経済の現状

日本経済の現状について

はじめに



はじめに


経済は、生きるための活動である。
経済の目的は、人々に生き甲斐、生きる目的を与え自己実現をさせる事である。
その為に、国家、国民を幸せにする事である。
国家、国民を豊かで平和にする事が国家、国民を幸せにする事なのである。
それが経済の目的である。

国家、国民を豊かで幸せにする事は、他の国や民族の犠牲にしてはなりたない。
人々が助け合い、分かち合わなければ豊かにも平和にもなれない。
特定の国や民族、勢力が資源を独占しようとすれば必ず争いとなり、凄惨な状態を世界にもたらしてきたのが何よりもその証である。
人々が助け合い、分かち合う事でしか経済の目的は実現できない。それが神の意志である。
人々は、冷徹な目をもち現実を受け入れ。そして、万民の幸せを願わない限り。自分の犯す罪に対する罰から、逃れる事は、できない。

人は科学技術を発達させ、多くの力を得た。生産力も飛躍的に伸びた。人は、物質的には豊かになれたかもしれない。
しかし、力を得ただけでそれを正しく活用する事が出来るとは限らない。大切なのは、その力を活用する目的であり、心である。
例え、力を得たとしても驕り高ぶればかえって身を亡ぼす事になりかねない。
科学技術は両刃の刃なのである。
神の力を手に入れたとしても神になれるわけではない。神の力を制御する強い心を鍛えなければ、神の力はそれを持つ者に対して災難をもたらし、やがては滅ぼしてしまう。

経済は、人々が生き生きと生きるための活動なのである。
人々が助け合い、分かち合う事でしか実現できない。それが神の意志である。
だから、結局人間は、自由と平等、相互扶助という思想に至ったのである。
経済のために、戦争が起こり、貧困が生まれ、飢えに苦しむ人がいたとしたら、それは、経済本来の目的を逸脱した証拠に過ぎない。



経済の本質は、お金ではない



現代社会は、オイルショック、バブル崩壊、リーマンショックと絶え間なく、経済の出来事に振り回されている。
人の一生も、「お金」次第で幸せにも、不幸にもなる。
人々は、金儲けに奔走して泣いたり笑ったりしている。
「お金」この得体のしれない物に社会も人も支配されているのは紛れもない事実である。

しかし、突き詰めて考えてみると、「お金」は経済の仕組みを動かす道具に過ぎない。
「お金」が人々を幸せにするわけではない。「お金」は幸せになるための一手段、道具なのである。
「お金」の持つ働きや役割を正しく理解していないからお金の虜になり、「お金」に使われてしまうのである。
「お金」が人を破滅させるわけではない。
人生を「お金」によって破滅させるのはその人自身なのである。

経済において重要なのは、どれだけ生産できるかにあるわけではない。人々が生きていくために必要な資源は何か、また、その資源がどれくらい必要なのかである。

人々が、生きていくためには、あるいは、人々が人間らしい生活を営むためには、必要な資源は、何か。そして、それがどれくらいの量を継続的に調達し続けなければならないのか。
不足している資源は何か、それをどこから調達しようとしているのか。
そのうえで、調達した資源をどのように配分するかが問題なのである。

また、余剰な資源をどれくらい持っているのかの問題であり、それは、不足な資源をいかにして調達するかの問題の一環としてとらえるべき事柄なのである。

必要な量と人口は、相関関係にある。だから、人口が問題なのである。人口も少子化が問題となれば、逆に、人口爆発も問題とされたりもする。そこには、なぜ、人口が問題なのかの本質的な議論がされていない。何が必要なのかという視点論点が欠けているのである。

経済の問題を単に生産の問題だととらえていると経済の本質は見えてこない。現代社会は、経済を生産の問題だと思い込んでいる。だから、ひたすらに生産力だけを追い求め、それを価格に反映してきた。
それが、「お金」の意味も歪めているのである。

