我々は、費用という言葉を何気なく、日常的に使っている。しかし、だからといって改まって費用とは何かと聞かれると多くの人は当惑する。費用の持つ意味を正しく理解しているとは限らないからである。多くの人は、費用という言葉の意味を知っているつもりになっているのに過ぎないのである。それが、費用に対する混乱の本となっている。

 費用は、期間損益に基づいて成立はした概念である。つまり、費用は、会計上の概念である。費用以外の会計上の概念には、資産、負債、資本、収益、利益などがある。つまり、期間損益は、会計制度によって成立した概念である。そして、近代会計制度は、複式簿記を土台として成り立っている。
 費用は、利益という概念を導き出すための概念の一つである。故に、費用を考える場合は、利益の概念を理解しておく必要がある。また、なぜ、利益という概念が成立したかが重要な鍵を握っている。

 産業革命を担ったのは、鉄道をはじめとする装置産業である。鉄道や、鉄鋼に代表される装置産業は、巨額に設備投資を必要とする。その為に、一方において、多くの資金を調達しなければならない必要性があるのと、もう一方では、現金収支の基づいた会計では、設備投資をした年に巨額の収支上の赤字を計上することになる。この様な産業は、本質的に、初期に投資した資金を長い時間をかけて回収することが原則である。また、会計が成立した当初は、当座企業を前提としてたが、装置産業の発達に伴って継続性が重視されるようになってきた。
 この問題を解決するために、設備投資と設備の維持にかかる資金を平準化する考え方が成立したのである。それが償却の概念であり、償却と繰延の概念が成立することに伴って期間損益が確率されたのである。
 故に、費用という概念には、償却と繰延という概念が重要な役割を果たしている。また、償却という概念が成り立つか成り立たないかが支出と費用との違いでもある。

 投資家や金融機関から資金を調達するための手段の一つとして、また、納税の根拠として期間損益はある。

 企業には、実体がない。いわば、張り子の虎である。故に、資金調達の目処が立たなくなれば淘汰される。資金調達の目処の算段を付けるのが利益である。会計的に利益が見込めなくなれば、資金調達は困難になるからである。

 資金の動きと、期間損益には、関係がない。資金の動きと一定期間における経営活動とを切り離すことによって期間損益は成り立っているからである。

 故に、期間損益を理解するためには、貨幣の持つ働きと期間、即ち、時間の概念が重要になる。
 また、この会計の概念が本となって資本主義は成立した。

 費用は、収益と対応することによって形成された概念である。収益を生み出すために、収益のを構成する何と対応するかによって費用対効果が認識される。

 この様な期間損益は、認識の問題が重要になる。つまり、どの時点で取り引きを認識するかである。

 実現主義と現金主義とでは、取り引きの始点と終点の違いがある。つまり。実現主義というのは、取り引きの始まりの時点で取り引きを認識し、現金主義というのは、取り引きの終点の時点で取り引きを認識する。

 また、現金主義では、その時点その時点で取り引きは完結しているのにたいし、実現主義は、その時点その時点では必ずしも完結しておらず、別の時点で決済をする必要がある場合が多い。

 単式簿記には、償却という思想はない。単式簿記は、現金出納が主だからである。現金収支を土台にしたものであり、現金主義に基づいているからである。

 経済の問題は、需要と供給の問題と言うより、分配の問題である。故に、絶対額よりも比率が大切になる。費用に関しては、特に、比率が大切である。

 なぜ、貨幣が必要なのかというと、それは分配の手段だからである。貨幣の作用によって需要と供給の調節が可能となる。貨幣が無尽蔵にあると、この調節が利かなくなる。

 分配が市場を通じて効率よく行われる為には、通貨が、ある程度、均等に分配される必要がある。通貨の遍在は、分配に不均衡を生み、市場の働きの効率を悪くする。

 現金というのは、貨幣価値を実現した物である。我々は、貨幣そのものを現金として捉えるが、現金というのは、本来、貨幣価値を象徴化した概念であって実体があるわけではない。その現金に実体を与えた物が貨幣である。
 かつては、貨幣そのもの、貨幣の素材そのものが価値を有していた。つまり、財宝としての貨幣である。しかし、今日、貨幣が証券化されることによって貨幣は、価値を象徴する物に変じた。それが紙幣である。そして、更に、貨幣は、物からも切り離され、情報へと変質しつつある。

 資金を調達したら、運用しなければならない。運用を前提として資金を調達することを原則とするからである。
 有力な運用先が見つからなければ、資金は、過剰に金融市場に流れ込み過剰流動性を引き起こす。

 資金を費やした結果が、費用と資産である。つまり、消費されるものはを一定の期間で区分したのが資産と費用である。

 費用と資産とを区分する基準、期間と効用である。しかし、費用と資産とを区分する明確な基準はない。それは、実務的な観点やその対象となる物の働きによって必要に基づいて実務的に決められている。いうなれば、ルールと同じであり、恣意的、任意に決められた尺度に過ぎない。

 あえて言えば、費用は、一時的な効果を発揮する物や役務であるのにたいし、資産は、長期的な効用を発揮する物や役務である。そして、償却資産は、別名、費用性資産とも言い。費用化されることを前提した資産である。

 この点から言うと資産と財産とは、別の概念であり、現金主義で言う財産とは、何等かの価値を有する物を指して言うが、資産とは、何等かの効用を持った、物や役務を指し、その効用を権利に置き換えると債権になる。

