良債権を抱え込む事となる。
長期金利が上昇し始めた時、適当な水準で均衡させる手段がないのである。
さらに、日本銀行の当座預金が2018年現在で389兆円ある。物価が上昇してくれば必然的に当座預金の付利が1%上昇としてもざっと4兆円の利息が支払われる。2%なら8兆円である。
要するに、何もしなくても物価が上昇しそれにつられて長期金利が上昇するとダブルパンチを食らう事になる。
いくら考えても持続する事は不可能であり、近い将来何らかの形で破綻すると考えるのが妥当である。

バブル崩壊時に、一般政府の負債の削減ではなく、民間企業の負債を削減したのである。その結果民間企業の負債は減少し一般政府の負債は上昇した。

不良債権にも誤解がある。不良債権と言うのは、固定的なものではない。資産価値の変動によって生じる相対的なものであるから、無理して不良債権を一括処理しようと相対的に不良債権を増やす事になる。だからこそ、不良債権処理に金融機関は慎重になるのである。ただ、一旦深みにはまった不良債権は、一定の基準で処理しないと禍根になる。この点だけは注意する必要がある。

資産価値だけが膨張するバブルと言う現象は、貨幣価値の希薄化を意味する。

先ず、ハイパーインフレーションは、現実に起こるのか。ハイパーインフレーションが起こるとしたら、いつ、何をキッカケにして起こるか。ハイパーインフレーションを収束させる手立てはあるか。考えられるのは、ハイパーインフレーションだけではない。リーマンショックのような事態や金融機関の連鎖倒産などの金融危機や財政破綻、恐慌なども考えられる。
何が起こってもそれに対応できるように、いろいろな事態を想定し、その時、何に対してどの様な影響を及ぼすのか。
その時自分たちはどのような対応をすべきか。どの様に行動すべきかを予め決めて事である。
兎に角、最悪事態をどうすり抜けるのか。その準備だけはしておく必要がある。
財政の持続可能性の問題である。財政破綻は、デフォルトとする場合とハイパーインフレーションによって借金をチャラにする場合が考えられる。いずれにしても現在の状態を維持する事が可能かと言うとそれは不可能だと言わざるをえない。歪みが大きすぎるのである。
現在の一番の問題は、国債残高ではなく。日銀に積み上がった当座預金残高である。
当座預金を解消する手立てがなければ、無事で済むはずがない。ハイパーインフレーションのような事態でなくとも例えばリーマンショックの様な事でも起こりえると考えるべきである。
では、何をキッカケにして起こるか。これは、あらゆることが考えられる。少なくとも今のような状態が続けば金融機関がもたない。金融機関の破たんが連鎖して金融危機を引き起こす事が考えられる。また、出口戦略による長期金利の上昇、ETFの問題。出口戦略によって金利の上昇を防ぐ手立ては、限られている。しかも、その手段は、両刃の刃になる。国債を減らそうとしたら、国債をの買い入れをやめなければならなくなる。国債の買い入れをやめれば長期金利の上昇は防げない。進も地獄退くも地獄とい状態に陥るからです。
また、資源価格の高騰。これは、オイルショック後の狂乱物価で経験済みである。
それから、戦争や天候不順、災害等によって物不足が起こる。ブロックが進んで自由な交易が阻害される。
キーワード成るのは、金利、為替、物価、地価、株価、資源価格、災害、貿易摩擦、戦争等ですが、逆に言えば何でも引き金になりうるし、何がキッカケで起こるかは予測ができない。こうなると地震のような災害に近い。予測を重視するか、対策を先行させるか。いずれにしても、実際に、危機的な事態に対するシナリオと対策だけは、立てておく必要がある。
予測される事態は、物価の急激な上昇、それに伴って金利の高騰、円安の進行である。鍵は、金利と為替と外貨準備高である。なぜならば、資源の確保が難しくなることが予測されるからである。資源価格が上昇すれば、スパイラルに物価は、巻き上がっていく。
この様な事態になれば一番負荷がかかるのは、金融機関である。ヘッジなどのデリバティブが首を締め上げる危険性がある。また、各社の資金繰りが難しくなる。
ただ、このような事態に陥ったら、わが国だけの問題ではなく。世界的な規模で真経済危機になる事が予測される。我が国が原因と言うより、世界同時多発的に経済危機が連鎖的に起こる事も予測される。
最悪の場合、世界経済が破綻してしまう。現に、リーマンショックの際は、瀬戸際にまで至った。また、今日の危機の伏線としてリーマンショックがある事も留意しておく必要がある。

