経済とは


経済は、社会や国家の根幹である。経済は、社会や国家の根幹でありながら、経済の役割について正しく理解されたり、定義されているわけではない。
その為に、経済は、金儲けの手段であったり、貧困の原因だと思われたり、戦争を引き起こす元凶のように言われてきた。しかし、それは経済を正しく理解していない事によるのである。

経済は、本来、人々を豊かにする手段であり、平和を維持するための手立てなのである。
貧困や戦争は、経済がうまく機能していない事に起因する出来事である。
経済を正常に機能させるためには、生産、分配、消費の関係を均衡させる必要がある。なぜならば、生産、分配、消費は、各々自律した働きをしながら、相互依存関係にあるからである。

経済と言うと真っ先に生産の事を思い浮かべるのが一般的である。生産効率か、利益とか、投資とか、金儲けである。
しかし、経済は、生産だけで成り立っているわけではない。生産ばかりに偏るとなぜか、経済が上手く回らなくなる。それは、経済は、生産だけでなく。同じくらい分配や消費に依っているからである。
財を生産しても分配する手段がなければ、財を活用する事はできない。財は、必要とする人のところにわたってはじめて効用を発揮する。
否、むしろ、消費にこそ経済の基盤はある。なぜならば、消費は、生活を司るからである。生きる為に必要に物を必要なだけ生産する。つまり、生産の根拠は消費なのである。

生産と分配、消費、そして、貯蓄は各々独立した空間・場を形成している。
生産や分配、消費、そして、貯蓄の体系や構造も違う。目的も違う。その点を明確に区分して考える必要がある。大切なのは、均衡である。
体系や構造、目的が違えば、指標も違ってくる。
生産の局面では、生産量、供給力、操業度、生産効率、総産出等が指標となる。
分配の局面では、失業率、所得の代表値、分散。幅と範囲。最小値、最大値が重要となり。
消費の局面では、物価、生活水準、貧困度、人口構成、可処分所得が指標となる。
これらの指標を同一の基準で測る事はできない。ただ相互の関連を無視すると均衡が保てなくなるのである。故に、アルゴリズムが重要となる。

現代の経済は、生産性ばかりに重きを置く。失業対策と言うのは、生産性を補完する役割しか求めない。しかし、経済を分配と言う局面から見ると失業と言うのは、中心的課題となる。失業率が高くなると分配の機能が阻害されるからである。

倉庫の様な自動化され、極限まで従業員が削減された安売り店だけが生き残り、その周辺を失業者に囲まれるそんな経済を今の為政者は志向している。故に、景気は停滞するのである。それが生産効率のみを突き詰めた結果である。
そこには商店街を散策しながら買い物を楽しむというゆとりある生活は影も形もない。それが経済を活性化するというのならばまだしも、経済を衰退させる原因である事に気が付かない限り、経済は、衰弱する一方である。

経済と言うのは、生産と分配をどう調和させるかを設計する事なのである。その根底にあるのは消費の質である。
分配の鍵は、適正な労働条件や雇用である。公正な競争の前提は、同じ労働環境によって実現する。
完全障壁では公正な競争は示現できない。前提条件が変わらないのである。

経済とは、生きる為の活動である。即ち、生きる為に必要な資源を調達、あるいは、生産し、それを分配して消費、即ち、生活に供する。

経済の基本は、生活であり、生活に合わせて必要とする資源を調達、あるいは、生産し、分配する。
その手段として「お金」や市場が存在する。
経済の基礎は、消費なのに、生産が優先されたり、分配の手段である「お金」が目的化されたりする。それが経済の本質を根本から覆しているのである。

先ず、我々は、生きていく上に何が必要なのかを明確とすべきなのである。個人でいえば生活設計であり、国家でいえば国家構想である。生活設計や国家構想を基として経済は成り立っている。

最終的に何をどうしたいのか。経済でいえば、経済をどうしたいのか。それを明確にせずに議論をしても始まらないし、意味がないと思う。ところが、政治家も経済学者も、目的もわからないまま、経済について議論しているように思える。だからいつまでたって着地点が見いだせない。
逆に、いえば着地点が明確だから経済の概念も枠組みもできる。


経済の定義


経済とは生きる為の活動である。
経済は、金儲けの手段を言うのではない。
経済は、生きる為に必要なものを調達、あるいは、生産し、調達、生産したものを分配し、それを消費する。余った物を保存する一連の過程を言う。故に、経済には過程がある。家庭とは時間の関数であり、変化である。

経済は、生きる為に必要な資源を生産、あるいは、調達し、遍く、分け与える行為である。
「お金」や市場は、その為の手段に過ぎない。

製品を製造したり、「お金」を儲けたりするのが経済の目的ではない。
経済の目的は、別にある。経済の目的は生活である。
ところが、手段である「お金」儲けや、生産が目的化しいつの間にか、「お金」儲けや生産の効率化が経済の目的であるかのように錯覚されるようになってしまった。
それが不幸の始まりであり、貧困や格差を生み出す元凶となってしまったのである。

