経済に望む事は


経済に何を望むかは、状態の問題であって。家が欲しいとか、美味しい物が食べたいといった、即物的問題ではない。生活に困らない状態とか、争いのない状態、仕事に困らない状態といった状態なのである。
故に、経済に何を望むかは、どの様な状態を望むかの問題である。

経済に何を望むかは、消費の問題である。生産の問題ではなく、消費の問題である。国家の戦略も消費の問題が先に来る。どの様な支出、消費をするのか、その為に、何が必要なのか。必要なものをどの様に生産、あるいは、調達するかが、国家戦略の根本である。

君主国で君主が贅沢な生活を望めば、国家戦略もそれに応じて作られる。国民生活を豊かにする事を望めば国家戦略も国民生活を基礎として立てられる。立てられるべきものなのである。日本の国家戦略は富国強兵である。国を富ませ、強い国を造る。故に、軍事費の優先順位が戦ったのである。
現在では、国家国民の権利、そして、安全と財産の保障が国是であり、これが国民経済の基本となる。

その意味では、現在のわが国の経済は、生産に偏りすぎるきらいがある。消費や分配を無視して生産性を高めても国民経済の目的は、達成できない。分配効率、一人当たりの所得、そして、消費効率、可処分所得と消費支出、貯蓄の関係なども考え併せなければ経済に望む事は明らかにできない。
生産効率は、常に、分配効率との釣り合いを見て調節されるべき事柄である。

また、間違えてはいけないのは、必要とされているのは、物であって「お金」ではない。「お金」は、元々手段であって目的にはならない。「お金」は、消費できないのである。そして、消費できないから「お金」は、「お金」として働くことができるのであるし。「お金」の功罪も生まれるのである。

今日、多くの人は、経済を捉える時、経済成長を前提として考える傾向がある。言い換えるとほとんどの人が経済成長を望んでいると為政者やマスメディアの人間は、捉えているように思われる。
しかし、それは勝手な思い込みであり、必ずしも経済成長だけを国民が望んでいるわけではない。
国民が経済に望んでいるのは、一律一様ではない。確かに経済成長を望んでいる者もいるかもしれないが、安穏な生活を望んでいる人もいる。

国民が経済に望む事は、前提条件によっても変わってくる。太平洋戦争終戦直後の食べる物にさえ事欠き、住む家も満足にない状態で望む事と、現代の様にものが溢れ、飽食と言われる時代とでは国民が経済に望む物は自ずと違ってくる。

ただ、いつの時代でも、一般に国民が望んでいるのは、生活の安定であり、物価などが極端に変動しない事である。そして、経済が破綻して社会が混乱しない事であり、また、戦争にならない事である。この辺が大前提となってくる。

経済の望まれる環境は、生産性だけで作られるわけではない。国民経済の最終的な目的、目標は、安定し、豊かな国民生活の実現にある。全ての生活に困る状態、環境にならなければいいのである。言い換えると生活に困ったり、生活ができなくなったり、最悪生きていく事の出来ないような国民が一人もいないような状態を維持する事が経済の目的、目標である。故に、戦争とか、内乱状態は、経済が破綻した結果だと言える。
そうなるといくら生産量を増やしても、分配に失敗したら経済は、成り立たなくなる。片一方で大量の食品を廃棄しているのに、もう一方でその日の食べる物さえ事欠くような状態になるのは、明らかに経済の仕組みに問題があるのである。

経営分析として用いられる指標も、第一に、成長性、第二に、安定性、第三に採算性(損益分岐点分析)、第四に、生産性、第五に、効率性である。成長性は、指標の一つであって全てではないし、絶対的でもない。

経済の要件定義をするのならば、人々が経済に対して何を望んでいるかを明らかにする必要がある。
経済に対して人は何を望むのか。考えてみるとそれが判然としない。
先にも述べたように単純に成長だけを望んでいるとは思えない。第一、人それぞれ置かれている立場も、環境も、条件も違う。ただ、望んでいない事は、共通しているように思える。少なくとも生活が成り立たなくなるのは困る。生活が成り立たなくなるというのは、食べる物もなく、着る服もなく、住むところもない状態である。そして、収入が不安定で支出が固い状態である。なぜを望むかは、それを裏返せば見えてくる。
共産主義とか、資本主義とか、社会主義と言った主義として語られた事はあったとしても、では、一体、人は経済に対して何を望んでいるのかと実際的には明確にしてこなかった気がする。

経済は、現実の出来事に基づいている。経済は現実なのである。
経済は、理想でも観念でもない。生々しい現実なのである。
それ故に、経済学と言うと下世話な哲学とされてきた気がする。
しかし、科学があえて形而上的に事を捨てた事で新たな道を開いたように、経済も現実に立脚できれば学問としての地保をしっかりと固める事が出来るのである。

その為には、先ず、人々が経済に何を望み、何を期待しているかを明らかにする事である。

経済に人がまず求めるのは、自分たちが生きていけるようにしてほしい。生きていけるような環境にしてほしいという事である。
先ず、それは人は生き物だからである。
更に、家族をもって子孫を残せるようにしてほしいという事である。それは人は、動物だからである。
これは、経済が人の生存に関わることを意味している。

次に経済に望むのは、人として人間らしい生き方ができるという事である。
人として最低限の生活が保障されている。明日の事を心配しなくても生きられる。生病老死。その時々において人間らしい生き方が約束されている。贅沢は望まないけれど、人として最低限の生活が保障されている事である。
歳をとったり、病気して働けなくなった時の生活が保障されていることなどである。

そして、最後に自己実現ができるようにしてほしいという事である。
自己実現ができるというのは、自分らしい生き方、自分のやりたい仕事をして、それによって収入を得る事である。

経済に望む事を明らかにするためには、まず生きる為に何が必要かを明らかにする事である。
次に、家族を形成し、子供を産んで育てるためには、何が必要かを明らかにする。
そして、人として最低限必要な事は何かを洗い出す。
最後に、自分らしい生き方をするためには、何が必要なのかを考えていく事である。
そして、これらの視点を裏返すと経済に望む事が見えてくる。