貨幣価値が崩壊した時、資源国に有利に働くことが予測される。資源が少ないわが国にとって資源の確保と安定供給は、存亡にかかわる大事である。

社会保障制度は、ハイパーインフレの際、財政を直撃する危険性がある。物価の上昇は、社会保障費の拡大を意味するからです。無論、経済が破綻した時の家計の保障と言う側面がありますが、それ以前に財政が破綻すれば、社会保障制度そのものが成り立たなくなる。

ハイパーインフレーションと言うと物価が限りなく上昇するイメージを持ちがちであるが、ハイパーインフレーションは、外に向かって拡散するとする言うより内に向かって凝縮すると考えた方がいいと思う。貨幣の希薄化、濃縮化とである。なぜならば、貨幣単位は。人と物との関係の上に成り立っており、人と物は有限だからである。貨幣は、あくまでも財を人に分配の手段なのである。

ハイパーインフレの際、紙幣の発行量が膨大になる危険性がある。キャッシュレス化は、紙幣を準備するという物理的問題を解決する手段となる。ただ、紙幣の情報化は、貨幣の管理と言った別の問題も引き起こす危険性があるので慎重に行う必要がある。

楽観的に考えるのは禁物だが。かと言ってあきらめも禁物。冷静に、クールに現実を直視すべきである。絶望する必要もない。要は、最悪の事態をどうは切り抜けるかである。
過去のハイパーインフレーションも収束はしているのであり。その着地点を見極める事である。

戦後の日本では、終戦直後の混乱期を除いて異常な物価上昇は、高度成長に陰りが見え日本列島改造ブームによって地価の高騰があり、通貨の供給量が膨れ上がっている時に石油危機が直撃し、1973年には、16.1%、翌年の1974年には、21.8%と物価が上昇した。この時は、金融引き締め策が講じられたが、現在は金融も財政も打つ手がない。それが問題なのである。


総務省統計局


経常的な収支の範囲内で借金は返済するのが家計であろうと、民間企業であろうと、政府であろうと一大原則なのである。
貸借と言うのは、資金の時間配分を意味する。故に、所得の範囲内に単位時間内の支出を収められるかが、正常な経済活動を維持するために不可欠な要件なのである。

政府には、通貨発行券があるから財政破綻はしないと考えるのは危険な思想である。
何をもって財政破綻とするのか。単に資金が回っていれば経済が破綻していないと考えるのは、無責任である。人、物、「お金」の均衡を保ち、物価の安定と国民生活を維持する為の資源の調達と財の適正な配分を維持できなくなったら経済は、破綻しているのである。
通貨発行券があるからと言って際限なく借金を繰り返せば、通貨の発行量を抑制する事が出来なくなる。それは、物価が抑制できなくなることを意味し、資金フローを機能不全状態に落として入れる。

物価、金利、地価、の上昇、為替、即ち、円安の急激な昂進等が考えられる。
何が引き金になる、それはわからない。例えばキャピタルフライトによる急激な円安や原材料の高騰による輸入インフレーション等も十分に考えられるが、物価が上昇し始めた時、売りと買いどちらが先に上昇するか、それは個々の産業構造によって差があり、即資金繰り影響を及ぼす。金融機関は、一致協力して対応しないと経済の基盤が度対価世崩れてしまう事になる。
消費が引っ張る形での物価上昇と、費用によって押し上げられる物価上昇とでは、影響の出る部分に違いが出て、対策が全く違ったものになる。

いつ起こるかが問題なのではない。いつ起こっても即応できる体制を作ることが肝心なのである。



経済破綻は防げるか



経済破綻は防げるかを考えるためには、経済破綻と言うのは、一体どのような事を指すのかを明らかにしなければならない。

経済破綻とは、経済が成り立たなくなる。経済の仕組みが機能しなくなる状態のことを言う。
経済と言うのは、生きる為の活動であり、経済の仕組みとは、集団で生きる為の仕組みを言う。つまり、経済が破綻すると人々の生存が危うくなる状態になる事を意味する。故に、経済破綻は深刻なのである。

