会計において一番問題になるのは、どこまで作り手の恣意を排除できるかである。元々、会計制度の性格上、恣意性を完全に排除する事は、困難である。

 会計は、科学になりうるのであろうか。仮説の正当性を証明するために、実験データが操作できるのでは科学とは言えない。作り手の都合で、利益が操作できるようでは、科学とは言えない。

 会計情報を、なぜ、恣意的に変更するのか。極端な場合、極端といっても往々にして在るが、法を犯してまで、会計情報を操作する、粉飾決算の誘因が、どこにあるのか。むろん、この様な事は、実利的な要因がなければ、行わない。誘因を目的別に上げると、第一は、節税である。第二に、株価対策である。第三に、資金繰りである。第四に、報酬を引き上げる。第五に、規制逃れである。

 ここでも、やっぱり外圧によって会計は、歪められる。内部からの自浄作用は、望めないのである。なぜなら、内部会計がなすからである。内部からの規律が働かない。自律していないのである。

 経営者は、内部の人間なのか。外部の人間なのか。この問題には、いろいろな異論がある。ただ、経営者の意識によって、この問題は、違ってくる。経営者が依って立つ基盤が重要なのである。

 粉飾決算を対策から整理すると、第一に、法人税対策。第二に、相続税対策。第三に、株価対策。第三に、第四に、利益の平準化。第五に、与信対策。第六に、自分に、有利な取引条件を引き出すために。第七に、人件費、労務対策である。
 これら対策には、二律背反的なものが多く含まれている。

 決算の粉飾は、嘘をつくのは、いけないと言った道義的な責任だけで片づけられるほど単純なものではない。粉飾をする動機の中には、企業が社会に果たしている役割、働きに原因しているものが含まれているからである。

 企業の機能は、第一に生産財の生産と流通、又は、サービス、便益の提供。第二に、所得の供与、雇用の確保。第三に、物品・サービスの購入。第四に貨幣価値への変換。第五に、貨幣の環流である。
 この働きを維持する為には、企業の継続は、使命となる。企業を継続するためには、資金の安定的な供給が、絶対的な必要要件となる。
 それに対し、収入は、必ずしも一定せず、時には、激しい変動にさらされる。しかも、収入の変動は、内部要因より外部要因に依る場合が多い。それに対し、固定定期費用、即ち、年間を通じて支払われる固定的な費用が、コストを底堅いものにしている。そのうえ、予期せぬ費用の上昇や発生が、絶え間なくあり、一時的な資金不足に、経営者は、常に、備えておく必要がある。また、収支と収益は、長期的に均衡させるものであり、収支と収益の間は、線形的関係ではない。

 共同体内部から見れば資金が回ればいい。その証拠に、公共機関は、収益が上がっていないのに、破綻しないできた。それは、資金が供給されてきたからである。資金が供給され続けているかぎり、共同体は、存続し、その成員は、生活が保障される。つまり、共同体を構成する者にとって資金が供給され続けることが目的なのである。その資金源の一番大きな柱が、収入であり、借入であり、投資なのである。ならば、内部会計の基礎は、資金会計であるべきである。

資金需要は、企業活動から発生する。企業活動は、資金需要として現れる。資金需要は、運転資金と投資資金とがある。投資資金には、新規投資と更新投資とがある。
 
 企業の運動には、一定のリズムがあるものが多く、このリズムには、短期的なものとと長期的なものがある。短期的なリズム応じて運転資金が派生する。このリズムは、景気の波を作る原因の一つである。

 多くの企業の収入には、季節変動がある。それにたいし、経費の発生は、通年単位で発生する傾向がある。資金需要の季節変動は、人・物・金という会計実体の属性からは発生するものもある。例えば、賞与資金のように人の要素が背景にある場合がそれである。この様な、資金需要は、収入とは直接的な関係はない。故に、夏場に資金が不足し、冬場に、余剰資金が発生するという業種もある。また、収入と支出の発生には、時間差がある場合が多い。
 投資資金には、新規投資と更新投資がある。設備更新は、長期的に見ると周期性がある投資が多い。この事は、多くの企業において、一定の周期で、多額の資金需要が、発生する事を意味する。そして、それらの資金は、単年度、単年度の決算結果と連動しているわけではない。