経済の目標は、共存にある。他者を支配したり、犠牲にする事ではない。
経済は根本的に平和な状態を望んでいる。
他者から富や財を収奪する事が目的なのではない。

経済に一体何を望むのか。豊かさなのか。安定なのか。平等なのか。それが問題なのである。
豊かさとは何か。安定とは何か。平等とは何か。それを明確にしないまま漠然とした前提で経済を議論しても問題の解決には至らない。そして、その根本は、国是、建国の理念である。

経済を考える事は、人生を考える事であり、幸せとは何かを考える事。また、生きるとは何かを考える事。
我々は、経済と言うと皮相な事しか思い浮かばないが、実際は、生きることそのものを考える事である。
それは、どんな仕事をして、どんな生活、家庭を築くかの問題でもある。
だからどんな生き方をするかを考える事が経済について考える事なのである。

生活を取り巻く環境は常に変化している。その変化に適合し、生活の安定を計る事も経済の仕組みには望まれる。
何よりも重要なのは、生活の安定である。
生活が安定しているからこそ将来設計や計画が立てられるのである。物価の急激な変化や失業は生活を不安定にする。この様な急激な変化を抑制する事も経済には求められる。

戦争や内乱などの惨禍は、経済の破綻がもたらす場合が多い。
平和を維持するのも経済の重要な役割である。

経済に何が望まれているのか。
まず第一に、生きていく上に必要資源やサービスを生産する事、第二に、国民すべてに生きていく上に必要な財を分配する事。第三に、資源を無駄なく効率的に消費させる事である。
そして、経済を効率的に働かせる手段として「お金」を用いるのである。

経済は生きる事の為の活動である。
「お金」を儲ける事が求められているわけではない。「お金」儲けはあくまでも手段であって目的ではない。

「お金」は、便利な手段である。しかし、手段である事に変わりない。

経済の目的とは、人々すべてが生きられる環境を構築し、維持する事にある。
「お金」儲けも、生産もその手段に過ぎない。
「お金」儲けのために、人々の生活が犠牲にされるようになるのは、本末転倒である。

「お金」は、主ではなくて、従である。
現代社会では、「お金」が全てだという間違った考え方に支配されているように思える。
「お金」は、あくまでも手段であって目的ではない。ただ、「お金」には、力がある。魔力がある。それ故に、「お金」に魅入られて「お金」の虜になる者がいるのは確かである。しかし、それは、「お金」の本義ではない。「お金」は、手段にすぎず、「お金」に囚われても自分の人生を虚しくするだけである。

国民経済は、国民が生きる為の活動だとすれば、国民経済に求められるのは、収入と支出の安定した関係と言える。収入が不安定だと計画的な支出・消費ができない。生活不安が常に付きまとう事になり、借金も安心して組めなくなる。
国民が望むのは、物価の安定と雇用の確保だと言える。
指標として消費者物価指数と失業率が重んじられる所以である。

基本的に経済の仕組みは、前提条件、初期設定、入力とブラックボックス、出力からなる。
経済を考える時、最終的にどんな状態にするのかが目標となる。
故に、目的に応じて前提条件を確認し、初期設定をして、何を入力して、どの様に出力するかが基本線になる。
経済に対して何らかの考察をする為には、何をどの様に出力するか。出力するものが想定されないと経済モデルを構築する事が出来ない。
故に、UI(ユーザーインターフェース)が重要となる。単純に何らかの数値や指標として表すだけでなく、グラフや表、映像、空間的に表現した方が直接的な意思決定に適している場合がある。
また、何らかの形でシュミレート、操作可能な形にするのも一つの手段である。要するに、精緻に数値で表す事が目的なのではなく。意志決定に結びつけることが重要なので、ユーザーが判断、決断できる状態を準備するのが実際の目的なのである。
学術的研究を目的としたものではない事を忘れてはならない。
そうなると場合分けと、場合設定が肝心になる。

人々が求めているのは、成長だけではない。むしろ、成長よりも安定であり、変化より確実性である。
しかし、成長が止まれば活力は失われる。成長と安定をどう両立するか、その両面から経済の在り方は考える必要がある。
その辺の整合性をどうとるかは、要件定義やユーザーインターフェースを通して整合性をとっていくのである。

UI(経済のユーザーインターフェース)


根本的なのは、何を、いつ、だれが、何をどの様な形で知りたいかである。

どの様な経済の状態を望むのか。それを実現する為には、今、何をすべきなのか。施策を立てる上に、今、何を知らなければならないのか。
使い手に使い手が必要としている、あるいは、知りたい情報を使い手が望む形で提供する場面がユーザーインターフェースである。使い手が何を求めているかを定義するのが要件定義である。
要件定義は、最終的には、資料や情報をどの様に処理するかに要約される。

ユーザーインターフェースは、いわば顔である。
何に照準を合わせるかによってユーザーインターフェースは変わる。

市場経済の基本的な原則は、収入と支出にある。収入と支出を均衡させる過程で財を生産し、分配を実現し、必要に応じて消費する。つまり、市場経済では、「お金」の出入り、過不足の調節によって経済の仕組みは機能している。
資金を調達して生産手段に投資し、生産手段によって財を生産し、財を生産する過程で、所得(「お金」)を分配し、生産した財を売って利益を得、利益の中から借金を返済し、税金を支払う。これが原則である。
資金の流れには、収支と移転があり、収支によって「お金」の効用は発揮され、移転によって支払いが準備される。収支と移転の差は、対価の有無である。支払が準備されけなければ、市場における「お金」の流動性は失われる。

