分配のアルゴリズム


分配の意義



分配のアルゴリズムは、他のアルゴリズムとは、根本が違う。分配のアルゴリズムこそ思想的なのである。つまり、分配のアルゴリズムは経済の思想を具現化したものである。
何を基準、どの様な体制、仕組みによって生産財を分配するかは、極めて思想的なのである。
生産性を向上させるのに伴って付加価値をあげなければならないと主張する者がいる。それは、全ての国民、労働者の高度な技術と知識、能力を要求する事につながる。しかし、一人ひとりの能力や技術には個性があり、適正があり、限界がある。
全ての国民、例えば、システムエンジニアや飛行機のパイロット、数学者の様な技術や知識、能力を要求する事はできない。
単純な労働に向いている人もいる。所謂、進歩主義的な考えのある者は、能力至上主義的な事があり。能力の劣る者を認めようとしない傾向がある。

何の取り柄もなく、何をやらせても駄目、不器用で真面目、正直なだけな人、謹厳実直、そんな人にも遣り甲斐のある仕事、生き甲斐、誇りの持てる職場を作るのも経済の仕組みの重要な役割なのである。
大多数の人は、天才ではないし、スポーツの花形選手になれるわけでもない。不器用で、みすぼらしく、醜くて、欠点だらけ、それでも人間らしく生きる権利、誇りの持てる仕事に就く権利は誰にだってある。
確かに、俺はその他大勢の口かもしれない。でも人として生まれてきたのだ。
選ばれた人ではない、平凡で、普通な人たちのためにこそ経済の仕組みは役に立たなければならない。そうでなければ経済の仕組みなんて最初から成り立たないのである。なぜならば、経済とは生きる為の活動だからであり、経済は、全ての人を生かすための仕組みだからである。

所得の分配と生産とを切り離して考えるべきだとする思想がある。しかし、それは経済の仕組みを破綻させてしまう。
経済の仕組みは、経済を構成する主体の双方向の働きと私的所有権に依拠した働きによって制御されている。個人が、生産主体と消費主体を兼ねているから、生産と消費双方の均衡がとれるのである。むしろ、生産主体としての働きと、消費主体としての働きを切り離してしまうから経済の仕組みが正常に働かなくなるのである。
経済主体は、自分が稼いだ収入を基礎として支出や蓄えを組み立てる。この収入と支出、蓄えを均衡させようとする働きが経済の仕組みを制御するのである。



分配の目的と役割



分配と言うのは、言い換えると分け前の話である。だから難しいのである。
しかも、部門の働きに応じた分け前をしなければならない。部門の性格も働きも違うだから難しいのである。
分け前、取り分は、争いの本。全ての人間を納得させられる分配の基準はない。むしろ、全ての人間がどのような基準に従って分配しても納得しないと思っていたほうがいい。だから、分配の基準には客観性が求められるのである。

経済で重要なのは、いかに、生産、あるいは、調達した財を必要としている人に、必要な時に、必要なだけ、しかも、全ての国民に満遍なく分配するかである。

その為には、「お金」が社会の隅々にまで配分されていなければならない。また、常に新鮮な資金が供給され続ける必要がある。その為の仕組みが分配の仕組みとなり、その基盤となるのが分配のアルゴリズムである。

分配は、経済の要である。分配で重要な働きをしているのは、費用である。現代人は、費用を目の敵にしているが、費用をやたらに削減すると分配の働きに支障をきたす。
適正な費用否かは、収益との関係から求められる。その指標は利益である。
費用は、価格に反映される。適正な価格が維持されなければ適正な費用も維持できない。価格が適正であるか否かは、収益と費用の関係から求められる。なぜならば、収益は、売上であり、売上は、単価を集計したものだからである。単価は、単位価格を言う。
ただ安ければいいというのは、経済の効用を無視している。

経済は、収益を上げ利益を得る事だと誤解している人が多い。経済は、生活に必要な財を生産し、それを消費者に配分する事である。
経済の目的が利益にあるとすると限りなく、費用を削減すればいいという事になる。しかし、費用の大半は、人件費である。人件費を極限にまで削減する事が目的だとされたら、必然的に個人所得は縮小される事になる。それは、社会全体では総所得の縮小を意味する。