では、経済の仕組みとはどのようなものを指すのか。経済の仕組みは、調達(生産)、分配、消費(保存)の三つの局面から成り立ち、それぞれの局面は、各々独立して存在するのではなく、有機的に結びつくことによってそれぞれの働きを有効にしている。
経済の仕組みの役割は、調達、分配、消費の個々の働きを有効に機能させ、円滑な流れを維持する事である。

経済を動かす力とは何か。経済を動かす力とは、経済主体の状態や運動を変化させる働きである。また、経済的力は、経済主体を変化させる働きでもある。この様な力は、人、物、「お金」によって作り出される。そして、経済的な力は、経済を破綻させる働きにもなる。

経済は、生きる為の活動を言う。経済は、生きていくために必要な資源(獲物)を調達し、調達した資源を分配、消費する。一連の流れによって成り立っている。後に農耕など調達に生産的な要素が加わり、更に、消費に過不足が生じないように保存と言う行為が加わった。
調達(生産)、分配、消費(保存)が経済の基本的要素で、経済が破綻するのは、調達、分配、消費(保存)がのいずれかに障害が生じる事によって発生する。
特に、分配が揉め事の原因になる場合が多い。それ故に、集団の長(おさ)が分配を仕切る事になる。米の様に一定の品な質が保たれるような財は、別にして一般に獲物や生産物には、品質に差があり、一律一様に分配する事は困難である。
特に狩猟によって得た獲物は部位によっても差がある。それを配分するのは、長の力である。
集団の長は、独自の判断で分配を仕切るところから権力が発生し、集団が大きくなるにつれて権力は強権的になる。
生活を集団で行うためには、分配は組織的になる。組織によって仕事は分業化され、組織の掟によって役割や地位が定められるようになる。
つまり、経済の基本単位は、家計、企業、一般政府と言った組織的なものである。

組織の規模が拡大すると分業が深化し、社会的な格差が広がり、組織的な分配が上手く機能しなくなる。組織的な分配が機能しなくなると組織は分裂し、いくつかの集団が争うようになる。それを補う形で市場は派生する。

「お金」は、分配の手段である。「お金」が適正に働かないと分配に歪みが生じて最悪の場合、経済の仕組みを破壊してしまう。
市場と組織は、調達(生産)、分配、消費(消費)を効率的に実現するための機関である。市場と組織に「お金」の働きを組み合わせる事で自由経済は成り立っている。

現実の経済の仕組みを動かしているのは、「お金」の流れの働きである。「お金」の流れは、「お金」の過不足によって起こる。お金は、循環する事で効用を発揮する。「お金」は、循環しなくなると効用が発揮できなくなる。所得や資産の極端な偏りは、「お金」の流れを悪くする。

経済破綻の一番の問題は、人、物、「お金」の均衡が破れる事にある。次に、問題となるのは、部門間の不均衡である。

今日の経済は、貨幣経済を基礎としている。故に、経済的問題には、何らかの形で「お金」が関与している。経済の問題は、第一に、「お金」の問題。第二に、人と「お金」の関係による問題。第三に、物と「お金」の関係による問題。第四に、人、物、「お金」の四つの問題がある。
「お金」からは、金利と為替。「お金」と物からは物価。「お金」と人からは所得、人、物、「お金」からは利益が成立する。

インフレーション、デフレーションは、極めて貨幣的現象である。つまり、インフレーションにしても、デフレーションにしても何らかの形で「お金」の性格が関わっているという点に注目すれば解決が見いだせる。

「お金」の本質は働きである。そして、「お金」の働きは、情報に基づいている。

「お金」の働きは、財と人との関係に基づいて形成される。「お金」が単独で価値を生み出すのではない。「お金」は、価値を表す表象に過ぎない。「お金」の価値を決めるのは、財と人との関係である。この点を忘れると経済の実体は見失われる。
そして、「お金」の価値は、空間的、時間的差、そして、必要性によって生じる。必要性は、需給によって定まる。
経済的効用の実体は、人と物にあって「お金」は、あくまでも貨幣価値を測る手段に過ぎない。時間による変化を「お金」は、直接的に受ける。「お金」の変化ばかりに気をとられると経済の実相が見えなくなる。
50年前の1オンスの金と今の1オンスの金の経済的効用は変わらない。ただ、価格が違うのである。経済的効用を表す絶対的基準、尺度はない。経済的効用を表す基準は、相対的なのである。