故に、経済は、収入と支出両面から見る必要がある。

経済の要諦は、収入と支出の関係で言うと入るを量って出を制するである。つまり、所得の拡大を計って物価を安定する。それが基本である。何が所得を拡大し、何が支出を抑制するかを考える事である。そして、その均衡がとれた時、経済は安定する。
入ると言っても裏付けがある事でなければ効用は発揮されない。借金でいくら収入を得ても返す当てがなければ生活は苦しくなるだけである。経済主体の根本は、財政も、家計も、民間企業も、金融機関も、一国も皆同じなのである。中央銀行は、銀行券の発行券があるから国家の要請に応じて際限なく紙幣を発行すればいいなんて言う考えに至ったら、他の部門との均衡やストックとフロー関係が保てなく。歪みが極限にまで拡大する。
ただ、民間企業は、付加価値を生み出す事が出来る。それに対して財政支出は、原則的に付加価値を生み出さない。故に、経済成長に寄与しないのである。この点だけは留意しておく必要がある。民間企業は、返す当てがあるから借金をしている。例え、財政でも返す当てのない借金はすべきではない。部門間の過不足の格差が累積し、付加価値を制約するからである。

余剰資金は、ストックを形成する。即ち、預けられて負債となる。ストックの状態は、資産と負債、即ち、名目的価値と実質的価値との関係によって形作られる。余剰資金も多ければいいという訳ではない。余剰資金が過剰になれば資金効率は悪化する。
フローとストックを切り離し、いくらストックを増やしてもフローに影響がないという思想は、危険な思想である。経済は、破綻するまでは、破綻しない。今破綻しないから将来も破綻しないと考えるは思慮に欠ける。将来の危険性を予測して対処するのが為政者の責務である。現状に甘んじ、現実を直視しないで将来のリスクに備えないのは、指導者としては失格である。
故に、各部門の収支と資金の過不足の状態、付加価値とストックの比率と関係が経済の大枠を作る。ユーザーインターフェースは、この点を基礎として設計されなければならない。

故に、メインの部分は、物価、所得、生産、金利、税、地価、株、負債(国債等)、雇用、利益、資金効率、為替、国際収支の関係をどの様に表示するかである。
この関係は、下地となる構造を構築すれば、機械学習に置き換える事が出来る。

使い手が、必要とする情報を、使い手が必要とする時に、使い出が必要とする形で提示できる仕組みにしなければならない。つまり、使い手の目的や質問に応じて表示する出力、成果物が変えられる必要がある。
但し、根本の仕組みは統一されていなければならない。重要なのは構造である。
その為に、何をKPI(鍵となる指標)とするかである。

分析する目的は、将来を予測し、その予測に基づいてとるべき事を決定し、その上で予測と実績を比較しながら個々の時点の位置と方向を分析して軌道を修正し、異常値に注意しながら、急激な変化や緊急・非常時に対応していく、その上で最悪の事態が予想された場合は、被害を最小に抑える方策を決める。それが使い手の主たる目的となる事が予測される。

何を前提とするかを先ず設定する。
その為には、まず前提となることを確認する必要がある。前提となるのは、基本的に変わらない事変わるとしても緩やかに変わる、あるいは、変化が予測できる範囲予測可能な事象、または、今期は考慮に入れる必要のない事象である。当たり前と言えば当たり前な事象である。
しかし、このような事象、前提となる事象、根拠となる事象が急激に変化した場合は、抜本的な見直しが必要となるので、常に、監視し確認を怠らないようにする事が肝心である。
前提となるのは、経済体制、政治体制、人口、地理的要件、産業構造、会計制度、法制度、税制度、国債残高等である。これらの要素も絶対的ではなく、相対的である。故に、冒頭常に確認して設定しなおす必要がある。
次に何をKPIとして設定するかである。また、指標をどの様に表現、表示するかを設定しておく。

何を指標とするかは、経済の目的とは何かに帰結する。経済の目的は、国民生活を安定させる事である。
市場経済では、稼いだお金で生活の必要な財を市場から調達するのだから、国民生活を安定する為には、物価の安定と完全雇用が実現される必要がある。そして、所得の水準が国民の生活水準を左右させる。
故に、鍵となる指標は、物価と失業率と一人当たり所得となる。これは、生産、分配、消費の各局面に関わっている。

指標の論理構造が基礎となる。つまり、恒等式の構造である。恒等式を構成する要素間の相関関係である。KPIは、答えを出す事が目的ではなく。基本的に決断を下すための情報を与える事である。決断は、決定権者が行う。
故に、恒等式や指標で重要なのはも恒等式を構成する要素の相関関係と全体の構造である。

恒等式の構造とは、割り算であれば、何を分母とし、何を分子とするか。分母と分子の相関関係が鍵となる。
また、分母、分子は、何を構成しているか。分子がフローならば付加価値を構成する要素かどうかによって制約条件が変わってくる。垂直的均衡と水平的均衡をどの様に設定するかである。

相関関係や将来を予測する場合、時系列データを解析する必要が出てくる。
時系列データは、長期的変化と短期的変化をどの様に組み立てるか。また、一時的な変化、異常値をどの様に解釈するか。
そして、定性的な事象、例えば、金融政策や財政政策、会計基準の変更、戦争や革命などと言った事象が及ぼす影響をどう組み込むかなどが鍵となる。

恒等式は、フローとストック付加価値の構成部門間の資金の過不足要素間の関係の時間的変化生産、分配、消費の関係等の相関関係が基本となる。

後は、連立方程式を構築する事である。
何を変数とし、何を定数とするかである。
更に、何を目的変数とし、何を説明変数とするか。
そして、線型と行列である。

根本的に経済の問題点は、構造的な歪が原因である場合が多い。故に、歪みがあるかどうか、歪みのある個所はどこか、歪みによってどの様な症状、影響が出ているか、その歪みを解決する手段はあるか。歪みを是正する為に何をする必要があるのかを明らかにする事である。