消費で問題になるのは、質である。なぜならば、消費に個人の趣味趣向に左右されるからである。
故に、経済には、量だけでなく質がある。
消費は、文化なのである。

経済とは、生活である。故に、経済の基礎は消費にある。どの様な生活を前提とするのかによって経済の在り様も変わってくる。生活を成り立たせている環境の変化にどの様な対応するかが、経済の仕組みの課題なのである。

経済は、「お金」儲けではない。「お金」は、経済を成り立たせている手段の一つであり、目的ではない。
現代の経済の問題の一つは、「お金」が目的化してしまっている事である。

経済の仕組みを考える時、生産の局面だけで捉えると、経済の仕組みの全体像が見えなくなる。なぜならば、経済の仕組みは、分配による部分が大きいからである。

いかにして生産財を消費者全てに満遍なく必要なだけ、必要としているところに行渡らせるか。それが経済最大の課題であり、経済の仕組みの最終的な目的であるからである。

いくら財を大量に生産しても、それを分配する手段もなく、誰もその財を必要としていなければ、生産しただけ無駄になるのである。
それは浪費である。

経済は、必要性、即ち、消費に基づかなければ本来の効用を発揮できない。

大量の食糧が廃棄されている、一方で飢餓に苦しむ人々がいたらそれは経済の仕組みに欠陥があるのである。
必要としている人達に必要とする物を必要とするだけ分配するのが経済の仕組みの本来の目的・役割なのである。
その本来の役割に基づいて経済の仕組みは構築されるべきなのである。


経済の目的


経済の目的は、人を生かす事である。

経済と言うのは、人々が生きる為の活動を言う。有体にいえば経済とは、生活である。全ての人々の生活が成り立つ様にするのが経済の目的である。

経済の最終的目標は、どれだけ生産するのかではなく。どの様な生活を目指すかにある。国民の生活水準をいかに高め、より良い生活を実現する事にある。
その意味からすると現代の経済は、競争力とか、生産力に特化しすぎている。効率よく生産し、「お金」を儲ける。それはそれで意味はあるのかもしれないが、その後が続かなければその意味も虚しくなる。
目的は生産ではなく、消費にある。生産は、手段である。

敗戦後の日本は、国家目的を持つ事が許されなかった。明治政府は、富国強兵を目的とした。しかし、その内、強兵が主となり、富国が従属的な地位に落とされた。しかし、強兵が主となれば富国は犠牲にならざるを得ない。
それでも経済の目標は明らかであった。戦後の日本は、国家目的さえ明らかにされなかったのである。
だから「お金」儲けが主となる。目的がないのである。「お金」のために国民生活が犠牲になっているのが今日の経済である。

国民が生きるために必要とする必要としている財を生産し、それを国民すべてに遍く分配する事が経済の目的である。
経済の目的は、生産と消費を調和させる事である。
経済の根本は、生産と消費である。しかし、経済の仕組みの根本は、分配にある。
故に、経済の仕組みを構築しようとした場合、中核となるのは、分配の仕組みなのである。

経済の目的は、生産、分配、消費の働きが均衡させる事である。

経済の本質は変化である。環境の変化をいかに消費に反映させるかが経済の仕組みの目的である。

現代時には、「お金」が全てであるがごとき錯覚がある。しかし、「お金」は、手段であり、目的ではない。同様に利益は指標であって目的にはならない。

経済を安定させるためには、支出を安定させると同時に、支出を所得の範囲内に収める必要がある。
その為には、物価の安定が条件となる。
経済は、所得の範囲内に支出を収める事と物価を安定させることが鍵となる。


経済の仕組み


経済の目的は、財を生産し、それを分配することで生活を成り立たせる事である。
経済の目的は、全ての国民が生きていけるような環境を作る事にある。
経済の仕組みの目的は、生産、分配、消費を均衡させる事である。

経済で一番重要なのは、財を適切なところに配分する事である。
経済の仕組みは、生産の仕組み、分配の仕組み、消費の仕組みの三つの仕組みからなる。
中でも、経済の要になるのは、分配の仕組みである。分配は、生産と消費を結ぶ懸け橋だからである。
そして、分配の在り方がその社会の基本的な思想を形成するからである。
いかに、公平な分配を実現するかが経済の中核的思想を形成する。

分配は、組織的に所得の配分し、市場で財と「お金」を交換すると言う二段階によって行われる。
市場における財と「お金」の交換を市場取引と言う。

市場取引の過程で価格が形成される。価格は物価を形成する。
経済の最終目標は、消費である。なぜならば、経済は、消費によって完結されるからである。
消費によって生活は実現する。生活設計に基づいてこそ、経済は実用性を発揮できる。経済は現実なのである。
国家構想があって財政は成り立つ。景気対策があって国家があるわけではない。景気対策によって財政が破綻する事があれば本末転倒である。

経済は虚構でも理想でもない。現実である。

現在の経済を構成する要素は、人と物と「お金」である。
経済を構成する基礎は、人と物(生産財)である。「お金」は、人と物とを関連付ける手段、媒体である。
故に、経済の実体は、人と物にある。「お金」は、財と結びついて名目的価値を生み出す媒体である。
物や用益に「お金」が結びつく事で貨幣価値は形成される。