「お金」の働きは、物価、所得、金利、利益、費用、為替等を通じて現れる。物価、所得、金利、利益、費用は時間価値を形成する。故に、「お金」の効用の重要な一つが時間価値の創出がある。
また、「お金」は、分配の手段であるから全体と部分の関係が働きを生み出している。「お金」は、交換によって効用を発揮する。
「お金」は、価値の尺度、価値を貯蔵、価値の発現をする手段である。

金利や費用には、負の印象が付きまとうが、金利や費用が物価や景気の下支えをしているのも事実なのである。

「お金」の役割とは何か。根本は、「お金」は、分配の手段だという点である。
分配の手段である「お金」は、総量が何らかの形で制約されている必要がある。金本位制度では、金の保有量によって制約されていた。管理通貨制度である現在は、通貨の発行量と外貨準備残高によって箍が嵌められた形になっている。
もう一つの制約は、所得である。個人所得は、支出を制約し、総所得は総生産を制約している。
経済破綻はこの箍が外れてしまう事である。つまり、制約が働かなくなるのである。通貨の流量が制約できなくなる事で「お金」の価値を制御できなくなる。それがハイパーインフレーションであり、デフレーションなのである。
つまり、物価、所得、金利、利益、為替が一定の枠組みの中に納まるような仕組みを作り、「お金」の流れをその枠組みの中で運用していけばいいのである。
枠組みの実体は、負債や資産(金融資産、有形固定資産、無形固定資産等)の残高によって形成される。枠組みが出来上がったら、資金の流れを単位期間内の収益と費用の関係によって制御する。それが市場経済である。利益は、収益と費用を制御する為の指標である。この点は、家計も、企業も、財政も、金融も、海外部門も共通している。

ハイパーインフレーションが起きるというのは、付加価値の箍が外れてしまい、限界を超えて膨張してしまうからである。これはある意味で純粋に数学的現象なのかもしれない。
付加価値を構成するのは、減価償却費、人件費、金利、地代家賃、利益である。そして、減価償却費は、過去の投資を基とし、人件費は、所得に転じ、地代、家賃は、地価、即ち、資産価値を、利益は、収益と費用構造を基として各々基となる物の比率によって成り立っている。この点が重要なのである。地代家賃の本となる地価は抑制され、逆に、金利の本となっている負債が際限なく拡大し続けている。これは、公共部門と民間部門の歪によるものであり。そして、人件費は抑制され、家計は所得は伸び悩んでいる。それが物価を抑制している。問題は、金利が抑圧されている事で金融機関に過大な負荷がかかっている事である。金利の箍が外れると付加価値を構成する要素も膨張を始める。それをどの様に防ぐかが鍵なのである。
このままでいくと金融が成り立たなくなる。これが第一の兆候である。
仮に、暴走を止められないとしたら重要な点は、着地点をどこに見出すかである。
ハイパーインフレーションもいつかは、収束する。なぜならば、一定の段階を超えたら、貨幣が貨幣としての機能をしなくなってしまうからである。
そうなれば経済は一旦貨幣経済以前の状態に戻らざるを得なくなる。要するに物々交換の世界である。そこまで行ってしまうとさすがに経済は、新しい次元に入ると思われる。

ハイパーインフレーションで何が困るのかと言うと民間企業でいえば資金繰りがつかなくなる事であり、金融機関では、資金の融通が難しくなる事である。一般政府では、財政を維持するのが困難となる。中央銀行は、通貨の量を制御できなくなる事である。
国全体で見れば、必要な資源を調達する事が困難となり、国民の生活が維持できなくなる危険性がある事である。また、経済が弱くなれば他国の干渉を招きやすい。場合によっては支配下に入れらる。
各々が自分の立場に立って何が困るのかを明確にしないと総合的な対策は立てられない。結果的に統一的な行動が立てられないで自滅してしまう。
常に、全体と部分の整合性をとるように対策は立てられなければならない。大切なのは、ベクトルを合わせる事である。各々は、自分の立場主張をしながら相互補完的に助け合う体制づくりをすべきなのである。