 収入と支出は、相関関係にない。多額の支出をしてもそれに連動して収入が増えるわけではない。また、急速な成長は、それに応じて資金需要も急速に拡大する。つまり、通常は、代金の回収よりも支払の期日の方が先に来るからである。企業の業績は、上がっているのに、資金的に行き詰まるという現象が往々に現れるのである。資金収支を見ただけでは、企業の実績を評価できない理由がそこにある。逆に収益ばかり見ていると想わぬトラブルに巻き込まれる事もある。

 この様にして派生する一時的な資金不足に企業は、内部資金と外部資金によって対応している。
 外部資金に依存していると外部資金を断たれた瞬間に企業の命運はつきる。故に、運転資金や更新資金のように必要不可欠な資金を内部資金でまかないたいという誘因が働く。
 それでなくとも、不要不急の際のために、なるべく多くの蓄えを、いろいろな形で、内部に蓄積しておきたいという誘因が働く。
 外部資金に依存している場合は、外部の信用を取り付け保つ点に、内部資金に依存しようと想えば、資金の外部への流失を防ぐ点に力点をおいた粉飾に対する誘因が働く。

 また、企業は、組織であり、一定の経費が定期的に発生する。ゆえに、計画的に収入を得たい。計画的に経営をするためには、ある程度の予測を可能にしたい。一時的な儲けよりも、安定した収入の方が、企業経営者にとってはありがたい。前年は、大幅な赤字だったけど、今年度は、赤字というのが一番やりにくい。経営者に対する評価も前年を基数とするケースが多い。また、従業員も、所得の総量を増やす事よりも、一定し、安定した収入を望む。そのために、経営者には、収益の平準化という誘因が常に働く。

 実物経済とは、実体的な経済であるのに、貨幣経済は、観念的な経済である。実体である実物経済に自ずと限界があるのに、貨幣経済には、限界がない。財の総量は、有限であるが、貨幣の総量は、無限に拡大できる。有限な世界を無限な尺度で測ろうとすれば矛盾が生じる。そして、実際の経済の限界が解らなくなる。限りあるものを無限なものに錯覚をさせる。

 会計処理が恣意的になる、なれる要素はいろいろある。その中一つ、会計処理の方法が一つではないという事である。それでは、法的に会計処理を規定してしまえばいいかというとそれは、短絡的である。会計処理を法的に規定しない、また、できない理由を明らかにしない限り、その是非は、問えない。
 会計的世界というのは、論理の世界ではなく。会計的現実が前提となる世界である。それは、数学的世界と言うより、物理学的世界であることを意味する。会計原則があって会計的現実があるのではなく、会計的現実があって会計原則があるのである。
 法によって現実を拘束するのは、本末転倒である。会計処理は、会計的現実があって成り立つ。学としての会計と現実の会計の違いであり、会計的は現実は、学としての会計がなくとも成立するが、学としての会計は、会計的現実がないと成り立たない。

 会計的現実は、時空間的空間であり、時間軸を含んだ、世界だと言う事である。時間軸を会計の座標軸の中にどう組み込んでいくかの問題である。

 そして、時間を含んだ対象が、非貨幣資産、費用性資産、未実現利益、資本(純資産との乖離)、期間損益に関わる事項(例えば、繰延勘定)である。これらは、時間の経過と伴に価値を変化させるが、それが、表面に現れないと言う特性を持つ。しかも、時間の経過による変化を割り出す方程式が複数存在する。そこに、会計処理の恣意性が介在する余地が生まれるのである。

