消費のアルゴリズム


消費の意義と目的


経済の基盤は、消費にある。なぜならば、経済は、生きる為の活動、生活だからである。生活と言うのは、消費である。生きる為に必要な資源を調達あるいは、生産し、分配したうえで、効率よく消費する。それが経済の基本である。確かに、生活の為に必要なものを調達し、生産する必要がある。では、何を調達し、生産するのか。それは、生きる為に必要な物、生活に必要なものである。生活とは、消費である。つまり、消費に必要なものを調達し、生産するのである。調達し、生産したものを消費するわけではない。
この点に関して今日の経済は、誤解がある。なぜならば、生産が消費より重視され、優先される傾向があるからである。

猫に小判、豚に真珠と言うけれど、猫は、小判のために仲間を殺したりしない。豚は真珠のために兄弟と争ったりはしない。だとしたら、人と猫、人と豚どちらの方が真の経済的価値を理解していると言えるだろうか。本来、経済は、生きる為に必要なものを生産し、調達する事が目的なのである。
現代人は、必要なく無駄に生産し、捨てている。その為にどれだけ多くの資源が失われ、自然が荒廃しているか。経済は、「お金」を儲ける事が目的なのではなく。必要な時に、必要な財が、必要なだけ、必要としている人に供給されればいいのである。その根本にあるのは、消費である。

経済は、生産経済と消費経済がある。労働にも生産のための労働と消費のための労働がある。経済的差別の根本には、生産労働の身を貴び、消費労働を侮る風潮が隠されている。
今一度消費を根本経済と言う観点から見直す必要がある。

消費は、生きる為の活動である。
消費の目的は、人生そのものである。つまり、生病老死、衣食住にある。

消費の場は生活の場である。消費の意味するのは、人生の軌跡である。消費の根本は、生病老死である。消費の根幹は、衣食住である。消費は、生活を実現する。

消費は、最終目標である。
消費は、経済の目的を実現する事である。どの様な消費、即ち、生活をするのか、その設計がなければ経済の全体像は構築されない。
消費は、生きる事、生活を実体化する事なのである。消費は現実である。
消費は文化である。

消費には質がある。消費で一番の問題は、質である。消費の質は人生に関わっているからである。そして、消費の質の変化が経済に決定的な変化をもたらすからである。

消費は浪費ではない。消費は個々人の思想に基づく。思想を実現する事である。

現代の経済では、生産だけに偏り消費を経済としてみなさない傾向があるが、消費は生産と並んで両輪である。生産経済が確立しているように、消費経済の確立も急がれる。

一般に経済を主導するのは、消費であって生産ではない。生産力より必要性が優先するのである。
一部の例外を除いて、需要が供給を生み出すのである。

経済の基礎単位は、消費単位である。なぜならば、消費は、生きる為の基礎的な活動だからである。故に、消費の場は、生活の場であり、消費単位は、経済の基礎単位なのである。

現代の経済は、消費を軽んじていて、生産に偏り過ぎている。それ故に、分配の機能が正常に働かない。
消費と生産は、経済を動かす両輪である。消費と生産の均衡がとれて経済は安定するのである。生産だけが速く回転しても消費の回転が遅ければ経済は、まっすぐには進まない。

経常的消費の核は、衣食住にある。更に、近年では、交通、エネルギー、通信が加わった。
この様な日常生活の上に冠婚葬祭などの人生が築かれる。

市場経済では、消費は支出として現れる。日常生活に対する支出の上に、自己実現のための支出(投資)が上乗せされる。

市場は、消費者によって作られる。消費は、産業の枠組みを作る。


消費の中心


消費の中心は家計である。
消費の主体は、家計以外に一般政府がある。
家計と一般政府は、最小消費支出を構成する。

しかし、消費を生活と言う観点から見た場合、消費の中心は家計である。
故に、家計の働きが消費の働きを形成する。

家計とは何か。家計を構成するのは、日常生活である。
家計の基本は、衣食住である。消費の核となるのも衣食住である。
衣食住が充実し、生活にゆとりができると教育費や遊興費などの出費が増えてくる。
また、衣食住に関する支出も量から質へと移っていく。
最初は食べられればいいから、美味しい物へと更においしくて健康的なものへと人々の嗜好は変化していく。それに伴って産業や市場の傾向も変質していく。
消費の中心が移っていくのである。