現代日本の問題点は、主として「お金」の問題である。第一にの問題は、支払準備のための資金が異常に膨らんでいる事なのである。二番目に問題となるのは、フローとストックの不均衡である。第三の問題は、部門間の不均衡である。これらの歪みが臨界点を超えると経済は制御不能の状態に陥り、国家の主権と独立が危うくなる。それが経済破綻を怖れる理由である。

日本銀行に積み上がった支払準備金をどの様に活用し、解消するかが財政問題、ひいては、経済の先行きを定めるのである。

経済破綻とは、第一に、「お金」が流れなくなる事。第二に、「お金」の価値が極端に変動する事。第三に、「お金」の働きが人や物と関係のないところで働き「お金」の働きを制御できなくなる事などある。必ずしもハイパーインフレーションのみを経済破綻としているわけではない。

市場経済は、所得、即ち、経常的収支を中心としてなり合っている。経常的な収支の均衡がとれなくなるとフローとストックの均衡が保てなくなり、「お金」の働きが暴走する。

対策を立てるためには、前提条件を確認する事である。
前提条件は、景気の状態、物価(特に原油価格の動向)の動向、金利、為替の動向、所得の動向、消費の傾向、更に、部門間の歪である。例えば、海外交易の状態、財政状態、家計のストックとフローの関係、企業・市場の経済状態などである。
次に、それぞれの項目について予測を立て、それが、何に対しどのような働きをして。それが自分たちにどの様な影響を及ぼすか。それに対してどの様な対策を立てておくかを想定しておく事である。
予測は、変化の速度(あるいは、力。強弱)、変化の幅、期間(時間)、位置(部門間の位置づけ、相対的水準の高低、為替の高低等)、方向(増減、上昇か下降か、拡大均衡か、縮小均衡か)、比率(金利、利益率、物価上昇率、所得の上昇率)等を基にして立てる。

後は、大前提、最終的に何を目的とするか。どの様な状態を目標とするか。有体にいえば、破綻を前提とするか。破たんを回避する事を前提とするか。その双方を前提とするかによって対策の立て方も違ってくる。

枠組みだけ示すと以下の様になる。

物価 金利 為替 所得  利益
速度
幅(距離)
位置
方向
比率
時間

家計 企業 財政 金融 海外
家計
企業
財政
金融
海外

枠組みにそって現状を解析し、予測を立てるのである。正確な予測が出来なくても方向性さえつかめれば対策は立てられる。

経済破綻を回避するための予防的な処置として考えられるのは、国有資産を民間に移し替えて国債の償却に充て、民間に移し替えた資産を基とした収益事業に民間金融機関から日銀に預けている当座預金を融資をさせ、解消する事である。ただこの場合でも、プライマリーバランスを取っておく必要がある。また、状況によっては、デフォルト宣言をせざるを得ない。

どの様な形で経済は破綻するのか。経済が破綻するとしたら考えられるのは、デフォルトか財政破綻、金融機関の機能不全である。デフォルトとは、文字通り債務不履行である。これに近いのが、財政破綻。財政破綻のどこかデフォルトと違うのかと言うと財政破綻は、デフォルトまで行かなくても実質的に財政が機能しなくなる場合を指す。
これらを防ぐ為には、一つは、歳出削減と増税。歳出削減も増税も国民に不人気であり、相当の指導力を持った政治家が現れれば別である。しかし、現実にそのような政治家は、見当たらない。
だからといってデフォルトしようにも金額が大きすぎる。日本だけの問題では終わらない。下手をすれば戦争を誘発しかねない。
一番の問題は、デフォルトをするためには、政治的指導者が失敗を認める必要がある。
その他の手段としては、物価を上昇させて借金をなかったことにする。その場合は、物価を制御できなければならない。物価を抑制できなくなったらハイパーインフレーションしかない。兎に角借金の額が大きすぎる上に、日本銀行が当座預金を貯め込み過ぎている。長期金利が上昇し始めたら、財政破綻も日銀の債務超過も時間の問題である。
金融機関が機能不全に陥った場合、リーマンショックの時の様に突然資金が市場に流れなくなる。そうなったら市場は機能しなくなる。頓死である。
残された道は、経済破綻を覚悟して着地点を何とか見出すしかない。
ハイパーインフレーションとなった場合、インフレーションが収束するまでの期間、物価の上昇速度と幅を読み取るしかない。経済は、速度と幅と時間の問題なのである。