貨幣経済では、富を生み出すのは、歪である。


貨幣制度はお金を循環させる仕組み


現代の経済仕組みを動かしているのは、「お金」である。
「お金」の動きがどのような働きをしているかを明らかにしない限り、経済の予測はできない。
経済を予測できなければ経済を制御することはできない。
だからこそ、「お金」の流れの働きを理解する必要がある。

貨幣制度とは「お金」を循環させる仕組みである。
つまり、現代の経済は、「お金」の動きによって左右されている。
「お金」の働きを正しく理解していないと「お金」に振り回され、最後には支配されることになる。

「お金」の動きというのは、「お金」の流れである。「お金」の流れが経済を動かしている。
「お金」は流れなければ効用を発揮しない。だから、キャッシュフローなのである。

お金は、使われることで効用を発揮する。その意味では支出が経済状態のカギを握っている。
問題は「お金」の使い方、使い道である。

経済の仕組みは建物の仕組みというよりも電気製品のような仕組みである。



経済は、建造物と言うより仕組みである必要がある。建造物というのは、基本的に固定的な構造物という意味で仕組みというのは、機械的な構造物だという意味である。つまり、変動しなければお金は循環しない。

貨幣制度というのは、「お金」を流して循環させる仕組みである。

貨幣の循環運動を制御するのは貨幣制度、金融機関、市場と言った仕組みである。この仕組みが歪んでいれば、必然的にお金の流れに偏りが生じ、お金が円滑に流れなくなる。

現金の収支には、長期的な収支と短期的な収支がある。

現金収支の緩やかな上下運動によって長期的資金の働きは、調和が保たれる。資金収束で問題となるのは過不足であって黒字か赤字かではない。黒字、赤字の是非は局面の状況による。

何らかの収支が常に黒字だとか、赤字だと現金収支は長期的に見て均衡しないで累積をしてしまう。

現代の世界経済における歪みは明らかである。第一に、アメリカの経常収支の累積赤字である。経常収支が大きいという事は、必然的に資本収支も大きく黒字になっているという事が言える。資本収支の拡大は、収支的にも収益的にも金融に対する依存が強くなる。産業構造に金融業界が占める度合いが強くなる事を意味する。物作りか、産業課と言った単純な発想で、産業構造の未来を占うのは短絡的である。経常収支が大幅に赤字で同じだけ資本収支が黒字だという背景を抜きには考えられない。
これは、アメリカのドルが基軸通貨である事に起因している。
アメリカの経常収支の赤字が累積する事で、通貨制度は、いろいろな障害や歪みが発生している。それをどの様に解消するかが、喫緊の課題である事は間違いない。
ただ、これは構造や仕組みの問題である。基軸通貨だから経常収支は赤字でも仕方ないと決めつけていたら、歪みは拡大し続け、最悪の場合を制度を破壊するほどに拡大する危険性がある。仕組みとしての動き働きをどう考えるのか、根本的な原理、原則を確定しておく必要がある。

基軸通貨であるかぎり、ドルは流出し続けなければならなくなる。

物(財)を動かしているのは、売り買いである。



貨幣制度を基礎とした経済体制というのは、「お金」を循環させる事で経済を動かす仕組みである。言い換えると現在の経済体制は、「お金」を循環させる事で経済の仕組みを動かしている。その為に、財は、生産と消費というように使い切る事で成り立っているのに対して、「お金」は使いきりではなく、使い回す物なのである。
「お金」は、資金が余っている所から資金が不足している所に、資金を回す事で循環する。
「お金」を循環する働きは、貸し借りと売り買いによって実現する。逆に言うと売り買いと貸し借りが「お金」を循環する為には必要な行為なのである。

売り買いと貸し借りの違いは所有権の移転の有無にある。

重要な点は、「お金」を循環する仕組みでなければならないという事である。売り買いだけだとお金は循環しない。ただ一方通行に流れるだけである。また、通貨の流量に制約があるから、貨幣価値は安定できる。その通貨の循環と貨幣価値を安定させる為に、貸し借りがある。つまり、貸し借りによって資金を回しているのである。