現代経済の仕組みの前提は、第一に、貨幣経済に前提とする。第二に、市場経済に則る事である。

経済の仕組みは、「お金」の流れによって動いている。

経済の仕組みを動かしているのは、「お金」の流れである。
「お金」の流れは、資金の過不足によって生じる。資金の過不足は、「お金」の入出金によって生じる。

「お金」の流れには、移転と経常収支がある。
移転とは、対価の伴わない一方的な「お金」の流れを言う。
期間損益においては、移転は貸借を形成し、経常収支は損益の本となる。
資金の過不足は、移転、即ち、貸借、金融取引、資本取引によって補填される。

「お金」の流れには、移転による流れと経常収支上の流れがある。現実の「お金」の流れは、移転と経常収支が合わさった流れである。どちらにせよ資金が回らなくなれば、経済の仕組みも経済主体も機能しなくなる。それが破産である。
移転による流れは、損益に影響しないが資金繰りに深刻な影響を及ぼす。問題は、移転が損益上計上されない事である。その結果、損益に気をとられて貸借の動きを見落とすのである。それが最悪の場合、黒字倒産を引き起こすのである。

安定した収益が見込めなくなると収益の増加による資金繰りが期待できなくなる。
経済が成熟し、市場が拡大均衡から縮小均衡に向かうと成長による資金の獲得が期待できなくなる。

実質的な可処分所得を圧迫し、狭める。
所謂、金詰りである。
利益は上がっているが資金が回らない状態を引き起こす。
故に、損益だけでなく、移転によって引き起こされる影響を計算しないと経済に対する対策は立てられない。

注意しなければならないのは、損益上に現れる減価償却は移転と直接的に結びついているわけではない。
ストックがフローに影響を及ぼすのは、移転によるものと付加価値によるものがある。貸借は移転から生じ、実質的な可処分所得の幅を制約する。付加価値は、ストックを基数として比率に影響する。この様に、フローは、ストックから二重に制約を受けている。

経済の仕組みの根本は、取引である。取引とは、財と「お金」、権利と「お金」の交換を意味する。

貨幣価値は、債権と債務によって作られる。債権は、権利であり、債務は「お金」である。
債権は資産の、債務は、負債の元となる。
債権と債務は支払いを準備する。
市場取引では、貸借によって支払いを準備し、売買によって取引を実現する。

「お金」の流れによって動く経済の仕組みは、第一に、「お金」を循環させる装置でなければならない。
第二に、全ての消費単位に資金を満遍なく行渡らせておく必要がある。
第三に、常に全ての消費単位に資金を供給し続ける必要がある。
第四に、経済主体は、残高をゼロ以下にすることはできない。

経済の本質は変化である。環境の変化をいかに消費に反映させるかが経済の仕組みの目的である。
経済の根本は、消費である。消費とは、生活である。

経済の仕組みの最小単位は、個人である。個人は、集合して生産単位、分配単位、消費単位を形成する。生産単位、分配単位、消費単位は、働きに応じて、家計、非金融法人、金融法人、財政、対家計非営利団体、海外の部門を形成する。

市場経済では、生活に必要な資源は、市場取引を経由して調達する。市場経済では生活に必要する資源を購入する資金を先ず稼ぐことが前提となる。
先ず、生活費があってその生活費を賄う所得が必要とされる。所得は、生産手段である労働力を提供する事で得られる。
可処分所得と消費支出の関係、収益と費用の関係を集約するのが市場価格であり、市場価格は物価を形成する。

そして、経済の働きは、利益と貯蓄の関係にも見られる。

経済の仕組みの核となるのは、分配である。分配は、生産と消費とを関連付け生産を調節する働きがある。
分配の手段は、費用である。
期間損益では、分配の働きは、収益と費用の関係から導き出される。

「お金」の配分の手段には、市場的なものと組織的なものがある。

経済の仕組みは、市場と組織からなる。
財の貨幣価値は、市場取引によって決まる。
市場は取引の場である。

分配の標準的流れは、先ず「お金」を所得として組織的に配分し、次に、市場を経由して生産財を分配するという二段階で行われる。
問題は、いかにして「お金」を分配するかである。

生産単位、分配単位、消費単位は、経済主体である。経済主体は、組織体であり、共同体である。組織体、共同体である経済主体は、内部と外部が形成される。経済主体内部の取引を内部取引とし、経営主体間の取引を外部取引とする。
経済主体間の外部取引は、等価交換を前提とする。故に、外部取引の総和は、対称的でゼロ和である。
経済主体の内部取引は、非対称で、利益は、内部取引から生じる。
単位期間における内部取引に依って経済主体の経済状態を測る手法が期間損益である。

消費単位は、必要とする財を市場から調達する。

市場経済の目的を達成する為は、生産、分配、消費の三つの独立した場が形成されなければならない。

市場の働きによって生産、分配、消費、貯蓄は調節される。

市場価格は経済的価値を要約し、経済を構成する因子の働きを明らかにする。

生産と分配、消費、貯蓄は各々独立した場を形成する。
生産、分配、消費、貯蓄を結び付けているのが「お金」である。
生産と分配と消費は均衡する必要がある。生活に必要、即ち、消費量と分配量と生産量を調和させようとする力が経済の仕組みに働いている。