一番考えられる筋は、先ず物価が緩やかに上昇し始める事である。物価の上昇に伴って金利に上昇圧力がかかる。金利に上昇圧力がかかるのは、名目的利益、利益の絶対額の上昇。物価の上昇は、支出や費用の増加をもたらし、所得や収益に上昇圧力をかける。
地価に代表される資産価値の上昇。資産価値が上昇する事で投資が活発化してくる。
更に、学費の無償化や物価連動型の年金制度、医療制度など物価上昇に連動して上昇する支出は、必然的に財政を圧迫させる。これらは短期の金利に働きかける。
物価の上昇は、歳出を圧迫し、国債の増加を促し、長期金利に上昇圧力がかかる。この様にして物価の上昇が金利に上昇圧力をかける。
物価の上昇や金利の上昇は、急速な円安を招く事となる。インフレーションが昂進すると海外から資源を調達するのが難しくなり、これらも物価をに対して上昇圧力をかける事になる。
問題は、日本銀行に積み上げられている当座預金で、当座預金と言うのは、支払準備である。「お金」がなければ、用意できる「お金」範囲内で遣り繰りしようとするが、「お金」があれば「お金」を使い切るまで使う事になる。日本銀行に積み上がっている400兆円の資金が市場に放出されそれが物価の上昇速度を加速する。これらが悪循環となって物価が際限なく上昇するのがハイパーインフレーションである。
この筋書きの嫌な事は、最初は、好況を装って来ることである。

また、金利差は、キャピタルフライトの原因にもなる。

長期金利にせよ、物価にせよ、付加価値を構成する成分の何かが暴走し始めたら他の成分にも連鎖する。
物価が加速し始めたら最初の内は何をやっても無駄である。一定の段階に達するまで物価の上昇の勢いは止められない。手が付けられなくなるのである。物価の統制が弱まった時に何に歯止めをするかである。それは価値が安定した物でなければならない。
それまでは、資金繰りをしっかりやって乗り切るしかない。
現実に人々は、生活し生きていかなければならないのである。

物価の上昇に加速度がついてきたら、なるべく物価の上昇を穏やか、まろやか、緩やかなものにする必要がある。
金融政策として有効な手段がとれないとしたら増税や緊縮財政と言うような財政政策をとらざるを得ない。
問題はタイミングである。遅すぎても早すぎても効果が薄くなる。そうなると政策が立案されてから実行に移されるまでの時間が障害となる事に注意すべきである。

なぜ、これだけ金利を下げ、金融を緩和しているのに、インフレーションどころかデフレーションも脱却できないでいるのか。それは、民間投資にお金が回らず、市場に「お金」が供給されないで金融機関に資金が滞留しているからである。
ではなぜ民間投資に資金が回らないのか。民間が投資をする条件は、金利だけにあるわけではない。
企業が投資を決断する要件は、第一に、投資に必要な資金を調達できるか。第二に、投資した資金を回収できるか。第三に、投資しなければならない理由があるかである。この三つの条件がそろわなければ、民間企業は、無理をして投資をしたりはしない。
第一の条件は、資金の調達力の問題で、裏付けとなる資産、担保となる資産をどの程度用意できるかである。第二の、資金の回収の手段は、インカムゲインとキャピタルゲインがある。第三の投資をしなければならない理由は、技術革新や市場環境等がある。

民間企業が安定的な収益を上げ再投資ができる環境を整え、維持するのも行政の役割である。それは、特定の人間を富ませたり、格差を広げる事を必ずしも意味しない。
研究開発やインフラストラクチャーに資金を必要とする産業は、投資資金にこれらの費用が組み込めなければ投資はしない。