「お金」を如何に流して、回転させるか。特に、「お金」を如何に循環させるかが問題であり。その鍵を握っているのが貸し借りと税金である。
「お金」を流す原動力は、差である。差は価格によって付けられる。価格は、付加価値を根拠にして形成される。
現実に財を動かすのは、売り買いである。売り買いは、一定方向、即ち、生産者から消費者に財を流す働きがある。売り買いという働きだけでは、「お金」は循環しない。「お金」を環流する仕組みが費用と貸し借りである。費用は、所得という形で「お金」を生産者から消費者に環流する。
もう一つは、貸し借りで、余剰の資金を持つ主体から資金が不足している主体へ資金を転移させる。ただ転移するのでは、「お金」を動かす動機がないので金利を付けて返すと言う事を前提とする。この金利も付加価値の一部を形成しする。また、それでも過不足の調整が不十分なので税金で所得の再配分によって調節するのである。
「お金」の働きは、出入り、即ち収支によって発揮される。

売り買い、貸し借りが経済の基本取引だとすると、公共投資と税というのは、特殊な取引だと言う事になる。
しかし、公共投資も税も貸し借りを変形した取引だと考えれば、現在の財政の役割も違って見えてくる。
「お金」の供給機関、中央制御機関として政府を位置づけると紙幣は、国が金融機関や投資家から借りて、国民に貸し出すと言うのが本来のあり方である。貸し出した金を税によって回収している。この国民と国家との貸借関係が「お金」の働きの根源にある。

「お金」を動かしているのは、売り買いと貸し借りである。


市場を動かしているのは、売り買いと貸し借りである。
貸し借りによって市場にお金を供給し、売り買いによって市場にお金を流通させる。
貨幣経済は、売り買い、貸し借りによってお金を市場に循環させているのである。

経済は、「お金」を循環させる事で均衡を保っている。言い換えると経済を不都合な状態にする原因は、「お金」の循環を阻害する要因だと言っていい。「お金」は、余剰な処から不足している所に「お金」を回す事によって循環する。余剰な処から不足している所に「お金」を回す役割をしているのが金融機関である。「お金」を回す手段は、貸し借りである。
「お金」が余っている所から「お金」が余っている所に「お金」を回すような金融機関は、市場にとっては癌細胞のような機関である。市場を食い物にしてやがては破壊してしまう。

問題は、過不足を如何に解消するかである。それが時間価値の効用である。時間価値は、付加価値を形成する。即ち、利益、所得、金利である。所得には、労働所得と資本所得がある。

経済で重要なのは、儲かっているか否かではなく、経済の仕組みの目的である。目的を考えないで経済の仕組みを作るのは、無目的にダムを造るようなものである。意味もなくダムを造る事はダムが決壊した時のリスクをただ増やすだけである。
大切なのは、経済の仕組みを作る事でどの様な経済状態を作ろうとしているのかである。大切なのは、どの様な経済状態を創り出そうとしているのかの構想である。この基本的な構想がない所で経済問題を語っても何の意味もない。会社が効率性を高める為に、ひたすら費用を削り人間を排除したら経済主体本来の役割、資金の分配は果たせなくなる。人がいない経済なんて無意味なのである。「お金」を循環させる過程でお金を分配する事が経済主体の主たる役割なのである。

個々の経済主体の役割は、「お金」を循環させる事にある。「お金」を不必要に貯め込んだり、過剰に利益を上げる事は、「お金」の滞留や偏りを産み出す原因となる。
資金の滞留や過剰な利益を防ぐ働きが金利や税にはある。いずれにしても資金が円滑に循環できる仕組みが金融の仕組みであり、市場の仕組みだと言う事を念頭に置いておく必要がある。

個々の経済主体単独の動きに気をとられると全体に働きが見えなくなる。その結果、個々主体の働きと全体の働きとの整合性が失われ、最悪の場合、全体の仕組みを破壊してしまう。合成の誤謬と言われる減少である。