忘れてはならないのは、経済は物の生産だけで成り立っているのではないと言う事である。
人の所得が対極に成り立たない限り経済は機能しない。人の所得は、支出と均衡する必要がある。所得より支出が上回ると貸借、即ち、ストックが過剰となる。貸借は、余剰の「お金」を生み出し、「お金」の正常な循環を阻害する。物価と雇用は、経済の両輪なのである。
勘違いをしてはならないのは、世の中の大多数の人間は、平凡な人間、凡人である。何らかの欠点、それも身体的な障害がある者もいる。天才でも、特殊な技能があるわけでも、図抜けた才能に恵まれているわけでもない。どちらかと言えば無能で、欠点だらけの人間である。そういう人達が生活に困らないような所得を得られるようにする事も経済の仕組みの役割なのである。
これからの技術革新が、平凡で無能な人間から仕事を奪うようなものならば確実に経済は衰退する。そのような仕組みになっているのである。単純労働を軽視したら経済は成り立たなくなる。
仕事・労働は苦役ではない。自己実現の手段の一つである。遊んで暮らすのは、虚しい。なぜなら、生きる目的も見出せず。他人の役にも立たないからである。

半分の労力で生産できても二倍の所得になるわけではない。所得が増えなければ付加価値も増えない。付加価値が増えなければ、市場も拡大しないし、成長もしない。では、生産性を高めなくていいのかと言うとそれでは、物質的な豊かさは実現しない。生産量が増えても所得が変わらなければ、経済成長は実現しないのである。要は、生産と分配とをどう両立させるかの問題なのである。
安売り業者を消費者の味方とメディアは持ち上げるが、消費者は生産者でもあるのである。

生産のための仕組みと分配のための仕組みは違う。大体、目的が違うのである。ただ連動しているために、一体性が求められる。
分配の仕組みは、例えば、7000万人の国民がいる国があるとして、その内、20歳未満の人口が2000万人、60歳以上の人口が1000万人とする。男女の比率を半々として、国民が生活するのに必要な資源を生産する為に、必要とする資源は、1000万にで生産できると仮定する。但し、消費に必要とされる労働の成果は除く。市場経済では、生産されたもの総てを換金し、国民は、所得を得て、必要な物は、お金を払って市場から調達する。
要するに7000万人が生きていくために必要な資源を1000万人にで生産した場合、それをどの様に分配するかの問題である。
働ける人口は、未成年と60歳以上を除い4000万人だとする。かつては、大体7人程度の血縁による集団に形成し、それが家計と言う経済単位を構成して、その中の一人の男性が働いて後の7人を養っていたというのが基本的構図である。そうなると、働いてる男性の相対的な地位が高くなり、家庭では、主人に主人以外の者が隷従する。
2000万人の女性が所得を得る機会すら奪われていた。
更に、所得を得られる人間は、1000万人に限られるから、1000万人の男性も仕事にあぶれる。
それで新たに、1000万人分の仕事を作らなければならなくなる。その仕事の多くは、権力によって生まれる。権力の根幹は、治安と国防である。
現代問題となるのは、生産性が高まる事で、生きていくために必要な資源を生産する為の人口が少なくて済むようになってきた事なのである。生産性が高まれば高まるほど失業者が増える。失業者にいかに「お金」を配分するかそれが最大の課題である。
それに対して生産部門は、いかに効率化して費用を削減するかに血道をあげている。
かつては、人口を維持する為に労働力が不足した。それが課題だったのである。現代は、生産性が向上したことで仕事がない事が問題となっている。経済問題の質が変わったのである。
生産と分配の構造の整合性をいかにとり、保つかが経済最大の問題なのである。