いずれにしても、デフレーションを脱却しなければ経済成長は望めない。
そうなると民間投資を促す事が大前提となる。
民間投資が抑制される理由は、一つは、資金調達力の根拠となる収益が見込めないのと資産価値、特に、地価が異常に低いという点であり、この点は、資金の回収が望めないという理由にもつながる。要は、市場の状況と資産価値の問題であって金利や資金不足の問題ではない。金利は、これ以上低くできないという水準にあり、また、資金は過剰なのである。
一定期間、確実に収益が見込めなければ、いくら金利が低くても怖くて投資はできない。ところが商売が軌道に乗りかかると過当競争になって一定の収益が見込めなくなる。世論は、消費者の味方と言って安売り業者を奨励する。これでは製造業が成り立たなくなる。貸し手にしてみれば収益も見込めずに担保がなければ融資はできない。借り手にしてみれば、借りたくても借りられない。貸し手にすれば貸したくても貸せない。間違ってはならないのは、経済的価値を生み出すのは、市場であって公共投資ではない。
だから、金融政策や財政政策によって景気を立て直す事は期待できない。市場環境を改善するのと地価を一定の水準まで上昇させるのがデフレーションを脱却する為の有効な手段である。事業は事業であり、事業によって利益を上げる事は悪い事ではない。
規制緩和は、過当競争を促し、市場を荒廃させる。市場環境の改善からすると逆行している。これが最大の問題なのである。
ただ、経済環境を改善し、デフレーションを克服したとしても今度は、日本銀行に積み上がった389兆円の当座預金が問題となる。この当座預金を清算する手段が見つからないと一気に溶け出して物価を押し上げる危険性がある。現在 現金化されているのは、110兆円程度、厳密にいえば、それで市場は十分回っている。その4倍近い現金が市場に供給される事を覚悟する必要がある。財政の歪みが市場をゆがめているのである。経済成長を主導しているのは市場であって公共投資ではない。
国債が返済され日本銀行の負債は、清算されたとしても当座預金はそのまま残る。金融機関の国債も同様で返済された時に現金化され、現金が市場に供給される。国債の問題だけではなく、当座預金の問題でもあるのである。

この様に考えると堂々巡りになる。行きつくところまで行きつくことを覚悟しなければその先の事は考えられないのかもしれない。そうなったら、腹を括るしかない。最悪の事態に備えてそれを乗り切るしか方策がない。

繰り返し言うが、家計も、企業も、一般政府も、海外部門も経常収益の中から借金を返済していくのが原則なのであり、借金して借金の返済を繰り返すようになった経済的には破綻しているのである。

経済は、変化を力にして動いている。変化によって起こる力は、速度、距離(幅)、比率(関係)、位置、時間、方向(拡大均衡か、縮小均衡か。増減。上昇下降等。)によって測られる。

インフレーションやデフレーションと言った物価の変動は、実質的価値の変化、名目的価値の変化、そして、実質的価値と名目的価値の乖離によって引き起こされている。
GDPや経済成長率も物価を加味した実質と名目の両面から分析されている。

実質的価値と名目的価値をうまく使い分けながら着地点を見極めていく事である。問題は、経済的合理性のない支出はしない事である。

ハイパーインフレやデフレーション等による悪影響を避けるためには、資金を実質的価値何らかの形で結びつけておく事である。つまり、錨を下し、あるいは楔を打ち込むのである。ハイパーインフレを収束させる手段を検討する際も、何らかの形で、実質的価値と結び付ける必要がある。

ドイツが第一次世界大戦後のハイパーインフレーションを終息させるために打たれた策も土地に貨幣価値をリンクさせたことによる。その他には、アメリカのような強い通貨に貨幣価値をリンクさせる事である。

どの様な策を講じるにしても勇気がいる。用心深く、しかし、臆病にならないように迅速に決断をしていく必要がある。

日本経済がおかしくなり始めたのは、ニクソンショックあたりである。その後に第一次石油危機、狂乱物価、第二次石油危機と70年代は、日本経済の根底を揺さぶるような出来事が続きましたが、日本は何とか乗り切り、世界中から称賛された。それが80年代に入っると、雲行きがおかしくなり。プラザ合意後の円高不況、一転してバブル景気、反転してバブル崩壊後空白の10年、20年、30年と空白の時代が続き今日に至っている。日本経済を決定的にしたのは、バブル崩壊直後と言うより、2000年をはさんだ90年代2000年代にとられた政策である。
根本的にこの時代にとられた政策に問題があったと考えるのが、妥当である。しかし、誰もこの時代にとられた政策を検討しようとせず。検討しないから是正もできないまま、失敗を糊塗してきた結果が今日の為体である。