経済の仕組みの目的は、生産、分配、消費を均衡させる事である。
現代の経済の仕組みは、生産に偏り過ぎている。その為に、分配が適切になされず、意味もなく生産効率優先に陥りがちである。その結果、生産に偏りが過大になり、分配や消費に歪みが生じて、物価の変動が制御できないでいるのである。


経済の働き



現在の市場経済は、貨幣経済を前提として成り立っている。

経済の働きは、人々の働きを促し、人々に所得を分配し、人々が市場から必要な資源を必要なだけ調達できるようにする事。即ち、生産、分配、消費である。

経済の核となる部分は、人と物と「お金」の積によって形成される。
具体的には、売上=販売量×単価×顧客である。販売量は、生産量を元とし、単価は、物価の基礎となる。顧客は人口の範囲内に制約される。
これが意味するのは、人と物の積によって経済の基礎となる量が形成され、貨幣価値が掛け合わされる事で経済量は確定する。人と物は有限であるが、「お金」の単位には限りがない。
人と物の変化は確定できるが「お金」の変化は確定できない。故に、ハイパーインフレーションも恐慌も貨幣的現象である。


A 個人の働き


個人は、経済の最小単位である。
個人の本質は人である。故に、人としての属性を持つ。経済の最小単位としての個人は、一人の人の経済的働きのみに特化した存在である。
人は、生きる事を目的としている。即ち、個人の働きの動因は、生きようとする意欲である。即ち、経済を動かしているのは、個人、一人ひとりの生きようとする意欲である。生きようとする意欲は利己的な感情ではない。生物の本質であり、人間だけに備わった感情ではない。

人が人として生きる為にには、生存に必要な財を調達、あるいは、生産する必要がある。
人は、一人では生きられないし、子孫を残す事が出来ない。故に、人は、集団となり組織を形成する。

経済の基本は、生きる事、即ち、生活であり、消費である。まず生きる為に何が必要なのかを明らかにしないと経済の基礎は確定できない。
生きる為に必要な財を調達し、あるいは、生産するのである。
そして、それを消費単位を構成する者に分配する。社会的分業が進むと消費単位に生産財を分配し、分配されたものを消費単位内で組織的に分配する。そこに自ずと規則が生じる。それが経済的価値観を構成する。

個人の働きは、生産の場では、生産者として、分配の局面では、取引主体として、消費の局面では消費者として働く。これらの働きは、一人の個人において統一されるている。即ち、個人は、生産者であり、取引主体であり、消費者であり、貯蓄家(投資家)である。

生産、分配、消費、貯蓄は、各々独立した空間と体系をしている。この生産、分配、消費、貯蓄を結び付けているのが個人の働きである。

個人の働きは、生産の局面では、費用として現れ、分配の局面では所得として現れ、消費の局面では支出として現れる。

生産の局面では、個人の働きは、費用として現れる。個人の働きは、能力と実績に依拠する。
生産の局面では、経済の仕組みは、所得を得る手段を提供する事が求められる。費用としての人件費を削減し過ぎると市場全体の収益や所得が減少し、市場は縮小均衡へと向かう。

分配の局面では、個人の働きは、所得として現れる。所得の分配をどこが、どの様な基準によって、どの様な手段で行うかは、国家体制にかかわる問題である。
分配を生産から切り離し、分配の基準と生産の体系を全く別の次元で行うという思想もある。但し、その場合、生産と消費とを繋げる機構が失われ、生産を消費によって制限する事も生産によって消費を制約する事もできなくなる。生産と消費の相互作用が失われるのである。それでは、経済の自律機能が働かなくなる。生産と消費が関連付けられるから市場経済は、自律的に動けるのである。
忘れてはならないのは、分配を担っているのは、費用だという点である。
だからこそ適正価格が求められるのである。

消費は、分配を通じて生産の場である産業に働きかける。消費の構造は、産業の構造を変化させる。
消費とは、生きる為の活動であり、核となるのは衣食住にある。
消費を構成する要素の多くは、消費に周期がある。典型的なのは、食事である。毎日食事をしないと生きていけない。一日、何回食事を摂取するかによって食事に対する支出が決まる。食料の様な必需品に対する周期的な支出が消費支出の基礎となる周期を生み出す。
生活に必要な資金が所得の幅の枠組みとなる。所得は、費用の基礎となって生産を制約する。
この三つの要素の均衡によって経済の仕組みは形作られる。

つまり、経済の仕組みは、費用と所得と支出を均衡させることが求められる。
費用と所得と支出の均衡は、総生産、総所得、総支出の均衡の基となる。それは、三面等価の根拠でもある。しかし、三面等価に固執すると現実が見えなくなる。