 深刻なのは、現在の会計制度では捕捉できない取引が増加していることである。しかも、捕捉不可能な取引が、ある日、突然、顕在化し、企業が破綻するというケースが増えてきたことである。

 未実現利益は、課税対象とすべきではない。なぜなら、貨幣的な裏付けがないからである。資金的な裏付けない課目を課税対象にすれば、納税のためだけに資金を調達しなければならなくなる。経営にとっても税は、必要な経費なはずである。

 家計と財政が会計的にブラックボックス化されている事で、会計主体間の連続性に問題が生じている。財政の働きが、会計主体のどの部分にどのような作用を引き起こしかが、同じ論理上で展開できない。それが、財政の効果を捕捉、把握できない原因である。

 会計の論理で説明すればいい、会計の論理で行動する必要はない。そうはいっても、投資家や債権者、国家を対象にしているのだから、必然的に、株価や融資にも、納税額にも会計的に計算された結果は、反映される。会計の論理によって利益が計算され、それによって銀行から融資が受けられるかどうかや納税額が決まるとしたら、経営責任者は、当然、会計の論理によって意志決定をするようになる。更に問題なのは、利益に対する考え方が、投資家や債権者、国家それぞれ違っている。なぜならば、投資家、債権者、国家が要求している会計の目的が違うからである。しかも、利益の計算方法までもが、対象によって違うし、見るところも、開示方法も違う。その上、企業形態によって、開示する対象や目的、課目のウェイト付け、開示の仕方までも違ってくる。上場会社か、未上場会社か、はたまた、個人事業者かによって、会計の在り方まで違ってくる。
 しかも、対象毎に違う法や制度があり、法の内部も企業形態によって区分されている。即ち、日本を例に取ると、株主、債権者は、商法会計によって、投資家は、証券取引法によって国家は、税法によって規制されている。
 会計は、こういった構造的な問題を会計制度は、孕んでいる。

 制度会計は、法的な規制、拘束、言い換えると、法的な裏付けをもっていると言う事を意味する。法的な強制力が発生する以上、経営責任者は、その論理に従って行動せざるを得ない。財政や金融政策が、経営責任者に間接的に働きかけるのに対し、会計基準や税制の変更は、経営責任者の行動規範に直接的に働きかける。当然、経済に与える影響は、会計基準や税制の変更の方が影響力は大きい。
 いずれにせよ、会社経営というのは、制度や規制に沿って行われる。故に、個々の制度や規制の方向性が、経済の流れの方向性を示すことになる。それは、減税や公共投資よりも絶大な力を発揮することになる。減税や公共投資が間接的に作用するものならば、制度や規制は、経営者や当事者の行動や意志決定に直接的に作用するからである。

 会計基準を改定する時は、経済や税制度にどのような影響を与えるのかを充分に考慮に入れなければならない。

 結局、収益の配分を巡る問題に収斂すると言っても、その基礎となる資料、計算方法が違うのでは、収益を公正に配分することは不可能である。それぞれが、自分勝手に自分の都合のいいように収益を解釈しているにすぎない。

 しかも、労働者、従業員の持ち分は、認められていない。この事は、利益の配分から、従業員は、最初から排除されている事を意味する。現在の企業は、働く者達の物ではない事を証明している。

 企業が存在する意義は、それが、社会経済の中で一定の機能を持つことである。ところが、現在、企業の価値は、それが生み出す経済的価値のみに限定されている。しかも、企業が生み出す価値に最も関わっている者達、働く者達の意志とは、無縁のところで評価されている。そのために、社会的に有意義で不可欠な産業も経済的な評価を受けられないで淘汰されていってしまっている。
 企業の社会的働きを考慮した時、経済的合理性だけでは、割り切れない要素が多く含まれる。それをどう会計制度の中に取り込んでいくのか、それが最大の問題である。
 内部会計を確立すると伴に、社会の経済構造の中に位置付けていくことが、これからの課題である。

B 会計の恣意性(粉飾決算への誘因)

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