経済の仕組みは、「お金」の流れによって動いている。故に、徹底的に「お金」の流れを明らかにする事が求められる。

経済の仕組みは、情報系である。

情報には、性格があり、状況や場面に合わせて必要最小限の情報を即時的に提供できる体制が要求される。
情報の性格は、第一に、情報源、第二に、情報の鮮度、第三に、生データか、加工されたものかによる違い。第四に、情報の精度、密度、第五に、情報の収集手段、第六に、情報の信憑度。第七に、情報量などによる。

情報は、第一に、現状を正しく認識させる情報が要求される。現状とは、位置と運動、関係を基礎として、合わせて周囲の環境、その時点で予測される事等である。第二に、正しい判断を下すための情報である。正しい判断を下すためには、その時点その時点の自分たちが置かれている位置、運動の方向、自分の運動に影響を与える要素との関係が、当初予定された事と一致しているかどうか。つまり、正常であるか否かの判断を伴う必要がある。第三に、それぞれの状況、正常である場合、異常である場合等、それぞれの場面に合わせて意思決定ができるような情報の提供である。第四に、非常時、緊急時であるかどうかを判断する為の情報。第五に、全ての情報を整理統合して長期的な対策を打つための情報である

料理をお客に供する場合、少なくとも器に盛って出す必要がある。皿に盛らない料理を出すのは、常識外れである。更に、調理以前の原材料、例えば、生肉をそのまま客に出すのは、礼儀知らずどころか相手を侮辱した事にもなりかねない。料理をお皿に盛って出すにも、汁物と乾き物を同じ器に持ってはならない、少なくとも仕切りは作っておく必要がある。また、温かい物は冷める前に、冷たい物は冷たいうちに出すのが鉄則である。これも当然の作法、配慮である。料理ではこのような事は常識である。
しかし、報告や提案といった日常的業務でこれらの常識、礼儀、作法が無視されている事が往々にある。
料理がお客様が求めるものを求めている時に素早く出す。客に生肉を放り出して勝手に調理してくれはない。少なくとも食べられるように調理はして出すものなのである。かと言って客のオーダーも聞かずに勝手に料理を作る事も許されない。

ユーザーインターフェースは、外との境界線、お客様に対する画面と言っていい。ここでいうインターフェースとは、使い手に対する画面だと言っていい。使い手、読み手を意識していないと論文は、散漫になる。故に、これから展開する話は、これから構築する仕組み、経済の仕組みの使い手や読み手を明確にし、意識していく事にする。

経済の仕組みの使い手が知りたいのは、だからどうなの、だとしたらどうしたらいいのかと言う事である。ほとんどの経済の専門書はせいぜい診断書までであり、処方箋はかいてくれない。しかし、一番知りたいのは、だからどうしたらいいのか、自分に何ができるのか、自分は何をしたらいいのかと言った処方箋、治療の方である。故に、処方箋や治療法を目当てに先に進めていきたいと考える。

使い手の目的は、第一に、経済を安定的に制御する。その為に、管理しやすい指標や施策を任せられる状態にする事。特に、企業であれば同業者などを分析して自社と比較ができるようにする。第二に、精度の高い予測をする事。第三に、異常値を検出し早期に対策を立てる事。第四に、最悪の事態に備える事である。

私は、これからモデル、模型を作って経済の仕組みを解明していこうと思う。
ユーザーインターフェイスは、使い手の意図を直接的に反映したものである必要がある。
数値だけでわかりにくければ、使い手の使い勝手がいいように作る変えるのは作り手の当然の責務である。
使い手が何を知りたいのか、何に使いたいのかを、先ず、理解する事が前提となる。

経済の一般的な模型を作るには、何を、人は、経済に期待し、望んでいるかを明らかにする必要がある。
経済現象は、自然に成る事ではなく。自分たちが望むようにする事が究極的目的となるからである。
だからこそ、解明すべき事は、目的変数であると同時に操作すべき対象でなければならない。

例えば、投資する為に調達すべき「お金」は、自分だ直接決める事が出来る。しかし、どれくらい収益があげられるかは、直接決める事はできない。不確実な数字である。知りたい数値は、投資する為に必要とする金額ではなく。どれくらい収益をあげられるかである。それが問題なのである。直接決められる数値によってどれだけ不確実な数値を予測できるか、それが、経済の問題なのである。

何が定数で、何が変数化を見極める。一番重要なのは、何が変わって、何が変わらないか。注意しなければならないのは、名目的には変化しても実質的には変化しない部分があるという点である。確定値がわかれば変数値は特定しやすくなる。
例えば、ある家の価格を査定しようとした場合、土地の価格は変化しても土地の大きさは変化しないのである。ところがバブルの時は、地価が激しく乱高下した。そして、地価の乱高下によって人生を狂わせた人が大勢いるのである。変化する数値に惑わされると変化しないものが見えなくなる。
易でいうところの変易、不易、易簡である。そして、変わらない部分が前提条件を構成する事になる。

次に、変化する部分の中で、何が管理可能で、何が管理不能なのかを見極める。そして、何を目的変数とするのかである。管理可能な変数は、目的化できない。管理可能な変数は、手段となるからである。ただ、管理可能であるか、否かは、前提によって変わる。

基本的には、何を、どの様な目的かが鍵となる。なぜならば、設定の仕方によっては、管理可能変数も管理不能変数に変わる場合があるからである。例えば金利である。
経済を予測する場合、金利や物価、利益、為替等が重点項目となる。しかし、この中で直接管理できるのは、金利だけである。故に、金利を調節する事で、物価や利益、為替等を制御する事になる。ところが現在、金利がゼロ、あるいは、マイナスに設定されているために、物価や利益、為替を制御する手段が制約されているのである。物価や為替が暴走し始めたら正義不能状態に陥る危険性が高まっていることを意味する。

経済を分析したり、調査するのは、絵空事ではなく。現実に分析や調査な基づいて意思決定をする為である。しかも、そこで下された決定は、生活に直接影響を及ぼす。経済分析の結果は、幻想ではなく。現実である。
経済のモデルを使ったり、予測を立てるのは、経済主体が自分の目的を達成する為である。
モデル・模型を作るのにあたってユーザー(使い手)がどのような状況を想定しているのか。