利益を上げることが企業の目的ではない


会計上、売り買いは、期間損益に反映される。
期間損益は、お金の働きを監視するために設定された指標である。
収益と費用、そして、利益の関係から、投資家や金融機関は、お金を企業に供給するかどうかを決める。
収益、費用、利益の関係は指標に過ぎない。実際に企業を動かしているのは現金収支である。
この点を錯覚すると企業は成り立たなくなる。
いくら利益を上げてもお金が供給されなければ、すなわち、資金繰りがつかなければ、企業は、破綻する。その好例が、黒字倒産である。

企業の目的は、利益を上げる事だと錯覚している経営者が多くいるが、利益は指標に過ぎない。大切なのは、必要な費用を支払って尚且つ一定の利益を確保する事なのである。利益を上げる事だけが目的ではない。一定の費用を負担する事も経済主体にとって重要な働きなのである。費用というのは、経済の波を平準化にする働きもある。利益は、支出を平準化する為の蓄えをする目的もある。
利益は、費用対効果を測定し、調整する為の指標である。故に、損失が出たとしても経済主体が経営破綻するわけではない。要は、お金が回ればいいのである。
赤字か黒字化というのは、資金の流入が流出より上回っているか、いないかを意味しているのに過ぎない。赤字だから、経営が成り立たないとか、成り立つとか言うのではない。赤字だとしても資金が流入すれば、経営を継続することは可能なのである。

費用によって「お金」の流れには負荷がかかる。摩擦のようなことである。摩擦は、原動力を消耗させる。だからといって摩擦をなくしてしまえと言うのは、乱暴なことである。なぜなら、摩擦がいろいろな働きをするからである。摩擦があってはならない所の摩擦を軽減すべきであるが、摩擦をなくしてしまったら仕組みそのものが成り立たなってしまう。

費用対効果を計る指標が利益であって利益は、利益を生み出す構造と状況によって変化するのである。


法人企業統計

債権と債務の作用反作用



経済現象は、時間の関数である。経済では因果関係が重要となる。経済現象には何らかの原因がある。

経済を動かす運動のキーワードは周期、振動、回転の三つと時間である。
重要な事は、現在の経済は「お金」が循環することで成り立っているという事である。
一方向の「お金」の動きでは、「お金」は循環しなくなり経済は停滞し偏る。

貨幣経済の根本運動は、循環運動である。循環運動とは回転運動であり、周期運動である。
貨幣の循環運動は、現金収支の上下運動によって成り立っている。つまり、現金の出入りが資金の循環運動の原動力なのである。

「お金」を循環させているのは、「お金」の過不足である。「お金」を過剰に持つ主体と「お金」が不足する主体があって「お金」は循環する。過不足の総和はゼロとなるように設定されている。

「お金」が不足する主体があれば、「お金」が余っている主体が存在する。「お金」の過不足を調節しているのが貸し借りである。貸し借りの働きが「お金」を循環させるのである。問題は、貸し借りの偏りである。極端に貸し借りの関係が偏ると「お金」が循環しなくなる。

「お金」の流れは、売買、貸借、贈与等によって生じる。
「お金」の貸し借りによって、債権、債務は形成される。
貸し借りによって生じるお金の流れによって同量の債権と債務が流れる方向対して垂直方向に派生する。
この債権と債務が資産と負債を形成するのである。資産と債務の関係は正と負の関係にある。この様な関係によって生じる働きを債権と債務の作用反作用とする。