経済が分配の仕組みだという事は、この点からも言える。
単純に労働への対価と言えないところに分配の難しさがある。分配には、市場取引の様な客観的根拠になる部分が少ない。多くの部分が恣意的なのである。
分配には、報酬、対価、評価、生活費の資金源等の働きがある。報酬は所得、経常収入を意味し、対価は、財に対する費用を意味する。評価は、自己実現や動機付けを意味し、モチベーションやインセンティブの根拠となる。その他に、生活費として人との属性に基づく部分がある。生活費には、個々の地域の前提条件も含まれる。そして、これらの働きが給与体系・給与構造の下地となる。
報酬は、給与の基礎的部分を構成し、対価は、残業や手当などの追加費用として、また、評価は、賞与や昇給などに反映され、生活は、属人給として支給される。
報酬は、給与の期間となる部分を構成する。費用は、収益と関係によって測られる。評価は、成果、実績が基本となる。
ただ、分配は、成果や実績、時間だけで測られるべき事ではない。なぜならば前提条件に個人差があるからであり、また、分配本来の目的は、必要な時に、必要とする人に、必要とされる資源を、提供する事だからである。
所得の偏りは、分配の目的の障害となる。その為に、国家権力による所得の再配分が必要となるのである。


分配の働き



分配こそ経済の要になる。なぜならば、経済の目的そのものが分配にあるからである。

経済は生産だけで成り立っているわけではない。いくら財を生産しても消費者に分配されない限り、生産された財は、無駄になる。生産された財は、全ての消費者、国民に分配される事ではじめて経済の仕組みは成り立つのである。

生産に働く原理と分配に働く原理とは違う。生産と分配の原理の違いは、生産と分配の目的の違いから生じる。
生産は、最小の資源で最大の効用を求める。それに対して分配は、所得の幅と分散と平均が問題となる。必要とする支出に対応できる所得が求められるのである。

費用は、生産のための支出である。費用の役割は、生産だけでなく、分配や消費の働きもある。生産効率を上げるという名目で費用を限りなく削減すると所得も縮小し、消費も減退する。
適正な費用が維持できるような収益を実現できる市場構造を構築する事。その為の指標が利益である。
所得の上昇拡大を前提としていたら際限なく成長し続ける事が運命づけられてしまう。
縮む事を覚えないと市場経済は、常に破綻と再生を繰り返さなければならない。
生産の拡大を伴わないで費用である所得だけを上昇させることはできない。利益は、収益と費用の差なのである。この関係を忘れたら、現在の市場経済は成り立たない。
現在、個人事業の典型だった喫茶店とか、居酒屋まで企業化され組織化されつつある。個性的で多様だった喫茶店や居酒屋、小料理屋が標準化され一様なものになっってしまった。東京で飲むコーヒーも、ニューヨークで飲むコーヒーも、静岡でのみコーヒーも規格化され均一化されている。それが成熟した経済だと言われたら、私は、退化、逆行だと答えるしかない。
経済は、本来多様なものだ。それは、消費者が多様であり、市場が多様であり、環境や前提が多様だからである。多様さを失った経済は、全体主義的で、独裁的である。
なぜ、喫茶店や、居酒屋、小料理屋が企業化され一様なものに変質するのか。
それは経済制度が市場を一様化させるような仕組みになっているからである。
価格やコストだけに特化した市場は、多様さを失うのは必然的結果である。それは、量のみが先行して質が軽視された結果である。大量生産、大量消費に偏れば質が軽視されるのは当然である。
また、居酒屋や喫茶店の様な三ちゃんと言われたような企業でも人を雇えば、常に人件費の高騰に悩まされる事になる。年々、人件費をあげなければならなくなれば年とともに競争力を失っていく事になる。経済発展に伴って新興国が競争力を失うのは、人件費の高騰に依るし、先進国が新興国に太刀打ちできないのも人件費が高いからである。
市場や経済が成熟してくると必然的に所得は、相対的に高くなる。

最低賃金や労働条件、労働時間などの経済の枠組みも分配に対する考え方から制約される。この点は、個々の国の経済事情、状況に違いがあるから、国家間の市場格差になり不公正な競争を容認する事になる。
故に、公正な市場環境を維持確立させるためには、国家間に差をつける必要がある。ただ、国家間に差をつけるのは、国家間の話し合いによる。差のつけ方が無原則なものであったり、報復的なものであったり、特定の国を狙い撃ちにするようなものであると健全な市場の発展を妨げる事になる。基本的には、相互協力、国際分業に基づいた体制にする必要がある。関税だけではかえって不均衡で偏った市場を許す事になる。
貧困の輸出や労働条件の悪化にならないような取り決めでなければならない。
生活水準の向上か悪化か、相互に採られた政策によって経済を発展する事も衰退させる事にもなる。