経済分析や予測では、「場合設定」が重要な役割を果たしている。

「場合設定」は、合目的的行為であるから、場合を設定する為には、目的を明確にする必要がある。
経済の目的は、生きる為に必要な資源を調達、あるいは、生産し、それを、分配して、生きる為に必要な活力として消費する事である。これが基本的なアルゴリズムである。
経済分析の目的は、基本的アルゴリズムに沿って設定される。

第一に、現状を知り、問題点を洗い出す事である。
第二に、経済の仕組みの絡繰りを明らかにし、経済の仕組みを操作、制御する手段を発見する事である。
第三に、経済の仕組みを再構築し、安定的に運転する為の操作を修得する事である。
第四に、目指すべき処を示し、目標を達成する為の手段を計画しておく事である。自分たちの目標は何か、その目標を達成する為の計画や対策を練る。
第五に、異常点を発見する仕組みを作り、異常な状態を是正する手立てを予め仕込んでおく。
第六に、最悪な事態を想定し、それに備える処置を講じる。

これらの目的から初期画面を設定し、体制を決める。いろいろな場面、場合を想定しておくのである。

経済は、合目的的な事であり、経済主体、ユーザー(使い手)によって求めるものが違ってくる。
言い換えると誰が、どの様な目的によって何を求めているのかがわからないと何をすべきかが判然としなくなる。
故に、経済主体を特定しながらUIを設定していきたいと思う。

先ず為政者が経済に求めるのは、そして、求められるのは、第一に、国民の生命財産を守る事である。
第二に、国民の権利を守る事である。その為には、国家の主権と独立を守る事である。
第三に、国を豊かにして、国民が最低限の生活を保証する事である。
第四に、治安の維持である。
第五に、社会資本の充実である。
第六に、建国の理念の実現である。

個人が求めるのは、第一として、基本的に生きられる環境を維持する事である。
第二に、家族の安全。
第三に、財産の保障。(国民国家においては私的所有権の保障)
第四に、豊かさである。
第五に、平和。平和は、究極的な目的である。戦後の日本人は、平和は、作られた状態である事を理解していない。平和は、守ろうという努力がなければ守れない。なぜならば争い争わなければ生存できない状況によって引き起こされることが多いからである。平和は経済的な問題でもある。平和を維持しているのは、経済なのである。

企業の目的は、収益を上げる事ではなく。その先、収益をあげた先にある。収益や利益を上げる事を唯一の目的としたらその先がなくなる。
企業本来の目的は、社会に役に立つ財を生産し仕事を作って所得を分配する事にあり、収益は、その為の手段であり利益は指標に過ぎない。それに、利益は結果である。

企業は、公器であって特定の個人や家族、勢力の僕(しもべ)ではない。

企業の重大な役割の一つに雇用の創出がある。現代の市場経済は、雇用を前提として成り立っている。生産効率が分配効率を否定する関係を作ってはならない。生産と消費は経済の両輪であり、消費は、現金収支の上に成り立っているのである。
収入の源が雇用であるから、雇用や所得の減少は市場に対して縮小圧力となる。雇用や所得が維持されている上での縮小と雇用と所得が保障されなくなって引き起こされる縮小均衡とでは意味が違う。後者の場合、市場の均衡は望めなくなるのである。

そして最後にどの様な画面(ユーザーインターフェース)にするかの仕様を決める。要するに、落としどころ、最終的着地点を設定・設計するのである。それは使い手の目標、目的地点、求めていることの裏返しでもある。

ユーザーが知りたい目的と言うのは、実際的な事である。特に実務家は、仕事に役立つ事が基本となる。
その為には、簡潔明瞭であることが求められる。
だからこそ相関関係が重要となる。
例えば、何が投資を促すのかを明らかにしたい場合、地価、固定資産増減、投資、長期金融機関借入金(残高・資金需給)財務キャッシュフロー、投資キャッシュフロー、金利等の時系列的な相関関係を調べ、何が投資と相関関係が強いかを明らかにする。相関関係は、時間と伴に変化する。故に、例えば十年を基準として相関係数の変化を辿るのも一つの手段である。そして、それが要件定義にまとめられる。

経済模型を作る場合、生産の仕組み、分配の仕組み、消費の仕組み、金融の仕組みが空間的時間的に折り重なっているという点である。
即ち、分配を中心にして時間的には、前段階の生産の仕組み、成果を基にして分配の仕組みは作動しており、前段階の分配の仕組みに従って分配された所得を元にして消費の仕組みは動いている。そして、生産の仕組みは、前々段階の結果を反映して生産活動をしている。生産、分配、消費の段階毎の資金の過不足を期間を平準化する形で金融が調節しているのが経済の基本構造である。

経済の仕組み(循環構造、重層構造)
個々独立した仕組み  現時点  
生産の仕組み 前段階の生産  前々段階の支出に基づいて前期生産
分配の仕組み 現時点の分配  前段階の生産に基づいて当期分配
 消費の仕組み 次の段階の消費  現時点の分配に基づいて次期消費
 金融の仕組み   通期の資金の過不足を融通する 

予測に基づいて予定を立て、実績を予定と照らし合わせてやるべき事を決める。これが基本的な仕組みである。予実績管理が経済制御の基本である。
予実績管理は、予測・予定を基礎としその時点その時点に入手できる情報を速やかに入力して、それを使い手の意思決定に役立てるようにする。そのように設計されなければ意味がない。

経済を制御する仕組みは、観賞用ではなく、意思決定用、実用であることが大前提なのである。
情報には、速報値と確定値がある。速報値とするか、確定値とするかは、何に情報を活用するかによって決まる。