資金の回転は、債権と債務の作用反作用の関係によって制御される。債権と債務の働きの均衡によってお金は循環する。

お金が循環する過程で、個々の経済主体は働きに応じて予めお金の分配を受けるのである。この過程抜きに貨幣経済を語る事は出来ない。

お金が潤滑に回らなくなると経済の仕組みは、上手く機能しなくなる。お金が円滑に回らなくなる原因は、お金の滞留や偏りである。

財政や不況、インフレーションなどの経済現象を改善する為には、資金の流れの偏りを探し出し、分配構造の歪みを見いだす事である。

財政破綻とか、経常収支赤字と言われても個別の経済主体だけを見ていたらその原因は解明できないし、必然的に対策も講じられない。財政破綻や経常赤字は、構造的な問題なのである。経済の仕組みの歪みによって引き起こされる。
大体、現金収支はゼロ和を原則としているのである。

「お金」の総量は、有限でなければならない。「お金」の総量に制約がなければ、貨幣価値は定まらないからである。「お金」の総量が一定であれば、「お金」の過不足は全体ではゼロ和になる。故に、現金収支も貸借も全体ではゼロ和であり、現金収支と貸借は同量でなければならない。

経済は、不可逆な現象であり、絶え間なくエントロピーが増大していて、市場は均衡へと向かおうとする力が働いている。


日本銀行 単位 1兆円

お金を何にどの程度流すべきか


経済の仕組みを動かしているのは、「お金」の出入りである。
つまり、経済の動きを制御するためには、お金の出入りを操作する必要がある。

「お金」は、力であり、エネルギーである。
「お金」の力が、どこに、どれくらい流れ、エネルギーとして、どこにどれくらい蓄積されているか。
それがわからないと経済の仕組みを制御することはできない。

お金を、何に対して、どの程度流すか、そして、回収するかが経済政策の肝となる。

根本は、分配なのである。分配であるから基本的に比率が重要となる。
つまり、収支の関係で決定的な意味を持つのは割合なのである。
故に、利益は利益率を重視する必要がある。総資産利益率や、売上高利益率が外部環境の変化によってどの様な変化をするのかを予測して産業毎に施策を立てることが肝心なのである。

資金は、常に余っているのも、不足しているのも不都合なのである。経済主体は、絶えず資金不足と資金余剰な状態を反復する。その過不足によって資金は、循環し、その循環を陰で支えているのが金融機関である。

経済主体が利益のみを追求したら、市場に偏りが出来、資金が循環しなくなる。それを是正する為に、政府は、所得の再分配を行うのである。

個々の経済主体にとって重要なのはどれくらい儲けているかではなく、如何に資金を循環させているかにある。循環というのは、連続的な資金の移転である。切れ目なく資金の移転が連続して起これば経済は回転していくのである。資金の移転が中断したり、偏れば、経済の動きは歪んだり、止まってしまう。
如何に効率よく資金を移転し続けるかに経済状態はかかっている。
財政赤字は、資金の移転が上手くいかず、偏ってしまうことによって起こる。要するに財政赤字の問題は、如何に効率よく民間の資金を財政に移転するかの問題である。それを増税のような強引な手段ばかりに頼っていると個々人にかかる負荷が過重になってくるのである。



表に現れてこない資金の流れ




今日の会計では、利益が経営状態を表す最終的指標として扱われている。
つまり、現在の会計では、経営状態、即ち、経済の状態は、期間損益を基礎として測定される。問題は、損益上に現れてこない資金の流れである。損益上に現れてこない資金の流れは、主として貸借取引の問題である。なぜならば、損益は、売買を基に作られているからである。
損益上に現れてこない資金の流れには、長期借入金の返済額、運転資本、設備投資の資金源などがあり、これらの資金の流れを明らかにし、その均衡を見れば経営状態で見えなかったところが見えるようになる。
表に現れない資金がどこから、何によって調達され、どこへ、どの様に支出されるのか。それを見極める事である。

先ず、損益上に現れてこない資金の動きにはどのようなものがあるかを明らかにしたい。

設備投資の資金は、長期借入金と純資産によって調達する。
長期借入金の返済資金は、減価償却と純資産から調達する。
運転資本の資金は、短期借入金と営業純益から調達する。
運転資本、支払利息、一般管理費、減価償却費にかかる資金は、営業キャッシュフローから調達される。
営業キッシュフローの核となるのは、営業純益であり、営業純益は、営業利益から支払利息を除いた部分である。