生産の根本が事業計画ならば、消費の根本は、人生設計であり、生活設計である。
市場は、消費者によって形成される。
生産者は価格を上げるように働きかけ、消費者は、物価を低くするように働きかける。
生産者と消費者の力関係によって景気は変動する。
それが需給関係を形成するのである。

消費の核となる経済主体は家計である。そして、会計は、現金主義を基本として、税金も現金主義に基づいて徴収される。

消費の中心は、支出である。支出には、制約がある。支出に制約がなくなれば、分配の意味がなくなるかである。我々は、択一的な人生しか歩めないのである。

その時、その時一つの事しか選べない。その制約があるからこそ、人生は有意義になる。自分は自分でしかない。命には限りがあるのである。
生きる事こそ経済の本質である。人のために生きるのが人生なら、他人を犠牲にして生きるのも人生。
清く正しく生きるのも人生。欲望に身を委ねるのも人生。どちらが是か非かの問題ではなく。自分がどのように生きるかの問題なのである。

昼に何を食べるのか。誰を愛するのか。我々は、決めなければ生きていけない。
それは何に支出して何を消費するかであり、それが経済の問題なのである。

生産主体と分配主体は、同じ組織を活用している。生産効率を高める事は、必ずしも分配効率を高める事にはならない。
全てを独占する事は、何も持たない事と変わりない。

一人の人間が生産者でもあり、分配者であり、消費者でもある。この事が経済の本質を表している。調和、均衡が重要で偏れば、全てが成り立たなくなる。

消費の性格


消費の構成と質が経済の大枠を作る。
消費の構成と質の変化が産業の在り様を変質させる。

国民経済計算書では、消費は、中間消費と最終消費からなる。
最終消費は、民間最終消費と政府最終消費からなる。
最終消費は、最終消費支出して現れる。

中間消費は、生産過程で投入し、使い尽くされるサービスや財貨、即ち費用を意味する。

消費の担い手は、中間消費が民間法人企業であり、最終消費は、家計、対家計民間非営利団体、一般政府である。

消費には、波があり、その波が景気の波を形成する。
消費の波には、一日の波、一週間の波、一か月の波、季節変動、半期の波、一年の波、商品のライフサイクルによる波、人生の波などがある。

経済には一定の発展段階がある。
我々が子供の頃は、太平洋戦争の戦後間もない頃で、家も建ち始め、食べる物も贅沢をしなければ、困る事はなくなっていた。しかし、少し前までは、その日の食べる物にも事欠き、配給だけを真面目に守った検事が餓死したなどと言う事件もあった。

食事と言ってもそれこそ、素うどんか、油揚げを入れただけの狐か揚げ玉を入れただけの狸と決まっていた。服だって古着が多く、破れれば継接ぎをしてきていた。国民すべてが貧しかったから、それに引け目を感じる事はなかった。今の時代に比べてその時代の経済は、活況がなかったかと言うと、むしろ、逆である。当時の人達は、必死に生きる為に働き、そのおかげで経済活動は、活気があった。今の時代は、物を溢れているというのに、商店街は、寂れ、仕事は廃れ、働く人に元気がない。
それは、経済の本質を表している。つまり、経済の本質は、生きる為に働く事であり、単に物が多いということを意味していないからである。
いくら物が多くても無駄に物が多くて、人々が生きる為に働くことに意欲が持てなくなっていたら、経済の活気は失われる。
豊かになったはずなのに何か貧しい。
経済とは生きる為の活動なのである。「お金」儲けは、手段であって、経済の本質ではない。本質が失われたから経済の活力はなくなったのである。物が不足しているから景気が悪いというわけではない。物は溢れているのである。