費用は、収益を基礎とし、所得は、付加価値と比較され、支出は、可処分所得と対比される。

個人は、給与所得者、労働者であると同時に、顧客、消費者でもある事を忘れてはならない。この二つの役割の均衡が失われると経済は成り立たなくなる。


B 部門の働き


個人が集合して部門を構成する。
部門は、家計、一般政府、非金融法人企業、金融機関、対家計非営利団体、海外部門からなる。
生産的働きは、基本的に非金融法人企業が生産主体であり、金融機関は、一応生産主体と言う事にはなるが、貸出と負債の金利を収益の源泉としており、その意味では、財の生産と言うのとは異質である。どちらも最終消費はしない。
一般政府と対家計非営利団体は、生産と最終消費の両方を行う主体である。但し、生産は行うが営利活動とはみなさない。
家計は、最終消費主体である。一部、生産主体を併せ持つが基本的に消費主体と考えられる。
生産主体は、財を生産し、市場で販売する働きを家計は、必要とする財を市場から調達し、消費する働きを、一般政府は、社会資本を構築し、所得の再配分によって所得の不均衡を是正する働き、金融機関は、資金を融通する事で資金の過不足を是正する働きをする。

経済の仕組みの土台は、消費単位である。消費単位の中核は家計である。全ての個人は、いずれかの消費単位に属する事が前提である。最終消費支出の一部は一般政府が担っている。
消費単位は、生産手段を生産主体に提供して収入を得る必要がある。生産手段には、労働のような用役や所有権から派生するものがある。
生産主体は、生産手段と原材料を活用して財を生産する。生産単位の中核は、非金融法人企業である。非営利的事業による生産活動は、一般政府や対家計非営利団体などの公的機関が担っている。

国内で調達できない資金や資源は海外から調達しなければならない。その為に海外交易がある。必要とする全ての資源を調達、あるいは、生産できる国は海外交易をする必要がない。
政府は、海外との交易の決済に必要される資金を準備しておくことが義務付けられている。

単位期間の部門間の資金の過不足は、ストックとなり部門内に蓄積される。資金の過不足の残高の総和はゼロである。そして、ストックは、支払いを準備する。
経済主体間、部門間の資金の過不足を融通する期間の中核が金融機関である。資金の過不足を補填する機能の一部、特に所得の再配分は、一般政府などの公的機関が担っている。

この様に、一般政府は、生産、消費、金融の各部門にまたがって各部門の資金の過不足を補正する役割がある。

部門間の歪は、ストックを拡大する。ストックの拡大は、フローの比率を圧迫する。フローの比率とは、金利、税率、所得の増加率、賃率等である。金利や税率などが圧迫されると必然的にストックが拡大する。
この様に部門間の偏りが拡大するとストックとフローの均衡が水平的にも、垂直的にも保てなくなる。

金利、物価、税、所得、利益、通貨価値の間には、相互牽制が働いている。
ゼロ金利も、デフレーションも税率の変化も、利益率の変化、所得の低下、為替の変動も、ストックとフローの関係、比率が影響している。

均衡が破綻すると経済の仕組みも破綻しも制御ができなくなる。

C 「お金」の働き


貨幣経済とは、貨幣を媒体として成り立つ経済体制を言う。

「お金」は、道具、手段である。
「お金」は、分配の道具、手段である。
「お金」は、交換の道具、手段である。
「お金」は、数値情報である。「お金」は、価値を数値化する。現在の経済を動かしているのは、数の力である。
「お金」は、価値を一元化する働きがある。
「お金」は、価値を普遍化する働きがある。

表象貨幣に実体はない。あるのは情報である。故に、貨幣は、固有の名目的価値を生み出す。

「お金」が生み出す価値は、交換価値である。
「お金」の価値は交換にある。つまり、どれだけの財と交換できるかによって「お金」の効用は測られる。
「お金」は、貯める事が目的なのでも、貸し借りする事が目的なのでもない。「お金」を使って欲しい物や必要な物を手に入れる事が目的なのである。

「お金」は、使い捨てされるものでなく。繰り返し使う事で効用を発揮する。名目的価値は、劣化しない。即ち、名目的は価値は保存される。「お金」は、情報伝達のための手段である。
また、名目的価値が劣化しないから「お金」は循環する事で資金の過不足は補填される。

物やサービスは、消費されれば失われる。しかし、「お金」は、行使され効用を発揮しても「お金」の持つ名目的価値は失われない。
「お金」は、使用されても消費はされない。

「お金」の働きは、財と交換する事によって財の生産を促し、市場に流通させ、消費者に分配する事である。
「お金」の働きは、出金、入金によって発揮され、数値によって表される。極めて単純である。
「お金」は、貨幣単位を構成し、名目的価値を保存する働きがある。名目的価値は、市場取引に依って確定する。故に、名目的価値は相対的価値である。また、名目的価値は操作によって作られる。
「お金」は、経済的価値を数値化する。貨幣価値は、経済的価値を数値化した値である。
「お金」は、取引の手段であり、決済の働きがある。
「お金」には、名目的貨幣価値の確定する働きがある。
「お金」の働きには、財と掛け合わさる事で財の経済価値を貨幣価値によって一元化する働きがある。
価値が一元化されるとは、リンゴやミカン、船、牛、馬といった異質の実体や労働と言った働きや時間、切符や証書による権利といった異次元の対象を共通の基準で取引する事が可能となることを意味する。
財を貨幣価値に還元すれば経済的価値の演算が可能となる。
例えば、リンゴと机の価値を足したり、引いたりすることができるようになる。また、サービス料を時間とかけ合わせる事も可能となる。この様にして経済的価値を貨幣価値に還元するのが「お金」の働きである。