設備投資は、バブル崩壊後、減価償却の範囲内で行い。外部からの資金調達を控えているのがわかる。そして、1999年から2005年にかけては、外部から借入から返済へと重点が移っている。


  
企業法人統計

バブル崩壊しても長期借入金の残高がすぐに減少したわけではない。ただ、資金需要は、バブル崩壊後急速に冷え込んでいった。
減価償却費は、バブル崩壊後、リーマンショックが起こるまでほぼ横ばいである。減価償却費は、設備投資を反映したものであるから、バブル崩壊後ほぼ一貫して投資が抑制されてきたのがわかる。
バブル崩壊後の停滞の原因は、新規投資が抑制されたことに起因している。

在庫も売上債権も未実現利益である。つまり、将来の収入を前提としたものであるから売上や資産として計上されていても実際の収入はない。それに対して、買入債務は、未払い費用である。将来の支払いを前提としているが実際の支払いはされていない。
故に、現金収支を見る場合は、収益から売上債権と在庫投資は、差し引く必要がある。逆に未払い費用である買入債務は、売上原価から差し引くのである。売上原価は、支出を意味するから、売上債権は、資金的には、借入と同じ働きをしている。

短期資金の動き、運転資金と短期借入金の動きを見てみる。
運転資金は短期的資金である。運転資本が不足した場合は、基本的に営業利益か短期借入金で補てんする事になる。
運転資金の過不足は、プラスとマイナスが逆転する。運転資金の過不足と、短期借入金の動きを重ね合わせてみる。


  

バブルが形成されている時は、運転資金は、大幅に不足している。短期借入金を上回る幅で不足している。
運転資金の不足を補うのは、営業利益であるが実質的には、支払金利を除いた営業純益だと言っていい。短期借入金、営業純益の和と運転資金の過不足を対比してみる。


法人企業統計

1994年金利が自由化されてから支払金利が目に見えて減少し、その分営業純益が増加し運転資本の不足分を補ってきたのである。
それはまた支払利息の減少は、金融機関を直撃したともいえる。

  

分散と偏り



経済現象を引き起こしているのは、通貨の流量と通貨の流れ方や分散の偏りである。儲けるばかりの主体、損するばかりの主体が生じると分配に偏りが生じ、それが時間と伴に累積すると偏りを是正しようとする力が働く。
慢性的になれば、インフレーションやデフレーションを周期的に引き起こす事になる。それでも是正されないと経済破綻を引き起こし、大恐慌やハイパーインフレーション、戦争や革命などを引き起こす。

貨幣経済は、「お金」を回す事によって成り立っていることを忘れてはならない。つまり、如何に「お金」が不足している所に「お金」を回すか、言い換えると転移するか。
財政の不足を補う手段として現在考えられている手段に増税があり、インフレーションがある。ただ増税やインフレーションだけが財政赤字を解消する手段かというと違う。増税やインフレーション以外にも財政を健全化する手段はある。一番正統的なのは、総所得を改善することによって税収を増やす事である。税と所得の関係は構造的なことである。要は、資金の転移なのである。どの様にして資金を上手く回すかである。お金が回らないから偏りや滞留が生じるのである。

インフレーションは一般に物価の上昇を意味するが、債務の軽減という働きもある。特に、財政にとって資金を余剰に貯め込んでいる所から市場に資金を放出させるという働きがある事を見落としてはならない。これも一種の富の転移である。しかし、強制的に資金を収奪し、他に転移するというのは、社会の公正さを失わせる。
現在、税負担が大きくなりつつあるのも公的部分と、民間部分の均衡がとられていない証拠である。大切なのは、分配比率なのであり、それは、利益率や付加価値率として現れる。分配率は価格や可処分所得として現れる。

