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Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano

 会計とは、説明目的から発生した。説明が目的なのであり、事実と言うよりも意見である。つまり、考え方が重要なのであり、創作である部分が大きい。
 実際の経営は、資金の供給によって成り立っている。つまり、資金が廻れば経営は続けられるのである。反対に、資金が続かなければ、例え、利益を上げていたとしても会社は成り立たなくなる。それが黒字倒産である。つまり、資金の調達が経営の鍵を握っているのである。資金を調達するための説明が会計だと考えても過言ではない。それが会計である。

 説明が主目的だというのは、取得原価主義と時価主義が混在していることからも解る。取得原価主義と時価主義の混在は、説明を主目的としていると解釈しない限り、理解できない。

 会計の目的は、期間損益の算出が会計目的の基本である。ここで重要なのは、一定期間を特定していることである。それが決算である。その期間損益の算定という目的によって利益の概念は成立した。つまり、利益というのは、貨幣価値によって表示されるが、実際は、説明上において設定された概念であり、何等かの貨幣的実体があるというわけではない。ある種の意見なのである。これだけの利益があったといえるというのに過ぎない。当然別の見方考え方をすれば利益の額は、違ってくるのである。つまり、絶対値ではなく、相対値なのである。

 会計は、幾つかの前提と約束事で成り立っている。その前提や約束事に基づいて計算された結果が、利益なのである。その基本は、会計学的定義である。会計学定義は、世間一般の常識とは、視点が違う。資本金と言っても実際に何等かの金銭があるわけではないし、費用と言っても出費を伴わない費用もある。世間では、火事や盗難を取引とは言わなくても会計学上では歴(れっき)とした取引である。逆に契約書を交わしただけでは取引とは会計上では見なさない。この様に、会計学というのは、予め決められた前提や約束事から成り立っているのである。その点をよく理解しておく必要がある。また、これが契約の思想でもあるのである。会計の定義は、要件定義である。

 経営の目的は、利益を上げることである。ならば、利益とは何か。それが意外とハッキリしていないのである。利益というのは、資金を調達するために投資家や債権者に説明する目的で考えられた概念であり、金銭的の裏付けのある概念ではない。その為に、一定の期間を区切って収益と費用を対比させたのである。故に、利益の前提は、期間損益である。

 利益は、一定期間、だいたい一年間の収益と費用の差額と言う考え方と、前期、つまり、一年前の決算日における純資産額、又は、残高と当期の決算日の純資産額との差額(期末純資産の残高)という二つの意味がある。この二つの捉え方は、会計を動態的なものとする見方と、静態的なものとする見方の違いとなる。また、フローとストックと言う考え方もある。つまり、表面に現れた流れと水面下にある財を含めて利益を算出すべきだという考え方である。必然的に前者は、損益計算書を後者は、貸借対照表を重んじた考え方となる。前者は、取得原価主義となり、後者は時価主義となる。
 なぜこの様な違いがあるのか、その原因は、表面に現れない価値の変動があるからである。即ち、資産勘定の中に潜む含み損益であり、その根源は、非貨幣性資産の動きである。

 企業の目的は、継続にある。企業を継続させるためには、資金が必要である。しかし、現金の出納だけでは、帳尻が合わなくなる。資金を調達するためには、収支に変わり理念が必要である。その収支に変わる理念が利益である。

 例えば、十年間使用するために購入した機械や装置でもそれを購入した年度単年度の収支を見たら赤字になる。それ故に、単年度に処理するのではなく、複数年度に費用を分けて支払ったように仮定し、利益を計算するのである。この様に費用を複数年度に小分けして支払ったように見せかけることを償却という。そして、償却の技術が発達することによって投資家に対する合理的な説明をすることが可能となり、それによって多額資金の調達が可能となったのである。つまり、資本主義制度というのは、資本と償却の技術の発達によって成り立っているのである。この資本と償却の技術の基礎が近代会計制度である。そして、この償却の技術によって利益概念が確立されたのである。

 経営の現場では、基本的には、収益と費用の差額という考え方が基本である。つまり、一年間における経営や運営の実体を反映した結果が、利益であり損失だという捉え方である。
 しかし、不動産や株の下落によって巨額の含み損が発生した事によってこれまでの含み益による資金調達が困難になり、それが原因となった経営破綻が続出したことにより、貸借対照表、即ち、時価主義が見直されるようになってきた。そして、その事によって利益の意味も変質してきているのである。この事を充分に留意して会計上の利益の意義について考える必要がある。

 損益の構造というのは、分配の構造である。損益には、五つの利益、四つの費用が三つの収益があると言われている。先ず、利益は、第一に、粗利益。第二に、営業利益。第三に、経常利益。第四に、税引き前利益。第五に、純利益である。費用は、第一に、売上原価。第二に、販売費、及び一般、管理費。第三に、営業外費用。金融費用。第四に、特別損失である。収益は、第一に、売上高。第二に、営業外収益。第三に、特別利益である。
 ちなみに、これは、日本の区分で英文会計には、経常利益の区分はない。それを見ても解るようにこれらの区分は相対的である。
 ここに現れる階層というのは、当該事業、仕事にかかわった関係者達の取り分を貨幣価値的に表している。つまり、分配の構造である。中でも粗利益に占める人件費、その他経費、利益の分配率が指標として重要な意味を持つ。
 特に、労働分配率は、生産主体の共同体的機能を支える重要な指標である。また、収益は、投資家、債権者、経営者、国家の取り分を示す。この様に、損益構造は、分配構造を示しているのである。