生活水準が向上すれば、当たり前に消費の構造や質は変化する。消費の構造や質に合わせて、市場も産業も変化していかなければならない。
量から質への転換である。量から質への転換が上手くいかなければ、市場は荒廃し、経済は衰退する。

食べられる様になったら服にこり、気に入った服が揃ったら次は、家を建てようという事になる。
衣食住が一巡すれば、次に、質を高めようとする。
ゆとりが出来たらただ食べられればいいという訳にはいかなくなる。美味しくなければ食べないなんて言い出す。
生活の質の向上が次の課題となる。
また、衣食住が揃えば、電気、ガスを通そうとなり、次に電話となる。自動車も欲しいし、家具もそろえようと言う事にもなる。

生活にゆとりが出来たら次は、子供の教育に熱が入る。
生活の発展につれて家電業界や自動車業界は、拡大発展する。

父の世代は、出世するたびにお酒や自動車のランクを上げていったものである。今の子は最初から公共品、新車に乗っている。そして、終いに興味も失ってきた。
経済は、時代とともに変わる。時代とともに前提条件が変わってくるのである。
消費は、経済の前提条件に深く関わっている。


国連統計 名目GDP

低賃金でも最低限の生活が保てる環境が存在する。その点を考えないと賃金の水準が経済の及ぼす影響を理解する事はできない。
経済成長にとって生活水準と市場の状態は前提条件なのである。生活水準と市場の状態を加味しないと賃金の働きは明らかにできない。

発展途上で、市場の黎明期には、市場は物不足で、砂漠に水をまいた時の様に吸い込んでいく。

我々は物質的豊かさばかりを経済成長の基準としているが、現実には、人々の生活がある。いかに産業が栄えたとしても人々の実質的な生活が豊かにならなければ意味がない。

高齢化問題も設備や施設、制度の問題なのか、家族やモラルの問題なのかを置き去りにして財政や年金問題ばかりが取り上げられている。
「お金」がないのならば、「お金」に代る事を考えればいいのである。
一番大事で実質的な事は、人々の生活である。経済の本質、実体は生活にあるのである。「お金」の問題にすり替えられた瞬間に経済の本質も実態も見えなくなる。


国連統計 名目GDP


SNA(国民経済計算マニュアル) 名目GDP


生産性が上がっても価格が維持的なければ、働くものに還元できない。かえって合理化の名のもとに人員は、削減され、賃金は下げられる。
規制を緩和し、競争を激化すれば価格が下がると経済学者や政治家は言う。しかし、それは物価を下げることを意味し、失業率も上がって、所得も減る。それは明らかにデフレ政策である。デフレ対策と称してデフレ政策をしているのだからいつまでたっても景気がよくなるはずがない。

景気対策として公共事業を政治家は多用する。
しかし、よくよく考えなければならないのは、公共事業の効用である。公共事業をやって「お金」をばら撒けば、景気がよくなると思い込んでいる事が多くいる。
公共投資は、単に、潜在需要を拡大する事だけに効用があるわけではない。社会資本が充実する事で、生活環境が向上し、市場が拡大する事に大きな意義があるのである。翻っていうと、生活水準が一定の水準に至ると公共投資による経済的効果は薄れてくる。
同じだけ「お金」をかけても新しく道路や鉄道を敷くのと設備の補修や改修、更新に使うのでは、「お金」の効用は違う。なぜならば、設備の補修や改修、更新は、新な市場を生み出さないからである。つまり拡大再生産が起こらない。
景気対策によって公共教事業を無原則に行い財政を悪化させるのは、「お金」が全てだと思い込んでいるからである。それよりも重要なのは、投資と効果の関係である。効果が期待できない投資は、負債を多くするだけである。

消費の働き


消費は、中間消費と最終消費からなり、中間消費は、費用としての働き、つまり、産出のために必要とされる消費支出を意味する。
それに対して最終消費には、家計最終消費支出と政府最終消費支出、対家計非営利団体消費支出がある。
そして、最終消費支出には、個別消費支出と集合消費支出があり、集合消費支出は、政府最終支出の中で発生し、家計や対家計民間非営利団体は、個別消費支出しかないと言える。