ユーザーインターフェースは、使い手の立場・目的によって違ってくるから使い手を特定する必要がある。

段取り


先ず段取りからすると、 経済とは何かを明らかにする。それに基づいて必要なデータの一覧表を作り、個々のデータの性格や働きを解明する。データ間の関係や働きを観察し、分析する。その上で要件定義をして経済モデルを組み立て、データを入力して実際の数字と比較検証しながらモデルの精度を高めていく。基礎となるモデルがある程度完成出来たら、それを使い手の要望に基づいて再構成する。

手順からすると指標によって土台となる基盤モデルを構築し、それに現実の数値を当てはめる事で検証していく事になる。

大前提は、なにで、何を監視・モニタリングするのかである。

基盤モデルが出来たら、予実績管理の要領で経済の変化を予測し、また、モデルを操作する事でとるべき施策を検討していく。

その過程で、異常値の検出を試みる。第一に、指標と実績値を比較して異常値を検出する第二に、異常値の要因を特定、検証する第三に、定性的な事実で要因となりそうな事象を洗いだす第四に、定性的要因、定量的な要因を整理し、原因を焙り出すその上で五番目に、対策を立てて最後にそれを実行する。(「最速で収益につなげる完全自動データ」高橋威知郎著 クロスメディア・パブリッシング社)

最終的には意思決定に結び付くものでなければ意味がないのである。

経済において前提となるのは、先ず、経済を構成する要素を明らかにし、経済の状況を空間的、時間的に位置付ける事である。

経済を構成する要素の状態働きを成立させている前提条件は何か。それは定量的なものか、定性的なものか。
定量的なものならば方程式化が可能か。また、データは何に依拠するか
定性的なものにはどのようなものがあるのか。それは、どの様な働きをしているか。定性的な要素としては、政策が代表的であり、政策には、金融政策や財政政策がある。
経済を構成する要素の状態には、為替の動向、原材料価格の動向、市場の環境等がある。市場の環境には、市場の構成、市場の状況等があり、市場の構成には、寡占、独占等がある。市場の状態には、過飽和か、不飽和かなどがある。
経済を構成する要素には、経済単位、部門構成、人口、市場と組織の構造、貨幣制度、政治体制、産業構造、会計、法制度等がある。
次に、経済の仕組みを成立させている前提条件の中で変化するもの変化しないものがある。
変化するものも緩やかに変化するもの急速に変化する事がある。また、目に見えて変化する事目に見えないところで変化する事がある。
変化する条件は、どの様な要因によって、どの様な影響がどこにいつ現れるかを突き止める必要がある。

また、人為的に設定される前提条件の中には、規制がある。規制は、経済の方向を定める働きがある。環境や状況の不適合な規制や経済政策の目的に反する規制は、経済の円滑な動きを妨げる為、早期に改廃する必要がある

市場経済における大前提は、拡大均衡状態であるか、縮小均衡状態であるかである。
拡大均衡状態か、縮小均衡状態かで市場に働く力の方向や性格が全く違ってくるからである。

縮小均衡の時、総所得が一定なら、総所得を構成する要素の比率が経済の動きを表す事になる。
総所得は、利益、減価償却費、所得、金利、地代、税からなる。
営業余剰・混合利益、固定資産減耗、雇用者報酬、支払金利息、地代家賃、間接税(生産・輸入に課せられる税)から構成される。

この中で、固定資産減耗や減価償却費は、評価勘定であり、実際の資金収支を直接反映したものでない。固定資産減耗や減価償却費は、「お金」の働きを平準化する際、重要な働きをしているが、「お金」の流れによる働きを見る場合は、外して考える必要がある。それがキャッシュフローの概念である。

総所得の働きを考察する場合、先ず付加価値の構成の変化を見る事である。
付加価値は、部門間に資金を分配する事を意味する。雇用者報酬は、生産主体(非金融法人企業、金融機関、一般政府、対家計非営利団体)から消費主体(家計、一般政府、対家計非営利団体)への「お金」の流れを表している。税は、一般政府に対する他の部門からの「お金」の流れを表している。
そして、経済の仕組みの働きは、総所得を構成する要素間の比率を見ると明らかになる。



国民経済計算書


例えば、利益が増大すれば所得と金利を圧迫する事になる。税は、利益に比例する為に、利益が増大すれば必然期に負担は、増大する。
所得が圧迫されれば、支出が減少し、負債が増加し、総産出が圧縮される。
利益が増大する理由は、単純に、経営者の責任に帰すわけにはいかない。第一、一人二人の経営者の意志で経済全体が動いているわけではない。思い通りに利益を操作できる経営者がいると思ったらそれは、全くの考え違いである。市場は生き物であり予測を付けるのはかなり難しいのである。

現実には、国民経済計算書で営業余剰の動向を見るとニクソンショック後、大きく後退しているのがわかる。大きく伸ばしているのは、雇用者所得と固定資産減耗である。
間接税の影響は、横這いである。

故に、民間企業が不当に利益を上げているように言うのは、間違いである。むしろ、民間企業の利益が圧縮されている事が景気低迷の原因である。知識人の中には、民間企業が利益を上げること自体、悪であるかのごとくいうものがいるが、利益を上げられない企業の方が社会にとっては障害なのである。


国民経済計算書


経済成長と付加価値の関係を分析するには、全体の動向と全体を構成する要素の比率の変化を見る事なのである。

付加価値全体、即ち、総所得は、バブル崩壊後、横這いなのである。バブル崩壊後、縮小均衡へ市場が変質する。縮小均衡へと転換したことを前提として構成比率を見ると労働分配率は高まっていることがわかる。