分配においては、幅が重要となる。人が生きていくために必要最小限の所得をどの様な基準でどこに設定するかが、下限を制約するからである。

所得の上昇拡大を前提としていたら際限なく成長し続ける事が運命づけられてしまう。
縮む事を覚えないと市場経済は、常に破綻と再生を繰り返さなければならない。
市場は拡大と縮小を繰り返す事で、「お金」を循環させているのである。
生産の拡大を伴わないで費用である所得だけを上昇させることはできない。利益は、収益と費用の差なのである。この関係を忘れたら、現在の市場経済は成り立たない。
費用や借金を罪悪視、費用や借金をひたすらなくそうとするのは、経済の一面しか見ていない事を意味する。費用や借金にも重要な役割があるのである。費用は、生産手段であるとともに分配の要である。費用と所得は表裏の関係にある。





分配の手段


市場経済体制においては、分配の手段には、組織と市場がある。
市場経済では、先ず、所得を分配しておいて必要に応じて必要なものを市場から手に入れるという二段階で実現する。

所得を組織的に分配するのは、主として経済主体である。

分配の手段には内的分配と外的分配がある。
内的分配の手段は、組織的分配であり、外的分配の手段は、市場取引を言う。

多くの人は、市場経済における分配の手段は、市場に限られているように思い込んでいる節がある。
しかし、分配は、所得の分配、財の購入と二段階行われる。所得の分配は組織的になされる場合が多い。また、資本主義体制では、徴税上の都合から給与所得として形式的に組織的手段を装う場合が一般的である。

一般に市場経済と言うと市場取引が全てであるように錯覚されているが、実際は、所得の多くは、組織的に配分される。
所得の分配は、組織的になされ、財の分配は、市場を通して行われるのが原則である。
なぜ、所得の分配は、組織的になされるのか、そこには、所得の分配は、評価にもしづくからである。つまり、所得の分配において差がつけられるのである。

市場経済では、市場だけが問題とされる。しかし、市場経済下でも所得の分配は、組織的、かつ、恣意的にされる。だからこそ分配のアルゴリズムは思想的なのである。

経済主体は、基本的に共同体であり、組織である。家庭も、企業も、政府も組織的な主体である。

組織の機能には、現業部分と管理部分がある。現業部分は、生産・販売・仕入購買、在庫等、直接業務にかかわる部分をいう。それに対して、金銭の出納、組織統制、企画、設備の保守点検といった間接的、付帯的業務を管理部分と言う。これらの業務が費用を構成する要因となる。

所得は、支払準備である。
分配を実現する為には、支払準備となる「お金」を事前に配布する必要がある。分配は、所得を配分し、手に入れた所得の範囲内で市場から必要な財を手に入れるという二段階で行われる。
故に、先ずどのように所得を満遍なく消費単位に配分するかが重要となる。

先ず、所得を得る手段を準備する事が分配の前提となる。

所得を得る手段で一番有効なのは、生産手段である労働力を提供する事である。
つまり就職する事である。

家計が「お金」を調達する手段は、主として労働の対価としての所得である。
国税庁は、所得を、給与所得、利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、退職所得、山林所得、譲渡所得、一時所得、雑所得の10種類に分類している。労働の対価として支払われるのは、この内、給与所得を指す。
所得の中で安定的で固定的な所得としてみなせるのが給与所得であるから、基礎的支出は、給与所得に依存しているのが一般的である。
故に、分配の中核は、給与所得に依存している。