消費は市場を形成する。
消費は、支出によって実現される。支出は物価を形成する。故に、物価は、消費に基づいて形成される。
物価は、物の価格であり、価格は収益を構成する。収益は、経営主体、産業の根源である。
故に、経営や産業は、消費動向に影響される。

消費は、生活を構成する。生活そのものと言える。

最終消費は、一単位当たりの経済活動のゴール、終点と言える。経済の最終利用形態は、中間消費、最終消費、固定資本の三つからなる。

支出項目は、最終消費と総資本形成に帰結する。

支出は、収益の元となる。収益によって産業は、形成されるから、消費は、産業の生みの母と言える。

消費の構成と質


生産に投資と経常収支があるように、消費にも投資と経常収支がある。
生産が生産手段に対する投資と生産のための経常収支であるのに対し、消費は消費のための投資であり、消費のための経常収支である。

消費の「お金」の流れには、投資と経常収支がある。
投資には、住宅投資、教育投資等が主たるものである。
投資には、蓄えも含まれる。蓄えには、経常収入から支出を引いた余り。非常時、緊急時に対する備え。出産や冠婚葬祭と言った一時的な出費に対する備え。住宅投資や老後のための準備金などの目的がある。

経常収支は、基本的に日常生活に必要な支出を基礎として成り立っている。
基礎支出は、生存に係る食料、そして、衣服からなる。今日では、この他に、ガス、水道、電気と言ったインフラに係る支出も含まれる。そして、次に、交通や通信と言った準基礎支出が加わる。これらの支出が生活の基礎を構成する。

その他に、固定的支出として社会保険とか、税金と言った公的支出が引かれる。年収から公的支出が引かれたものが、自分たちが私有に使える手取り、可処分所得である。

消費の働きには、周期がある。消費の周期には、一日、一週間、一か月、旬(季節)、半期、一年、一生(長期)の周期がある。そして、消費の周期が消費のアルゴリズムの下地となる。
消費の周期は、支出の周期に重なる。

市場は、消費者によって形成される。故に、最大の人口を擁する中国は、いずれは最大の市場を有する国になる。と言うより、実質的には、常に、中国市場は最大なのである。この点をよく理解して経済は考えなければならない。


消費のアルゴリズム


消費は、支出として現れる。しかし、いきなり支出するわけにはいかない。当たり前に、手持ち資金が問題となる。つまり、消費も先ず資金調達に始まる。
消費の為の支出は、生産の場の支出の様な収益、収入を得る手段としての支出ではなく。対価、見返りのない支出である。つまり、消費それ自体は、付加価値を生まない。
消費に対する支出は、対価を前提としていないから基本的に無収入である。この点が、生産と消費に対する支出の根本的な違いである。
つまり、消費のための働きは、無報酬だという事である。消費に対する働き、無報酬だと言っても経済的価値がないのではない。ただ、経済的価値が貨幣的価値に置き換わらず、市場取引として認められないという事である。
この点こそ、生産と消費の決定的違いなのである。
消費は、基本的に消耗であり、再生産を前提としていない。故に、支出による収益は見込めない。この性格は、経常収支も消費投資も同じである。

故に、消費は、基礎的収入を根本として成り立っている。基礎的収入は、固定的で、安定した収入を指す。
所謂、定収入だが、定収入を維持する為の手段、仕組みがその国の経済に決定的な働きをしている。
定収入を支える仕組みは、雇用形態、賃金体系、経営主体の構造、会計制度、経済に係る法、社会保障制度、社会保険制度、年金等である。
収入が安定する事で消費者金融が確立される。
借金の手段は、基礎的収入の構造に依存している。

家計の収入状態によって支出の優先順位は決められる。それが消費のアルゴリズムの基礎となる。







       

このホームページはリンク・フリーです
ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2019.6.4 Keiichirou Koyano