所得の再配分を前提とした社会では、公的負担が大きくなる。それが不公平感を生み出す。無論、格差の拡大も不公平感を増幅する。

決済のための現金が不足したら、即、経営は成り立たなくなる。
常に、現金残高は、余しておかなければならない。
しかし、売買取引だけでは、常に余剰な現金残高にしておくわけにいかない。しかも、現金が不足する原因は、一様ではない。利益を上げていても資金が不足することはある。資金が足りなくなれば即経営は破綻する。
現金が不足すれば、「お金」を貸し借りによって補充する必要があるのである。
不足したお金を借りるために、将来の収入を担保する必要がある。そのために、考案されたのが、損益である。
期間損益は、単位期間内の収入と支出を収益と費用に置き換え将来の収支を予測するための手段である。
現金収支は長期均衡を前提として、期間損益において短期均衡を目指すべきなのである。

貸し借りを解消する正統的な手段は、売り買いに基づく収益による手段である。
金融的手段は、二義的な事である。

個々の経済主体の収益を改善することが急務である。



総所得を改善する為には、個々の経済主体の収益力を改善する必要がある。

収益力は、付加価値率、或いは利益率と回転数の積として表す事が出来る。総所得をよくする為には、付加価値率、利益率か回転数を高めることである。

経済効率ばかり高めても所得が向上するとは限らない。収益率が向上しないと総所得は向上しないのである。

現預金を稼ぎ出しながらなぜそれが前向きな投資、設備投資に向けられないのか。前向きな投資がされる条件は、第一に、将来の収入が見込めること。第二に、担保不足が解消されているという事がある。そのいずれも解決されないのに、いくら、名目的に物価上昇を促しても、給与を上げても実質的な総所得の改善にはならないのである。

実質を重んじるならば、名目的な事象だけでなく。表面から隠された基礎的な部分で資金がどの様な動きをしているのかを明らかにしなければならない。資金の動きと収益として現れた表面の動きとを結びつけないと真の原因はつかめない。
収益がキャッシュフローにどんな影響を与えるのを見極めないと適切な対処は出来ない。

付加価値は、キャッシュフローを意味している。

経済現象を予測する為には、名目と実質の乖離を監視する必要がある。なぜならば、経済の急激な変動を起こすエネルギーは、名目と実質の乖離に蓄積されているからである。
ただ現在の名目と実質の指標は、フロー面に偏っている。しかし、実際に経済に急激な変動を引き起こすエネルギーは、ストックに貯められている。故に、名目と実質のストック、フロー両面を監視する必要がある。

これから主に、財務省が作成している「法人企業統計」に基づいて企業のキャシュフローと経済との関係を明らかにしていこうと考えてい。「企業法人統計」は、資本金10億円以上は、全数調査だが、それ以下の企業は標本調査である。この点を留意して分析をしていきたいと思う。

先ず全体を見た上で、1980年から1990年、1990年から2000年、2000年から2010年と時代を切って考察し、更に規模別、産業別に動向を分析したいと考えている。

全体を幾つかの指標で見てみたい。
注目すべきなのは、1980年に1.7回転あった総資本回転率が、一貫して下降し、2009年には、一回転を切っている点である。それは、売上に対して総資本が相対的に縮小していることを意味する。企業が現預金を貯め込んでいるというのは、錯覚で、総資本が圧縮される過程で見かけ上現預金が増えているのである。
それは利益率にも表れている。

総所得が20年以上に亘って増加しないのは、通貨の量の問題ではなく、回転数の問題である。故に、いくら通貨の供給量を増やしても根本的な解決には結びつかない。回転をよくする必要があるのである。


法人企業統計


法人企業統計

海外交易の働き



最後に海外部門がある。

海外部門は、独立した通貨圏からみたら、外部経済である。

現代社会は、海外との交易を前提としている。
なぜ、海外と交易しなければならないのか。我々が生きていく為に必要な資源を海外から手に入れるためである。
自給自足できれば、海外と交易する必要はない。現実に、日本は三百年以上に亘って鎖国をしてきた。そして、それでも成り立っていたのである。しかし、今日、海外との交易がなければ日本社会は一日も成り立たない。
その理由は、国際分業の進化と相互依存の強化した事である。今世界のあらゆる国は、一国だけでは成り立たなくなっているのである。
これが、世界を一つの仕組みに統合しようという流れを作っている。