経済の仕組みを動かしているのは、入金、出金によって生じる「お金」の流れである。
「お金」の流れは、資金の過不足によって生じる。資金の過不足は、「お金」の入出金によって生じる。「お金」の過不足は、「お金」の流れを生み出す原因であり、「お金」の流れによる結果である。故に、残高が基本的指標となる。

会計に用いられる指標は、基本的に、自然数であり、離散数である。

「お金」の流れには、移転と経常収支がある。
移転とは、対価の伴わない一方的な「お金」の流れを言う。

経済の仕組みの根本は、取引である。取引とは、財と「お金」、権利と「お金」の交換を意味する。

貨幣価値は、債権と債務によって作られる。債権は、権利であり、債務は「お金」である。
債権は資産の、債務は、負債の元となる。
債権と債務は支払いを準備する。
市場取引では、貸借によって支払いを準備し、売買によって取引を実現する。

貨幣経済体制とは、経済的価値の基幹的部分を貨幣価値に還元する。気を付けなければならないのは、貨幣価値に還元できない経済的価値も存在するという点である。ただ、貨幣価値体制では、貨幣価値に還元されたものだけを市場価値とし、市場価値で経済活動を制御する。


D 市場の働き


市場は、取引の場である。
市場は、需要と供給を調節する場である。
市場は、貨幣価値を確定する場である。

市場は、需要と供給を価格によって調節する場である。故に、急激な需要や供給の変化を和らげ、物価が安定する様な仕組みを組み込む必要がある。
需給の変化は、生産と消費、双方に作用する。それが価格の安定化に寄与するような仕組みにする必要がある。
変化を増幅するような仕組みになっていると市場の機構そのものを破壊してしまう事もある。

ニクソンショックやプラザ合意の際のような為替の急激な変化、石油ショック時の様な原油の高騰等の影響などが参考になる。

市場は、売り手と買い手が出会う場である。

経済の働きで重要なのは、適正な価格を維持する事である。
適正な価格と言うのは廉価を意味するわけではない。

市場には、需要と供給を調節する働きがある。

消費や投資には、周期がある。消費や投資の周期が景気に波を生む。
消費や投資の周期に合わせて市場は、拡大均衡と縮小均衡を繰り返している。
また、市場は、経済の発展段階や状態によっても拡大と縮小を繰り返す。
市場の働き、市場が置かれている前提条件や状況によって違ってくる。
拡大均衡期と縮小均衡期では市場の働きは違う。
拡大均衡に向かっているか、縮小均衡に向かっているかを見極める事である。
その為には、前提条件の変化や状況の変化を確認し、見逃さない事である。

市場は、労働条件の差や賃金の格差、為替の変動などに敏感に反応する。労働条件や賃金格差などをどう平準化するかが市場環境を維持する為の鍵である。条件をなるべく均質にする事によって公正な競争を実現するのであり、関税もその対策の一つである。ただ関税は、対策の一つであり、余り関税に頼りすぎるとかえって公正な競争を阻害し、消費者に不利益に働くことがある。
重要なのは、条件を整える事で、市場を閉ざす事ではない。

市場は装置であり、強い衝撃には脆い部分がある事を忘れてはならない。

E 経済主体(組織)の働き


経済主体は、経済を構成する経済的に自立した主体である。
経済主体には役割がある。
経済主体は、個人の集合である。
経済主体には組織がある。
経済主体は、現金収支によって動いている機構である。
経済主体は、共同体であり、内部は組織によって動き、外部は市場や制度の法によって動かされている。
外部取引は、等価交換を原則とし、利益は内部取引から生じる。外部取引には対称性があり、内部取引は非対称である。
複式簿記は、取引を内部取引に還元したものである。

所得の配分は、組織的になされる。
経済主体は、生産単位、分配単位、消費単位毎に形成される。
生産単位としての経済主体は、財を生産し、市場で販売する。分配単位の経済主体は、所得を組織的に分配する。消費単位の経済単位は、市場から財を購入して消費する。

経済主体の働きは、財を製造する。取得を分配する。財を消費する。生産財を在庫する。資金を貯める。

経済主体の中で生産主体は、分配主体を兼ねている。生産と分配の構造は、個々独立しているが、相互に影響を及ぼしながら生産と分配とを調節している。

基本的に分配は、「お金」、即ち、所得を分配した後、市場から財を購入する事で完結する。

生産と分配は一つの主体の内部で同時に処理される。分配の仕組みは生産を促進するが生産そのものの仕組みとは違う要素で働いている事を忘れてはならない。生産の都合を優先し、分配の働きを無視すると経済の本意を失ってしまう。
分配は、生産を促す事だけが目的なのではない。報酬には、生活がかかっているのである。

生産主体内部の分配は、費用として現れる。生産主体内で費用は、分配を実現したものである。
費用は、性差の為に犠牲になる部分と言った間違って認識が横溢しているが、それは誤解である。費用は、分配の要である。
価格は、費用と利益を基礎として形成される。適正な価格が維持できなくなれば、利益を確保する事が出来なくなり費用を賄う事も不可能になる。それは、経済主体の破綻を意味する。
経費削減を至上命題にすると分配の機能は失われる。