所得を得たら、市場から必要とする財を購入する。

現在、個人事業の典型だった喫茶店とか、居酒屋まで企業化され組織化されつつある。個性的で多様だった喫茶店や居酒屋、小料理屋が標準化され一様なものになっってしまった。東京で飲むコーヒーも、ニューヨークで飲むコーヒーも、静岡でのみコーヒーも規格化され均一化されている。それが成熟した経済だと言われたら、私は、退化、逆行だと答えるしかない。
経済は、本来多様なものだ。それは、消費者が多様であり、市場が多様であり、環境や前提が多様だからである。多様さを失った経済は、全体主義的で、独裁的である。
なぜ、喫茶店や、居酒屋、小料理屋が企業化され一様なものに変質するのか。
それは経済制度が市場を一様化させるような仕組みになっているからである。
価格やコストだけに特化した市場は、多様さを失うのは必然的結果である。それは、量のみが先行して質が軽視された結果である。大量生産、大量消費に偏れば質が軽視されるのは当然である。
また、居酒屋や喫茶店の様な三ちゃんと言われたような企業でも人を雇えば、常に人件費の高騰に悩まされる事になる。年々、人件費をあげなければならなくなれば年とともに競争力を失っていく事になる。経済発展に伴って新興国が競争力を失うのは、人件費の高騰に依るし、先進国が新興国に太刀打ちできないのも人件費が高いからである。
市場や経済が成熟してくると必然的に所得は、相対的に高くなる。

喫茶店の様な商売でも一人ひとりの所得を上昇させようとしたら多店化する以外になくなる。停滞や縮小は許されないのである。しかし、拡大成長には限りがある。なぜならば、実質的な市場規模を画定するのは人と物だからであり、人や物は、有限な実在である。故に、物質的な限界があるのである。人や物に限りがある以上、無限に経済を成長させることはできないのである。同様に限りなく所得を拡大する事はできない。市場の縮小を前提とした施策をとらなければならない時があるのである。
その為には、市場が飽和状態に陥った時、量から質への転換が求められる。
ところが今日の日本の市場では、安売りが奨励され、競争を煽る政策が採られている。これでは適正な収益は維持できなくなる。デフレーションの最大の原因は、適正な収益が維持できない事なのである。

問題は、情報通信技術の進歩によって労働の質が変化し、労働の質の変化が組織的分配の質を変化させつつある事である。
これまで分業による組織的な生産が主だったのが、個人を単位としたネットワーク型の仕事が増えてきた点にある。更に、分配の仕組みの変化に拍車をかけているのがインターネットの進歩である。
インターネットの進歩は、これまでの、閉鎖的で、自己完結型、垂直的で階層的、集中処理型な組織を開放的で、連結型、水平的なネットワーク、分散処理型へと職場環境を変化させている。
これらは従来の組織に基づく所得の分配の在り方を変化させつつある。従来の組織は、規模の経済が働き、生産と分配が一体となった仕組みである場合が多かったが、生産と、分配の仕組みが分離しつつある。そして、それに伴って失業率が上昇し、従前の様な労働集約的な産業が成り立たなくなりつつある。
単純反復労働は、廃れ、より特殊な技能や知識が要求されつつある。付加価値の高い仕事が求められている。
反面、AIの発達は、知的な労働からも人を追い出しつつある。
民間企業に頼って所得の分配が経営の合理化によって成り立たなくなりつつある。

この様な変化は、組織的分配の主役だった民間企業の在り方を変化させつつある。また、労働力と言う生産手段を提供し、その対価として報酬を受け取っていた個人の在り方も変化せざるを得なくさせている。
更に、肉体労働といった力を必要とする仕事からコンピューターを使った仕事が増えるのに従って女性の社会進出が進んだ。
この様な変化は、必然的に社会環境、個人と企業、個人と家計、個人と国家の関係も変えつつある。
それは、分配の仕組みの在り方そのものを根底から変えようとしている。


分配の仕組み


経済の仕組みは全体と部分から成る。経済はいくつかの部品が組み合わさってできている。全体と部分の働きの整合性がとれなくなると経済は正常に働かなくなる。

市場は、一つでできているのではなく。複数の市場が組み合わさり、あるいは重なり合って一つの全体を構成している。

分配は、「お金」を市場に循環させることを介して行われる。生産財は、「お金」の流れる逆方向に流れる。つまり、「お金」が流れていればその逆方向に流れる財があることを意味する。
市場は、「お金」を循環させる装置だと言っていい。
つまり、市場経済の仕組みは、「お金」をいかに循環させるかが鍵を握っているのである。
その為に、資金の移転が重要な機能を果たしているのである。