問題なのは何が拡大均衡から縮小均衡へと転換させたかである。
それを見極めるためには、要素間の関係、相関関係を調べる必要がある。


国民経済計算書

総所得と言ってもそれが損益に計上される取引損益に反映されない貸借・資本取引、移転取引かを見極める必要もある。

総所得の中で、営業余剰、固定資産減耗、地代は移転である。

総所得の要素がどのような動きをするかは、要素間の比率と要素の元となる分母との関係が重要となる。

付加価値は、フローを意味する。
何を分母とするかはストックとフローとの関係に隠されている。
典型的なのは、金利、利息の働きである。金利の分母は借入金、負債である。金利は、分母が借入金、分子が利息、金利は利率を意味する。負債は、債権と債務の関係を表し、支払準備を意味し、対極には資産がある。負債は、貸借取引の結果を意味する。資金の流通量に関わっている。貸借は、金融取引であり、金融機関では、預金は、借入金を意味し、預貸率によって資金効率は測られる。
利益は、国民経済計算書では、営業余剰に相当する。利益率は、売上を分母とする。即ち、営業余剰の分母は、総産出である。但し、利益は、差額勘定であり、営業余剰は、消費されるわけではなく資本として移転され、ストックされる。貸借に基づく「お金」の流れは、表面に現れないが、返済資金は、営業余剰と固定資産減耗が該当する。故に、負債残高の増減と固定資産残高の増減に関わっている。
雇用者報酬と混合所得は、個人所得を構成する。故に、分母は、総所得であり、労働分配率を意味する。雇用者報酬・混合所得は、可処分所得を制約し、最終消費支出と貯蓄の原資となる。最終消費支出は、生産の根拠となり投資と産出を生み出す。

ストックは、部門間の貸借として均衡している。


日本銀行 資金循環 ストック

問題なのは、1999年を前後して一般政府から非金融法人企業へ資金余剰主体が逆転している事である。

ストックは、基本的に貸借の残高によって構成されている。
貸し借りは、預金と貸付金からなる。貸借は、どこから、どこに流れているのかが、焦点である。
預金の性格は、余剰資金の累積である。貸付金は、不足資金の累積である。そして、預け手にとって債権であり、金融機関にとって債務である。
預金の働きは、支払いを準備する事である。預金には、当座預金、普通預金、定期預金等の別があり、流動性や使途に違いがある。この預金と銀行券の発行量との関係を理解する事が通貨管理の入り口になる。
また、預金は、元本の部分と利息部分からなり利息は、費用として損益に計上されるが、元本部分は、移転として損益に計上されない金利は、フローを形成し、元本は、ストックに組み込まれる。時間価値は、主として金利によって作られる
貸付金は、貸先によって性格に違いが出る。貸先は、非金融法人企業、金融機関、一般政府、対家計非営利団体、海外部門である。
非金融法人企業に対しては、設備投資等の生産手段に対する投資と運転資金で、付加価値を生み出す。家計に対しては、住宅ローンや自動車ローンなどの消費手段に対する投資、そして、一般政府や対家計非営利団体に対しては、社会資本に対する公共投資、海外部門には、資本収支として経常収支と外貨準備に対する出資と言う性格がある。
家計以外の貸付金は、付加価値を生み出さない。

民間企業に資金が流れずに、財政や家計に資金が流れる限り、また、金融機関に資金が滞留する限り、付加価値は、増加せず。必然的に総所得、総生産、総支出は、横這いになる。

預貸率は、資金の効率を見る上で重要な指標である。預金が貸付金にどれだけ振り分けられるか。資金が金融機関にどれだけ滞留しているかは、資金循環の状態を明らかにしている。
貸付金と預金に偏りは単に貸付金利と預金金利による利幅だけの問題ではなく、貸付金量と預金量の偏りも反映されるからである。預貸率の低下は、金融機関の働きを弱める。
金融で重要なのは、機能である。単純に、業務純益で優劣をつけるべきではない。

故に、ストックがどこに蓄積するかによってフローの性質は変わってしまう。表面的なフローの動きだけを見てもフローの予測は不可能なのである。


日本銀行 資金循環 フロー

ストックは、累積すると残高に基づく働きが生じる。この働きを位置エネルギーとする。経済の仕組みは、位置と運動と関係によって動かされている。ストックから派生する位置エネルギーとフローによって生み出される運動エネルギーが作り出す関係こそ経済の仕組みを構成している働きなのである。そして、全体も、部分も、そして、部門も基本的に均衡を求めて動いている。

もう一つ大切なのは、対称性である。なぜならば、外部取引には対称性があるからである。即ち、売りには、買い。買いには売り。貸には借り。借りには貸しと言った反対方向の働きがあるからである。また、売り買いは、貸し借りと結びつき、売りと貸し、買いが借りに結び付くことがある。この関係は、取引に重みを付け、運転資本を生じさせるのである。



国民経済計算書


累積したストックの残高をフローの固定的部分として前提となる。
故に、フローの状態を診断する上で、ストックの残高を無視するわけにはいかない。なぜならは、ストックは、フローの分母を構成するからである。
累積したストックの働きは、目に見えないところ、深層部分に働き、「お金」の流れを悪くする場合がある。
例えば、住宅ローンの返済と賃貸住宅の家賃の関係である。住宅ローンの返済額の金利を除いた部分は、固定的支出として可処分所得を賃貸住宅家賃は、フローとして計上され、変動的な支出として扱われる。可処分所得が減少した場合は、住宅ローンの支払いは、減らす事が出来ないが賃貸住宅の家賃は引っ越しをすれば減らす事が出来る。つまり、累積したストックの残高は、固定的な支出としてフローを常時圧迫し続けるのである。この点を見逃すと資金が回らなくなり、破産する。
倒産や破産の主たる原因は、ストックの残高にあるのであり、フローは直接的原因ではない。なぜならば、フローは、手持ち資金がなくなれば、支出する事が出来ないからである。しかし、ストックから派生する支出は、手持ち資金とは関係なく派生する。つまり、借金をしなければ、生活が成り立たなくなる事はあっても、倒産や破産をする事はない。現金商売に徹すれば不渡りを出す事はない。借金があるからこそ破産するのである。しかし、借金をしなければ投資には限界がある。投資をして生活や事業を拡大したければ、負債の管理をしっかりする事が求められるのである。
故に、ストック残高とフローとの相対的比率を常に確認する必要がある。