もう一つ重要なことは、兵器の進歩である。

近代経済の核となっている産業や技術、飛行機も、原子力も、インターネットも、無線も、通信、ロケットや衛星も、紙幣も、軍事目的によって開発され発展した。
中でも紙幣や国債の発達には、戦争や革命が深くかかわっているのである。

日本が鎖国している間に、兵器は著しく進歩した。その結果、他国の情報に疎く、兵器の進歩に取り残された国は、他国の植民地にされてしまったのである。
なぜ、この事が重要なのかというと、国際経済を進化させた背景には、兵器の進化と国家財政、軍事産業、侵略戦争が不離不可分に関係してきたという事実である。兵器の進歩は財政を確実に圧迫していく。
財政は軍事費の軛から取り放たれる事はない。それは自国の都合だけで片付く問題ではないからである。しかし、経済の真の発展は、軍事費を軽減しないかぎり訪れない。
人類は、いつの日にか戦争という人災を乗り越えなければならない時が必ず来るのである。

成長の限界



現代社会は、成長を前提として成り立っている。成長を前提とするという事は、成長が常態だと考えなければ成り立たない。
しかし、果たして成長は常態なのだろうか。栄枯盛衰は、世の常だと、私は子供の頃教わった。諸行無常、万物は流転するとも。
ところが、現代社会は、成長は常態だとする。成長は、社会が成り立つための前提なのである。
しかし、それが社会を硬直化させ、戦争だの革命だのと言った暴力的な状態を引き起こしているのではないだろうか。
我々は、成熟も衰退も受け入れるべき時が来たのである。生まれ、成長し、成熟し、やがて、衰えていく。その過程を受け入れ、その時々にその時相応の対処生き方をする事こそ継続の前提ではないのか。
死と再生こそが真実ではないのか。

成熟した市場で自由競争を促す事は、場合によっては、市場の荒廃を招くだけで終わることがある。
経済政策というのは、本来、合目的的な事である事を忘れてはならない。
意味もなく、競争を煽ることは、短絡的すぎる。一体競争に何を求め、また、競争以外に何を求めるかである。何を競わせるかも明確にしないままに、争わせるのは、競わせること以外、意味がない。悪趣味である。

経済の目的は、人々を幸せにする事で、争わせる事ではない。

大量生産、大量消費、大量販売型産業の限界なのである。市場が成熟し、高度成長の終焉が見えてきた時、量から質への転換が計られるべきだったのである。ところが競争を煽り、安売り合戦に明け暮れた。その結果、バブルが膨れ、そして弾けたのである。

量から質への転換は容易ではない。それは、高度な技術や知識、経験などが要求させれるからである。機械化や合理化と言うのは、本来、単純反復繰り返し、また、肉体労働に取って代わるものだからである。つまりは、そのような単純作業から解放するという事は、より高い技術や知識を求められる事を意味する。その点をはき違えると機械化や合理化の意義を正しく理解することはできない。機械化や合理化は、必ずしも我々の仕事を楽にしてくれるとは限らない。楽をするというよりもその人その人らしい、個性や能力を引き出す事なのである。
よりその人らしい仕事に専念できるような環境を作る。自己実現を可能とすることなのである。
大量生産、大量消費、大量販売型経済は、商品を標準化し、平均化する事によって成り立っている。そういった大量生産、大量消費、大量販売から脱し多品種少量、個性的な経済に変わるためには、より高い技術や技能を身につける必要があるのである。そして、それが高付加価値を生み出すのである。誰もが同じ家に住み、同じ服を着て、同じ物を食べるのではなくてそれぞれが自分の望む家に住み好きな服を着て、美味しいものを食べる。それが量から質への転換なのである。














       

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