「お金」を循環させる行為は、売買と移転である。移転には、貸借と贈与がある。
「お金」は、循環し、財は、直線的に流れる。

分配は、市場取引を通じて実現する。市場取引は売買を通じて行われる。売買は、「お金」と財との交換を意味する。
故に、市場取引を実現する為には、予め、消費単位に資金が供給されている必要がある。
つまり、分配は、「お金」の配分、即ち、所得によって準備される。
移転は、支払準備である。
「お金」は、取引に依って市場に供給され、循環し、効力を発揮する。
外部取引は等価交換を前提として成り立ち、利益は、内部取引より生じる。
一般に取引と言うと「お金」の動きばかりを注目し、財の流れが見落とされる。その為に、双方向の働きが認識されない場合が多い。

問題は、「お金」をどの様な基準に従って、どのような手段で、誰が(何が)執行するのかである。
「お金」は、一般に報酬として消費単位に支払われ分配される。

分配のアルゴリズムの働きは、全ての国民に、一人当たり一定の幅の範囲で所得を分配する事である。
一定の幅と言うのは、生活していくうえで必要な資源を市場で購入する事が可能な範囲と言う事である。故にも経済は、物価と個人所得の平均と分散、最低所得との関係に収斂する。
分配は、一般に組織的になされる。基礎を市場に置く生産とは、根本から違うのである。分配は、一般に組織的になされる。なぜならば、分配は、分業に基づくからである。
分配は、均一均等にはできない。分配の対象である消費者が置かれている環境、状況が違うからである。同額の所得を配分しても前提条件によって格差が生じる。寒冷地にいる者と温暖な地方にいる者とは生活の前提が違うからである。
また、人には、能力や適性の違いがある。能力や適性を無視して配分すれば当然不平等になる。
問題は、どの程度の差をつけるかである。経済は差によって動いている。差をつける時、合理的な基準に基づくか否かが、平等であるかないかの問題なのである。差をつけること自体で不平等が発生するわけではない。

分配は、部門を対象にして行われる。家計に対する分配は、雇用者報酬、企業法人に対する分配は、営業余剰と・混合所得、一般政府に対する分配は、税である。
所得と支出の配分の偏りが部門間の資金の過不足となる。資金の過不足は、ストックに蓄積され、フローの流れる方向を左右する。

注意すべきなのは、営業余剰・混合所得は、中間消費項目として最終消費支出から除かれている点である。

分配のアルゴリズム


分配の為の基準は思想的である。

分配のアルゴリズムは、「お金」の分配、財の配分と二段階で行われる。

分配のアルゴリズムは、先ず「お金」を手に入れる事から始まる。どこから、どれだけ、どの様な手段で手に入れるかが全ての始まりの課題である。

分配のアルゴリズムで問題とされるのは、所得の配分にどの様な手段を用いるか。生活していくうえで、必要な所得はどれくらいか。経常的所得(経常的収入)をどの様にして維持するか。所得の偏りをどの様にして是正するか等である。

分配のアルゴリズムで問題となるのは、「お金」と財が配分される経路と手段である。「お金」と財が配分される経路と手段によって経済の仕組みの基礎は構築される。


分配の働きは、部門によって違いがある。
国民経済計算書においては、最終消費支出部門は、家計と一般政府である。非金融法人企業、金融法人は、基本的に最終消費支出はしない事になっている。非金融法人と金融法人の消費は、中間消費と見なされる。
財政(一般政府)の分配の働きは、主として税や給付による所得の再配分である。

また、金融機関の分配の働きは、資金の過不足を補い、資金を融通する事である。

最終的に分配は、消費によって完結する。消費されない部分は、貯蓄として投資に回される。
市場を形成するのは、消費者である。消費があって生産が制御される。現代社会は、生産と消費の関係が転倒している。即ち、生産があって消費があるように錯覚されている。故に、生産性だけが異常に追及される。
その結果、消費の効率化である節約や無駄と言う概念が廃れてしまっている。






       

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