 オイルショックの時の石油価格の高騰の問題を絶対額で捉えてしまう傾向があるが、実際は、為替の変動や物価の上昇を勘案する必要がある。結局、石油価格の上昇は、長中期的に見ると経済全体の配分の中で吸収される。つまり、比率の問題であり、結局は、産油国の取り分の変動に過ぎないのである。
 
 売上や仕入れは、数量×単価=総額の式によって表される。数量とは、物理的量を表わし、単価とは、経済的価値かける貨幣的価値を意味する。物的価値には、有形な物と無形の物がある。経済的価値は、市場化的価値でによって決まる。市場的価値は、基本的に交換価値である。交換価値は、需要と供給によって決まる。需要と供給関係には、費用が梃子の作用を及ぼす。費用は原価構造を持つ。原価構造は、人的に価値と物的な価値がある。人的な価値は、時間の関数である。貨幣価値は、通貨の相対的価値である。貨幣価値は、市場に流通する通貨の量と市場規模によって決まる。
 また、国家間における通貨の相対的価値は、通貨の信任によってきまる。通貨の信任は、国際為替市場によって裁定されるのである。 

 単価は、価格構造を持つ。価格構造というのは、配分構造であり、取り分・比率を表す。この点に経済の持つ重要なことが現れている。経済の基本は分配である。その分配を直接的に行うか、市場を介して間接的に行うかの問題なのである。市場経済といえども、財の全てを市場を介して行っているわけではない。政府機関や企業と言った組織・機関を通じて直接的に分配している部分が混在しているのである。

 価格というのは、絶対量ではなく、相対利用である。価格構造とは、配分の比率である。そして、市場経済とは、何等かの組織、機構を通じて直接的に配分の比率を決めるのではなく。市場を介して裁定する仕組みなのである。

 現今の会計制度は、実現主義・発生主義を前提とする。ただ、実現主義や発生主義で捉えきれない部分を現金主義で補っている。また、原価は、取得原価主義である。一部、時価主義や時価以下主義を導入しているが、それでも基本は、取得原価主義である。それは、時価主義は、主観を排除しきれないと言う欠点があるからである。

 収入と収益は違う。収入と収益とは、何処が違うのかというと収入というのは、金銭、又は、金銭の同等物の授受を前提とするが、収益は、必ずしも金銭の授受を前提としていない。例えば、掛け売りや買い掛けが、良い例である。売上や仕入れを計上するが金銭の授受は伴わない。手形も同様である。また、割賦売上のように、回収が、複数の期をまたぐような場合もある。

 収益は、原価、経費、報酬、配当、金利、内部留保に分配される。

 資金会計と収益会計が発生する原因は、通貨の流れと取引の実態、財の流れのズレによってである。

 収入と売上は、違う。更に、所得とも違う。売上は、基本的に収益を基礎とした概念であるから、必ずしも金銭の授受を前提としていない。

 所得には、報酬という意味と税制上の収益という意味がある。ここでも、所得は、収入とは違う。報酬という意味には、分配という意味が隠されている。つまり、所得には、分配と報酬がある。報酬は、人的な意味での報酬と言うだけでなく、法人としての企業、機関に対する報酬という意味もある。個人所得と法人所得がある。その報酬にかけられる税が所得税である。法人税は、所得税の一種である。ただ、税制上の所得は、税制によって要件定義された所得である。一般に使われている報酬という意味での所得とは、微妙に違う。

 報酬とは、財の分配を受け取る権利なのである。財の総量は決まっているのである。報酬というのは、限られたパイの配分の問題である。

 報酬は、その高より、継続的に一定している方がいい。そうしないと、計画が立てられないからである。地価や株価の変動が収益や利益に影響を及ぼすとなると計画や予算が立てにくくなる。つまり、経営以外の所に不安定要因を抱え込むことになる。経営に失敗しても不動産の高騰によって補うこともできる反面、地価の下落によって経営努力が水泡に帰すこともある。これでは、純粋に経営者は経営に専念できない上、経営実績を評価することが困難になる。
 
 費用はと収益対比される概念である。費用は、所得の転移を意味する。つまり、原油価格の上昇は、費用の上昇という形で現れるが、実体は、原価の中に占める石油関連費用比率の上昇である。
 生計費、に占める費用配分を考えれば解る。石油価格が上昇することによって生計費の他の部分を削減しなければならなくなる。それは、実際には、その課目に関連する産業に計上されるべき所得が原油生産国に転移されることを意味している。
 たとえて言えば、発展途上国と先進国を比較した場合、トマトの値段が先進国では高いのか、自動車の値段が安いのか、どちらとも言えない。ただ、生計に占める割合を考えた場合、工業製品が、先進国では、相対的に低いと言える。つまりは、配分の問題なのである。

 収益には、三つある。まず第一に売上である。第二に、営業外収益。第三に、特別収益である。

 あたかも、増収増益だけが企業業績の良好を示しているかの如き報道がある。企業業績は、その時代を反映したものである。
 増収増益は、インフレ。横這い、増益、減収増益は、生産性の向上。

 利潤、利益は悪である。ないし、必要悪であるという思想がある。公共事業は、この利益、悪論に基づいている。税務当局も利益は、公共に還元すべき物と考えている節がある。しかし、これは間違いである。この考え方は、士農工商という発想にもある。商人は、狡い、詐欺師だというのである。

 経済の根本は、必要性である。それは、第一に、労働の必要性であり、分配の必要性であり、それは、評価の必要性の基となる。第二に、生産の必要性と消費の必要性であり、それは、貯蓄の必要性を派生させる。第三に、需要の必要性と供給の必要性であり、それは、在庫・保存の必要性を生む。それらの必要性を計測するのが損益である。
 

収   益