 つまり、現在的貨幣価値、即ち、現金を費やすことによって得た長期的な効用といえる。

 そして、この様な資産と費用の区分が成立することによって負債と資本の概念が形成されることになる。
 この様な負債の概念は、所謂、借金とは異質な概念である。つまり、負債とは、債務という責務、義務を象徴化した物であって実体があるわけではない。

 仮に、工場の用地として土地を購入したと仮定する。資金は、借入によるとする。その場合、土地の所有権という債権が生じる。その対極に借入金という債務が発生する。借入によって調達した資金は、本の土地の所有者の手に渡る。この様に、一つの取り引きは、同量の現金と債務と債権を派生させるのである。
 この場合、問題となるのは、土地を購入したといっても取り引きが終了していないという点である。よく、儲かった時に、土地や資産を購入して利益を減らし、節税対策をしようと企む者がいるが、残念ながら、土地の代金は、費用化されなずに、債務として残るのである。しかも、その元本返済も費用化されない。これが、現代の会計制度の原則である。
 償却資産の場合は、一定期間で一定の法則によって費用化されるが、非償却資産は、生産されるまで償却されずに資産計上され続ける。つまり、資金化されないのである。
 これが経済に重大な影響を及ぼす。期間損益上に表れない資金の流れが生じるのである。

 資金を調達しただけではそれは債務になる。資本も債務の一種である。故に、調達した資金は債権に活用しなければならない。費用は、それに見合った収益がなければ利益は上がらない。資産は、返済しなければならない。つまり、投資に必要な資金調達は、当初にあって以後は、返済の流れが主となる。

 資金を考える時は、資金の向かう先、方向が重要なのであり、その方向によって市場の拡大や収縮、資金需要が決まる。

 資金の流れる方向を考えずに不良債権を処理しようとすると、不良債権を減らそうとすればするほど、不良債権が増えるといった現象が起こる。
 それは、元本の返済圧力が強まるからである。過剰な返済圧力である。過剰な返済圧力が市場全般に働くと、資産の投げ売りが始まる。その結果、資産の下落が資産の下落を呼ぶことになる。
 その一方で、担保不足が生じて新規の運転資金が調達できなくなり、経営に行き詰まる。そして、正常な債権も不良債権化するのである。
 問題なのは、新規投資のための資金が調達できないことではない。
 ここで注意をしなければならないのは、運転資金が不足するのであって新規投資資金が不足するのではないという事である。そして、運転資金が不足するから事態がより深刻なのである。

 期間損益においては、何が費用化され、何が費用化されないかが重要な鍵を握っている。費用かされない物の典型は、非償却資産と借入金の元本の返済である。非償却資産の典型は不動産である。この不動産と借入金の元本の返済が不良債権の素となっていることに注目する必要がある。期間損益では、資産計上と元本の返済が問題となる。

 費用とは、消費である。消費というのは、貨幣価値の実現であり、価値の消滅である。そして、取り引きの完了である。費用の典型が人件費である。

 費用は、内部分配、内部消費、内部需要の問題である。それに対して、収益とは、市場価格、生産、供給といった外部配分のの外的均衡の問題である。
 故に、損益の問題は、内部分配の内的均衡と外部分配の外的均衡の問題に還元できる。損益上において重要なのは、内的均衡と、外的均衡である。

 費用は、仕入れ原価、人件費、その他経費、金融費用、地代、家賃、償却費、税に分配される。
 費用で重要なのは、費用を構成する要素の水準である。費用を構成する要素は、それぞれ独自の相場や性格を持っている。そして、その水準を決定する要素には内部要素と外部要素とがある。例えば、石油を原材料とする費用は、為替や原油価格の変動に影響され。それに対し、人件費は、物価と言った国内の要因によって決まる。この様に、水準を決定する要因は、市場の外部要因と内部要因とがある。

 市場間の水準の違いは、競争力に影響を与える。また、水準は、費用を構成する要素の位置付けにも影響する。例えば人件費の水準の違いは、一方で人件費や物価を引き上げる効果があり、他方で、人件費や物価を引き下げる圧力になる。それが、インフレーションやデフレーションの原因にもなる。

 金で何でも買えるのか。貨幣価値は、全ての価値を網羅しきれるのかと言う問題がある。また、貨幣価値は、量的価値だと言う事である。量化できない、数値化できない価値は、表現できない。
 貨幣の効力範囲は、貨幣の使用目的に規制されている。

 現行の資本主義も、会計制度も、最初から労働者を除外している。この事を、理解しないと、資本主義や会計制度の本質は見えてこない。

 人件費は、費用でしかない。しかし、人件費は、本質である。つまり、人件費の有り様は、企業の根幹的思想を現している。会計制度上は、あくまでも費用である。

 費用に対する実体には、本来は、人の要素が多分に含まれている。それは費用が認識によって生み出される概念だからである。

 技術ばかりで本質が忘れられている。
 著名な経済学者がなぜ、ノーベル賞には、経済学賞がありながら、哲学賞や歴史学史賞がないのかと質問されたときに、文学賞があるから良いではないかと答えたという。その傲慢さこそが経済学の実態である。哲学者に賞を与えられる者がいないからである。誰が、イエスキリストやムハンマド、ブッタ、ソクラテス、プラトン、アリストテレスを報賞できるであろうか。
 現代社会は、技術偏重の嫌いがある。経済は、文化である。その文化的な部分を削ぎ落とし、量的にしか経済を理解しようとしないことが経済の本質を見失わせる結果を招いているのである。

 費用にも量だけでなく。質がある。ただ、質的な部分は、会計上は、表れてこない。それが経済を分かりにくくする原因にもなっている。


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