資金の流れを徹底的に追う事が肝心要である。なぜならば、期間損益は、単位期間における収支の働きを重視する為に、実際の「お金」の流れと乖離してしまう事があるからである。典型的なのは、減価償却費や固定資産減耗である。減価償却は、単位期間の費用の働きを利益に結び付けて計測する際には、有効であはあるが、資金の流れを追跡する際、名目的な部分で囚われるとかえって障害となる。なぜならば、実際の現金収支にかかわるのは、長期借入金の資金需給との関りだからである。



企業法人統計

経済を動かす要素全てを掌握しているか、あるいは、できるかが問題となる。特に何によって前提条件が変化するのか。そして、その変化を認識できるかが問題なのである。我々が知りえないところで重大な変化が起こり。それが経済に決定的な変化を引き起こしているとしたら、先ずその未知なる仕組みを明らかにする必要がある。しかし、現在の経済学者は、この手の問題に関してあまりにもナーバスである。
最終的には、どこからどこに「お金」が流れ、それがどのような働きをしているかを見極める事なのである。

現在のゼロ金利状態は、バブル崩壊やリーマンショック後、ストックの相対的で急激な拡大が影響していると考えられる。ゼロ金利状態は、時間価値を圧迫し、金利だけでなく、物価や所得、利益をも圧迫しており、市場を拡大均衡から縮小均衡へと向けている。
成長が是か非かの問題ではなく。市場が縮小均衡に向かうのは、必然的であり、拡大均衡から縮小均衡へと転換したことを前提として経済施策を採用すべきなのである。その上でストックとフローの関係を再構築しないと「お金」が正常に流れなくなる危険性がある。その兆候がリーマンショックなのである。

前提条件の働きや関係を明らかにするためには、要素間の因果関係相関関係が重要となる。
因果関係と相関関係の間は、因果関係は広い意味では相関関係の一種だと言えるが、因果関係は、要素間に順番があるのに対して相関関係は、必ずしも順序に囚われる必要りない事象を指す。現在は、必ずしも因果関係にこだわらずに相関関係から要素間の関係を捉える必要がある。
最近、経済の構成する要素間の関係は、因果関係以上に相関関係が重視される傾向がある。その理由は、経済を構成する要素間の関係は絶対的関係ではなく、相対的関係だからである。つまり、何らかの事象で前提が変わると要素間の関係の質が変わる。場合によっては、因果関係が逆転したり、関係そのものが失われることがあるからである。視点によっても因果関係は変わってくる。そうなると因果関係と言う固定的関係だけでは説明がつかなくなる。また、経済現象は、複数の要因が絡み合って起こるために、特定の因果関係だけでは説明がつかない。相関関係がさえ分かれば因果関係まで解明する必要がない。因果関係として固定的にとらえられない関係がある。むしろ、相互の作用が及ぶ範囲の方が重要な場合が多い。
因果関係がハッキリしている事を除いて相関関係を明らかにできればいい。この様な理由から因果関係より相関関係が重視される傾向が出てきた。
ただ仕組みや論理を組み立てていくときは、因果関係が基礎となる事は忘れてはならない。

税には、利益に比例する税支出に比例する税所得に比例する税資産に比例する税がある。
利益に賭けられる税は、法人税などを指し。支出に比例する税は、消費税、関税などの間接税、資産に比例する税は、相続税や贈与税等である。
課税対象によって税の働きや性格は違ってくる。為政者は、税政を変更するにせよ、維持するにせよ、この点を見極めて行う必要がある。税制度の働きは、前提条件の一部、外枠を構成する事になるからである。

実際の所得、即ち、収入の量は、納税額から逆算した方が実態に近いかもしれない。表面的な経済統計の量は、人々の思惑や都合によって歪曲されがちである。


国税庁


但し、基本的に税の働きは、一般政府を除いた他の部分では外生変数に属すると考えていい。
一般政府以外にとって税の働きは、管理不能なのである。

経済指標は沢山あり、実際何が役に立つのか、必要としているのかを見極めるのは難しく見える。
しかし、個々の経済主体が直接的にかかわれる、あるいは、操作できる要素は限られている。
まず、自分が何ができるのかを胸に手を当てて考えればいい。そして、自分ができる事に絞って目的を定め分析をしていく事である。

経済は、数学である


経済は、数学である。文字よりも早く数字は発達した。それも経済的な事由でである。
数学には、測る数学と数える数学がある。測る数学は、科学の礎となったのに対し、数える数学から経済は発達し、会計を成立させた。経済の数学と自然科学の数学は本質が違う。第一目的が違うのである。
経済と言うのは、人為的な行為である。自然科学の様になるものではない。する事なのである。
自然科学では、ボールの飛ぶ方向は、ぶつかった対象、例えば、壁によって決まるが、野球では、ボールの飛ぶ方向は、人が決める。その差が自然科学と経済との違いである。
経済が観察から始まるのに対して経済は設定から始まる。そこからして違う。今日自然科学の礎となる数学は、長足の進歩をした。しかし、それに反して経済の数学は、足踏み状態が続いている。現在の経済学は、科学と言うより文学に近い。

経済の大本は数える数学である。測る数学が連続数(アナログ)であるのに対して数える数学は、離散数(デジタル)である。経済の数学は、自然数であり、割り切れない場合は、余りを出す。つまり、余り算が基本であり、故に、残高主義になる。負の数は基本的に用いず、加算的減算を用いる。
この様な経済数学の体系は、必然的に構造的、集合論的になる。そして、仕分けや元帳、決算といった働きによって構成される。その働きが会計の枠組みを構築する。

会計では、対称性と均衡が要となる。

経済は数の性格によっいて支配されている。なぜならば、「お金」の性格が数の性格に基づいているからであり、同時に、会計は、経済の為の数学が発展した形だからである。


       

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