1985年、プラザ合意がされた年に、日本電電公社民営化された。
そして、1987年に国鉄が民営化され。このころには、パブルに加速度がつき始めている。
1989年大納会で3万8915円を記録する。そして、90年に入ると金融引き締めと総量規制が実施された。1991年地価税導入され。バブルが崩壊する。1995年二信組事件。1996年に、住宅金融専門会社に6850億円の公的資金が投入された。
そして、1997年、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券の経営破綻と続く。
この間とられた政策が規制緩和、会計ビックバン、株の持ち合いの禁止、雇用などの改革、1999年不良債権整理回収機構発足。そして、引き締め策から低金利へと転換。そして、ゼロ金利政策の導入。金融緩和である。究極的には、マイナス金利まで至る。
これらの全ての政策が悪いとは言いわないが、何が悪かったかを検証する必要はある。特に、何でもかんでも規制を緩和すれば、万事うまくいくという風潮はいまだに変わっていない。

公平に見て、本当にわが国の役に立ったかどうかも怪しくなる。なぜならば、これらの改革の多くが外圧によってなされているからである。

90年代、2000年代にとられた政策は、それまでの政策が全て悪いという前提に立っている。常に、オール・オア・ナッシングである。それは、高度成長が終焉し、70年代の出来事によって痛めつけられた反省の上に立ってであるが、日本経済の基盤まで突き崩す結果になり、それが今日の日本経済が立ち直れない原因となっていると思われる。
過去の人間ばかりを責めずに自分たちの非も認めるべきなのである。
終身雇用、年功序列、企業内組合、護送船団方式、株の持ち合い、政官財のトライアングルといった体制を単純に悪いと決めつけ、それを切り崩してしまった。また、電力、石油、ガス、金融、通信、交通などのインフラストラクチャーを築き上げてきた産業が利権化してきたとして自由化、規制緩和をしてきた。それが日本の構造を土台から変えてしまったのある。
個々の時代を変えた要件は、為替(為替の変動、為替介入等)、石油、金融政策(金利、金融緩和、規制緩和、業界再編等)、財政政策(国債、公共投資、税制等)、経済成長、規制(自由化等)である。これらの要件を見直してみると何が問題だったのかが透けて見えてくる。
規制を一律に悪いとするが、規制には、規制を必要とした事情があり、規制は、目的もなく施行されるものではない。だからこそ、無原則に規制を緩和、あるいは変更する事は、パンドラの箱を開けるような事なのである。

忘れてはならないのは、市場は、仮想空間であり。人為的空間だという点である。いうなれば幻である。幻に惑わされれば真実が見えなくなる。もう一点重要なのは、市場は必ず均衡点を求めて動くという事である。

第二次世界大戦後日本は戦争に巻き込まれる事もなく、極端なインフレーションが起こった事もなく、平穏無事に暮らしてこれた。しかし、これは稀有な出来事であり、異常な状態なのである。日本人は、この異常で稀有な状態が常態、当然と思い込み。全く油断して生きてきた。日本人にとって何もないのが当たり前で、一時的な混乱があっても時間が解決してくれる。何もしないで災難が過ぎ去るのをじっと待てばいいと言う日和見主義、事なかれ主義に支配され。無関心、無気力、無責任の三無主義に侵されている。しかし、現代のように激しく変動している時代では、あっと言う間に取り残されてしまう。
いつまでもこの様な状態が続くはずがないという事を自覚しなけれけばならない。ただ何もせずに見て見ぬ振りをしていたら確実に破局は訪れる。来たらずを怖れず。治に居て乱を忘れず。災難が襲ってくるのを怖れるのではない。
いざという時に潔く判断が下せなくなることを怖れるのである。
日本人も覚悟を決めて死に物狂いでこの国を再生する為に尽力すべき時である。

近代経済を突き詰めると神の清らかさ、純粋さがよくわかる。それに対して人の醜さ汚さが際立ってくる。近代科学を突き詰めると人の小ささ、弱さを思い知らされる。それに対して神は何と偉大で、宏大な事か。
神は、細部まで精緻で美しく、大きさは、無辺の彼方にまで至る。
例え神の力を手に入れたとしても、人は神にはなれない。いくら知識を極めても神の知恵には及ばない。神は、絶対であり、限りないのである。
神の力を得たとしても、おのれの非力さ、愚かさを自覚しなければ、神の力によって自滅するだけである。






       

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