価格を市場競争のみに委ねるのは危険な行為である。市場が無原則な過当競争に支配された場合、放置すると利益は、限りなく追加費用に収斂する。価格の最終的目標は、廉価ではなく。適正価格である。なぜならば適正な価格を維持できなければ費用による分配が維持できなくなるからである。
経済の目的は、競争力にあるわけではない。適正な分配にある。

経済主体を動かしているのは、「お金」の流れであるが、「お金」の流れで損益上に表れるのは、収益と費用の関係だけである。収益が圧縮されると損益に計上されない移転によって資金繰りが悪化する事がある。市場取引は損益にしか反映しないから移転による資金繰りの悪化が見落とされることがある。表面は景気がよくなっているように見えても資金が市場に流れにくくなっていることがある事を忘れてはならない。

D 価格の働き


価格は、働きである。
価格は、一定ではない。
価格は、売り買いと言う市場取引の働きによって作られる。
価格には、需給を調節する働きがある。
故に、価格は、収益と言う働きと費用と言う働きの相互作用によって作られる。
収益と費用は、外部取引によって成立し、利益は、内部取引に依って成立する。収益は、収入に基づき、費用は支出に基づく。
価格には、損益を構成する働きがある。

価格の働きは、為替も反映する。
価格の働きは、費用も反映する。

単位価格を単価と言う。単位価格とは、単位当たりの価格である。
単価には、付加価値が凝縮している。単価は、収益構造の縮図である。単価は、費用対効果を表している。即ち、単価は、経済的価値の原点である。
価格の働きは売上に収斂する。売上は、単価×数量×顧客数である。
単価は因子である。装置産業では、単価だけでは利益は、確保できない。なぜならば固定費が単価には含まれているからである。利益は、一定の数量を売り上げないと実現できない。販売数量が利益、即ち、収益構造が影響されるからである。収益構造を裏返すと費用構造になる。費用構造はその国の産業構造を集約している。国家間の産業の競争力は、産業構造によって左右される。故に、競争力の歪は、費用の歪として現れる。
販売量は、市場規模に制約される。市場規模は人口に比例される。
単価は、所得の制約を受ける。

価格の働きを知るためには、費用構造や収益と費用の関係を知る必要がある。なぜならば、価格の働きの中で費用の働きが分配の要になるからである。

価格の働きに関して誤解がある。価格は低ければいいというのではない。
価格に求められるのは適正価格であって廉価ではない。そして、価格の働きが正常に働く水準が適正価格である。
価格は市場で決められる。
価格を決めるのは、需要と供給、収益対費用の関係である。そして、分配の要の働きをしているのは費用である。つまり、適正価格とは、適正な費用を賄える値段なのである。

経営を効率化して費用を抑制するのは、利益を上げる事が目的なのである。価格を下げる事が目的なのではない。
この点を錯覚すべきではない。いくら経営を効率化し、費用を削減しても単純に価格を下げてしまったら、低価格以外の効果を期待できない。効率化して利益が上がった分を再投資や開発に向けてはじめて効率化の効果が出るのである。
世の中には、利益を上げる事は罪悪であるかのごとき思想が蔓延しているが、利益があるからこそ社会貢献もできるのである。

価格は、物価を構成する。価格は、需給を反映する。需要は消費量に基づき、供給は供給力、即ち、設備投資に基づく。消費量は市場規模による。市場規模は人口と所得に比例する。設備投資は、費用に影響する。価格は、費用に制約される。この様に物価は、いろいろな要素が複雑に絡みながら形成されていく。危うい均衡の上に物価は成り立っている。何らかの要素が暴走しただけでも物価は抑制が効かなくなる危険性が高いのである。

経済が経済の仕組みを制御する為の指標として活用すべきなのは、実際的な「お金」の動きによる裏付けがある働き、物価の水準、所得の水準、金利の水準、費用対効果の関係、通貨の流量、為替などである。つまり、物価と所得支出の水準の均衡が経済を安定させる鍵だからである。

F 金利の働き

金利は働きである。金利の働きは、時間価値を生み出し、付加価値を構成する。

時間価値とは、時間の経過とともに生み出される価値で、二点間の運動と距離によって求められる。
時間価値は、相対的価値であり、物自体が単独で生み出すものではなく、他の要素との関係によって生み出される。要素間の関係は、要素間の位置と運動から導き出される。

時間価値を構成する働きは、付加価値を構成する。付加価値を構成する要素は、時間の関数である。付加価値を構成する要素には、金利の他に、配当、利益、物価、所得、税、地代・家賃等がある。
時間価値は、資金の移動を促す働きがある。

時間価値を構成する要素は、相互に影響を及ぼし合う。即ち、連動して動く性格がある。それは、付加価値を均衡させようという働きに基づく。

例えば、地価と金利の水準によって、持ち家が得か、賃貸住宅が得かが変わる。借入金の返済額と賃貸料の相対的関係によって月々の支出が違うからである。借金の返済額が賃貸料より大きければ賃貸住宅に流れる傾向が高くなるであろうし、借金の返済額が賃貸料より少なければ、持ち家が増える。
この現象は、フローとストックの関係を象徴している。どちらが得か損かは一律ではないのである。

時間価値を直接的に生み出すのは金利の働きである。直接的と言うのは、人為的に操作できるという意味である。金利以外に直接操作できる付加価値の要素には、税がある。

金利は、「お金」に時間価値を付加し、資金の貸し借りを促す働きがある。金利があるから、「お金」を融通し、融資する動機付けになる。金利がなければ、「お金」を貸し付ける動機もなく責任も果たせなくなる。
この様な金利は、利益に直接反映する。

故に、利息や配当は、融通した資金を元金とする。利益を原資としている。
同様に、地代・家賃は、地価を元金とし、配当は、資本を元金とする。
税は、課税対象を元金とする。
物価は、需給関係によって定まり、資金の流通量を原資とする。

利益は、収益と費用の関係を表すとともに、資産と負債の動きにも関係する。利益は、投資した資金を回収する為の指標である。故に、利益は、費用対効果と純資産によって測られるのである。
金利は負債に基づいて派生し、費用に影響する。また、投資、運転資本、再投資の原資に働いている。
税は、所得を原資とし資金の流通量を元としている。

減価償却費は、付加価値の名が特殊な働きをしており、減価償却費を取り扱う時は注意が必要である。なぜならば、減価償却費は、単位期間の設備投資の働きを測定する為に仮想された費用だからである。必ずしも「お金」の動きを反映しているわけではない。故に、減価償却費は、現金の動きと照合する必要がある。つまり、長期負債の増減と固定資産の増減との照合する必要がある。

投資は、担保力と収益力によって決まる。担保力は、二時点間の資産価値の差により、収益力は、単位期間内における収益と費用の関係による。投資から派生する付加価値(金利、利益、人件費、償却費等)は、担保力と収益力によって制約される。付加価値の働きは、フローとストックの比率、付加価値を構成比の二方面から牽制される。

この様に付加価値は、水平方向と垂直方向の働きの均衡を求めて変動する。フローとストックの関係抜きに付加価値の働きは、理解できない。

現代の日本は、ゼロ金利に置かれているために、景気の変動を制御するのが難しい環境に置かれている。それは時間価値が市場に働かなくなっているからである。

経済のアルゴリズム


経済にはアルゴリズムがある。
経済のアルゴリズムの基本線は、人の一生である。
一生と言うのは一筋の生きる生き方を意味する。人生は、不可逆的で一本の道しかない。やり直したいと思っても過去には戻れないし、人生は一期一会である。
その人生の出来事が生み出すアルゴリズムである。

誕生、幼少期、思春期、青年期、壮年期、晩年、そして死という一連の流れがそもそもアルゴリズムなのである。
物事には順序がある。物事の道筋は、作法や礼儀、手続き、仕来りなどによって以前は決められていた。

仕事や生活にも四季があった。生活には、祭礼、人生は冠婚葬祭で縁取られていた。それが生活に知らず知らずアルゴリズムを持たせ、人生に弾みをつけてきたのである。

意味あることを意味もなく捨ててきたのが現代である。
一年の計は元旦にあり、それが始点である。

その時々に儀式や風習があり、その土地のアルゴリズムが存在していた。今はそれが風化してしまい。物事の筋道や手順が曖昧になってきた。それは一見安易になったように見えてむしろ、難しくしてしまっているのである。

経済の流れは、生産、分配、消費、貯蓄である。

経済の流れでは、人の動きと、物の動きと、「お金」の動きが並行して成立する。
経済は、生産の局面での「お金」の動きは、資金を調達する。物の流れは、生産手段に投資する。原材料を調達する。財を生産すると言う順に現れる。人の動きは、生産手段である労働力を提供する。即ち働く。
分配の局面では、「お金」を分配する。財を販売する。報酬を受け取る。
消費の局面では、「お金」を支出する。財を購入する。財を消費する。そして、「お金」の余りを貯蓄する。販売した余りを在庫する。

経済の流れは、生産、分配、消費、貯蓄であるが、生産、分配、消費の働きは、対等だという点である。即ち、生産に分配は隷属しているわけではなく。消費の上位に分配は位置するわけではなく、消費に生産は隷属しているわけではない。生産があって分配が決まるわけではない。
生産と分配の役割は、等しいし、さらに言えば生産と分配の基礎となるのは消費だという事である。

生産と分配、消費の関係が不均衡になるから経済は歪むのである。
生産と分配、消費の均衡を保つ事が経済のアルゴリズムの最終目標である。

生産と分配を切り離すと生産と分配との間の整合性が保てなくなる。
生産と分配の間には、「お金」の働きが関わっているのである。

生産と分配の基準は別のものである。生産に対する評価は市場でされ、分配に対する評価は、組織的にされる。
故に、生産のアルゴリズムと分配のアルゴリズム、そして、消費のアルゴリズムが並立しその均衡によって経済全体の状態は形成されるのである。

生産のアルゴリズムは、投資に始まり、利益で完結し、消費のアルゴリズムは、所得に始まり、消費で完結する。
分配のアルゴリズムは、生産と消費の接点で始まる。

現代の経済は、生産に偏り過ぎている。その為に、経済全体の整合性が保たれないのである。


       

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